All Chapters of Your'e My Only Shinin' Star〜あなたに逢いたい〜: Chapter 21 - Chapter 30

70 Chapters

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「芽衣ちゃん、スターに乗せてもらってもいいかな?」宗方陸の言葉に、芽衣はチラリとコーチの方を見た。彼女はここでの判断、特に馬に関することは自分で判断せず、必ずコーチに訊くよう怜士に言われていた。「例え乗り手が悪かったのだとしても、人にケガをさせたというだけで馬は処分される可能性がある。だから、自分で判断してはいけない」そう言われた。意味がわからなかったから尋ねると、「スターを殺したくなければ、簡単に返事をしてはいけない」と言い直された。それは芽衣にとってとてもショックな言葉だった。すたーが死んじゃうなんて、いや!だからこの時、芽衣はとても緊張した。陸のことは信頼している。彼はいつも優しいし、他の人みたいに自分にイライラしないみたい。初めて会った時もすごくゆっくりお話してくれた。でもーここでもし、だめって言ったら怒っちゃうかな…?そう思って、芽衣は少し悲しくなった。この乗馬クラブは会員制で、身元の確かな人しか入れない。コーチは専属で付けることもできるし、いろいろな人を付けることもできる。馬場は広々と2面あり、一つはコーチに教えてもらいながらゆっくりと馬を歩かせたり、走らせる練習をしたりする初級コース用。もう一つは経験者用で、中では自由に馬を操ることのできる者たちが、思い思いに乗馬を楽しむ為のものだった。芽衣はもちろん初級コースで、ゆっくりとスターと乗馬を楽しんでいた。彼女に付いているコーチは専属で、怜士が選んだ人物だった。怜士は、芽衣が乗馬クラブに通うことに決めたことを知って、すぐさま設備や環境の整った施設を探した。彼女が通おうとしていたクラブはあまりにも人の出入りが多く、彼女を守るのに適した環境ではなかったからだ。だが探したからといって必ず見つかるわけでもなく、仕方なく彼は尚と芽衣に、「准が馬を手配しているから」と少し待つように伝え、その間に設備の整ったとある会員制乗馬クラブを買い取ったのだった。といってもオーナーは雇われでそのまま残し、表向き怜士が所有していることを隠した。そしてこの施設は、表は綺麗に整えられていたが裏の方は明らかに劣化している所があった為、急いで全面的な改装を施し、以前よりも設備も何もかもを新しく整え直した。その為中の人の調査は後回しにしたのだが、不正などを防ぐ為に出来る限りの対策をとった。彼は施設
last updateLast Updated : 2026-01-23
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でもーアイツ、いつまで乗ってるつもりだ…?中原は思いもよらなかった。「じゃあ、ちょっと行ってくるね。ありがとうっ」と笑顔で言ってスターに跨り、颯爽と馬場に出て行った陸が、待てども待てども帰って来ないなんて…。彼がスターに乗らせてほしいと行った時、中原はせいぜい20〜30分程度だろうと思っていた。だから許可したのだ。なぜって、芽衣は今日まだ何もしていないからだ。厩舎から連れてこられたスターに挨拶して、ほんの少し戯れていただけだ。そこへ陸がやって来てああ言ったから、中原はスターの準備運動的な意味も込めて、彼に軽い運動を託しただけだったのだ。それなのに…。よもや陸がここまで厚かましいとは!彼はきっと近くを通ったら降りるように声をかけられると思ったのか、馬場の奥の方ばかりを使っていた。ここは初級コースだから周りはあまり馬を自由に走らせたりしておらず、彼の行動は甚だ目立っていた。中には「わ〜」とキラキラした目で彼を見る子どもらもいたが、中原の目には最早単なる目立ちたがりにしか見えなかった。彼はそっと芽衣を見た。彼女は手持ち無沙汰に複雑そうな表情で、自分の愛馬と、お友達だと信じている陸を見つめていた。その顔を見て中原は強烈な罪悪感に苛まれ、陸には厳しく言ってやらなければ…と心に決めた。