Home / 恋愛 / 断ち切るのは我が意 / Chapter 161 - Chapter 170

All Chapters of 断ち切るのは我が意: Chapter 161 - Chapter 170

331 Chapters

第161話

隼人が問いかけた。「この女がシャドウじゃないなら、一体誰なんですか?」 「そんなこと、知るはずもないでしょう」と将大は冷淡に言い放った。 はなは呆然と立ち尽くしていた。幾度も重い槌で殴りつけられたような衝撃に、頭の中は真っ白になり、足元が崩れそうになる。 「ち、違う……そんなはずは……」力なく声を漏らすが、その言葉には何の力も宿っていない。 将大は容赦なく畳みかけた。「あなたは一体誰ですか?シャドウに成りすましてまで本部長の座に居座って……一体何のために、こんなことをしたんですか」 技術部の人々は、表向きは平静を装っているが、その口元には抑えきれない冷笑が浮かんでいた。 隼人も追い打ちをかけた。「他人に成りすまして利益を貪る……これは立派な詐欺ですよ」はなは周囲を見渡して叫んだ。「違う、私は嘘なんてついてません! 私は本当にシャドウなんです! あなたたちがグルになって私を嵌めようとしているんでしょう!」 その時、時雄が静かに前に出た。「今更まだ見苦しい嘘を重ねるつもりか。いい加減、本当のことを話したらどうだ」 時雄の放つ冷徹な威圧感に、はなはついに膝を折り、その場に崩れ落ちた。 怒りが頂点に達した光代が一歩踏み出して、ためらいもなくはなの頬を打った。乾いた音が、個室の空気を切り裂いた。「あなたを信じて、引き上げてやったのよ。それなのに最初から最後まで、私を騙して利用していただけなんて」焼けるような頬の痛みを感じながら、はなは悟った。唯一の拠り所である光代という後ろ盾すら、今この瞬間に完全に失った。「おばさん、違うんです、話を聞いて……」 時雄が冷酷に言い渡した。「まだ言い訳をするのか。まあ、勝手にしろ。ただし、筋の通った説明ができなければ、兄さんたちに免じて見逃してやるなどと思わないことだ」 はなは恐怖に身を震わせた。もしこの件が弘武と理香子の耳に入れば、二人は間違いなく自分を切り捨てるだろう。 自分はもともと血の繋がった娘ではない。栞が戻ってきて以来、自分は家の中で疎まれ、立場が目に見えて薄くなっている。しかし最近、来希の会社との関係や、自分がパーセクテックの部長になったことで、理香子の態度は一変した。どこへ行くにも自慢の娘として自分を連れ歩き、来希との盛大な結婚式
Read more

第162話

小林家へ帰ることは、はなにとって死ぬよりも辛いことだ。そこには、彼女が敵と見なしている栞がいるからだ。これまで、名門校を出ていて、頭も切れる自分こそが小林家の令嬢にふさわしいと自負してきた。しかし、今回の不祥事がお祖母様の知るところとなれば、もはや面目丸潰れである。理香子も、自分を庇うどころか容赦なく突き放すに違いない。それでも間もなく、はなは光代に半ば引きずられるようにして本家へ連れて行かれた。嵐のような二人が去ると、個室の空気は一変し、それまでの緊張が嘘のように和やかな雰囲気が漂っている。若手の技術員たちは、憧れの将大を囲んでシャドウの噂を熱心に聞き出そうとしている。将大はいつものように穏やかで、隙のない返答を繰り返している。しかし、その瞳は無意識のうちに萌花の姿を追っていた。光代に代わって時雄が場を仕切り、中断された宴席は再開された。賑やかな笑い声と共に、贅を尽くした料理が次々と運ばれてくる。座り直した際、萌花の隣には将大と時雄が陣取った。二人は萌花を挟んで意気投合したかのように語り合い、酒を酌み交わしている。その様子に萌花は辟易し、何度か「そんなに話が弾むなら、お二人で並んで座ればいいじゃない」と立ち上がろうとしたが、その度に左右から肩をぐいと押さえつけられた。そうしているうちに、萌花もだんだん気づき始めた。この二人、仲よく話しているように見えて、その実、言葉の端々で探りを入れ合っている。酒を飲むペースひとつ取っても、どこか張り合っているようだ。宴もたけなわ、酒に弱い技術員たちはすっかり酔い潰れてしまった。酒を一滴も口にしなかった萌花は自然と後始末を引き受けることになった。タクシーを手配し、酔っ払った同僚たちを一人残らず送り出した。ようやく全てを片付け、二人を正式に紹介しようと個室に戻ると、そこにはもう誰もいない。将大は時雄が自分の再婚相手だとは知らないだろうし、時雄もまた、将大が自分の先輩であることを知らないはずだ。――少なくとも、表向きはそんなはずだが。もっとも、あの二人はあれだけ勘が鋭いなら、すでに互いの正体に気づいているのかもしれない。栄里亭の屋上。夜風が火照った肌に心地よい。そこには、月明かりを浴びて佇む二人の男の姿がある。時雄が懐から煙草を取り出し、将大に差し出した。
Read more

