ホーム / 恋愛 / その魔法が解ける前に / チャプター 81 - チャプター 90

その魔法が解ける前に のすべてのチャプター: チャプター 81 - チャプター 90

155 チャプター

第81話

怒りというより、悲鳴に近かった。 私の中に積もっていた感情が、一気に溢れ出していた。 私は立ち上がり、お姉様に詰め寄った。 「そんなの決まってるじゃない。貴方のものを奪うのが好きだからよ」 その囁きは、耳元で静かに響いた。 お姉様の声はあまりにも冷たくて、それでいて、どこか楽しんでいるようだった。 私の痛みを、彼女は喜んでいる。 そう思った瞬間、背筋が凍った。 私の好きを知っていて、それを奪うことに何のためらいもなかった。 私の気持ちは、彼女にとってはただの遊びだったのかもしれない。 私が大切にしていたものを、彼女はまるでガラス細工を壊すように、簡単に手に入れてしまう。 そのたびに、私は何もできずに立ち尽くすしかなかった。 私が大切にしているものを見つけては、それを奪っていくことで、彼女は自分の存在を確かめていた。 そんなこと、とっくの昔から分かっていたはずなのに。 今回も、また同じ。 私は、また奪われた。 大切な人を、想いを、未来を。 「それに、私はただ選択肢を与えただけよ。そして、彼は貴方じゃなくて会社を選んだ」 その言葉は、私の中に残っていた最後の希望を、容赦なく踏みにじった。 そう言い切るその声には、責任も、後悔も、何もなかった。 樹は、私ではなく会社を選んだ。 それは事実だった。 私は、彼の中で守るべき存在ではあっても、選ぶべき存在ではなかった。 彼の未来に、私は必要なかった。 そう突きつけられた気がして、胸の奥が冷たく、鈍く痛んだ。 愛してい
続きを読む

第82話

「…み……花澄…!」 名前を呼ばれた瞬間、意識の底で揺れていた暗闇が一気に引き戻された。 夢の中で何かに追われていたような、胸を締めつけられるような恐怖がまだ残っていて、呼吸が浅い。 その中で聞こえた壱馬さんの声は、遠くから差し込む光のように鮮明だった。 焦りと心配が混ざった声色で、普段より少しだけ荒い息遣いが耳に触れる。 その声に触れた瞬間、夢と現実の境界がゆっくりと戻ってきて、 「っ、…壱馬様」 目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、ベッドのすぐそばで身を乗り出すようにして覗き込む壱馬さんの顔だった。 眉間には深い皺が寄っていて、その表情から、どれほど心配してくれていたのかが伝わってくる。 「すごく魘されてたけど、大丈夫?」 その言葉に、夢の中で感じた恐怖が一気に蘇り、胸の奥がぎゅっと縮む。 でも同時に、不思議な安心感をもたらした。 壱馬さんの手が、触れはしないけれどすぐそばにある気配がして、その距離が心を落ち着かせていく。 大丈夫かどうかなんて自分でも分からないのに、壱馬さんの声を聞くだけで、少しずつ呼吸が整っていくのが分かった。 「夢を見て、」 声が震えてしまうのを抑えられなくて、視線を落とすしかなかった。 夢の余韻がまだ身体にまとわりついていて、その重さをどうしていいか分からなかった。 「嫌な夢を見たんだね」 大切な人が離れていく夢。 お姉様に奪われる夢。 そしてそれは、そう遠くないうちに現実として目の前に現れるだろう。 「起こしてくださってありがとうございます」
続きを読む

