جميع فصول : الفصل -الفصل 680

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第671話

一方で、絵里はまだ電話を続けている。洋二は手に持ったワイングラスを揺らし、傲慢に冷笑する。「ただ調査に協力するだけだ。何を慌てている?」絵里に脅されたことが腹立たしく、最終的には妥協したものの、少しばかり邪魔をしてやりたかったのだ。自分がそう簡単に手を出せる相手ではないと思い知らせるために……「もし私たちの約束を破って、家族に手を出すつもりなら、私もあなたをただでは済ませないわ」絵里は怒りを抑えきれず、冷たい声でそう言い放った。以前の洋二であれば、そんな言葉は信じず、ただの寝言だと片付けていただろう。だが今は、信じざるを得なかった。「俺の部下がすでに高木警部に連絡した。文紀はもう一度供述を取るために連行されただけだ」洋二は鼻で笑う。「今回は事を荒立てずに済ませてやる。運が良かったな。だが、お前が裕也の妻になることは決して認めない」電話はプツンと切れる。電話が切れた直後、高木警部が警察署から出てきて彼女を見つける。「水原さん、申し訳ありません。本日、酒井さんを同行させたのは定例の調査のためです。こちらでの手続きはすでに完了しましたので、今すぐお連れ帰りいただけます」高木警部の評判は常に良かった。しかし、絵里はこれまでに何度も裏切られてきたため、疑い深い性格になっており、そう簡単に他人を信じることはできなかった。しばらく高木警部を見つめた後、口角を上げて意味ありげに微笑む。「高木警部、どうかその初心を忘れず、良い警察官であり続けてくださいね」高木警部は一瞬戸惑う。「私に何か誤解でも?」絵里は以前、彼に何度も電話をかけたが繋がらなかったため、わざとではないかと疑わずにはいられなかったのだ。だが、そうであろうとなかろうと、もうどうでもよかった。「いいえ、ただ思ったことを口にしただけです。ご存知の通り、今は何が本当で、何が嘘なのか分からない世の中ですから」絵里が遠回しに告げると、高木警部は何かを察したように静かに頷いた。そこへ別の警察官が署から出てきて、高木警部の前に駆け寄り、警視長が呼んでいると伝える。そして最後に付け加える。「警部、やはりスマホを買い替えた方がいいですよ。あなたのスマホ、しょっちゅう調子が悪くなるから、連絡を取るのが大変で」高木警部は苦笑いする。
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第672話

「絵里、今は意地を張っている場合じゃない。俺は本気でお前の力になりたいんだ」和也は愛情のこもった眼差しで彼女を見つめる。「お前は女だし、会社の経営なんて分からないだろう。いくら研究開発ができても、もし今、叔父さんに何かあれば、役員たちにどう追い詰められるか分かったもんじゃない」「ずいぶんと自分を過大評価して、私のことを甘く見ているのね」絵里は冷たく言い放つ。あまりにも滑稽で、笑いすら込み上げてくる。子会社の経営すらまともにできない人間が、よくもまあ偉そうに「助ける」などと言えたものだ。仮に彼にそんな能力があったとしても、恩に着るつもりなど毛頭ない。「絵里……」和也は彼女が立ち去ろうとするのを見ると、慌てて前に立ち塞がり、行く手を阻む。「今でもそんなに俺に冷たくしなきゃいけないのか?確かに以前は俺が色々と間違っていた。でも今は、ただ純粋にお前に償いたいだけなんだ。どうかチャンスをくれないか」絵里は眉をひそめる。今の距離は近すぎると感じ、数歩後ろへ下がる。「今更そんな芝居をされると、反吐が出そうだわ。あなたが命の恩人だと私を騙していたことについては、もう咎めないわ。でも、お願いだから二度と私に近づかないで」「絵里……」和也は傷ついたような顔をしてうつむき、眉を寄せて彼女を見つめる。「恋人にはなれなくても、友達でいることすらできないのか?俺はただ、お前が痛々しくて見ていられないんだ。お爺さんは意識不明のままだし、水原は内外から追い詰められている。その上、叔父さんまで事件に巻き込まれて……俺はただお前が心配で、胸が痛くて、助けになりたいだけなんだ。他意は一切ない」和也の言葉は真に迫っており、その顔には深い後悔の色が浮かんでいる。絵里には彼の言葉が本心なのか嘘なのか見分けがつかなかったが、気にも留めない。むしろ哀れにさえ思える。「雪枝が卑劣な手段で父を死に追いやり、私をあなたに嫁がせて意のままに操ろうとしたこと。さらには、あなたに水原のすべてを掌握させようとしたこと……これら全部、本当に何も知らなかったとでも言うつもり?」絵里の顔には嘲笑の色が色濃く浮かんでいる。「百歩譲って本当に知らなかったとしても、今、叔父がなぜ殺人犯扱いされているのか、それすらも知らないとでも?洋二は息子のあなたを一番可
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第673話

