All Chapters of その魔法が解ける前に: Chapter 71 - Chapter 80

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第70話

「大したことありませんので、」 そう言った声は、自分でも驚くほど弱々しかった。 本当は、体が重くて、喉も痛くて、目の奥がじんじんと熱を持っているのが分かっていた。 でも、大したことないと、言わなければならなかった。 誰かに心配されることが、迷惑をかけることのように思えてしまうから。 立ち上がろうとしたのに、 「だめ」 壱馬さんの手が、私の肩にそっと触れた。 その手のひらの温もりが、あまりにも優しかった。 ああ、だめだ……このまま甘えてしまいそう。そんな危うい感情が胸の奥で静かに膨らんでいく。 「ですが……」 「だめ」 触れたら壊れてしまいそうなものを守るために、そっと手を伸ばすような声だった。 「食事のご準──────」 いつもの癖でそう言いかけた。体調が悪くても、誰かのために動こうとしてしまう癖。 でも、言葉は最後まで続かなかった。 「いいから休んでて」 その言葉は、命令のようで、でもどこまでも優しかった。 壱馬さんの目は真剣で、私の体調を最優先にしているのが伝わってくる。 「で、ですが、今日はドライブに」 声が震えていた。 約束を守りたかった。 壱馬さんとの時間を大切にしたかった。 「それはまた今度。時間はいくらでもあるんだから。ね?」 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。 私は知っている。 時間は、永遠じゃない。 人との関係も、約束も、いつか終わってしまう。
last updateLast Updated : 2026-02-27
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第71話

「それは、」 言いかけた言葉が喉の奥でつかえた。 その先に続けたかったのは、「一人で大丈夫」だったのか、「迷惑はかけたくない」だったのか。 どちらにしても、壱馬さんの前では言いづらかった。 「風邪薬持ってくるから待ってて」 誰かが自分のために動いてくれること。 それが、こんなにも静かに心を揺らすなんて。 「大丈─────」 言いかけた瞬間、壱馬さんの声がかぶさる。 「大丈夫じゃないでしょ。熱が上がったらどうするの」 その言葉は、叱るようでいて、叱っていなかった。 声の奥にあるのは怒りじゃなくて、どうしようもないほどの心配だった。 誰かが、私の体調を気にしてくれること。 それがあまりにも新鮮で、どうしようもなく胸が痛かった。 「月に一度、よくあることなんです。なので、本当に大丈夫です」 言い訳のように口にしたその言葉は、自分でも驚くほど軽くて、空気に溶けて消えてしまいそうだった。 いつものことだからと自分に言い聞かせてきた。 そうやって自分を納得させてきた。 誰にも頼れないから、頼り方を知らないから、そうするしかなかった。 壱馬さんは、その言葉を聞いて、ほんのわずかに眉を寄せた。 「その度に、いつも一人で…?」 頼る人なんて、いませんでしたから。本当はそう言いたかった。 でも、言ったら壱馬さんがもっと心配する。 困らせてしまう。 「我慢するのは、得意なので」 その言葉は、強がりでも、嘘でもなくて、ただの事実だった。 まるで、 痛いのは当たり前。 苦しいのは仕方ない。 そうやって自分に言い聞かせてきた年月が、そのまま声の色になって滲み出てしまったようだった。 「俺って、そんなに頼りないかな」 その言葉に、息が止まりそうになった。 壱馬さんの声が、少しだけ寂しそうで、少しだけ傷ついているように聞こえた。 そんなつもりじゃなかった。 ただ、誰かに頼るということに、慣れていないだけだった。 「っ、そんなわけないです。ただ、一人でいるのには慣れているので、看病は必要ないかと」 言葉が震えていた。 誰かにそばにいて欲しいと、思ったことはあった。 それは今も同じ。 でも、それを口にすることは、あまりにも恥ずかしくて。 だか
last updateLast Updated : 2026-02-28
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第72話

