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All Chapters of 正しさの選択: Chapter 21 - Chapter 30

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幕間:探偵たちの休日②

澪の希望で立ち寄ったのは、セントラルモール内の大型書店だった。 フロアの一角には、文芸から専門書、漫画まであらゆるジャンルが整然と並び、静謐な空気が流れている。「お、おい、広くねぇかここ……?」 陸が圧倒されたように呟く。彼は普段、本とはあまり縁がないらしく、店内をぐるりと見渡すだけでやや落ち着かない様子だった。「漫画コーナー、向こうだったよな。俺ちょっと見てくるわ」 そう言って、彼はふらりと階段を降りていった。 一方の俺は、入口近くの新刊コーナーで気になるタイトルに足を止めながら、何となく澪の姿を探す。(……澪はどこだ?) 気づけば、隣にいたはずの澪の姿がない。特に声をかけられた覚えもないし、何か言い残した様子もなかった。(まさか、もう行ったのか?) 軽く店内を見回すと、奥にある棚の陰――「哲学」と書かれたプレートの下に、彼女の見慣れた後ろ姿があった。佇む姿はまるで物音ひとつ許さぬほどに澄んでいて、他の客とは別の時間を生きているようにも見えた。 澪は、装丁の落ち着いた一冊をそっと手に取ると、真剣な表情でページをめくり始めた。その表情には、学校で見せる分析的な冷静さとはまた異なる、どこか柔らかな集中の色が宿っている。 思わず少し見とれてしまった俺は、気配を察した澪に軽く振り返られて、慌てて視線を逸らす。「……見つけたのか?」「うん。面白そうなのがあったから」澪はそう言いながら、ゆっくりとページを閉じた。「……ニーチェ。『解釈こそ真実』」 澪が小さく呟く。「また難しそうなものを選んだな」 俺は苦笑するが、澪はお構いなしに話し始めた。「これはね、人間が真実だと思っているものは、結局すべて自分の解釈でしかないって話」「真実が……解釈?」 俺が聞き返すと、澪は珍しく熱を帯びた声で続けた。「例えば――同じ出来事を見ても、Aは正義だと感じて、Bは悪だと感じる。事実はひとつでも、それをどう捉えるかは人それぞれ。だから、真実っていうのは存在しないとも言える」 俺は眉をひそめる。「なら、俺たちが信じてるものは全部ウソだということか?」「嘘じゃない。 でも、本物とも限らない。人は自分に都合のいいものを真実だと思い込むんだよ」そう言って、澪は隣の棚からもう一冊を取り出す。「こっちはボードリヤール。『虚構が現実を超える』」 俺
last updateLast Updated : 2026-05-24
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第四章:沈黙の向こう側①

遠い記憶の中の夕暮れだった。校舎の裏手にある小さな花壇のそばで、小学生の澪がうつむいたまま立っていた。「……ごめん、悠馬……」 その声は小さく、かすかに震えていた。だが顔を上げた澪の表情は、涙ひとつ浮かべていなかった。目元には曇りガラスのような静けさがあり、口元は感情を閉じ込めるようにわずかに結ばれていた。 長い沈黙のあと、まるで「泣いてはいけない」と言い聞かせるように、彼女は無理に笑おうとした。だが、その笑顔はうまく形にならなかった。 その様子を見ていた幼い俺は、ただそばに立ち、言葉を探した。「……澪は悪くない。誰も、悪くなんかないんだ」 俺の声もまた、少し震えていた。 彼女は何も答えなかった。ただ一歩だけ、俺のそばへと寄ってきた──。 目を覚ますと、朝の光がカーテン越しに差し込んでいた。時計の針は、まだ登校までには少しだけ余裕のある時刻を指している。 ぼんやりと天井を見つめながら、俺はしばらく動けなかった。 あの夢は、久しぶりだった。もう何年も前のことで、忘れたつもりだった。 それでも、あのときの澪の顔は、今も心のどこかに残っている。 悲しい記憶のはずなのに、誰も泣かない。誰も責めず、ただ黙って、耐えていた。 それが俺たちにとって、あの出来事の唯一の受け止め方だったのかもしれない。 そして今も、おそらく変わっていない。感情の置き場を見つけられないまま、それでも俺たちは、何も言えずに前へ進むしかなかった。*** 週明け月曜日の昼休み、旧校舎の中庭に面したベンチに、俺たちは三人で腰を下ろしていた。 今日は、佐倉に来てもらっている。先週の調査を踏まえて、これまでの状況を報告しつつ、あらためて彼女の姉・佐倉先輩について話を聞くためだ。 陸には別ルートで動いてもらっている。生徒たちの交友関係や噂を中心に、校内での聞き込みを頼んでいるところだ。「……何か、進展はありましたか?」 佐倉が口を開いた。その声音には張り詰めたものがある。焦りではない。待ち続けている者の覚悟に聞こえた。「少しずつではあるが、捜査は進んでいる。今は、何人か疑わしい人物は見えてきてはいる。 だが……まだ決定的な証拠はない。だから、今は名前については伏せてさせてもらう」 俺がそう言い終えたときだった。「……何人か?」 佐倉の声が少しだけ低くなっ
last updateLast Updated : 2026-05-25
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第四章:沈黙の向こう側②

