All Chapters of 義妹に溺れる彼を捨て、私は宿敵の妻となる: Chapter 71 - Chapter 80

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第71話

そんな矢先、あろうことか紫音が拝島律と腕を組んで現れたのだから、彼の動揺は計り知れない。「私は独身よ。誰とどこにいようと私の勝手じゃない。何をやましく思う必要があるの?」紫音は冷ややかな笑みを浮かべ、侮蔑のこもった瞳で彼を見据えた。「相変わらずプライドばかり高い女だな。いいか、あいつが誰だか分かってるのか?拝島律だぞ!」清也はさも正論を述べているかのように胸を張り、軽蔑の眼差しを向けてくる。「お前みたいな女に釣り合う相手じゃない。それに、彼にはもうすぐ婚約する相手がいるんだ。お前、他人の関係を壊す泥棒猫になるつもりか?」滑稽な話だ。拝島律の「婚約する相手」が、まさか目の前の紫音だとは夢にも思っていないのだろう。「泥棒猫?私がこの世で一番軽蔑しているのが『浮気相手』というポジションよ。私がそんな人間に成り下がるとでも思って?」紫音の声は、氷のように冷たく響いた。「なら、奴には近づくな。忠告しておくが、拝島律は危険な男だ。もし今日のお前の軽率な行動が彼の本当の婚約者に知れたらどうなるか……分かってるのか!」清也は低く唸るように吐き捨てた。なぜだろう。彼女が他の男と一緒にいる姿を見るだけで、腹の底からドス黒い怒りが湧き上がってくる。さっき二人が会場に入ってきた時、彼は衝動的に駆け寄って怒鳴りつけようとした。だが、相手が拝島律だと気づいた瞬間、足が竦んだのだ。見間違いであってほしいと願ったが、七年も連れ添った紫音を見間違うはずがない。悔しさと嫉妬が渦巻くが、拝島グループの若き当主と正面切って揉めるわけにはいかない。それが余計に彼のプライドを傷つけていた。「私の勝手でしょう。あなたに関係ないわ。こんなところで油を売ってる暇があるなら、自分の会社の心配でもしたら?」紫音は冷たく言い放ち、拘束された腕を振りほどこうとした。だが、清也の指は万力のように食い込み、さらに強く締め付けられる。骨が軋むほどの痛みが走った。「紫音ッ!」清也の瞳に狂気じみた光が宿る。「いつからそんな可愛げのない女になったんだ!俺が復縁のチャンスをやってるのに、それを棒に振るつもりか?後悔しても知らんぞ!」「別れた男のチャンスなんて、誰が欲しがるのよ。お断りだわ!」紫音の白い肌が鬱血し、どす黒く変色し始めている。激痛に顔を歪
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第72話

清也は顔を紅潮させ、捨て台詞のように罵声を浴びせかけた。心底腹立たしい。あの従順だった紫音が、あろうことか雲の上の存在である拝島律と肩を並べている。今すぐ彼女を引きずり戻してやりたい衝動に駆られるが、相手が悪すぎる。悔しさに歯噛みしながら、彼は毒づくことしかできなかった。「ご忠告どうも。肝に銘じておくわ」紫音は皮肉っぽく微笑むと、優雅に踵を返した。清也の歪んだプライドになど構っていられない。数歩歩き出したところで、ふと視線を感じて顔を上げる。少し離れた場所から、律がじっとこちらを見ていた。紫音は思わず髪を整えるふりをして、乱れた心を落ち着かせようとした。今のやり取り、聞かれてしまっただろうか。彼の表情は彫像のように冷たく、そこに感情の色を読み取ることはできない。「あの……さっきは勝手に名前を出してごめんなさい。聞こえていた?」紫音はバツが悪そうに歩み寄り、小声で弁解した。「あ彼がしつこくて……騒ぎになると皆さんに迷惑がかかると思って、つい」律は静かに彼女を見下ろした。「効果があったなら、構わないさ。私の名前が役に立つなら、いつでも盾に使えばいい」その声に咎める色はなかった。どうせ間もなく、彼女が自分の婚約者であることは公然の事実となるのだ。実のところ、律は二人の諍いに早い段階で気づいていた。すぐに割って入らなかったのは、紫音がひとりで過去の因縁にどう立ち向かうかを確かめたかったからだ。これから彼女が歩む道は険しい。自分という絶対的な庇護者がいたとしても、四六時中守り続けることはできない。だからこそ、彼女には自分の足で立ち、困難をはねのける強さを持っていてほしかった。そして彼女は、見事にその期待に応えたのだ。紫音は不意をつかれたように目を見開いた。律は、赤黒く腫れ上がった彼女の手首をそっと持ち上げた。紫の鬱血が痛々しく広がり、見るからに酷い有様だ。「帰るぞ」律は短く告げると、彼女の手を引いて歩き出した。「え、でも……パーティーはまだ終わっていないでしょう?これくらい大した怪我じゃないわ、大丈夫よ」紫音は慌てて足を止めた。自分のせいで彼の大事な仕事を中断させるわけにはいかない。それに、これくらいの痛みなら我慢できる。彼女は自分の身体を過保護に扱うようなタイプではなかった。だが、律の瞳
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第73話

