All Chapters of 手遅れの愛、妻と子を失った社長: Chapter 391 - Chapter 400

466 Chapters

第391話

大輔はずっとこっそり後をつけていた。つければつけるほど違和感が増していく。買い物のはずが、どうして空港に来てるんだ?!スマホを取り出し、弟の健太に電話をかける。視線は逸らさず、柚香を見つめたまま。「柚香さんが陽翔くんと安江さんを連れて空港に来てる。この件、社長に報告したほうがいいか?」健太「は?」健太「どこだって?!」大輔「空港」健太は一気に慌てた。「そんなの決まってるだろ、報告に決まってる!」「でも社長は、今日は柚香さんたちに危険がない限り報告はいらないって言ってたよ」大輔は正直に答える。「これって、柚香さんが出ていくの分かってて、わざと放置してるってことか?」健太は言葉に詰まる。たしかに社長は、監視を全部引き上げたと言っていた。だが、柚香さんが去るとなれば話は別だ。「とりあえず見張っててくれ。俺が社長に報告してくる」「了解」大輔は電話を切った。その頃、柚香は人の流れに乗って空港の中へ入り、搭乗手続きをしようとしたところでスマホが震えた。弘志からのメッセージだった。【ごめん。】柚香は一瞥すると、そのままスマホをしまう。心はまったく揺れなかった。安江と手をつなぎ、陽翔を連れて飛行機に乗り込む。飛行機は離陸した。張り詰めていた心が、少しだけほどける。……遥真は会社で会議中だった。健太は会議室の外をしばらくうろうろした末、ようやく恭介の注意を引き、スマホを見るよう合図する。恭介はスマホを取り出す。内容を確認した瞬間、目の色がわずかに変わった。数秒考えたあと、遥真のそばに身をかがめ、声を潜めて伝える。「社長、大輔から連絡です。柚香さんたちは空港に行っていて、5分前に蒼海市行きの飛行機で出発したそうです」遥真の黒い瞳に、ひやりとした光が宿る。だがそれは一瞬で消えた。「会議を続けろ」恭介はわずかに眉をひそめた。外では健太が指示を待ちながら落ち着かない様子で待ち続け、気づけば三十分が過ぎていた。会議が終わるやいなや、健太は真っ先に遥真のもとへ駆け寄り、そのまま社長室へ向かう一行に付き従いながら報告する。「社長、柚香さんたちが陽翔くんを連れて出ていきました。追いますか?」「誰が言った」遥真はそのまま執務室へ入る。「大輔です」健太は上司の考えが読めない。「本人が空
Read more

第392話

「大丈夫だよ」柚香はスマホの画面を消し、陽翔の小さな手を引いて聞いた。「ここ、どう?慣れそう?」陽翔は小さくうなずく。「うん、けっこう平気」「もし困ることがあったら、すぐママに言ってね。なんとかするから」「うん」陽翔はふと思い出したように言った。「あ、そうだママ」「ん?」陽翔は手首の腕時計を見ながら言う。「新しい時計、買ってほしい。この時計、パパのスマホと連動してるから、電源入れると僕がどこにいるか分かっちゃうんだ」柚香は一瞬言葉を失った。陽翔が遥真のことをどれだけ想っているか、よく分かっている。ここしばらくは口げんかばかりで「遥真おじさん」なんて呼んでいるけれど、本当はちゃんと気にかけているのだ。「替えなくていいよ」柚香はその手を優しく握る。「そのままでいい」彼女が望んでいるのは、ただ遥真から離れて、同じ街で暮らさないこと。それだけでいい。同じ街にいなければ、玲奈とのことも目に入らないし、彼もわざわざ目の前に現れて不快にさせることはできない。自分の生活を、自分のペースで続けられる。京原市と蒼海市は遠く離れている。さすがに毎日行き来できる距離じゃない。それに、陽翔がこの時計をつけていようがいまいが、自分が京原市にいようと海外に行こうと、遥真には見つけ出す手段なんていくらでもある。だったら、落ち着いて暮らせる場所を選んだほうがいい。「もしパパが探しに来たら?」陽翔は二人の間で揺れながらも、ずっとそばにいてくれたママに少し気持ちが傾いていた。「来たら来たでいいよ」柚香はむしろ落ち着いた口調で言った。「まさか私を無理やり連れ戻したりはできないでしょ」陽翔は少し考える。――いや、それ、やりかねない。「ほんとに連れていこうとしたら?」「そのときはそのとき」柚香はそれ以上考えなかった。もし遥真がどんな手を使ってでも自分を連れ戻そうとするなら、そのときは自分も容赦しない。追い詰められるってどういうことか、思い知らせてやる。そんな話をしていると、ちょうど安江が電話を終えて戻ってきた。柔らかい雰囲気の服装で、「柚香」と声をかける。柚香は顔を上げた。「明日の午前中、紗季さんと話す約束をしてるの」安江は離婚のことだとははっきり言わなかった。「うまくいきそうなら、そのあとであなたとも詳しく話してもら
Read more