第163話

萌花は大股で二人のもとへ歩み寄った。「こんな屋上で何をしているの?」時雄が一歩前に出ると、萌花の肩を優しく抱き寄せた。「夜風に当たって、先輩と少し話をしていただけさ」萌花は疑わしげな視線を二人に向けた。「いつの間にそんなに仲良くなったの?」「初対面とは思えないほど、意気投合してしまってね」将大も歩み寄ると、萌花の額を指で軽く弾いた。「離婚したことも再婚したことも黙ってるなんて。私のことを、もう忘れてたのか?」萌花は額をさすりながら、決まり悪そうに答えた。「……わざとじゃない。ただ、話すタイミングを逃しちゃって」「今度は、母をアメリカへ連れて、療養させることにしたんだ」将大が静かに切り出した。萌花は驚きつつも、どこか安堵したように頷いた。「……そう。それが一番いいかもしれないね」実はこの二年間、萌花は定期的に療養所へ足を運び、将大の母の様子を見守り続けていた。光代がシャドウの正体を探るために、療養所に監視の目を光らせていることを知った萌花は、正体が露呈しないよう、いつもボランティアの介護スタッフを装って通っているのだ。けれど今の先生は、もう萌花のことを見ても分からない。そのことを思い出すたび、萌花の胸には言葉にできない悲しみが込み上げた。将大は萌花の肩をそっと叩いた。「この二年間、君がいてくれて本当に助かった。母に残された時間はもう長くない。最後くらいは、そばでゆっくり過ごさせてやりたいんだ」「ええ、先輩、落ち着いたら、会いに行くと約束するわ」時雄が二人の会話に割って入るように一歩踏み出した。「先輩、出発の際はこちらで専用機を手配しましょう。その方が、お母様も体に負担なく移動できるはずです」「いえ、小林さんにそこまでお気遣いいただくわけには……」将大が遠慮がちに断ろうとすると、萌花が横から口を挟んだ。「いいのよ、先輩。彼に任せて。彼の厚意に甘えるのは、私に甘えるのと同じことだわ。それに、彼は一応資本家なんだから、この程度のことは何てことないはずよ」時雄の口元に、満足げな笑みが浮かんだ。「その通りです。俺にとっては造作もないこと。どうか遠慮なさらないでください」二人の強い勧めに、将大も最後にはその申し出を受け入れた。別れ際、将大は萌花の頭を優しく撫でた。
Read more

