Tous les chapitres de : Chapitre 721 - Chapitre 730

779

第721話

浩輔は何が起きたのか理解できないまま立ち尽くしていた。だが次の瞬間、ラウラが由奈のコートの襟元を乱暴につかみ上げる。その力は凄まじく、由奈の体が大きくよろめいた。「姉さんを離せ!」我に返った浩輔は叫びながら駆け寄った。しかしラウラは躊躇なく警棒を振るう。鈍い音とともに警棒が浩輔の胸を直撃し、彼は数歩後ろへたたらを踏んだ。そのときだった。駆け込んできた卓巳が浩輔の体を支えると、すぐ安全な場所へ押しやる。そして靴箱の上に置かれていた傘をつかみ上げ、そのまま鋭く振り抜いた。警棒がラウラの手から弾き飛ばされる。「っ……!」ラウラは苦痛に顔を歪めた。由奈を拘束している余裕などなく、慌てて手を離して距離を取る。「姉さん!」浩輔はすぐに由奈のもとへ駆け寄り、その腕を引き寄せた。「大丈夫か?」「う、うん……」由奈はまだ動悸が収まらないまま頷き、卓巳とラウラへ視線を向ける。一方のラウラも、自分が厄介な相手に当たったことを理解したらしい。痛む手首をさすりながら苦笑した。「へえ。なかなかやるじゃない」「お前が弱すぎるだけだ」卓巳は鼻で笑う。「その程度の腕で乗り込んでくるとか、送り込んだやつも相当なおめでた頭だな」ラウラは意味を理解した途端、顔をしかめた。そして不満げに叫ぶ。「あなた――!この国の人間はみんな卑怯だって聞いてたけど、本当だったのね!」「おっと、負けそうになったら今度はそれか?」卓巳は呆れたように肩をすくめた。「便利な言い訳だね」そう言うと、今度は浩輔へ向き直る。「少しは懲りたか?知らない人間を簡単に家へ入れるなってことだよ。特にこういう、人を騙すのが得意そうな女はな。僕が怪しいと思って見張ってなかったら、今ごろどうなってたか分からないぞ」浩輔は言葉を詰まらせた。「ご、ごめんなさい……姉さんの友達だって言ってたから……」そこまで言うと、深く俯く。「ごめん、姉さん。俺のせいで危ない目に遭わせるところだった」「大丈夫よ」由奈は首を横に振った。「次から気をつければいいから」そう言ってから、卓巳の隣へ歩み寄る。そしてラウラを真っ直ぐ見据えた。「誰の差し金ですか?」「それは言えないね。別に私も、あなたを傷つけるつもりはなかったけど?」ラウラは首を傾げ、口元には人を食ったような笑みが浮かんでいた。「ただ、
Read More

第722話

影山グループ――祐一と沙耶子は対峙し続けていた。やがて祐一のスマホ画面が点灯する。届いたメッセージを確認した瞬間、それまで張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。「ここまで話を聞いてきましたが、私に影山家への訴訟を取り下げて欲しい。それがあなたの望みですよね?」沙耶子はその質問を正面から答えなかった。「あの事故はね、たとえ私たちが関わらなくても、滝沢将吾が何かしら細工をしていた。私たちはただ、あの人の望みを後押しして、欲しい結果を手に入れさせてやっただけだ」「なるほど」祐一は低く笑った。「つまり、自分たちには罪がない、と?」そう言いながら姿勢を正し、組んだ両手をテーブルの上に置く。その顔から笑みがすっと消えた。「私はそうは思いません」沙耶子の表情が険しくなる。「どうしても影山家に責任を取らせるつもりなら、覚悟をしておくことだ。何せ、滝沢家も無傷では済まされないからね」「私を脅かしても無駄ですよ。さっき言いましたよね」祐一の声は氷のように冷たかった。「この件に関わった人間は――一人残らず責任を取らせると」「滝沢祐一!ふざけるのも大概にしなさい!」激怒した沙耶子は、テーブルの上のティーカップを薙ぎ払った。甲高い破砕音が室内に響く。だが祐一は眉一つ動かさない。ゆっくりとジャケットの襟を整え、静かに立ち上がった。「どうしても私とやり合うつもりなら、お好きにどうぞ。たとえ取り返しのつかないことになっても、私は祖父を見送った時と同じように――あなた方二人の最期も、きちんと看取らせてもらいますから」沙耶子の拳が震えた。胸が激しく上下し、怒りで顔色が変わっている。祐一はそんな彼女を一瞥することもなく、麗子を連れて会議室を後にした。――交渉は完全に決裂した。……祐一たちが去って間もなく、ラウラが戻ってきた。服も髪も乱れ、どこか狼狽えた様子だ。険しい表情の沙耶子を見て、それから出口で見かけた高級車を思い出し、状況を察したらしい。彼女は頭を下げた。「申し訳ありません、お母さん。計画が失敗しました」その言葉を聞き、沙耶子はようやく先ほどの祐一の余裕の理由を理解した。そして苦々しく息を吐く。「失敗したなら仕方がない。私があの人を甘く見ていたよ」……その後数日、和恵の事故について警察側の捜査が続いていた。関連の
Read More