第393話

それに返ってきたのは、柚香が一方的に電話を切る音だった。時也「は?」時也は信じられないという顔で恭介に言った。「今の、切られたんだけど?」あんな無茶なこと言えば、そりゃ切られるでしょう。恭介はそう思ったが、口には出さなかった。「でも僕、抜け目ないからな。通話つながった瞬間に録音しておいたんだ」時也は、親友のためにここまで気を回してる自分を褒めたい気分だった。遥真はこんな良い友達がいるんだから感謝すべきだろ。そう言いながら、個室のドアを押し開ける。中は空気が張り詰めていた。テーブルを囲むのは各業界の名だたる人物ばかりだが、この場では誰もが遥真の放つ圧に押され、息を潜めている。時也が入ってくると、全員が助けを求めるような視線を向けてきた。時也はスマホを手にしたまま遥真の隣に座り、声を潜めて耳元で言った。「さっき柚香と電話した。はっきり言ってたぞ、もう京原市にはいないって」遥真の目はわずかも揺れない。「ほんとだって。疑うなら録音、聞く?」「君は彼女の何?」遥真がゆっくりと口を開く。その表情には、人を寄せつけない冷たい距離感があった「僕は……」時也は「友達」と言いかけて、違う気がして言葉を飲み込む。「彼女の夫の友達、みたいな?」「その立場で、どうして彼女が自分の居場所を君に話すと思う?」遥真は淡々と続ける。「そこは彼女の席だ。どいてくれ」時也「……」時也は深く息を吸い、ワイヤレスイヤホンを一つ取り出して遥真の耳に押し込み、素早く録音を再生した。「時也さん」「京原市、もう出たのか?」「うん」時也は一時停止を押した。「これで信じるだろ?」遥真の瞳は、夜の底のように深く暗い。彼はイヤホンを外して時也に放り返し、結局同じ言葉を繰り返した。「そこは彼女の席だ。どいてくれ」「いい加減に現実見ろよ」時也はさすがに苛立った。こんなに頑固なやつは初めてだ。「もういないんだよ。京原市には。ここで明日まで待っても来るわけないだろ」「約束した」遥真は、ただそれだけを返した。時也は言葉を失う。胸の中に何かがつかえたまま、どうにもできない。殴るわけにもいかないし、無理やり連れ出すこともできない。――ほんと扱いづらすぎるだろ!「恭介」遥真が呼んだ。恭介はすぐに入ってきた。いつも通り表情は崩
Read more

