All Chapters of 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした: Chapter 91 - Chapter 100

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第91話

――全部レイのせいだ。あの電話さえなければ、この男に頭を下げる必要もなかったのに。剛は腹の虫が収まらず、苛立ちを噛み殺した。渚は冷ややかな視線を向け、鼻で笑う。「受け入れないね」「貴様……!」「渚くん」望美がそっと渚の手を取り、優しく揺らした。それだけで、渚の険は一気に解けた。「……分かったよ。望美ちゃんに免じて、この件は水に流そう」それどころか、先ほどの望美の言葉に、彼は深く心を打たれていた。「望美ちゃん、今回の蒼星賞では、君に世界で一番美しいドレスを着せてみせる。レッドカーペットで、誰よりも輝かせてみせるよ」望美は頬を赤らめ、珍しく恥じらうような仕草を見せた。「ありがとう。こんなに時間がない中で引き受けてくれて、本当に助かったわ」「いいんだ。君が頼ってくれるなら、私にとってこれ以上の喜びはない」渚は微笑んだ。剛はその光景に吐き気を覚え、心の中で悪態をつく。――このクソ犬め。見苦しいほど媚びやがって……!「成哉が戻ったぞ」剛は通話を終えた成哉の姿を見つけ、わざとぶっきらぼうに声をかけた。「成哉、久しぶりに帰国したんだ。今夜は私の奢りで飲みに行かないか?」渚が誘う。成哉は首を振った。「いや。この後、芽依の様子を見に帰る」その言葉に、三人はどこか奇妙な表情を浮かべた。渚が眉を寄せる。「……あの隠し妻はどうした?彼女がいるのに、なぜお前が帰って子供の面倒を見る必要がある?私への義理を欠くつもりか?」帰国したばかりの渚は、ここ数か月の天野家の内情を詳しく知らなかったのだ。「……あいつは頭を打ち所を悪くしてな。お前と同じように、自分の『キャリア』とやらを追いかけるのに必死なんだよ」成哉が苦々しく吐き捨てる。渚は一瞬考え、紬が自分と同じデザイン業界にいるという意味だと理解した。それじゃ、遠回しに「お前の頭がおかしい」と言っているようなものじゃないか。渚の顔は引きつったが、成哉に食ってかかるわけにもいかない。「……おじい様への恩返しのために、無理してあんな女を娶るべきじゃなかったんだ」渚は、会ったこともない紬に対して嫌悪を募らせた。「女が家庭を疎かにして、子供を放っておくなんて愚かの極みだ。成哉、お前が手を出さないというなら、私に任せておけ。あいつが二度と業界
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第92話

デザイン部門の責任者は、思わず身をすくませた。「社長、承知しております。ただ……」「言いたいことがあるなら、早く言え」「あちらが、修復ではなく即時返金を要求してきました。もし拒否すれば、詐欺罪で法的措置を取ると……」「……ッ!」渚は怒りに任せて机を叩いた。「いい度胸だ!私を脅そうなどと!」その日のうちに、普段は沈黙を貫く渚が、ツイッターに二度目となる日常投稿をアップした。【悲劇のヒロイン気取り、潔癖ぶった詐欺師とは二度と仕事をしない】この投稿は瞬く間に大きな波紋を呼んだ。ネット民たちは色めき立ち、犯人探しが始まる。【あの温厚な渚を、ここまで怒らせたのは誰だ?】【おや、望美の熱狂的ファン君じゃないか。その言い草だと、もうファンはやめたのか?】【デタラメ言わないで!望美さんはブリーズのブランド・アンバサダーよ。白石さんが言ってるのは彼女じゃないわ!最近ブリーズが衣装を提供したのは、木村大輔(きむら だいすけ)と、南沢レイよ】【木村はもう七十だぞ、まさかな】【一体誰なの、全然わからない!】憶測が飛び交う中、矛先は次第にレイへと向き始めた。しかし、長年の芸能生活で築いてきた彼女の誠実な人柄を知る友人も多く、レイを擁護する声も根強く残っていた。しばらくして、レイのアカウントも更新された。【針は、自分の身に刺さって初めて、その痛みがわかるもの】添付された画像には、一本の銀針が写っていた。渚は一目でそれと気づいた。それは、自分がアトリエでラインを引く際に愛用している、特注の固定針だった。――忌々しい。なぜ、こんな時に限って。彼は不快そうに画面を閉じ、それ以上のコメントを控えた。「ブランド側は『遅すぎです。もう別のアンバサダーに貸し出しました』と言ってるよ」マネージャーの優一が、スマホを机に置いて告げた。レイは力なく唇を噛んだ。「……仕方ないわ。もういい」これが、賞を手にする前に通らなければならない試練だというのなら、甘んじて受け入れるしかない。「……昨シーズンのドレスを着ればいいわ」「そんなことできるか!明後日は君の人生のハイライト、最高の瞬間なんだぞ。トップ女優が型落ちのドレスで出てきたら、世間や会社がどう思う!」優一は怒りを抑えきれなかった。元凶のくせに、ネットで「詐欺
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第93話