第164話

萌花はふうとため息を漏らした。「別に後悔なんてしていないわ。人生、常に順風満帆とはいかないものよ。人は選ばなかった道を美化して、過去の選択を悔やみがちだけど、私は違うわ」彼女は軽く肩をすくめて続けた。「自分が今歩んでいる道こそが、常に最善だと思っているの。たとえそれが間違いだったとしても、自分の手で正しい道に変えてみせる。それだけよ」来希との出会いも、失敗に終わったあの結婚生活も、萌花は一度も後悔したことはない。良いことも悪いことも、すべては自分の人生を彩る大切な経験であり、人生とはただそれを味わい尽くすためのものだと考えているからだ。時雄はどこか痛々しげに頷いた。「かつては道を踏み外していたようだが、ようやくまともな軌道に戻ってこれたというわけだ。運がいいな」萌花は冷ややかな視線を送った。「随分と自分に都合のいい解釈をするのね」時雄はふっと笑うと、ふと思い出したように尋ねた。「……ところで、先輩はなぜ君をちび豆ちゃんなんて呼ぶんだ?」萌花は何気なく答えた。「子供の頃から、よく私の頬っぺたを捏ね回していたの。お餅みたいに柔らかくて、あずき入りの大福みたいだって。それがそのままあだ名になっただけよ」運転中の時雄が、不意に萌花の方を向いた。そして手を伸ばすと、彼女の頬を指先でぷにっと軽くつねった。「……こうか?」「な、なによ」萌花は再び彼を睨みつけた。時雄は面白くなさそうに唇を尖らせた。「あいつには捏ねさせて、俺にはダメなのか?」「子供の頃の話だって言ってるでしょ。先輩だって、今はもうそんなことしないわ」時雄は不満げに鼻を鳴らした。「でも、いまだに君のことをちび豆ちゃんと呼んでいるじゃないか」「あだ名なんだからいいじゃない」「あいつは君をちび豆ちゃんと呼んで、君はあいつを先輩と呼ぶ。二人だけの特別な呼び名があるのに、俺たちの間には何もないじゃないか」萌花は眉を寄せた。今日の時雄はどうしてしまったのか。まるで拗ねた子供のように、妙なことにこだわっていると思う。二人は十年の付き合いで、今では夫婦だ。しかし、萌花はずっと彼のことをフルネームや義務的な呼び方で通してきた。それが当たり前だと思っていたが、将大が呼ぶちび豆ちゃんというあだ名を耳にして以来、時雄の心には穏やかならぬ
Read more

第165話

萌花は席に腰を下ろし、そのまま和樹と話しながらデザートを口にした。「今日、入試の結果が出たのよね?」たしか今日が発表日なはずだ。もっとも、萌花は和樹の結果について少しも心配していなかった。当の本人も、まるで大したことでもないような口ぶりで答えた。「点数、非公開になってました」萌花はすぐに意味を察して、ふっと笑った。「じゃあ、おめでとう言わなきゃね」成績が非公開になるのは、上位者だけだ。つまり今回の和樹は、かなりいい結果を出したということだ。「進学先はもう決めたの?」「東西大学と首都大学のどっちかでいいかなって迷ってます。特に強いこだわりはありません」その何でもないような言い方に、萌花は思わず苦笑する。「そんなふうに言うと、そのへんの普通の大学みたいに聞こえるわよ」しばらくそんなふうに話したあと、萌花は自分の部屋へ戻った。部屋に入ると、時雄はもう風呂を済ませていて、部屋着姿のままベッドの端に腰掛け、タブレットを見ている。胸元のボタンは上のほうがいくつか外れたままで、引き締まった胸元が大きくのぞいていた。髪もまだ完全には乾いておらず、いつもより少し柔らかく乱れている。普段の隙のない雰囲気が薄れて、その姿は妙に若く見える。萌花はそばまで行き、何気なく声をかける。「私を待ってるの?」すると時雄は、顔も上げずに言った。「ちび豆ちゃんの考えすぎだ。仕事してるだけだ」そこで萌花も、ついに堪忍袋の緒が切れた。すっと歩み寄ると、時雄の手からタブレットを取り上げた。「あなた、いい加減にして。いつまで引っ張るつもりなの」時雄はふんと鼻を鳴らし、わざと顔を背けた。表情は意地っ張りそのものなのに、声だけはどこか弱気だ。「まだ終わってない」その様子に、萌花は呆れるやら可笑しいやらで、思わずため息が出そうにな流。彼女はそのまま背を向け、着替えを取ろうとウォークインクローゼットへ向かった。すると、自分を放っておかれたことで、時雄のほうが先にしびれを切らした。勢いよく布団をはねのけ、そのまま追いかけてきた。「ここまで分かりやすく拗ねてるのに、本当に何もしないつもりか?」萌花は服を選びながら、いかにも素っ気なく答えた。「私、そういうの上手じゃないの」その返しに、時雄は本気で心に傷を負
Read more

