All Chapters of 愛よりもお金をとるのならどうぞご自由に、さようなら: Chapter 121 - Chapter 130

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121.ブライダルチェック④

佐奈side会計を済ませ、代官山の街角へ出ると冬の午後の少し冷ややかな空気が頬を撫でた。心の奥に釈然としない気持ちを隠したまま、何事もなかったかのように歩き出そうとしたその時、ふいに蓮に手首を強く掴まれた。「佐奈、ちょっと待って。さっきの話だけれど……佐奈の本当の気持ちも聞かせてくれないか?」「さっきのことって?」本当は分かっている。だけど自分の本音を晒すのが怖くて、私はわざと分からないふりをした。すると、蓮は真剣な目で私を見つめ、静かに答えた。「不妊治療のことだよ。あと、誤解のないように俺の気持ちもちゃんと伝えさせてほしい。……俺は、佐奈が望むなら治療にも積極的に協力する。早い方がいいと言ったのは、妊娠できる期間もあるから早い方が医学的な確率が上がるからであって、義務だと思っているわけじゃない。もし佐奈が、無理な治療はしたくないと思うならそれが俺たちの答えでいい。自分たちのベストを二人で見つけていこう」蓮の言葉が、私の抱いていた心の闇を一つ一つ丁寧に言語化してくれているようだった。胸に溜まっていた重い沈殿物がスッーと消えていくのを感じる。もし治療に専念し、通院が生活の中心になれば、責任ある仕事を任せてもらえる保証はない。それは、今の会社でようやく手にした自分の居場所と、積み上げてきたキャリアを手放すかもしれないという恐怖だった。私は蓮との将来を歩むと決めた。
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122.ブライダルチェック⑤

佐奈side「検査の結果ですが、病気ではありませんが数値が一般の方より低い項目があり妊娠しづらいかもしれませんね。もし子どもを望んでいるのに一年経っても授からなかったら、不妊治療を考えてみるのもいいかもしれません」「……そうですか」予想はしていたことだったが、実際に言われると気持ちが沈んだ。今日、結果が出ることを知っている蓮は、予定を調整してくれていた。「どんな結果が出たとしても俺は受け止めるから、検査終わったら美味しい物でも食べに行こう」そう言って前々から行ってみたかった店を予約してくれた。蓮の心遣いに少しだけ気持ちが軽くなりながらも病院をあとにして、約束の店へと向かった。「そうか。病気とかじゃなくて良かったよ。佐奈は子どもについては、どう思っているの?遠慮しなくていいから、佐奈の本心を教えて欲しい」「私は……」蓮なら受け止めてくれるという予感はしているが、あまりにも優しい口調と眼差しが胸を締め付けるような罪悪感を伴っている。「私は、最初、結果を見るまで自分が検査に引っかかるなんて思っていなかったの。だから、結婚したらいつかは自然に子供を授かると思っていた。だけど、子どもを望むなら治療が必要となるって分かって、
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123.両家の思い

佐奈sideこの日、結婚式の招待客の確認や、名家として報告を欠かせない親族・役員に漏れがないかの精査、そして双方の両親の間で式の規模感に認識のズレがないかを最終確認するために、都内の静かな一角にある老舗料亭で食事会を開いた。「会社関連の招待は、あまり気にしなくていいよ。直属の部門と、特にお世話になっている役員だけでいいんじゃないかな。将来的に蓮が社長に就任した際、その時は就任の式典を設けるだろうから。今は、純粋に二人の結婚を祝う場として整えればいい」蓮の父が凛とした所作で猪口を傾けながらそう言った。「私も同感だ。既に代表に就任しているなら別だが、今の段階では形式に囚われすぎる必要はない。式場も二人が納得した場所を選べばいいよ」私の父も頷き、同じ考えであることを示した。父たちが柔軟な姿勢を見せてくれたことに、私と蓮は小さく目配せをして胸を撫で下ろしていた。「結婚したら家庭を支えていかないといけないんだ。蓮、仕事に集中するのもいいが体調管理や健康には十分気を付けるんだぞ」「はい、そのつもりです。自分だけの身体ではないという自覚は持っています」「佐奈もだ。自分の健康を過信するな。蓮君の体調を管理し、健やかな家庭を築くのがお前の務めだぞ」父の言葉に、私は「はい」と短く答え、お辞儀をした。会話は和やかに進み、話題はいつしか将来の「家庭像」へと移り変わっていく。すると、父の隣で上品に微笑んでいた母が何の気なしに弾んだ声で口を開いた。「そういえば佐奈、この前検診を受けたわよね? 結果はどうだったの? 健康診断じゃなくて……ほら、なんだったかしら。最近の若い方が結婚前に受けるという検査」(お母さん、やめて……!)喉元まで出かかった悲鳴を飲み込む。この話題を両家の両親が揃っている前で出して欲しくなかった。予期せぬ角度から飛んできた刃に私の心臓がドクンと大きく脈打った。
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124.幸せの陰り

