All Chapters of 手遅れの愛、妻と子を失った社長: Chapter 171 - Chapter 180

478 Chapters

第171話

「まずはあなたに聞けって言われたの」柚香は弘志の言葉に合わせてそう言った。弘志は全身から張りつめた空気をまとい、結局、絞り出したのはただ一言だった。「その人って、誰だ」柚香は何も答えなかった。彼が答えない限り、自分も何も話さない。そんな意思がはっきりと伝わってくる。「美玖か?」弘志は、まず一番あり得そうな相手から当たりをつけた。柚香の表情を見逃さないようにじっと見つめる。「あいつなのか?」「美玖おばさんも知ってるの?」柚香は眉をひそめた。その反応に、弘志は自分の推測が外れたと思った。だが、美玖でないなら、いったい誰が柚香にそんな話をしたのか。そもそも、その目的は何なのか。「どこまで知ってるの?」柚香はさらに問い詰め、彼に疑う余地を与えない。弘志は少しずつ感情を押し殺した。「自分で聞けばいいだろ」ここまで来て、柚香もこれ以上聞いても無駄だと分かった。美玖が話した内容のうち、どこまでが本当なのか。それさえ分かればいい。「直接聞きに行く」彼女はここに長くいるつもりはなかった。この件のせいで、胸の中に重たいものが増えていた。「それと、あなたとお母さんのことも、ちゃんと調べるから」そう言い残し、彼女は振り返らずに歩き出した。怜人は視線を引き戻し、その後を追う。隣に並んで歩きながら、何気ない口調で聞いた。「もう聞かないの?」「聞いても、どうせ何も話さない」「俺、手伝えるけど」「さっきの様子見てたでしょ。どんなに追い詰めても、言いたくないことは絶対に言わない人だよ」柚香は父親のことをそれなりに分かっている。「無駄だよ」怜人は少し考えた。たしかに、そんな感じだった。二人で車に乗り込む。どこか思い詰めたような柚香の横顔を見て、怜人が尋ねる。「このあと、病院でお母さんの様子見るの?」「一人で行く」柚香は、やっぱり母に会いたい。たとえ今は何も話せなくても、何の反応も返ってこなくても、それでもそばにいたい。怜人はエンジンをかけた。「俺も行くよ」それから、車はスムーズに走り続ける。さっき聞いた話を思い出しながら、怜人がふと口にした。「さっき言ってた『報酬』って、どういう意味だ? 親が子どもを育てるのって、普通は当たり前の責任だろ」「私もよく分からない」柚香は、少し整理できたこともあれば、逆
Read more

第172話

「どうでもいい人」怜人はその言葉に引っかかった。柚香は眉を少しひそめる。自分が両親の間に生まれた子じゃないなんて、どうしても現実味がなかった。赤ちゃんの頃から大人になるまで、毎年の写真は全部残っているし、父だって昔「母を落とすまでかなり時間がかかった」と言っていた。もしそれが本当じゃないとしたら、両親の関係は、いったい?「その答えを知る一番簡単な方法がある」怜人は恋愛以外のことになると、とにかく行動が早い。「お父さんとDNA鑑定をすればいい」ピッ――背後からクラクションが鳴り、急かされる。怜人はそこでようやく車を発進させ、再び走り出した。「ちょっと考えてみる」柚香の中ではすでに考えはまとまりつつあった。まずは美玖にそれとなく探りを入れてみるつもりだ。直接会って話せば反応で分かるはずだが、今は離れているからビデオ通話しかない。この件は彼らだけでなく、別の場所でも話題になっていた。二人が出て行った直後、時也は盗聴していた内容を遥真に渡し、ついでに電話で少し噂話をした。「君の義母さん、なんかどんどん謎が深くなってないか?」遥真はまだ全部を聞き終えていない。時也はさらに続ける。「もしかして橘川グループって、彼女が作ったんじゃないのか?」「あり得るな」遥真はそう答えた。橘川グループが設立された頃、彼はまだ幼かったが、後からその発展の経緯は調べたことがある。立ち上がりの勢いはすさまじく、わずか数ヶ月で京原市にしっかりと根を下ろした。本来ならそのまま成長していけば、久瀬グループとほとんど変わらない規模になっていてもおかしくない。だが、なぜか途中から失速していった。「この話からすると、弘志と安江の関係も、表向きほど単純じゃなさそうだな」時也はすっかりゴシップモードだ。「養女を引き取ることが安江への報酬ってのも、どう考えても妙だし」その頃、遥真はまだ久瀬グループ本社の社長室にいた。深い瞳にわずかな思考の色が浮かび、整った顔立ちは静かに沈んでいる。しばらくして、彼の中で一つの仮説が形になり、恭介を呼び入れた。「社長」恭介は丁寧に頭を下げる。「弘志と柚香のDNA鑑定を手配してくれ」遥真は落ち着いた声で指示を出した。その黒い瞳は何も読み取らせない。「それと、弘志と安江がいつ結婚したのかも調べろ」「承知し
Read more

