All Chapters of その魔法が解ける前に: Chapter 61 - Chapter 70

107 Chapters

第61話

「でも、どうしてそんな話を?」 壱馬さんの声は、静かで、少しだけ探るような響きだった。 問いかけというより、私の気持ちの奥をそっと覗こうとするような、そんな優しい手つきの言葉。 私は、少しだけ目を伏せた。 理由なんて、はっきりしていない。でも、話したかった。 「…壱馬さんの寝顔を見ていたら、なんだか、話したくなってしまって」 理由もなく、ただ… 壱馬さんの寝顔が、何かを思い出させた。 記憶の形をしていない記憶。 感情の輪郭だけが残っていた。 「壱馬さんが、夢の中で誰かを呼んでるみたいに見えて。それが、私の夢と少し似てる気がして…」 言いながら、自分の胸がじんわりと熱くなるのを感じた。 誰かを呼んでいるけれど、それが誰かも分からない。 声も届かず、走っても追いつけない。 その感覚が、彼の寝顔に重なって見えた。 壱馬さんは何も言わなかった。 ただ、一瞬だけ顔がひきつったように見えた。 触れてはいけないものに、触れてしまったのかもしれない。 「勝手に重ねてしまって、ごめんなさい」 でも壱馬さんは、首を横に振った。 彼の目は、私を見ていなかった。 その横顔には、言葉にならない何かが滲んでいた。 「謝らないでよ。俺のことを思って言ってくれたんでしょ?」 その言葉に、胸がふわりとほどけた。 彼が、私の気持ちを受け止めてくれた。 それだけで、この夜が少しだけ優しくなった気がした。 「一人だけじゃ
last updateLast Updated : 2026-02-21
Read more

第62話

「こんなに人のこと好きになったことないから、どうすればいいのか分からないんだよ」 壱馬さんの声は、少しだけ震えていた。 それは、怒りでも苛立ちでもなくて、戸惑いだった。不安だった。 そして、切実な想いだった。 「私は…いえ、なんでもないです」 言いかけた言葉を、飲み込んだ。 壱馬さんの気持ちに、どう応えればいいのか分からなかった。 「困らせてごめんね。花澄が振り向いてくれるまで、ちゃんと待つから」 壱馬さんは、私の気持ちを急かさなかった。 待つと言ってくれた。 だからこそ、涙が出そうになった。 どれだけ待たれても、私には気持ちに応えられない理由がある。 それは、壱馬さんのことが嫌いだからじゃない。 むしろ…好きだから。 先にある未来に、私は立っていない。 きっと壱馬さんの手を取って歩いているのは、私じゃない。 私じゃなくて、お姉様だ。 彼が本当に必要としているのは、私じゃない。もっと強くて、もっと彼の隣にふさわしい人。 私は、その影に隠れているだけ。 彼の優しさに触れて、少しだけ夢を見てしまっただけ。 でもその夢は、現実にはならない。 だから、 「すみません、」 それしか言えなかった。 その言葉の奥には、たくさんの感情が詰まっていた。 彼の気持ちに応えたいという、まだ言葉にならない願い。 ちゃんと嬉しいのに、私にその未来は来ないという事実だけが残る。 「なんで花澄が謝る
last updateLast Updated : 2026-02-21
Read more

第63話

「俺は、花澄の優しいところが好きだよ」 その言葉が落ちた瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。 まるで誰にも見せたことのない部分を、そっと撫でられたような気がした。 誰にも見せたことのない、見せる必要もないと思っていた部分。むしろ、気を遣いすぎて疲れてしまう自分を、ずっと否定してきた。 それを、壱馬さんは好きと言った。 「なに言って、」 照れ隠しのように言葉を返したけれど、声が少しだけ震えていた。 嬉しいのに、どうして素直に受け取れないんだろう。 誰かに褒められることに慣れていなくて、信じることが怖くて、つい否定してしまう。 そんな自分が、少しだけもどかしかった。 「でも、その謙虚さがそうさせてるなら、もっと自信持っていいと思う」 自信なんて、持ったことがなかった。 誰かと比べては、自分には何もないと思い込んでいた。いや、実際私には何もなかった。 華やかさも、人を惹きつけるような魅力も、何かに秀でた才能も。 私は、ただ静かにそこにいるだけの人間だった。誰かの後ろで、そっと支えることしかできない。 そんな自分に、価値があるなんて思えなかった。 「私に自信を持てるものなんてないです」 ずっとそう思って生きてきた。 誰かに必要とされることも、誰かに選ばれることも、自分には縁のないものだった。 「誰かのために動けるところとか。言葉にしなくても、空気で気づけるところとか。そういうのって、誰にでもできることじゃないよ」 そんなふうに見てくれていたんだ。 私が気づかれたくなくて、そっと隠していた部分を、彼はちゃんと見てくれていた。
last updateLast Updated : 2026-02-22
Read more

