All Chapters of 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ: Chapter 131 - Chapter 140

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第131話

明日になって、空が秘書をボコボコにした、なんて噂が広まらないように、凪は空を自宅に連れ帰り、ゲストルームに寝かせることにした。重い男の体が、柔らかいベッドに沈み込む。だが、凪の肩に回された腕は、まだ離してくれない。「きゃっ!」凪は足をもつれさせ、そのまま空の胸の中に倒れ込んでしまった。後ろから付いてきていた隆はびっくりして、慌てて後ずさりし、その場から立ち去った――見ちゃいけないものを見てしまった……男の胸に激しくぶつかった鼻先が、ツンと痛む。空の腕の中から顔を上げると、相手はすやすやと眠っている。「まったく……」凪は呆れながら小声でぼやきつつも、空の腹部に手を置いて体を起こした。その一瞬、相手の体がぴくっとこわばったことには気づかなかった。凪は空の顔を拭き、上着を脱がせ、布団をしっかりかけてやってから部屋を出た。去り際、ずっと空を支えていて凝り固まった肩を軽く揉みほぐす。「大っきな体しちゃって……おやすみなさい」明かりが消える。ドアがそっと閉められた。闇の中で、男はパチッと目を開けた。酔いなど微塵もなく、眼差しは澄んでいる。凪が腕の中にいた余韻を感じながら、深々とため息をついた。危うく、バレるところだった。……夜中を過ぎた頃。凪はすでにぐっすりと眠っていた。酔った空が夜中に体調を崩しても気づけるように、自分と空の部屋のドアを少しだけ開けておいた。だが想定外にも、リビングで鳴り響くスマホの着信音に叩き起こされることになった。目をこすりながら起き上がり、スマホを掴んで部屋に戻ると、スピーカーからは大地の容赦ない罵声が飛んできた。「君はどうやって妹の面倒を見ていたんだ!葵が一晩帰っていないのに、何の連絡もないぞ!」あまりの音量と怒りの凄まじさに、凪は一瞬で目が冴えてしまい、イライラが込み上げてきた。「もう大人でしょ?何で私がいちいち面倒を見なきゃいけないの?行方不明なら警察に行って。事故なら相手に文句を言って。夜中にしつこく電話してくるなんて本当に迷惑なんだけど」言い終わると、凪はそのまま通話を切り、布団を頭からかぶって寝ようとした。しかし、スマホが鳴り止まない。着信拒否をしても、大地は別の番号から次々と切り替えてかけてくる。仕事の用件があるため電源を
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第132話

「どこにいるか分かれば十分です」凪は、事の詳しい経緯には興味がなかった。葵たちのやることは、いくら考えても理解できそうになかったからだ。凪は防犯カメラの映像を大地に送信すると、スマホの電源を落として寝る準備をした。「酔っ払っているのに、映像の手配を頼んですみません」凪はキッチンに行ってハチミツ水を作ると、あくびをしながら部屋へ戻った。「ハチミツ水は二日酔いに効くから、飲んでくださいね。そうしないと寝苦しいでしょうから」空がもう目を覚ましているのを知っていたから、今度こそ、凪はドアをぴっちりと閉めた。リビングは静寂に包まれている。空は寝癖のついた髪をかきむしり、キッチンに向かった。そしてハチミツ水を一口だけ飲むと、わずかに眉をひそめた。「甘すぎる」彼は甘いものが苦手なのだ。それでも、そのハチミツ水を一滴残らずすべて飲み干した。……翌朝。凪が目を覚ますと、テーブルの上には朝食が並んでいた。すっかり身支度を整えた空が、テーブルの前に座っていた。椅子の背にはスーツのジャケットが預けられ、袖を捲ったシャツとスラックス姿が、かえって彼に漂う洗練された雰囲気を際立たせている。昨夜の酔っ払った様子とは、まるで別人だった。空は凪に牛乳を差し出した。「隆が君の好みを知らなかったから、これでいいか?」「朝は簡単なもので十分です。それにしても随分と朝からビシッとした格好だけど、今日は大事な会議でもありますか?」凪は気後れすることなく、自然な態度で席に着いた。二人は朝食をとりながら、仕事の忙しさについて軽く愚痴をこぼし合い、まるで長年組んできたビジネスパートナーのように振る舞った。食事も半ばを過ぎた頃、空が急に口を開いた。「友人が今度、陶芸展を開くのだが、人手となる陶芸家を探している」「母の知り合いに詳しい人が何人かいるから、良ければ聞いてみましょうか?」凪はよどみなくそう返事をして、頭の中では既に心当たりの連絡先を整理している。空は満足そうに頷いた。「助かる。その時はまた連絡を回すように伝えておくよ」「分かりました、何かあればいつでも言ってくださいね」凪は柔らかく微笑んだ。味方のために口を利くなど、自分にしてみれば簡単なことだった。だが、空はその一件を言い訳にして、凪
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第133話