レイの目元が赤く潤んだ。「ありがとうございます、紬さん。またあなたに助けられてしまいました」「いいえ、前にも言った通りです」紬はやわらかく微笑んだ。「私にとっては、ほんの手助けにすぎません。でも、もしレイさんが私の手を入れたドレスを着てレッドカーペットを歩いてくださったら、得をするのは私の方ですよ」屋外イベント用の衣装は、当初納期が危ぶまれていた、あの赤い刺繍のロングドレスに決まった。情熱的で揺らめくようなデザインのそれは、急ピッチで仕上げられ、無事に完成していた。レイの事務所を出る頃には、すでに夜の十時を回っていた。「紬、こんな時間だし、一緒に夜食でもどう?」レイが親しげに彼女の腕を引く。ドレスの一件を経て、レイは紬にすっかり心を開き、強い信頼を寄せるようになっていた。食事に誘われた瞬間、紬の脳裏に、何かが閃光のように走った。そして、その思考は、理玖のあの憂いを含んだ灰色の瞳で静止した。――しまった……!今日、彼を招いて夕食を作る約束をしていたのだ。レイのトラブルにつきっきりで、完全に失念していた。昨日の、どこか捨てられた子犬のようにも見えた彼の姿を思い出し、紬は激しい自己嫌悪に襲われた。せめて事前に連絡を入れるべきだったのに。理玖は……もしかすると今まで、ずっと待っていたのではないだろうか。紬は慌ててレイに別れを告げると、落ち着かない指先で理玖の番号を呼び出した。なかなか繋がらない。時計を見て、さらに後悔が募る。こんな時間だ。理玖はもう眠ってしまったかもしれない。自動で切れる寸前、ようやく通話が繋がった。「……何か用」低く沈んだ男の声には、濃い鼻声が混じっていた。機嫌の良し悪しも読み取れない。紬は、まるでいたずらを見つかった子供のような心境になった。どんな言い訳も、ただの詭弁に聞こえてしまいそうだった。しばらく沈黙した後、ようやく絞り出すように口を開く。「……あの、ご飯……もう食べましたか?」電話の向こうで、呆れたような笑いの気配がした。「今が何時だと思っている」紬の胸が、ちくりと痛んだ。「ごめんなさい。今日、仕事でどうしても外せないことがあって……すぐに連絡しなかったのは、私の不徳の致すところです」「……食べていない」紬は、危うくスマホを落としそうに
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第94話