第173話

遥真はしばらく黙ってから、答えを出した。「あと五日やる。それで何も進展がなければ、そのときに彼女を呼べ」時也は正直、そんな猶予はいらないと言いたかった。五日どころか、一ヶ月あったところで、突破口が見つかるとは思えなかったからだ。「柚香のお母さんって、どこかの名家の出身だったりしない?」雑談がてら、ふと思いついたように言う。「ここまできれいに痕跡が消えてるの、普通の家じゃありえないだろ」「まずは調べろ」遥真は進展がないまま軽々しく結論を出すタイプではない。時也は「了解」と言って電話を切った。遥真はオフィスで、もう一度盗聴の内容を聞き直した。あの義母がただ者じゃないのは間違いない。だが、由緒ある名家の中に「橘川家」は見当たらない。その考えを抱えたまま、彼は高橋先生に電話をかけた。着信を見た高橋先生は、柚香や怜人に「ちょっと電話に出ます」と一声かけて病室を出ると、丁寧な口調で応じた。「久瀬社長」「この前、病院に来ていた男は、その後また現れたか?」と遥真が聞く。「来ました」高橋先生は隠さず、すべてをそのまま伝えた。「前回と同じで、病室に三十分ほどいてから帰ったそうです。私はあとから看護師たちに聞きました」遥真はわずかに眉をひそめる。マウスを動かし、以前の監視映像を開く。画面の中の男に視線を固定した。やはり、あの顔には見覚えがある。――誰に似ている?「久瀬社長?」高橋先生が様子をうかがうように声をかける。「今後はあの病室の管理を強化してくれ。柚香以外が入る場合は、全員記録を取る」視線は画面から外さないまま、声だけが低く落ちた。「もしあの男が来たら、すぐに俺に連絡を」「分かりました」遥真は短く返して電話を切った。高橋先生はグループにメッセージを送り、指示を共有してから病室へ戻った。その頃、柚香は母の手を握りながら話しかけていた。彼が入ってくると、いつものように体調データのことを聞く。「母の数値、最近よくなってきてますか?」「はい、良くなっています」高橋先生は正直に答えた。「本当ですか?!」柚香はぱっと表情を明るくする。「変化は大きくありませんが、前よりは確実に良くなっています」やわらかな視線でベッドを見つめながら、高橋先生は微笑んだ。「毎日こうして話しかけているのが、きっと効
Read more

