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第71話

「写真ですって?」沙彩は怒りでわなわなと震えた。「あの大奥様がどんな方か分かってるの?どれほどの修羅場を潜り抜けてきたと思ってるのよ。あんな、証拠にもならないような写真数枚で、あの人が信じるとでも?パパもママも、どうして、物事の後先を考えないの!大奥様、元々私のことがお嫌いだった。こんなことをすれば、かえって私が焦って、長谷川夫人の地位欲しさに彰人さんに近づいたと、そう思われるに決まってるじゃない!私があなたたちを焚きつけたと誤解されて、もっと嫌われるに決まってる!」美咲と良平は娘にそこまで言われ、ぐうの音も出なかった。しばらくして、ようやくか細い声で言った。「そ、それじゃあ……これから、どうすればいいんだね?」沙彩は苛立たしげだった。だがこの状況では無理やりにでも、自分を冷静に保たせるしかなかった。「どうするもこうするもないわ。私が彰人さんに直接謝りに行くしかない!彼が大奥様の前で、少しくらい私のために弁護してくれることを祈るしかないわ」夜。沙彩は上品なベージュのワンピースを纏い、薄化粧を施すと、会社の近くにある彰人の高級マンションへと向かった。呼び鈴を鳴らすと、ドアはすぐに開いた。彰人は濃色のルームウェアを身につけ、その眉間には疲労の色が浮かんでいた。本邸から戻ったばかりなのは明らかだった。「彰人さん」沙彩は声を限りに、優しく囁いた。「中でお話ししても、いいかしら?」彰人は黙って体をずらし、彼女を招き入れた。ドアを閉めると、そのままソファへと向かい、腰を下ろした。沙彩は彼がまだ怒っているのを察し、自ら彼に歩み寄った。「彰人さん、まだ、お食事じゃなかったんでしょう?夜食、持ってきたの。全部私の手作りよ……」彰人は彼女を見上げ、平坦な口調で言った。「お前の両親が今日、本邸で騒ぎを起こした」沙彩の心臓が冷たく沈んだ。彼女はすぐに俯いた。「ごめんなさい、彰人さん。私、本当にあの二人がそんなことをするなんて、知らなくて。家に帰ってから、初めて聞いて、二人には厳しく言っておいたわ」彼女はそのまま、彼の隣に腰を下ろした。その声は罪悪感に満ちていた。「二人もただ、焦っていただけなの。私たちが早く一緒になれるようにって、そればっかり考えて、あんな馬鹿なことを……おばあさんを
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第72話

沙彩は賢い女だ。今、彰人を追い詰めれば逆効果になることを知っていた。ひとまずは彼を立てることにした。あの大奥様については……いずれ、必ず折れさせる方法があるはずだ。彰人はしばし黙り込み、ゆっくりと口を開いた。「グループの裁判が終わり次第、お前に正式な立場を与える」一方、明成バイオ。昭彦は一週間の海外出張が決まり、業務提携に関する事務は一時的に静奈に引き継がれた。その日の午後。湊が提携協議のため、再び明成バイオを訪れた。静奈が応接室で彼に対応した。「神崎さん」湊は分厚い提携企画書を彼女の前に押し出した。「こちらが修正した企画書だ。先日、お前が指摘した懸念事項についてはすべて調整してきた」静奈は企画書を手に取り、真剣に目を通し始めた。認めざるを得ないが湊は確かに誠意を見せてきた。企画書は前回とは比べ物にならないほど、完璧なものに仕上がっていた。リスク管理も、利益配分も、より周到に考慮されている。彼女は一ページずつ、集中して読み込んだ。やがて、彼女は企画書を閉じた。「企画書は拝見した。確かに、大幅に改善されており、御社の誠意も拝察した」湊の目に期待の色が浮かんだ。だが静奈は話題を変えた。「ですがこれほど大きな提携となると、私の一存では決めかねる。最終的な判断は桐山社長が戻ってからとなる」湊も、この結果は想定内だった。彼女から好意的な感触を得られただけでも収穫だ。まさか、即決してもらえるとは思っていない。