Todos os capítulos de 静かな幸せは、裏切りの匂いがしたー医師・渡辺楓が選んだ、愛という名の代償ー: Capítulo 61 - Capítulo 70

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第61話 歪んだ支配

 翌週。 亮が帰宅すると、亜里沙はリビングで腕を組み、露骨に不機嫌な顔で待っていた。「遅い!!また楓の病院の前通ったんじゃないでしょうね?」「違うよ。取引先のところで打ち合わせが伸びて……」「ふーん」 その不自然な沈黙の後、亜里沙はゆっくりと近づき、亮のネクタイに指を這わせる。「ねぇ亮……私、あなたにたくさんいろんなものを買ってあげたよね?」「え? まぁ……」「時計も、スーツも、部屋も。全部“あなたのために”してあげたの。わかる?」 甘い声なのに、圧が強い。(まるで俺は所有物みたいだ……)  その夜、亜里沙はワインを飲みながら、いきなり真顔で言った。「……亮。あなた、最近態度悪くない?」「そんなつもりは……」「仕事の成績もよくない。前はもっと頑張ってたよね? 私のために」 亮は言葉につまる。「“私のために”頑張ってって。そう言って買ってあげたんだよ? 忘れた?」 その言い方はまるで、 “自分が与えた物の価値以上の成果を返せ” と言っているようだった。  追い詰められた亮は、無意識のうちに口調が荒くなる。「……俺だって限界はあるんだよ」「は? 限界? じゃあ私に“返せるもの”って何?」「返す……?」「うん。私はあなたにすごく投資した。だから……」 亜里沙はにこりと笑った。 その笑顔が怖かった。「“あなたの全部”で返してね?」 亮は息が止まりそうになる。 その瞬間、彼の胸の中で何かが警鐘を鳴らした。(この女は、俺の人生を握ろうとしてる) だが気づいた時には遅かった。 亜里沙はすでに亮の生活の全てに入り込んでいる。 引っ越し、家具、家電、スーツ、財布、靴…… 仕事の取引先にまで影響する宮原商事。 “離れよう”と考えた瞬間、すべてが瓦解する。(……もう逃げられないじゃねーか)  その時、亜里沙のスマホが鳴った。 画面には、例の救急病院の名前。「あ、来た」「え?」「私ね……調べてもらってたの。“あの女の弱み”。」 亮は青ざめた。「おい、何してるんだよ!」「仕返しって言ったじゃん。亮は黙ってて?」 その言葉に、部屋の空気が冷えた。 亜里沙の目は、完全に「獲物を狙う捕食者」のそれだった。 亮は震えながら悟る。 亜里沙は本気で楓を狙っている。 そして、その矛先はいつ自分に向くかも
last updateÚltima atualização : 2026-01-17
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第62話

外科医に戻り、少し落ち着いてきた楓に、母の桜が「後藤教授にお礼がしたい」と言い出し、同じ弁護士であり面識もある慎一も呼び、お互いの親子4人で食事をしようということになった。楓も慎一とはしばらく会えておらず、近況も話したかったし、後藤教授にもお礼を言いたかったので快諾した。日時や場所の確認など、母の助手が全て整えてくれて、あっという間にその当日がやってきた。予約したレストランは、桜の顧問先がよく利用するという、格式あるホテル内のダイニングだった。重厚な木の扉を抜けると、程よく落とされた照明とピアノの生演奏が迎えてくれる。落ち着いた空間だが、どこか華やぎもあり、今日の“食事会”が特別なものであることを静かに示していた。 店に入ってすぐ、楓は小さく息を呑んだ。母から「外科医に戻ったお祝い」として贈られたばかりのルビーのネックレスが、シャンデリアの光を受けてわずかに揺れた。  ――こんな高価なもの、もらっていいのかな。  胸の内にあふれる温かさは、嬉しさとも、くすぐったいような照れともつかないものだった。「楓、姿勢。ほら、胸を張りなさい」  桜が横目でささやく。 「今日はあなたの復帰祝いでもあるんだから」「……うん」  楓は自然と背筋を伸ばした。 案内された個室には、後藤親子がすでに揃っていた。  後藤一成教授は、相変わらず凛とした佇まいでありながら、どこか柔らかい笑みを浮かべている。慎一はというと、スーツ姿で席を立ち、少し緊張したように頭を下げた。「楓さん、桜先生。本日はありがとうございます」 久しぶりに見る慎一の顔に、楓の胸の奥がふっと温かくなった。  しばらく会っていないとはいえ、こんなにも懐かしいと思うのは、自分でも意外だった。「こちらこそ。二人とも忙しいのにありがとうね」  桜が微笑み、一成と握手を交わす。  仕事の関係上、二人は以前から面識がある。話はすぐに弁護士と医師という職業特有の雰囲気をまとい、穏やかに進んでいった。 楓は慎一の向かい側に座った。席に着いた瞬間、目が合う。「……そのネックレス、すごく綺麗だな」 「え? あ、これ……ママからの復帰祝いで」 「そうなんだ。楓によく似合ってますね」 慎一は、楓と桜に向けて言った。短い言葉なのに、慎一の口調はどこか丁寧で、不思議と胸に残った。
last updateÚltima atualização : 2026-01-18
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第63話 夜風にほどける距離

