All Chapters of 氷のCEOは、愛の在処をもう知らない: Chapter 131 - Chapter 140

141 Chapters

129:温かな食卓

 智輝のプロポーズから約半年が過ぎた、ある週末の朝。  結菜のアパートに、また桐生家から大きな荷物が届いた。中には、季節に合わせた上質な子供服がたくさん詰まっている。送り主の名前は書かれていないが、誰からの贈り物かは明らかだった。「わーい! おばあちゃんからだ!」  樹は、箱の中から真新しいポロシャツを見つけると、すぐに着替え始めた。 鏡子の選ぶ服は、相変わらず少しフォーマルすぎるところがある。けれど雅臣の選んだであろう、動きやすくて丈夫そうな服もちゃんと混じっている。その不器用な気遣いが、結菜の心を温かくした。 樹はすっかり「おじいちゃんとおばあちゃん、ひいおじいちゃん」を認識していて、ビデオレターでお礼を言うのも習慣になっていた。「樹、似合っているよ」 結菜がシャツの襟を整えてやると、樹は鏡の前で得意げに胸を張る。「うん! かっこいい!」 息子の屈託のない笑顔を見つめながら、結菜はふと呟いた。「……そろそろ智輝さんのご両親に、きちんとご挨拶に伺うべきなのかもしれないわね」◇ そして、その数週間後。 智輝の運転する車が、重厚な桐生家の門の前に停まった。結菜は隣で車のハンドルを握る智輝を見つめて、緊張の面持ちである。 これから鏡子と顔を合わせる。和解したとはいえ、彼女の心にはまだ拭いきれない硬さがあった。  重厚な桐生家の門が開いていく。結菜はその先に広がる広大な庭園と、風格のある本邸の建物を見つた。(さすがにすごいお屋敷だわ) 無意識のうちに手を固く握りしめてる。智輝が、そんな彼女の様子に気づいた。「結菜」 優しい声に呼ばれ、結菜ははっと智輝の方を見た。「緊張しているか?」「少し。いえ、かなり……」 結菜が正直に答えると、智輝は苦笑した。「無理もないな。……すまない。俺の家族のことで、君に
last updateLast Updated : 2025-12-04
Read more

130

 車が停まると、運転手が外からドアを開けた。結菜は息を詰めながら車を降りる。 そこにはすでに二人の人物が待っていた。「やあ、智輝、結菜さん、樹くん! よく来てくれたね!」 最初に駆け寄ってきたのは、柔和な笑顔を浮かべた雅臣だった。彼は緊張している結菜を気遣うように、優しく声をかける。「長旅、疲れただろう。さあ、中へ」 その隣では電動車椅子に乗ったエドワードが、温かな眼差しで三人を見つめていた。「ようこそ、結菜さん、樹くん。私がエドワードだ。会えて嬉しいよ」 樹は少し驚いた様子である。電動車椅子が珍しいのかもしれない。 エドワードは樹に向かって、優しく手を差し伸べた。「おじいちゃんの、おじいちゃん?」 樹が不思議そうに尋ねると、エドワードは楽しそうに笑った。「そうだよ。君のGreat-grandfatherだ」「ぐらん、ぐらんふぁ!」 樹はぱっと笑って、エドワードに駆け寄る。彼は微笑んで、ひ孫の小さな頭を撫でてやった。「父さん、お祖父さん、ただいま戻りました」 智輝が挨拶し、結菜も改めて深々と頭を下げる。「本日はお招きいただき、ありがとうございます。早乙女結菜と申します」 温かい歓迎に、結菜の緊張が少しだけ解けていくのを感じた。◇ 雅臣に案内されて、美術館のように広々とした廊下を進む。樹はきょろきょろと周囲を見回しながら、小さな声で「ひろーい」と呟いていた。 やがて、重厚な扉の前にたどり着いた。雅臣が扉を開け、三人を応接室へと促した。 その瞬間、結菜はゴクリと喉を鳴らした。 部屋の中央、アンティークのソファに鏡子が一人、背筋を伸ばして座っている。彼女は手にしていたティーカップをソーサーに戻すと、立ち上がった。「……いらっしゃい」 その声は低く、感情が読み取れない。結菜に向けられた視線はどこか硬く、ぎこちなかった。 彼女の中で、まだプライドと罪悪感がせ
last updateLast Updated : 2025-12-05
Read more