けれど、律は違う。その振る舞いには迷いがなく、まるで、ずっと昔から自分を知っていたかのような錯覚すら覚える。「あの……ひとつ、聞いてもいい?」しばらくの逡巡のあと、紫音は意を決して口を開いた。「なにかな」律は手元の手当てを止めることなく、短く応じる。「どうして、ここまで私に良くしてくれるの?」問いかけた直後、紫音は後悔した。なんて自意識過剰で、幼稚な質問をしてしまったのだろう。急激に恥ずかしさがこみ上げてくる。律の手が止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、紫音の瞳を覗き込む。その深淵な瞳が、彼女の顔の輪郭をなぞるように彷徨った後、ふと視線を逸らした。「君が、私の婚約者だからだ」口にした理由は、それだけだった。やはり、彼女は覚えていないか。律は心の奥で小さく嘆息した。無理もない。あれはずいぶん昔のことで、彼女はまだ幼かったのだから。焦る必要はない、と自分に言い聞かせる。感情は時間をかけて育むものだ。いつか必ず、彼女の心を自分に向けさせてみせる。「……そう、よね」紫音は気まずさを誤魔化すように、努めて明るく話題を変えた。「もう遅い時間だわ。手もだいぶ楽になったし、そろそろ休みましょう。今日は少し疲れたみたい」これ以上、この微妙な空気に耐えられそうになかった。逃げるようにその場を離れようとする彼女の意図を察し、律は静かに頷いた。「ああ、そうしよう」彼は決して、紫音を困らせるようなことはしない。彼女が望むなら、それがすべてだ。……翌朝。目覚めて間もない紫音のスマートフォンが震えた。兄の州からだった。「おはよう、紫音。そっちのゴタゴタもひと段落着いた頃だろう?」電話越しの兄の声は明るかった。「この数日、律くんの家に厄介になっていたようだが、彼ともうまくやっているようで安心したよ。そろそろ、一緒に実家へ帰ってこないか?父さんも母さんも、お前の顔が見たくて待ちきれないみたいでね。俺の携帯に催促の連絡がひっきりなしなんだ」「ええ、そうね……」言われるまでもなく、紫音も同じ気持ちだった。兄から言われなくとも、ここ数日のうちに帰省しようと考えていたのだ。七年もの間、家族と疎遠になっていた空白の時間。口に出してこそいないが、両親に会いたいという切実な思いは、日増しに募るばかりだった。「わか
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第74話

