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All Chapters of 血と束縛と: Chapter 1501 - Chapter 1510

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第42話(32)

 自分たちがいると不審がられるからと、寒いのに店の外で待っていた組員たちと合流し、駐車場へと向かう。 途中、頬にぽつりと冷たい粒が落ち、反射的に空を見上げる。ここに来るまで雨が降りそうだと思っていたが、そろそろ危なそうだ。 車に戻った和彦は、もう寄るところはないからと組員に声をかけ、マフラーを外す。秦から受け取った紙袋にちらりと視線を向けてから、余計なことを聞くのではなかったと後悔していた。 秦と中嶋の仲がこじれたままだとしても、二人で解決してくれなどと言ってしまった手前、首を突っ込むべきではない。そう、頭では理解しているのだが、こじれる瞬間を目の当たりにした身としては、まったく知らん顔をするのは道義にもとる気もする。 秦はともかく中嶋は、裏の世界での数少ない友人なのだ。 コートのポケットから携帯電話を取り出し、少しの間見つめていた和彦だが、低く一声唸ってから電話をかけた。** ドアを開けた中嶋の顔を一目見て、和彦は目を見開く。口を開こうとしたところで、素早く腕を掴まれて玄関に引き込まれた。ドアが閉まる寸前、部屋までついて来てくれた組員に、車で待っていてくれと早口で告げた。 中嶋が不自然に顔を背けようとしたので、容赦なくあごを掴んで阻む。それからじっくりと、顔を覗き込んだ。「――……これは確かに、人前には出られないな」 左頬が赤紫色になって腫れており、只事ではない事態が中嶋の身に起こったとわかる。ハンサムな顔が台無しだ。 秦と別れたあと、車中から中嶋に電話をかけて話したとき、和彦は漠然とした違和感を感じた。その違和感を無視できなくて、結局、本宅に戻るのをやめ、こうして中嶋のマンションに押し掛けてきたが、その判断は間違っていなかったようだ。 中嶋のほうは、隠し通そうとしたものがバレてしまい、甚だ不本意そうではあるが。「先生、勘がよすぎですよ……」「医者を舐めるな。電話越しに、君の話し方がいつもと違うと思ったんだ。それだけ腫れてたら、口も開けにくいだろ」 中嶋は否定せず、部屋に上がるよう言ってくれた。
last updateLast Updated : 2026-08-09
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第42話(33)

 精悍な体つきと不遜な眼差しが印象的な加藤と、見た目はまるで苦労知らずの大学生のようだった小野寺の顔が、同時に蘇る。中嶋は、加藤と体の関係を持っており――。 和彦が向けた胡乱な視線に気づいたらしく、中嶋はわずかに目を逸らした。「若い奴らは、本当に血の気だけは多くて、嫌になりますよ。殴り合いの原因も、どうやら小野寺が、俺のことで加藤にちょっかいをかけたらしくて。でも二人とも、はっきりとは原因を言わないんですよ。周囲にいたのが、俺より下の連中ばかりだったから、大ごとにならなくて済みましたけど。上にバレたら、二人とも隊からつまみ出されても不思議じゃなかった」「どっちが、君を殴ったんだ」「加藤です。正確には、加藤が小野寺を本気でぶちのめそうとして、俺が割って入ったんです。あいつ、格闘技やってるから、下手すりゃ、小野寺を殺しかねない。それで俺がこの様です」「よく、それで済んだな……」「寸前のところで、加藤が手を止めようとした結果です」 二人は同じタイミングでソファの背もたれに体を預け、息を吐き出す。 中嶋が、今日の秦からの誘いを断った理由は、これで納得できた。殴られた顔を見られたくなかったというのもあるだろうが、事故にせよ加藤から殴られたという事実を、秦の眼前に突き出すわけにはいかなかったのだろう。「――……こういうお節介は性に合わないんだが、秦と別れるつもりなのか?」「あの人から言い出すならともかく、俺からは、そのつもりはまったくありませんよ」「だったらどうして……」「秦さんらしくない行動を目の当りにしてから、今さらながら、合わせる顔がなくて。……自慢じゃないですけど、俺、前は二股、三股なんて当たり前だったんですよ。仕事みたいなものでしたから。だから、自信があった。上手くやれる。割り切れる。本気ではあるけど、溺れるような関係にはならない、って」「どちらとも?」 中嶋は自分の頬を撫で、頷いた。「どちらとも」「それで結局、どちらとの関係に溺れたんだ」「&hell
last updateLast Updated : 2026-08-09
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第42話(34)