エレベーターのドアがゆっくりと開いた。凪は葵を無視し、彼女の腕を掴み上げると、エレベーターのドアが開いた瞬間に、力任せに中に押し込んだ。泉と周囲にいた数人の社員は、思わず驚きの声を上げた。しかし、凪はドアの前に立ち、軽く手を払って、冷ややかに見つめるだけだった。「まだ騒ぎ立てるなら、その頬の腫れをみんなに見せて、なんで叩かれたのかぶっちゃけてもらおうかしら?」「何を!」葵は悔しさと怒りで、さらに激しく涙をこぼした。まさか自分がだらしないせいで叩かれたなどと、話せるわけがなかった。そのとき、傍らにいた泉が冷たく言葉を足した。「葵さんは、いったいどうしてそんな目に遭われたのですか?」「失礼ね!」葵は怒りに満ちて、まっすぐ泉の鼻先を指さした。さらにエレベーターを飛び出すと、凪の肩を乱暴に押した。「私をバカにして、わざとやってるんでしょ!今乗っていた人の顔は全員覚えたんだから。今日のことを誰かに話したらただじゃおかない。今すぐ、消えなさいよ!!」泉は平気な様子だったが、他の社員は怯えて震えながら、すぐに下の階のボタンを押した。エレベーターのドアが、もう一度閉まった。凪は、葵が触った肩の辺りを不快そうに払うと、静かに鼻で笑った。「そんなに体面が大事なら、どうして昨夜、あんな年上の男のベッドに忍び込んだりしたの?」「そんなことしてないわ!デタラメを言うのはやめて!私とあの男の間には何もない。防犯カメラを見れば、私がすぐに帰ったことくらい分かるはずよ。こうなったら、一緒にお父さんの前に行ってはっきりさせてよ!」葵はパニックになって凪の手を力任せに引いた。凪は少し目を細めた。昨夜の防犯カメラの映像を確認したのは、空が差し向けた者だ。おそらく空は、葵がどこへ向かったかを行き先だけ探るよう指示を出して、部屋に入ったのを確認した段階で調査を止めたのだろう。そのため、凪自身も部屋のなかで何があったのか、知らなかった。もちろん葵の無実を代わりに保証してあげる気などなかった。凪はしがみつく葵を力づくで振り払った。「自分のことは自分で説明しなさい。私を巻き込むのはやめて」チーン。すぐ隣のエレベーターが開いた。そこから大地が歩み出てきた。目の前でもみ合う二人の娘を見るなり、激しい怒りが顔に満ちた
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第134話