紬は、レイの目尻に浮かんだ涙をそっと拭った。「もう泣かないで」「うん。泣くとブサイクになっちゃうもんね」レイは泣き笑いのまま顔を上げた。紬は小さく笑って首を振る。「ううん、そんなことないわ。涙に濡れた顔は、もっと美しいものよ」意外な答えだったが、不思議と胸に落ちる響きがあった。レイの涙はすっかり止まり、その笑顔は初春のやわらかな日差しのように、曇りなく輝いた。午後、屋外用のドレスも届いた。レイが袖を通すと、どこにも問題はなく、まさに完璧だった。誰もが、明日の授賞式を心待ちにしていた。一方ネット上では、渚が五百二十個ものダイヤモンドを散りばめ、望美のために仕立てたイブニングドレスのニュースが、検索トレンドの首位を独占し続けていた。登場前から、すでに世間の注目を一身に集めている。望美はこの一年、わずか二本の作品にしか出演していない。一作は脇役、もう一作に至っては、まだ公開すらされていなかった。数年前にすでに主演女優賞を手にしている彼女が今回ノミネートされたのは、主催者側が彼女の顔を立てたに過ぎない。興味を引かれた紬は、渚が公開した作品にも目を通してみた。彼の復帰も、おそらく望美の復帰に合わせたものなのだろう。ドレスは確かに華やかで、美しかった。一粒一粒のダイヤモンドが、強烈な光を放っている。制作者の執念と、並々ならぬ労苦が注ぎ込まれているのは、一目で分かった。渚は、これが望美のために作られた世界に一つだけのオリジナル作品であることを、ことさら強調していた。だが紬は、なぜか既視感を覚えた。どこかで見たことがあるような気がしてならない。それも最近ではなく、ずっと以前に。それでも、望美のドレスは前評判を完全にさらっていた。授賞式当日まで、丸二日間もトレンド一位に君臨し続けたのだ。そしてついに、蒼星賞授賞式当日。盛り上がりとアクセス数を狙い、主催者側はリアルタイム配信を開始した。多くのネットユーザーやファンが、早くから配信ルームに詰めかけていた。現場の熱気は空前絶後と言えるほどで、押し寄せた群衆は、式典に参加するゲストの数をはるかに凌駕していた。授賞式会場は市中心部の大講堂。入口付近の道路は人で溢れ返り、もはや車が通れる状態ではなかった。紬はレイのリンカーンに同乗し、現場まで付き添うつもりでいた
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第95話

二人は同時に振り返り、望美の美しい瞳が赤く腫れているのを目にした。望美は気力を失ったかのように座席の隅へ身を寄せ、かすかに震えている。その姿は、この上なく痛ましく映った。「望美、大丈夫か!」「望美ちゃん、どうしたんだ?」「……来ないで」望美はシートベルトの陰に身を縮め、自嘲気味に呟いた。「ただ、少し悲しくなっただけ。長い間離れていたから、静かに式典に参加して、昔の友人たちに会いたかっただけなのに……何かを勝ち取りたいなんて思ってないし、誰かのものを奪おうなんて、これっぽっちも思ってないわ……」渚はその悲しげな様子に耐えきれず、露骨に彼女の肩を持った。「望美ちゃん、泣かないで。業界内のコネはすべて動かした。あの女にドレスを貸し出すブランドなんて、もうどこにも存在しないよ」「でも、聞いたわ。レイさんが紬さんをデザイン顧問に迎えたって……私、不安なの。成哉も今夜は忙しくて来られないって言うし、本当に心細くて……」望美が顔を上げると、耳元のダイヤモンドが冷たく光った。渚は彼女を抱きしめて慰めたい衝動に駆られたが、あいにく傍らには空気の読めない剛がいる。渚は何かに気づいたように、薄く冷笑した。「なるほど。あいつが、レイの例の『針』の件を仕組んだデザイン顧問か」――ふん、まだ落とし前もつけていないというのに。向こうからカモがネギを背負ってやって来るとは。昨日のドレスの不備も、おそらく紬という女が私を脅すために仕組んだ自作自演だろう。だが、脅す相手を間違えたな。「主婦すらまともに務まらない女が、デザイン業界を夢見るなんて……笑わせるな。寝言は寝て言え。望美ちゃん、今夜はあいつらが恥をかくところを、特等席で見ていればいい」一昨日、ツイッターに投稿した後、渚はレイにドレス代を返金し、二人の仕立て屋を送り込んで「修復」させた。その裏で、顔の利く一流ブランドにはすべて手を回し、レイへの貸し出しを禁じたのだ。今日、彼女が着られるのは、あの羽をあしらった白いフリンジのドレスしかないはずだ。レイがそれをいたく気に入っていたことは知っている。だが、デザイン顧問などを雇ったのはブリーズへの不信の表れであり、万死に値する。――タダでドレスを手に入れるつもりか?いいだろう。望み通りそれを着せてやる。その
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第96話