第83話

「花澄、落ち着いて。俺はどこにも行かないよ」 夢の余韻がまだ体のどこかに残っていて、心臓は落ち着かず、呼吸も浅い。 そんな不安定な自分を、壱馬さんは責めるでもなく、ただ静かに受け止めてくれる。 「壱馬さん」 確かめるように名前を呼ぶ。壱馬さんがそこにいるという事実を、声にして掴みたかった。 優しく抱きしめてくれる。腕が回される瞬間、世界がふっと静かになる。 体温が触れた途端、張りつめていたものが一気にほどけて、膝が少しだけ震えた。 壱馬さんの胸に顔を埋めると、落ち着いた呼吸が耳元で聞こえてきて、それだけで安心してしまう。 抱きしめられるなんて、望んでいいはずがないのに、離れたくないと思ってしまう自分がいる。その矛盾が苦しくて、でも幸せで、胸がいっぱいになる。 「大丈夫」 壱馬さんの声は低くて落ち着いていて、聞くだけで体の力が抜けてしまう。 大丈夫なんて、根拠のない言葉なのに、彼が言うと本当にそう思えてしまう。 背中をゆっくり撫でられて、呼吸が少しずつ整っていく。 こんなふうに優しくされると、もう二度と離れたくないと思ってしまう。その気持ちが怖いのに、止められない。 「…すみません」 壱馬さんの服を握ってしまっていた指先に気づいて、慌てて離そうとするけれど、うまく力が入らない。 こんな自分を見られたくないのに、見られてしまった。 「もしかして、夢のせい?」 夢の話なんて子どもみたいで言いたくなかったのに、彼の声を聞くと、胸の奥にしまっていた不安がふっと浮かび上がってくる。 こんなふうに気づいてくれる人は、他にいない。 その事実が、また胸を締めつ
続きを読む

第84話

「もう少し時間もらっても良いですか?自分の気持ちを、ちゃんと言えるようになりたいんです」自分の気持ちを素直に言葉にできないもどかしさのせいで、喉が詰まるような感覚になる。壱馬さんにどう受け止められるか怖いけれど、今の自分を正直に伝えたいという思いが勝って、布団をぎゅっと握りしめながら言葉を絞り出す。「もちろんだよ」壱馬さんの返事はあまりにも自然で、肩の力がふっと抜ける。拒まれるかもしれないと一瞬でも思った自分が恥ずかしくなるくらい、優しい声だった。「ありがとうございます」感謝の気持ちを伝えたいのに、声が小さくなってしまうのは、壱馬さんの優しさに触れて心が揺れているから。「そんなに気負わなくても、ゆっくりでいいよ」壱馬さんの言葉は、まるで背中を撫でられるように優しい。 焦っていた心が少しずつ解けていく。自分のペースでいいと言われるだけで、胸の奥にあった重さが軽くなる。「ただ…」言葉を続けようとした瞬間、喉が詰まる。言いたいことはあるのに、声にならない。心臓が早くて、呼吸が浅くなる。「ん?」壱馬さんが優しく問い返す声に、胸がさらに熱くなる。促されることで、余計に言えなくなる。「何もないです。ところで、どうして来られたんですか?」逃げるように話題を変える。声が少し早口になってしまうのは、恥ずかしさを隠したいから。自分でも不自然だと分かっているけれど、これ以上心を見透かされるのが怖くて、別の質問を投げてしまう。「タオルを交換しようと思って」おでこに乗せられていた冷たいタオルも、全部壱馬さんが気を配ってくれていたのだ。寝込んでいる間に、どれほど壱馬さんが動いてくれていたのかを想像すると、申し訳なさとありがたさが同時に込み上げてくる。「あ、ありがとうございます」言葉では足りないくらい、心の中では感謝が
続きを読む

