All Chapters of 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く: Chapter 141 - Chapter 150

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 麗華は状況が理解できていない。ヴァレンティンが戻ってきたのは自分の魅力、あるいは郷田会長の権力に屈したからだと勘違いしたのだ。「やっぱり私のために弾いてくださるのね? 嬉しいわぁ、先生ったらツンデレなんだから!」 ショッキングピンクのドレスを揺らし、麗華が駆け寄ろうとする。その瞬間、ヴァレンティンが足を止めて麗華を見ることなく手をかざした。 完全なる拒絶のジェスチャー。「……静かにしてくれ」 低く、地を這うような声だった。「耳が汚れる」 その一言は、さしもの麗華も足を止めざるを得ない威力を持っていた。彼女は思わず立ち止まる。顔が引きつっている。会場中の視線が、無様なピエロを見るような冷たさで麗華に突き刺さった。 ヴァレンティンは麗華が存在しないかのようにその横を通り過ぎ、ステージへと歩を進めた。◇ グランドピアノの前まで来ると、ヴァレンティンは一度立ち止まり、客席に向かってゆっくりと口を開いた。 マイクはない。だがよく通るバリトンボイスは、ホールの隅々まで届いた。「正直に言おう。今夜、私は二度とピアノに触れるつもりはなかった」 ざわめきが静まる。「ここはあまりに騒がしく、下品な悪臭に満ちていたからだ。私の神経はズタズタに引き裂かれ、音楽など奏でられる状態ではなかった。……主にピンク色の悪魔のおかげで」 麗華の顔が、怒りと恥辱で真っ赤に染まる。それが自分への当てつけであることは明白だった。 だが、ヴァレンティンの表情がふっと和らぐ。「だが、一人の女性が私に『静寂』をくれた」 彼の視線が、ステージ脇の暗がりに控える小夜子へと向けられた。まっすぐで、敬愛に満ちた眼差し。「彼女は音もなく現れ、私の壊れた心を修復してくれた。彼女の淹れた一杯の茶と、その静かな在り方が、私に再び音楽を見つけさせてくれたのだ」 ゲストたちの視線もまた、一斉に小夜子へと注がれる。小夜子は身じろぎもせず、ただ影の
last updateLast Updated : 2026-02-03
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 水面に落ちる雫のような音だった。高音域から低音域へ、そしてまた高音域へ。流れるようなアルペジオが、波紋のように広がっていく。右手がメロディを歌い、左手が伴奏を奏で、時には両手が交差して、複雑で甘美な旋律を編み上げていく。 美しい、という言葉では足りない。それは「浄化」だった。 麗華が撒き散らした香水の悪臭も、下品な笑い声も、ゲストたちの心に溜まっていた不満も、すべてが透明な音の波に洗われていく。 会場の空気が変わった。物理的な振動としての音ではない。光の粒子が降り注ぐような感覚。ある者は目を閉じ、ある者は涙を流して聴き入っている。そこには、まさに『サンクチュアリ(聖域)』が存在していた。(……すごい) 隼人は息をするのも忘れていた。 成り上がり者である彼に、芸術を愛でる審美眼はない。けれどそんな彼であっても心が震える。 これが本物の芸術。そしてこの奇跡を引き出したのは、紛れもなく自分の妻だ。 演奏の中、麗華だけが蚊帳の外に置かれていた。誰も彼女を見ていない。彼女の派手なピンクのドレスも、高価な宝石も、この圧倒的な芸術の前では何の意味も持たなかった。 ただのノイズ、排除されるべき異物としてホールの片隅に追いやられている。「……恥をかかせおって」 隣で、郷田会長が冷たく吐き捨てた。「君はもう帰りたまえ。これ以上、私の顔に泥を塗るな」「えっ、会長……?」「聞こえんのか。目障りだと言っているんだ」 郷田は侮蔑の目を向けると、麗華を置き去りにして他の有力者の輪へと歩き去っていった。 麗華は取り残された。ステージ上の輝きとみじめな自分。彼女は唇を噛み締めて、逃げるように会場の出口へと走る。だがその足音さえも、ピアノの旋律にかき消されて誰の耳にも届かなかった。 やがて最後の一音が、空気に溶けて消えた。 永遠とも思える静寂が落ちる。次の瞬間、ホールを揺るがすような万雷の拍手が巻き起こった。「ブラボー!」