 一成と桜が席へ戻ってくると、個室にはすでにデザートの甘い香りが満ちていた。  二人とも何事もなかったかのように席へ着き、自然な流れで会話が再開される。「すみません、急な電話で」  一成がそう頭を下げれば、桜はふふ、と笑ってグラスを軽く揺らした。 「いいえ。こちらこそ長居してしまって」 再び弁護士と教授らしい専門的な話題に花が咲く。  医療訴訟、研修医の制度改革、若手弁護士の教育方法――。  普段なら難しく感じる内容なのに、二人が話すと不思議と柔らかく聞こえた。 その様子を、楓と慎一はどこか温かい気持ちで眺めていた。「……すごいね、あの二人。なんであんなに話が尽きないんだろ」  楓がひそひそ声で言うと、慎一が肩をすくめる。 「相性がいいんじゃないか? さっきからずっと楽しそう」 そこまで言って、楓はぽつりと言った。 「じゃあ……二人で飲みに行けばいいのにね」 慎一の眉がぴくりと動き、口元が楽しげに歪む。 「それ、言うか?」 楓は悪戯っぽく笑った。 「言うよ。だってさ、あの二人、完全に盛り上がってるもん」 その瞬間、桜の笑い声が響いた。  一成も穏やかにうなずきながら話している。  本当に、仕事の延長でもあり、どこか友人同士のようでもあり――不思議な空気だった。 楓は慎一の目を見て、軽くうなずいた。 「……よし、言う」 楓は姿勢を正し、にっこりと微笑んだ。「ねぇママ、教授。そんなに話が合うなら、二人でこのあと飲みに行ったら?」 突然の提案に、桜が目を丸くする。  一成も「ほう」と軽く顎に手を当てた。 楓はさらに畳みかけるように、楽しげに続けた。 「そうよ、ママ。仕事ばっかりしないで、たまにはお友達と楽しむのも大事。ね?」 そう言いながら慎一に視線を送り、勢いよく立ち上がった。 「私たち、今から二人で飲みに行くから! 教授、うちのママをよろしくお願いします!!」「ちょ、楓――!」  桜の声が追いかけてきたが、楓は返事をする間も与えず、 「じゃあ!!」  と笑顔で手を振り、慎一の腕を引いて個室を飛び出した。 廊下に出るや否や、二人は顔を見合わせて走り出し、ホテルのロビーを抜けるころには小さな笑いがこぼれた。「――あとで怒られちゃうかな?」  楓が肩で息をしながら言うと、慎一も吹き出した。「怒られ
last updateÚltima atualização : 2026-01-18
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第64話 ― 静かな夜と、戻ってきた“ふたりの時間” ―