「理解した。ところで、もしよろしければ、今夜、食事でもどうだろうか」「申し訳けない、神崎さん。今夜は先約があって」静奈は丁重に断った。湊もそれ以上は食い下がらなかった。彼は笑みを浮かべた。「そうか。なら、また次の機会に」夜。静奈は深夜まで残業していた。会社のビルを出たところで、一台の白いセダンがゆっくりと彼女の前に停車した。先ほど、彼女が配車アプリで呼んだ車だった。静奈はドアを開け、後部座席に乗り込んだ。運転手は四十代ほどの男で、いかにも真面目そうな風貌だった。何時間もPCの画面と睨み合い、データをシミュレーションしていたせいで、目がひどく疲れていた。車に乗るなり、静奈は目を閉じて、休息を取ろうとした。二十分後。静奈はふと目を開けた。車がナビの示す幹線道路ではなく
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第73話

彼女は素早く周囲を見回し、脱出の隙を探った。ドアはロックされ、窓も反応しない。運転席ですべてロックされている。運転手はエンジンを止め、こちらに振り向いた。薄暗い光の中で、あの真面目そうな顔が、不気味に歪んで見えた。「お嬢さん、怖がらなくていい。あんたが大人しくしてくれれば、酷いことはしねえから……」男はそう言うと、静奈の顔を撫でようと手を伸ばしてきた。静奈は咄嗟に身を引き、手元のバッグを掴んで男に叩きつけた。「触らないで!」バッグが腕に当たり、男は逆上した。汚い言葉を罵りながら、彼女の髪を掴もうと手を伸ばす。静奈が必死に抵抗した、まさにその時。「ドン!」という、凄まじい破壊音が響いた。フロントガラスが、外から叩き割られた。「彼女から手を離せ!」低く、冷たい声が響いた。静奈が目を開けると、車の外に湊が立っていた。運転手はまさか邪魔が入るとは思っていなかったのだ。一瞬呆気に取られ、すぐに罵りながら車を降り、湊に詰め寄ろうとした。湊は相手にその隙を与えなかった。回し蹴りを食らわせ、男を数メートル先まで蹴り飛ばした。運転手は逆上し、ポケットから飛び出しナイフを取り出すと、湊に襲いかかった。幸い、湊は警戒していた。彼は地面に落ちていた鉄パイプを拾い上げると、男の手首めがけて振り下ろした。豚が喉を絞められるような悲鳴と共に、運転手は地面に倒れ、苦痛に転げ回った。湊は無駄のない動きで近づき、静奈を車から引きずり出した。「怪我は?」その声には彼自身も気づかぬほどの、気遣う響きがあった。静奈は首を振った。先ほどまでの恐怖がまだ消えず、足がガクガクと震えていた。数秒間、呼吸を整え、静奈は尋ねた。「警察には?」「さっき、通りかかった時に、あの車がどうもおかしいと思った。少し後をつけていたんだが、その時に通報は済ませてある。もうすぐ着くはずだ」湊は彼女の青白い顔を見つめた。「何をそんなに不注意な。配車アプリで、ドライバーの評価も確認しないのか」静奈はそこでようやく思い出した。先ほどは急いで家に帰りたくて、この車の評価が異常に低かったことにも、ドライバーの視線がおかしいという、いくつかの不穏なレビューにも、気づかなかったのだ。「今日のこと、感謝する」遠くからサイ
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第74話

湊には元々、重要な接待の席が控えていた。だが、静奈の澄んだ瞳を見ているうちに、口から出た言葉は違っていた。「ああ、空いている」「それはよかった」静奈の口調はどこまでも事務的でそつがなかった。「週末には桐山社長も戻るよ。もし、よろしければ、その際に桐山社長も同席の上で、改めてお礼をさせて。ちょうど、提携についてもお話しできるかと」その言葉は理に適っており、「お礼」という名目を果たしつつ、自然な流れで、場を仕事の会合へと変えていた。湊は彼女の瞳の奥にある淡い拒絶の色を見て、瞬時に悟った。彼女はあからさまにではなく、こうして一線を画し、自分と二人きりで会う機会を避け、純粋な仕事関係だけを維持しようとしているのだ。