131

「おじいちゃん、あれなあに?」  樹の質問に、雅臣が答える。「これはね、昔の武士が着ていたものだよ。他のお部屋にも、面白いものがたくさんあるんだ。探検に行ってみるかい?」「いくー!」 樹は大喜びで雅臣の手を引いた。 この先は樹がいない方が、鏡子もやりやすいだろう。雅臣はそのような意味を込めて妻に頷き、2人は応接室を出ていった。◇ 樹と雅臣がいなくなって、応接室には智輝、結菜、鏡子、エドワードの四人だけが残された。 重い沈黙が流れる。鏡子はテーブルの上のティーカップに視線を落としたまま、何も語ろうとしない。結菜もどう切り出していいか分からず、ただ智輝の隣で小さくなっていた。 その沈黙を破ったのは、エドワードだった。彼は娘である鏡子に語りかける。「鏡子。結菜さんに、きちんと伝えることがあるのではないかね? 今日は、そのための日でもあるのだろう」 鏡子は一度ぎゅっと目を閉じて、大きく息を吸い込んだ。そして意を決したように立ち上がると、結菜の前に進み出た。 彼女は震える声で、深く頭を下げた。「早乙女さん……いいえ、結菜さん。これまで、あなたにしてきた数々の非礼……本当に、申し訳ありませんでした」 桐生家の女帝が初めて見せる、心からの謝罪の姿だった。 結菜は目の前で頭を下げる鏡子の姿を、信じられない思いで見つめていた。彼女の中で抑えていた様々な感情が、あふれ出す。 鏡子の仕打ちの数々は、当時、結菜を深く傷つけた。 5年前に「手切れ金」と称して、お金を押し付けようとしたこと。 DNA鑑定の書類を送りつけて、結菜に恐怖を与えたこと。 そして結菜の職場である図書館で、公開処刑のように樹の出自を口に出したこと。 どれもが簡単に許せることではない。 だが同時にこの半年で、鏡子は歩み寄ろうしとしていた。智輝に伝言を託して樹の服を送り、ビデオレターでお礼を言えば、また伝言を託してくる。そこには樹への愛情と結
last updateLast Updated : 2025-12-05
Read more

132

 その日の夕食は、ダイニングルームで一家全員で食卓を囲んだ。以前のような息が詰まるほどの重苦しさは、もうどこにもない。代わりに、穏やかで温かい空気が流れていた。 テーブルには桐生家専属のシェフが腕を振るった、見た目にも美しい料理が並ぶ。大人たちの前には、繊細なガラスの器に盛られた季節の前菜や、透き通ったコンソメスープ。一方、樹の目の前には、星形の人参が飾られたハンバーグステーキや、小さなクマの形をしたポテトフライなど、子供が喜ぶように工夫されたプレートが置かれていた。「わあっ! ママ、見て、おほしさまだよ!」 樹は大喜びだ。彼は人参が苦手なはずなのに、可愛らしく盛り付けられているために気にしていない。ハンバーグと一緒に美味しそうに食べている。「おいしー! パパとママにもあげる」 そう言って皿を寄せてくるので、結菜はハラハラした。食べ物をシェアするのは、結菜の家では当たり前だ。でもこの立派な桐生の家では、マナー違反にならないだろうか。「お星さまか。よし、もらおう」 ところが智輝は身を乗り出して、フォークで人参を一つ突き刺した。口に運ぶ。「うん、美味しい。樹は人参嫌いをやっつけたな」「えっ。これ、人参だったの? でも甘くておいしいよ?」 樹はびっくりして目を丸くしている。「人参は本当は甘いんだ。これからは好きになれるかな?」「うん!」 樹は笑顔になって、また食べ始めた。 結菜の心配そうな視線を受けて、智輝は頷く。「母さん、無作法ですみません。でも、我が家ではこれが当たり前なんです。テーブルマナーが必要な場所では、きちんとできるよう、これから教えます。だから家族の食卓は、楽しく食べるのを一番に考えてください」 鏡子は眼の前で繰り広げられた光景に、しばらく言葉を失っていた。厳格な彼女としては、なかなか受け入れがたいことである。 だが、少しして首を振った。「そう……ね。驚いたけれど、分かりました。内々では良しとしましょう」「樹くんは美味しいものを独
last updateLast Updated : 2025-12-06
Read more

