許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ のすべてのチャプター: チャプター 81 - チャプター 90

168 チャプター

第81話

葵はその場に立ち尽くし、顔をこわばらせていた。一方、隆は凪を連れて特別席に座ると、後ろからどよめきが起こった。「本当に西村さんと一緒に前の席に座ったわ。彼女が黒崎夫人に間違いないわ!」「なによこのパーティー!特別席はほんの少しだけで、私たちをわざと立たせてるのかしら?」「なに言ってんのよ。前の席に座れる人たちは、私たちとは住む世界が違うの。後ろに立たせて顔を見せてくれるだけでも、ありがたいと思わなきゃ」葵も、その人たちと一緒に後列に立っていた。それにひきかえ、凪は、堂々と最前列に座っている。どうして。同じ父親を持つのに、どうして凪だけがいい思いをするの。葵は誰かの胸で思いっきり泣きたかった。振り向くと、大輔の視線が凪に注がれているのが見えた。信じられない思いで目を見開く――あの女は、そんなに魅力的なの?大輔は葵の視線にはまったく気づかず、さっきのヒソヒソ話を聞いて、はっと我に返った。なるほど、あの女が本当に凪だったのか。まさか、あんなに口酷い一面があるなんてな。感情を揺さぶられたことで、大輔は凪をさらにおもしろいと感じ、ますます彼女から目が離せなくなっていた。後ろでは、直美と渉も、さっきの謎めいた女性が、まさか空の妻だとは思ってもいなかった。渉が今回ここに来たのは、黒崎グループとの共同プロジェクトを取りつけ、口うるさい親戚たちを黙らせたいからだ。彼は丁重に歩み寄り、黒崎グループのY市モールのプロジェクトについて話そうとした。「あの……黒崎夫人でしたね。先ほどは大変失礼いたしました。どうかお許しください」しかし、直美が一足先に口を開いた。口元には穏やかな笑みを浮かべている。さっき渉の服を汚したと自分を責めたてた時の、怒りに満ちた表情とはまったく違っていた。見事なまでに猫をかぶる女だ。凪はただつまらないと感じ、黙ったまま返事をするつもりはなかった。その様子を見て、渉は、「黒崎夫人」が直美を無礼だと思ったのだろうと考えた。彼はとっさに直美の手を押さえつけ、自分がうまく取り入って、「黒崎夫人」とのパイプを作ろうとしたのだ。まさか直美が渉の手を振りほどくとは思わなかった。彼女の瞳には、狂気がかすかに宿っていた。目の前の女に、夫が外で愛人を囲っていることを知らせさえすれば、凪
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第82話

空が会場に現れると、渉は直美が余計なことを口走るのを心配して、彼女を連れて少しその場を離れた。凪は二人のことなど気にも留めず、空の髪が少し乱れているのに気づいて、手を伸ばして直してあげた。「慌てなくても大丈夫ですよ。パーティーの出し物はまだ始まっていないです」「待たせたな」空は少し体を傾け、彼女に身を委ねた。周囲から見れば、普段の空は人を寄せつけない雰囲気なのに、謎に包まれた妻の前ではこんなにも優しく親密だなんて。多くの人がゴシップ好きの視線を送っていた。凪はそんな視線には気づかず、ただ微笑んだ。「待つのは平気ですけど。でも、このパーティー、デザートとか軽食が用意されてないですね」「お腹、すいたのか?」「ええ」凪は小声で言った。彼女はドレスに着替えてからメイクやヘアセットで忙しく、ここに来てからは男たちに次々と声をかけられ、一口も食べ物を口にしていなかった。空は少し考え込むとウェイターを呼び、凪に何か食べたいものを尋ね、ウェイターに用意するように言いつけた。ウェイターは恭しくうなずき、その場を離れた。凪はにっこり微笑んだ。「ありがとうございます」「本当に感謝してるなら、後でたくさん食べることだな」空は彼女と並んで座り、少し口角を上げた。「妻を飢えさせてるなんて、悪名を立てられたくないからな」「それなら、たしかにたくさん食べないといけませんね」凪は彼の言葉に乗り、明るく笑った。二人は楽しそうに話し、すっかり夫婦役に入り込んでいた。周りの人々は、思わず噂話を始めた。「黒崎さんは本当に奥さんを愛してるんだな。特別席にはすごい人ばかりいるけど、こんな人前で奥さんを特別扱いするなんて、他に誰もいないぞ」「あの氷のような黒崎さんも、結局は女に弱いってことか。一体どんなべっぴんさんなんだろうな、黒崎さんをメロメロにさせるなんて」直美もその噂話を耳にし、意味深な口調で言った。「黒崎さんと奥さんは、本当に仲がいいのね。凪さんは……」「あれは演技に決まってる。本当に妻を深く愛しているなら、外で凪を囲ったりしないさ。偽善者め」渉は歯を食いしばりながら言った。空の愛情深い眼差しを見ると、胸が苦しくなってその場を立ち去った。その場に残された直美は、一人歯を食いしばった。渉は、まだ凪をか
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第83話