「ああ、構わんよ。ちょうど俺も、桐山社長と話したいことがあった。ではよろしく頼む」数日後、陸の誕生日が来た。パーティーは郊外にある屋外プール付きの別荘で開かれた。陸は入り口で客を迎えていた。チャコールグレーのスーツを纏い、その姿はいつもよりすっきりとして見える。普段の、どこかだらしない雰囲気は鳴りを潜め、名家の子息らしい気品が漂っていた。彰人と沙彩が並んで歩いてきた。「やっと来たかよ。お前らを待ってる間に、わざわざ冷やしておいたシャンパンが、温くなっちまうところだったぜ」沙彩が、綺麗にラッピングされたギフトボックスを差し出した。「陸さん、お誕生日おめでとう。彰人さんからあなたが最近はウイスキーに凝っていると聞いたので、特別なヴィンテージのものを探したの」陸は笑いながらそれを受け取った。「さすが、沙彩さんは話が分かるぜ」言い終わるか終わらないかのうちに、湊の車が静かに路肩に停まった。「お、湊もご到着だ」陸は彼に向かって口笛を吹いた。「どうせお前、今回も万年筆だのカフスだの、そういう古臭いモンだろ。ちったあ、捻れねえのかよ」湊は車のドアを開けて降りてきた。その両手は空だった。「悪いな。何も用意してない」「嘘つけ」陸は信じなかった。彼は手慣れた様子で湊の車に回り込むと、ドアを開けて中を漁り始めた。「お前の車には緊急用の贈り物が常備されてるって知ってんだぞ。誤魔化せると思うなよ」そう言いながら探していると、助手席の隙間に、何かきらりと光るものを見つけた。指先
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第75話

傍らに立っていた彰人はそのブレスレットにふと目をやり、わずかに眉をひそめた。あの四つ葉のブレスレット、どうにも見覚えがある。まるで……かつて静奈がよく身につけていたものにそっくりだ。彼は湊に視線を向け、その目に探るような色を浮かべた。まさか、あれは静奈のものか?湊は彰人の視線に気づき、一瞬気まずそうな表情を見せた。彼はすぐに背を向け、車のトランクから細長い箱を取り出すと、陸に手渡した。「ふざけるのはよせ。お前へはこれだ」陸は箱を受け取った。中には限定モデルのカメラが入っていた。彼は瞬く間に目を輝かせた。「やるじゃねえか、お前。これ、俺がずっと探してた奴だぞ」陸は彼らを促して中へと入っていった。沙彩は彰人が上の空であることに気づいていた。「彰人さん、どうしたの?」彰人は視線を外し、淡々と言った。「何でもない」あの四つ葉のブレスレットはありふれたデザインだ。どこにでもある。静奈のものとは限らない。土曜日の午前。静奈は紳士用品を扱う高級デパートに来ていた。彼女は湊への礼として、手作りの万年筆を吟味して選んだ。これならば、礼儀を失することなく、感謝の意を伝えられるだろう。会計を済ませ、ラッピングされたギフトボックスを手に、彼女がその場を離れようとした時だった。清掃員がワックスをかけたばかりの床に気づかず、そばには「滑りやすいのでご注意ください」という立て札が置かれていた。数歩も進まないうちに、彼女は足元を滑らせ、瞬時に平衡を失い、前のめりに倒れ込んだ。その時、一本の手が、間に合うように彼女の手首を掴んだ。その力は強く、安定しており、記憶にある温もりが伝わってきた。「危ない」静奈の心臓がドキッとした。ようやく体勢を立て直して振り返ると、その視線は彰人の底知れぬ黒い瞳とぶつかった。静奈はわずかに呆然とした。まさか、自分を支えたのが彰人だったとは。「ありがとう」彼女はすぐにその手を振り解いた。その口調はひどくよそよそしく、まるで赤の他人に対するようだった。彰人の手は宙に浮いたまま止まった。彼の眉が気づかれぬほど微かに寄せられた。彼は手を戻し、平坦な口調で言った。「おばあさんから電話があった。明日、本邸で食事をと」「週末は私用があるので。日を改