「えっ……?」紫音は目を丸くして二人を交互に見比べた。律も一緒に帰省する?予想だにしなかった展開に息を呑む。「さあ、乗った乗った。母さんからの連絡じゃ、父さんが張り切って厨房に立ってるらしいぞ。お前の好物ばっかり並べて、今か今かと待ってるんだ。これ以上待たせちゃ悪いだろ?」州に促され、紫音と律は後部座席に乗り込んだ。車が走り出すと、紫音は膝の上でスカートの裾をぎゅっと握りしめ、窓の外の景色に視線を逃がした。なぜだろう。律が隣に座っているだけで、ひどく緊張してしまう。この数日、ひとつ屋根の下で過ごして少しは慣れたつもりだったのに。いざ「一緒に実家へ帰る」となると、彼を家族に引き合わせるプレッシャーが押し寄せてくる。本来なら家族との再会だけを純粋に喜べるはずなのに、この奇妙な動悸のせいで素直に浮かれられない自分がいた。でも、大丈夫。彼はもともと両親が選んでくれた相手なんだから。きっと、父も母も彼を歓迎してくれるはずだ。そう自分に言い聞かせる。道中、州と律はビジネスや時事の話で盛り上がっていたが、律の視線が時折こちらに向けられているのを紫音は肌で感じていた。緊張と安堵が入り混じった心地よい揺れに身を任せているうちに、いつしか彼女は深い眠りに落ちていた。ふと目を覚ますと、車はすでに懐かしい門の前で停車していた。紫音は息を呑んだ。見慣れたはずのその景色が、胸の奥を鋭く締め付ける。かつて当たり前のように過ごした場所。けれど、自ら背を向け、数年間足を踏み入れることのなかった場所。ずっと会いたいと願い続けてきた人たちが、この中にいる。エンジンの音を聞きつけたのだろう、玄関の扉が勢いよく開いた。飛び出してきた両親の姿を見るなり、我慢していた感情が決壊した。両親の目にも、溢れんばかりの涙が光っている。紫音は昨日から何度もシミュレーションしていた。絶対に泣かない。笑顔で元気な姿を見せて、二人を安心させるのだと。けれど、そんな決意は一瞬で崩れ去った。「お母さん、お父さん……っ」駆け寄る足がもつれそうになる。溢れる涙を拭うこともせず、彼女は言葉を紡いだ。「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい。私が馬鹿だったの。見る目がなくて、勝手なことばかりして……ずっと、ずっと会いたかったのに、合わせる顔がなくて帰れなかったの」震える
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第75話

隆之介の豪快な歓迎に、律も静かに頷いて応える。一行は揃って屋敷の中へと足を踏み入れた。紫音は懐かしい我が家を見渡した。長い年月が経っているはずなのに、驚くほど何も変わっていない。廊下も、飾られた調度品も、塵ひとつなく磨き上げられ、整えられている。母がどれほど丁寧にこの家を守ってきたかが痛いほど伝わってきた。「紫音、自分の部屋を見てらっしゃい。あなたがいない間も、お母さんが毎日掃除をしていたのよ。配置もあの頃のままにしてあるわ」琴音は少し自慢げに、そして愛おしそうに言った。「いつあなたが帰ってきてもいいように、ずっと待っていたの」その言葉に、紫音の胸が再び熱くなる。この数年間、母はずっと待ち続けてくれていたのだ。いつか娘が「家に帰りたい」と思ったその瞬間に、温かく迎え入れられるように。失望させたこともあっただろう。それでも、娘への愛が揺らぐことはなかった。過去の過ちはすべて許され、ただ温かい居場所だけがそこに残されていた。紫音は逸る気持ちを抑えきれず、二階にある自室へと駆け上がった。律もまた、彼女の背中を追うようにして部屋へ入ってくる。その冷ややかな美貌の奥にある瞳が、今は柔らかな光を宿して室内をゆっくりと巡った。「ここが、紫音が育った部屋よ。律くん」遅れて入ってきた琴音が、懐かしそうに目を細めて語りかける。その声は弾んでいた。「見てちょうだい。ここにあるのは、あの子が小さい頃にもらった賞状。それから、この棚にはお気に入りのぬいぐるみたち。今でも覚えているわ、紫音ったら、この子たち一匹ずつに名前をつけて可愛がっていたのよ」琴音の手が愛おしそうにキャビネットを撫でる。「クローゼットには、小さい頃に着ていたお姫様のようなドレスや、大好きだったお洋服……ほかにも普段遊んでいたおもちゃまで、全部とってあるの。どれも思い出が詰まっていて、どうしても捨てられなかった。いつか紫音が大人になったとき、ここでの日々を思い出してくれればと思って」時が止まったように温かい部屋を見渡し、紫音の視界は再び潤んだ。母はいつだって細やかで、優しい人だ。幼い頃の品々はどれも埃ひとつなく、まるで新品のように手入れが行き届いている。母がどれほどの愛情を持って、この部屋を守り続けてくれたかが痛いほど伝わってきた。両親は確かに、自分をひとりのプ
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第76話