第723話

由奈は庭の外まで出ると、そこに立っていた倫也へ声をかけた。「久しぶりですね。このところ、江川市に戻っていたんですか?」「いや」倫也は首を横に振り、ふっと微笑む。「でも、今日帰る予定なんです」「今日?」由奈は思わず目を瞬かせた。倫也は静かにうなずく。「だから、別れの挨拶をしに来ました」「そうですか。寂しくなりますけど、家族とも随分久しぶりでしょうから、そろそろ顔を見せてあげないとね」由奈は肩をすくめて笑った。そして何かを思い出したように続ける。「そうだ。栄東市の仕事なんですけど、長めのお休みをいただくことになるかもしれません」倫也は足を止めた。その視線がそっと彼女の腹部へ落ちる。事情を察したように、小さくうなずいた。「もちろん構いません。あなたの席は、いつでも空けておきますから」由奈は少しだけ目を見開き、それから柔らかく笑った。「ありがとうございます」そのまましばらく立ち話をすると、倫也は「そろそろ空港へ向かう」と言って、去っていった。だが彼が去って間もなく、一台の車が庭の前に停まった。車のドアが勢いよく開き、紬が飛び出してくる。彼女は真っ直ぐ由奈のもとへ駆け寄り、息を切らしながら庭の方を見回した。「白石さんは?ここに来てたんでしょ?」由奈は数秒きょとんとした後、うなずく。「来てたけど……」「じゃあ――」「今、帰ったところ」その瞬間、紬の動きがぴたりと止まった。瞳に浮かんだ落胆は隠しようもない。「もう……行っちゃったの?」魂が抜き取られたような彼女の様子を見て、由奈は何となく事情を察した。「今すぐ空港へ行けば、まだ間に合うかもしれませんよ」「そうだね……!」紬ははっと顔を上げた。「今行ってくる!」そう言い残すと、慌てて車へ飛び乗る。由奈は背中に向かって大声を張り上げた。「運転、気をつけてくださいね!」……空港へ着くなり、紬は保安検査場へ駆け込んだ。行き交う人波の中、必死にあの背中を探す。だがどうしても見つからない。出発ロビーも待合エリアも、考えられる場所を片っ端から回った。それでも見つからなかった。息は上がり、足も限界に近い。ふらりと膝が崩れ、そのまま床へ倒れ込む。手のひらが冷たい大理石に強く打ちつけられ、鋭い痛みが走った。それを見た空港スタッフが慌てて駆け寄る。「お客
Read More

