All Chapters of 『復讐の転生腹黒令嬢は溺愛されたので天下を取ることにしました』: Chapter 1 - Chapter 10

43 Chapters

1 転生

 人は死に直面すると、生前の記憶がまるで走馬灯のように目の前を駆け巡り、過去の一瞬一瞬が鮮明に浮かび上がると言われている。しかし今、私の脳裏を占めているのは、確かに私の記憶ではない。まるで別人の記憶が無理矢理押し寄せてきているかのようだ。 そう、私は死んだのだ。ほんの少し前、目の前に現れたのは、まるで地獄の番人を彷彿とさせる真っ赤な肌を持ち、ギョロリとした目が不気味に光り、鋭い牙を覗かせる異形の大男――閻魔大王だ。彼は私の生前の悪事を裁き、『無限ギロチンの刑』と冷徹に告げ、深いため息をついた。ため息は、まるで私を極邢の運命に突き落とすように、重く、冷たかった。その瞬間、私の意識は闇に呑み込まれた――地獄に送られるはずだったのに、何故か今、私はここにいる。 私の脳裏で展開する走馬灯の物語は、公爵令嬢イザベラ・ルードイッヒの幼少期から始まった。柔らかな陽光に包まれて育ち、贅沢な衣装と優雅な食卓に囲まれて――美しく、わがままに、そして少しだけ頑固に育てられた彼女の姿が映し出される。次に訪れるのは、あの王子との婚約の知らせ。王子ヘインズ・クラネルはまさに王子様そのもの、豪華な外見と高貴な血筋を持ちながら、イザベラの心を魅了していった。イザベラは過酷な王妃教育を受けながら未来の良き女王を目指して寸暇を惜しんで努力する。だが、彼女の未来は、あっけなく崩れ去る。王妃教育で時間に余裕のないイザベラにヘインズ王子の不満は高まり、王子は公然と浮気するようになったのだ。そして卒業パーティーで婚約解消を発表する。王子に抗議したイザベラは王子に殴り飛ばされ、仰向けに倒れる……その瞬間で走馬灯は途切れた。 これはイザベラの記憶だ。私はそう理解してイザベラという人間を考察した。  この子、美しいけれど、ちょっと負けん気が強すぎるわね。でも、頑張り屋さんで、素直に言うと、本当は良い子なんだ。王妃教育も真面目に受けていて、時間がない中でも一生懸命やっていた。でも、王子は……あんな公然と浮気をして、挙げ句の果てに婚約を破棄だなんて……。 もしこの子が、黙って耐えていたら――泣き寝入りしていたら、こんなことにはならなかったのに。死ぬこともなかったのに……こんなに騒ぎを大きくしてしまったから、きっとこの後は処刑台に送られる運命だったはず。でも、あの一撃で――もう後頭部を強打して死んじゃったのね
last updateLast Updated : 2025-12-16
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2 忍び 1

   牢の中、イザベラの記憶をひたすら探る。 冷たい鉄格子が無機質な檻を作り出し、重苦しい空気が肌にまとわりつく。  湿り気を帯びた石壁からは、鼻をつくカビと血の入り混じったような臭いが漂っていた。  底冷えする牢獄の中で、イザベラは膝を抱え、じっと己の内側へと沈み込んでいく。 ーーこの世界の情報を整理しなければ。  ーー自分に与えられた力を把握しなければ。  ーー何としてでも、この絶望的な死刑宣告を覆さなければならない。 思考を巡らせれば巡らせるほど、脳裏に浮かび上がるのは否応なしに突きつけられる現実。  それは、まるで刃のように鋭く、逃げ場を許さぬ残酷な事実だった。 ーーやはり私は、イザベラ・ルードイッヒなのね。 牢獄の冷気に縮こまる身体とは裏腹に、頭の奥が焼けるように熱い。  麗子としての人生が確かにあったはずなのに、今の自分は間違いなくこの異世界の公爵令嬢。  だが、与えられたのは美しい容姿と高貴な身分ではなく、婚約破棄と死刑宣告ーーそして、無実の罪。 ふっと力が抜け、思わず肩を落とす。  瞳を伏せ、唇を噛み締めながら、重く沈む溜息がこぼれた。 頑張るのよ、麗子! 心の中で叫ぶ。それは炎を灯すような言葉のつもりだったが、その声は霧の中に消え、まるで水底に沈んでいくように、焦燥と虚無感が絡みつき、心の灯は小さく揺らめくばかりだった。  それでも、ここで立ち止まるわけにはいかない。 ぎゅっと両手を握りしめる。  痛みが現実を繋ぎ止める鎖となることを願いながら、深く息を吸い込んだ。 ーー私は、私を救わなければならない。 意識を研ぎ澄ませ、記憶の断片を拾い集める。  かつてのイザベラが何を知り、何を手にしていたのか。  それを理解し、活かさなければ、この世界の中で朽ち果てるだけだ。 するとーー まるで霧が晴れるように、脳裏に鮮明な映像が浮かび上がった。 イザベラは”忍び”を使い、あの女、カトリーヌを影から探らせていた。 忍び。  それは、闇の中で生まれ、闇を纏い、闇と共に生きる者。  主に従い、主のために動き、主のためにその刃を振るう存在。 小太郎ーー その名を思い出した瞬間、心の奥で何かが疼いた。 ーーそうだ、あの少年がいた。 三つ年下の、生意気な小僧。  かつ
last updateLast Updated : 2025-12-17
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3 忍び 2