剛はニヤついた笑みを浮かべ、見世物が始まるのを待ち構えていた。白い乗用車が、ようやく動き出した。十秒も経たないうちに、その車は紬を「腫れ物にでも触るかのように」慎重すぎるほど慎重に避けて通った。四つのタイヤは必死に回っているのに、埃一つたりとも彼女にかけまいとするかのような、弱腰極まりないハンドルさばき。剛の笑みが、顔面に張りついたまま凍りついた。――タロの野郎、何をやってやがる!進路を塞いでいた障害物が消え、ようやく自由になったリンカーンは紬を拾い上げ、そのまま狭い路地へと抜けていく。剛の車の横を通り過ぎる際、わざとか偶然か、リンカーンは「プッ」と短くクラクションを鳴らした。あからさまな挑発だけを残し、車は悠々と走り去る。その瞬間、剛は自分の顔を地面に押しつけられたかのような屈辱を味わった。「……ふざけやがって!」渚は驚く様子もなく、冷ややかに嘲笑する。「どうやら、無駄骨だったな」剛が「面白いものを見せてやる」と言い張ってここに留まらせなければ、とっくに会場に到着していたはずだ。望美は彼の機嫌を損ねないよう、わざわざ時間を割いて付き合ってやったというのに。馬鹿だとは思っていたが、ここまで救いようがないとは。渚は無表情のまま、遠ざかっていくリンカーンを見送った。半分開いた窓から、レイがまだ白いダウンジャケットを着ているのが見える。――やはり予想通りか。それなら、やりようはいくらでもある。渚の小馬鹿にした態度が引き金となり、剛の怒りがついに爆発した。「渚、てめえ!俺の前で御託並べてんじゃねえぞ!どこにでもあるような安っぽい服を作る以外に、お前に何ができるってんだ!」「……まあ、見ていろ」渚は足を組み、わずかに瞼を持ち上げて促した。「さっさと車を出せ、運転手の剛さん。これ以上望美を遅れさせたら、お前の失態はさっきの件だけじゃ済まなくなるぞ」剛が口を開き、さらに罵声を浴びせようとした、その時――「もう、やめて。二人とも喧嘩しないで。私のためを思ってやってくれてるのは分かっているわ。剛、あいつらが行っちゃったんだから、私たちも行きましょう」悲しげな表情を作って割って入った望美は、胸の内で毒づいた。――剛のやつ、本当に役立たずね。前にレイを襲わせるのに失敗したと思ったら、今
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第97話

渚は教養を感じさせる所作で、記者のマイクをそっと正しい位置に戻した。若手記者が頬を染める中、彼は一切ためらうことなく、こう言い切った。「ええ。望美ちゃんは、私にとって唯一のミューズです。私のデザインはすべて、彼女のために生み出されたものです」その場は、申し合わせたかのように静まり返った。主催者側のカメラも異変を察して集まり、渚の発言をリアルタイムでライブ配信へと同期させる。渚は少しも焦ることなく、カメラに向かって微笑んだ。「私には、私心があります。自分がデザインしたドレスは、望美ちゃん一人にだけ着てほしい。ですから、この授賞式の一か月前から、わが社は数名の芸能人の方々からの依頼をすべてお断りしてきました。語弊を恐れずに言えば――もし今日、ここで他の誰かが私のデザインした服を着ているのを見かけたなら、それは私への侮辱であり、望美ちゃんに対する不敬だと感じます」今日の渚は、望美と同系色のコートをまとい、その佇まいは謙譲な君子のようで、声色も穏やかだった。だが、望美を見つめる眼差しの奥には、抑え込まれた激情がはっきりと宿っている。そのリアルタイム映像に、事情を知らない視聴者たちはすっかり熱狂してしまった。【きゃあああ!「渚×望」推し、今ここに爆誕!】【トップ女優と一途なデザイナーとか、尊すぎるんだけど!】【今日、あえて渚様のデザインを着て恥をさらしに来る人、いるのかな?見ものだね!】【あ、数日前の渚様の投稿って……もしかして南沢レイの事務所と話がこじれたから怒ってたんじゃ!?】【だとしたら最悪。レイ側のやり方、汚すぎでしょ】望美の瞳の奥に、鋭い光が走った。だが渚と視線を合わせた瞬間、それはたちまち感動に濡れた表情へと塗り替えられる。――やはり、賢い人間を味方につけるに限る。渚のこの数言は、かつてSNSで渦巻いていた憶測を一掃しただけでなく、これから登場するレイの足元に、見えない地雷を埋め込んでみせた。最高だ。記者たちの煽り気味な追加質問に対しても、渚は終始、笑顔で受け流した。「私と望美ちゃんは、純粋な友人です。皆さんには、ぜひ彼女の作品に注目していただきたい」望美も渚の腕にそっと手を添え、絶妙な間で口を開く。「渚くんは、私の大切な親友です」この「親友宣言」によって、SNSは一気に騒
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第98話