第85話

「明日は家でゆっくりしようね」壱馬さんの声は落ち着いていて、無理しなくていいと言ってくれているみたいだった。 その言葉に安心を覚えながらも、胸の奥に小さな罪悪感が芽生える。もし私が元気だったら、ドライブに行っていたはずなのに。そう思うと、壱馬さんの優しさに甘えてしまっている自分が少し情けなくなる。「ドライブ…」ほんの少しの未練を、抑えきれずに零してしまった。わがままを言いたいわけじゃない。むしろ、せっかく気遣ってくれているのに、未練を口にしてしまった自分が恥ずかしい。「またいつでも行けるよ」壱馬さんの返事はあまりにも自然で、肩の力が抜ける。拒まれるのではなく、未来に約束を残してくれるような響きがあった。私の描く未来と、壱馬さんが描く未来は、同じなのだろうか。未来への小さな不安が交錯して、胸が苦しくなる。信じたい。彼の言葉をそのまま信じて、未来を描きたい。けれど、壱馬さんの描く未来は、本当に訪れるのだろうか。「そう…ですね」私は小さく頷きながら、視線を下に落とす。壱馬さんの顔を見てしまえば、きっと表情に出てしまう。安心と、未来への期待と、ほんの少しの怖さが入り混じった複雑な気持ちを隠すために、布団の模様をじっと見つめる。「家で、映画でも見ながらゆっくりするのも悪くないでしょ?」壱馬さんの提案は、まるで小さな楽しみを差し出してくれるようだった。外に出なくても、二人で過ごす時間が特別になることを教えてくれる。「素敵です」壱馬さんの提案に触れて、胸の奥がじんわり温かくなる。「この前、最後まで見れなかったもんね」壱馬さんの言葉に、胸がきゅっと縮む。あの時のことを思い出して、頬が熱くなる。自分が寝てしまったことが恥ずかしくて、申し訳なくて、胸がざわつく。布団を
続きを読む

第86話

「花?」壱馬さんが少し首を傾げながら問い返してくる。「はい。もしよろしければ」勇気を振り絞って答える。壱馬さんに許可を求めるような言い方になってしまったのは、まだ自分の気持ちを素直に伝える勇気が足りないから。「もちろんだよ。というか、聞かなくても好きにしていいんだよ」壱馬さんは、私に自由をくれる。それはただの許可ではなく、信頼そのものだと感じられる。これまでの人生で、好きにしていいと言われたことはほとんどなかった。何をするにも制約があり、誰かの顔色をうかがいながら過ごしてきた。だからこそ、壱馬さんの言葉は私の心を深く揺さぶる。「この前…」言葉を続けようとした瞬間、喉が詰まる。胸がどくどくと鳴っているのが自分でも分かる。「この前、壱馬さんが私の庭でもあるって言ってくれたとき、本当はすごく嬉しかったです」勇気を振り絞って口にした言葉に、胸がじんわり温かくなる。あの時は何も言えなかったけど、今なら言える。私は初めて、ここにいていいと許されたような気がした。実家では決して与えられなかった感覚。誰かと共有できる空間を持つことが、こんなにも心を温めるものだと、その時初めて知った。「そっか、そうだったんだ」壱馬さんの声は、驚きよりもむしろ柔らかな響きを帯びていた。「楽しみがまたひとつ増えました」これまで未来を思い描くことは怖くて仕方がなかったのに、壱馬さんといると自然に楽しみという言葉が口から出てしまう。「花澄好みの庭にしていいからね」私好みのお庭…その言葉を心の中で繰り返すと、胸がふわりと揺れる。花の色や香り、季節ごとに咲く景色を思い浮かべるだけで、未来が少しずつ形を持つように感じられる。自分の好みを反映させる庭があるなんて、夢のようだ。けれど同時に、少し恐れ多くも感じら
続きを読む

第87話

「それなら、たくさん植えないとね」 壱馬さんの言葉は、まるで未来を一緒に描いてくれているようで胸が温かくなる。 自分の小さな願いが、壱馬さんの言葉によって未来の約束に変わっていく。 「ありがとうございます」 感謝を伝えたいのに、声が上ずってしまう。 「どんな花を植えようか?」 私の好みを尊重してくれるその姿勢に、胸がじんわり温かくなる。 これまで誰かに何がいいか聞かれることは少なく、常に決められた選択肢の中で生きてきた。 私は小さく息を吐き、頬が熱くなるのを感じながら、心臓の鼓動が速くなるのを必死に抑えようとした。 「まずは…ハーデンベルギアとかどうでしょう?」 勇気を振り絞って口にした花の名前は、私の憧れを込めたものだった。そして、今はまだ言えない、告白の答えだった。 紫の小さな花が房のように咲く姿を思い浮かべるだけで、胸がふわりと揺れる。 未来にその花が庭に咲く光景を想像すると、心臓が速くて落ち着かない。 「知らないなぁ。花に詳しいんだね」 花に詳しいと言われることは、私にとって小さな誇りだった。 「お花を見るのが好きなんです。それに、花言葉も」 勇気を振り絞って口にした言葉は、私の心の奥を少しだけさらけ出すものだった。 お花を見ることが好きだと伝えるのは恥ずかしいし、怖いけれど、壱馬さんの前なら言える。 「花言葉?」 壱馬さんの問いかけは、純粋な興味を含んでいた。
続きを読む