 慎一と二人きりで出かけるのは、本当に久しぶりだった。 タクシーを降りて街の風景に一歩踏み出すと、夜の空気はどこか懐かしく、肩の力がふっと抜けた。  楓は自分でも少し驚くほど浮き立っていて、足取りが軽かった。気づけば、慎一の歩幅より半歩先を歩いてしまい、慌てて彼の横に戻る――そんな小さなことすら、どこか楽しい。(なんか……こんなの、久しぶりだな) 楓が胸の中でつぶやくと、横からそっと視線を感じた。 見ると慎一が、柔らかい笑みを浮かべながら楓を見ていた。  まるで、はしゃいでいる楓を微笑ましく見守る兄のようで、でもそれより優しくて、どこか温度のあるまなざしだった。「久しぶりに会ったのに、ずいぶん元気そうだな」  慎一が冗談めかして言うと、楓は「だって外に出るの久しぶりなんだもん」と肩をすくめて笑った。 いつものイタリアンレストランは、慎一や真琴に連れて来てもらって以来、よく訪れている店だ。  奥まった場所にある落ち着いた席に案内されると、周囲の喧騒から自然に切り離される。 ワインと、クラッカーに数種のチーズ、そして小さなチョコレートの盛り合わせを頼むと、テーブルの上にほのかな香りが広がった。 慎一がワイングラスを軽く持ち上げた。 「復帰祝い……ってのとは違うか? まあ、いろいろ含めて乾杯」「うん、乾杯」  グラスが静かに触れ合い、ほんの小さな音が響いた。 赤いワインをひと口飲んだ後、慎一が楓の顔をじっと覗き込むように見つめてきた。 「元気になったみたいだな」 その言葉に、楓はグラスをテーブルに置きながら「うん」と素直に頷いた。  チョコレートをひとつ摘んで口に入れると、ほのかな甘さが広がり、自然と笑顔になる。「慎と真琴のおかげでね」 楓がそう言うと、慎一もつられて笑った。 「いつまでも落ち込んでるのは楓らしくないからな」 その言葉は軽く投げられたのに、不思議と温かかった。 しばらくして、二人の会話は近況報告へと移っていった。  病院のこと、外科に戻ってからの日々、当直の愚痴など、楓は話しながら、久しぶりに気が抜ける感覚を味わっていた。 そんな中で――楓は、思い出してしまった。  あの日の出来事を。 ワイングラスの縁をなぞりながら、ぽつりと言った。「……そういえば、この前さ。救命に亜里沙と亮が来たのよ」 その
last updateÚltima atualização : 2026-01-19
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 第65話 崩れていく自尊心

 亮の“それ”が発覚したのは、月曜の午前中、部長に呼び出された時だった。「佐々木……お前、ここの数字、説明できるか?」 会議室。  机の上には、亮が担当している宮原商事の案件資料が置かれていた。  そこには、ありえないはずの数字が並んでいた。 亮に告げられた“横領疑惑”は、単なる書類の不備ではなかった。  会社側が提示した資料には、宮原商事の取引案件――「在庫調整に伴う特別値引き契約書」が添付されており、その数字こそが問題の焦点だった。 その月、宮原商事は大型の物流倉庫の閉鎖に伴い、残った在庫商品の大量引き取りを亮の会社に依頼していた。  本来なら、商品の買い取り単価は通常の65%が相場だ。しかし――  亮が提出した契約書では、単価が“40%の特別割引”になっていた。「……40? いや、これ完全に赤字になる数字じゃ……」 部長が怒鳴りながら机を叩いたのも無理はない。  40%という数字は、他社競合との契約でも滅多に出ない“破格”だった。  もしそのまま契約が履行されれば、会社は1,800万円以上の損失を出す計算になる。 さらに問題はそれだけに留まらない。 本来、決裁には「担当者 → 課長 → 部長 → 経理部」という四段階の承認が必要だ。  しかし亮が提出した書類には、なぜか担当者(亮)以外の印鑑が一つも押されていなかった。 未承認の状態で契約書が社外に送られ、宮原商事の倉庫担当者の間では「佐々木さんから正式に値引き承認をもらった」と話が広まっていた。 部長の怒声が飛ぶ。「こんなもん、会社に損害を与える“不正処理”以外の何に見える!」「俺……そんなつもりじゃ……」 亮の声は震えていた。――“つもりじゃない”? 亮もそう言いたかった。  だが脳裏にある夜の記憶がよぎった。 先週の金曜、亮は亜里沙から突然呼び戻された。 「いますぐ来て。今夜は取引先の会食に行くから、書類? 明日でいいでしょ?」  そう言われ、亮は予定していた書類チェックを途中で切り上げ、  データだけ急いで入力し、未承認のまま提出したのだ。 本来なら、部長と課長に印鑑をもらい、経理に送り、最終承認を待つ流れになる。  だが―― “今日中に出さないと間に合わない”と焦っていた亮は、確認用のフォルダに入れるのを忘れ、そのまま自分の電子決裁だけ押
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第66話