紬は、この件を他人事として片づけることができなかった。レイがレッドカーペット用のドレスに着替えた後も、片時も離れず、その様子を見守り続けていた。レイはドレスの裾を持ち上げながら言った。「紬、そんなに緊張しないで。こういうことは、来るべくして来るものよ。この業界は長いものに巻かれるのが常だし、一度落ち目だと思われたら、誰もが平気で踏みつけてくるわ」その口調は淡々としていたが、その裏に積み重なった辛酸は、本人にしか分からない。紬には、どうしても理解できなかった。これほど自立して理性的で、確かなキャリアも築いているスターが、なぜ剛のような救いようのない男に縛られているのか。レイが窮地に立たされているというのに、恋人であるはずの剛は一度も声を上げず、それどころか、便乗して後ろから石を投げるような真似までしている。レイがそれに気づいていないはずがない。それなのに、剛に対するレイの態度はあまりにも卑屈で、世間で噂される「重度の恋愛脳」そのものに見えた。二十一世紀にもなって、男女の恩義の返し方が「添い遂げること」だけであるはずがない。「……レイ。あなたは、本当に西園寺剛を愛しているの?」レイの瞳に、一瞬だけ笑みがよぎった。「彼の話なんていいじゃない。適当に付き合ってるだけよ」紬は黙ったまま、探るような視線で彼女を見つめ返した。やがてレイは、口角をふわりと上げ、観念したように認めた。「……そうね。多少の本心はあるかもしれないわ。彼は西園寺家の御曹司でしょう?この世界で、彼というパトロンを捕まえておけば、少なくとも『彼の所有物』に手を出すような無粋な輩はいなくなるもの」枕営業や不当な圧力を避けるため。筋の通った、あまりにも現実的な理由だ。紬は半信半疑だった。それだけが理由ではない気がしてならなかったが、本人が語りたがらない以上、これ以上プライバシーに踏み込むつもりはなかった。結局、優一は事務所として圧力を跳ね除け、一切の声明を出さないまま沈黙を貫いた。レッドカーペットの入場は、すでに始まっている。今夜の話題の中心である望美は、本来なら五分の持ち時間を大幅に超え、二十分以上も居座っていた。レッドカーペット用の衣装は、ブランド提供の赤いベアトップドレス。長い髪をプリンセス風にまとめ、メイクは相変わらず清純
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第99話