 もう一度、記憶の奥底に沈み込むように考えを巡らせる。  もし、この牢獄から脱出できたとしてーーその先は? 行くべき場所は一つしかない。 ルードイッヒ公爵家ーー自らの生家。 だが、そこは決して安息の地ではない。  むしろ、今のイザベラにとっては、敵の巣窟に等しい。 唯一、頼れる可能性があるのは父・ジオルグ公爵だけ。  頑固で冷徹な男だが、少なくとも公爵家の名誉を何より重んじる。  無実を証明できれば、見捨てられることはないかもしれない。 しかしーー 公爵家には、彼女の命を脅かす存在がいる。 実母はすでにこの世になく、その座を奪った側妻は、かねてよりイザベラを疎んでいた。  憎しみを隠そうともしない女狐は、自らの娘に公爵家の正統な後継者の座を与えるため、  ありとあらゆる手を使ってイザベラを貶めようとしてきた。 その娘ーー義妹は、まるで母の影のように彼女に倣い、  いつも嫉妬と敵意を滲ませた視線を向けていた。 そして、屋敷に仕える執事やメイドたち。  彼らの忠誠が向くのは、家長である公爵ではなく、その側妻だった。  彼女の一声で、イザベラは簡単に追い詰められる。 助けを求めることは、すなわち死を意味する。 胸の奥に冷たいものが広がっていく。  牢獄の寒さよりも、ずっと鋭く、ずっと深い絶望の刃。 それでもーー ここで終わるつもりはない。  絶対に、生き延びてみせる。 イザベラは震える指をぎゅっと握りしめた。  この世界で生きるために、自分を殺す者を殺さなければならないのならーーそれすら、受け入れる覚悟が必要だった。  だがーー 唯一、側妻にその存在を知られていない者たちがいる。 闇に生きる者たち。  影の中に潜み、密やかに動く者たち。  決して表に立つことのない、闇の刃ーー忍びの一族。 その
last updateLast Updated : 2025-12-18
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4 忍び 3

 コツ、コツ、コツ………… 足音が近づいてくる。得体の知れない恐怖で、背筋に冷たい感覚が走り、心臓が早鐘を打つ。 ーー不意に、響き始めた足音が牢の前でピタリと止まった。 ゴクリーー 無意識に喉が鳴った。 鉄格子越しに、ぼんやりとした灯りに浮かび上がる影ーー。  静かに、ゆっくりと、そこに立っていた。 金髪。碧眼。 心臓が、一瞬、強く跳ねる。(ヘインズ!?) 血が逆流するような感覚に襲われた。  冷え切った牢獄の空気が、一瞬にして凍りつく。 怖い。 いやだ。 さっきの痛みが、頬に生々しく蘇る。  拳の形が刻まれたような強力な痛み。  強化魔法で身体強化した情け容赦ない全力のパンチをくらった瞬間の衝撃が、今になっても脳裏に焼き付いていた。 また殴られる?  それとも今度こそーー 恐怖が喉元までせり上がり、息が詰まる。  どうすればいい?  逃げ場はどこにもない。  ここは牢の中。私は囚われの身。 ギリ、と痛みも忘れて奥歯を噛みしめた。 だがーー違う。 目の前の男から、あの皮肉な笑い声は聞こえてこなかった。  顔は同じなのに。  髪の色も、目の色も、輪郭すらもーーまるでそっくりなのに。 けれど、圧倒的に、何かが違う。 違和感。  違和感。  違和感ーー まるで、同じ仮面をかぶった別人のような。 暗闇の中で、じっと私を見つめる視線。 冷たい。 刺すような鋭さがあるのに、ヘインズの持つ愚鈍な傲慢さがない。  静かすぎる気配。  殺気はない。  だが、まるで獣が闇に潜んでこちらを観察しているかのような、異質な存在感があった。 鉄格子越しに、その顔を凝視する。  すると、男はわずかに首を傾けた。
last updateLast Updated : 2025-12-19
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5 忍び 4

