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All Chapters of 断ち切るのは我が意: Chapter 151 - Chapter 160

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第151話

はなの顔色はひどく悪くなった。彼女は光代のほうを見て、甘えるような声を出した。「光代おばさん、この人たち、こんなふうに私をいじめるんです」その「おばさん」という呼び方に、光代はあからさまに眉をひそめた。彼女は社内で身内づきあいを持ち込まれるのが大嫌いだ。はなを評価したのも、決して彼女が一族の人間だからではない。はなはわざとそう呼んだのだ。技術部全員に、自分はただ者ではないと知らしめるために。光代を「おばさん」と呼ぶことで、自分が小林家の令嬢であることを印象づけ流ためである。自分に逆らうことは小林グループそのものに楯突くのと同じだと示したいのだろう。つまり、その肩書きで相手を黙らせるつもりだ。しかし、どうやらこの手は技術部の人では通じない。普段なら噂話など見向きもしない理系気質の男たちが、今日はわざとらしいほど大きな声で言い放った。「なんだ、小林家の人間なのか。コネ入社ってことか?」「それは勝手だけど、なんでシャドウのふりなんてすんだよ?」「シャドウの名前でも使わなきゃ、本部長にはなれないってことだろ」「副社長は社内でも公私混同しないことで有名だったのに、あれもただのキャラ作りだったんだな。身内相手じゃ、甘いなんてもんじゃないな」それを聞いて、光代の顔は、みるみる青ざめた。長年、彼女は会社で常に原則を貫き、職権を乱用したことなど一度もない。しかし今日の一件で、その評判まで根こそぎ疑われてしまった。いまさら何を言っても、簡単には拭えそうにないだろう。光代は険しい表情ではなを睨みつけ、氷のように冷たい声で言い放った。「何か言い訳はあるの?」はなは完全に当てが外れたことを悟った。光代との関係を持ち出せば場を制せると思ったのに、かえって光代の怒りに火をつけてしまった。彼女は慌てて弁解した。「副社長、私がシャドウです。嘘なんて絶対についていません。あの印鑑は間違いなく私のものです。信じられないなら、鑑定に出しても構いません」「鑑定して何になる。印鑑が本物だからといって、あんたの正体が本物だという証明にはならないだろ」と社員の一人がすかさず反論した。はなは怒鳴り返した。「コードを少し書いたからって、それで彼女がシャドウだという証明になるわけ!?」すると萌花が、ふっと笑って口
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第152話

どうやら光代は、最終的にはなの味方についたようだ。それでも隼人や他の社員たちは全く納得しておらず、はながシャドウであるはずがないと執拗に食い下がった。しかし、はなは少しも慌てていない。そもそもそれは、水掛け論に近い話である。自分がシャドウだと決定的に証明することはできない。だが同時に、向こうにも自分がシャドウではないと断言できるだけの証拠はない。これは永遠に解明されない謎だと彼女は高をくくっていた。その時、光代が突然口を開いた。「実は今日ここに来たのは、元々その問題をはっきりさせるためだったの。シャドウの先輩である菅田将大(すだ まさひろ)博士が、ここ最近帰国した。今夜、席を設けるから、技術部の人は全員参加すること。もちろん、はなも行きなさい」その言葉に、はなは一瞬にして凍りついた。光代は冷たい表情を浮かべ、探るような口調で言った。「はな、まさか菅田さんを知らないわけじゃないわよね?」知らないはずがない。菅田将大――孝允教授の孫であり、シャドウの先輩でもある。それはシャドウの公開情報の中で唯一確認できる事実だ。菅田教授には二人の愛弟子がおり、一人は実の孫である将大、そしてもう一人がシャドウだ。しかし、菅田教授は今認知症を患っており、自分の弟子を見分けることすらできない。将大も、アメリカのトップテクノロジー企業に勤めていて、めったに帰国しない。将大はシャドウと同じくらい謎に包まれた人だが、IT業界では同様に名が知れ渡っている。はなの心は激しく動揺した。将大はシャドウと同じ菅田教授の弟子であり、彼なら間違いなくシャドウの素顔を知っている。もし彼の前に姿を現せば、確実に化けの皮が剥がれてしまう。その時どんな結末が待っているか、想像するだけで恐ろしい。それでも、はなは必死に冷静さを装い、口を開いた。「もちろん知っていますよ。私の先輩ですから。帰国されているなんて全く知りませんでした。もし知っていたら、私のほうから先に連絡していましたわ」光代が続けた。「今日帰国したばかりなのよ。菅田教授のお見舞いに戻ってきたらしい。シャドウがパーセクテックに入社したと聞いて、彼の方から技術部のみんなに食事を奢りたいと言い出したの。あなたの顔を立てるつもりなんでしょうね」はなはぎこちない笑みを浮かべた。「先輩は
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第153話