「奥さんほどの立場の方なら、誰かに頼んでこんなことをさせるなんて、簡単でしょう?夜道は危険ですし、もし彼女が運悪く何かの事件に巻き込まれて、体に傷をつけられたり、顔にひどい怪我でも負わされたりしたら……そうなれば、黒崎さんだって彼女を好きでい続けるわけがないでしょう?」「黒崎夫人」は思わずフッと笑った。そして期待に満ちた目で見つめる直美の向こう、その背後にいる人物に向かって問いかけた。「空さん、この方法、どうでしょう?」「……」直美ははっとし、「黒崎夫人」の視線の先を追うように後ろを振り返った。なんとそこには、空と渉が並んで立っていた。直美は飛び上がるほど驚き、しどろもどろになって、まともに言い訳もできなかった。「渉さん、黒崎さん、今のは……」「直美、君はいったい何を言ってたんだ!」渉は直美をぐいっと引っ張り出し、その視線は空と凪の間をさまよった。二人の表情は予想外のことにも穏やかだったが、ただ黙りこくっているだけだった。渉は二人の態度が読めず、慌てて謝罪した。それから直美を傍らに引き寄せると、珍しく声を荒げた。「これ以上話をややこしくしてどうするんだ?凪のことを黒崎さんの奥さんに話して、凪や会社の提携にとって、何かメリットがあるっていうのか?直美、もうふざけるな」その言葉に、直美はもう言い逃れができないと悟り、泣きながら渉の胸に飛び込んだ。「ふざけてなんかないわ!あなたが凪さんのことが好きなのは知ってるもの。黒崎夫人が何をしようと、あなたは凪さんを守るんでしょ!凪さんの方がいつまでも目を覚まさないから、黒崎夫人みたいな第三者に突き放してもらわないと、凪さんも考えを改めないと思ったのよ……あなたと凪さんが幸せになるなら、私は……黒崎さんたちの前で、どんな罰だって受ける覚悟よ!」空に目をつけられて、ただで済むはずがない。それに、直美は自分と凪のことを思ってやってくれたことでもある。渉はしばらくためらっていたが、やはり強くは責められなかった。「もういい。君も良かれと思ってやったことなんだろう」「渉さん、ごめん。迷惑をかけてしまったわね、ゴホッ」直美が口元を押さえて軽く咳き込むと、渉は何も言えなくなってしまった。ただ、渉は「黒崎夫人」が直美の言葉を真に受けて、本当に凪を傷つけるようなこ
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第84話