壱馬さんが部屋に戻ってきた。 その姿を見た瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。 「水と、タオルと、はい、熱計ってみて」 私の体調を気にしてくれているその気持ちが、言葉の端々から伝わってきて、胸がきゅっと締めつけられた。 どうしてこんなにも優しくされているのか、自分でも分からなくて、戸惑いと嬉しさが入り混じった。 「は、はい」 声がかすれていた。 喉が痛い。 でも、それ以上に壱馬さんの優しさにどう応えていいのか分からなくて、言葉がうまく出なかった。 ピピピ—— 体温計の音が静かに鳴る。 私はそれを手に取り、壱馬さんにそっと見せた。 「38.3度か…薬飲んでも下がらないようなら、病院行こう」 どうして、こんなにも真っ直ぐに心配してくれるのだろう。私のせいで、ドライブに行くこともできなくなったのに。 そして、もしもこのまま熱が下がらなかったら、壱馬さんは、私を病院まで送ってくれるんだろう。 せっかくの休みなのに、私のせいで…。 「すみません、」 壱馬さんの貴重な時間を奪ってしまうことが、申し訳なくて、苦しくて、迷惑という言葉が喉の奥に自然と浮かんだ。 「お粥食べれそう?」 食欲はないけど、本当のことを言ったら心配をかけてしまう。今は、無理にでも食べる方がいい。 「あ、はい。私が、」 そう言って、体を起こそうとした。 体は重い。 頭も痛い。 でも、これぐらいやらないと。 いつも一人で耐えてきたんだから、これぐらいなんて事ない。 「どうして頼ってくれないの。こんな時ぐらい頼ってよ」 その言葉が、まるで胸の奥を突かれたように響いた。 頼って。その一言が、私の中の壁を静かに揺らした。 今まで私の周りにいた人はみんな、そんなことで頼るな。一人で何とかしろ。と言う人ばかりだった。 頼ることは、弱さの証。甘えることは、価値を下げる行為。 そう思っていたのに。 「壱馬さん、」 名前を呼ぶだけで、声が震えた。 そんなふうに言ってくれたのは、あなたが初めてです。 「人に頼ることが苦手だって知ってる。でも、悲しくなるんだよ」 壱馬さんの目があまりにも真剣で、悲しそうで、その視線に何も言えなくなった。 言葉が出なかった。 涙が、喉の奥でつまっ
last updateLast Updated : 2026-02-28
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第74話

「 昨日、一日一つ質問するって決めたじゃないですか」 言葉にすることで、自分の気持ちが少しずつ形になっていく。 本当は、ただ壱馬さんに、もう少しだけそばにいてほしかった。 でも、それを素直に言う勇気は、まだ私にはなかった。 どこかで、重いと思われるんじゃないかと怖かった。 だから私は、約束という言葉にすがった。 それなら、彼は離れずにいてくれるかもしれない。 それなら、私の願いがわがままにならずに済むかもしれない。 「今日は無理しないで、また明日」 その言葉が、優しくて、でも少しだけ遠く感じた。 壱馬さんは、私の体調を気遣ってくれている。 それは分かっている。 その優しさが、あたたかいことも分かっている。 でも明日じゃ、だめだった。今じゃなきゃ、意味がなかった。 「私が、聞きたいんです」 その言葉は、私の中から自然とこぼれた。 「じゃあ…冬、かな」 その言葉が、静かに空気を変えた。 少し意外だった。 「どうしてですか?」 壱馬さんは、春や秋のような穏やかな雰囲気をまとっていた。 柔らかくて、あたたかくて、人の心にそっと寄り添うような空気を纏っている人。 だから、冬という答えが少しだけ意外で、でも不思議と壱馬さんらしいようにも感じた。 「寒いの
last updateLast Updated : 2026-03-02
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第75話

「謝らないで。ただ、俺に興味を持ってくれたことが嬉しかっただけなんだ」 自分の気持ちを向けることが迷惑になるのではないか、そんな小さな不安がずっと心の隅に居座っていた。 けれどその一言が、私の不安をそっと包み込んでくれた気がした。 「そうですか」 その一言を返すまでに、ほんの一瞬だけ間が空いた。 言葉を探していたわけではない。 ただ、胸の奥に広がった温かさをどう扱えばいいのか分からなかった。 「周りには…恵まれてると思う。家族にも友達にも」 壱馬さんの声は、静かで、どこか遠くを見ているようだった。 そこには、誰かに支えられてきた人の優しさが滲んでいた。 彼はきっと、自分が受け取ってきた優しさを、誰かに返そうとしてきた人なのだろう。 その姿勢が、言葉の端々から伝わってくる。 「だから壱馬さんも、素敵な人なんですね」 言葉が自然とこぼれた。 こんなことを面と向かって言うなんて、自分らしくない。 でもそれは、心からの本音だった。 「そんなふうに言われたの、初めてだな」 彼の声は照れたようで、でもどこか戸惑っているようにも見えた。 壱馬さんほどの人が、こんな言葉を初めて言われるなんて。 「そうじゃない……」 そう口にした瞬間、胸の奥で何かがゆっくりとほどけていくような感覚があった。 壱馬さんが恵まれていると言ったときの、あの少し遠くを見るような声が、どうしてか胸に引っかかって離れなかった。 「ご家族や友人が素敵なのは、壱馬さんが素敵だから」 壱馬さんは、自分のことを恵まれている側だと話すけれ
last updateLast Updated : 2026-03-03
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第76話