来希は低い声で言った。「うまく手を回して、菅田をこちら側に引き込むのだ」はなは半信半疑のまま問い返した。「でも……菅田さんはアメリカの一流テック企業に勤める人よね。お金なんて、別に困ってないんじゃない?」来希は淡々と答えた。「お金じゃなく、幸林の持株だとしたら?」はなは息をのんだ。たしかに、将大ほどの立場の人間にとっては、数千万円程度の金額など痛くもかゆくもないだろう。だが、幸林の未公開株となれば話は別だ。幸林グループはまもなく正式上場を控えている。すでに各メディアも試算を出しており、上場後の企業価値は千億円規模に達すると見られる。創業時の持株がどれほどの価値を持つか、それくらい業界にいる人間なら誰でも分かる。しかも幸林は、ここから先もさらに成長していく可能性が高い。将来的にその価値がさらに膨らんでも、何ひとつ不思議ではない。そんなものを差し出されたら、たいていの人間は断れない。はなは胸が熱くなり、思わず声を震わせた。「ありがとう、来希さん……私のために、そこまでしてくれるなんて」すると来希の声色が、少しだけやわらいだ。「俺たち、もう夫婦だろ。君のことは、俺のことでもある。こんなふうに追い詰められてるのに、放っておけるわけがない」その言葉に、はなは感極まって涙をこぼした。「来希さん、本当に優しい……大好き!」その瞬間、来希を選んだのは間違いではなかったとはなは改めて思った。来希は将来性のある男で、それだけでなく、自分のためにここまでやってくれる。これから先の人生も、きっと悪くないものになる――はなは本気でそう信じている。だがそのころ、電話口の向こうで来希が浮かべている表情は、どこまでも冷え切っていた。もちろん、来希には別の狙いがある。はなをパーセクテックへ送り込み、シャドウを名乗らせたのも、そもそも来希の差し金だった。彼の狙いは、パーセクテックが握る最先端技術にある。重要な機密も、いずれははなを通して手に入れられるかもしれない。はなは、パーセクテックに置かれている自分の切り札である。だからこそ、こんなところで早々に切り捨てられては困る。彼女を助けるのは当然だ。将大に株を渡すつもりなのも、結局は自分の陣営に引き入れるためだ。世界屈指の技術者を自社の側に取り込めるなら
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第154話