渉は爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。胸が張り裂けそうだった。絶妙なタイミングで、ウェイターが近づいてきた。「中島さん、特別席でのご滞在時間が長くなっております。こちらへどうぞ」渉は握りしめていた拳をようやく開き、湧き上がる怒りをなんとか抑え込みながら、その場を後にした。しかし、歩きかけたところで、彼は足を止め、振り返ると、あの二人が肩を並べて話している写真を撮った。写真の二人は肩が触れ合うほど近く、見えない角度で手を握り合っていた。凪、君は結局、ただの愛人にすぎないんだ。渉はそう思いながら、目に焼き付くその写真を心を鬼にして保存した。後でこれを凪に送り、空の正体を分からせてやろうと思ったのだ。一方、その頃。空は、紳士的な振る舞いでそっと手を離した。「パーティーの知り合いには、もう挨拶を済ませた」今すぐここを出よう、という合図だった。空の頭の中は、凪のことだけでいっぱいだった。どうやら渉の煮え切らない態度一つ一つが、凪の心を揺さぶっているように見えるらしい。まったく、嫉妬で狂いそう。凪は空の真意をはかりかねたが、どちらにせよパーティーは退屈だった。空と一緒に早く帰って休むことにした。見物人が去れば、役者も舞台を降りなければならない。二人が途中で席を立っても、それをとがめる者はいなかった。……ブリーズ・ガーデンズ。車はマンションの前に静かに停まった。空はパーティーの後、黒崎家の屋敷へ戻る用事があったため、途中で車を降り、秘書に凪を家まで送るよう指示していた。凪も、あの派手なドレスから暖かい栗色のコートに着替えていた。車のドアを開けると、街灯の下に立つ、見慣れた二人の姿がすぐに目に入った。運転していた秘書の隆もその姿に気づき、眉をひそめて尋ねた。「奥様、お部屋までお供しましょうか?」あの直美という女は、危険すぎる。しかし凪は手を振り、「奥様」という呼び名に少し慣れない様子を見せた。そして……「名前で呼んでくれていいわ。それに、彼らは私とだけで話したいみたいだから。車で少し待っててくれる?」「はい」隆は頷いたが、車を動かす気はないようだ。凪の安全から、一瞬たりとも目を離さないつもりだった。凪は隆が仕事をしているだけだと分かっていたので、彼が見ていること
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第85話

突然、電話の着信音が鳴り響いた。渉は無視しようとした。でも隣にいた直美は、スマホの画面に【おじいさん】と表示されているのをはっきりと見ていた。「渉さん、おじいさんからの電話よ!」「なっ……凪、あと数分だけ時間をくれ。すぐに終わらせるから」渉は、片手で凪を引き止めながら、悠斗からの電話に出た。電話がつながると、悠斗の怒りに満ちた声が聞こえてきた。「渉、今すぐY市に戻ってこい!中島グループの仕事が山積みなんだぞ!黒崎グループとのプロジェクトはまだ決まらないからって、他の仕事はどうでもいいとでも言うのか!女を追いかけるために仕事をおろそかにするな……ゲホッ、ゲホッ、さっさと戻ってこい!」悠斗の咳は止まらなかった。渉がK市で直美のために家まで用意した挙句、肝心の中島グループと黒崎グループの提携が遅々として進んでいないことを思うと、腹の底から怒りがこみ上げてきたのだ。しかし、それを聞いた渉は、祖父が言っている女とは凪のことで、自分が黒崎グループのプロジェクトのためではなく、凪を追ってK市に来たと勘違いしているのだと、自然とそう思い込んだ。「おじいさん、女のためではない。黒崎グループとのプロジェクトはもうすぐまとまる。提携は目前で……」「提携だと!君は女にうつつを抜かしているだけだろうが!さっさと戻ってこい!」そう言うと、悠斗はもう話す気もないらしく、一方的に電話を切ってしまった。渉は、どうすればいいのか分からなかった。今ここで帰ってしまったら、どうやって凪の心を取り戻せばいいのか?彼が凪にここへ来た本当の理由を説明しようとした。しかし顔を上げると、凪が、口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべているのが目に入った。渉は、何かに気づいた。いや、待てよ。中島グループから仕事をサボっていると思われたくなくて、自分の行動は秘密にしていたはずだ。毎日、信頼する直美だけを連れて、色々な会議に出ていたというのに……なぜ祖父は、自分がここで凪を引き留めていることを知っているんだ?自分と直美は常に一緒に行動している。この件を知る他の人と言えば、残るは……「凪、君がおじいさんに告げ口したのか?俺がK市で仕事をちゃんとしていないと勘違いさせて、早くY市に追い返そうとしたんだろう!」凪の笑みは、さらに深くなった。
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第86話