last updateLast Updated : 2026-02-03
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144:俺の誇り

 全てが終わった後のパーティー会場は、大きな熱気に包まれていた。 ヴァレンティンの演奏はゲストたちの心に深く刻まれた。彼らは口々に「素晴らしい体験だった」「これほどのホテルは世界にもない」と絶賛しては、グラスを傾けている。 そこへ郷田会長が歩み寄ってきた。その隣にピンク色のドレスの女――白河麗華の姿はもうない。「……完敗だ。素晴らしい演奏だった」 郷田は、隼人の前で足を止めた。「あの気難しいヴァレンティンを、あそこまで手懐けるとはな。まぐれでできることではない。正直、驚いた」「運が良かっただけです」 隼人は笑ってみせた。「謙遜するな。建物だけ立派な成金ホテルかと思っていたが、中身(ソフト)も一級品だったようだ。認識を改めるよ。黒崎君はホテルの心を理解している」 郷田はグラスを少しだけ掲げて、隼人と、その半歩後ろに控える小夜子に視線を向けた。「いい奥さんをもらったな、黒崎君」「ええ。私の自慢です」 隼人が即答すると、郷田は少し驚いたように目を丸くする。それから「ふん」と鼻を鳴らして笑った。 それは彼が初めて見せる好意的な笑みだった。最大の批判者だった重鎮に、隼人の存在を認めさせたのだ。隼人の胸に、ビジネスの勝利とはまた違う温かい誇らしさが満ちていく。 その時、ステージ上の司会者が声を張り上げた。「宴もたけなわでございますが、そろそろお開きの時間が迫っております。ここで我がアーク・リゾーツの黒崎社長より、皆様にご挨拶申し上げます」 社長による締めの挨拶の時間だ。「行くぞ、小夜子」「えっ? 私はここで……」「お前がいなければ始まらない」 隼人は小夜子の手を取って、強引にステージへと上がった。 まばゆいスポットライトが2人を照らし出す。数百人の視線が集まる中、隼人はマイクを握った。「本日は『サンクチュアリ』の開業パーティーにお越しいただき、感謝する」 よく通る低い
last updateLast Updated : 2026-02-04
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 単なるパートナーの紹介ではなかった。冷徹な捕食者として恐れられた男による明確な「所有宣言」であり、愛の告白にも似ていた。 会場が一瞬静まり返り、やがてさざ波のような囁きが広がる。「……おい、見たか。あの黒崎隼人の目を」「ああ。あんなに愛おしそうな顔をするなんてな」「以前の週刊誌の記事、ヤラセじゃなかったのね」「『溺愛夫』ってやつか? ハハッ、ハゲタカも人の子ってわけか」「なんだか、いいものを見たわね」 これまで隼人に向けられる視線は「恐怖」や「嫉妬」、「軽蔑」といった冷たいものばかりだった。だが今、会場を満たしているのは、温かい眼差しである。 冷酷な経営者が1人の女性を大切に守ろうとする人間臭い姿。そのギャップが、ゲストたちの心の壁を取り払ったのだ。 ワッと会場から割れんばかりの拍手が湧き起こった。それは成功への賞賛であると同時に、若き夫婦への祝福でもあった。 拍手喝采の中、隼人は小夜子の耳元に顔を寄せた。マイクには入らない2人だけの会話。「……よくやった。完璧だ」「旦那様、苦しいです……皆様が見ていますわ」「見せておけばいい」 隼人は口角を上げ、熱を帯びた声でささやいた。「今夜は家に帰さないからな」 小夜子は目を丸くした。帰さない? 彼女の脳内コンピューターが高速で演算を開始する。(帰さない……ということは、ここから朝まで残務整理? あるいは、今回のトラブルに関する反省会と始末書の作成でしょうか?) 小夜子は内心で首をひねる。(確かに、あれだけの騒ぎでしたから事後処理は山積みです。……これは、契約違反ギリギリの過重労働では? でも私も、空気であれという命令を無視して行動してしまったわけだし……) 彼女は一瞬眉をひそめたが、すぐに気を取り直した。(いいえ、でも『よくやった
last updateLast Updated : 2026-02-04
