澪の希望で立ち寄ったのは、セントラルモール内の大型書店だった。 フロアの一角には、文芸から専門書、漫画まであらゆるジャンルが整然と並び、静謐な空気が流れている。「お、おい、広くねぇかここ……?」 陸が圧倒されたように呟く。彼は普段、本とはあまり縁がないらしく、店内をぐるりと見渡すだけでやや落ち着かない様子だった。「漫画コーナー、向こうだったよな。俺ちょっと見てくるわ」 そう言って、彼はふらりと階段を降りていった。 一方の俺は、入口近くの新刊コーナーで気になるタイトルに足を止めながら、何となく澪の姿を探す。(……澪はどこだ?) 気づけば、隣にいたはずの澪の姿がない。特に声をかけられた覚えもないし、何か言い残した様子もなかった。(まさか、もう行ったのか?) 軽く店内を見回すと、奥にある棚の陰――「哲学」と書かれたプレートの下に、彼女の見慣れた後ろ姿があった。佇む姿はまるで物音ひとつ許さぬほどに澄んでいて、他の客とは別の時間を生きているようにも見えた。 澪は、装丁の落ち着いた一冊をそっと手に取ると、真剣な表情でページをめくり始めた。その表情には、学校で見せる分析的な冷静さとはまた異なる、どこか柔らかな集中の色が宿っている。 思わず少し見とれてしまった俺は、気配を察した澪に軽く振り返られて、慌てて視線を逸らす。「……見つけたのか?」「うん。面白そうなのがあったから」澪はそう言いながら、ゆっくりとページを閉じた。「……ニーチェ。『解釈こそ真実』」 澪が小さく呟く。「また難しそうなものを選んだな」 俺は苦笑するが、澪はお構いなしに話し始めた。「これはね、人間が真実だと思っているものは、結局すべて自分の解釈でしかないって話」「真実が……解釈?」 俺が聞き返すと、澪は珍しく熱を帯びた声で続けた。「例えば――同じ出来事を見ても、Aは正義だと感じて、Bは悪だと感じる。事実はひとつでも、それをどう捉えるかは人それぞれ。だから、真実っていうのは存在しないとも言える」 俺は眉をひそめる。「なら、俺たちが信じてるものは全部ウソだということか?」「嘘じゃない。 でも、本物とも限らない。人は自分に都合のいいものを真実だと思い込むんだよ」そう言って、澪は隣の棚からもう一冊を取り出す。「こっちはボードリヤール。『虚構が現実を超える』」 俺
Last Updated : 2026-05-24 Read more