「渉さん、私の話を聞いて!」直美は一瞬にして取り乱し、渉の前に飛びついた。必死に彼の腕をつかんで、懇願するような表情を浮かべている。腕を固く掴まれた渉は、彼女に心底がっかりしたような目をしていた。「何を説明するんだ?君は最初から、俺に早くY市に帰ってほしかったんだろう?」「私はY市に戻りたかったけど、でもそれは、私の病気があなたの足手まといになるんじゃないかって心配だったから……」直美は必死に言い訳を続けた。二人は街灯の下で、言い争いを続けている。暗闇の中に立っていた凪は、その様子を野次馬する気にもなれなかった。隆もタイミングよく車を降り、彼女をその場から連れ出して、最上階の部屋へと戻った。凪は自宅へ戻った。肩にかけていた栗色のコートを、まだ下ろしてもいない時だった。匿名のアカウントから、立て続けにメッセージが送られてきた。メッセージには、数枚の写真が添付されていた。そこに写っていたのは、先ほどのパーティーで、空と並んで話す彼女の後ろ姿だった。さらに、一文が添えられていた。【今ならまだ、引き返せるぞ】この見覚えのある言い回しに、いつもの写真のフィルターと撮影角度……凪は、すぐにメッセージを削除して、相手をブロックした。「渉、あなたも本当にしつこいわね」渉は、自分が「愛人」だと証明しようと、執拗に嫌がらせを続けているのだ。一方、メッセージを送った側では。渉は返信が来ないばかりかブロックされてしまい、凪に連絡できなくなった。そのことに、彼は少し顔を曇らせた。ドアの外では、直美がまだ必死に言い訳を続けていた。渉は苦しそうに耳を塞ぎ、ぽつりと呟いた。「凪ちゃん、どうして君には、俺の気持ちが分からないんだ」……翌日。凪は、いつもより少し早く目が覚めた。彼女はコーヒーを片手にオフィスへ向かった。ドアを少し開けた瞬間、中から、葵の声が聞こえてきた。「何よ、これ……こんなちっぽけな企画書、デスクに置く価値もないじゃない。ふん、凪ってやっぱり大したことないわね。こんなちまちました小さいプロジェクトばっかり。見るだけ時間の無駄だし、迷惑なだけよ!」凪は顔をこわばらせ、勢いよくドアを開けた。ドアが勢いよく開く音に驚いて、葵は飛び上がった。そして机の角に足を強
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第87話

葵はあっけにとられ、振り返りもせずに慌てて外へ出て行った。「わ、わかったわよ……もう帰る!帰ればいいんでしょ!二度と来ないから!」バンッ――ドアが閉まった。電話の向こうで、泉が不思議そうに尋ねた。「どうしましたか?」「臆病者が、しっぽを巻いて逃げてっただけよ」凪は呆れて笑った。慌てて逃げ出して、警察の声と泉の声も聞き分けられないなんて。本当に臆病者ね。彼女は泉と仕事の話を続けた。昼休みの時。凪が食事をとろうとエレベーターの前まで来ると、泉から電話がかかってきた。「中島グループから秘書の方が来て、副社長に会いたいそうです。葵さんが通してしまったみたいで、後ほど中島さんもいらっしゃる予定です。上の方が、副社長が応対すると勝手に約束してしまったようです」どうせ葵と大地が勝手に約束したのだろう。本当に余計なことをしてくれる。でも、もうここまで来てしまった以上、二宮グループの副社長として対応しないわけにはいかない。凪はエレベーターの前でしばらく待っていた。すると、隣の非常階段から声が聞こえてきた。「凪さん」凪が声のする方を見た。そこには、清楚な淡い色のワンピースを着た直美がいた。その姿は、ことさらに清純で可憐に見えた。「直美?あなたが中島グループの秘書だったなんて、初耳だわ」直美は、得意げに唇の端を吊り上げた。「渉さんはどこへ行くにも私を連れて行ってくれるの。役職なんて、私が望めばいつでももらえるわ。それに比べてあなたは?黒崎さんみたいな大物を手に入れても、日陰の女でいるしかないのね。昔はあんなに偉そうにしてたのに、今じゃすっかり落ちぶれたものね。渉さんを失ったと思ったら、今度は既婚者に手を出して。よくも空に媚びながら渉さんにまで色目を使えるわね?」凪は腕を組み、呆れたように直美を見つめた。「一番汚いのはあなたのその口じゃないかしら。渉もよくそんな口にキスできるわね」直美は拳を握りしめ、平静を装って言い返した。「口先だけは達者なのね。本当に実力があるなら、黒崎夫人を引きずり下ろして、自分がその座に座ってみせてよ。黒崎さんにすがりついて、渉さんにも気を持たせるなんてみっともない」「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」凪は冷たく笑い、強がる直美を見下した。「あなたこそ、
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第88話