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 小夜子の脳裏にもう一つの選択肢が浮かんだ。(それとも明日の夕食にスーパーの半額品ではなく、定価の『SSSランク黒毛和牛』を買うべきか……。ああでも、旦那様に買って差し上げるのはいいけれど、私が食べたら高級すぎてお腹がびっくりしてしまいそう) 色気(肉)か実用(掃除)か。彼女にとって、人生を左右する究極の二択が発生していた。  どちらも魅力的すぎて簡単には選べない。小夜子は苦渋の決断を迫られ、眉間にシワを寄せて悩み抜いた。 隼人はそんな小夜子の真剣な表情を見て、満足げに微笑んだ。  彼女が「初夜への緊張と覚悟」を決めているのだと、盛大に勘違いしたのだ。「……いい表情だ。たっぷり可愛がってやる」「はい。楽しみにいたします!」(お手当、たっぷりですって! これは期待できるわ) 小夜子は力強く答えた。2人の思考は銀河の彼方ですれ違っていたが、スポットライトの下のシルエットは、どこまでも幸せそうに重なっていた。 ◇  深夜、パーティーが終わって静けさを取り戻したホテル最上階。  ロイヤルスイートの窓辺に2人は立っていた。眼下には、宝石を散りばめたような東京の夜景が広がっている。隼人はネクタイを緩め、2つのグラスにシャンパンを注いだ。(最初は、便利な道具だと思っていた) 隼人は、夜景に映る小夜子の横顔を見つめた。(感情のない人形だと。……だが今は、こいつが隣にいない光景など考えられない) 胸の奥にある感情に名前をつけるには、彼のプライドはまだ少し高すぎた。けれどそれを認める日がそう遠くないことを、彼は予感している。(旦那様、嬉しそう) 小夜子はグラスを受け取りながら思った。(私の居場所は、ここにあるのですね。旦那様と巡り会えて、本当に良かった……) たとえそれが契約上の関係だとしても、誰かに必要とされ、誰かの役に立てる喜び。凍っていた彼女の時間もまた、確かに溶け始めていた。「乾杯だ」 隼人がグラスを掲げた。「俺たちの『聖域(サンクチュアリ)』に」「はい、旦那様」 2人は微笑みを交わした。  チン、と澄んだ音が広い部屋に響き、2人の影が夜景に溶けていく……。 ◇  白河麗華という嵐を乗り越え、2人の絆はより強固なものとなった。  だが彼らはまだ知らない。傷ついたプライドを抱えた白河家の人間たちが、さらな
last updateLast Updated : 2026-02-05
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147:特別手当

 ホテル「サンクチュアリ」の最上階、ロイヤルスイート。開業パーティーの熱気が嘘のように、室内は静けさに包まれていた。  時刻は深夜1時を回っている。シャワーを浴びてバスローブ姿でリビングに戻った隼人は、ソファの光景に眉をひそめた。「シャワー、終わったぞ。……何をしている」 ソファには、ドレス姿のままの小夜子が座っていた。  ローテーブルには2冊のカタログが広げられている。彼女はまるで決算期の経理担当者のような険しい顔つきで、電卓とメモ帳を睨みつけていた。「お疲れ様です、旦那様」 小夜子は顔を上げず、ペンを走らせながら答えた。「例の『特別手当』の配分について、最終検討を行っております」「手当?」 隼人は首を傾げる。「はい。先ほどステージ上で、旦那様は『よくやった』『今夜は家に帰さない』とおっしゃいました。これは、私の働きに対する高評価と、それに伴う徹夜での残務処理命令であると解釈しました」 小夜子は真顔で眼鏡の位置――掛けていないが――を直す仕草をした。「当然、深夜労働および休日出勤には割増賃金が発生します。パーティの成功によるボーナスも期待できるものと思っております。その予算をどう配分すべきか、ここ数時間、結論が出ないのです」 隼人は、彼女が指し示したカタログを見た。右側には、『ドイツ製・業務用高圧洗浄機(テラスクリーナー付き)』。左側には、『老舗精肉店・特選黒毛和牛』。「こちらの洗浄機ですが、スチーム圧力が魅力的です。旦那様のマンションはきれいな状態を保っていますが、これがあればこれからも黒カビに怯える心配がなくなります。いつでも一掃できますから」 小夜子は熱っぽく語る。「ですが、連日の激務による疲労の回復には、良質な動物性タンパク質も不可欠です。私としては黒毛和牛は贅沢すぎると思うのですが、旦那様と共にいただくのであれば、バチは当たらないかと。掃除効率を取るか、肉体修復を取るか……。非常に悩ましい選択です」 隼人は呆れを通り越して、深く長いため息をついた。色気もへったくれもない。 男が「帰さない」と言えば、普通は別の意味を想像するものだ。だがこの妻の脳内には「労働」と「報酬」の2文字しか存在しないらしい。「……お前というやつは」 隼人は歩み寄り、テーブルの上のカタログを取り上げた。「あ、旦那様。まだ計算が」「俺がそ