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第76話

日曜の夕暮れ。静奈は一軒の料理店を予約していた。昭彦は空港からその足で駆け付けた。二人はまず会社の近況について情報を交換した。まさにその時、湊がドアを開けて入ってきた。「すまない。道が混んでいて、待たせたな」昭彦は立ち上がり、彼と握手を交わした。「神崎社長こそ、ご丁寧にどうも。僕たちも、今来たところですよ」湊は席に着いた。その視線が不意に静奈を捉えた。彼女は今日、オフホワイトのシャツを着て、袖口を前腕まで捲り上げ、そこから細く白い手首が覗いていた。「神崎社長、新しい企画書ですが、朝霧君から既に見せてもらいました」昭彦はファイルを開き、指先で紙面をトントンと叩いた。「確かに、初版より格段に練り上げられていますね。特に、リスク分担の部分。非常に細かく考慮されていますね」湊は湯吞を手に取り、笑みを浮かべた。「主に、朝霧さんが、実に的確な指摘をくれたおかげだよ」昭彦と湊はさらに企画書の細部について議論を交わした。リスク管理から利益配分に至るまで、二人の会話は具体的だった。静奈は傍らで静かに耳を傾け、時折、重要な情報を補足した。「桐山社長。我々の提携はいつ頃、正式にご判断いただけるか?」「三日ほど、お時間をください。できるだけ早く、お返事いたします」仕事の話が一段落すると、料理が運ばれてきた。静奈はバッグから、深い青色のビロードの小箱を取り出し、湊の前に差し出した。「神崎さん。先日は本当にありがとうございました。これはほんの気持ちで、受け取て」湊が箱を開けると、中にはシルバーグレーの万年筆が収められていた。控えめだが、洗練されたデザインだ。彼が顔を上げると、静奈の視線とまっすぐぶつかった。その瞳には余計な感情はなく、純粋な感謝の色だけが浮かんでいた。「ではありがたく頂戴しよう」湊は箱を閉じた。その指先が、微かに熱を帯びた。会食が終わり、外に出ると雨が降り始めていた。静奈は昭彦の車に乗り込んだ。シートベルトのバックルが、うまくはまらない。昭彦はごく自然に身を乗り出し、彼女のベルトを留めてやった。その光景が、偶然にも湊の目に飛び込んできた。ギフトボックスを握る彼の指に、わけもなく力が入る。静奈と昭彦の、あの親密な空気が、湊の胸をざわつかせた。「湊?」陸の声が背後から不意
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第77話

彼は車の速度を落としていた。「朝霧君、神崎グループとの提携だが、君はどう思う?」「試してみる価値はあるかと。神崎湊は信頼できそうですが、初めての提携ですし、慎重に進めるべきです。もし神崎グループを選ぶのでしたら、契約期間は短めに設定し、順調なら更新する、という形を提案します」昭彦は笑って頷いた。「僕もそう思っていた。現状では神崎グループが最適解だろう。彼らの販売網と僕たちの技術は互いに補完し合える。うまくいけば、双方に利益がある」二人はさらに仕事の話を続けた。多くの考え方において、彼らは驚くほど波長が合った。昭彦は時計に目をやった。すでに夜の十時近くだった。彼は車をマンションの前に静かに停めた。「もう遅い。部屋に戻って、ゆっくり休むといい」「はい」静奈はドアを開けた。振り返りざま、何かを思い出したようだった。「先輩も、道中お気をつけて」昭彦は手を振り、彼女の姿がマンションに消えていくのを見届けてから、車を発進させた。静奈がエントランスホールに入った、まさにその時。街灯の下に立つ、見慣れた人影に気づいた。彰人が、黒いコートを着て、スープジャーを手に、そこに立っていた。静奈は驚き、思わず足を止めた。「どうして、あなたがここに?」自分の記憶違いでなければ、この場所を教えた覚えはないのに。「おばあさんから、お前に届け物だ」彰人は手にしたスープジャーを持ち上げた。「お前がレンコンとスペアリブのスープが好きだからと、相馬に命じて、午後いっぱい煮込ませたそうだ」静奈は受け取らず、その場に立ち尽くした。