放課後、推理部部室。「……以上が、今日の昼休みに話した内容だ。佐倉は如月先輩が犯人の可能性であることを強く否定していた。姉の親友だったから、そんなことをするはずがないと」 俺は椅子にもたれながら、佐倉との会話をかいつまんで報告した。「本人とちゃんと話せばわかる、って言ってたね」 澪が横で言葉を重ねる。その表情はいつも通り淡々としているが、どこか佐倉に対する共感が感じられた。 佐倉が語った姉への想い――そして、犯人をどうしても許せないという言葉の奥にある強い感情を、陸は黙って聞いていた。少しの沈黙のあと、椅子にもたれかかりながらぽつりとつぶやく。「……正直、思ったよりずっと重い話だったな」 口調はいつもとそんなに変わらないが、その目はどこか遠くを見ていた。「家族を失っただけじゃなくて、誰かのせいで奪われたって思ってるわけだ。それを信じてここまで来てるってことは……俺ら、簡単に中途半端なことは言えねぇよな」 そして、ほんの少しだけ笑ってみせた。「ま、だからこそ燃えるけどな!優衣ちゃんが信じてくれるのなら――こっちも、本気で応えなきゃ筋が通らないってもんだろ!」 気負った様子もなく、だがどこか熱を帯びたその言葉に、澪はそっと頷き、俺もまた心の奥で同じ想いを噛みしめる。 陸は一拍置くと、窓際の机に腰をかけたまま、手の中のメモを指先で軽く弾いた。 ——パン、と小さな音が部屋に響く。「で――報告の続き、いくか!」 陸がそう言い部室の空気が、再び引き締まる。「まず――真希先輩と佐倉先輩の口論。これさ、佐倉先輩が屋上から飛び降りる前日だったらしい。口論する声が聞こえたって子がいるって聞いたぜ」「前日……?」 俺は思わず言葉を漏らした。それは偶然とは考えにくい。「……何かあったんだろうね」 澪も目線を伏せながら呟く。声に感情はほとんどなかったが、その眉間にはかすかな影が落ちていた。「演劇部の部室、窓の外からだったから、内容までは聞き取れなかったらしい。ただ、かなり言い合ってたらしくて、険悪な雰囲気なのは確かだったみたいだぜ?」 俺たちの間に、しばし沈黙が流れる。それを打ち払うように、陸は次の話題へ移った。「次、小池。小池は――やっぱり、佐倉先輩に気があったらしい。前からそれっぽい話はあったけど、今回は確かな話だぜ。んで、綾野と佐倉先輩が
last updateLast Updated : 2026-05-26
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第四章:沈黙の向こう側③