 中嶋の顔を見ないまま告げて、なんとか腕を抜き取ろうとしたが、どんどん体重をかけられる。立ち上がるどころか、和彦の体は半ばソファに沈み込もうとしていた。冗談めかしているが、中嶋は本気だ。 相手が相手ということもあり、ムキになって抵抗もできない。逡巡した挙げ句、和彦は深々とため息をつくと、中嶋の腫れていないほうの頬にそっと触れた。「人恋しいのか?」 中嶋は目を丸くしたあと、ニヤリと笑った。「いいえ。欲求不満です」 呆れた、と洩らした和彦の唇に、中嶋が吸い付いてくる。少し体温が高いことに気づき、こうして中嶋と触れ合うのはいつ以来だろうかと考える。確か、まだ暑い盛りだった頃で――。 口腔に舌が入り込んできて、余裕ない動きに誘われるようについ応えてしまう。秦に恨まれるかもしれないと、そんなことがちらりと頭の隅を掠める。知らず知らず目元を和らげた和彦に、中嶋が拗ねた口調で言う。「子供の駄々につき合っている、みたいな顔をしないでください。元ホストとしては、けっこうプライドが傷つくんですが」「現役ヤクザとしては平気なのか?」「ヤクザを手玉に取るのは慣れてるでしょう、先生」「……人をなんだと思ってるんだ」 答えはなく、再び唇を塞がれる。熱い舌に感じやすい粘膜を舐め回され、合間に激しく唇を吸われる。その頃には和彦の体は、完全に中嶋に押さえ込まれていた。ただ、切迫したものは感じない。 自分は今、中嶋に甘えられているのだと察したとき、平気なつもりだった和彦の体に仄かな熱が生まれる。我ながら度し難いと言うべきか、見境がないと言うべきか。 中嶋にシャツのボタンを外され始めたところで、和彦はコートのポケットをまさぐり、なんとか携帯電話を取り出す。車で待っている組員に電話をかけ、申し訳ないがまだ時間がかかりそうだと言っておく。中嶋はこの状況をおもしろがっているのか、いきなり下肢に触れてきたため、危うく和彦は素っ頓狂な声を上げそうになる。「な、に、してるんだっ……」「時間、かかるんですよね?」 挑発的な眼差しで見つめられ、返す言葉が見つからない。
last updateLast Updated : 2026-08-10
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第42話(35)

 ふっと笑みをこぼした和彦は、中嶋に肩を引き寄せられて、再び唇を重ねる。差し出し合った舌を絡め、唾液を交わしながら胸元をまさぐられる。興奮しきって尖った胸の突起を、指で挟むようにして愛撫される。鼻から吐息を洩らすと、中嶋が小さく笑った。「ダメですよ。そんなふうにされると、俺が先生の中に入りたくなる」「よく言う。今は、そんな気分じゃないんだろ」 あえて挑発的な物言いをしてみると、中嶋の目の色が変わった。 焦れたように中嶋が身じろいだため、内奥から指を引き抜く。「先生、後ろから……」 そう言って中嶋がうつ伏せとなり、腰を上げる。和彦はためらうことなく、滑りを帯びてひくつく内奥の入り口に、自らの欲望の先端を押し当てようとする。そこで、大事なことを思い出す。「あっ、ゴム……」「俺は、構いませんよ?」 頭を上げた中嶋に婀娜っぽく笑いかけられて、和彦はそれ以上は何も言わず、濡れた肉を自らの肉で押し広げた。「あううっ」 声を洩らしたのは二人同時だ。自分が男になる瞬間の感覚はやはり強烈で、〈オンナ〉として得る快感に慣れ切った身には、怖さすら覚える。だが、抗い難い魅力がある。 中嶋の引き締まった腰を掴み、緩やかに突き上げる。内奥が複雑に蠢きながら、和彦の欲望をきつく締め付けてくる。律動に合わせてしなる背は、確かに男のものなのにひどく艶めかしく、和彦は目を奪われる。男たちの目に映る自分の姿も想像してしまうのだ。 繋がりを深くしてから、中嶋の尻から腰、背にてのひらを這わせる。小さく呻き声が上がり、卑猥に中嶋の腰が揺れた。和彦はゆっくり目を細めると、中嶋の両足の間に片手を差し込み、反り返って震えている欲望を掴む。内奥を丹念に突きながら、じっくりとてのひらで擦り上げてやる。 先端から、悦びの証であるしずくがトロトロと垂れ落ちていく。和彦は爪の先で優しく先端を苛めてやり、間欠的に上がる嬌声を心地よい響きとして聞く。引き絞るように内奥が収縮し始めたので、やや乱暴に欲望を抜き差しし、はしたない湿った音と、肉を打つ音を立てる。そこに、二人の弾んだ息遣いが重なる。
last updateLast Updated : 2026-08-10
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第42話(36)