第174話

怜人は、危険が迫っていることにまったく気づいていなかった。とりとめもなく柚香と話しながら、ずっと彼女をからかってリラックスさせようとしている。ブブブ――スマホの振動音が鳴り響いた。その音に、二人は同時に視線を向ける。怜人はポケットからスマホを取り出し、画面に表示された相手を見た瞬間、ほんの一瞬だけ目の色が変わった。けれどすぐに、ためらいなく通話を切った。「誰?」柚香が聞く。「セールス」柚香「???」怜人はいかにも本当らしく言う。「この前ちょっと買い物したら、それ以来しつこい電話が増えてさ。ブロックしてもキリがないんだよ」柚香は深く考えず、そのまま信じた。けれど次の瞬間。またスマホが鳴った。今度はメッセージだった。送り主は矢野怜人の父親で、内容はたった一行。【30分以内に帰ってこい。でなければ、久瀬遥真との提携に同意する】怜人「……」「用事あるなら行っていいよ」柚香は彼の表情を見て、そのメッセージが大事なものだと察した。「こっちは大丈夫だから」「親父からだ」怜人は隠さず言う。「見合いしろってさ。ほんと面倒くさい」柚香は少し様子をうかがうように聞いた。「もう仲直りしたの?」「一生無理」怜人は即答だった。心の底からうんざりしているのがわかる。「あの人のことは放っておけばいい。どうでもいいから」柚香はそれ以上、何も言わなかった。怜人と彼の父親のことは、彼女も真帆もだいたいの事情しか知らない。けれど、二人とも同じことを思っていた。自分たちが知っている以上に、彼は何かを隠しているはずだと。でなければ、こんなにも長い間、あそこまで露骨に嫌うはずがない。それでも、あえて聞かなかった。誰にだって、触れられたくないことはある。友達だからこそ、踏み込まないほうがいい。「行こ」柚香は母親に布団をかけ直してから言った。「夕飯、私がおごるよ」「いいね」怜人はさっと立ち上がると、さっきの電話やメッセージのことなどまるで気にしていない様子で、すぐに一緒に出て行った。遥真は、二人が並んで去っていくのをただ見ているしかなかった。しかも、夕食の約束までして。彼の目は、どんどん深く沈んでいく。やがて恭介を呼び、低い声で指示を出した。「どんな手を使ってもいい。柚香と怜人の夕飯を台無しにしろ。損害が出た
Read more

第175話

柚香はそのとき、キッチンで忙しく下ごしらえをしていた。細くてきれいな指で野菜を洗い、切っているのを見て、怜人は思わず隣に来て手伝い始める。ふと、胸の内が少し複雑になった。「このところ、ずっと自分で料理してるのか?」「うん」柚香は頷いた。「家政婦、頼もうか」「いいよ」柚香はきっぱり断る。手際よく作業を続けながら、「これは成長するいいチャンスだし」怜人「……」怜人は彼女の手から包丁を取り上げた。「俺がやる」「せっかく私がごちそうするって言ったのに、それじゃ意味ないでしょ」柚香は本気で彼をもてなすつもりだった。「君の料理で命落としたくないしな」怜人は、柚香や真帆といるときは大抵こんなふうに言い合いになる。「安全のためにも、自分でやった方がいい」柚香は呆れたように返す。「自分の料理なら安全って言い切れるの?」「俺、一応調理師免許持ってるから」柚香「え?」最初は信じていなかった柚香も、彼が次々と見た目も香りも完璧な料理を仕上げていくのを見て、さすがに納得した。怜人は出来上がった一品を彼女の前に差し出す。全身から自信があふれていた。「ほら、食べてみ。俺のほうがうまいだろ」柚香は箸で少しつまんで口に運ぶ。――え?目がわずかに見開かれ、驚きがそのまま表情に浮かんだ。「どう?めちゃくちゃうまいだろ!」この分野に関しては、怜人はかなり自信がある。もともと味にうるさい彼が「うまい」と思うものは、柚香も真帆も例外なく認めてきた。いつか柚香の胃袋をつかむために、かなり努力して腕を磨いてきたのだ。柚香は親指を立てた。「いいね!」怜人はさらに得意げに笑う。柚香は料理を一皿ずつテーブルに並べ、茶碗と箸を二人分用意する。ちょうど食べようとしたそのとき、玄関のドアがノックされた。怜人が立ち上がってドアを開けながら聞く。「誰?」目に入ったのは、すらりとした遥真の姿だった。無表情のまま玄関に立ち、怜人が出てきても、特に感情を見せることはない。怜人は何も考えず、バタンとドアを閉める。だが遥真が手で押さえる。怜人は力を込めて閉めようとする。二人で押し合いになり、ドアはびくともしない。「何やってるの?」ご飯をよそって出てきた柚香は、怜人が全力でドアを押さえているのを見て近づいた。「外、誰?」その言葉が
Read more