第394話

時也は小さく舌打ちした。くそっ。どいつもこいつも頼りにならない。電話を切ると、隣にいる、まだまともな方の恭介に聞いた。「本当に五時半過ぎたらあいつ帰るんだな?」「はい、間違いありません」長年遥真のそばにいる恭介には、それくらいは断言できる。「よし」時也は腕時計に目を落とし、もうすぐ五時だと確認すると、感情を押し込めた。「じゃああと三十分待つ。時間になっても帰らなかったら、君に当たるからな」恭介「……」それはさすがに勘弁してほしい。時間はやけにゆっくり流れる。いつも遊んでいるときは数時間なんてあっという間なのに、今はこれだけ待ってもまだ三十分も経っていない。待ちながら、あとであの男が出てきたら機嫌は絶対良くないだろうなと考え、凛音にメッセージを送った。【終わったら来て。あいつのためじゃなくても、師匠の娘のことくらい考えてやれよ!】凛音からは返事がなかった。さらにしばらくして、ようやく三十分が過ぎた。恭介は時間を見計らって個室に入り、身をかがめて遥真の耳元で小声で伝えた。「柚香さんは来ていません。メッセージも既読になっていません」遥真の表情は静かなまま、何の変化も見せない。――それが逆に怖い。個室にいる他の人間たちは、むしろその無表情に一層緊張していた。「家に用事ができた。ゆっくり食べてくれ」遥真は立ち上がり、全員を一人ずつ見渡す。「先に失礼する」全員が慌てて立ち上がり、作り笑いで送り出した。「お気をつけて!」――早く帰ってくれないと、飯どころじゃない。時也は彼が出てきたのを見て、すぐさま駆け寄った。「だから言っただろ、彼女は京原市にいないって。これで信じたか?」「麓風邸へ」遥真は車に乗り込み、恭介に指示を出す。時也もそのまま乗り込む。「麓風邸?」恭介が説明した。「麓風邸は柚香さんとお母さんが住んでいる場所です。病院を出てから、ずっとあちらにいます」時也は隣の遥真をちらりと見た。どうして柚苑じゃないのか聞きたかったが、その質問をすれば余計に機嫌を悪くするのは目に見えていたので、賢く口を閉じた。三十分あまりで、車は麓風邸に到着した。鉄の門を開けて芝生を横切ると、目の前の建物はしっかりと閉ざされ、鍵もかかっていた。遥真の胸が、少しずつ沈んでいく。目元には冷たい色が
Read more

第395話

「何が問題なの?」時也は頭に疑問符を浮かべた。「二重にしたり、顔を少し整えたりするのって普通じゃない?」「現金を引き出す必要ある?」凛音がやっとの思いで調べて見つけたのがそこだった。時也が聞く。「そのお金が整形に使われたって、どうやって判断したの?」「当時の監視カメラを確認したの」凛音はあっさり答えた。隠す様子はまったくない。「お金を下ろした翌日にまた病院へ行って、2〜3時間くらい中にいてから出てきた。それに一番おかしいのは、ネット上に再診や二回目の診察記録が残ってないこと」その監視映像を見つけるのに、彼女は相当苦労した。時間が経ちすぎていて、調べるのは簡単じゃなかった。診察記録も表向きは二年しか保存されないってことになってるが、実際は調べようと思えば出てくる。時也は顎に手を当てた。「確かにちょっとおかしいな」「このまま調べ続ける?」これはあくまで遥真のプライベートなことだし、真相に近づくかどうかは本人の判断に任せるべきだ。「医者の情報も中に入ってる」遥真の声は冷えきっていた。「調べさせた覚えはない」「頼まれてないよ」凛音は穏やかで自然な口調で、どこか気だるそうに言った。「暇だったから、ネットを適当に見てただけ」遥真は書類袋を恭介に渡した。「蒼海市へ行け」恭介「了解です」凛音は目尻をわずかに上げた。これは……調べないってこと?「何も言わないのか?」時也は彼に追いつきながら外へ出る。「玲奈の件、ちゃんと調べなくていいのか?」「必要ない」遥真はそれだけ吐き捨てた。玲奈が何をしようと、彼には関係ない。整形だろうが美容だろうが、興味はない。たとえ顔を変えていたとしても、命の恩人である事実は変わらない。それ以上でもそれ以下でもない。時也は後ろを振り返って凛音を見る。「もう、ちょっとは言ってやれよ」「私に関係ある?」凛音は何事にもどこか距離を置いたような態度だった。「調べてあげたのだって友達だからでしょ。興味ないなら、こっちが無理にやる必要ない」時也「……」まあいい。まずは柚香の件を片付ける方が先だ。彼は凛音の腕を引いて外へ出ると、そのまま車に押し込んだ。蒼海市で何かあった時、彼女の方が役に立つ。その頃。柚香のほうでは。安江と陽翔と一緒に、オンラインで家政婦会社から三
Read more