 行為の余韻と脱力感にしばらく浸っていたいところだが、そんな時間はない。 引きずるようにして体を起こすと、今度こそティッシュペーパーを取って後始末をする。背後にぴたりと中嶋が身を寄せてきて手を伸ばしたので、ティッシュペーパーの箱ごと渡してやった。 ほんの数分前まで、獣じみた欲情に駆り立てられていたなどと信じられないほど、淡々としていた。その代わり、気恥ずかしさもない。それは中嶋も同じなのか、ちらりと背後をうかがうと、気だるげではあるが落ち着いた横顔を見せている。ふと目が合ったとき、するりと言葉が出ていた。「今日、クリスマスプレゼントを買いに、あちこち駆け回ってたんだ」 中嶋は目を丸くしてから、へえ、と洩らす。「先生は渡す相手が多くて大変でしょう」「……秦と同じことを言うんだな」「先生を知っている人間なら、十人が十人、同じことを言うでしょうね」 和彦は軽く咳払いをすると、シャツを取り上げる。「君へのプレゼントも手配したんだ。秦のあの部屋に届くようにしてある。クリスマスにでも取りに行ってくれ」 一瞬の沈黙のあと、抑えた笑い声が聞こえてくる。「今のこの状況で、それを言いますか、先生」「顔を合わせるにも、きっかけが必要だろ。あっ、できればプレゼントは、二人が揃って開けてくれ」「――……そんなふうに言われたら、気になるじゃないですか。プレゼント、なんですか?」 和彦は聞こえなかったふりをして、手早く身支度を整え、ジャケットとコートを抱えて立ち上がる。ベッドを離れる前に、中嶋の腫れた頬に触れて諭した。「切れ者のようで、たまに秦はポンコツなところがあるから、君が気を回してやれ。君は、総和会の中での数少ない、ぼくが信頼できる人間だ。その君に不安定になられると、ぼくが困る。加藤くんとの関係も含めて」「先生は甘くて優しい人かと思えば、妙に食えない面がありますよね。そこがまあ、気に入っているんですが」 部屋を出ようとした和彦に、最後に中嶋が気になることを教えてくれた。それは、他愛ないともいえる報告ではあったのだが、なぜだかやけ
last updateLast Updated : 2026-08-10
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第43話(1)

 顔を強張らせた和彦は、咄嗟に言葉が出なかった。 総和会本部の守光のもとに、ただ顔を見せに行って終わりとは、絶対にならない。そう確信できるだけの経験を、和彦は積み重ねてきた。 浮き立った気分は一瞬にして萎え、視線を伏せる。「――和彦」 こんなときでも魅力的なバリトンで呼ばれ、ハッとする。気遣うような賢吾の眼差しを、正面から受け止めた。「不安そうな顔をするな。まるで俺が、お前を苛めているみたいだ」「そんなことは……」「知らせたくはなかったが、一応、な。年末のことを考えて神経をすり減らしているお前が、今日はいじらしくストレス解消をしていたと聞かされていたんだ。何事もなかった顔をしてやってもよかったが、結局は、お前に伝えなきゃいけねーことだ」「……今日は病院に行ったあと、千尋と買い物をしてきたんだ。それに、秦と会って、早めのクリスマスプレゼントをもらった。ぼくもそろそろ、あんたたちへのプレゼントをしないとと思って、本人に何が欲しいか聞くのがいいか、それともぼくが選んだものでいいか迷ってるんだ」 堰を切ったように取り留めなく話し始めた和彦だが、自分でも何を言っているのかわからなくなる。今あえて、賢吾に伝えるべきことではないのは確かだ。「けっこう、いい日だったんだ……」「すまねーな。水を差しちまって」「別に、あんたが謝ることじゃない。――それで会長は、いつぼくに来いと?」「いつ、とは言わなかった。そういうところが、オヤジはいやらしいんだ。こちら……というか、お前を試してるんだ。飛んでやってくるか、ギリギリまで粘るか。命令するのは容易いが、それじゃあおもしろくないんだろ」 いつになく険を含んだ賢吾の物言いに、聞いている和彦のほうが不安になってくる。 父子の間に何かあったのではないかと、尋ねていいものか逡巡していると、和彦の素振りから察したのか、賢吾が唇の端に微苦笑を刻む。「オヤジは、年末からのことを考えているはずだ。お前を、長嶺組からじゃなく、総和会から送り出したいんだろう
last updateLast Updated : 2026-08-10
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第43話(2)