葵は瞬時に涙を引っ込め、その分厚いファイルをじっと見つめた。大地は頷き、そのまま席に着いた。「最近、斎藤グループと黒崎グループが結婚で結ばれるのは噂になった。今勢いに乗る斎藤家のこの公開入札プロジェクトには、競合相手も多い。凪、この仕事をとってきてくれたら、次の社長の席は君のものだと約束するよ」経営が悪化する二宮グループとしては、何としても斎藤グループと繋がりを持たなければならない状況だ。凪は半分黒崎家の一員であるため、彼女が動けば相手も黒崎家の顔を立ててくれるだろうという算段だ。空が助けてくれないと知りつつも、遠回しに黒崎家との関係を強調する。実にあつかましく、計算高い話だ。沈黙が流れる中、大地が耳にしたのは、凪がクスッと笑った声だった。「もし、とってこられなかったら?」その言葉を聞いた瞬間、大地の顔色が変わった。凪なら確実にうまくいくと、信じて疑わなかったのだろう。斎藤グループがどうあれ、空の顔に泥を塗るようなことはしないはずだと思い込んでいるのだ。「そんなはずは……」大地は引きつった笑いを浮かべたが、隣にいた葵の言葉に遮られた。「お姉さんが嫌なら、私がやるわ」大地に叩かれて、凪に散々いじめられて……でも、自分はもうすでに大輔とは関係がある。斎藤家の令嬢なんかより、ずっと大輔に近いところにいる。夜のベッドでうまくおねだりすれば、大輔から仕事を融通してもらえるかもしれない。「黙りなさい!」大地はテーブルの上に書類を叩きつけた。葵の顔を見るだけで腹が立つ。「自分のしでかしたこともはっきり言えないくせに!プロジェクトを任せられるわけがないだろう!」「そんなの分からないじゃない?黒崎家が斎藤家と結婚するって言っても、まだ決まったわけじゃないもの。お父さん、最後が私にならないなんて、どうして言い切れるの?」葵は大地の言葉を焦った様子で遮ると、顔を背けて、凪を鋭い目で睨みつけた。「お姉さん、私と勝負しない?どちらが二宮グループのためにこの再開発のプロジェクトをとってこられるか勝負よ。勝った方が社長になるの。どう?」凪はゆっくりと目を向けて、葵の生意気そうな表情を見ると、鼻で笑った。葵と明里は本当に身の程知らずで、バカげた夢ばかり見ている。大輔に遊ばれているとも知らずに……
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第135話

凪はキーボードを叩く手を止めた。「今夜、オーケストラがホテルで演奏するんだけど、ピアニストにちょっとトラブルがあって。出られなくなっちゃったのよ。K市には来たばかりだから頼める人がいなくて。代わりにピアノを弾いてくれない?」「でも、ピアノはあまり得意じゃないよ」本当に得意なのは、バイオリンのほうだった。凪は少し躊躇していた。だが、琴音は泣きそうだった。本格的なクラシックのステージではないし、とにかく約束を守って舞台に立つことが先決だという。でないと多額の違約金も発生する。信用を失うのが何より問題だった。凪は、プロジェクトの入札の期日を確認した。時間のゆとりは十分にありそうだった。「場所を教えて」「ありがとう!明日、お礼においしいものおごるね!」琴音は声を弾ませた。すぐに現場の調整を進め、曲の譜面を凪のスマホに送ってきた。自宅にピアノがないので、凪は、人目を気にせずに静かに練習できる近所のレンタルピアノルームに行くことにした。……ホテルの入り口はひっきりなしに招待客が行き交い、高級車がぎっしり並んでいた。琴音のオーケストラは非常に有名だ。世界的にも高い評価を受けていた。今回は、国内に戻って急きょ催されたものだった。だから客席は、K市の芸術家や名だたる資産家たちばかりだ。練習を終えると、凪はそのままホテルへと向かった。タクシーを降りると、すぐさま、見慣れた二人の姿を認めた。直美が渉の腕をしっかりと引き寄せていた。「ルナさんのオーケストラにはね、私ずっと憧れてて、一度バックステージに行ってみたいの。ねえ、渉さん、代表に知り合いがいるなら、取り持ってくれない?」言葉が終わらないうちに、直美はそばを通る凪に気づいた。なんて地味な格好。直美は自分の華麗な紫のロングドレスを見やり、得意そうに顔を上げた。「今日はルナオーケストラの演奏会だって知ってるの?どうしてそんな古臭い格好をしてるのかしら。衣装を買う余裕もないの?それとも、有名なオーケストラに恥をかかせにきたのかしら?渉、今から凪さんのための服を見つけてあげよう。三人で一緒に聴きましょうよ」凪は足を止めた。二人の相手をするのすら無駄な時間だけど、こうして直美がわざわざ突っかかってくるのなら放置はできない。凪はゆっくり振り
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第136話