last updateLast Updated : 2026-02-05
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 ソファが体重で沈み込み、2人の距離がゼロになる。 隼人の腕が伸びて、小夜子の華奢(きゃしゃ)な肩を引き寄せた。小夜子の体がビクリと跳ねる。だが、彼女は逃げようとはしなかった。ただ、上司の命令に従う部下のように背筋を伸ばし、硬直しているだけだ。「俺が欲しかったのは、掃除機を選ぶお前の頭脳じゃない」 隼人の指先が、小夜子の結い上げた髪をほどく。黒い髪がさらりと肩に落ちた。その感触を愛でるように、彼の手は彼女の頬へと滑り落ちた。「……お前自身だ」 低い声が、耳元でささやかれる。「私、ですか」「ああ。今夜は夫婦として、同じベッドで過ごしたいと言っている」 小夜子は数回、パチパチとまばたきをした。彼女の脳内コンピューターが、その言葉の意味を検索して一つの答えを導き出す。「……承知いたしました」 彼女は小さく頷いた。「契約書の第四条には『妻としての務めを果たすこと』とあります。雇用主である旦那様がそれを望むのであれば、私に拒否権はありません」 声に抑揚はない。小夜子は淡々とドレスの背中のファスナーに手を伸ばした。 その瞳には恥じらいも期待も、恐怖すらない。あるのはただ「職務遂行」という冷静な光だけだった。 いや、よく見れば何かを押し込めるような色があった。 隼人にはそれが何なのか分からない。分からないまま彼女を見つめる。 ジッ、とファスナーが下がる音がする。白い背中が露わになりかける。 隼人が、小夜子の手首を強く掴んだ。「……やめろ」「? 何か手順に不備がございましたか。シャワーが先でしたでしょうか。不慣れなもので、不手際をしてしまい申し訳ありません」「不備だらけだ」 隼人は吐き捨てるように言い、掴んだ手を離した。そして、苛立ちを隠すように前髪をかき上げた。「俺を見ろ」 言われて、小夜子は隼人を見つめる。美しい瞳だ。 だが、そ
last updateLast Updated : 2026-02-06
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 小夜子に心が向いたのは、最初は確かに有能さのせい。 隼人にない能力を持つ小夜子を利用すれば、仕事でもっと成功できると考えた。 けれどいつの間にか、寄り添う彼女の温かさに、支えてくれる手のありがたさに気づいてしまったのだ。 小夜子を守ってあげたかった。誰にも渡したくなかった。他でもない彼自身の手で囲い込んで、大事にしたかった。 子供の頃、身勝手な母親に振り回されながら、それでも母の愛が欲しかった。 大人になった今、愛すると決めた女性が目の前にいる。(たとえ愛されなくても、小夜子という女がこれほどに愛おしい。それでいいのだと思える) もちろん理想は愛し合うことだ。 でもそれは、無理やりに手に入れるものではない。「……興が削がれた」 だから隼人は、小夜子のファスナーを乱暴に上げてやった。「義務感で抱かれる女など、抱きたくもない」「申し訳ありません。私の演技力が不足しておりましたか? 新婚夫婦らしい演技プランを再構築し……」「違う」 隼人は小夜子の言葉をさえぎって、その頭をポンと叩いた。「待つと言っているんだ」「待つ、とは?」「お前が俺を契約相手としてではなく、一人の男として見るようになるまでだ。それまでは指一本触れん」 隼人は宣言した。彼女への誠意であると同時に、自分自身への誓いでもあった。「それは……いつになるか分かりませんが」 小夜子は困ったように首を傾げた。恋愛感情という変数が、彼女の辞書には載っていないのだ。「構わん。俺は気が長い」 隼人はニヤリと笑った。「……いや、訂正する。これからは手段を選ばず、お前を落としにかかる。覚悟しておけ」「はあ……。よく分かりませんが、業務命令として受領します」 分かっていない。全く分かっていない顔だ。