沈黙を埋めるように、ふと思い出したことを口にする。「……あのね、私、しばらく実家に泊まろうと思ってるの。両親とゆっくり過ごしたくて。もし会社の方で仕事があるなら、先に帰ってもいいから……」紫音は律に気を使わせまいと言ったのだが、実は律はそのつもりで来ていた。彼女が実家で羽根を伸ばしたがるだろうと予期し、当面の仕事はすべて調整済みだ。最初から、彼女が満足するまでこの家に滞在し、そばに寄り添うつもりでいたのだ。「私のことは気にしなくていい。君が帰ろうと言うときまで、ここにいる」律は短く、けれど力強くそう答えた。しばらく部屋で静かな時間を共有していると、階下から二人を呼ぶ母の声が響いた。ダイニングへ降りると、そこには温かな湯気が立ち上る食卓が待っていた。紫音は母の隣に座り、父と兄の州、そして律は向かい合って酒を酌み交わしている。男たちがグラスを傾け、母が甲斐甲斐しく料理を取り分ける──それは、紫音が家を出てから幾度となく夢に見てきた光景だった。夢の中でしか叶わなかった「家族団欒」が、今、目の前にある。「そういえば律くん、お祖母様には今日こちらに戻られること、お伝えしてあるの?こないだ顔を出したとき、律くんに会いたいってずっと仰ってたわよ。帰ってきたらすぐにでも顔を見せておくれって」箸を動かしながら琴音が思い出したように言った。「食事が済んだら、手土産でも持って挨拶に行ってらっしゃいな。首を長くして待ってらっしゃるわよ」拝島家の屋敷はこの近所にあり、スープの冷めない距離だ。律は普段、仕事で地方や都心を飛び回っているため、なかなか実家に顔を出せない。だが幼い頃からお祖母ちゃん子だった彼を、祖母はいつも気にかけているらしい。「分かりました、おば様。後で紫音を連れて伺います」え、これから拝島家へ?あまりの急展開に、紫音は箸を止めそうになった。心の準備なんて、まったくできていない。けれど記憶を手繰り寄せてみれば、確かにそんな話をしていた気がする。婚約を正式に整える前に、本家の祖母へ挨拶に行くという段取り。紫音の頭の芯が少しぼんやりとした。つい先日まで清也との泥沼の中にいて別れを決めたばかりなのに、もう「次の婚約」へのレールが敷かれ、ものすごいスピードで進んでいる。まるで急流に吞み込まれた小舟のようだ。「……うん、分
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第77話

「ありがとうございます、おばあ様。伺う前は少し緊張していたんですが……とてもお優しい方で安心しました」紫音の言葉は社交辞令ではなかった。志津からは、不思議なほどの親しみと慈愛が滲み出ていたからだ。「よかったよ、本当に。この子の結婚だけが私の悩みの種でねえ。今まで浮いた話ひとつないし、あちこちからお見合いを持ってきても全部断る始末だろう?」志津は律を横目で見ながら、いたずらっぽく笑った。「このまま一生独り身で枯れていくのかと諦めかけていたところに、こんな素敵な人を連れてくるなんて運がいいよ、この子は」「婚約が決まって、おばあちゃんも嬉しいわ。さあ、今夜は食べておゆき。厨房に言っていっぱいご馳走を作らせるから」志津は子供のように目を輝かせると、紫音の細い腕をさすった。「紫音さんは少し痩せすぎだよ、もっと精をつけてもらわないとね。そうして早く、ひ孫の顔を見せておくれ」気の早いリクエストに紫音は頬を染めたが、志津に悪気がないことは痛いほど分かった。孫の律を心から愛していて、その彼が選んだ自分のことも、家族として無条件に受け入れてくれている。ここに来るまでに感じていた重圧が、嘘のように解けていく。紫音は、この飾らない温かな歓迎に、心から安堵していた。「お義母さん、お客様ですか?」「おや、律さんじゃないの。珍しいわねえ」和やかな談笑を切り裂くように、玄関の方から棘のある声が響いた。紫音が視線を向けると、年齢不相応に華美な装いの中年女性が、ヒールの音を高く響かせて入ってくる。対照的に律は顔色ひとつ変えず、ただその場の空気を氷点下まで下げるかのように表情を硬くした。「律の婚約者の紫音さんだよ」志津が静かに告げ、視線を女性へと促した。「紫音さん、こちらは律の伯母の早苗(さなえ)だよ」志津が間を取り持ってくれた以上、挨拶を欠かすわけにはいかない。紫音は淑女らしく立ち上がり、軽く一礼した。「初めまして、京極紫音と申します」「あら、どうも。あなたのことは存じ上げているわよ。ほら、つい最近、不破……清也さんだったかしら?あの方と派手にお別れになったお嬢さんでしょう?結構な騒ぎになって、皆さんご存知よ」早苗は悪意に満ちた笑みを浮かべ、わざとらしく口元を抑えた。紫音の顔から笑みが消え、場が凍りつく。婚約の挨拶に訪れた
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第78話