「おばあさんには感謝しているわ。でも、今夜はもう、食事を済ませてしまったから」彰人はスープジャーを彼女の眼前に突き出した。「受け取れ。おばあさんからの言付だ」静奈は一瞬ためらったが、それを受け取った。彼女が中へ入ろうとした時、彰人がまだ、その場から動かずに立っているのに気づいた。「……お茶でも、飲んで来て?」それは彼女にとって、単なる社交辞令のつもりだった。だが、彰人の瞳に、意外そうな色が浮かび、彼は頷いた。「ああ」静奈の新しい住まいはわずか六十平方メートルほど。汐見台の邸宅の、寝室一つ分にも満たない広さだ。リビングにはフロアランプが一つ。暖
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第78話

彰人はわずかに眉をひそめた。彼女の言葉には客人を追い返す意図が、あまりにもあからさまだった。彰人はドアまで歩き、ドアノブに手をかけた。「あのスープは温めてから飲め。冷めると不味くなる」「分かってるわ」と、静奈は頷いた。彼の姿が廊下に消えるのを見届けてから、彼女は静かにドアを閉めた。三日後。湊は明成バイオから「提携受諾」の返事を受け取った。会議室。静奈は昭彦の隣に座り、双方の弁護士が契約書に署名するのを見守っていた。ペン先が紙の上を滑る音が、やけに鮮明に響いた。「今後とも、よろしく頼む」湊は率先して立ち上がり、昭彦と握手を交わした。「こちらこそ、よろしくお願いいたします」昭彦は握手を交わした後、電話に出るために席を外した。会議室には一時、静奈と湊だけが残された。湊はスーツの内ポケットから小さな箱を取り出し、静奈の前にそっと押し出した。「お前の物だ。この前、車に忘れていった」静奈は箱の中にある四つ葉のブレスレットを見て、息を呑んだ。あの配車アプリの運転手ともみ合った際に、車内に落としてしまったものとばかり思っていた。まさか、湊のところにあったとは。静奈はブレスレットをバッグに仕舞った。「ありがとう」「どういたしまして」湊は会話の糸口を探した。「そうだ、この前お前に貰った万年筆だが、あれはいいな。前のものより、ずっと手に馴染む」静奈は淡々と言った。「神崎さんの気に召したなら何より」会議室のドアが開き、昭彦が電話を終えて戻ってきた。「神崎社長、これにて契約は正式に締結です。今後の実務的なやり取りは朝霧君に担当させますので、何かあればいつでも」「ああ、承知した」湊は頷き、静奈に視線を移した。彼は携帯電話を取り出した。「朝霧さん。今後の業務のために、連絡先を交換願えるだろうか」静奈は一瞬戸惑ったが、すぐに頷いた。「はい、わかったわ」QRコードをスキャンし、連絡先を交換すると、湊の画面が明るくなった。登録名には「朝霧静奈。明成バイオ」と表示されていた。翌日。静奈が残業していると、突然、雪乃からメッセージが届いた。【週末、チャリティーオークションがあるんだけど、付き合ってくれない?イケメンも、結構来るらしいよ】静奈は思わず苦笑し、呆れた
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第79話

「あの青いスーツの男……あれが、先週の私のお見合い相手」静奈は顔を上げた。陸のあのふざけきった顔を見て、思わず顔が引きつった。雪乃が「信用できない」と言っていたわけだ。陸は御曹司たちの間でも札付きの遊び人として有名だった。確かに、彼のような性格が、所帯を持って落ち着けるタイプには見えない。こちらの視線に気づいたのか、湊もこちらを見た。静奈の姿を認めると、彼はわずかに足を止め、会釈した。雪乃は陸と顔を合わせたくなかったのだろう。静奈の手を引き、会場の隅の席へと移動した。オークションはすぐに始まった。司会者の紹介と共に、一点、また一点と、競売品がスポットライトの下に現れる。静奈は元々たいして興味はなかった。だが、モクレンの花が彫られた翡翠の玉細工が展示台に運ばれてきた、その時。