All Chapters of 叶わぬ恋だと分かっていても: Chapter 61 - Chapter 70

79 Chapters

21.お母さんとの約束②

なおちゃんに、自分のことを好きだと言ってくれたタツ兄とのことを前向きに検討したいって話したのは嘘じゃなかったから。 「私、緒川さんとは別れる……。その後でタツ兄とちゃんと向き合うつもり。でも……私がもしタツ兄と付き合ったりしたら、お母さんは……」 ――お母さんは頑張ろうって思える張り合いを失ったりしない? 喉の奥まで出かかった言葉をグッと飲み込んだら、お母さんが点滴の刺さったままの手を私の方へそっと伸ばしてきた。 私は慌ててお母さんに近付いて――。 「建興くんとならなのちゃんの花嫁衣装、お母さんも見られるかなぁー。あー、でもね……お母さん、すっごく欲張りだから。それが見られたら……今度は可愛い孫の顔を見たいな?ってなると思うの」 そこでお母さんの手が、私の手の上にそっと載せられる。 「だからお母さん、なのちゃんが建興くんと幸せになったとしても……やっぱりとうぶん死ねないな?ってなるわね」 温かいお母さんの手――。 私はお母さんの手を上からギュッと包み込むと、「ホント? 約束してくれる?」と問いかけた。 *** お母さんが「当たり前よ」と答えてくれたのを聞いた瞬間、私の中で何かがカチッと音を立てて切り替わったのが分かった。 「――お母さん、私、ちょっとお父さんを呼びに行ってくるね」 お母さんに声を掛けると、私は携帯をギュッと握りしめて病室を後にする。 頬が涙で濡れてひんやり感じられたけれど、そんなのは気にしない。グズグズな顔をしてたって構わないの。 今は。――今だけは……。ちゃんと顔を上げて、前を向いて歩か
last updateLast Updated : 2025-11-29
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21.お母さんとの約束③

電話の先。 微かになおちゃんの背後で、彼以外の人の息遣いと、衣擦れの音が聞こえた気がして――。 ほんのちょっと胸の奥がチクンと痛む。 (きっとなおちゃんの奥様はいつもこんな気持ちだったんだ) なおちゃんと共に過ごした長い年月の中。彼と一緒にいる時に奥様から連絡が入ったことも、一度や二度じゃない。 そのたびに、私はなおちゃんのそばで息を殺して気配を消していたのだけれど。 (案外そういう空気感って伝わるものなのね) そう気付いたら、私には痛みを感じる資格すらないんだって改めて自覚させられた。 「なおちゃん、さっき中断した話の続き、手短に伝えちゃうね。私、なおちゃんと別れたい。――ううん、別れるから」 『――おい、菜乃香。そんなの電話じゃ』 「電話で十分だよ、なおちゃん。私、もう二度となおちゃんには会わないって決めたの……。だからお願い。なおちゃんも……、もうこれ以上罪を重ねないで? 奥さんを……悲しませないで?」 奥さんと言う言葉を発した途端、私の隣でタツ兄がギュッと身体を固くしたのが分かった。 そりゃそうだよね。 不倫してる女なんて最低だもん。 だけどそれを隠したままタツ兄の優しさに付け込むなんてこと、私には出来そうになかったの。 きっと傷つけたよね。ごめんね、タツ兄。 貴方が好きだと思いを寄せてくれている女は、妻子ある男性と付き合えるような、そんな人間なんです。
last updateLast Updated : 2025-11-30
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22.梅雨の長雨-忘却-①

なおちゃんにお別れを告げて、タツ兄とも疎遠になって。 だけどお母さんの病状の目まぐるしい変化に追われる日々の中、私にはそのことを悲しむゆとりなんて残されていなかった。 それがある意味良かったのかも知れない。 *** 結局お母さんは胆管を通すための開腹手術もうまくいかなかった――。 お腹を開けてみたら思いのほか内臓という内臓がもろくなっていて……先生はどこにも触れることが出来ずに開けた傷口をただ閉じることしか出来なかったらしい。 ――現状ではあと二週間、持つかどうかだと思います。 術後、主治医から告げられた言葉は、お母さんの余命があと一ヶ月もないという非情なものだった。 残された期間が半年だって一年だって……きっと伝えることが難しいだろう余命宣告。 たった二週間だと言われたそれを、私はどうしてもお母さんに伝えることが出来なかった。 伝えられなかったのはそれだけじゃない。 「手術も頑張ったし、お母さん、どんどん元気になるね」 「うん。そうだね。早く退院して、また美味しいご飯作ってもわらなきゃだもん。楽しみにしてるから」 手術の成功を信じて疑わないお母さんに、お姉ちゃんもお父さんも私も……。 誰ひとり何も出来ずにお腹を閉じただけなんて……言えるわけがなかったの。 *** 「雨、すごいね」 時節はジメジメとした梅雨に入っていて、連日のようにシトシトと雨が降り続いていて。 大き
last updateLast Updated : 2025-12-01
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22.梅雨の長雨-忘却-②