額には、こだわり抜かれた朱砂が一点。その深い紅が、端正で気品あふれる佇まいに、いっそう優雅でエキゾチックな美しさを添えていた。その場にいた全員が言葉を失った。鼓動さえ止まったかのような静寂の中、誰もが脳裏にただ一言、「美しい」という言葉を浮かべていた。【……ごめん。レイのあの顔面国宝級の美しさを前にしたら、罵倒の言葉なんて一つも出てこないわ】【これが渚様の言っていたドレス? 綺麗すぎるじゃない!】背を向けて立ち去ろうとしていた渚は、その場で観客席に釘付けになった。レイの纏った衣装をはっきりと目にした瞬間、自信に満ちていた笑みは跡形もなく消え失せた。――そんな馬鹿な。「レイさん、ようやくお目見えですね!」司会者は望美を放り出し、興奮気味にレイのもとへ駆け寄った。直感したのだ。今夜、間違いなく話題をさらうのはレイだ、と。望美は、笑顔を保つのが精一杯だった。――渚、私が赤を着るって知っていたくせに、これほど見事なドレスを彼女に渡したっていうの!?現場の記者たちのフラッシュが、狂ったようにレイへと向けられる。望美は嫉妬で正気を失いそうだった。レイがインタビューエリアに差しかかると、望美はわざとらしく微笑み、お世辞を口にした。「レイさん、今夜は本当に綺麗ね。みんな、ずいぶんと待たされたわよ」レイはウェーブのかかった髪をかき上げ、一挙手一投足に色香を漂わせながらも、毅然とした声で答えた。「望美先輩、お気遣いありがとうございます。実は、私の前に入場される予定だった津曲光(つまがり ひかる)先輩が、レッドカーペットの進行遅延でフライトの時間と重なってしまい、やむなく先に発たれたと、直前に伺ったんです。スタッフの方から聞いた時、私のドレスはまだプリーツを整えている最中でして……急いで駆けつけましたが、皆さまをお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」その言葉が落ちた瞬間、会場は死のような静寂に包まれた。ついさっき、望美が一人でレッドカーペットを占領していた時間は、実に三十分にも及んでいる。人気アイドルの津曲光は、今夜のノミネート対象ではない。主催者がファンの要望に応え、挨拶のために急遽設けた出番だったのだ。それが望美の居座りによってスケジュールが衝突し、帰ってしまったというのである。事情を知った
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第100話

司会者もまた、客席にいる紬の美しさに目を奪われていた。あまりの輝きに、すぐ後ろに座っている渚の存在にさえ、最初は気づかなかったほどだ。――なんて綺麗な人だ。業界の新人だろうか。だが、見惚れている余裕はなかった。インカム越しに、レッドカーペット担当ディレクターの声が飛び込んできたからだ。「絶好のチャンスだ!レイの着ている衣装は白石さんの手によるものだと、すぐに宣伝しろ!」司会者は即座に意図を察し、小さく咳払いをした。「どうやらレイさんは、知人を見つけたようですね……白石さん、あなたですよね」司会者は語尾をわずかに引き延ばし、さらに言葉を重ねた。「今夜のドレスは実に見事です。ネット上では、この衣装は白石さんのデザインではないかと話題になっていますが、ご本人から何かメッセージはありますか」手際よく、世間が最も注目している二人の関係へと話題を誘導する。客席に座る渚の表情が、わずかに和らいだ。――レイのやつ、どれだけ取り繕おうと、私という後ろ盾を得る好機を逃すはずがない。ただ、それよりも気にかかるのは、自分の前に座っているこの女だ。どうにも見覚えがある。渚の視線はゆっくりと下がり、そこに薄く見下すような色が混じった。周囲の誰もが、渚は自分のデザインを着ているレイに不満を抱いているのだと思い込んでいた。「私は白石さんを見ていたのではありません。見つめていたのは、白石さんの前に座っていらっしゃるこの方……今夜、私のデザイン顧問を務めてくださっている、綾瀬紬さんです」あまりにも端的なその一言は、その場にいた全員の予想を鮮やかに裏切った。司会者が言葉を失う中、レイは不思議そうに首を傾げる。「それにしても、白石さんがデザインしたドレスだなんて……一体どこから出たお話かしら」【しらばっくれんな、この泥棒!人のドレスを盗んで着やがって!望美様が今日赤を着たのも、本当は着るはずだったドレスへの未練だったのね】【泥棒レイは芸能界から消えろ!蒼星賞の汚点だ!】司会者は表面上の体裁を取り繕いながらも、内心では高鳴る鼓動を抑えられなかった。「レイさん、またそんな冗談を。このドレスは白石さんのデザインでしょう?お忘れですか」「誰が、そんなことを?」レイは紅い唇をわずかに動かした。「私が今夜着ているのは、御衣
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