第176話

遥真は柚香の手から袋を受け取り、脇に置いた。袖をまくって前腕を半分ほど見せたまま、箸を手に取り、いちばん近くにあった料理に手を伸ばす。――うん。味はなかなか悪くない。怜人に食べさせるには、もったいないな。「遥真」柚香は、彼が少し図々しく感じて声をかけた。「いいよ、食べさせてあげなよ」怜人はまったく気にした様子もなく、立ち上がって新しく箸と茶碗を取りに行く。「こんなにあるんだし、一人分くらい増えても問題ないよ」遥真の箸がぴたりと止まる。その言い方……まるで自分が部外者みたいじゃないか。「そんなに俺を追い出したいのは、二人の間に何か隠してることでもあるんじゃないのか?」理由もなく、胸の奥から苛立ちが広がり、思わず口が滑った。「誰もがあなたみたいな人じゃないから」柚香はすぐに言い返す。「怜人も玲奈みたいな人じゃない!」遥真の目が、さらに暗く沈む。――怜人、ね。ずいぶん親しげに呼ぶじゃないか。彼はわずかに視線を上げ、ゆっくりと、しかし圧のある声で問いかけた。「玲奈は、どんな人なんだ?」「恥知らずで、既婚者と分かってて関係持つような人」柚香は遠慮せず、はっきり言い切った。遥真は墨のように黒い瞳を怜人へ向ける。その鋭い視線は、まるで相手の中身を見透かそうとするかのようだ。「じゃあ矢野社長は?相手が既婚者だと知っていながら、夜に家まで来るのは何て言うんだ?」「私たちは友達だから」柚香は言う。「俺と玲奈も友達だ」遥真は彼女の言葉をそのまま返した。「『友達』って言葉を汚さないで」柚香は呆れたように言う。「異性の友達とキスしたり、一緒に寝たり、同棲したり、しかも離婚もしてないのに『一生面倒見る』なんて言う人、どこにいるのよ」「夫に黙って、異性の友達を家に呼ぶ人も見たことないけどな」遥真は弁解しようともしない。一瞬で空気が張り詰めた。互いに一歩も引かない。怜人は頬杖をつき、相変わらず気楽な様子で口を開く。「ねえ、久瀬社長」遥真の冷えきった視線が彼に向く。「人からもらった手前、文句も言えないってことだろ」怜人は、彼がさっきつまんだ料理を見ながら、軽い調子で言った。「こんだけ俺の料理食べといて、その言い方はちょっとひどくないか?」遥真「……?」遥真は表情を変えずに返す。「君の?
Read more

第177話

「もう報いが来てるでしょ?」柚香はまったく動じなかった。遥真の目がわずかに暗くなる。彼女が言っているのは、自分と玲奈のことだと分かっていた。「まさか二千円すら払えないわけじゃないよな、久瀬社長?」怜人が横から口を挟む。「どうする?俺が柚香ちゃんに頼んで、チャラにしてもらおうか?」「いいよ」遥真はあっさりと言った。怜人の笑みが一瞬で固まる。柚香「……」遥真は箸を置いて立ち上がり、自分のジャケットと、そばに置いてあった陽翔のパジャマが入った袋を手に取ると、ゆっくりとした口調で言った。「じゃあ、その件は矢野社長に頼むよ」そう言い残し、二人の反応も気にせず、そのまま歩き去っていった。ドン、とドアが閉まる音が響き、怜人と柚香は顔を見合わせる。怜人の額には大きな疑問符が浮かんでいた。「遥真って、いつからこんな図々しい性格になったんだ?」怜人は彼をそこまでよく知っているわけではないが、これまでの印象や噂からすると、まさか自分に頼みごとをさせるなんて思わなかった。プライドとか、気にしないのか?「最初からずっとあんな感じだよ」柚香が言った。「マジで?」柚香はうなずく。外では、遥真は冷静で落ち着いた、腹の読めない男という印象が強い。けれど一度でも彼に関わったり、敵に回したことのある人間なら分かる。あの人、根っこのところはけっこう意地が悪い。遥真は階下に降りて車に乗り込んだ。その目は、外の夜よりも暗い。運転席の恭介は、車内に漂う重たい空気に息苦しさすら覚えていたが、ボスが何も言わない以上、軽々しく動くこともできない。一時間後。怜人が下りてきた。人差し指で車のキーをくるくる回しながら、足取りは軽く、いかにも機嫌が良さそうだ。遥真はずっと彼を見ていた。食事に一時間もかける必要があるのだろうか?彼は窓を下ろす。恭介はすぐに察して車内灯をつけ、軽くクラクションを鳴らした。プッ――怜人は足を止め、視線を向けると、窓際に座る遥真の姿が見えた。夜の闇に包まれて、表情は読み取れない。彼はそのまま気楽な様子で歩み寄る。「まだ帰ってなかったんだ、久瀬社長」「ずいぶん余裕あるみたいだな」遥真は意味ありげに言う。「君のせいで面倒ごと山ほど抱えてるんだ。余裕なんてあるわけないだろ」怜人ははっきりと言い返した。
Read more