第724話

倫也は紬をまっすぐ見つめ、迷いなく答えた。「違います」一切ためらいのないその返事に、紬は思わず息を呑む。震える声で問い返す。「じゃあ……どうして私を助けてくれたの?」倫也はしばらく彼女を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。「昔、あなたが薬を届けてくれた。その恩を返したいだけです」それだけ言うと、彼はスーツケースのハンドルを握り直し、背を向ける。もう二度と振り返ることはなかった。紬は、彼の背中が搭乗ゲートの向こうへ消えていくのをただ見送るしかなかった。強く噛みしめた下唇に、じわりと鉄の味が広がる。彼女は指先で滲んだ血を拭った。耐えきれず溢れ出そうになる涙も。「白石倫也の……バカ……!」……夕闇が街を包み始め、窓の外では雪が静かに降り続いている。由奈は寝室で荷造りをしていた。スーツケースを整理していると、小さなジュエリーボックスが転がり落ちる。「あ……」由奈は手を止めた。拾い上げ、ゆっくりと蓋を開く。中に収められていたのは、祐一と結婚した時にもらった結婚指輪だった。ダイヤモンドは今も変わらず美しく輝き、照明を受けて淡い虹色の光を散らしている。去年、祐一が栄東市まで持ってきてくれたものだ。その後はずっとスーツケースの奥にしまったままで、存在すら忘れかけていた。――せっかくだし、持っていこうかな。そう思い、荷物の中へ入れようとした時。「姉さん!」階下から浩輔の声が響いた。由奈はスーツケースのファスナーを閉め、部屋を出る。「どうしたの?」階段へ向かう途中、浩輔が慌てたように叫んだ。「その……祐一さんが来てる!」「えっ?」由奈の足がぴたりと止まる。視線を落とすと、自分は薄手のネグリジェ姿のままだった。もともとゆったりしたデザインだが、落ち感のあるシルク生地が身体に沿い、膨らみ始めたお腹のラインをはっきり浮かび上がらせている。その時にはもう、祐一が階段を上ってきていた。浩輔はその場で固まる。止めるべきかどうか迷っているうちにタイミングを逃し、結局気まずそうについていくしかなかった。由奈は慌てて踵を返す。寝室へ駆け込み、急いで着替えを始めた。一方、祐一は廊下へ出ると、以前来た時の記憶を頼りに真っ直ぐ由奈の部屋へ向かう。そしてドアに手をかけようとした瞬間――扉が開い
Read More

第725話

由奈は反射的にお腹を引っ込め、できるだけ身体が祐一に密着しないよう身を固くした。――どうか気づかれないように。ただそれだけを心の中で繰り返す。祐一はそんな彼女の不自然な緊張をはっきり感じ取っていた。腕の中の由奈を見下ろす瞳には、どこか探るような色を帯びている。その視線に、由奈の目がわずかに泳いだ。――このまま見つめられていたら、勘づかれてしまうかもしれない。由奈は小さく咳払いをした。「今の私たちの関係で、こういうのって……あまりよくないんじゃない?」祐一の喉から低い笑い声が漏れる。しばらくしてから、ようやく落ち着いた。「由奈」名前を呼ばれ、由奈は顔を上げる。「ん?」「君、何かこっそり企んでるんじゃないか?」由奈は表情ひとつ変えず、視線だけをわずかに動かした。そして彼のジャケットの裾をそっと握る。「そうだね……そろそろ実家に帰ろうかなって計画を企んでるかも」祐一の眉がわずかに動いた。「もう帰るのか?」由奈は肩をすくめて笑う。「最近はずっと祐一のそばにいたでしょ?欲張りはよくないよ」そう言って彼の腕の中から離れると、ふと思い出したように続けた。「そういえば、この前ハーフの顔立ちをした女性が私を訪ねてきたの」祐一の表情から笑みが消えた。眉間に薄い冷気が差す。その件について、すでに卓巳から報告を受けている。今夜ここへ来たのも、由奈が本当に無事なのか自分の目で確かめるためだった。「怪我はしてないな?」低い声で問う。「うん、大丈夫」由奈は頷いた。「でも、あの人が誰なのか知りたい」祐一は少し黙り込んだあと、口を開く。「影山彰の母親――敦美さんのことは覚えてるよな?」「もちろん」「彼女の実母は水野沙耶子という人だ。影山家の後ろ盾でもある。そして、君のところへ来た女性は、彼女の養女だ」由奈は目を見開いた。以前、彰から母親の生い立ちについて聞いたことがある。ただ、そのとき祖母の存在には触れていても、まだ存命なのかまでは聞いていなかった。「君のそばに加藤を置いたのは正解だったな」祐一はそう言って彼女を見る。由奈は真面目な顔で頷いた。「加藤さん、本当に頼りになるよ。責任感があるし、腕も立つ。給料、ちゃんとあげてね。あの人、キャンピングカーで半月近く寝泊まりしてたんだから。かなり大変だったと思
Read More