*「ただいまっ」ようやっと戻って来た陸は、全く悪びれることもなく爽やかにそう言った。「……」芽衣はただ黙って眉を寄せていたが、陸を下ろして自分に鼻面を寄せて甘えてくるスターに気がつくと、淡く微笑んで優しく撫でてやった。芽衣は泣きそうだった。彼女は今日スターに会えることをとても楽しみにしていた。それなのに、ほんのちょっと触れ合えただけで、後はずっと遠くの姿を見ているだけだったのだ。芽衣のすたーなのに…。彼女の悲しみに共感したのか、スターもスリスリと芽衣にすり寄ってきた。だが彼女はスターが疲れていることを知っていたのでそれ以上構うことはせず、スタッフにその身柄を託した。「芽衣ちゃん、どうしたの?元気ない?」「……ううん」陸の慰めるような言葉にも、彼女は緩く頭を振っただけだった。それを見た陸は心配そうな顔で首を傾げていたが、中原の目にはわざとらしいとしか映らなかった。コイツ…。「宗方さん、少しお話がありますので、残っていてもらえますか?」
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「話がそれだけなら、帰りますけど…?」陸はそんな中原をつまらなそうに眺めてそう言うと、さっさと立ち上がった。中原は最後に、「もう二度と芽衣ちゃんの時間を奪わないでください。さもないと、会員権は剥奪されますよ」と厳しく言った。「……わかりました」陸は一瞬苛ついたような顔をして、それでもすぐに薄い笑みにそれを隠してペコリと頭を下げ、帰って行った。去って行く彼の顔は無表情の上に冷たさを纏った、陰鬱な雰囲気を醸し出していた。中原は、そんな彼が去り際に小さくチッと舌打ちするのを聞いた。とんでもない二重人格じゃないかっ…。*宗方陸は、クラブ内でも優しい〝王子様みたい〟な男の子だと人気があった。彼には双子の弟がいたのだが、その彼はどちらかというと陸とは真逆の素っ気ない男の子だった。まぁ、どちらともイケメンには違いなかったから、人気はあったのだが…。弟、宗方海(むなかたかい)は兄の陸と違って芽衣を毛嫌いしていた。会う度にいつも皮肉を口にして、芽衣を戸惑わせていた。そんな弟を陸は形ばかり窘めて、芽衣には「気にしないで」と言っていた。「気にしないで。あいつは昔からあんな感じなんだ。悪気はないから」そう言われれば頷くしかない。そもそも芽衣は皮肉など言われても戸惑うことしかなく、それで相手を悪く思ったりなんかはしない。それに、いつも海と一緒にいる女の子も意地悪だった。彼女は見た目は可愛いのに芽衣に対して何かコンプレックスのようなものでも抱えているのか、必要以上に意地悪な言葉を浴びせかけてきていた。「いつもいつも、なんでそんなに惚けた顔をしてるの?言ってる意味、わかる?可愛こぶりっ子するなって言ってんのよ!鈍いからわからない!?」ある日などはそんなことまで言われていたが、生憎、芽衣には何も通じていなかった。彼女は自分が惚けているわけではないことを知っていたし、可愛こぶりっ子というのが何を指しているのかもわからなかったから、その非難にもただ首を傾げるしかなかったのだ。「それよ!」女の子は首を傾げた芽衣を指さしていきり立った。「それが惚けてるって言ってるのよ!なによっ。そうやって〝なんにもわかりませ〜ん〟てふりしてたら、誰かが庇ってくれるとでも思ってるの!?」「……」芽衣には、本当に彼女が何を言っているのかわからなかった。だから素直に訊いて
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だが怜士は、ふとその名前に引っかかりを憶えた。彼はすぐさまパソコンを起動させ、とあるファイルを開いた。宗方陸…この名前を検索すると…。「なるほど…」怜士は画面に表示された文書に目を通すと、ふっと嗤った。あの時のガキ共か…。胸の内でそう呟き、くだらないというようにファイルを閉じた。怜士の秘書手塚は彼の仕事の一環として、怜士が当主として手を下した出来事は些末なことから重要なことまで全てその関係者や背景を調べ、文書にして記録に残していた。それは怜士の日常が仕事に忙殺されており、細かいことまで覚えていられないからだった。