第178話

遥真の言い分は、離婚はしないというものだった。けれど、柚香との関係はここまでこじれている。離婚せずに、どうやって収めるつもりなのか。柚香は少しの妥協もできない性格だ、彼と別れないなんてあり得ない。でも、もしも……?遥真という人は、昔から本心が読めない。あれこれ考えた末、彼はスマホを取り出し、柚香にメッセージを送った。【今、忙しい?】柚香【何?】怜人【さっきふと思ったんだけど、もし遥真が離婚しないって言い出したらどうする?】離婚が成立する前に、一方が離婚を望まなければ、もう成立は不可能だ。残された手段は、裁判による離婚だけだ。しかし、遥真には一流の弁護士チームがついている。彼を相手に勝つなんて、ほとんど不可能に近い。柚香「?」柚香はそのままボイスメッセージを送った。「ありえない」離婚しなければ、玲奈を表に出すことができない。表に出さなければ、正式に「久瀬夫人」にすることもできない。「もしもの話だよ」怜人は、さっきの遥真の表情を思い出す。とても冗談には見えなかった。「離婚しないなんて、彼にとって何の得もないでしょ」柚香は理性的にボイスメッセージを続けた。「そんなにバカじゃないし」怜人は黙り込んだ。柚香がこの離婚に関して、完全に確信していることはよくわかっていた。二人はその後、数言だけやり取りして会話を終えた。怜人とのやり取りを終えると、柚香は陽翔に電話をかけ、それからパソコンを開いて仕事に取りかかった。今夜は明け方の四時か五時まで作業してから寝るつもりだ。そうすれば、美玖のところはちょうど昼になる。電話して様子を探ることもできる。明日は周年イベントで出社はない。多少寝不足でも問題ない。昼には社内グループでも、出演者は明日の午後一時までに集合するよう連絡が来ていた。自分は昼過ぎに行けばいい。そんなことを考えながら、ひたすら作業に没頭した。明け方、四時か五時。柚香はすでに二枚のイラストを描き上げていた。時間を見て、そろそろだと思い、美玖にメッセージを送った。するとすぐにビデオ通話がかかってきた。「そっち、まだ明け方でしょ?起きたの?それとも寝てないの?」「寝てない」柚香は正直に答えた。美玖「え?」少し疲れた様子の顔を見て、美玖が聞く。「残業?」「うん」「この前言ったこと、信じてな
Read more