階段の踊り場。直美は激しく上下する胸を押さえ、目に涙を浮かべながら、必死で渉の襟首を掴んだ。「凪さんのところに花粉があるなんて思わなくて、うっかり……ゲホッ、ゲホッ――」「直美、もう喋るな!」渉はすぐに彼女を横抱きにした。凪は階段の上の方に立っていた。すると、渉が凪に突進してきた。彼女は体当たりされてよろめき、渉は一言だけ言い放った。「凪!君には本当にがっかりした!直美に何かあったら、ただじゃおかないからな!」渉がエレベーターのボタンを押す手は震えていた。腕の中で喘息で呼吸困難になっている直美の姿が、記憶の中の面影と重なっていく。彼の額にはたちまち汗が滲み出た。エレベーターにいた社員の驚いた顔も気にせず、直美の肩に顔をうずめた。「死なないでくれ……頼むから……」エレベーターに乗っていた社員たちは、命に関わる事態だと察して、次々と外に出た。凪が肩をさすりながら階段から出てくると、数人の社員が怪訝そうな顔をしているのが見えた。「自分の仕事に戻って」「はい」社員たちはびくっとすると、慌ててそれぞれのデスクに戻った。しかし、渉が直美を抱えて病院へ駆け込んだという噂は、あっという間に広まった。給湯室では、数人の社員が面白おかしく噂話をしていた。「あなたたち見てないでしょ、中島社長の彼女、もう息も絶え絶えって感じで。ドレスも汚れてて、転んだみたいだったよ」「転んだんじゃなくて、中島社長の彼女は喘息持ちなんだって。副社長のフロアにあった花の花粉にアレルギー反応を起こして、発作が出たみたい」「喘息って命に関わることもあるのよね。でも、副社長のフロアにどうして花が?」社員たちは口々に噂をしていた。その噂は、葵の耳にも入った。その日の午後。葵は中島グループとの引継ぎを担当するプロジェクトチームを引き連れて、凪のオフいすに乗り込んできた。「お姉さん!うちのチームは、中島グループとの提携のために、みんな寝る間も惜しんで準備してきたんだよ。それなのに、あなたは中島社長の彼女を病院送りにするなんて!しかも喘息の発作だって言うじゃないか。もし山下さんが喘息で死んだらどうするの?二宮グループの副社長が人殺しったいう噂が広まったら、もう商売できなくなるよ」チームのメンバーも口々に、憤慨した様子で凪
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第89話