「舞台のど真ん中、これ以上に良い席がある?」琴音は凪の後ろに立ち、シャンパンゴールドのドレスを見つめた。それから、その柔らかい髪に指を這わせた。「少し髪を巻いてみる?」凪が答える前に、琴音はすぐにスタイリストを呼び寄せた。「このままだとシンプルすぎるから、ステージの照明を浴びたら、凪の顔が完全に白飛びしちゃいますよ。せっかくの綺麗なすっぴんを活かすためにも、とびきり素敵に仕上げてくださいね」スタイリストの二人もやる気満々だ。ほんの少しして、ゆっくり姿を現した凪は、肩の髪を少しふんわりとさせ、小さくて可愛いお顔がさらに引き立っていた。メイクによってパーツの美しさがより際立っており、美しい目を細めてふっと笑う姿は、絵画から抜け出してきたようだった。「どうかしら?」「完璧よ!もし凪が表舞台に出る気になってくれたら、私、絶対にトップスターにしてみせるのに」琴音は惜しみない褒め言葉を口にした。一方、凪は顔をそむけて鏡の中の自分を見つめた。これほどしっかりとメイクをして舞台へ向かうのは、本当に久しぶりだった。渉と一緒にいた年月が、まるで色んなことを自分から奪い去っていったようだった。バイオリンを弾くときの、あの耳に残る微かな震え、ピアノの鍵盤を指先でしっかりと弾いたときの、美しい音の余韻。だが今、ステージ用のドレスを纏うことで、かつての感覚がじわじわと体へ戻ってきた。それがむしろ、心をほっとさせた。「それと、言われていた仮面も準備してあるわ」琴音は凪に仮面を手渡した。凪は小さくお礼を言い、顔を覆い隠した。琴音に導かれ、薄暗いバックステージを抜けてスポットライトのあたるステージへと上がる。明かりに照らされた場所に腰を下ろすと……すべてが昔のままだった。「いたたた……お腹が急に痛くなってきて」すぐ横のほうから小さなささやき声が聞こえた。凪がそちらへ視線を向けると、低音バイオリンを担当していた人が苦しそうな顔をしていた。「後半からが必要なパートね。先に抜けてて、後からこっそり戻ってきなさい……」琴音は冷静にテキパキと指示を出した。オーケストラのみんなも、特にそんなことを気にも留めなかった。そして、ゆっくりと幕が上がった。楽器たちの音が、優しく会場を包み込んでいく。凪がふっと客席
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第137話

凪は琴音の視線に気づくと、まもなく終わろうとしている楽譜へ目を戻した。ピアノを担当する自分のパートは、もうこれで終わる。ここからは、低音部バイオリンの出番だ。最後の一音まで、完璧に音を乗せると、怪訝そうに見つめる周囲をよそに、凪はドレスの裾を少し持ち上げると、急いで低音バイオリンの席へと移動した。「うそ!」「あの人、ピアノじゃなかった?なんでバイオリンを持ってるの?」「しー、静かに。ルナさんのオーケストラだからね、すごい人ばっかりだよ。おとなしく聴いていよう」観客席のあちこちから、小さなざわめきが起こった。だが、凪の優雅なバイオリンの音が響いた瞬間、会場は一気に静かになった。完璧だ。渉の頭の中に、その一言がはっきりと浮かんだ。聞き慣れた曲なのに、一つひとつの転調も音色も、不思議と胸を打つような輝きに満ちている。「私だって、いつかあそこの真ん中に立ってやるんだから」直美の声が、場違いなノイズのように、余韻を不意に壊した。渉はうっすらと眉をひそめた。直美の余計な感想などに邪魔されず、静かに演奏を最後まで味わいたかった。凪はそんな様子に気づくこともなく、完全に演奏へ没頭していた。そしてついに、一曲が終わった。静かに目を開けると、同時に会場を揺るがすような拍手が沸き起こり、心臓が高鳴った。琴音に続くように、凪も丁寧にお辞儀をした。仮面で顔は隠せても、少し持ち上がった口元までは隠しきれなかったようだ。舞台の袖に戻ってもなお、今の素晴らしい時間の興奮は、すぐには冷めそうになかった。バイオリンを抱えたまま、凪は琴音に向かって嬉しそうに微笑んだ。「もう最高、久しぶりにあの大歓声をあびられて本当にうれしい!」「凪の演奏、本当に息をのむほど素晴らしかったわ!」琴音は嬉しそうに言いながら、凪を優しく抱きしめた。二人は言葉を交わしながら、喜びを分かち合う。そこへ、大きな花束が届けられた。「こちらは中島様よりお預かりした花束です。後半の素晴らしいバイオリン演奏をとても褒めていらっしゃいました」渉。凪はそっと仮面に触れた。渉が自分の顔に気づいたとは思えない。きっとただ演奏そのものに心惹かれただけだろう。「すみませんが、その辺りに置いておいていただけますか?」やはり
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第138話