公園に差し込む初夏の風 春と夏の境目を告げるような、柔らかい風が公園の木々を揺らしていた。  楓は、病院の白い天井ばかり見上げていたここ数ヶ月を思い返しながら、深く息を吸い込んだ。「はー……生き返る!!」 両手を空に伸ばし、大きく背伸びする。  その仕草は、外科医という肩書きとは裏腹に、驚くほど素朴で可愛らしかった。「生き返るって……お前、ちょっと大げさじゃないか?」 隣を歩く慎一が、笑いながら突っ込む。 楓は振り返り、疲れの色がすっかり消えた顔で笑った。「いやいや、本当に缶詰状態だったんだよ?休憩時間もまともに取れなくてさ。屋上でコーヒー飲むだけで“天国だ……”って思うくらいだったの」「……屋上か。俺は事務所から一歩も出ないで書類とにらめっこしてると、外の空気吸いたくなるな」「わかる!昼間の太陽って、それだけで気持ちが上向くよね」 二人の会話は、心地よい日差しと同じ温度で続いていった。  真琴は新しい彼氏と一緒にくるらしく、買い出し役を買って出てくれたので、楓と慎一はビールを何本かを持って、ゆっくりと公園内を歩いていた。 広場では家族連れがテントを張り、子どもたちが笑いながら駆け回っている。  その光景を眺めて、慎一はふとつぶやく。「……こういうの、いいな。なんか、癒される」「子どもの声って、なんであんなに元気出るんだろね」「大人が忘れた何かを持ってるからじゃないか?」「哲学者みたいなこと言うじゃん」「いや、マジでそう思うんだよ」 楓が楽しそうに笑うと、慎一もつられて表情を和らげた。 そのとき――。「わっ!!」 前方から走ってきた男の子が、二人のすぐ横で転んだ。「大丈夫!?」 楓は反射的に駆け寄った。  さすが医者――というより、楓の中に染みついた“人を助ける性質”が自然に動いたのだ。「足、ちょっと見せてね」 泣きべそをかく男の子を、そっと日陰に座らせる。  大きなバッグから、慣れた手つきで消毒液と絆創膏を取り出した。「しみるけどね、我慢だよ」「……うぅ」 消毒を終えると、楓は優しく絆創膏を貼ってやり、にっこりと微笑んだ。「はい、もう大丈夫!さすが男の子ね、よくガマンできました。偉いぞ」 と、楓が頭を撫でてやると、男の子は泣き顔のまま「ありがとう」と小さく頭を下げ、また走って行った。 その一
last updateÚltima atualização : 2026-01-20
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第67話 交わるまなざし

 バーベキュー広場が近づくにつれ、炭の香ばしい匂いと、子どもたちの笑い声が風に混じって漂ってきた。  それを吸い込んだだけで、楓は胸がふっと緩む。「うわぁ……この匂い、ほんっっとうに久しぶり……」「そんなに飢えてたのか、お前」「飢えてたよ?焼肉の煙に」「煙を恋しがる医者ってどうなんだ」「生命力の匂いでしょ。最高じゃん」「……そんな解釈してんの楓くらいだぞ」 二人の笑い声が、木立の間に吸い込まれていく。  その柔らかい空気に包まれながら広場に足を踏み入れると、家族連れや大学生のグループが、にぎやかに鉄板を囲んでいる。「真琴、どこって言ってた?」「“Bエリアの奥の屋根下”ってメッセージ来てた」 慎一がスマホを確認しながら歩くと、楓の視線がふと横に逸れた。  広場の端のベンチ。そこで後輩の女医がベビーカーを揺らしていた。「後輩の子だ……育休中の子」「挨拶してく?」「ううん。あとでいい。今日は休む日だから」 慎一は楓の意図を読み、ただ隣で歩幅を合わせる。「いいんじゃねぇの。仕事以外の時くらい、ちゃんと休めば」「うん。今日は休む」 楓が笑った瞬間、風がふっと吹いた。  すると――「楓ーっ!!慎ー!!こっちー!!」 袋を両手にぶら下げ、元気よく手を振る真琴が駆けてきた。  その後ろから、落ち着いた足取りで男性がついてくる。「あれ、真琴……彼氏?」 楓が小声で聞くと、慎一が目を細めた。「へぇ……アイツ、ついにできたのか」「だって前別れたの、半年以上前だったもんね」 二人がひそひそ話しているところへ、真琴が袋を渡した。「ほら、慎一!これ持って!あとで肉焼く係やって!」「……お前、俺をバイトか何かと勘違いしてない?」「違うよー!信頼してるんだよー!」 真琴はへらへら笑いながら、後ろの男性を紹介した。「紹介するね。私の彼氏、山科 陽斗(やましな はると)。  理学療法士してるんだ。職場は市内のリハビリ病院!」 陽斗は爽やかな笑みを浮かべ、穏やかに会釈した。「初めまして。山科です。真琴さんにはいつもお世話になっています」「いやいや、世話してるのは陽斗くんの方でしょ絶対……」 楓は思わず笑いをこぼした。真琴が照れて陽斗の腕を小突く。「ちょっと楓!?なんなのその言い方!」「だって、真琴……顔赤いよ?」「赤く
last updateÚltima atualização : 2026-01-20
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第68話 最悪の再会