来希は車のキーをつかむなり、足早に外へ向かいながら問いただした。「どうしたんだ。さっきまで普通だったのに、どうして急に病院なんかにいる?」怜は泣きそうな声で答えた。「朝、お母さんはめまいがして具合悪いって言ってたの。でも私、友だちと買い物に出かけちゃって……それで夕方帰ったら、お母さんが床に倒れたまま動かなくて……私、慌てて救急車を呼んだわ。さっきまでずっと兄さんに電話してたのに、全然つながらなかったんだから……」来希は顔をこわばらせた。「医者は何て言ってる?そんなにひどいのか?」怜はもう完全に怯えていて、声も震えていた。「私にもよく分からない……とにかく先に来て。話はそれから……」来希は急いで病院へ向かった。ちょうどそのとき、救急処置を終えた医師が処置室から出てくるところだった。「ご家族の方はいらっしゃいますか。山本さんのご家族は?」来希はすぐに駆け寄った。「はい。先生、母はどうなったんですか?」医師は事務的な口調で告げた。「患者さんは高血糖が原因でケトアシドーシスを起こし、昏睡状態に陥っていました。しかも意識を失っていた時間が長く、臓器全体にかなり負担がかかっています。ひとまず処置で持ち直しましたが、予断を許さない状態です。先に入院手続きをお願いします」その言葉を聞いた瞬間、来希は怜を鋭くにらみつけた。怜はびくりと肩を震わせ、そのまま慌てて入院の手続きへ向かった。一方、来希は医師に付き添って病室へ入った。医師は検査結果の書類を一式差し出しながら、重々しく説明を続けた。「今もかなり危険な状態で、意識はまだ戻っていません。いつ目を覚ますかもはっきりしたことは言えない状況です。それから膵臓ですが、すでにインスリンをほとんど分泌できなくなっています。本来ならインスリン治療が必要な段階だったはずですが、これまで一度も打っていなかったようですね。その影響で臓器へのダメージが深刻化しています。特に腎機能の低下が著しく、この先は透析、あるいは腎移植が必要になる可能性もあります」その話を聞いて、来希もさすがに息をのんだ。「そんな……どうして急に……母はこれまでずっと元気でした。血糖値が高めだとは聞いていましたけど、インスリンを打たなければならないほど悪かったわけじゃないんです。薬で
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第155話

しばらくして、電話はつながった。「はい、どちら様ですか?」聞き慣れた声だった。その瞬間、来希の胸の奥でくすぶっていた怒りが一気に噴き上がった。彼はそれを無理やり押し殺し、低い声で言った。「おまえ、ずっと母さんに何の薬を飲ませてたんだ。腎臓がここまで悪化して……よくそんなことができたな。そんなことをして、いずれ報いを受けるぞ」声を聞いた途端、萌花は電話を切ろうとした。主治医がさすがに見かねて、来希の手からスマートフォンを取り、尚子の状態を簡潔に説明した。それを聞いた萌花は、落ち着いた口調で答えた。「先生、LINEを交換していただけますか。薬の情報をすぐお送りします」通話が切れると、萌花はすぐに主治医に連絡し、薬剤情報や検査資料の画像を何枚も送ってきた。それを確認した医師の表情は、みるみる険しくなった。来希はたまらず問いかけた。「先生、どうなんですか?やっぱり薬に問題があったんですか?あの薬のせいで、母の腎臓が悪くなったんじゃ――」医師は厳しい顔のまま口を開いた。「問題は、薬です」その言葉に、来希はぎゅっと拳を握りしめた。やはり薬なのか。萌花は、表向きこそ献身的で思いやりのある女を装っていたが、裏では母の体を薬で蝕んでいた――そう思った瞬間、来希の胸の奥に、言いようのない安堵にも似た感情がよぎった。自分の選択は間違っていない。あの女を手放したのは正しかったのだと、心のどこかでそう囁く声がした。もう失ったことを悔やむ必要もない。腹を立てる必要も、未練を引きずる必要もない。相手はもともと、そういう女だったから、惜しむ価値など、最初からない。そう思うことで、来希は自分を納得させようとした。だが、医師は説明し続けた。「送ってもらった以前の検査データも確認しましたが、お母さんはもともとかなり深刻な状態でした」「そんなはずありません!」怜が横から思わず口を挟んだ。「ここ二年くらい、お母さんはずっと元気でしたし、血糖値だって安定してました」医師は首を横に振った。「それは、この薬を使っていたからです。これは世界でも最先端の血糖コントロール薬です」来希は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。「……どういうことですか?」医師は資料を見ながら、丁寧に説明した。「二年前
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第156話