そしてそのおかげで怜士は今、過去の些細な、本来なら自分が出るほどのことでもなかった出来事を思い出すことができる。それは本当にくだらない出来事だった。ただの子供同士のいざこざ。被害者だと訴える子供の母親さえ意地を張らなければ、その場で片が付いたはずのことだった。その時のことを振り返り、怜士は同じく書斎の中にいた弟夫婦、聖人と尚をチラリと見た。「どう思う?」それは、今日の乗馬クラブでの出来事についての質問だった。彼は芽衣に危害が及ばない限り、そのまま手を出さないように指示をした。怜士の考えでは、何もかも先に手筈を整えてやって芽衣自身に何も考えることをさせず、何も行動させずにいることは彼女にとってよくないのでは?と思ったのだ。だが、芽衣は彼の子ではない。最終的には彼女の親である2人の意見を尊重するつもりだが、とりあえず今回のことをどう思っているのか訊いておきたかった。「俺を薄情だと思うか?」そう問うと、2人は複雑そうな顔をした。「親としては、あの子を可哀想だと思うよ。実際、理不尽な目に遭ってるしね」「うん」そうだな…と相槌を打つと、聖人は苦笑した。そして、少し悲しげに言った。「でもさ、これが現実なんだよな…。これからだってこんなことは沢山起こるだろうし。あの子の理解度の低さとか、素直で人を疑わない純粋さとか、そういうのを利用しようとする奴はきっといる。そういう時にさ、いつも絶対に助けてやれるとは限らない。もちろん見逃さないようにするし、後々でも分かったら絶対にそのままにはしない」尚は静かに夫の言葉を聞いていた。彼は饒舌に訴えていた。この家に生まれた以上、強くならなければいけない…と。尖る必要はない。でも誰にで
last updateLast Updated : 2026-01-23
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尚は一つため息をついた。「正直、どうするのが正しいのかわからないわ。でも……」怜士は彼女のその逡巡を見て、ひとまず自分の指示したようにすることにした。皆、わかっているのだ。健常児だろうが障害児だろうが、子育てに正解などないということを。ただ普通なら許されるいたずらでも芽衣のような子が同じようにやった時、「やっぱりこういう子だから」と言われてしまう。そして親が躾を疑われ、責められる。それが嫌で厳しくする親もいるし、「障害があるんだから仕方ないじゃないか」と開き直る親もいる。尚や聖人はそのどちらにも共感できなかった。もちろん、怜士もだ。障害があるからといってなんでも許されるのは違うし、だからといって必要以上に厳しく見られるのも違う。その子の能力に応じた対応が必要とされるのだ。言葉にするのは簡単だが、実際のところは難しい問題だった。ふぅ…怜士は一つ息をつき、立ち上がった。「さて、そろそろ行こう。芽衣が待ってるんじゃないのか?」その一言を合図に、聖人らも立ち上がった。悩んでも答えが見つかるわけでなし、3人はひとまずそれまでとした。*それからも芽衣は週に一度、乗馬クラブに通い続けた。そんなある日ー。「すたー?」彼女は厩舎から連れて来られたばかりの愛馬を見て、首を傾げた。どことなく、疲れているような気がする。彼女は自分にすり寄ってくるスターの鼻筋を撫でてやりながら、眉を寄せた。「すたー、元気ないね…」話しかけても当然答えは返らない。けれど、芽衣は優しく撫でてやった。「せんせー、すたー、ど…したの?」振り返って中原に尋ねたが、彼も不思議そうに首を捻っていた。「うーん…どうしたんだろうね…」「……」芽衣は不安そうに愛馬の目を見つめた。そして伏せた耳元をそっと指で掻いてやり、ポンポンと首筋を優しく叩いた。そして小さなため息を一つつくと、言った。「せんせー…芽衣、帰う」「芽衣ちゃん?」まだ来たばかりだというのにそう言った彼女に驚いて中原が問うと、芽衣はその眉を下げて残念そうに微笑った。「すたー…疲え…てう」そうして彼女は、愛馬にも挨拶をした。「すたー、またね」「……」中原はそんな彼女の姿を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。彼は怜士から芽衣専属のコーチとして雇われた。なので、彼女が来ない日は彼もここには来な