第64話

「え?」 驚きと戸惑いが混ざった声が、自然と漏れる。 「俺に、少しでも心開いてくれてるのかな。なんて思えるから」 それは……私にとって怖いことだった。 誰かに見られること。触れられること。拒まれること。 全部が怖かった。 でも、壱馬さんは違った。 「開いて…ます」 壱馬さんは、無理に踏み込もうとせず、ただ私の隣にいてくれた。 その存在が、私の中の怖さを少しずつ溶かしていった。 涙は、壊れたからじゃない。壱馬さんの優しさに、心がほどけたから。 そう思えたら少しだけ、泣いた自分を許せる気がした。 「うん。嬉しい。俺さ、花澄のこともっと知りたい」 その言葉は、あまりにもまっすぐだった。 「私のこと、?」 私のことを知っても、何も面白くない。 ただの普通の人間。 飛び抜けた特技があるわけでも、面白い趣味を持っているわけでもない。 「花澄が何を好きで、何に悩んで、どんなふうに笑うのか。全部」 その言葉に、胸がぎゅっとなった。 私の存在をまるごと受け止めようとしてくれている気がした。 そんなことを知りたかったんだ。 「……私なんて、面白くないですよ」 そう言いながらも、心のどこかで、知ってほしいと思ってしまった自分がいた。
last updateLast Updated : 2026-02-23
Read more

第65話

「ピンク、です」 言った瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。 私がずっと好きだった色。 柔らかくて、優しくて、見ているだけで心が落ち着く。 でも、どこかで子供っぽいと、笑われるかもしれないと、心の奥にしまい込んでいた色でもあった。 壱馬さんは少しだけ目を見開いて、すぐにふわりと笑った。 「なんか、花澄の雰囲気に合ってる気がする」 その言葉に、私は思わず息を止めた。 「……そうですか?」 それは、褒められているのだろうか。 それとも、子供っぽいと思われているということなのだろうか。 「優しくて、でも芯がある感じ。淡いだけじゃなくて、ちゃんと色がある」 ピンクという色が、ただの好みではなく、私の内面と重なっていると感じてくれたことが、嬉しかった。 堂々とピンクが好きだと言っていいんだ。そう思えた。 「壱馬さんは?」 「俺は…青かな。空の色も、海の色も好きでさ。なんか落ち着くんだよね」 空の青。海の青。 広くて、深くて、どこまでも続いていく色。 その中には、静けさと孤独、そして希望が混ざっている。 「いいですね」 そう言った瞬間、自分の声が少しだけ柔らかくなっていることに気づいた。 壱馬さんは、少し照れたように笑った。 その笑顔は、いつものように穏やかで、でもどこか少しだけ幼さを残していた。 「ふふっ。なんだか、小学生の頃に戻ったみたいだね」 壱馬さんがそう言って笑うと、私もつられて笑ってしまった。 確かに、好きな色を言い合うなんて、大人にな
last updateLast Updated : 2026-02-23
Read more

第66話

「そう?」 壱馬さんは、私の顔をじっと見つめる。 その視線が、まるで体温計のように、私の体調を測っている気がして、少しだけ恥ずかしくなる。 「休日は何時に起きられますか?」 話題を変えるように、私はそう尋ねた。 明日こそは、ちゃんと朝食を作る。 それだけのことなのに、私にとっては彼の生活の一部に触れられるような気がして、少しだけ特別だった。 彼のために何かをすることで、自分の存在が、少しだけ意味を持つような気がした。 それが、私にとっての返すということだった。 「どうして?」 壱馬さんの問いに、私は少しだけ言葉を詰まらせる。 でも、すぐに答えを紡ぐ。 「それに合わせて朝食のご準備をと、」 何かをしてあげたい。 それは、私が彼に返せる数少ないもののひとつだった。 でも壱馬さんは、ふと表情を変えて、少しだけ笑った。 「それよりさ、どこか出かけない?」 その言葉に、胸が少しだけ跳ねた。 「お出かけ、ですか?」 声に出した瞬間、自分の中にある期待と不安が、静かに交差しているのを感じた。 それは、彼と並んで歩くということ。 彼と同じ景色を見るということ。 それが、嬉しくて、怖かった。 「せっかくの休日だし、家にいるだけじゃ退屈かなって」 その言葉に、私は少しだけ頷いた。 でも、すぐに彼が私の顔を覗き込むように言った。 「あ、やっぱり体調悪い?」 その問いに、私は少しだけ迷った。
last updateLast Updated : 2026-02-24
Read more