怜は医師の話を聞いて、すっかり青ざめた。それでもなお、か細い声で言い訳を口にした。「だって……こんな大ごとになるなんて思わないじゃないですか。私、ただ友だちと出かけただけで……」すると来希が、鋭く怒鳴りつけた。「黙れ。萌花が母さんと二年一緒に暮らしてた間は、何ひとつ問題なんて起きなかったんだ。それなのにお前は勉強もせず、こんな大事になっても何も気づかなかったのか」怜も負けじと言い返した。「兄さんだって家のことなんか全然構わないじゃない。電話したって、十回のうち八回はつながらないくせに。私を責める資格あるの?」「俺はお前たちを食わせるために働いてるんだろ!」来希は、ほとんど怒鳴るように吐き捨てた。さすがに本気で怒っているのが分かったのか、怜もそれ以上は何も言えなくなる。なにしろ、尚子はまだ危険な状態だ。その後も来希と怜は、ずっと病院に詰めたままだ。その後、病状の厳しさを告げられ、来希は完全に尚子のことで頭が占められていた。はなの件は、もう頭の片隅にも残っていなかった。しかし、はなのほうは違う。来希ならきっと、もう手を打ってくれている――彼女はそう信じ切っている。これまで、来希は一度口にしたことをほとんど裏切ったことがないからだ。だから、仕事が終わって技術部の人たちと店へ向かうころには、はなの表情に焦りはほとんどない。むしろどこか余裕すら漂っている。その様子を見て、光代でさえ、はなこそシャドウ本人なのではないかと思いかけた。でなければ、ここまで自然に振る舞えるものだろうか。萌花もまた、はなの芝居のうまさには感心していた。ただ同時に、ここまで落ち着いていられるということは、何かしら切り抜ける算段があるのだろう、と感じた。車にいるあいだ、萌花は将大にメッセージを送った。【先輩、今日の午後、誰か会いに来たりした?】返事はすぐに返ってきた。【いや、誰も来てないよ】萌花は少し気にはなったが、それ以上は追及しなかった。すると、向こうから続けてもう一通届いた。【ちび豆ちゃん、今夜君も来るんだろ】萌花は「うんうん」と軽い調子のスタンプを返したあと、さらに打ち込んだ。【でも約束よ。私のこと、知らないふりしてね】【分かったよ。でも、どうして自分がシャドウだって知られたくないんだ?】【
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第157話

はなは唇を強く噛みしめ、「……はい、社長」と答えた。時雄は室内をサッと見渡し、そのまま萌花のもとへ真っ直ぐ向かった。萌花の隣の席はすでに埋まっており、左にはプログラマーの天野満(あまの みちる)が、右には隼人が座っている。普段から、二人はまるで萌花を守る左右の護衛のようだ。時雄は隼人の背後に立つと、その椅子を軽く蹴った。「どけ。ここ、俺が座る」隼人は不満げに立ち上がりながら、ぼそりと文句を漏らす。「いや、ほかにも空いてる席あるでしょう……」結局、時雄は思い通りに萌花の隣に腰を下ろした。周りはなんとも言えない微妙な表情を浮かべている。萌花は時雄をちらりと見て、微かに眉をひそめた。彼がここに来るとは本当に思っていなかった。はなの件にせよ、シャドウの件にせよ、本当のところ萌花としては時雄に手を出してほしくない。すべて自分の問題であり、自分ひとりで解決できるから、助けは必要ないと思っているのだ。それに、彼の威光を借りて、二人の関係を周囲に知られるのはもっと嫌だ。そんなことになれば、今の身軽さを失ってしまう気がするからだ。ただ、時雄は萌花の隣に座っただけで、特別親しい素振りを見せるわけではなかった。萌花はたまらずスマホを取り出し、彼にメッセージを送った。【どうして急に来たの?】すぐに時雄からも返信が来た。【君の噂の先輩とやらに会ってみたくてね】それを見た瞬間、萌花は思わず時雄を見た。目を見開き、息が止まりそうになる。しかし、よくよく考えれば、彼が自分の正体に気づいていても不思議ではない。二人の間でシャドウに関する話題が出たことは一度もないが、彼ほどの頭脳があれば、特許を象徴的な額で幸林テクノロジーに売却した件だけで、すでにすべてを察しているはずだ。時雄が現れてからというもの、はなは言いようのない不安に駆られていた。もし今夜ここで何かひとつでも綻びが出れば、パーセクテックでの立場を失うどころでは済まない。最悪の場合、小林家の人間としての居場所すら危うくなるかもしれない――そんな不安が頭をよぎった。結局、はなはもう一度来希に確認するしかないと判断した。「ちょっとお手洗いへ」はなはそう言って席を立ち、誰もいない廊下を見つけて来希に電話をかけた。その頃、来希はまだ病院にいた。スマホ
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第158話