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とあるカフェテリア。店内は明るく、オシャレな装飾。いかにも女の子の好みそうなメニューに、インスタ映えしそうな仕上がりのスイーツたち。ここはいつも、近くの私立学校に通う生徒たちで賑わっていた。そんな店内の大きな窓際の明るい席で、2つのテーブルを無理やりくっつけさせた5人の男女のグループが楽しくお喋りしていた。「このケーキ新作?すごい可愛い〜」そう言って手にしたスマホでカシャカシャと写真を撮っているのは、望月笑(もちづきえみ)という可愛らしい女の子だった。「おいおい、いったい何枚撮ったら気が済むんだ?もう食っていいのか?」そううんざりした声で手にしたフォークを揺らすのは、中舘奏斗(なかだてかなと)といういかにもナンパ系のハンサムな男の子だ。そしてその2人の前に宗方陸と海、それから彼らに挟まれた沢口比奈(さわぐちひな)が座っていた。比奈と笑、宗方兄弟と奏斗がそれぞれ同級生の幼馴染みだった。彼らはエスカレーターで大学まで行ける私立の学校で、幼稚園からずっと一緒だった。今、比奈と笑は13才で、奏斗たちは15才だ。その中でも比奈と陸と海はそれこそ生まれた頃からの付き合いで、もう兄妹のような仲だった。この5人は放課後特に用がない限りはいつも一緒で、年上の男たちが彼女たちを可愛がっているのは一目瞭然だった。そして最近、このカフェのスイーツにハマっている彼女たちに、陸たちは呆れながらも結局付き合ってやっているのだった。「ところでさー」奏斗はケーキに手を出そうとして笑にピシャリとその手を叩かれ、やれやれとフォークを放り出しながら足を組み、陸を見た。「前に言ってた例の女の子。あれ、どうなった?落としたか?」「……」その言葉が奏斗の口から出た途端、陸は警告の視線を飛ばした。だが幼馴染みの付き合いがあるせいか、彼はそれに頓着せず、からかうように続けた。「あれから結構経つぜ?普段のお前なら、とっくに告白なりされてんだろ?どうだ?」ニヤニヤしてそう言う奏斗に、陸は不快そうに注意した。「そんな言い方ないだろ?彼女は人慣れしてないんだ。優しくしてやらないと」「へぇ~、もしかしてマジになった?」「……」口を閉ざす陸に代わり、比奈が横からバカにしたように吐き捨てた。「そんな訳ないでしょ。あんなぶりっ子、陸が本気になる訳ないじゃないっ」「だってよ?」
last updateLast Updated : 2026-01-30
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「なぁ…ほんと、お前らどうなってんの?」次の日、学校の昼休みの時間、奏斗が手作りの可愛らしいお弁当を箸でつつきながら言った。彼のファンだとかいう女生徒からの差し入れだそうだ。陸にもそういうことをしてくれる子はいたけれど、生憎彼は手作りのものは受け取らない主義だった為、今日も食堂の日替わりランチを食べていた。「お前らって?」奏斗の箸先で花びら形に炒められたウィンナーに次々と穴が空くのを眉をひそめて見ていた陸は、彼のその言葉を聞いてわざとらしく首を傾げた。その仕草に遠くの席から「きゃ〜」などと小さく騒ぐ女の子たちの声が聞こえてきたけれど、陸はもとより奏斗も、視線すら向けなかった。代わりに彼は心の中で「大した王子様だよ…」と呟き、陸の方にずい…と顔を近づけた。「比奈だよ。お前と海、どっちと付き合ってんの?」「は…?」周りに聞こえないように小さな声で言ったのだろうが、陸の返事は実にあっけらかんとしたものだった。「僕じゃないことは確かだね。海は…知らない。本人に聞きなよ」「へぇ…。じゃあ、お前はあれか?例のー」言いかけたところ、陸が箸をパチリと置いた。「しつこいよ…?」見返されたその眼差しに、奏斗も気不味そうに口を噤んだ。陸はそんな彼にはぁ…とため息をつき、言った。「比奈が言わせたのか?それとも笑?」「あ〜、いや……」奏斗はモゴモゴと口ごもり、視線を逸らした。それだけで、陸は自分の推測が正しかったことを理解した。「比奈の言うことなんか信じるなよ。第一、僕とあの子の間にはまだ何もない。