 馬車の中ーー 窓から差し込む月明かりが、柔らかな光となって車内を淡く照らしていた。  黒いベルベットのカーテンが揺れるたび、光と影が交錯し、幻想的な陰影を生み出す。 遠ざかる王城を見つめながら、私は大きく息を吐いた。「ふぅ……」 肩の力が抜けると同時に、張り詰めていた緊張がどっと押し寄せる。  まるで、全身を締めつけていた鋼鉄の鎖が、一気に解き放たれたような感覚。 小太郎は向かいの座席に腰を下ろし、暗いオッドアイを細めた。「隣国に向かった方が良い」 低く響く声が、沈黙を切り裂く。「家に帰っても、あの女はお前を捕らえて突き出すだろう」「あの女……」 それが、側妻を指していることはすぐに理解できた。「嘘! お父様が助けてくれるわ」 反射的に言い返したが、その言葉はひどく空虚だった。 ……そう、助けてくれるはず。  私は、公爵令嬢。公爵の娘。 父は、私を見捨てたりしないーー「…………」 だが、小太郎は何も言わなかった。 その沈黙が、冷たい現実を突きつける。 ーー父は、何もできない。 思い返せば、これまでずっと、側妻の言いなりだったではないか。  ならば、今もーー「……そうね。きっと、お父様は何もできないわ」 力なく笑いながら、拳を握りしめる。 いいわ。もう、期待はしない。 頼るべきは、“忍び”だけ。  小太郎だけーー「任せるわ、小太郎」 静かに告げた瞬間、小太郎のオッドアイがわずかに光を宿す。 イザベラは一瞬、顔を歪めた。  だが、すぐにその弱さを振り払うように笑顔をつくる。  今は立ち止まっている場合ではない。「……行きましょう」 決意を固め、細く白い指をぎゅっと握りしめる。  爪が手のひらに食い込み、微かな痛みが
last updateLast Updated : 2025-12-20
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6 忍び 5

   変装を解いた小太郎が、鋭い眼光を宿したオッドアイで静かに考えを巡らせる。「国外に逃れるとして、隣国の中ではベルシオン王国がお勧めだ」「……ベルシオン?」 イザベラは、その国の名に反射的に反応した。「グランクラネル王国とは、親密というほどの関係ではない。身分が露見しても、おそらく突き返されることはないだろう」 小太郎のぶっきらぼうな口調が、亡命の必要性を突きつけてくる。 やっぱり、国外に逃げるしかない…… そう分かってはいた。  そして、逃げるならば、ベルシオン王国ーー 麗子はイザベラの記憶をたぐり寄せ、ベルシオン王国に関する情報を引き出した。 学園時代、社交の場で何度か会った人物がいる。 ベルシオン王国第一王子、ルーク・ベルシオンーー ヘインズ・クラネルの婚約者として紹介された場で、彼と共に舞踏会のフロアを踊った記憶があった。 彼は剣の腕も立ち、整った顔立ちを持つ美丈夫。  小国の王子ながら、その隠れた人気は女子生徒の間で静かに囁かれていた。 だが、ベルシオン王国はグランクラネル王国と複雑な外交関係にあり、誰もが積極的に近づこうとはしなかった。「あの男の国……」 窓の外を眺めながら、イザベラは静かに呟く。 確かに、あの国ならば、政治の道具として突き出される可能性は低い。  仮にグランクラネル王国が引き渡しを要求しても、そこまでして応じるほどの友好関係ではないはずだ。 イザベラは小さく息を吐き、目を閉じた。「……いいわ。ベルシオン王国へ行きましょう」 次なる運命の舞台が、決まった。 小太郎だけが頼りだった。記憶を確かめた限り、彼は信頼に足る男だった。「今晩はここで夜を明かし、明日、国境を抜けよう。朝になったら馬車で迎えにくる。ここには誰も近づけないから、安心しろ」 低く抑えられた声が静寂に溶けるように響く。次の瞬間、小太郎の姿は掻き消えた。まるで幻のように、そこに
last updateLast Updated : 2025-12-21
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7  変装 1