第166話

萌花はわざと背伸びをして、時雄の耳もとへ唇を寄せた。「あなた、あなた、あなた……」そう何度も繰り返しながら、小さく首を揺らして、どこか得意げに笑ってみせる。そんなに聞きたいなら、いくらでも聞かせてあげる――彼女はそういうつもりだ。けれど萌花は、この言葉にそこまでの破壊力があるとは思っていなかった。まさか、その代償があんなにも大きいなんて。その夜、萌花はほとんどまともに眠れなかった。全身の力が抜けるほど疲れ切って、ようやく意識が落ちかけるたび、彼がまた耳元で甘く囁いた。「もう一回だけ。あと一回だけでいいから」そう言っておきながら、結局は一度きりで終わるはずもない。一回が二回になり、二回が三回になった。萌花は心の底から誓った。もう二度と、あの人をそんなふうには呼ばないと。あれは呼び名なんかじゃなく、完全に危険なスイッチだ。その夜、起きていたのは二人だけではない。小林家では、はなが光代に連れ戻されたあと、そのまま理香子のところへ送られた。理香子は彼女を外へ引きずり出し、硬い敷石の上に跪かせると、容赦なく罵り続けた。案の定、騒ぎを聞きつけた栞まで、わざわざ帰ってきた。もちろん、はなの失態を笑うためだ。「母さん、彼女本当にみっともないったらありゃしないわ。これじゃ叔母さんや叔父さんの前で、もう顔なんて上げられないでしょう。ちょうどいいし、きっぱり縁を切ったらどう?」もともと栞は、ずっとはなを小林家から追い出したかった。はなは泣きながら理香子の裾をつかんだ。「お母さん、お願いです……今回だけは許してください。私が悪かったです」理香子の目には、怒りと軽蔑しか浮かんでいない。「人になりすますなんて、そんな恥さらしな真似をよくもしたものね。しかもあれだけ大勢の前で全部ばれて、こっちまで顔を潰されたのよ。どうしてこんなに愚かなの」はなはしゃくりあげながら言い募った。「お母さんに認めてほしかったのです……私は名門大を卒業してるし、技術も、能力だってあります。ただ、きっかけがなかっただけなんです。まさかこんなことになるなんて、本当に思ってなくて……」そして涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、必死に縋りついた。「お母さん、私もあなたの娘でしょう?十五年も育てた娘なのに、見捨てな
Read more

第167話

はなはすぐ病院へ向かった。そのころ尚子は、ようやく危険な状態を脱したばかりだ。とはいえ、まだしばらくは集中治療室で様子を見る必要がある。病院で来希の姿を見つけると、はなはまず尚子の容体を気遣うように尋ねた。その様子はどこまでも健気で、目も泣きはらして赤く腫れている。そんなはなを見て、来希の胸には申し訳なさがこみ上げた。「今夜、何があったんだ?」そう問いかけた途端、はなの目からまた涙があふれ出した。ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながらも、彼女は何ひとつ来希を責めようとはしない。ただ黙って泣くばかりで、その姿がかえって痛々しい。来希はたまらず、はなを抱き寄せた。「もう泣くな。悪かった。今夜は本当に、つらい思いをさせた」はなは涙声のまま、ぽつりと言った。「来希さん……もう私、パーセクテックには戻れないの。来希さんのために最新技術の情報を取ってくることも、もうできなくなった」こんなときでも、自分のことよりまず彼の役に立てないことを考えている。来希はその言葉に、いっそう胸を打たれた。後ろめたさもある。申し訳なさもある。だがそれ以上に、はながここまで自分を思ってくれていることがありがたい。「もういい。それはそれでいい。幸林テクノロジーでは、これからも君に研究開発本部長を任せる。会社が上場すれば、俺たちはもう誰の顔色もうかがわなくて済む」そして、はなの肩を抱いたまま、低く言い聞かせる。「はな、この先、世界でいちばんいいものを全部君にやる」はなは潤んだ目で彼を見上げ、こくりとうなずいた。「来希さん……この世で、私にいちばんよくしてくれるのは、やっぱりあなただけなのね」そう口では言いながらも、はなの胸の内には別の思惑が渦巻いていた。そこにあるのは愛情ではない。来希は今の自分にとって、もっとも都合のいい踏み台にすぎない。いずれこの踏み台を使って、自分を見下してきた人間を一人残らず踏みつけてやる。そんな野心が、静かに彼女の胸に燃えていた。翌日、尚子は意識を取り戻した。目を覚ましたあと、医師があらためて全身の検査を行い、ひとまず容体が落ち着いていると確認されると、尚子は一般病棟へ移されることになった。しかし、目覚めた尚子は大騒ぎになり、泣きわめき、喚き散らし、病室中に声を響かせた。そんな中、はな
Read more