もちろん、比奈ともない。これから先もない」きっぱりと言い切る友人に、奏斗は目を瞬いた。「マジか。でも比奈はー」「彼女は妹みたいなものだ。それ以上の気持ちはない」「あ〜……」まいったな…。と頭を搔く奏斗を見て、陸は更に言った。「比奈には言うなよ?面倒だから」「……」応えない奏斗をチラリと見ると、彼は仕方ないな…というように頷いた。そして「じゃあさ…」と真剣な顔で問いかけてきた。「あの子…例のさ。あの子のことはどう思ってんの?それだけ教えてくれよ。協力できるならするし」陸は、友人のしつこさに辟易しながらも口を開いた。「協力はいらない。でも…あの子には手を出すな。あれは僕のものだ」「……」やっぱ好きなんじゃん。食事の続きをし始めた
last updateLast Updated : 2026-01-30
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それもそのはず。彼らは、野田と島田がやっていることを知らないのだから。いや、正確に言えば「知らない」んじゃない。「誤魔化されている」のだ。馬に影響がない範囲で都合をつけている…と。野田はある時期から会員が別途料金を払えば、希望の馬に乗ることを許していた。以前、普段自分の馬を持たない会員らはその日、その時の都合で選ばれた馬をあてがわれていた。といっても別に調子の悪い馬や相性の悪い馬だったりしたわけではない。そんなことをして事故でもあったら責任問題になってしまうので、その辺りは十分に配慮されていた。ただ単に、彼らの「乗りたい馬に当たらない」というだけだ。それで不満がない人はそれでよかったのだが、中にはなかなか自分の気に入った馬に当たらなくてクレームをつけてくる会員もいたのだ。彼らにしてみれば「それなりの金額を払っているのに」ということなのだろうが、希望が叶わないといってもそれぞれそれなりにいい馬を揃えているのだ。クラブ側からしたら、「贅沢なクレームだ」としか思えなかった。しかし一度クレーム対応に出た野田が、あろうことか「そこまで馬に拘るのなら、所有馬を預ければいいでしょう?」と言ったものだから、相手を怒らせてしまい危うくクラブの廃止にまでなる騒ぎに発展してしまったのだった。その時は平身低頭で謝罪をして事なきを得たのだが、それ以来野田は「金持ちには逆らうな。だが、別途料金を取れ」という方針転換を島田に課したのだった。島田の「反対」や「抗議」など野田の耳を素通りするだけで、彼はこれが意外に実入りのよいことに気がついてからは積極的に取り組み始めたくらいだった。ただそうなると人気のある馬はリクエストも多く、馬の体調などを管理する島田は心配で堪らなかった。そうしたところ、新しい経営者になった時この辺りの改善策だったのか、新たにクラブ所有の馬が2倍に増えたので、どうにか休息日を増やしたりして、島田は馬たちの疲労を溜めることなくやりくりすることができた。だがそれも真田芽衣が入会して、彼女の所有する馬〝スター〟が入ってくるまでだった。スターは他の馬とは明らかに違っていた。見た目も、気性も、その血統も。何もかもが一流で、誰もが一度は乗ってみたいと思わせる気品すら備えていた。当然希望が殺到したが、スターは所有馬だった為その対象ではなかった。だがある
last updateLast Updated : 2026-01-30
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中原は、この手塚に見出された男だった。彼はどこの名門家とも接点のない、いわゆる一般家庭に育った人間で、彼自身大学を卒業して真田グループの会社に就職できただけで御の字、なんなら何年か分の幸運を使ったかのように思っていた。毎日忙しくも充実した日々を送っていたある日、彼は突然上司に呼び出された。昨日提出した報告書に何かミスでもあったのかと戦々恐々としながら会議室に赴くと、そこに手塚がいたのだった。「?…あのぅ…」他には誰もおらず、まさかの部屋間違いをしたのかとビクビクした。それほど手塚は自分をじっと見るだけで、まったく口を開かなかったのだ。ソワソワと落ち着かず、だが去るべきか留まるべきか迷っていると、やがてふっ…と笑う声が聞こえた。