ぷっ――絵里はその言葉に耐えきれず、思わず吹き出してしまう。声のした方へ視線を向けると、こちらへ歩み寄ってくる裕也をまっすぐに見つめる。彼の姿を目にした和也の顔色が、瞬時に青ざめた。裕也がここにいるなど、思いもよらなかったのだ。しかも、あんな容赦のない言葉を投げつけられ、弟である自分への配慮など微塵も感じられない。裕也の後ろには、健と文紀も続いている。和也の後ろ姿を見てすぐに気づいた文紀は、絵里がいじめられているのだと勘違いし、駆け寄るなり和也を力任せに突き飛ばした。「このクズ野郎が。絵里にちょっかいを出そうなんて思うな、さっさと失せろ」和也は驚いて文紀を見つめたが、数秒後には腑に落ちた。父が手を回したからこそ、文紀はこうして無事でいられるのだ。絵里に弱みを握られている以上、どうしようもない。「叔父さん、俺は別に絵里をいじめてなんか……」「なら、すっこんでろ。お前と親しくした覚えはない、気安く話しかけるな」文紀の怒りは収まらない。絵里をあんなにも傷つけた男だ。持ち前の教養がなければ、今すぐ平手打ちを食らわせていたところだ。これ以上文紀にトラブルを抱え込んでほしくない絵里は、慌てて彼をなだめ、奈央が家で待っているからと理由をつけて、健に先へ送り届けるよう頼む。「ああ、お前も気をつけろよ。変な虫にまとわりつかれないようにな」文紀の言葉はいくぶん棘があるが、絵里にとっては胸のすく思いだった。絵里は素直に頷く。「安心して、叔父さん。叔母さんが心配してるから、早く帰ってあげて」文紀は頷き、忌々しげに和也を睨みつけてから、ようやく健と共にその場を後にする。彼らが去ってから、絵里は改めて裕也に視線を向けた。少し離れた場所に立つ彼は、すらりとした長身を誇り、まるで彼らがやり取りする空間をわざと空けていたかのようだ。いつ見ても、その顔立ちは息を呑むほどに美しく、群を抜いている。特に今は、圧倒的な覇気を纏いながら、大股で絵里のそばへと歩み寄ってくる。彼はごく自然に手を伸ばして絵里の腰を抱き寄せると、鋭く、そして挑発的な眼差しで和也を見据える。和也は先ほどの文紀の態度に煮えくり返っていた。腹の虫が治まらず、どうしても言わずにはいられない。「兄さん、絵里はもともと俺の彼女だったんだ。俺た
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第674話