第168話

その話には怜が真っ向から反発した。「なんで私がお母さんの面倒を見なきゃいけないの?昔だって、お母さんが入院したときはお姉さんが付き添ってたじゃない。今はもう、兄さんははなさんと結婚してるんだから、そういうことははなさんがやるべきでしょ」その言い方に、来希の声は一気に冷えた。「はながお前のように暇だと思ってるのか。あいつは幸林テクノロジーの本部長だ。それに赤ちゃんのことだってあるんだ。お前はもう受験も終わったんだろう。毎日何をしてるんだ」もちろん、怜にもこの数日いろいろ予定はある。けれど、それを来希に言えるはずがない。「私には私の用事があるの。やっと卒業したのに、少しくらい自由があるっていいでしょ?友だちと旅行に行く約束だってしてるんだから」その瞬間、来希は本気で怒った。「怜、母さんが病院にいるのに旅行だと?ふざけるな。そんなもの、絶対に許さない」そこでふと、来希はあることを思い出した。そういえば、自分はまだ怜の入試結果を聞いていない。彼は少しだけ声の調子を抑えて聞き直した。「……そういえば、お前、試験はどうだったんだ。志望校は?」成績の話を振られた途端、怜の胸がぎくりと跳ねた。だが、その場しのぎの言い訳なら、もう考えてある。怜はわざと平然とした口調で言った。「成績なんて気にしなくていいよ。どうせ私、一流大学には入れるし」来希は眉をひそめた。「本当か?」もともと怜の成績はそこまで悪くない。調子がいいときには学年でも上位に入っていたし、彼女の通う高校は地域でも有数の進学校で、毎年かなりの学生が一流大学へ進学している。しかし、萌花が家を出てからは怜の成績も目に見えて落ちていた。試験直前には学校にもまともに通っておらず、受験当日だけ試験会場に顔を出したような状態だった。だから来希には、どうしても信じ切れなかった。それでも怜は、きっぱりと言い切った。「本当だよ。絶対に受かる。もし駄目だったら、そのまま田舎に帰ってもいいから」怜がいちばん嫌がるのは、田舎へ帰ることだ。その言葉を自分から口にするのなら、さすがに多少は勝算があるのだろう。来希は、ひとまず信じることにした。「そうか。よくやったな。数日したら、ご褒美にベンツを買ってやる」それを聞いた怜の声が、ぱっと明るくなる。「
Read more