佐奈side精密検査の結果が「要再検査」だったこと、そしてその不安を抱えながら今日ここに座っていることを母は知らない。口止めしておけばよかったと猛烈な後悔が押し寄せたが、もはや後の祭りだった。母の言葉を聞いた蓮のお母さんが、花が咲くような笑顔で身を乗り出してきた。「まあ、ブライダルチェックのことですね。佐奈さん、受診されたの? 次世代のことをしっかり考えて準備をなさっているなんて。意識が高くて本当に素敵だわ。藤堂家としても、そんな賢明なお嫁さんに来ていただけて心強いわね」絶賛の言葉が、鋭い棘となって私の胸に突き刺さる。「異常なし」という報告を当然のものとして待ち構える二組の夫婦の視線が、今、私一人に集中している。喉の奥がカラカラに乾き、心臓の鼓動が耳元でうるさく鳴り響いた。「実は、まだ最終的な結果が出ていないんです。でも二人とも自覚症状はないので大丈夫だと思います。それに、こればかりは授かりものですし巡り合わせの面も大きいですので……」言葉に詰まった私をフォローするように、蓮が代わりに笑顔で返答してくれた。努めて平静を装っている彼の横顔に縋りたい気持ちだった。このまま、どうかこの話題が終わってほしい。しかし、現実は甘くはなかった。「蓮、そんな悠長な考えでは駄目よ」蓮のお母さんが、有無を言わせぬトーンで諭すように続けた。「若い方が出産
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125.幸せへの祈り

佐奈side「今は食事中です。このタイミングでする話ではないと思いますが」蓮が不快感を露わにしながら、カトラリーを置く乾いた音を立てて両親に釘を刺すと座に冷や水が打たれたような静寂が訪れた。皆が我に返ったように気まずそうな顔をし、口々に「無事に授かって元気に産まれてくれば問題ない」と体裁を整えていた。無理やり話を終わらせたものの、会場の空気は冬の底のように重く沈んだままだ。(これ、もし結果が悪かったと知ったら絶対に大問題になるよね……。どうしよう、蓮と私の意向だけで納得するとは思えない)蓮との幸せなはずの未来に一気に濃い陰りを感じ、目の前に並ぶ繊細で美しいはずの懐石料理さえも、今は薄暗い靄(もや)がかかったように見えた。その後の会話は全く耳に入らず、私はただ顔を強張らせながら笑顔で相槌を打つので精一杯だった。食事会がお開きになり、料亭の重厚な門を出ると、夜の冷たい風が火照った頬を刺す。蓮と二人きりになり歩き出すと、堰を切ったように無性に切なくて悲しい気持ちが溢れてきた。「佐奈、寒くないか?」「……大丈夫」「今日は私を庇ってくれてありがとう。……今日、蓮のところに泊まってもいい?」私の言
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126.一筋の希望

颯side必死で探していても見つからず、諦めかけた時に事態が大きく進展する時がある――。全てを捨てて佐奈へ向き合おうと決意し、璃子たちに婚約解消を切り出した矢先に、玲央の父が思い出した手がかりは、一筋の希望でもあると同時に俺にとってブレーキでもあった。「今度の週末、泊まりで伊豆に行ってみないか? 璃子さんのお母さんの件で一つ思い当たる場所を思い出したんだ」平日の朝、会社に行くために父親と同じタイミングで家を出た玲央は、玄関の門を抜けた後に父親からそう誘われたのだという。「思い当たる場所?」玲央の言葉に、俺と璃子は期待と疑念が混ざり合った声を上げた。父親に誘われた玲央は、すぐさま俺と璃子に連絡を寄こし、その日の夜、都内の隠れ家的なバーで急遽三人で会うことになった。「ああ。父の話だと学生時代のサークルの合宿で毎年、伊豆に行っていたそうなんだ。サークルメンバーの親族が所有する別荘地やリゾートホテルの会員権を使って泊まり、そこでテニスやゴルフに明け暮れていたらしい」玲央は淡々と語るが、俺は自分の知る一般的な大学生の合宿とのあまりの格差に名家特有の浮世離れした背景を感じずにはいられなかった。しかし、今はそんな違和感を口にして話を折るようなことをしたくないと思い、そっと胸の奥にしまい込んだ。
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127.一筋の希望②

颯side「私、ここ知っている……。前に、何度か行ったことがある気がするわ」「え? 璃子、本当か?」璃子のその一言で場の空気が一変した。玲央が身を乗り出して問いかけると、璃子はゆっくりと頷いた。「うん、家に写真もあると思う。夕日に照らされた黄金に輝く鐘があって……。それを、母に言われるがままに鳴らした覚えがあるわ。母はその時、何かを強く祈るように手を組んでいたの。鐘を鳴らした時に相手の名前を言うと想いが届くんだって言っていて。てっきりお父さんの名前を呼んでいると思っていたけど……」公式サイトには、「相手の名前を呼びながら三回鳴らすと愛が叶う」と記されている。都内からだと日帰りではなかなか厳しい距離にあるこの場所に何度も足を運んでいたのだとしたら、よっぽど深い思い入れがあったに違いない。(三十年前の約束をずっとその鐘に託し続けていたのか……)「私、この場所に行ってみたい。行ってお母さんを探したいの。……玲央、一緒に行ってもいい?」「ああ、もちろんそのつもりだった。父さんも今度こそ逃げずに向き合うと言っている。……松田さんも、もし良かったらどうですか? ここで何らかの進展があったら、僕たちの関係も大
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128.約束の三十年