腹水をたっぷり吸った布地は、ずっしりとした重さとともに、およそ生きた生物から出たにおいとは思えない生臭い異臭を放つ。 お母さんがそれを気にしていたのを知っていたから。 私はお母さんの尊厳を守りたい一心でそんな洗濯物からの臭いが漏れないよう、細心の注意を払いながら二重に重ねたビニール袋の口をギュッと固く縛る。 「また明日来るね」 私は今にも壊れそうな心と身体に鞭打って、お母さんに笑顔を向けた。 そんな私に、お母さんはどこか寂しそうな……申し訳なさそうな顔をして「なのちゃん、いつも有難うね。気を付けて帰ってね」と手を振ってくれる。 大好きなお母さんのためだと思えるから。 私はしんどくても何とか立っていられるの。 *** エレベーターに乗り込んで壁にもたれ掛かるようにして、手にした洗濯物の入った手提げ袋をグッと握り直す。 一階ロビーに着いて正面入口を見やると、篠突く雨が景色をぼんやりと霞ませていた。 またあの雨の中を、この重い荷物を持って歩き回らないといけない。 総合病院の駐車場は病院のすぐ近くにあるけれど、何せ収容台数が多い。 日によってはかなり離れた所に車を停めないといけなかったから。 傘をさした状態で、この荷物を持って歩かないといけないと思うと、自然と吐息が漏れてしまう。 エレベーターを出てヨロヨロと歩いて。 正面入口の自動ドアを抜けて、屋根越し。 ひっきりなしに大粒の雨を落とす鈍色の空を鬱々とした気持ちで見上げていたら、突然背後からグイッと荷物ごと身体を引っ張られた。 「ひゃっ」 驚いて振り返った私に、 「荷物、重いんだろ? 持
last updateLast Updated : 2025-12-02
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22.梅雨の長雨-忘却-③

「ホントはあの時、すぐにでも『大丈夫だよ。僕は気にしない』ってなのちゃんを引き留めるべきだったのに……。僕の中のなのちゃんは幼い頃の印象が強すぎて。不倫をしていたと告白してくれたキミと、僕の中のなのちゃんがどうしても結びつかなかった」 何年も会わずにいたのだ。 その間に自分が知らないなのちゃんが増えていることは仕方がないことじゃないかと――。 それでもその不毛な関係を自分の目の前で断ち切ってくれたなのちゃんを僕は信じるべきだったんじゃないのか?と――。 そう自分に言い聞かせ、心に折り合いを付けるのに随分時間を要してしまったのだとタツ兄が淡く微笑んだ。 「退院後もリハビリには通わなきゃいけなかったからさ。院内で偶然会えたら面と向かってちゃんと謝ろうと思ってたんだ。けど……考えてみたら病院って物凄く広いもんね。会おうと思って自分からなのちゃんのお母さんの病棟へ出向かない限り、会えるわけなんてなかったんだ。結局のところ、僕はまだ迷っていたんだと思う。なかなか踏ん切りが付けられない間にこんなに時間が経ってしまってた。ホントなのちゃんからしたら、今更出て来るなよって感じだろうけど……。ごめん。……僕、やっぱりどうしてもなのちゃんが諦められなかった」 電話をすることも考えたけれど、電話で伝えるのは何か違う気がして出来なかったのだと、タツ兄が申し訳なさそうに瞳を揺らせた。 タツ兄の患部にはまだ金属製のプレートが埋め込まれたままで、それを除去するのは一年後くらいになるらしい。 私自身、お母さんの手術後は目まぐるしい日々で以前みたいに院内をウロウロすることもなくなっていたから……。 だから、偶然に頼って私に会いたかったタツ兄とは、何だかんだで今まで会えず仕舞いになっていたんだろう。 それを思うと『タツ兄の意気地なし!』と思わないこともない。 だけど――。 それだけ私のことを重く捉えてくれていたということなのかな?
last updateLast Updated : 2025-12-03
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22.梅雨の長雨-忘却-④

