ニューヨーク行きの旅客機が、雲海を抜けて夕陽の差し込む空を滑るように飛んでいた。ファーストクラスの静かなシートで、私は窓の外に広がるオレンジ色の世界を見つめていた。膝の上には、大切に抱え込んだ『黒のストラディバリウス』のケース。神崎家の暗い離れで息を殺していた頃、こんな風に世界の空を飛ぶ日が来るなんて、想像すらできなかった。「音羽、少し眠れたかい?」隣のシートから、ケビンが優しく声をかけてくれた。彼の手には、ニューヨーク・フィルハーモニーとの共演プログラムと、カーネギーホール公演の打ち合わせ資料が握られている。「ええ、少しだけ。……なんだか、夢を見ているみたい。神崎家でのこと、日本での悲しい記憶が、遠い昔の出来事のように思えて……」「それは君が過去を乗り越え、自分自身の力で未来を掴み取ったからだよ。これからの君が歩むのは、他人に作られた偽りの人生じゃない。君だけの音楽の道だ」ケビンは温かい眼差しでそう言うと、そっと私の手に自分の手を重ねてくれた。その力強いぬくもりに、胸の奥から静かな勇気が満ちてくるのを感じた。数時間後、夜の静寂に包まれた空港に到着した。プライベートゲートを抜けると、そこにはICPOの手配した警護車両と、カーネギーホールの運営最高責任者であるフレッド氏が待機していた。白髪の上品な老紳士であるフレッド氏は、私とケビンを見つけると、深々と頭を下げて温かい笑みを浮かべた。「ようこそ、ニューヨークへ! 音羽さん、ケビン氏。あなた方をここにお迎えできたことを、心から誇りに思います」「お招きいただき、ありがとうございます、フレッド様」「ガラ・コンサートでのあなたの演奏の録音を聴かせていただきました。あれほど魂を揺さぶる音色は、私の長いキャリアの中でも滅多に出会えるものではありません。明後日の本番、世界中の音楽ファンがあなたの復帰を待ち望んでいますよ」フレッド氏の言葉に、身が引き締まる思いがした。かつて「神崎家の隠し子」「裏金の鍵」として闇に隠されていた私の存在が、いま、一人の独立したヴァイオリニストとして世界に望まれているのだ。指定されたマンハッタンの中心街にあるホテルのスイートルームへチェックインを済ませ、私はバルコニーへ出た。眼下に広がるのは、どこまでも続くニューヨークの眩いビル群の明かり。神崎家の重苦しい屋敷の夜
Dernière mise à jour : 2026-08-28 Read More