「後輩はかなりの意地っ張りでしてね。何度もアメリカに来るよう誘ったのですが、どうしても首を縦に振らなくて。でも、今こうしてパーセクテックを選んだのなら、本人にとっても悪くない落ち着き先なんでしょう。むしろ私のほうこそ、小林さんにはお礼を申し上げないといけませんね」将大は穏やかに語った。光代は笑みを返しつつ、静かに口を開いた。「ご安心ください。我々もシャドウを無下にするようなことは致しません。ただ、今は少しばかり身分に関わる問題がありまして……」「身分の問題、ですか?」そう問い返されると、光代はさりげなく話題を切り替えた。「今日、シャドウとは連絡を取りましたか? あなたがこちらへいらっしゃることを知っているのでしょうか?」これは光代による探りだ。もし、はながシャドウでないならば、将大と連絡がつくはずもない。光代としては、はながシャドウであってほしい。パーセクテックの研究開発本部長という重要なポストを与えたのは自分だ。もし人違いだとなれば、それは重大な失策であり、時雄に格好の攻撃材料を与えることになってしまうからだ。将大が時雄と対面する前に、まずは自分自身で確信を得て、心の準備をしておきたい。将大はにこやかに答えた。「ええ、もちろん連絡しましたよ。今夜はちび豆ちゃんに会えるのを楽しみにしてきたんです。ずいぶん長いこと会っていませんでしたから、寂しくてね」その言葉を聞いて、光代は安堵したように微笑んだ。「それなら、早く入りましょう」光代に案内され、将大は個室の方へと歩き出した。その様子を物陰から見ているはなは、ようやく大きなため息をついた。将大はシャドウと連絡済みだと言い、今夜会えるとまで口にした。それはつまり、来希がすべてを完璧に手配してくれたのだ。将大は、幸林テクノロジーの株を受け入れることにしたのだろう。ならば、今夜の芝居にも喜んで協力してくれるはずだ。そう確信すると、はなの胸には言いようのない高揚感がこみ上げてきた。将大の口から、自分のことを後輩だと認められたとき、あの場にいる全員がどんな顔をするのか――それを想像するだけで、ぞくぞくした。自分がシャドウだと確定したあと、あの連中がまだ何か言えるのかも見てみたい。将大という後ろ盾さえあれば、もう二度と自分の正体を疑う者など現
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第159話