第88話

「ありがとうございます。こんな話、初めてしました」花が好きだとか、花言葉に慰められてきたことなんて、これまで誰にも言ったことがなかった。その秘密を胸に抱え続けてきたのは、ただ恥ずかしかったからではない。お姉様は花が私を慰めてくれると知ると、きっと全ての花を枯らしてしまうだろうから。お姉様の前では、花はただの飾りでしかなく、私の心を支える存在だと知られてはいけなかった。けれど壱馬さんの前では、自然と口にできてしまう。「花が好きな話?」私は小さく頷きながら、視線を下に落とす。「はい。それから、花言葉が、私を慰めてくれる気がするって話も」「何の花言葉が好き?」好きな花言葉は沢山ある。愛、真実、優しさ、勇気——どれも私の心を支えてくれる。けれど、その中で一番私を支えてくれたのは…。「スノードロップの…希望」勇気を振り絞って口にした花の名前は、私の憧れを込めたものだった。「希望、か」そう呟いた壱馬さんの表情は、どこか苦しそうで。眉の奥に影が差して、まるで過去の痛みを思い出しているように見えた。声をかけたいのに、どう言えばいいか分からず、ただ布団の端を指先でぎゅっと握りしめる。「厳しい冬を乗り越えて咲く姿からそう言われてるんですよ」私も、あの花のように強く咲きたいと、願っていた。誰にも言えない気持ちを抱え込んで、冬のように冷たい孤独の中で生きてきた。けれど、いつかその冬を越えて、真っ直ぐに咲ける日が来るのではないかと想像すると、胸の奥が少しだけ温かくなった。「そうなんだ」「私も、いつかそんなふうに咲く日が来るのかなって想像すると、元気になれるんです」壱馬さんに何があったのか分からない。その胸の奥に抱えているものは、私が聞いたところで簡単に解決できるものではないのだろう。人にはそれぞれ、自分だけの痛みや過去があって、それを
続きを読む

第89話

「冬を越えた花だけじゃない。冬の途中でもちゃんと咲いている花もあるよ」 壱馬さんの声は穏やかで、けれどその奥に確かな強さが宿っていた。 私はその言葉を聞いた瞬間、心臓がきゅっと縮むような感覚に襲われた。 「そう…ですよね」 壱馬さんの言葉を否定したくはない。むしろ信じたい。けれど、心の奥ではまだ咲けていないという思いが強く残っていた。 だから曖昧に返すしかなかった。 「花澄も、強く咲いてる花だと思う」 まっすぐな瞳に見つめられると、胸の奥が熱くなり、呼吸が少し乱れる。 「私は、咲いてすらないですよ。ただ、冬を越せる自信がなくて、地面にうずくまったまま」 本当は、こんなことを言うつもりはなかった。 心の奥にしまい込んでおけばよかったのに、壱馬さんのまっすぐな言葉に押されて、思わず口から零れてしまった。期待されているみたいで苦しかった。 「花は、誰かに見せるために咲くんじゃないでしょ?」 確かに、そうだ。 花は誰かに見せるために咲くのではなく、自分のために咲いている。 私はずっと、誰かに認められなければ意味がないと思い込んでいた。 咲くことは人に見せるためで、評価されなければ価値がないと。けれど、花はそんなことを考えない。 ただそこにあって、自分の命を精一杯生きるために咲いている。誰かに見てもらえなくても、風に揺れ、雨に濡れ、太陽に照らされながら、自分のために咲いている。 「光があるから咲くんじゃなくて、生きようとするから咲くんじゃないかな」 花は光に導かれて咲くのではなく、暗闇の中でも生きようとする意志があるからこそ咲く。 人も同じで、環境や状況が整わなくても、心の奥にある生きようとする意志が未来を切り
続きを読む
前へ
1
...
7891011
...
16
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status