颯side玲央から「恋人岬」の話を聞いた璃子は、自分の記憶が正しいか確かめるために、翌日実家に帰り、古びたアルバムを見返していた。その日の夜に、俺と玲央の元に次々と送られてきたのは数枚の画像だった。そこには、まだおぼつかない足取りで鐘の前に立つ幼い璃子や、小学校低学年、そして高学年と、成長の階段を登る彼女の姿があった。背景にはいつも黄金に輝く鐘が映っている。どの写真の璃子も、母に向けられたレンズに向かって満面の笑みでピースサインを作っていたが、その写真を撮っていた母親の瞳には、一体何が映っていたのだろうか。「母は今、伊豆で生活していてあの鐘の場所に行っているのかもしれない……。三十年前の約束を、あそこなら守れると思っているのかも」璃子の言葉は、希望というよりは、そうであってほしいという悲痛な推測のように聞こえた。璃子の中で、日が近づくにつれて週末への期待が膨れ上がっていた。こうして土曜日の朝早く、璃子は玲央親子とともに消えた母親の影を追って伊豆へと旅立っていった。(璃子、だいぶ張り切っていたけれど大丈夫だろうか……)一人残された部屋で璃子の背中を思い出していた。母親がいなくなって、もうすぐ二年になろうとしている。璃子は気丈に振る舞ってはいるが、その内側で心が削り取られているのは明白だった。かつての璃子は、自信に満ち眩しいほどに輝いていた。しかし、今はその面影は消え失せ、代わりに疲れ切った悲壮感が漂
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129.思い出の場所

玲央side週末の土曜日。俺は、父と璃子を乗せ、西伊豆の切り立った崖に位置する「恋人岬」に向かって車を走らせていた。後部座席に座る璃子を気遣って、自ら話題を振っていた父のおかげで、道中はとても楽しく和やかな空気が流れていた。しかし目的地が近づくにつれて、助手席からの言葉数は目に見えて減っていった。窓の外を流れる伊豆の鮮やかな緑も、父の目には映っていないようだった。その横顔には、璃子の母親の無事を祈る切実な思いと、もし本当にそこにいた場合の今後のあり方を模索する複雑な苦悩が滲み、眉間には深い皺が刻まれていた。駐車場に車を止め、岬の先端へと続く遊歩道を三人で歩く。時折すれ違う観光客の楽しそうな浮き足立った笑い声とは対照的に、俺たちの間には会話がなく、ただ松林を抜ける潮風の音だけが異様に大きく耳を打った。「……あそこよ」璃子が震える指でさした先には展望デッキがあり、水平線に沈みゆく夕陽が海水に反射してキラキラと黄金色に染め上げている。デッキにはまだ恋人同士と思われる二人組や家族連れなど多くの観光客が残り、鐘の前で記念撮影をするなど賑やかな雰囲気に包まれていた。しかしその中で、一人の女性の背中に俺たちは釘付けになった。璃子は驚きのあまり、こぼれそうになる悲鳴を抑えるように両手で口を隠した。潮風に吹かれ、細身の背中には璃子と同じ艶やかなロング
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130.思い出の場所②

玲央side璃子が堪えきれずに叫んで駆け寄ると、白いワンピースを纏った女性は、ゆっくりとこちらを振り返った。水平線に沈みかけた巨大な夕陽が、女性の背後で海面に反射し黄金の光を放っている。僕たちは眩しさに目を細めながら、ようやくその顔を視界に捉えた。少しやつれた印象はあるものの整った目鼻立ちは、璃子にそっくりで母親に間違いなかった。「お母さん、どうして……。どうして急にいなくなったの? ずっと、ずっと探したんだよ?」震える声で問いかける璃子。しかし、振り返った母の瞳には愛する娘の姿さえ映っていないようだった。彼女の視界を占めていたのは、璃子の数歩後ろで石のように立ち尽くす、僕の父の姿だけだった。「……貴一くん」父の名前を呼ぶ璃子の母親の声は、長い年月を飛び越えてきたかのように瑞々しく可憐だった。父が喘ぐような吐息を漏らして一歩前に出ると、彼女は璃子の存在に気が付いていないかのように目をくれることもなく横を通り過ぎた。そして、吸い寄せられるように父の胸へと飛び込んだのだ。「貴一くん、来てくれてありがとう。ずっと待っていたわ。約束を覚えていてくれて、本当に嬉しい。ありがとう、ありがとう……」三十年前のあの日に戻ったかのように、純粋な歓喜の声を上げて縋り付く母親。父は、見つかった安堵か
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