「長嶺の男は、土曜日でも忙しいな。悪かったな。今日は連れ回して」「ううん。ついて回ったのは、俺だし。それに楽しかった」 帰宅したのなら、千尋もこれから入浴か夕食をとるのだろうかと思ったが、まだ仕事は終わりではないようだ。賢吾の部屋がある方向を指さして、肩を竦めた。「ボスに、報告がある」 この呼び方は新鮮だ。和彦がくすっと笑い声を洩らすと、千尋が何かに驚いたように、顔を近づけてきた。「千尋?」「なんか、昼間別れたときと、和彦の雰囲気が違う。いや、顔つき、かな。キリッとしてるというか、ちょっとキツイ感じというか……」 何かあったのかと、眼差しで問われる。和彦は視線を泳がせながら、つい自分の顔に触れる。〈雄〉になった影響だと、すぐにわかった。千尋に勘づかれるということは、賢吾に至っては確信すら持っているだろう。「まあ、ちょっと……。何か嫌なことがあったとかじゃないから、気にしないでくれ」 納得したのか、そうでないのか、ふうんと声を洩らした千尋は深く追及してはこなかった。あとで晩メシを一緒に食べようと言い置いて行こうとしたので、咄嗟に和彦は呼び止める。 自分でもどうしてそうしたのかわからなかったが、首を傾けて待つ千尋に、この際だからと切り出してみた。「お前、昨日は総和会の本部に顔を出したんだよな?」「うん。年末に総本部である締会の打ち合わせ。今年は俺も顔を出せと言われてるから、ちょっと勉強をしてたんだ。実は今日も」 それがどうかしたのかと返される。和彦は口ごもりかけたが、誤魔化したところで、千尋が余計に勘繰るだけだ。「――……最近、総和会の様子はどうだ」「どうって、ずいぶん抽象的な質問だね。何か気になることあるの?」「えっと……、ちょこちょこと小耳に挟んだことがあるから、どうかなって」 千尋は頭を掻いて考える素振りを見せたが、すぐに大きなため息をつくと、さりげなく窓の側へと寄る。和彦も倣い、庭園灯がぼんやりと灯る中庭に、二人揃って目を向けた。「少
last updateLast Updated : 2026-08-10
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第43話(3)

「してないよ。さすがに呼び捨ては……。総和会の領分に入ったら、悔しいけど南郷とは天と地ほども立場が違う。俺は後ろ盾があるから、総和会の中でも堂々歩けて、南郷も恭しく接してくるけどさ」 ここまで話したところで、組員が廊下を渡ってくる。どうやら和彦を探していたらしく、こちらの姿を認めると、ススッと側にやってきた。「申し訳ありません。お話し中。――先生、お風呂の用意ができてますが」 客間に着替えを取りに行く途中だったことを思い出し、すぐに向かうと応じる。「じゃあ、千尋、あとでな」 和彦が行こうとすると、背後から千尋がどこか投げ遣りな口調で言った。「第二遊撃隊の若い奴から聞いたけど、南郷、ここ何日か隊員の前に姿を見せてないらしいよ。じいちゃんは何か知ってるかもね。電話で話してたから。……何企んでるんだか」 最後の一言はどちらに向けてのものか、なんとなく聞けなかった。和彦が頷いて返すと、千尋はまた表情を一変させ、人懐こい笑顔を向けてきた。「一人で風呂入るの寂しかったら、二階の風呂使ってもいいよ。俺がすぐにあとから飛び込んでいくから」「……安心して、『ボス』とじっくり話してこい」 千尋は大げさに肩を落とすと、賢吾の部屋へと向かった。**** 守光が『会いたい』と言うのなら、何を差し置いても本部に顔を出すべきなのだろうが、賢吾がやや積極的に引き止めるせいもあり、それを言い訳にして和彦は行動に移せていない。 一応、日曜日の午前中は出かける用があり、さらに午後からは、一息つく間もなく賢吾によって連れ出されてしまったため、多忙ではあったのだ。和彦は忙しい身なのだと、罪悪感を抱かなくて済むよう、賢吾は既成事実を作ってくれたのかもしれない。 週が明けてしまえば、和彦にはクリニックの仕事があり、少なくとも日中から呼び出されることはない。もっとも、仕事終わりに有無を言わせず総和会本部に連れて行かれることは、これまで何度もあったが――。 いつも通り、仕事終わりに迎えに来てくれ
last updateLast Updated : 2026-08-11
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第43話(4)