佐倉から、佐倉先輩のことを聞いた翌日、火曜日の昼休み、三年生の教室が並ぶフロアの一角。俺たち推理部の三人は、目当ての人物がいる教室の前に立っていた。「……いたな」 陸の言葉に、澪が頷く。視線の先、開いた教室の中には、窓際で友人らしき女子と談笑する如月先輩の姿があった。 長い黒髪をゆるく結び、整った顔立ちには微笑が浮かんでいる。だが、その笑みはどこか演技のようでもあり、本心の色は見えなかった。 俺たちが教室の前に立っていることに気づいたのか、彼女がこちらに視線を向ける。 一瞬だけ首を傾げるような仕草のあと、ゆっくりと席を立ち、扉の前までやって来る。「……早瀬くん? どうしたの?」 声に棘はない。むしろ、意外そうな調子が混ざっていた。「よっ真希先輩、ちょっとだけ、佐倉先輩のことを聞きたくてさ」 その言葉に、如月先輩は少しだけ表情を曇らせ、視線をこちらへと移す。真っすぐに俺たちを見据える目には、かすかな緊張と ――どこか戸惑いの色が浮かんでいた。 ほんの一瞬の間の後、視線を外すことなく言葉を返す。「……その話なら、放課後にして。ここじゃ話す気にならないわ」「どこでなら、お話を聞かせていただけますか?」 俺が問いかけると、如月先輩はためらいもなく答えた。「……放課後、演劇部の部室に来て」 それだけ言うと、彼女は踵を返して教室の奥へと戻っていった。 その背中に、迷いはなかった――だがその足取りには、どこか重さがあった。 まるで、自分の中の答えに触れることを恐れているかのような――。*** 放課後の旧校舎。人気のない廊下を抜けた先、演劇部の部室は静まり返っていた。 開け放たれた窓からは、傾きかけた陽の光が差し込み、埃の舞う空気を淡く照らしている。衣装棚と小道具の並ぶ部屋の片隅に、如月先輩は立っていた。 窓際で腕を組み、こちらに背を向けたまま。俺たちが部屋に入ったことに気づいても、振り返ることはない。「……来たんだ」 ぽつりと漏れた声は、どこか遠くを見るような響きだった。 やがて、ゆっくりと彼女が振り返る。その表情は無表情に近い――だが、ただ冷たいわけではない。まるで、自分の中で何かを固く抑え込んでいるような、張り詰めた空気がそこにはあった。「探りを入れるなら、もう帰って。……そういうの、されるのが一番きついから」 真
last updateLast Updated : 2026-05-28
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第四章:沈黙の向こう側④

まっすぐ伸びていた背筋が、ほんの一瞬だけ傾いた。まるで、重たい何かが、心の奥にのしかかっているかのように。その揺れこそが、彼女が知っている証拠だった。 俺はそっと一歩だけ踏み出す。彼女の視線は、窓の外から動かないまま。 澪は何も言わずに立ったまま、黙って如月先輩を見ていた。陸は一度だけ視線を俺に寄越し頷いた。あとは――俺が言うべきだと、わかっていた。 俺は、もう一度如月先輩の背中を見た。問いに答えず、言葉を閉ざしたその沈黙。それを「拒絶」だと判断するのは早い。 ――わずかに揺れた声、強がりのような言い回し、眼差しの一瞬の影。 それらの反応を、俺の中でひとつずつ整理していく。 そして、確信した。この人はきっと、話したいのに話せないんだと。「佐倉先輩の妹……佐倉優衣に会いました」 そう発した俺の言葉に、如月先輩が、ほんのわずかにこちらを向いたが、まだ目を合わせようとはしない。「彼女から、佐倉先輩の死の真相を探ってほしいと依頼され、佐倉先輩が残した手がかりを基に、彼女が何者かによって、屋上で殺害された可能性があるという事実が、判明しました」 その瞬間、如月先輩の表情から、すべての色が消えた。 目を見開いたまま、微動だにせず立ち尽くしているが、その内側で何かが大きく動いたのが、伝わってくる。「……え……?」 かすれるような声が漏れた。目を伏せる如月先輩の唇がかすかに震える。「……うそ。そんな……」 崩れそうな身体を、かろうじて支えているような姿勢。その目には、驚きと、戸惑いが浮かんでいた。 如月先輩の胸の中で、長く閉じ込められていた何かが、今にもあふれ出しそうだった。「だから教えてください、先輩。佐倉先輩が亡くなる前日、先輩と何があったのか。……二人の間に、何があったんですか?」 その言葉に、如月先輩の目がはっきりと揺れた。しばらく何も言わず、窓の方を向いたまま、まぶたを伏せる。 長い沈黙が、部室の中に落ち、まるで呼吸の仕方すら忘れてしまったように、彼女はただそこに立ち尽くしていが、やがてゆっくりと口を開く。「……あの日、あたしは……美月を問い詰めたの……今年の二月くらいから、少しずつ様子がおかしくなっていった。笑わなくなって、誰かと話してても心ここにあらずで……。でも、美月は何も言わなかったわ。こっちが聞いても、ごまかすよう
last updateLast Updated : 2026-05-30
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第四章:沈黙の向こう側⑤