133

 食事が再開される。 智輝と結菜は隣り合って座り、その間に座る樹の世話を甲斐甲斐しく焼いていた。「パパ、これ、おっきいから切って!」  樹が、目の前に置かれた子供用のハンバーグステーキをフォークで刺しながら言う。「はいはい。ナイフとフォークは、こうやって持つんだぞ」  智輝が手本を見せながら、息子のハンバーグを一口サイズに切り分けてやる。「樹、お口の周り、ソースがついてるわよ。ナプキンで拭いてね」 結菜が、優しい声で促した。「はーい」 樹は素直に頷いて、一生懸命ナプキンで口元を押さえている。そんな2人の連携は、まるで長年連れ添った夫婦のように自然だった。◇ 食後、すっかり日が落ちた後。一家は手入れの行き届いた広大な庭園を散策していた。 辺りはもう暗いが、庭の至るところに明かりが灯されている。庭の雰囲気を損なわないライトだった。おかげで歩くのに不自由はしない。「おじいちゃん、あっち、なあに?」 樹が指差したのは、庭園の一角にある大きな池だった。色とりどりの立派な錦鯉が、優雅に泳いでいる。「あれは鯉だよ。餌をあげてみようか」 雅臣は、池のほとりに置かれていた餌箱に近づいた。麩菓子のような餌をひとつかみ取り出すと、樹の小さな手のひらに少しだけ乗せてやった。「わあ!」 樹が池に向かって餌を投げ入れると、大きな鯉たちが、我先にと水面に口をパクパクさせながら集まってきた。「たべた! たべたよ、おじいちゃん!」「ははは、すごい勢いだね。もう一度やってごらん。今度は、そっと、水面に落とすように……そうそう」 雅臣は孫の隣にしゃがみ込んで、優しい眼差しで餌やりの手つきを教えている。樹は目をキラキラさせながら、夢中になって鯉に餌をやっていた。その楽しそうなはしゃぎ声が、夜の静かな庭園に温かく響いていた。 その様子を少し離れた場所から、智輝、結菜、鏡子、エドワードが眺めている。
last updateLast Updated : 2025-12-06
Read more

134:新しい家族の予感

 智輝からのプロポーズから約1年、桐生家を初めて訪れてから半年が過ぎた、穏やかな朝のことだった。 ここ数週間、結菜はなんとなく体の調子が優れなかった。(なんだか最近、体がだるいような気がする。智輝さんも忙しそうだし、私も少し疲れが溜まっているのかしら) 朝起きるのが少し辛かったり、昼食後に強い眠気に襲われたり。微熱っぽい感覚が続くこともあったが、仕事と育児に追われる日々の中で、深く気にする余裕もなかった。 その日の朝。智輝と樹を送り出した後、キッチンで洗い物をしながら、ふと壁のカレンダーに目をやる。今日の日付を見て、彼女は眉をひそめた。(あれ? そういえば今月はまだ、生理が来ていない) スマホを取り出し、前の月の記録を確認する。計算が間違っていなければ、予定日は一週間以上過ぎていた。(まさか) その瞬間、ここ数週間の体調の変化が一つの可能性へと繋がっていく。あの倦怠感も、微熱っぽさも、時折感じた軽い吐き気も、そういえば以前に覚えがあるものだ。 結菜は薬局まで行って、妊娠検査薬を買ってきた。試してみれば、はっきりと浮かび上がる陽性のライン。 信じられない気持ちと、込み上げてくる喜びで胸がいっぱいになる。結菜はそっと自分のお腹に手を当てた。(嬉しい……。智輝さん、樹……そして、この子。新しい家族が増えるのね) 5年前、樹の妊娠に気づいた時は不安と恐怖でいっぱいだった。 当時は職もなく、蓄えも残り少なかった。智輝との関係修復は望めず、これからたった一人で子を産み育てていけるのかと、未来が真っ暗に見えた時もある。 でも今は違う。心から新しい命を祝福できる。 5年前には想像もできなかった穏やかで幸せな未来が、確かにここにある。その温かい事実に、結菜の目から静かに涙がこぼれた。◇ その日の夜。結菜は、いつもより少しだけ時間をかけて夕食の準備をしていた。智輝の好物である、丁寧に煮込んだ肉じゃが。彩りの良いほうれん草のおひたしと、だし巻き卵。食卓に並
last updateLast Updated : 2025-12-07
Read more