第179話

弘志、あのクソ男が認めたの?!彼、安江との約束を忘れたの?「私の本当のお父さんは誰なのかって聞いたら、美玖おばさんに聞くように言われたの」柚香は、まるで本当のことのように言った。「ねえ、柚香」美玖は終始落ち着いた顔をしていて、今この瞬間でもまだごまかそうとしていた。「もしかしたら、鑑定センターと弘志に騙されてるって可能性はない?」「この件で彼が私を騙す理由なんてないよ」柚香はそう返す。「ある」美玖はきっぱりと言い切った。「え?」柚香は思わず聞き返す。そんな話、無理やりすぎない?「最近の彼の状況、忘れたの?」美玖は以前の会話から、弘志の近況を知っていた。「社長からコップ洗いの雑用にまで落ちたのよ?心のバランスが崩れてもおかしくないわ。時間が経てば余計にね」「それと、私を騙すことに何の関係があるの?」柚香にはどうしてもその思考が理解できなかった。「考えてみて。あなたは遥真の妻でしょ。離婚の話は出てるとしても、まだ成立してない」美玖は、自分でも信じかけるほどの勢いで話し続ける。「だから彼からすれば、あなたには自分を今の状況から救える力があるのに、それをしないって思ってるのよ」柚香は眉をひそめた。美玖は根気よく続ける。「だから腹が立って、あなたにも同じように嫌な思いをさせたいの」「美玖おばさん」柚香はまったく乗せられなかった。最初の質問のときの反応が、どうしても引っかかっていた。「自分に癖があるの、知ってる?」美玖は表面上は落ち着いたまま。「どんな?」「後ろめたいときって、無意識にやたら喋るよね」柚香は淡々と事実を指摘した。これは昔、母親と口論していたときに母から言われていたことだった。「……」美玖は内心かなり動揺していた。恋愛の世界を何十年も生き抜いてきたのに、まさか小さな子一人すら手玉に取れないなんて。「お父さんが実の父親じゃないってことは、もう間違いない」柚香は胸の中では複雑な思いを抱えながらも、それを表には出さなかった。「私が知りたいのは、どうしてお母さんが彼と一緒にいたのか、それだけ」「だったら、別の機関でもう何ヶ所か鑑定してみなさい」美玖が急に言った。「え?」「弘志があなたの父親だってことは、私は100%確信してる」――なんてね。美玖は心の中でそう付け加えながら、またいつ
Read more

第180話

実の父親のことを聞いたときの美玖の反応は、どう考えてもおかしかった。考える時間もろくにないまま、美玖に急かされる。「早く寝なさい。考えるのは明日、起きてからでいいでしょ」柚香も確かに眠かった。「おやすみ」と一言だけ告げて電話を切った。美玖は「バイバイ」と返し、通話が切れたのを確認してようやく張り詰めていた気持ちが一気に緩んだ 。押し込めていた感情が一気にあふれ、安江にボイスメッセージを送る。「ほんと最悪……まだ起きないの?さっき、柚香にもう少しでカマかけられるところだったんだからね」どうせ相手は今は返せないと分かっている。「でも私、頭の回転速すぎ。すぐ気づいたし」「とにかく、起きたらヒヤヒヤさせられた分の慰謝料、きっちり払ってもらうからね。じゃないと済まないからね!」もし柚香の様子に違和感を覚えていなければ、本当にやられていたかもしれない。柚香は安江と弘志が結婚してから生まれた子だ。たとえ彼女が弘志の実の子じゃないと分かっていたとしても、いきなり鑑定結果を持って本人に問い詰めたりはしないはずだ。彼女はまだ全部を知っているわけじゃない。もし聞いてしまえば、弘志に安江の不倫を疑わせたり、余計な誤解を生む可能性だってある。あれだけ安江を大事にしている子が、事情も分からないままそんなことをするわけがない。本当に危なかった。あと少しで騙されるところだった。とはいえ……美玖の胸にはまだ不安が残っている。結局、手元の仕事を片付けたら、数日中に一度戻ることにした。もし何かあっても、直接顔を合わせてうまくごまかせる。……柚香は自分の言葉にあった綻びにまったく気づいていなかった。答えを急ぐあまり、鑑定結果をちらつかせて相手を探ったのだ。ベッドに横になってもすぐには眠れず、美玖の言葉を思い返していた。今、はっきりしているのは、両親は結婚前に契約を結んでいたこと。これまで自分にかかったすべての費用は、母が父の会社を立ち上げるのを手伝った報酬だったこと。そして、その会社が倒産したことも母は知っていて、父が母娘を捨てたことにも怒っていないということ。それ以外は、まだぐちゃぐちゃのままだ。考えても答えが出ず、柚香はそれ以上深く考えるのをやめて、目を閉じ、そのまま眠りに落ちた。目が覚めると、もう十時を過ぎていた。軽く何かを
Read more
PREV
1
...
1617181920
...
48
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status