萌花の言葉を聞いて、将大の顔には隠しきれない笑みが浮んだ。しかし、その瞳の奥には、それ以上の困り果てたような、やるせない響きが混じっている。席に座っている時雄は、将大が萌花に向ける眼差しをじっと捉えていた。その瞳から溢れんばかりの慈しみが漏れ出している。それなのに、将大は表面上は平静を装い、他の人と変わらぬ丁寧な調子で「こちらこそ、はじめまして」と挨拶を交わした。だが、挨拶を終えた直後、彼は密かに口の形を動かした。声にはならなかったが、萌花を呼んでいるような気がする。しかも、彼女の本名ではない。それは、二人だけの特別な愛称なのだと時雄は直感した。時雄の視線は、二人の固く結ばれた手に注がれる。先ほど観察した限り、将大には潔癖症の気があるようだ。他人との握手は指先だけで、最低限の接触に留めている。しかし、萌花に対しては違う。彼女の手を包み込むようにしっかりと握り、もう片方の手でその白い手首を優しく支えている。それは明らかに、再会の喜びと親密さを物語っている。時雄は背もたれに体を預け、目を細めてその光景を眺めた。次の瞬間、彼は不意に立ち上がって、将大のもとへ歩み寄った。萌花の隣に立ち、将大に手を差し出した。「菅田博士、お名前はかねがね伺っています」将大はようやく萌花の手を離し、時雄と握手を交わした。やはり、指先だけの儀礼的な握手だ。その微笑みは温和で、春の風のように穏やかだった。「小林グループの社長ですね。お会いできて光栄です」「社長なんて他人行儀な呼び方はやめてください。身内も同然なのですから、これからは時雄で結構です。俺も先輩と呼ばせていただきますよ」その先輩という言葉に、将大は本能的に萌花を見た。二人の間を泳ぐ視線は、すでに何かを察しているようだ。光代もまた、どこか奇妙な空気を感じ取っている。時雄は決して腰の低い男ではない。それなのに、自ら進んで先輩などと呼ぶのは、どう考えてもおかしい。「先輩!」皆がそれぞれの思惑を巡らせている中、入り口から弾んだ女の声が響いた。その声には、再会の喜びと甘えるような響きが混じっている。人々が振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべたはなが立っている。はなは深く息を吸い込むと、軽やかな足取りで近づいてくる。将大を取り囲んでいた人々は、気を利か
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第160話

はなは心臓がドクリと跳ねるのを感じた。まるでいきなり崖っぷちへ突き落とされたような感覚だ。さっきまであれほど揺るがなかった自信が、一気に音を立てて崩れていく。心臓は早鐘を打つように激しく波打っている。しかし、もしかして来希がまだ詳細を伝えきれていないだけだと、彼女はすぐに自分に言い聞かせた。それに、将大が自分と初対面なのは事実なのだ。はなは強張った笑みを浮かべ、必死に自分を売り込んだ。「何をおっしゃるんですか。私はシャドウですよ。ほら、ちび豆ちゃんですよ」彼女はあえて、将大がシャドウを呼ぶ時の愛称を口にした。ここまで言えば、察するべき人間なら分かるはず。はなはそう踏んでいる。しかし、将大は無表情ではなを見つめるだけだ。眼鏡の奥の瞳は凪いだ海のように静かだが、そこから放たれる威圧感に、はなは言いようのない不安に駆られる。彼は株を受け取ったはずだ。ならば、協力してくれるのが筋ではないか。「……そんな。久しぶりすぎて、先輩、私の顔を忘れてしまったんですか?」引くに引けないはなは、衆人環視の中でボロを出さぬよう、必死に演技を続けた。来希がすべてを整えてくれたはずだと縋るしかない。負けるわけにはいかないのだ。将大はしばし沈黙した後、はなから距離を置くように一歩下がった。そして光代のほうへ顔を向けると、自分のこめかみのあたりを軽く指しながら、さらりと言った。「この人、頭でもおかしいんですか?」一瞬にして、室内の空気が凍りついた。誰もが驚愕の表情を浮かべ、光代ですら言葉を失っている。光代は真っ青になったはなを一瞥し、困惑混じりに尋ねた。「……彼女が、菅田さんの後輩のシャドウではないのですか?」将大は淡々と答えた。「小林さん、冗談はやめてください。シャドウは明るくて、聡明で、筋の通った女性です。こんなふうに人違いをして騒ぎ立てるような、わけの分からない女であるはずがないでしょう」将大の容赦ない一言に、個室は静まり返った。その言葉を聞いて、萌花は唇を噛んで必死に笑いを堪えた。事前に将大とやり取りしたとき、事情を聞いた彼は「少し懲らしめてやろうか」と冗談めかして言った。萌花もそのときは、軽く「お任せするわ」と返しただけだった。まさか、いつも穏やかで上品な先輩が、これほど辛辣な言葉を浴びせるとは思
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