 その後、陽斗と慎一が火起こしを手伝ってくれ、真琴と楓がテーブルを整える。  そしてついに、最初の肉が焼ける。「はーい、最初の乾杯いくよー!」 「かんぱーい!」 グラスが触れ合い、炭のはぜる音に重なる。 陽斗と慎一は落ち着いた声で近況を語り、  楓と真琴は久しぶりのガールズトークで盛り上がった。「楓、あんた絶対前より綺麗になってるよ」「疲れで痩せただけだって」「違うってば!誰かの力じゃないの?」「真琴……いいから食べよ!胃袋動かして!」「はーいはいはい。照れるな照れるな」 真琴はにこにこしながら楓の肩を軽く叩いた。 その笑顔に包まれ、楓も自然と笑う。(……こういう時間、ほんと大事だね……) 心の奥がじんわりと温かくなる。 しかし。 その穏やかな午後を、静かに揺らす“影”が、  じっとこちらを見ていたことには――誰も気づいていなかった。 木陰のベンチ。 そこに座る男女の姿が、ゆっくりと立ち上がる。 楓が決して会いたくなかった“元恋人”。  楓が二度と関わりたくない“あの女”。 ――その二人の影が、バーベキュー場に向かって歩き出す。 火が安定し、肉が焼ける香ばしい匂いがあたりに広がった頃だった。「楓、次カルビいくぞー!」「やった!ほんと今日は天国みたい……!」 楓は皿を片手に、真琴と一緒になって肉をひっくり返したり、タレを選んだりと忙しそうに動いていた。  少し前まで“疲労”しか存在しなかった楓の世界に、ようやく“遊び”という色が戻ってきた。  慎一もそんな楓の姿を嬉しそうに見守りながら、野菜を焼いていた。 その時だった。 風の向こうから、妙に耳に残る笑い声が聞こえてきた。  軽いような、鼻につくような。 慎一は一瞬だけ手を止めて、その方向を何気なく見る。(……あれ?) 視界の奥、木陰の向こう側に見覚えのある人影が見えた。 白いワンピース。  金色のアクセサリーをじゃらつかせ、上下ブランドで固めた女。  隣には、ラフな服装だが、どこか疲れを隠しきれない青年――。(……佐々木……亮?) しかし慎一がその名を口にする前に、先に楓が気づいた。 鉄板を見つめていた楓の手が、不自然に止まる。 顔が、すっと強張る。「……え……?」 楓の視線の先。 ベンチに座っていたのは、紛れもなく“亜里沙と
last updateÚltima atualização : 2026-01-21
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第69話