「凪、今日中に病院へ行って山下さんに謝らないなら、即刻二宮グループの全役職を解任する。たとえ俺の娘でも、大勢の目の前でクライアントに危害を加えたことは許されない!警察を呼んだっていいんだぞ!」凪は警察を呼ぶことなんて、怖くはなかった。ちゃんと調べてもらって、自分の無実が証明されるなら、好都合だ。でも、二宮グループでのすべての役職を解任されるのは……そうなれば、自分で会社を立ち上げ、大きくしてから二宮グループを取り戻すしかなくなる。でも、どうして自作自演のピエロに頭を下げなきゃいけないの?凪は唇を引き結んだ。どうすればいいのか分からなかった。凪の躊躇いを見た葵は、自分が優位に立ったと思い、顎を上げて、挑発的な口調で言った。「お姉さんは昔から頑固だもの。元カレの新しい彼女に頭を下げるなんてこと、できるわけないわよね。いっそ、自分のほうから会社を辞めちゃえば……」その言葉が終わるか終わらないかのうちに、凪の冷たい視線が、さっと向けられた。その視線は、葵が続けようとしていた挑発の言葉を、喉の奥に押しとどめた――怖い。コン、コン――ドアがノックされた。室内にいた三人が振り返ると、隆が恭しくドアを開けて入ってくるところだった。「お邪魔します。奥様をお迎えにあがりました。うちの社長とご一緒にお食事を」「食事だって?」せっかく凪の大きな弱みを握ったのだから。葵は隆がいても、この機会を逃すつもりはなかった。「凪は人を殺しかけたのよ!会社を抜け出して食事に行く資格なんてないわ……殺人未遂の罪で、刑務所で食事でもとるのがお似合いだわ!」隆は、すっと目を細めた。「今のお言葉、そのままうちの社長にお伝えいたします。ですが、警察への通報や起訴がなされていない現状では、奥様は合法的な市民です。ご家族であっても、誰にも彼女を拘束する権利はありません」そして、隆は凪に尋ねた。「奥様、社長との昼食に、ご一緒していただけますでしょうか?」彼が話している間に、後ろに控えていた二人のボディーガードがドアを完全に開け放ち、その両脇に立った。二人のボディーガードは、どちらも空が直々に選んだ者だった。黒いスーツに身を包んだ大柄な男たちが、ただそこに立っているだけで、葵は怯えて大地の後ろに隠れた。大地は、内心穏やかではなかっ
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第90話

隆は運転席に座ると、エンジンをかけた。そして、空が口を開いた。「随分と待たされたが、何かあったのか?」隆はハンドルをしっかりと握り、バックミラー越しに凪を一瞥した。「二宮グループと中島グループの提携を目前に、少し揉め事がありまして。二宮家の方々は、すべての責任を奥様に押し付けていました。あろうことか、奥様の『意地が悪い』という理由で、相手に頭を下げるくらいならグループから出て行けとまで言っていたのです。奥様と、奥様のお母さんの会社への貢献をすべて無かったことにしたいようです。それに、中島グループのあの女性はまだ亡くなってもいません。それなのに二宮家は、奥様を犠牲にして会社の評判を守ろうと必死です」隆はそう言うと、嘲るように笑った。「まるで二宮グループに立派な評判でもあるかのようです。K市の人間なら誰でも知っていますよ。二宮グループの社長って、王様でもないのに、王様気取りだなんて」凪はそれを聞いて、胸がすくような思いだった。他人が二宮家の悪口を言うのを聞くのは、こんなに気持ちがいいことだったとは。それにしても、隆が自分のために、ここまで脚色して話してくれるなんて思ってもみなかった。空はそれを聞き終えると、その目に険しい光を宿した。「二宮家の連中も、随分とつけあがったものだな」凪は話を引き取った。「あの山下さん、ずいぶん命が惜しいみたいですから、私が刑務所に行くことにはならないでしょうね」そう言って、彼女はさりげなく窓の外に目を向けた。でも、見えた景色に思わず声を上げる。「あれ?街中から離れていきますね?」しかも、この道はなんだか見覚えがある。黒崎家の屋敷へ向かう道のようだ。凪は首を傾げ、不思議そうに空を見た。彼女が首を傾げて大きな目で見つめてくるので、空はどきりとした。組んでいた指に思わず力が入り、それを誤魔化すように、彼は軽く咳払いをした。「実は、おじいさんが君に会いたがっていて……」「そうだったんですね」どうりで隆が迎えに来てくれたわけだわ。忍の願いを叶えるついでに、自分を助け出してくれたんだ。車は山道へと入っていった。やがて、黒崎家の屋敷が視界に入ってきた。門は開け放たれていて、隆は門の前で静かに車を停めた。二人は並んで屋敷の中へと入った。広大な屋敷はひっそり
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