第726話

病院の玄関で看護師が慌てて立ちはだかった。「申し訳ありません、滝沢さん。まだ入院中ですので、外出するのはお控えください」「ふざけるな!」将吾は顔を真っ赤にして怒鳴った。「そんな言い訳が通るか!お前たちのやってることは監禁と同じだ!訴えてやるぞ!」「どうぞ、ご自由に」低く冷えた声が響いた。将吾が振り返ると、外に祐一が立っていた。黒いコートには雪が薄く積もり、空気の冷たさをそのまま纏っている。整った顔立ちからは普段の柔らかさが消え、底知れない冷気だけが漂っていた。将吾は歯を食いしばる。「祐一……お前は俺を死ぬまで閉じ込めるつもりか?」傷口が引きつり、額には脂汗が浮かんでいた。祐一は答えず、軽く顎をしゃくる。すると脇にいたボディーガードたちがすぐに前へ出て、今にも倒れそうな将吾の体を支えた。「俺はただ、叔父さんにきちんと療養していただきたいだけです」祐一は淡々と言った。「それのどこが閉じ込めることになるんです?」「白々しい真似はやめろ!」将吾は吐き捨てるように叫ぶ。「お前が何を考えてるかくらい分かってる!事件のことが聞きたいなら影山敦に聞け!全部あいつの指示だったって何度も言っただろう!」祐一は将吾の横で足を止めた。「ええ。その件については理解しています。だから、彼には責任を取ってもらうつもりです」そこで視線を横へ向ける。「そして叔父さんにも――叔父さんが行くべき場所があります」将吾の顔色が変わった。「……どういう意味だ?」嫌な予感が胸をよぎったのだろう。慌てて声を上げる。「お前の父親に会わせろ!」「父は関与しないと言っていました」祐一は冷静に告げた。「叔父さんの件は、すべて俺に一任されています」将吾の胸が大きく上下する。「祐一!俺はお前の叔父だぞ!」その言葉に、祐一は薄く笑った。「確かに血縁者ではあります」だが次の瞬間、その笑みは冷え切ったものへ変わる。「ただ、その身内がどうしようもないクズなら、身内として扱う必要もありません」「お、お前――!」将吾が言い返そうとした瞬間、祐一は振り返りもせず命じた。「病室へ戻してくれ。それと、しっかり治療を続けさせるように。刑事責任を負える状態になるまで、ね」ボディーガードたちは将吾を引きずるように連れて行った。将吾は抵抗しながら罵声を浴びせ続ける。
Read More

第727話

祐一は「そうか」と短く応じ、顔には驚きの色が少しも見えなかった。「彼のような男が、君を恋人に選ぶ確率は確かに低いな」泣きじゃくっていた紬はその言葉を聞いてぴたりと涙を止め、信じられないという顔で彼を見上げた。「何それ……私ってそんなにダメなの?」鼻をすすりながら、今にもまた泣き出しそうになる。見かねた使用人が慌てて彼女の背中をさすり、困ったように祐一を見た。「祐一様、紬様はこんなに傷ついているんですから、これ以上は――」「俺は事実を言ったまでだ」祐一の口調は冗談の気配がなく、その目もひどく真剣だった。「ただ振られただけで飲酒運転して、検問に引っかかって、挙句の果てに警察署で大暴れ。それは、欲しいお菓子を買ってもらえなくて地面に転がって泣きわめく子どもと何が違う?子どもならまだ分かる。分別がついてないからな。でも彼女はもう二十代の大人だ。俺が白石さんの立場でも、全力で距離を取るだろう」紬は言葉を失い、反論のひと言も出てこなかった。祐一が遠回しに自分の未熟さを指摘していることくらい、さすがに理解できた。冷静になって考えてみれば、その通りだった。自分は松本家の一人娘だ。両親から溺愛され、幼い頃から何不自由なく育ってきた。わがままを言えば叶うのが当たり前。欲しいものは手に入るのも当たり前。そんな人生だった。卒業したら素敵な恋愛をして、自然な流れで結婚して、子どもを育てて――そして、幸せな家庭を築く。そんな未来を疑ったことはなかった。彼女の世界に、「手に入らない」という状況は存在しなかったのだ。欲しいと思ったものは、最終的には必ず自分のものになる。好きになった男性だって同じ。自分を拒絶するはずがない。そう信じていた。ただ一人――倫也だけは違った。思えば、最初からそうだったのかもしれない。あの人は、これまで自分が出会ってきた男たちと、根本から違っていた。媚びることはなく、耳障りのいい言葉を並べることもない。能力をひけらかすことも、優越感を漂わせることもない。初めて会ったときから分かっていた。自分には、この人を思い通りにできない、と。それなのに、いつからか――もしかしたら自分なら彼にとっての「特別」になれるかもしれないと、そんな勘違いをしてしまった。祐一は紬が静かになったのを確認すると
Read More

