智輝は店の入り口に立ったまま、動かなかった。彼の顔からは一切の感情が抜け落ちている。銀灰色の瞳は、結菜ただ一人を冷たく見据えていた。 結菜は智輝の突然の登場と、彼の瞳に宿る見知らぬ冷たさに、全身が凍りついた。(何か言わなければ。手切れ金は断ったと、伝えなければ) そう思うのに、カラカラに乾いた喉が張り付いたように声が出ない。 智輝がゆっくりとした足取りでテーブルへと近づいてくる。 カツ、カツと彼の革靴が床を打つ音が、張り詰めた静寂の中で不吉に響いた。 智輝はテーブルの数歩手前で足を止めると、温度のない声で低く呟いた。「……そうか。これが、君の答えか」 問いかけではない。全てを諦めた者の、絶望の独り言だった。 結菜はようやく言葉を絞り出す。「違う。智輝さん、これは……」 だがその細い声は、絶望の中にいる智輝には届かない。 彼は、テーブルの上の封筒と結菜の青ざめた顔を交互に見ると、唇の端に笑みを浮かべた。痛々しい自嘲の笑みだった。 そして彼は静かだが、はっきりとした口調で言う。「君も結局、金目当てだったのか」 その言葉は、怒鳴り声よりもずっと深く結菜の心を抉った。それは単なる詰問ではない。「他の連中と同じように」という響きを伴った結菜の人間性の全否定であり、2人が分かち合った特別な時間の完全な拒絶である。(そんな……) 智輝の言葉は、物理的な暴力よりも強く結菜を打ちのめした。美しい思い出が、彼自身の言葉によって打ち砕かれていく。 彼に信じてもらえなかったという事実が、結菜の胸にひどく重くのしかかった。 何か言おうとして唇を開くが、はくはくと息が漏れるだけで声にならない。ただ目の前の男の瞳の中に、昨夜までの優しい面影を探して、必死に見つめることしかできなかった。(違う。信じて……) しかし智輝の銀灰色の瞳は、もはや何の感情も映さない氷の湖のようだった。
Last Updated : 2025-10-09 Read more