第396話

柚香ははっとして目を覚ました。額にはびっしょりと冷や汗がにじみ、胸のざわつきがなかなか収まらない。「ママ……」陽翔がうつらうつらしながら呼び、小さな手で無意識に彼女の腕にしがみついた。「怖い夢でも見たの?」「ううん、大丈夫」柚香は気持ちを落ち着かせながら、そっと彼の背中を撫でた。「もう寝ていいよ」新しい環境で陽翔が眠れないんじゃないかと心配して、隣で寝たのに。結局、眠れなかったのは自分のほうだった。その後は明け方まで一睡もできず、頭の中には夢の中で遥真が言ったあの一言がずっと残っていた。夢の中で自分を見つめていたあの視線を思い出すたび、胸がぎゅっと締めつけられる。同じように、遥真も落ち着かない夜を過ごしていた。一晩中、柚香とのトーク画面を見つめ続けていた。もし柚香から「今どこにいる」と一言でも連絡が来れば、昨日のことはすべて水に流すつもりだった。何もなかったことにしてもいいとさえ思っていた。だが夜が明けるまで、画面に変化は一切なかった。メッセージも来ないし、電話にも出ない。彼女は意図的に、自分の世界から姿を消した。「社長」朝七時過ぎ、恭介が姿を見せた。「朝食をお持ちしました」「十時までに柚香をここへ連れて来い」遥真は朝食に目もくれず、冷たい声で命じた。「凛音を陽翔のところに行かせろ。あの子を不安にさせるな」彼女が戻らないなら、こちらから動く。「柚香さんが拒んだ場合は……」恭介は少し判断に迷った。遥真の冷えた視線に、感情は一切なかった。「いちいち教えないと分からないのか?」「承知しました」八時過ぎ。安江は朝食を済ませて外出した。家を出てまだ十分も経たないうちに、恭介は人を使い、配達員を装って柚香に電話をかけ、荷物の受け取りに出てくるよう促した。柚香は疑わなかった。昨日、確かにネットでいくつか買い物をしていたからだ。荷物を受け取ったその瞬間、まだサインもしていないうちに、後ろから首筋に一撃を受けた。視界が暗くなり、何が起きたのか分からないまま、そのまま意識を失った。少し離れた場所に停めてあった黒い車から恭介が降りてきて、その光景を見て、一瞬だけ申し訳なさが表情に浮かぶ。それでも、柚香を車に乗せるよう指示した。柚香が目を覚ましたのは一時間後だった。ベッドの上
Read more

第397話

「どうして」遥真の声は少し冷たかった。「あなたが作ったあの檻みたいな環境が、嫌いだから」柚香は彼の顔を見た瞬間、なぜか怖さが消えた。ただ胸の中に不満があふれてくる。「家ではいい夫のままで、外では他の女も囲うなんて、そんな都合のいいことに付き合う気はないの」「彼女には恩がある」遥真はまた説明した。柚香「世の中に恩がある人なんていくらでもいるでしょ。あなたみたいな返し方する人、他にいる?」遥真は言った。「彼女に約束したんだ」「約束を言い訳にしないで」柚香はそれを受け入れなかった。何の前触れもなく無理やりここに連れてこられたことも、ずっと引っかかっていた。「普通の人なら、そんなことしないよ」遥真のまとっている空気はどんどん冷たくなっていくのに、目だけは逆に静まり返っていた。柚香はわかっている。こういうときの彼は、怒りが爆発する寸前だ。しかしこれは完全に彼の問題だ。チャンスはあげたのに、彼は大事にしなかった。どんな結果になっても、自分で背負うしかない。「もう一度言う機会をあげる。もし陽翔と母さんを連れて気分転換に出てきただけなら、全部なかったことにしてもいい」遥真は彼女と争いたくなくて、何度もチャンスを与えた。「でも違うなら……あの契約を忘れるな」「遥真」柚香の表情は、これまでになく真剣だった。遥真が顔を上げる。二人の視線がぶつかる。「一度、病院で診てもらったほうがいいよ」柚香は罵っているわけじゃない。本気でそう思っていた。「精神状態、ちょっとおかしいよ」結婚して五年、遥真は自分の前で信じられないほど感情が安定していた。柚香がわがままを言っても、ふざけてからかっても、怒ったことは一度もない。きつい言葉すら、自分に向けたことはなかった。まるで壊れ物のように、大事に守ってくれていた。前はただ、優しくて自分を愛してくれているんだと思っていた。けれど今になって思う。あの異様な落ち着きは表面だけで、本当は自分の思い通りにならないと、精神的にどこか歪んでしまう人なんだと。「俺と帰るなら、言うことを聞く」遥真は静かに言った。柚香は深く息を吸い、込み上げてきた感情を無理やり押し込める。しばらくしてから、彼を見つめて、はっきりと言い放った。「もう子どもみたいなことやめてよ。全部私のせいにしてさ。病院に行くかど
Read more