第728話

これで、家のガレージに並んでいる車たちとも当分お別れだ。二度と運転できないと思うと、今さらながら胸が痛む。「さっきの広報対応、すごくよかったですよ」由奈の声が聞こえ、紬は顔も上げずに答えた。「……お義姉ちゃんまで私を笑いに来たの?」まるで空気の抜けた風船みたいにしょんぼりしたまま、力なくつぶやく。由奈はくすりと笑い、彼女の隣に腰を下ろした。「別に笑ってませんよ。失恋したって聞いたから、慰めに来ただけ」「失恋なんかじゃないもん。まだ付き合ってもいないんだから……」「何事も焦っちゃだめですよ。じっくり時間をかけないと」紬はようやく顔を上げた。「別に焦るつもりはなかったんだけど……」そこまで言いかけて口をつぐむ。少し考えたあと、観念したように続けた。「……ううん。やっぱり焦ってたかも。白石さんは、少しくらい私に好意を持ってくれてるんじゃないかって勝手に思ってた。でも違った。あの人、私のことを恋愛対象としてみてなかったの」「それで?諦めるんですか?」由奈の問いに、紬は一瞬固まった。そして視線を落としたまま答えない。由奈は続けた。「あなたたち、知り合ってまだ短いでしょ?あなたは彼のことをよく知らないし、彼もあなたのことをよく知らない。そんな状態で特別な感情がないって言われても、むしろ普通じゃないかな」「慰めてるのか追い打ちかけてるのか、どっちなのよ……」辛い現実に気力を全部吸い取られたように、紬は再び机に突っ伏した。由奈は笑う。「私の知っている白石先生はね、相手が可愛いからって舞い上がるような人じゃないんですよ。本気で好きなら、まずは彼を知ることから始めたら?」「でも、振られたんだよ?」「何て言われたんですか?」紬は大きくため息をついた。「はぁ……『私のこと、本当に少しも好きじゃないの』って聞いたの。そしたら『はい』って」「それだけ?」「うん」由奈は髪を耳にかけながら、ふっと笑った。「今は、でしょ?」紬はぽかんと目を瞬かせた。次の瞬間、頭の中で何かが繋がったように勢いよく体を起こす。「そうか!今は好きじゃないって言っただけで、これから先も好きになれないとは言ってない!つまり、まだチャンスがあるってことだよね!ありがとう、お義姉ちゃん!元気が出たよ!」さっきまでの落ち込みが嘘のよ
Read More