その後、旧校舎を出た俺たちは、四人で無言のまま校門へ向かった。空にはすでに星が浮かび始めていた。俺はふと振り返り、如月先輩の横顔を見る。少し涙の跡が残っていたが、表情は落ち着いていた。「……先輩。ひとつ、話しておきたいことがあります」 歩きながら言った、俺の言葉に反応して、如月先輩は立ち止まり、こちらを見た。完全にではなく、わずかに首だけを傾けるような仕草だった。「実は、僕たち推理部は事件についていろんな角度から検討していて……その中で、先輩のことを佐倉先輩を殺害した犯人候補の一人として考えていました」 長い沈黙、だが如月先輩は驚いた顔をしなかった。ただ、ゆっくりとまぶたを伏せ——。「……そう」 と、まるで、やっぱりねと言いたげな口ぶりだった。「それには理由があります。僕たちは佐倉先輩が残した手がかりから、犯人像を探っていました」「手がかり?」 如月先輩が小さく首を傾げ、澪が口を挟んだ。「それは……暗号みたいな詩で、『青の幕が落ちた時、そこにあったのは染まった手』そう書かれてた……」 如月先輩の瞳が、ほんのわずかに揺れた。「『青い幕』とは、『演劇』のことではないかと仮説を立てました。そして『染まった手』は、罪や血のメタファー——つまり、劇が終わったとき、そこに罪を犯した人間が立っていた――そんな意味ではないかと。そして、劇の中心にいたのが、青と蛇を連想させる存在――つまり、『サロメ』。そこから、僕たちはサロメ役だった如月先輩に疑いを向けました」 一瞬の沈黙の後、如月先輩が少しだけ微笑む。「……ふふ。なるほどね。理屈は通ってるわね。あたしも納得するかもしれない」 どこか投げやりのようで、それでもどこか晴れたような響きがあった。「美月も、言ってたの。『真希にはサロメの役、似合いすぎる』って。だから原作のままやるの、反対されたのよ。『真希がやったら、ただの怪物に見える』って」 如月先輩はそう言いながら、鞄の中を探って、一冊の厚い冊子を取り出した。「これ。改訂版の台本。……原作のサロメは、文化祭でやるにはちょっとエグすぎるの。殺しも、血も、欲望も、ストレートすぎて」 彼女は表紙を俺たちに見せた。手書きの文字で、『サロメ(改訂稿)』と書かれている。「ほとんど美月が書き直したの。台詞も、登場人物の心情も、全部変えて。あたしには毒が似
last updateLast Updated : 2026-05-30
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第五章:見えない深さ①

 翌日の水曜日、昼休みの鐘が鳴ってしばらく経ったころ、中庭の一角にベンチに座った、四人分の影が木漏れ日に重なっていた。風は穏やかに髪を揺らし、遠くから吹奏楽部の音がかすかに流れてくる中、如月先輩は、少しだけ口元に迷いを見せながら口を開いた。 「……あたしが知ってるのは、昨日話したことくらい。それ以上のことは、ほんとに、なにも」  目線を下げたその表情に、強がりとも諦めともつかない緊張が漂っていた。  俺はは少し間を置いて、優しく声をかける。「佐倉のことは?」 如月先輩は顔を上げ、ゆっくりと瞬きを一度してから、答えた。「美月から、たまに話は聞いてた。義妹がいるって。でも……あたし自身は、あんまり関わってない。美月の家で何度か顔を合わせたくらい」「どんな話を聞いてたんすっか?」 と、陸が遠慮がちに続け、如月先輩は、少しだけ首をかしげて思い返すようにしてから、ぽつりとつぶやいた。「高校に入る少し前家族になったんだって。ご両親が事故で亡くなって……それからしばらくは、優衣ちゃん、情緒がすごく不安定だったらしい。……美月も、よく当たられたって言ってたよ」 そこまで語って、如月先輩はふと視線を泳がせた。「でも、ある日を境に、ぱったりと……落ち着いたって。……あの子自身も、何かを決めたように見えたって」 その言葉に、短い沈黙が生まれたが、澪と陸、そして俺も、あえてそこには触れなかった。彼女の中で色々踏ん切りがついたのだろうと。「……そうだったんですね」 俺は相槌を打った。それ以上を聞く気にはならなかった。  如月先輩は膝の上で手を組むと、少し唇を噛んだ。「……あたし、美月と最後に話したのが、あの日の前日だったの。なのに、気づいてあげられなかった……。事件の日、何か知らないかって聞かれたら……答えは、知らない、なんだ。でも、それが……ごめん、悔しくて」 彼女の手が、辛さから耐えるように膝の上でそっと握られた。「如月先輩。……話してくれて、ありがとうございます」 如月先輩は少しだけ俯いたあと、ゆっくりと顔を上げ、ふっと力を抜いたように笑った。「こちらこそ。……役に立ったかは、わかんないけどね」 芝生の上に流れる昼の光が、またゆっくりと動き始める。 騒がしい昼休みのざわめきから少し離れたその場所に、穏やかな時間が流れていた。*** 西
last updateLast Updated : 2026-05-31
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第五章:見えない深さ②