「早苗、いい加減におし!今日は律が大切なお客様を連れてきた日だ。そんな話、今ここでしなきゃならないことかい?」志津の檄が飛ぶ。「実家だからって甘えるんじゃないよ」志津の体は怒りで小刻みに震えていた。早苗と本家の折り合いが悪いのは今に始まったことではない。顔を合わせれば諍いになり、その原因はいつも決まって遺産相続と経営権の問題だ。志津は、一族の中で最も能力があり、誠実な律に全幅の信頼を置いている。拝島グループという巨大な船の舵取りを任せられるのは彼しかいないと考えているのだ。正式な発表こそまだだが、律が後継者であることは公然の事実。だが、それが早苗には面白くない。長男の嫁として、そして「本家の長孫」である息子の隆行こそが正統な後継者であると信じて疑わない彼女にとって、律の存在は目の上のたんこぶなのだ。「お義母さんこそ、あまりにあんまりじゃございませんか。私たち親子のことなんて、最初から眼中にないんでしょう!」早苗は引くどころか、さらに語気を強めて食い下がった。「あなたが猫可愛がりなさっているそのお孫さんはね、とんでもない女性を拾ってきたんですよ?お義母さんはお体が悪いからずっと家に籠ってらしてご存じないでしょうけど、世間様がこの二人のことを何て言ってるか!悪い噂で持ちきりですわよ」早苗の視線が、侮蔑を込めて紫音を射抜く。「ただでさえ格式ある拝島家に、古傷だらけのふしだらな女を引き入れるなんて……ご先祖様に合わせる顔がありませんわ!」志津が律の肩を持つのが分かっているからこそ、早苗は紫音を攻撃の的に定めることで鬱憤を晴らそうとしているのだ。その言葉の刃は、容赦なくその場を切り裂いた。紫音は内心、溜め息をつきたくなった。まさかこれほど陰湿で攻撃的な人物がいるとは。本来は拝島家内部の権力闘争であるはずなのに、なぜ矛先をこちらへ向けてくるのか。まだ婚約の挨拶に来ただけだというのに、この有様だ。もし律が正式に拝島家の当主となり遺産を継ぐことになれば、一体どれほどの泥沼が待っていることか──想像するだけで背筋が寒くなる。「いい加減におし!」一際鋭い声が響き、志津が杖を床に強く打ちつけた。ドン、という鈍い音がリビングの空気を震わせる。「紫音さんは私が認めた孫の嫁だ。この子の人柄は私が一番よく分かっている。身内である
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第79話