第67話

「じゃあドライブで……近くの展望台まで行ってみようか。車で30分くらいだし、上まで登らなくても駐車場から景色も見えるし」 その提案に、私は思わず目を見開いた。 何よりも嬉しかったのは、彼が私の体調をちゃんと考えてくれていたことだった。 誰かと並んで座って、同じ景色を見て、同じ時間を過ごすこと。 それが、今の私には、何よりも嬉しかった。 「はい」 その返事は、少しだけ声が高くなってしまった。 「それじゃあ、今日はもう遅いしそろそろ寝ようか」 その言葉に、時計を見なくても夜の深さを感じた。 一緒に過ごす時間が、あっという間に過ぎていく。 それが、少しだけ寂しくて、でも、また明日があると思えることが嬉しかった。 「はい」 その返事には、少しだけ名残惜しさを含んでいた。 もっと話していたい。 でも、私の体調を気遣ってくれているようで、それも嬉しかった。 「明日、楽しみだね」 明日、行けたらいいな。 季節の変わり目で体を壊しやすい体質以前に、なにか予定がある前日は熱が出やすい体質でもあった。 「はい」 小学生の頃は、よく遠足前に熱が出た。熱のせいで行事に参加できたことはあまりなかった。 看病をしてもらった記憶は…ない。私が忘れているだけなのだろうか。 「一緒に寝る?」
last updateLast Updated : 2026-02-25
Read more

第68話

寝室に入って、ベッドに身を投げた。 ふわりと沈む感触に、体が少しだけ緩んだ。 でも、心はまったく休まらなかった。 今日という一日が、あまりにも濃くて、あまりにも静かに、私の中を揺らしていた。 あの時、もしも壱馬さんが戻ってこなかったら… 私は、なんて答えたんだろう。 “かずくんのこと譲ってって言ったら…譲ってくれますか?” 彼女の言葉が、ずっと頭の中に残っている。 「譲る…か」 その言葉が、自分の口から出た瞬間、胸の奥がじんと痛んだ。 今までの人生で、誰かにそんなふうに聞かれたことはなかった。 譲ってなんて。 まるで、私が何かを持っている前提で話されること自体が、初めてだった。 生まれてから一度だって、私のものだったことなんてなかったから。 何かを選ぶことも、何かを守ることも、何かを自分のものとして抱きしめることも。 服も、部屋も、時間も、そして愛情も。 全部、誰かのもので。 私はいつだって、誰かの後にいた。 誰かが使い終わったものを、誰かが飽きたものを、誰かがもう必要としなくなったものを、 借りて生活していた。 私は、余ったものを拾って、それを自分のものだと信じ込もうとしていた。 それが、私の当たり前だった。 だから、壱馬さんも、私のものなんかじゃない。
last updateLast Updated : 2026-02-26
Read more

第69話

「起きて……花澄…起きて」 遠くから誰かの声が聞こえた。 夢の中にいるような、でも現実のような。 まぶたが重くて、頭がぼんやりしていて、それでも、その声だけははっきりと届いた。 その声が、私の名前を呼んでいる。 優しくて、でもどこか焦りを含んだ声。 「ん…、え、壱馬さん?どうしてここに?」 目を開けた瞬間、壱馬さんの顔が視界に入った。 驚きと戸惑いが一気に押し寄せてくる。 どうしてここに?どうして私の部屋に? 頭がうまく回らない。 でも、彼の表情は真剣で、どこか心配そうだった。 「何時になっても起きないから、心配して様子を見に来たんだよ」 様子を見に来た? それだけで、眠気の残る頭が一気に覚めていく。 壱馬さんの表情は真剣で、眉がわずかに寄っていて、目は私の顔を探るように見つめていた。 ただ、本気で心配していた人の目だった。 「いま何時…」 声がかすれていた。 喉が痛い。体が重い。 でも、壱馬さんの前ではそれを隠したかった。 弱っている自分を見せたくなかった。昔からの癖だった。 時計を見ると、長針が1を指していた。 昼はとっくに過ぎていた。 こんな時間まで寝ていたなんて。 焦りと罪悪感が一気に押し寄せてくる。 「っ、すみません。今すぐ朝…昼食のご準備を、」 言葉がうまく出てこない。頭が回らない。 でも、何かしなきゃ。 そう思って、体を起こそうとした。 けれど、足に力が入らなかった。 前に倒れそうになった瞬間、彼の腕が私を支えてくれた。 彼の手の温もりが、私の体に触れた。 「花澄、大丈夫?」 その声が、あまりにも近くて、胸がきゅっと締めつけられた。 心配されることに慣れていない自分が、少しだけ恥ずかしかった。 「すみません。大丈夫です」 反射的にそう答えた。 本当は大丈夫じゃない。 でも、そう言うしかなかった。 そう言って離れようとしたけれど、頭がふらついた。 視界が揺れる。 立っているのもやっとだった。 「体調悪い?」 その問いかけが、まるで私の心の奥を見透かしているようで、胸がざわついた。 「いえ、大丈夫です」 声が少しだけ震えていた。 でも、壱馬さんに気づかれないように、できるだけ平静を装った。 熱があるのを悟られる前に、彼から離れようとした。 その瞬間────
last updateLast Updated : 2026-02-27
Read more
PREV
1
...
56789
...
11
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status