last updateLast Updated : 2026-02-06
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 高価なものを2つも買ってもらってしまった。普段なら「無駄遣いです」と怒るところだ。 けれど、なぜか言葉が出てこなかった。胸の奥がじんわりと温かいもので満たされていく。 それは「物が手に入った喜び」とは違う、もっと根本的な、誰かに大切にされたという充足感だった。 11歳で母を亡くして以来、ずっと味わうことのなかった気持ち。「……旦那様は、変わった方ですね。私などに気を配ってくださる」 小夜子は小さく呟いた。「お前ほどじゃない」 隼人は立ち上がった。「もう遅い時間だ。寝るぞ。ベッドに入れ」「いえ、私はソファで十分です。使用人が主人のベッドを使うわけには」 小夜子は首を振るが、隼人はベッドのそばで振り返った。「俺がそうしてくれと言っている。……何もしないと言っただろう。ただの腕枕だ。それも嫌だというのなら、俺は背中を向けて寝る」「ですが……」「命令だ」 有無を言わせぬ口調に、小夜子は諦めて立ち上がった。 歩こうとして、ドレスが足に絡まった。「せめて着替えないと、寝られません」「なら俺は後ろを向いている。見ないから安心しろ」「……はい」 ぱさり。ミッドナイトブルーのドレスを脱げば、床に落ちて小さな音を立てた。◇ ドレスからパジャマ代わりのバスローブに着替えながら、小夜子は思った。(旦那様は急にどうしてしまったのかしら) 今まで同じマンションの部屋で暮らしながら、一度も夫婦の営みを求められたことはなかったのに。 空気になるよう命じられて、そのとおりにしてきたつもりだった。 でも褒められるのが嬉しくて、認められるのが誇らしくて、いつしか彼と一緒に過ごす時間が増えた。 小夜子は考える。(私は3億円の代償として、旦那様に嫁いだ身。求めら
last updateLast Updated : 2026-02-07
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(嫌ではないと伝えるべきだったのかも。旦那様は私を大事にしてくださる。使用人として、恩に報いるべきだった?) そう考えたけれど、何かが違う。(感謝しているのは本当なのに) 恩に報いるという言葉では、この気持ちを表せない。どんな言葉で表せばいいのか分からない。 小夜子は戸惑いながら、バスローブに着替える。 ベッドサイドに立つ隼人は、約束通り振り向こうとしない。律儀な人だと小夜子は思った。 小夜子がドレスをハンガーに掛けて歩み寄ると、隼人はようやく振り返った。 困りきっている彼女を尻目に、さっさとベッドの上に乗る。 キングサイズのベッドは、大人2人で寝ても余るほど広い。 高級リネンの滑らかな感触に、小夜子はついうっとりとしてしまう。 実家にいる時はボロボロの毛布だけだった。 隼人のマンションで暮らすようになってからは、上質な寝具を与えられた。 それでもやはり、最高級のロイヤルスイートルームの設備は非常に良い。 隼人は宣言通り、小夜子に背を向けて横になった。だが、その背中からは「逃がさない」という強い意志が放たれている。 小夜子はおずおずと、ベッドの端に身を横たえた。(旦那様がこんなに近くにいるなんて。緊張して眠れそうにないわ) けれど隣から伝わる隼人の体温とかすかなコロンの香りが、不思議なほど心地よかった。 張り詰めていた糸が緩むように、長かった孤独がじんわりと溶けていくように。小夜子の意識は深い眠りへと落ちていった。◇ 翌朝。カーテンの隙間から差し込む朝日で、小夜子は目を覚ました。 体が温かい。目を開けると、すぐ目の前に隼人の顔があった。「……っ!?」 息を呑む。どうやら無意識のうちに、寝返りを打って彼にしがみついていたらしい。自分の腕が隼人の背中にしっかりと回されている。 それだけではない。隼人の腕もまた、小夜子の腰を抱き込んでいて、身動きが取れなかった。 まるで檻だ。温
last updateLast Updated : 2026-02-07
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