楓は俯いて、ぎゅっと拳を握りしめる。 だが亜里沙は、笑いながら近づいてくる。 その後ろで亮も、気まずそうに、しかし逆らえない様子でついてくる。「なに?彼氏とバーベキュー? へぇ〜、庶民的でいいわね」 皮肉たっぷりの声。 楓は息をのんだまま顔をあげられない。「亜里沙、そのくらいに――」 亮がか細い声で止めようとすると、亜里沙はさらに嘲るように笑った。「なぁに?元カノに気ぃ使うわけ?」 亮は言葉を飲み込んだ。 慎一は一歩前に出た。「……あなたが亜里沙さん、ですか?」「ん?誰?」「楓の“友人”です」 わざと強調するように慎一は言った。 亜里沙は慎一を上から下まで値踏みするように見て、薄く笑った。「へぇ〜、前の男よりマシじゃん。良かったじゃん楓さん〜。  ……あ、でも気をつけたほうがいいよ? “あの子”、気が強いし」「亜里沙!!」 亮が怒ったように声を上げると、亜里沙は舌打ちした。「はぁ?怒鳴んないでよ。アンタのせいであたしストレス溜まってんだから」 亮は下を向き、何も言い返せない。  どこか、殴られた犬のような目をしていた。 楓はようやく顔を上げ、亮と目が合った。「……亮」 亮は一瞬で目をそらした。  罪悪感と、みじめさと、何かの恐怖が混ざった複雑な表情。 楓は何も言わなかった。  言える言葉が見つからなかった。 すると――「ねえ亮、帰るわよ。アンタここにいたらまた仕事もミスるでしょ?」「……わかったよ」 亮はうつむきながら答えた。  その声は、まるで誰かに怯えているようにも聞こえた。(……亮……どうしちゃったの……?) 楓の胸がざわつく。 亜里沙は「ったく、使えないんだから」と亮の腕を強くつかみ、引きずるように歩き出した。 その時、亜里沙はふと振り向き、にこりと笑った。「楓さん、よかったわね。あんたの“出したゴミ”回収してあげてるんだから。  感謝してね?」 真琴が「はぁ!?何それ!」と声を上げかけた瞬間、慎一が真琴の肩を押さえた。「真琴、やめろ。相手にするな」 亜里沙は満足そうに笑い、亮を連れて立ち去った。 その場には、炭のはぜる音と、遠くの子どもたちの笑い声だけが残される。 楓はしばらく動けなかった。 慎一は楓の隣にそっと立ち、静かに言った。「楓……大丈夫か」「……うん。
last updateÚltima atualização : 2026-01-21
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第70話 焼け落ちた炭のように

 亜里沙と亮が去ったあと、  バーベキュー場の空気は、まるで突然気温が五度下がったかのように重く沈んだ。 さっきまで笑い声に満ちていた空間なのに、  誰も一言も発しないまま、炭のはぜる音だけが乾いた静けさを埋めていた。 楓は食器を水場に運びながら、気を緩めると胸の奥がズキッと痛むのを感じていた。(なんで……今日に限って……) 慎一はそんな楓の背中を黙って見つめ、  陽斗は、気まずそうに目をそらしながらも、何も言わず手を動かしていた。 真琴はというと、黙りこそすれ、眉間のシワだけが怒りを雄弁に語っている。(はぁぁぁぁぁぁぁ!? あの女……!! ぶっ飛ばしたろか!!) しかし真琴は言葉を飲み込み、力任せにアルミ皿を重ねた。 皿がカチャン、と鋭い音を立て、3人が小さく肩を震わせる。「あ……ごめん……」 真琴は小さく呟いたが、その声はまだ怒りの熱を含んでいた。 誰もが努めて冷静に振る舞おうとする中、  火の落ちた炭が、じゅ……と最後の煙を上げた。 片付けに込める手つきは、いつもよりずっと丁寧だった。  黙々と箸を洗い、机を拭き、ゴミ袋をまとめる。  その様子は、まるで言葉を挟む余地がないほど静かで――どこか儀式めいていた。 陽斗は楓に近づき、小声で言う。「さっきの人……元彼さん?」 楓は動きを止め、ほんの一瞬だけ視線を落とした。「うん。……まあ、いろいろあって」「そっか」 陽斗は余計なことは聞かず、ただ柔らかく頷く。「楓さん、無理しなくていいですよ。さっき、すごく嫌な空気だったから……」「うん、大丈夫。ありがとう」 慎一は、水場から振り返り、二人のやり取りを見守るように視線を流した。  そして楓の横顔を見て、胸の奥がギュッと締めつけられる。(……悔しいだろうな) 自分の大切に思う人が、あんな言葉を浴びせられたのだ。 慎一の手に持つ皿が、ほんの少しだけ震えた。 ある程度片付けが進み、  空になったテーブルのそばで、4人が微妙な距離をとって立ち尽くしていた。 ふと真琴が動きを止め、3人の顔を順番に見渡した。「……はぁぁぁぁもう!!」 突然の大声に、3人が同時にビクッとなる。 真琴は腕を組み、顔を真っ赤にして怒鳴った。「ムカつく!!」 烏の群れがバサッと飛び立つような勢いで言い放つ。 そして、ぐるん
last updateÚltima atualização : 2026-01-21
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