「他の生徒会のみんなは帰ったよ。用事があるって。……こうしてゆっくり話せるの、案外珍しいかもね。それで何を聞きたいんだい?」 どこか楽しげな口調だったが、あまりに感情が均質で、逆に表情の読めなさを際立たせていた。「佐倉美月先輩のことで、少しお伺いしたくて」 俺の言葉に、綾野先輩は一拍の間を置き、視線を落とした。「……美月さんのこと、か」 机の端にある書類をそっと揃え直すように指を添えながら口を開く。「たしかに、よく話をしていたよ。美月さんは勉強や試験のことにすごく真剣だったからね。……相談を受けることも、よくあったよ。最後に会ったのは亡くなる前日だったかな」 言葉は自然だ。息継ぎも、語尾の置き方も。だが、話す内容は曖昧で、核心を常に半歩だけ避けていように見えた。「最後に会った日にはどんな話を?」 澪が探るように訊く。「特別なことは何も?話すことは普段と変わらなかったよ。彼女、自分から深く語ることって少なかったんだよね……。僕の前では特に、どこか他人との距離の取り方が上手かったというか……必要以上に踏み込まれるのを、避けてたような」「演劇の話は?」「うん。台本の構想とか、いろいろ聞かせてくれたよ。難しい内容だったけど、目を輝かせて話していたのが印象に残っているよ」 そう言って綾野先輩はふと目を伏せ、わずかに表情を曇らせる。「……それだけに、あんなことになったのは、残念だよ」 ほんのわずかに沈んだ声色。けれどその感情は、妙に整いすぎている。「そうですね……本当に、突然でしたから」 俺も言葉を発するが、視線は綾野先輩から目を離さない。「それ以外に、何か他に気づいたことは、ないすっか?」 陸が少し踏み込むと、綾野先輩は柔らかく笑う。「うーん……これといって、ないかな。僕はあくまで生徒会の副会長だったしね。……なんというか、彼女の心の内までは、届いていなかったのかもしれないね」 その一言には、どこか他人事のような響きがあった。 沈 黙が数秒続き――ふと、綾野先輩が目線をこちらに戻して問いかけてくる。「それにしても、どうして美月さんのことを調べているんだい?」「推理部としての性分ですよ。気になることがあると、調べずにはいられないので」 俺の返答に、綾野先輩は不思議そうに首をかしげる。「美月さんが亡くなった時に、屋上の鍵を持っ
last updateLast Updated : 2026-06-01
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第五章:見えない深さ③