第398話

この一言で。遥真の目が、いっそう暗く深く沈んだ。「でも、本当に被害者なの?」柚香は、彼のような人間が少し怖いと感じていた。事情を知らない人が見れば、彼がどれだけ一途で深い愛情を持っているかのように映るだろう。ただ恩を返したいだけなのに、なぜこんなに激しく拒むのかと。けれど実際はどう?根本的な問題は、何一つ解決していない。「もう言いたいことは終わりか?」遥真の声は落ち着いていて、その瞳は底が見えないほど深い。柚香は小さく鼻で笑った。またこれだ。彼に何を言っても、のれんに腕押しみたいで、手応えがまるでない。「話が終わったなら、京原市に戻る準備をしてくれ」遥真は立ち上がり、彼女の前まで歩み寄ると、ゆっくり口を開いた。「自分から戻ると言えば、余計な面倒はかけずに済む」「戻らない」柚香はきっぱりと言い切った。前よりもずっと肝が据わっている。「相談してるわけじゃない」遥真は、彼女の頑なな表情を一瞥する。「真帆や怜人を使って無理やり連れ戻すんじゃなく、自分で迎えに来た。それだけでも、十分譲歩しているつもりだ」柚香はその言い方を受け入れなかった。「無理やりって、自分でも分かってるんだ?」「柚香、これ以上俺を困らせないでくれ」「そっちこそ、私を追い詰めないで」空気が一瞬で凍りつく。頑固な者同士、互いに一歩も引かず、無言のまま相手を見据える。どうにかして相手を折れさせようと。けれど、柚香という名前の響きは柔らかいのに、意外なほど誰よりも頑なだった。この件に関しては、遥真ですら彼女には敵わない。「そこまで嫌なら、仕方ない。力づくで連れ戻すしかないな」遥真が口を開いた。「戻ってからどうするかは好きにしろ。殴っても、罵っても、恨んでもいい」「本気で力づく?」柚香は、ここまで来てもなお彼がそう言うことに驚いた。「君が応じないなら、それしかない」「私に嫌われるの、怖くないの?」「いなくなるよりマシだ」遥真の感情は、相変わらず揺れない。柚香は最後に問いかけた。「それが、あなたの言う『愛』?」「戻ったら、ちゃんと面倒を見る。お母さんにも謝る」遥真は一歩近づき、無意識に彼女の手を取ろうとした。「それが愛かどうかは……これから時間が証明する」柚香はその手を振り払った。遥真は気にする様子もない。時間はい
Read more