「小太郎、変装が必要よ」 服だけでは平民には見えないと判断してイザベラが手配を求めると、小太郎は深く頷き、落ち着いた声で返す。「ただいま手の者を」 彼がそう言った瞬間、まるで影から生まれたかのように、斜め後ろに佇んでいたくノ一が一歩前へと進み出た。漆黒の装束がふわりと揺れ、夜の闇をまとったかのような気配を漂わせている。「この者に、変装の手伝いをさせます」「お願い」 小太郎が姿を消し、くノ一は床に膝をついて深々と頭を下げた。彼女の仕草は無駄がなく、凛とした緊張感が漂う。 変装の準備が始まると、イザベラはぐるぐると晒を巻かれ、細い腰の上に肉厚な偽装が施されていく。圧迫感に息苦しさを感じながらも、これも生き延びるためだと自分に言い聞かせた。土色の顔料が滑らかな白肌を覆い、そばかすを散らした顔へと作り変えていく。顔の造作はそのままなのに、くすんだ肌色とそばかすの効果で見事に別人のようだ。 さらに、口に含み綿を詰めると、頬がふっくらと膨らみ、輪郭が丸みを帯びたものへと変化した。唇を動かすたびに違和感があるが、顎が痛くてそもそも話したくないので、問題はないだろう。長い髪は帽子の下に押し込められ、もはやあの煌めく栗色の髪も、貴族然とした美貌も、ここにはない。(これなら、さすがに誰も私だとは思わないでしょうね……) 鏡に映るのは、見知らぬ娘。顔色は悪く、貧相な頬、くすんだ唇。イザベラ・ルードイッヒなど、どこにもいなかった。 くノ一に軽く頷くと、タイミングよく小太郎が姿を現す。(……もしかして、ずっと見てた?)「では国境を目指しましょう」 小太郎の声に促されるまま、イザベラが馬車に乗り込もうとすると、彼はすっと扉を開け、ぶっきらぼうに言い放つ。「早く馬車に乗れ」 その横柄な口調に、イザベラは苦笑する。(ほんと、小太郎って偉そうよね……) 馬車が動き出すと、舗装された煉瓦の道を滑るように進んでいく。しか
last updateLast Updated : 2025-12-22
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8  変装 2

 髪を拭き終え、湯浴みを終えて部屋へ戻る。ベルシオン国内なら、もう変装の必要はないはず。少なくとも、ここでは誰も私を裁こうとはしない。 ―― あの無限ギロチンがどうなるかは分からないけれど、少なくとも今生のギロチンは回避できた。 閻魔大王、ざまあ見ろ! その瞬間。「イザベラ、報告だ!」 鋭い声が響いた。 心臓がドクンと脈打ち、思わず息を止める。背筋が凍るような感覚。 次の瞬間、影が揺らめき、跪く小太郎の姿が目の前にあった。(もう……心臓に悪いったらない!) 突如現れた忍びに、一瞬とはいえ魂が抜けかける。彼らが音もなく現れるのには、そろそろ慣れたいところだけれど――やっぱり無理! しかし、動揺を見せるわけにはいかない。冷静を装い、わざとゆったりとした気品ある動作で小太郎を見下ろす。「お父様のことかしら?」 意識的に、貴族令嬢らしい上品な声音を作る。 小太郎は静かに頷いた。「ジオルグ・ルードイッヒ公爵様は、イザベラの脱走幇助を疑われていたが、その疑いは晴れた。現在はお咎めなしの状態だ。――また、イザベラの無事を報告したところ、“頼む” と仰せだった」 “頼む”。 父――ジオルグ公爵がそう言ったと、小太郎は確かに告げた。 安堵が、じわりと胸を満たしていく。 よかった。お父様は無事で―― あれ? ……今、私 “お父様” って思った? 違う。彼は “イザベラの父” であって、私の父ではないはず。私の父は、石黒麗子の父親だ。 なのに、あの人の安否を知ったとき、私の心は確かに “娘としての安心” を覚えた。 ……イザベラの感情が、私の中に染み込んでいる? 転生した私は、麗子だ。イザベラではない。 なのに、この安堵感は何だろう? まるで、自分自身の父親を心配するような、深い感情の揺らぎがあった。(……もしかして、イザベラの心が私の中に残っ
last updateLast Updated : 2025-12-23
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9  変装 3