「――タツ兄ね、ちょっと前に退院したの。それでね、色々バタバタしてて……私もずっと会えていなくて――」 不倫のことをタツ兄が知っていると言うのは、お母さんには黙っておこうと彼が言って。 私たちはあらかじめ打ち合わせていた通りの言葉を紡いだのだけれど。 退院云々を考慮しても、明らかに不自然なほど空白の期間が空き過ぎていたことを思うと、お母さんから「でも」と言われても不思議ではなかった。 だけどお母さんは何かを察してくれたみたいに、そこに関しては何も突っ込んでは来なくてホッとする。 「えっと……また一緒にここへ来てくれるようになったってことは……二人はもしかして……」 私がなおちゃんと切れていなかったことを心配していたお母さんが、そう言って言葉を濁したのは当然だと思えた。 「はい。その〝もしかして〟です。なのちゃんからなかなかOKがもらえなくて苦労したんですけど……先日やっと――。だから今日は僕、晴れ晴れとした気持ちでおばさんに会いに来ることが出来ました」 そんなお母さんにタツ兄がふんわり笑ってそう答えると、松葉杖をついていない方の腕で私の肩を引き寄せてくる。 私はタツ兄の大きな手のひらの温もりを肩に感じながら、照れくささにうつむいたままお母さんの「まぁ!」という嬉しそうな声を聞いた。 *** 病院の正面玄関を出てすぐ。 荷物を持ってあげるとタツ兄が声を掛けてくれたあの日――。 「改めて言わせて? 戸倉菜乃香さん。僕はキミが好きだ。結婚を前提に僕と付き合ってもらえますか?」 そう言って不安そうに瞳を揺らせたタツ兄を見て、私は彼からの告白を今度こそちゃんと受け止めることにしたの。 なおちゃんとは別れてフリーの身。
last updateLast Updated : 2025-12-04
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22.梅雨の長雨-忘却-⑤

彼のその顔を見て、私は真っすぐに向けられるタツ兄からの温かな好意をひしひしと感じて、胸の奥がほわりと温かくなる。 こんな風に真摯に誰かから想ってもらえたのは本当に久々で。 なおちゃんからの〝好き〟は、始まった瞬間から奥さんと二股をかける旨を宣言されていたことを思い出した。 未だ未練がましく消せてもいなければ、着信拒否にも出来ていないなおちゃんの連絡先が、スマートフォンの中に残っている。 でも、別れを切り出したあの日以降なおちゃんから私に連絡が入ることはなかったから――。 なおちゃんの中で私の順位は一体何番目まで落ちていたんだろう?とふと思ってしまった。 カバンの中に入ったままのスマートフォン。 今は荷物をどっさり持っていて取り出せないけれど……家に帰ったら今度こそ『緒川直行』という連絡先を消すことが出来る、と確信した。 *** タツ兄とのお付き合いを始めてすぐ、私はなおちゃんの連絡先をスマートフォンの中から削除した。 その際、残ったままになっていた着信履歴や発信履歴もオールリセットして……。 近所のお兄ちゃんという意味合いで『タツ兄』と登録していた恋人の名前を、『波野建興』と、彼のフルネームで登録し直した。 日を追えば追うほど着信履歴も発信履歴もお父さん、お母さんを追い上げる勢いで『波野建興』で侵食されていく。 そのことが何だか照れ臭くてたまらなく面映ゆいの。 結局あれっきりなおちゃんからは連絡が入ってこない。 そのことを最初のうちこそ悲しく思っていた私だったけれど、タツ兄との日々のなかで段々気にしなくなっていった。 それに――。
last updateLast Updated : 2025-12-05
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22.梅雨の長雨-忘却-⑥

花屋の店先に並んだバケツの中、白地に青紫色の縁取り――覆輪――が美しい、一重咲きのトルコ桔梗を見つけた私は、何の迷いもなくそれを選んで包んでもらった。 というのも、トルコ桔梗はお母さんの大好きな花のひとつだったからだ。 お母さんがまだ元気な時、よくトルコ桔梗を買ってきては玄関先の花瓶に活けて、「綺麗でしょう? お母さん、トルコ桔梗、大好きなの」と言っていたのを覚えている。 花にはそれほど詳しくない私だったけれど、トルコ桔梗はそんな感じ。幼い頃からしょっちゅうお母さんに名前を聞かされ、実物を見せられていた花だったから、名札を見るまでもなくすぐにそれだと分かったの。 長さを適当に調整して花瓶に活けた花を持って病室へ戻ってきた私を目で追いながら、お母さんが「綺麗ね」とつぶやいて。 私は「うん、そうね」って答えながら、買ってきて良かったって思ったんだけど――。 「なのちゃん。そのお花、何て名前?」 真顔でそう問い掛けられて、私はギュウッと胸の奥をえぐられたような切なさにさいなまれた。 実はちょっと前に、お母さんが「夜中の二時にお父さんがお見舞いに来てくれてね。先生とお母さんの手術のことについてお話をしてくれたの」と真顔で話しくれたことがある。 私はその支離滅裂な内容に頭をひねって。 余りに不可解な言動が心配で、後日主治医の先生に相談したら、「お母さんは病気の進行に伴い脳がダメージを受け始めています。今後少しずつそういうことを言う頻度が上がって来ると思います」と説明されてしまった。 その際、「認知症のような症状が出たり、今まで分かっていたものが分からなくなったり、常識では考えられないような妄想に取り憑かれたりすることがあります」とも言われていたから。 だから、今の〝大好きだった花の名前が思
last updateLast Updated : 2025-12-06
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23.*梅雨の長雨-恋慕-①