直美は、代表である琴音にではなく、なぜか凪に問いかけた。まるで、凪が裏で糸を引いたせいで自分が拒絶されたのだと言いたげな様子だった。凪は焦る様子もなく、ゆっくりと直美の方へ歩み寄った。「私一人にルナオーケストラのメンバー選定を覆す権限があると思ってるの?それに、さっきの演奏を聴いて、まだ自分に十分な実力があると思っているの?」隣にいた琴音が、思わずぷっと吹き出した。「凪の言う通りです。うちはメンバーを募集しているけれど、そこの直美さんは採用するつもりはありませんから」みるみるうちに青ざめていった直美だったが、渉が隣にいる手前、その場で食ってかかることもできず、ただ声を詰まらせて泣きながら、渉の手をギュッと握りしめた。「やっぱり、私みたいに育ちが悪い人間じゃ、幼い頃から音楽に囲まれて暮らしてきたお嬢様には敵わないんだね……渉、もう行こう。私の夢なんて、大したことじゃないんだから……」そう言うと、直美は目元に手を当てて涙を拭った。あまりにかわいそうな様子だった。琴音はこうしたあざとい態度が何より嫌いなので、あからさまに軽蔑の視線を向けた。渉も、凪がこれほどはっきりと、直美にはオーケストラに入る資格がないと突き放すとは思っていなかった。しかし、どうしても直美の願いを叶えてやりたかったのだ。「いくら払えば、オーケストラに入れますか?」「お金ですって?」琴音は唖然とし、凪と顔を見合わせると、人差し指を一本立てた。「ルナオーケストラに入るなら、一枠につき、20億円です」渉の瞳に、驚きの色がかすめて通り過ぎた。直美も、驚きに目を大きく見開いた。高すぎる……しかし、もしルナオーケストラに入ることさえできれば、中島家の人たちも自分のことを「田舎者」呼ばわりできなくなるはずだった。渉がすぐにそれほどの大金を用意できないと知っていた直美は、唇を引き結び、泣くのを堪えるようにしながら凪に向かって謝罪した。「凪さん、これまでのことは全て私が悪かった。凪さんやお友達に謝るわ。だからお願い、渉さんにそんなにふっかけて、お金を要求するのはやめてもらえない?」琴音の顔にはありありと嫌悪感が浮かんだ。さっきまで高飛車だったのに、高額な要求をされた途端にヘコヘコするなんて。その、態度が変わるのが早
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第139話