   館の一室ーー淡いクリーム色の壁に、豪奢なシャンデリアが柔らかな光を灯し、重厚なカーテンが静かに揺れる。ベルシオン王国に逃れてきたばかりのイザベラは、くノ一のメイドたちに身支度を整えられ、ようやく少し落ち着きを取り戻していた。 そんな静寂を破るように、部屋の空気がざわりと揺れた。「ということで、これからもこの小太郎がイザベラの傍につかえる。これからは執事の姿で護衛を兼ねる形になるから、それで良いな」 不意に響いた声に、イザベラははっと我に返った。 小太郎が……執事? 思わず目を瞬かせる。そういえば、小さい頃はいつも一緒に遊んでいたけれど、大きくなってからはずっと忍びの衣装に身を包み、顔をまともに見た記憶がない。鋭い赤と藍のオッドアイが仄暗い仮面の奥で光る以外、彼の素顔は長らく謎に包まれていたのだ。「執事の姿で……最近は、忍者姿で顔を隠していたけど、執事になったらどうするの? 顔は変装するの?」 問い終わるか否かの瞬間ーー シュルルルーー。 突如、小太郎の身体の周りだけの僅かな空間で風が巻き起こった。 いや、違う。ただの風ではない。まるで周囲の空気が小太郎を中心に渦を巻き、光を歪めるかのような奇妙な現象が起こったのだ。霞のような靄がゆらめき、黒い忍び装束がまるで幻のように掻き消えていく。 次の瞬間ーー  …………えっ? イザベラの思考が一瞬停止する。 ………執事。 いや、執事 “になった” 小太郎。 私は目を瞬かせた。 ……これが、小太郎? 驚きに息を呑む。 そこに立っていたのは、長身で洗練された黒の燕尾服に身を包み、白い手袋をはめた完璧な執事姿の青年だった。 オッドアイ――右目は紅く、左目は深い藍色に輝いている。その神秘的な瞳に射すくめられ、一瞬、時が止まったような錯覚に陥る。 すらりとした背丈、引き締まった体躯、鋭くも品のある端整な顔立ち。 まるで絵画から抜け出した貴公子のような佇まい
last updateLast Updated : 2025-12-24
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10 くノ一あやめとの出会い

 小太郎の姿が、まるで幻のようにふっと掻き消えた。まばたきする間に彼の気配さえも失せ、まるで最初からそこに存在しなかったかのように、空間だけがぽっかりと虚ろに広がっている。 イザベラは目を瞬かせ、思わず目を擦った。見間違いかと何度も瞬きを繰り返すが、そこにはもう誰もいない。確かにいたはずの存在が、まるで幻のように消えたのだ。記憶の中で何度も見ていても、実際に確かにそこにいたはずの小太郎が、忽然と消えた事実に驚きを隠せない。 ただの身体能力ではあり得ない。ここまでの動きができるとは……。忍びとは、まさしく“影”のような存在なのか。 ……やっぱり忍者ってすごいわね。 魔法の存在しないこの世界で、一瞬にして姿を消すその技術は、ほとんど魔法に等しいものに思えた。闇と同化するような身のこなし、無音で動く足取り、存在そのものを消し去るような気配の断ち切り方――かつて読んだ忍者ものの小説に登場する超人的な技術を、現実に目の当たりにした。 あの瞬間移動のような動きは一体……? 疑問が浮かんだものの、考えても答えは出そうになかった。ただ、忍びというものが並外れた技能を持つ存在であることだけは理解できる。 目の前の少女がすっと膝を折り、流れるような動作で頭を下げた。  残された、たった一人のくノ一。 薄暗い部屋の中、闇に溶け込むように彼女は静かに佇んでいた。背筋をぴんと伸ばし、無駄な動きひとつなく、まるでそこにずっと存在していたかのように。静寂すら支配する姿は、ただの侍女ではないと一目で分かった。まるで精巧な人形のようにも見える。しかし、その漆黒の瞳の奥には、確かな意志が宿っていた。「お嬢様」 澄んだ、しかしどこか感情を抑えたような声音が、静寂を破った。  澄んでいるが、張り詰めた糸のように研ぎ澄まされた声。冷たい冬の朝の空気のように透き通っている。無駄な抑揚を排したその口調は、感情を押し殺すことに慣れた者のものだった。 イザベラは彼女をじっと見つめる「これからこの屋敷では、私が身の回りのお世話をいたします。なんなりとお申し付けください」 彼女の声音は控
last updateLast Updated : 2025-12-25
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