「花澄の好きな季節は?」 壱馬さんの声は、静かで優しかった。 問いかけというより、そっと差し出された手のような響き。 私の答えを急かすこともなく、ただ待っていてくれるその空気が、心の奥にある言葉を引き出してくれる気がした。 「私は…春ですかね」 少しだけ考えてから、そう答えた。 言葉にするまでに、ほんの少しの間があった。 それは、私にとって春がただの季節ではなく、心の奥にしまっていた感情に触れるものだったから。 「春か」 壱馬さんの目が、私の顔を見つめながら何かを思い出しているような、そんな静かな光を宿していた。 「春の終わりは苦手なのに、春は好きって、おかしいですよね」 言葉を口にした瞬間、胸の奥がふっとざわついた。 自分でも説明できない感覚を誰かに話すのは、少し怖い。 「おかしくないよ。春の終わりが苦手なのは、きっと昔の何かが染みついてるからでしょ?でも、それと春が好きって気持ちは別だよ」 壱馬さんは、理由を聞き出そうともしない。 ただ、私の言葉の奥にある感覚を、理解しようとしてくれる。 「そう…なんでしょうか」 壱馬さんの言葉を否定したかったわけじゃなくて、むしろ信じたい気持ちが強すぎて、うまく言葉にできなかったから。 「好きって気持ちは、そのものが完璧だから生まれるわけじゃなくて、少し苦手なところがあっても、それでも惹かれるものがあるから好きになるんだと思う」 好きとい
last updateLast Updated : 2026-03-04
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第77話

「え?」 私は思わず聞き返した。 彼の言葉の続きを知りたかった。 でも、壱馬さんはすぐに首を振った。 「いや、何でもない」 その言葉に、私はそれ以上踏み込むことをやめた。 壱馬さんが話したくないことを、無理に引き出すのは違うから。 でも、何でもないの中に、確かに何かがあったことはちゃんと感じていた。 「すみません、沢山話してしまって、」 言いながら、私は少しだけ視線を逸らした。 熱のせいで頭が働かないからだろうか。 それとも、壱馬さんと一緒にいるこの空間が、心地いいからだろうか。 私一人で沢山話してしまったことが、少しだけ恥ずかしくなった。 でも、壱馬さんは優しく微笑んだ。 「花澄のことを知れて嬉しいよ。考えてみれば、春と冬って案外似てるのかもね」 春と冬が、似てる…? 春は温かくて、冬は冷たい。 春は始まりで、冬は終わり。 そう思ってた。 ずっと、そういうものだと思ってた。 でも、壱馬さんは、春と冬が似てると言った。 その言い方が、なんだかすごく静かで、でも確かに何かを見ているようで。 私には見えていない何かを、壱馬さんは見ている気がした。 「似てますか…?」 私は、壱馬さんの言葉の意味をすぐには掴めなくて、少しだけ首を傾けながら問い返した。 彼の言葉が、少しだけ不思議だった。 「何かを待っている季節だから」 その言葉は、まるで雪の中に落ちる一輪の花みたいに、静かにでも確かに心に降りてきた。
last updateLast Updated : 2026-03-05
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第78話

「勘違いじゃ…ない、です」 言ってしまった。 でも、言わずにはいられなかった。 壱馬さんの目が、あまりにも真剣だったから。 逃げることも、誤魔化すこともできなかった。 この気持ちは、もう隠しきれないほどに、私の中で膨らんでいた。 「……ほんと」 その一言は、まるで息を呑むような静けさの中で落とされた。 ベッドの縁に、壱馬さんの手がそっと置かれる。 その手は、私を囲むような位置にあった。 そして… 壱馬さんが何も言わずに、ゆっくりと近づいてくる。 その音はしなかった。 でも、空気がふっと揺れた。 「壱馬さん…?」 私の世界に、彼が静かに入り込んでくる。 呼吸が浅くなって、鼓動が耳の奥で鳴り響く。 逃げ道がなくなった。でも、怖くはなかった。 威圧でも強引さでもなくて、ただ、私の心にそっと寄り添うような、静かな包囲だった。 私は、壱馬さんの顔が近づいてくるのを感じて、思わず目を瞑った。 壱馬さんの唇が、そっと静かに、私の額に落ちた。 その一瞬、時間が止まったように感じた。 「…っ、」 声にならない声が、喉の奥で震えた。 言葉にするにはあまりにも感情が多すぎて、でも黙っているには胸が苦しすぎて、その狭間で漏れた小さな声。 優しくて、温かくて、でもどこか切ないキスだった。 まるで「ここまで」と線を引くような、優しい拒絶にも似ていた。 唇の感触が、額に残っている。 そ
last updateLast Updated : 2026-03-06
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