結局その日タツ兄から仕事を終えたと連絡が入ったのは、二〇時過ぎのことだった。 タツ兄から『今日は一緒にお母さんのお見舞いに行けなくてごめんね』とメッセージが入るや否や、私は我慢出来なくなって彼に電話をかけていた。 丁度携帯を手にしていたときだったからかな? ワンコールも鳴らなかったんじゃないかしらという素早さで、『なのちゃん?』とタツ兄が電話に出てくれた。 私は穏やかな凪の海みたいな彼の声を聴いただけで泣きそうになって。 『何か……あったの?』 優しく問い掛けられたらもう駄目だった。 「そ、れでね、お母、さっ、……好きだったお、花の名、前もっ、忘、れちゃってて……」 グシュグシュと鼻を鳴らしながら今日お見舞いであったことをタツ兄に嗚咽混じりに話したら、タツ兄は時折『うん』とか『そっか』とか『それは辛かったね』とか……。 とにかくただただ私の言葉を全て肯定するような相づちを打ちながら、静かに話を聞いてくれて。 私はタツ兄に思っていたことを心のままに打ち明けるうち、少しずつ心が落ち着いていくのを感じた。 『――もう遅いからどうかなって思ったんだけど……ちょっとだけなのちゃんの顔、見に行ってもいい?』 話が一通り終わって間が出来たと同時。 タツ兄がそう聞いてきて。 夕方からずっとタツ兄に会いたいと思っていた私は「私も会いたい。けど――」と答えていた。 時計は電話を始めてから約二時間後の二十二時を指していた。 明日も仕事なのに。 私は時計を見ながら言わずにはいられなかった。 「……けど、折角なら二人きりでゆっくり話したい。……その、わ、私がっ、タツ兄の家に行っても……いい?」 って。
last updateLast Updated : 2025-12-07
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23.*梅雨の長雨-恋慕-②

(着替え、持ってくれば良かった) そんなことをしたらお泊りを意識しているみたいで恥ずかしかったから敢えて持って来なかったけれど、こんなに濡れると分かっていたら、帰りの服くらい用意しておくべきだったのに。 (私のバカ……) そんなことを思ったけれど後の祭りだった。 *** 「入って?」 玄関扉を開けて私を中へいざなってくれながら、タツ兄が「こんな足なんだから大人しくここで待っておけばよかった。僕のせいで却ってなのちゃんをびしょ濡れにしちゃったみたいだ。ごめんね」と吐息を落とす。 「あ、あのっ。でも私……! ちょっとでも早くタツにぃ……た、っくん、に……会いたかったし……方向音痴で迷子になってたかもしれないから……お迎え、すごく嬉しかった……よ?」 叱られた大型犬みたいにしゅんとした様が可愛くて、私はそう言って慰めずにはいられない。 それに、告げた言葉も嘘じゃなかったから。 懸命にタツ兄呼びを改めて彼を慰めようとしたらしどろもどろになってしまった。 けれど、それが逆に良かったのかな? 不意にタツ兄にギュウッと抱き締められた。 「なのちゃん、ヤバイ。可愛すぎなんだけど」 タツ兄が私を抱き寄せた拍子、彼が手にしていた松葉杖がカランと倒れて……。 なのにそんなのお構いなしに私を抱きしめたタツ兄に、「なのちゃん。キスして……いい?」って問いかけられた。 私はうなずく代わりにそっと目を閉じてほんの少し顔を上向けて。 タツ兄の柔らかな唇がためらいがちに自分の唇に重ねられる感触を受け入れる。 ポタポタと顔を濡らすのはタツ兄の髪から滴り落ちてくる水滴かな? 雨に濡
last updateLast Updated : 2025-12-08
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