部室のドアを開けると、ほんのりこもった空気と、夕陽に染まる窓辺の明るさが迎えてくれた。 だが、今この空間にあるのは、どこか言葉を選び合うような慎重な沈黙だった。 俺たちはそれぞれ椅子に腰を下ろすが、部屋には張りつめた空気が満ちていた。「……蛇が、尻尾を出したな」「それを言うなら狐……」 陸の言葉に澪が小さく指摘する。「いいんだよ! 綾野は蛇なんだから!」 語気を強めた陸の言葉に、思わず俺も苦笑しそうになったが、すぐに表情を引き締めた。 陸の言いたいことは、そこではなかった。「それより問題なのは、やつの言葉だ、あれは――犯人しか知り得ない発言だった」 俺は腕を組みながら、綾野の言葉を思い出す。 一見、自然な会話の中に織り交ぜられたそれは、犯人しか知り得ない情報だった。「亡くなった人間の遺品について知っているのは、捜査関係者か、その遺族だけのはずだ。あの屋上の鍵の件……それを綾野が知っていたということは、明らかに不自然だ」「優衣ちゃんは、亡くなったとき、姉ちゃんは鍵を持ってなかったって言ってたもんな」「うん。他にそれを知っている人はいない。なのに、綾野先輩は『屋上の鍵を持っていたんだから』て断言した。……あれは、見ていたか、知っていた者の言葉」「つまり――事件に関わっている可能性が高い」 俺たち三人はお互いに見つめ合い頷いた。 沈黙が落ちる。けれどそれは、重苦しいものではなく、ひとつの点が線になり、真実の輪郭が見えかけた確信の空気だった。「それにしても……あいつ、やっぱりただの優等生じゃなかったな」「うん。話し方、空気の作り方、間の取り方……あの人、自分がどう見られるかに、相当敏感だと思う」 陸が肩をすくめながら言い、それに澪が応じ続ける。「それに……鞄の中の本、見た?」「『信頼はつくれる』か……」 俺が思い返すと、澪は頷く。「あれ、ただの自己啓発じゃない。あの人にとっては武器。読むだけの人じゃない、使ってる人」「つまり――その『信頼はつくれる』だっけ?その本に書かれていることを実践しているってことか?」 陸が眉を下げて顔をしかめた。「知るべきだやつが、なぜそこまで完璧を演じようとするか。……そして、本当に佐倉先輩の死に関係しているかを」 俺の言葉に、三人の意識がゆっくりと同じ方向を向いていくのを感じ
last updateLast Updated : 2026-06-02
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第五章:見えない深さ④

澪は自分の部屋いた。窓の外からは虫の声と遠くの車の音が微かに聞こえ、机に置いた読書灯が、小さな円形の明かりをつくっている。 読みかけの本のページをめくる手が止まり、しばらくそのままで、ページの文字は目に入ってこなかった。 (……ずるい) あの声で、「守る」なんて言うから。優しくて、まっすぐで、あの人らしくて……でも、ずるい。 制服は乱れひとつなく、きちんと着こなしていて、清潔感のある黒髪の短髪に、整った顔立ち。ぱっと見ではわからないけれど、その服の下には鍛えられた体格が隠れていることも、知っている。 どこから見ても正しさの象徴みたいな人だ。だからこそ――その一言で、今日一日の思考をぜんぶ持っていかれた。 自分ばかりが心を揺さぶられる、先日の小池との会話中もそうだ。いつも知的で冷静なのに、佐倉先輩を亡くした優衣のこと考えたんだと思う。小池の軽薄な態度に対して、怒りを露わにしていた。 そのいつもと違う様子と表情を見て、つい部室で見つめてしまっていたのに、いつもと変わらない様子で、気にもしていない様子だった。 わかりやすくアピールしてるつもりだった。 けど、きっとあの人は気づいていない。いつも通りの顔で、いつも通りの調子で。(……私が、感情を表に出すのが下手なのは、わかってるけど) それでも、私なりに頑張ってる。 今日だって、手をつなぐのにどれだけ勇気が必要だったか。あのとき、心臓がどうにかなりそうで、うまく呼吸できなかった。笑おうとしたけど、ちゃんと笑えてたか自信ない。(昔から、ずっとそう) そばにいる時間の中で、伝わるものがあると信じていた。信じたいと思っていた。 なのに、あの人は――(気づいてくれない。気づく気もない。事件があるから? 依頼中だから?) もちろん、いま大事なことに向き合っているのはわかってる。 今はふざけてる場合じゃないのもわかる。 でも、それはいつもそうだった。(ほんと、あの推理バカ……) 感情のやり場がなくて、澪はベッドの上に突っ伏した。 枕に顔を埋めたまま、思わず声が漏れる。「……ばか」 声はくぐもって、自分の耳にしか届かない。(明日、会ったら……絶対、脇腹小突いてやる) そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。 痛くもしない、怒りでもない。 伝えられない気
last updateLast Updated : 2026-06-03
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