第169話

怜は、これまで貯めてきた小遣いをほとんど使い切って、ブランド物のドレスを一着買った。そのうえ今日は、有名人御用達のヘアメイクまで頼んでいる。五万円以上かけて仕上げてもらったメイクは、見違えるほど華やかである。少し前、和樹のことで学校中の笑いものになったばかりだ。けれど今日の自分なら、たとえ大勢の前に立っても、そう簡単には誰にも気づかれない。まして精巧なマスクまでつけているのだ。だからこそ、今夜だけはどうしても来なければならない。ここで、自分の先につながる足がかりをつかむつもりだ。会場へ足を踏み入れた瞬間、怜の姿はたちまち周囲の目を引いた。華やかなブルーのプリンセスドレスは、それだけで十分に人目をさらう。「え、すご……エルサみたい」「誰なの?何組の子?」「目元しか見えないのに、めちゃくちゃ可愛くない?マスクの下、絶対すごい美人でしょ」あちこちから感嘆の声が上がっている。男子たちの好奇と驚きの混じった視線や、女子たちの羨望や嫉妬の入り混じったまなざし。それを浴びた瞬間、怜の中で、久しく忘れていた優越感がふっと顔を出した。そう、今日はこうなるために来たのだ。誰よりも目立って、誰よりも強く印象を残すために。パーティーの会場の中央には大きなダンスフロアが設けられていて、怜がその中央へ進み出たちょうどそのとき、流れている曲が「枕もとの童話」へ切り替わった。軽やかなメロディーが会場いっぱいに広がる。怜はつま先でそっと床を蹴り、そのままバレエの動きで踊り始めた。バレエといっても、この数日で急いで覚えた程度のものだ。振り付け自体は難しくないが、それでも、華やかなドレスと会場の空気が重なると、それなりに夢のような雰囲気が生まれる。やがて歌詞が静かに流れ始める。【枕の下に隠した童話の本こっそりしまっておいた小さな幸せあの頃の私は何を打ち明けたかったんだろう秘密の森の子鹿は魔女に出会ってしまうのかな物語がいま幕を開ける——】この曲は会場でもよく知られていて、気づけばあちこちで口ずさむ声が重なり始めていて、手拍子でリズムを取る者もいる。その中心で、怜だけが人の輪に囲まれながら踊っている。シャンデリアの光が滝のように降りそそぎ、そのドレスの裾にきらきらと波紋を散らしていく。本当に、物語の中か
Read more

第170話

すべての発端は、怜が、あのいつも近寄りがたい和樹と二人きりで、屋上ランチをしているところを誰かに見られたことだった。それ以来、校内では怜と和樹は付き合っているらしいというひそかに噂が広がった。怜は成績もよく、家柄のいいお嬢さまだとも思われていて、二人が一緒になれば、周囲が勝手に盛り上がるのも無理はない。多くの生徒が、まるで漫画みたいな学園恋愛の始まりだと浮き足立っていた。ところが、その空気は長くは続かなかった。怜の成績は急に落ち込み、さらにお嬢さまという評判まで怪しくなった。挙げ句の果てには、校内スタジオで和樹に公開告白して、その場であっさり振られてしまった。あのときようやく皆は悟った。和樹が屋上で怜と昼を食べたのは、ただ単に彼女の弁当が気に入っていただけだ。そうして怜に向けられていた周囲の見方も一気に変わり、誰もが勝手に夢見ていた学園の美しい恋物語も、そこで完全に終わった。――だが、今この瞬間。ダンスフロアの青いドレスの姫は、まっすぐ和樹のほうへ歩いた。その光景に、周囲は思わず息をのんだ。まさか、和樹に声をかけるつもりなのか。あの和樹に――そんなことができるなんて、どれほどの度胸がいるだろう。けれど、今夜の青い姫には、それだけの華がある。まさに今夜いちばん目を引く存在だ。とはいえ、誰もその正体が怜だとは思っていない。あれほど大勢の前で恥をかいた本人が、また人目の集まる場所に現れるはずがない――皆そう思い込んでいたのだ。怜はスカートの裾をつまみながら、一歩ずつ和樹へ近づいていくにつれて、胸の鼓動はどんどん速くなった。今度こそ、絶対に失敗できない。成功しなければ意味がない。今夜会場に入ってからというもの、怜の視線はずっと和樹だけを追っている。似たような服装の男子が大勢いる中でも、彼だけは一目で分かった。同じように仮面をつけていても、それでも和樹だとすぐに分かった。怜にはまだ、和樹が自分だと気づいているのかどうかは分からない。けれど、さっきまで彼はずっと自分の踊りを見ている。それだけで、少なくとも興味は引けている――怜はそう信じた。やがて怜は、和樹の目の前までたどり着いた。彼女は何も言わず、ただ片手をそっと差し出した。それは、ダンスに誘うしぐさである。その瞬間
Read more
PREV
1
...
1516171819
...
34
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status