凪は視線を戻し、隣の男性を見つめた。「空さん、今日はどうしてここに?」「誘われてね。人数合わせのサクラさ」空は簡潔に答えた。凪は予想外のことだと思った。空が、サクラを引き受けることがあるのだろうか?しかし、今は互いに利用し合う仲だ。それ以上、深く詮索するつもりはなかった。凪は一度、汐見台に戻ってくれるよう運転手に頼んだ。昔持ってきた荷物の中に、作曲用の機材があったからだ。空も、これ以上何も聞いてこなかった。二人は無言のまま汐見台に到着した。凪は音楽ができることを隠そうともせず、空の目の前で機材を広げ、必要なものをいくつか選んで、使用人に車まで運ぶように頼もうとした。空はそんな彼女に大股で近づき、そっと腕を掴んだ。「これは持って行っても使えない。コードが断線している」「えっ!」凪は驚いて、慌てて確認してみた。一番底にあった2本の配線が、無残にもちぎれていた。これでは持って帰っても使い物にならない。凪は目に見えてがっかりし、がっくりと肩を落とした。新しいプロ用の機材を手配しようにも、今から注文していては琴音のステージに間に合わなくなってしまう。「まずは帰ろう」と空が提案した。これほど本格的な機材の修理となれば、多少なりとも時間がかかる。今夜だけで何とかしようと焦る必要はない。凪もそれが分かっているからこそ、仕方がなく、がっかりしながら空と一緒に汐見台を後にした。アクアブルー・ガーデンズへ帰宅。凪は空と別れると、自室にこもり、急いで機材の手配先を探し始めた。何より早く、誰にも知られずに揃える必要がある。自分の趣味を、二宮家の人たちに知られるわけにはいかないのだ。ピンポーン。インターホンが鳴った。モニターを確認すると、そこに立っていたのは隆だった。こんなに遅い時間に、一体何の用だろうか?凪が首を傾げながらソファーを立って扉を開けると、そこには、先ほど切望していた機材が一通り整然と並び、脇では慣れた手つきの作業員たちが控えていた。さらに機材の奥には、上質な木目のアップライトピアノまで用意されている。凪の胸が熱くなり、指先も小さく震えた。空は気づいてくれたのだ。機材の型番まで覚えていてくれたなんて。ましてや、この一流のピアノなどは間違いなくプロ
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第140話

「斎藤グループの入札まで、あと1時間です」泉の、いかにも仕事モードな声が響く。その声で、凪は現実に引き戻された。耳には、昨夜空が言った「また今度にしておく」という言葉がまだ残っているようだった。あれほど仕事が早くてテキパキしている空が、いつになるかも分からない食事の約束をしてくるなんて。けれど今は、男よりも仕事が最優先だ。車が静かに停車した。凪は白いスーツにハイヒールを合わせ、少し早めに入札会場に併設されたロビーへ向かい、一息ついて待つことにした。泉が、用意していた入札書を凪に手渡す。「こちらが入札書です……」パシャッ!「何様のつもり?私の前で大輔の名前を出せば、どうにかなると思ってたの!?」甲高い怒鳴り声と、激しい平手打ちの音が響き渡る。その直後、廊下に突き飛ばされるように人が現れた。凪と泉は思わず足を止め、目を凝らした。そこにいたのは、葵だった。葵は廊下でよろけ、真っ赤に腫れ上がった頬を手で押さえたまま、信じられないという顔をしていた。「よくも叩いたわね!今日のことはもう大輔さんに話してあるんだから。私へのこんな仕打ち、大輔さんが知ったら絶対に……」「彼が誰の婚約者なのか、その脳みそでよく考えたら?」黒と金のスーツを完璧に着こなした女が、ホールから姿を現した。緩やかにウェーブした髪を高く結い上げ、その瞳には冷徹なまでの冷ややかさが宿っていた。「私の婚約者との個人的な繋がりを利用して、仕事を裏から回してもらおうなんて都合が良すぎるのよ。浮気相手にもなれてないような分際で、よくそんな厚かましいことが言えるものだね!今日二宮グループが入札に参加してなければ、ただじゃ済まさないところよ!大輔が、果たしてどちらの味方をするか試してみれば?」気高き誇りをまとった女性の姿を見て、泉が声を低くして凪にささやいた。「あの方が、斎藤グループのご令嬢、斎藤春海(さいとう はるみ)さんです」「あちらが二宮グループの代表、二宮葵さんの姉の二宮凪さんです」同時に、春海の隣の秘書も、凪について説明していた。二人の視線がぶつかり合う。凪は少し目を見張った。一瞬、春海が誰か分からなかったからだ。この前、黒崎家の身内だけのパーティーで見かけた時は、大輔の傍らで愛らしく振る舞う女の子に見えたが
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