「どうぞ。座ってください」手を差し出されながら優しく言われた。「あ、はい…」中原は訳もわからず、目の前の椅子に腰かけた。そして、心構えもないままに言われたのだった。「中原充(なかはらみつる)さん、明日からこちらへ出社する必要はありません」「!!??」まさか、クビ!?中原は一重で細い目を最大限に見開いて、声もなく身体を震わせた。たぶんこの男は、真田グループの中でも上のまた上に属する人物なのだろう。そんな人になんで目をつけられた?どこで?俺が何をした??彼は、手塚のジャケットの襟に付いたグループの幹部が持つ小さなバッヂを目にして、頭の中でぐるぐると思考が回っていた。手塚はそんな彼を面白そうに見つめ、静かに問いかけた。「あなたのお姉さん、障害があるそうですね?」「!」中原はハッとした。それが原因なのか…?彼は失望した。なぜそれが今になって問題になるんだ?なんでだ?姉がなにかしたか?会社に迷惑をかけたか?かけてないだろう!?なんでだよ…!中原は悔しさに歯を食いしばった。彼には5才上の姉がいた。彼女は知的障害があるせいか頑固で、融通が利かなくて、でもとても優しい人だった。そんな姉は、家族の厄介者扱いされていた。特に母親から。どうやら障害児を産んだことで義母から「欠陥品」と罵られていたようなのだが、それ故に次に生まれた自分への期待が大きかった。姉への扱いと違ってずいぶんと可愛がられたが、今思えば嫌なガキだったと自分でも思う。小さい頃から姉との交流はほとんどなく、それどころか母の影響もあって、彼女
last updateLast Updated : 2026-01-30
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手塚は、目の前で悔しそうな顔を俯けて、力いっぱい拳を握りしめている男を眺めていた。彼の頭の中でいったいどれほどの思いが渦巻いているのか、静かに見守っていた。やがてー。カタン…と立ち上がった中原が、自分に対して頭を下げるのを見た。「お世話になりました」その言葉に、手塚は苦笑した。「性急ですね」「?」中原が顔を上げて目を瞬くのに、彼はもう一度「座ってください」と言い、数枚の書類を手渡してきた。「……。…え!?」「納得いただけるなら、サインを」「……」渡されたものをじっくりと眺める。それは、今勤める会社の「退職届」と、ある人物との「契約書」だった。それは個人的な雇用契約で、給料はこれまでと比べても破格の額だった。そして最も重要な雇用主は…。真田怜士。そう書いてあった。嘘だろ…?中原は一瞬にして掌に汗をかいた。この人って…グループの総帥、だよな…?え…なんでこんな人が俺なんかを…?中原の頭は混乱した。「内容をよく読んでから決めてください。もちろん、断っていただいても結構です。それであなたに何か起こることもありません」「……」そう言われて、中原はじっくりと書類に目を通し始めた。内容は、簡単にいうと真田家の令嬢の付き人?のようなものになる…ということだった。「なぜ私に?」そう尋ねると、手塚は一瞬周りを見渡して、答えた。「彼女には軽い知的障害があります」「ああ…」そういうことか。つまり、「扱いに慣れた人が必要…ということですか」中原は頷きながら納得を示した。だが、手塚は不快そうに眉を顰めた。「〝扱い〟という言い方は適切ではありませんね」「……そう、ですね…。すみません…」その強い眼光に、血の気が引いた。中原はただ姉に慣れてしまって、つい悪気なく言ってしまっただけだった。だが確かに、気にする人は気にするのだろう。不適切な表現だったと認めるしかない。「申し訳ありません……」座ったままだが深く頭を下げると、手塚は一つため息をついた。「悪気はないのでしょうが、そういった気安さは出さない方がいいでしょうね。彼は…馴れ馴れしさを嫌いますから」中原は肝に銘じ、重々しく頷いた。他には給料のことや、住まう場所などいろいろと書いてあったが、概ね満足できる条件だった。特に住む場所については、中原は父親と姉だけが住む
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