135

 食後、樹を寝かしつけ、リビングで2人きりになった。智輝がお茶を飲んでいると、結菜がおずおずと隣に座る。彼女は、自分のマグカップを両手で包み込み、指先を何度も動かしていた。「結菜?」 智輝が心配そうに声をかける。「さっきから、どうしたんだ? 何か悩み事でもあるのか?」 結菜はびくりと肩を震わせた。それから意を決して顔を上げると、智輝の目を真っ直ぐに見つめた。「あのね、智輝さん。私たちに……赤ちゃんが、できたみたい」 結菜の告白に、智輝は一瞬、何を言われたのか理解できないというように、大きく目を見開いた。コーヒーカップを持ったまま、動きが止まる。「……え?」 彼は結菜の顔を見つめた。「……今……なんて言った?」 その声は、わずかにかすれていた。 結菜は彼の驚きように少しだけ頬を赤らめながら、もう一度、今度は確信を込めて繰り返した。「赤ちゃん……できたみたいです。あなたと私の、赤ちゃん」「本当か……?」 智輝はカップをローテーブルに置くと、立ち上がった。結菜の隣に膝をつき、彼女の手を握る。「本当に……俺たちの……?」 彼の声は、喜びと信じられないという思いで震えていた。「もちろんよ。他の誰でもない、あなたと私の」 次の瞬間、智輝は結菜の体を力強く優しく抱きしめていた。「結菜! ありがとう……! まだ信じられない。俺は……俺は……っ、こんなに幸せで、いいんだろうか……!」 彼の腕の中で、結菜もまた幸せな涙を流していた。◇ 翌日の朝。リビングの床では、樹が買ってもらった
last updateLast Updated : 2025-12-07
Read more

136

「やったー!」 樹は、ぴょんっと飛び上がって歓声を上げた。「ぼく、お兄ちゃんになるの!?」 興奮した様子で智輝と結菜の周りをぐるぐる回りながら、矢継ぎ早に質問を始める。「ねぇ、いつお腹から出てくるの? あした? あさって? おとこのこ? おんなのこ? いっしょにきょうりゅうごっこできる?」 そして、思いついた! というように、小さな手をポンと叩いた。「パパ、ママ、あのね! ぼく、お兄ちゃんだから、きょうりゅうのおもちゃ、ぜんぶかしてあげるんだ! それからね、えほんもよんであげる! ママみたいにじょうずに!」 すっかりお兄ちゃん気取りの息子の様子に、智輝と結菜は顔を見合わせ、たまらず吹き出した。智輝は、そんな樹をひょいと抱き上げる。「はは、そうか。頼もしいお兄ちゃんだな。でも、赤ちゃんが出てくるのは、まだもう少し先だよ。それまで、ママのお腹を優しく撫でてあげてくれるか?」「うん!」 樹は元気よく頷くと、智輝の腕の中から身を乗り出し、結菜のお腹をそっと撫でた。「お兄ちゃんだよ。はやく会いたいな!」 その光景を、智輝と結菜は、言葉にならないほどの幸せな気持ちで見つめていた。◇ その週末、智輝と結菜、樹は、リビングのソファに3人で並んで座り、桐生本邸へとビデオ通話をつないだ。画面には、本邸の応接室にいる鏡子、雅臣、エドワードの3人の姿が映し出されている。「やあ、智輝、結菜さん、樹くん。元気そうで何よりだ」 雅臣が、いつものように穏やかな笑顔で手を振る。エドワードは優しく微笑み、鏡子もぎこちないながらも笑みを見せている。 智輝は隣に座る結菜の手をそっと握る。少し照れたように、誇らしげに切り出した。「父さん、母さん、お祖父さん。今日は、報告があって……」 彼は一度息を吸い込んでから告げた。「結菜が……俺たちの2人目の子供を授かったんだ」 その言葉に、画面の向こうの
last updateLast Updated : 2025-12-08
Read more