 和彦が口を開きかけたとき、宮森の手がそっと肘にかかって促される。前の女性客がいなくなり、和彦の番になっていた。しかし、賢吾から頼まれた通りの品を淀みなく注文したのは宮森だった。さらに、イートインコーナーの利用と、二人分の紅茶とチョコレートケーキも。 てきぱきと支払いまで終えた宮森に言われるまま、和彦はふらふらと店の奥へと移動する。すると、待っていたようなタイミングで、スーツ姿の男二人が素早く立ち上がった。鷹揚に頷いた宮森が、空いたばかりのテーブルを示す。 和彦は、テーブルの上の片付けが終わるまで、半ば呆然として宮森を見ていた。ここまでスムーズに物事が進むと、さすがに察しないわけにはいかない。 つまり今の状況は、賢吾と宮森の間で打ち合わせ済みなのだ。だから、和彦の護衛を務める組員も、店までついてこなかった。 これは安心していいのだろうと、和彦は詰めていた息をゆるゆると吐き出す。いくらか落ち着いて、正面の席についた宮森を見つめ返すことができた。 寸前までこのテーブルについていた男たちとは対照的に、宮森の格好はラフだった。羽織っているステンカラーコートの下はハイネックのニット、チノパンツという装いで、散歩帰りにこのケーキ屋に立ち寄ったというふうに見える。堅気の中に上手く溶け込んでいるようだが、しかし、溶け込みすぎて不自然さを感じる。 和彦の知る組関係者は、容貌を含めて際立った個性を持つ男たちが多い中、宮森は一見すべてにおいて凡庸だった。ごくごく普通の顔立ちに痩躯で中背。まっとうな勤め人のような険のない落ち着いた雰囲気。年齢は四十代前半から半ば。 凡庸さの中に、鋭すぎる本性を隠しているようで、本能的に畏怖めいた感情を抱いてしまう。 和彦が臆病だからこそ働く勘なのか、それとも、身構えすぎているだけなのか。これまで顔を合わせても二、三言、挨拶しか交わしてこなかったため、判断がつきかねた。しかし今――。 宮森がイスに座り直した拍子に、きれいにセットされている髪が一筋、額に落ちる。スッと髪を掻き上げる一連の仕種をなんとなく目で追った和彦だが、このとき、宮森の左手に小指がないことに気づいた。心臓に冷たい針を打ち込まれたようで、一瞬息が止まる。 見てはいけない
last updateLast Updated : 2026-08-11
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第43話(5)

 初めて、宮森の声音に感情が混じる。「本宅にうかがうつもりだったが、堅苦しいことはやめておけと長嶺組長に言われて、こうしてお膳立てをしてもらうことになった」 賢吾に対してずいぶん砕けた物言いをしているなと思っていると、宮森が手短に説明してくれた。 年齢が近いこともあり、昔から側で仕事をさせてもらっていたこと。かつては賢吾の護衛も務めていたこと。宮森本人は口にしなかったが、つまり賢吾と親しい間柄なのだろう。「昨日も、わたしの甥――優也を診てくれたと聞いた。ひどかった咳も完全に治まって、もう大丈夫だと……」「ええ。一時はどうなるかと思いましたが、ぼくも安心しました。城東会の組員の方が、よくお世話をされていたようですね。初日以外は、部屋がきれいで、冷蔵庫の中にはいろいろ入ってて」「うちの者が部屋に入っても、優也は何も言わなくなったんだ。格段の進歩だ。前は、怒鳴りまくって、部屋にも入れてもらえなかったから」 玄関のドアのチェーンも、そろそろ直して大丈夫ではないかと、和彦は控えめに進言しておく。優也の部屋を訪ねるたびに、恨み節を聞かされていたのだ。 宮森が口元を緩め、感心したように洩らした。「長嶺組長から聞かされていた通りだ。人間嫌いの相手に、うちの先生はちょうどいいだろうと言っていた」「そんな、ことを……」「冷めている部分と、どうしようもなく甘い部分を持ち合わせているから、お前の甥っ子に何かしら刺さるはずだと」 宮森は人さし指で、自分の心臓の真上辺りを指し示す。「三田村にも刺さったんだろう。〈あれ〉は元は、執着というものを持たない男だった。ひどい言い方だが、だからこそ使い勝手がよかった」 ヒヤリとするようなことを言った宮森が、ようやくチョコレートケーキを口に運ぶ。一方の和彦は急に口中の渇きを意識して、紅茶を一口飲んだ。「正直、いままでの優也の扱いが正しいのかどうか、わたしはずっと悩んでいた。部屋に閉じ込めておくのは簡単だが、さて、こんな仕事をしている身で、わたしは一生、優也の面倒を見てやれるのか。いっそのこと、無理やりでも外に引きずり出
last updateLast Updated : 2026-08-11
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