和也はまたしても未練がましい態度を見せ、ひどく傷ついたようにうつむく。絵里はもう彼の顔など一秒たりとも見たくなくて、裕也にここから離れようと促す。裕也は小さく頷き、立ち去り際に冷ややかに眉を跳ね上げ、嘲笑する。「お前、芸能界にでも入って俳優になればいいんじゃないか?絶対売れるぞ。会社に戻る必要なんてないだろ。今どき流行りの、元カノに未練たらたらで、後悔した挙げ句に縋りつくクズ男役なんて、お前にぴったりだ」散々皮肉を浴びせられ、和也の顔色は青や赤へと目まぐるしく変わった。屈辱の極みだった。裕也の容赦ない毒舌ぶりに感心しつつ、絵里は和也のことなどお構いなしに裕也の腕に抱きつき、引っ張るようにしてその場を後にする。二人が車に乗り込むと、健は素早くエンジンをかけ、警察署を出発する。絵里が裕也に見せる親しげな態度を目の当たりにし、和也は嫉妬のあまり狂いそうになった。絵里は俺のものだ!俺だけのものなんだ!車内での絵里は明らかに機嫌が良くなっており、裕也を見つめながら口元をほころばせ、くすくすと笑い続けている。「一応、あなたの弟なのに。あんなこと言って、傷つけちゃったんじゃない?」裕也の深い瞳の奥に一瞬、暗い影がよぎる。喉仏が微かに上下し、低く掠れた声が響く。「俺にとっては、お前が誰よりも重要だ。それに、あんな弟などいてもいなくても同じだからな」絵里の胸に温かいものが広がる。彼に迷いなく選ばれるこの感覚が、たまらなく好きだった。彼女の笑顔を見て、裕也の眼差しも和らぐ。そっと手を伸ばして彼女の手を握り、口角を上げる。「何を笑ってるんだ?」絵里は口元を抑えながら彼を見つめる。「相変わらず、容赦ない言い方をするなって思って」「慣れてくれ」「ええ、慣れてるわ。あなたは私の夫なんだから、これから慣れていく時間はいくらでもあるし」裕也はわずかに目を見開いた。それはつまり、これからもずっと彼と一緒にいるという意味なのだろうか。途端に、胸の奥底から温かい感情が込み上げてきた。「ああ、一生分の時間がある」口元に微笑みを浮かべ、目尻には柔らかい笑いジワが刻まれている。絵里は胸を高鳴らせ、目を伏せると、小さく「うん」と頷いて応える。彼女は文紀の件について詳しく聞いておらず、洋二の側で解決したのだと思
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第675話

絵里は久しぶりに深く、心地よい眠りについた。文紀の無事が確認され、張り詰めていた心もすっかり軽くなっていた。翌日、奈央との約束通り、彼女の家へ夕食に向かうことになっている。「裕也も一緒に連れてきなさいな。もう家族なんだから、もっと顔を見せてくれないと」「叔母さんの手料理はすごく美味しいから、彼に取られたくないの」「取られたりしないわよ。あなたはいつまでも私の可愛い姪なんだから。それに、文紀の件がこんなに早く解決したのは、あなたと裕也が動いてくれたおかげだわ」奈央は深く息を吸い込み、密かに胸を撫で下ろした。当初、誠治の死に関して夫に容疑がかけられていることを、皆は自分に隠していた。あの日、警察が家に踏み込んで彼を連行していなければ、今でも何も知らされないままだっただろう。その後、夫をこってりと絞ったものの、心の中を占めていたのは深い感謝の念だった。「裕也が証拠を見つけ出して、宮野警視長に提出してくれたから、文紀はその日のうちに釈放されたんですってね」その言葉に、絵里は思わず動きを止めた。洋二が部下を身代わりにし、目撃者として映像の証拠を提出したからこそ、叔父さんの疑いが晴れたのではなかったか?昨日、高木警部も彼女にそう説明していたはずだ。奈央は絵里の困惑など知る由もなく、電話の向こうでさらに念を押してくる。「それじゃあ、料理の続きがあるから切るわね。夜は裕也と早めにいらっしゃい」「うん、わかった」絵里は少しの間、放心していた。オフィスチェアから立ち上がり、窓へと歩み寄る。眼下にはビル群が広がっている。そのまま、裕也に電話をかける。「今、忙しい?」裕也が電話に出るのは早かったが、絵里はいつもの癖でそう尋ねた。「いや。たとえ忙しかったとしても、絵里より優先すべきことなんてないよ」その言葉は甘く優しく、聞いているだけで自然と心が弾む。本当に、口が上手くなったものだ。絵里は絆されることなく、口角を上げて軽く笑う。「甘い言葉も、言い過ぎると安っぽくなるわ」「本心から言ってるのに、安っぽいなんて心外だな」裕也の低く響く声が抗議する。電話の向こうは静かで、どうやら外ではないらしい。絵里はここでようやく本題に入った。「叔母さんが、あなたも一緒に夕食においでって。行け
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第676話