美しい錦の箱が開かれた瞬間、静奈の指が強く握った。その玉細工の紋様も、モクレンの蕾の曲線も、さらには花弁の端にある、あの微かな欠けさえも。母が生前、肌身離さずつけていた、あの玉細工と瓜二つだった。母が亡くなった後、玉細工は失われてしまった。まさか、何年も経って、このような形で再会することになるとは。「最低入札価格、2000万円より」「4000万円」静奈はほとんど反射的に声を上げていた。札を掲げる手は微かに震え、その声には自分でも気づかぬほどの焦燥が滲んでいた。「6000万円」沙彩が、ゆっくりと札を上げた。「8000万円」静奈はためらうことなく値を吊り上げた。沙彩は彰人に向き直った。「彰人さん、あの玉細工、とても素敵。私、欲しいわ」彰人は関心なさそうに展示台を一瞥し、すぐに札を上げた。「2億円」価格はロケットのように跳ね上がった。会場全体から、息を呑む音が聞こえた。雪乃が静奈の袖を引いた。「静奈、もうやめなよ。ただの古い翡翠じゃない。あいつらと張り合ったって、馬鹿を見るだけよ!」少し離れた席で、陸も舌打ちをした。「朝霧静奈の奴、気でも狂ったか?沙彩さん相手に競り合うなんて。彰人がどれだけ沙彩さんにベタ惚れか、見て分かんねえのかよ」湊は黙ったまま、ただ、重い視線を静奈に落としていた。静奈は周囲の声を無視し、番号札を固く握りしめ、さらに値を上げた。「4億円」会場中の視線が、彼女の上
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第80話

彼は静奈が立ち去った方向を見つめ、ふと理解した。彼女が、あれほどまでに固執した理由を。一度は夫婦だったのだ。たとえ縁が尽きたとしても、亡き母への彼女の想いを、あのような形で踏みにじるべきではなかった。先ほどの衝動的な値の吊り上げが、今となってはただひたすらに馬鹿げた行為だったと思えた。帰り道。沙彩は例の玉細工を弄びながら、上機嫌だった。事実が証明している。自分が望むものなら、彰人は何でも与えてくれる。たとえ、それが静奈の宝物であっても。彰人は前方の信号機を見つめていた。青に変わった瞬間、彼が不意に口を開いた。「沙彩、その玉細工をよこせ」沙彩の動きが、ぴたりと止まった。その目に、戸惑いが浮かぶ。「彰人さん、これ、私のために落札してくれたんじゃ」「埋め合わせは別のものでやる」彼はハンドルを切りながら、平坦な口調で言った。「長谷川グループに、数十億規模のプロジェクトがいくつかある。お前の父親の会社に、ちょうどいいだろう。後で担当者を寄越させるように言う。契約させる」玉細工を握る沙彩の指先に、力が入った。心の中では絶対に手放したくなかった。だが、彰人の横顔を見つめ、逆らうことはできなかった。彼女は分かっている。彰人は自分に損をさせるつもりはない。数十億のプロジェクト。それさえあれば、父の会社はさらに上のステージへ行ける。彼女はわざと寛大なふりをして、玉細工を差し出した。「分かったわ。静奈がそんなに欲しいなら、譲ってあげる」一方、雪乃は静奈と共にタクシーの後部座席に座っていた。車窓の外のネオンが猛スピードで流れ、静奈の顔を、明るく、そして暗く照らした。雪乃は心配になり、彼女の顔を覗き込んだ。「静奈、本当に大丈夫?」静奈は口の端を引きつらせ、無理やり笑みを作った。「大丈夫。ただの玉細工」彼女は窓の外を流れる景色を見つめ、淡々と言った。「多分、私とは縁がなかったのよ。無理に手に入れようとしても、ね」そうは言ったものの、服の裾を握りしめる彼女の指先は白くなっていた。あの玉細工には母との思い出が詰まっているのだ。それなのに、法的な夫であるあの男が、自らの手でそれを奪い取り、仇の娘に与えた。考えただけでも、喉の奥が詰まった。静奈が家に着いた途端、携帯が鳴った。彰人からの着信だった
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