「もういい、黙れ」それまで沈黙していた律が、凍りつくような低い声を発した。その鋭利な刃物のような視線が、早苗を射抜く。「今後、会社は隆行の経費を一切認めない。そう伝えておけ。後で知らなかったと騒いでも遅いぞ」「なっ……!?」「現在、会社の全責任者は私だ。主要プロジェクトもすべて私が動かしている。その意味が分かるな?会社の運営に関与していない人間には、それ相応の扱いをするまでだ」言うが早いか、律は紫音の手を掴んだ。「おばあちゃん、紫音は長旅で疲れているんだ。今日はもう帰って休ませる。また日を改めて顔を見せに来るよ」律の怒りは頂点に達していた。これ以上ここにいれば、早苗に対して何をするかわからない──そんな危うい気配を纏い、彼は強引に紫音を連れて歩き出した。「おばあ様、失礼いたします。どうかお体、お大事になさってください……興奮なさらないで」紫音は去り際に深く頭を下げた。どれだけ志津が庇ってくれようと、今の紫音はまだ「部外者」に過ぎない。この家の内紛に口を挟む権利はないし、自分が居座れば火に油を注ぐだけだ。ここは律の判断に従い、早急に退散するのが賢明だった。屋敷を出た律は、そのまま近くの豪奢なマンションへと車を走らせた。内装のテイストが実家と共通していることから、ここも律のプライベートな住居なのだろう。「今日はもう遅い。今夜はここに泊まって、明日の朝、君の実家へ送る」部屋に入るなり、律の声から先ほどの険しさが消え、労るような響きに変わった。「分かったわ」紫音は素直に頷いた。「実家でのこと……本当にすまなかった。まさか今日に限ってあの人が来るとは思わなかったし、あんな真似をされるなんて」律は痛恨の表情で紫音を見つめた。「本来なら、もっと歓迎されるべき場だったのに。泥を塗るようなことになって申し訳ない。……この落とし前は必ずつける」初めての家族への紹介が、こんな形で終わってしまったことへの悔しさと、紫音への申し訳なさが、彼の言葉の端々から滲み出ていた。「気にしないで。あれは私個人への攻撃というより、あなたへの当てつけでしょう?他人からどう思われようと、私には関係ないもの」紫音は努めて明るく、迷いのない口調で言った。「それに、律さんにはこれまで何度も助けてもらったじゃない。こんなこと、あの大変さに比べれば何で
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第80話

これ以上、自分のわがままで彼を縛り付けたくない。拝島グループのトップである彼が、どれほど多忙かは想像に難くないのだから。「いや、急な会議が入って少しトラブルがあっただけだ。私の都合だよ、明日はこんなことにはならない」律はさらりと嘘をついた。自分が無理をして都合をつけたなどと知れば、彼女が気にするのは目に見えているからだ。「……そう。それならいいんだけど」その言葉に、紫音の表情がいくぶん和らいだ。「分かった、お邪魔してごめんなさい。律さんも無理しないでね」「ああ、おやすみ」ここで自分が起きていても何の役にも立たない。邪魔をしないようベッドに戻るのが、今の自分にできる唯一のことだ。紫音は大人しく部屋を後にした。翌朝。紫音が目を覚ますと、すでに律の姿はなかった。【急用が入ったため出かける。終わり次第、君の実家へ向かう】というメッセージがスマートフォンに残されているだけだ。結局、紫音は律の運転手によって京極家へと送り届けられた。実家に戻ると、母・琴音が好物のフルーツを用意して待っていた。「紫音、お帰りなさい。……昨日のこと、聞いたわよ」母は紫音を気遣うように切り出した。「あそこの伯母様は昔からそうなの。誰に対しても刺々しくて、頭の中は遺産のことばかり。律くんが優秀すぎて、志津様に一番信頼されてるのが気に入らないのね」琴音は果物を剥きながら、諭すように言った。「でも、あなたのせいじゃないから気に病むことはないわ。律くんなら大丈夫。あの程度のいざこざ、自分で解決できる力があるわよ」母の言葉には、娘を思う優しさと、律への揺るぎない信頼が込められていた。とはいえ、琴音も楽観視しているわけではない。「ただね、紫音。あちらと親戚付き合いをする以上、どうしても顔を合わせる機会はあるわ。お盆やお正月、冠婚葬祭……その度に嫌味のひとつやふたつ言われる覚悟はしておきなさい。あの方は、そう簡単に変わらないでしょうから」琴音は現実を見据え、娘にそっと心の準備を促した。愛する娘が、これから足を踏み入れる名家の複雑なしがらみの中で傷つかないように。「お母さん、私は大丈夫よ。あの人が何を言ってこようと気にならない。大事なのは、律さんが私をどう思ってくれているかだから」「付き合いはまだ短いけれど、律さんはずっと私を支えてくれた。細かな
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