第729話

三日連続で、奈々美が身柄を拘束され、事情聴取を受けているという報道が流れた。その影響で、滝沢家はかつてないほどの批判と注目の渦中に置かれていた。この間の、将吾たちが滝沢家本家から出たという噂から始まり、隠し子騒動、そして今回の真由美の転落死と奈々美の拘束――立て続けに不祥事が表面化したことで、滝沢家への世間の目は日に日に厳しさを増していく。その余波は将平にも及び、外務省で担当していた業務はすべて停止となった。滝沢家を巡る世論はますます過熱していた。滝沢グループの広報部門が何度トレンドを抑え込んでも、新たな話題がまたすぐに浮上する。まるで誰かが裏で糸を引き、意図的に情報を拡散させているかのようだった。同じ頃。とあるカフェの二階では、一人の女性が窓際に腰を下ろし、通りを行き交う人々を眺めていた。コーヒーカップを指先でゆっくり回すたび、カップとソーサーがかすかな音を立てる。「こちらをご覧ください。予想以上に順調です」向かいに座る中年男性が新聞を差し出した。一面には大きく、【滝沢将平、職務停止】という見出しが躍っている。「滝沢将平はもう自分のことで手一杯です。ここでもうひと押しすれば、滝沢家もかなり苦しくなるでしょう。もう、祐一一人では支え切れないのでは?」沙耶子は喉の奥で小さく笑った。コーヒーをひと口含み、ゆっくりと言う。「滝沢家は根が深い。この程度の騒ぎで倒れるようなら、私もここまでを待つ必要はなかった」そこで言葉を切り、鋭い視線を男へ向けた。「それより――あなたはヤクモヘルス製薬部門の古参幹部でしょう。和恵に引き立てられて今の地位を得たのに、祐一に辿り着かれる心配はないのか?」男はカップの縁を親指でなぞりながら、苦々しく顔を曇らせた。「引き立てられた?だから何です?結局私は、実績を一切あげてこなかった滝沢将吾以下の扱いでした。和恵さんは物事の分かる人間だと思っていました。製薬事業くらいは、私のような、薬の研究開発を理解している人間に任せるものだと。けど、彼女は製薬事業を滝沢家のものにしようとした。滝沢家の連中、薬の研究開発を理解している者などいないというのに!滝沢将吾なんて典型でしょう。和恵さんの息子だというだけで、これまで散々人を顎で使ってきた。あんな男、ずっと前から目障りだったんです」そこで一度言
Read More

第730話

「水野沙耶子……」「水野沙耶子って?」「祐一の祖父が若い頃、裏切った恋人です。彰さんの祖母でもあります。影山家が頼りにしている後ろ盾もその人だし、裏で糸を引いているのも、おそらく彼女だと思います」智宏はしばらく黙り込んだあと、静かに答えた。「分かった。調べてみる」電話が切れる。由奈はスマホを下ろし、窓の外へ目を向けた。降り積もった雪が一面を白く染めている。その景色をぼんやり眺めながら、彼女は何かを考え込むように立ち尽くしていた。……その頃、滝沢グループ本社。麗子が執務室のドアを開け、中へ入った。「社長、警察から真由美様に関する新しい報告が入りました」書類にペンを走らせていた祐一の手が止まる。顔を上げると、麗子を見た。「詳しく聞かせてくれ」麗子は唇を引き結び、信じ難いという表情を浮かべた。「奈々美様が自供しました。真由美様を突き落としたのは自分だと」実の母親を、自らの手で突き落として死なせた――その内容は、麗子でさえ衝撃を受けるものだった。祐一は机の縁に指を置き、軽く叩いた。しかし表情に大きな動揺はない。「他には?」淡々と問い返す。麗子は少し躊躇ってから続けた。「奈々美様は……社長に会いたいそうです」……奈々美は薄暗く狭い留置室に座っていた。部屋にある唯一の窓は幅五十センチほどしかなく、鉄格子がはめられている。そこから差し込むわずかな光を、彼女はただ呆然と見つめていた。どれほどそうしていたのかは分からない。やがて女性警察官が扉を開いた。「行きますよ。面会です」奈々美はゆっくり立ち上がり、警察官に連れられて部屋を出た。廊下の照明が眩しく、彼女は思わず目を細めた。俯いたまま歩き続け、靴底が磨き上げられた床を叩く単調な音だけが響く。面会室の前で警察官が足を止める。鉄扉が開いた瞬間、奈々美は顔を上げた。そして一目で、向かい側に座る祐一を見つけた。祐一は彼女が入ってきても立ち上がらない。ただ静かに見据えている。奈々美は椅子に腰を下ろし、口元を歪める。笑おうとしたのだろうが、それは泣き顔よりも痛々しかった。「……来てくれないかと思ってた」祐一は感情を交えずに言った。「話したいことがあるなら話せ。俺たちが会える時間も、限られているから」奈々美は俯いた。数分もの沈黙が流れる
Read More
Dernier
1
...
7172737475
...
78
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status