第399話

「俺に約束してほしいの?」遥真はすっと表情を落ち着かせた。柚香は口を開きかける。だが言葉になる前に、彼の続きが耳に入った。「俺が死なない限り、無理だ」柚香の意識がぐらりと揺れる。昨夜見たあの夢と、今目の前にいる彼の姿が重なった。次の瞬間。遥真が突然、彼女へと歩み寄ってくる。柚香は果物ナイフを握りしめ、制するように言った。「来ないで!」けれど遥真は止まらない。彼女が刃を自分の首元に当てたその瞬間、遥真は素早く彼女の手首を掴み、自分のほうへ引き寄せた。だがそれでも、鋭すぎる刃先が彼女の白い首筋をかすめ、うっすらと傷をつけた。その赤い筋を見た瞬間、遥真の胸が激しく上下する。もし、さっき少しでも遅れていたら、本当に、目の前で彼女は首を切っていたのかもしれない。「一度は止められても、二度三度までは無理よ」柚香は手首を掴まれたまま、振りほどけずに言う。「それでも無理やり連れて帰るつもりなら……私は命がけでも逃げるわ」今度は遥真も何も言わなかった。彼女の手首を握る力は強く、もう片方の手はわずかに震えている。嫌悪に満ちた彼女の目を見た瞬間、胸の奥が鋭くえぐられた。しばらくして、ようやく口を開く。「そんなに、俺と帰るのが嫌か」柚香の目は、これまでで一番はっきりとした強さを宿していた。「うん」遥真の声は静かだった。「そんなに、俺のことが嫌いか」柚香「うん」遥真「俺が死んでも、何も感じないくらい?」柚香は一瞬、言葉を失う。嫌いなのは確かだ。けれど、死ぬなんて。その思考が形になる前に、掴まれていた手が突然、前へと引かれた。「……っ!」刃先が白いシャツを貫き、そのまま肉に沈む。鮮やかな赤が、一瞬で布地を染め上げた。柚香の瞳が大きく揺れ、握っていた力が一気に抜ける。「言っただろ。君を手放すのは、俺が死ぬ時だけだ」遥真は彼女の手を握ったまま、自分の胸に突き刺した姿勢を崩さず、変わらぬ眼差しで見つめている。柚香の声は激しく震える。「……頭おかしいよ!」彼の傷口を押さえようとするが、血は勢いよく溢れ、まったく止まらない。それでも遥真は彼女の手を離さない。「もし今回死ななかったら……回復したら、俺と帰るか?」「恭介!」柚香はもう彼の言葉を無視し、叫ぶように外へ呼んだ。「救急車呼んで!」恭介が
Read more

第400話

周りは人が行き交い、騒然としていた。止血する者、血圧や脈を測る者。皆が慌ただしく動いている。柚香は、耳に入ってくる音がどんどん遠のいていくのを感じた。視界も、遥真以外はすべてぼやけていく。「柚香さん……柚香さん?」恭介が何度も声をかける。柚香ははっと我に返った。気づけば、手足は冷えきり、両手は小刻みに震えていた。「社長の状態はかなり悪い。すぐ病院に運ぶ必要があります」恭介は状況を説明しながら続ける。「大輔に送らせて、先にお帰りください。容体が少し落ち着いたら、また連絡します」柚香の声はかすれていた。「……分かった」顔色の悪さに気づいた恭介が、少し心配そうに尋ねる。「大丈夫ですか?」柚香は乾いた唇をわずかに開き、人に囲まれている遥真を見つめながら、やっとのことで言葉を絞り出した。「彼……死にますか?」「まだ分かりません。かなり深く刺さっているので」ちょうどそのとき、医者たちが担架で彼を部屋から運び出してくる。「でも、そこまで心配しすぎなくて大丈夫です。社長は運がいい方ですから」柚香は、どうやってホテルを出たのか覚えていない。ただ、担架で運ばれていく遥真が自分のそばを通り過ぎたときのことだけは、はっきりと覚えていた。顔は血の気を失って真っ白で、それでも彼は柚香を見ると、かすかに口を動かした。声は聞こえなかった。けれど、言いたいことは分かった。「大丈夫だ」遥真が普通の人とは違うやり方で動く人だとは分かっていた。けれど、ここまで極端だとは思わなかった。「柚香さん!」時也が大声で呼び止める。柚香は反射的に足を止めた。振り返るより先に、今朝京原市から来たばかりの大輔が前に立ちはだかり、時也を遮る。「社長の指示です。関係者以外は柚香さんに近づかせるなと」「どけ、話がある」時也は、目を覚ました直後に届いた連絡に肝を冷やしていた。ほんの少し寝ただけなのに、どうしてこの二人、刺し合いなんてことになってるんだ。大輔は首を横に振る。「ダメです。命令なので」柚香の胸に、言葉にできない感情が渦巻いた。目の前に立つ大きな背中を見つめながら、心臓を強く打たれたような感覚が広がる。その人の周囲の人間が、自分にどう接するかで、その人の本音が分かる。そんな話を聞いたことがある。今、遥真は病院に
Read more
PREV
1
...
3839404142
...
47
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status