137

「……そう。それは……おめでとうございます、結菜さん。くれぐれも、無理はなさらないように」 その声には、以前のような冷たさはない。母として、祖母としての温かな感情が感じられた。  そこへ樹が画面に飛び込んできた。元気いっぱいに宣言する。「おじいちゃん、おばあちゃん! ぼく、お兄ちゃんだよ! 赤ちゃんまもるんだ!」 画面の向こうで、鏡子、雅臣、エドワードが、孫(と曾孫)の言葉に、心からの笑顔を見せている。「しかし結菜さん。働きながら、樹くんの世話をしながら過ごすのは大変だろう。智輝がきちんと力になれるといいが」 雅臣の言葉に、智輝は少し気まずそうにした。彼は仮にも大企業のCEOである。それもこの1年は、結菜と樹との時間を確保するために少し無理をしていた。 仕事はかなり押しており、これからはあまり時間の余裕がなくなってしまうかもしれない。「では、こうしましょう」 真顔に戻った鏡子が言う。「わたくしが泊まり込みで手伝いに行きます。本当はこの家で過ごしてほしいけれど、住み慣れた町の方が良いでしょう?」「えっ」「えっ」 予想外の展開に、鏡子と樹以外の全員が固まった。 鏡子は周囲の様子に眉をひそめ、次いで思い当たったように頷いた。「そういえば、世間では姑は嫁に嫌われるものでしたね。わたくしは家事が得意ではありませんが、一流の家政婦を連れていきます。泊まる場所も結菜さんの家ではなく、きちんとホテルを取ります。それならば構わないでしょう」「いえいえ! お義母さまもお忙しいのに!」 結菜が慌てて言うが、鏡子は首を振った。「暇ではありませんが、あなたたちのためです。そのくらいはどうということはありません」「お義母さま……」 結菜は心が温まるのを感じた。とはいえ、本当に甘えてしまうのは難しい。 結菜は一つ思いついて言った。「あの、それでは、臨月と産後を桐生のお家で過ごさ
last updateLast Updated : 2025-12-08
Read more

138:遠い過去の記憶

 月日は流れて、樹は18歳になっていた。 今の彼は、東京の桐生邸で暮らしながら大学に通っている。 母親の結菜と6歳年下の妹・柚葉も一緒だ。 結菜は柚葉の誕生を機に海辺の町から東京へ引っ越して、智輝たちと共に生活していた。 そんなある日のこと。樹は柚葉と一緒に、紅茶とお菓子を食べていた。 エドワードは10年ほど前に亡くなっているが、本場イギリスの紅茶を飲む習慣は今でも残っている。 樹はエドワードが好きだった。イギリスの昔話を聞いたり、KIRYUホールディングスの創業当時の話もよく聞いた。 愛情深く懐深い曽祖父が亡くなった時、樹は小学生。初めて触れる大事な人の死に、何日も泣き続けたものだ。 だから樹は曽祖父の影響で、コーヒーよりも紅茶が好きだった。きっと今後も変わらないだろう。「柚葉。お前は覚えていないだろうけど、俺、変な記憶があるんだよ」 何となく言い始めた兄に、妹は怪訝そうな視線を向ける。「変なって、どんな?」「うんと小さい頃、海辺の町で暮らしていた記憶。ほら、父さんと母さんのプロジェクトの図書館。あそこの町だよ」 図書館のプロジェクトが成功を収めたのは、もうずいぶん前のこと。 今でもあの図書館は、地域再生とITインフラ整備の成功例として賑わいを見せている。 樹と柚葉も両親に連れられて、何度も訪れていた。「ママはあの町で司書をしていたんだっけ? じゃあ、住んでいても不思議じゃないんじゃない?」「そうだけど。そこからして変じゃないか? 父さんはKIRYUホールディングスのCEOだぞ。どうして妻の母さんが、小さい図書館で働く必要があるんだ」 今の結菜は図書館を退職して、別の仕事をしている。KIRYUホールディングスが立ち上げた、児童書の読み聞かせの活動をする財団のトップに就任し、彼女本人も全国で読み聞かせの活動をしている。「それに俺がうんと小さい頃は、母さんはシングルマザーだった気がする。父さんは一緒に住んでいなかった」「まさかー! あのラブラブ夫婦が離れて暮らすとか、ありえないで
last updateLast Updated : 2025-12-09
Read more
PREV
1
...
101112131415
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status