梨乃が口を開きかけた、その時だった。絵里は彼女の言いたいことを察したのか、すかさず言葉を継ぐ。「本当に本当だよ。梨乃はいつだって私の親友なんだから」梨乃は途端にパッと表情を輝かせる。「よろしい、許してあげる。そういえば、お爺さんの具合はどう?」絵里は言葉に詰まる。しまった。じいちゃんが目を覚ましたことを、まだ梨乃に伝えていなかった。今このタイミングで知ったら、水臭いとどれだけ文句を言われるか分かったものではない。じいちゃんが意識を取り戻したという事実は、まだあまり世間に知られたくなかった。だが、梨乃に隠し立てするつもりはない。「目を覚ましたの。二日前にね。でも、色々とバタバタしてたし、ちょっと事情もあって、まだ言えてなかったんだ」梨乃の胸がドクンと鳴る。ベッドに横たわっていた彼女は勢いよく上体を起こし、少し寂しそうな顔を見せる。何か言いたげに口を動かしたが、結局言葉を飲み込んだ。黙り込んでしまった彼女を見て、絵里は慌てて釈明する。「まだ公にはできないの。内緒にしておきたいから」そして、自分が懸念している具体的な事情をすべて梨乃に打ち明けた。梨乃は少し考え込んだ後、表情を和らげる。「じゃあ、絵里と裕也以外で、私が最初に知ったってこと?」「そういうこと」「なら許す」梨乃の瞳がキラキラと輝きを取り戻し、先ほどのわだかまりはすっかり消え去る。だが、絵里が口にした洋二の卑劣な手口を思い出し、再び不安が頭をもたげる。「その洋二と雪枝って、頭おかしいんじゃないの?雪枝がお父さんを死に追いやったくせに、今度は洋二が絵里を脅して裕也と離婚させようとするなんて。しかも私の命までダシに使うなんて、本当に最低」梨乃は怒りに震える。親友を想うと胸が痛み、同時に何もできない自分がもどかしい。自分は絵里の力になってやれないのだ。その事実を考えるだけで、息が詰まりそうになる。そんな彼女を、絵里は逆に優しく穏やかな声で慰める。「みんなが無事でいてくれさえすれば、それでいいの。誰かが傷つくのは絶対に嫌だから」梨乃はツンと鼻の奥が痛くなり、瞬く間に目頭が熱くなる。喉の奥に何かがつかえたように苦しくなり、言葉が出てこない。しばらくして、ようやく涙声で絞り出す。「何があっても、絶対
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第677話

和也だ。裕也も彼に気づく。今、彼は文紀と親しげに何かを話しており、こちらに視線を向けると、その瞳に一瞬だけ得意げな光を走らせる。「どうして急に来たのかわからないのよ。手土産もたくさん持ってきてね。でも、夕食を食べていってもらうつもりはないから」奈央は二人に誤解されないようにと、慌てて弁解する。特に裕也に誤解されるのを恐れていた。何しろ絵里はかつて和也と五年間も付き合っていたのだ。別れたとはいえ、過去に関係があったのは事実である。絵里は奈央の心配を察し、彼女の手を軽くポンポンと叩く。「大丈夫よ。帰ってもらえばいいんだから」絵里は裕也をちらりと見る。二人は阿吽の呼吸で中へと足を踏み入れる。文紀は少し気まずそうに言う。「和也がたくさん手土産を持ってきてくれたんだが、高価すぎて受け取れなくてね。ちょうど裕也が来てくれてよかった。和也はの弟なんだから、持って帰るように説得してくれないか」裕也は頷き、顔に嘲笑を浮かべて和也を見る。だが、彼が口を開くよりも早く。和也が先手を打つ。「俺と絵里が付き合っていた頃は、叔父さんのところに挨拶に来る機会があまりなかったからね。この前、叔父さんがあんなトラブルに巻き込まれたって聞いたから、目下の者として心配して顔を出すのは当然のことだよ」絵里は我慢ならない。偽善者ぶらせたら、和也の右に出る者はいない。かつて交際していた頃、じいちゃんと一緒に食事をするために付き合ってほしいと頼んでも、叔父さんの家へ挨拶に行こうと誘っても、彼はいつも拒否するばかりだった。それが今になって、自分から押しかけてくるとは。目的は火を見るより明らかだ。裕也は両手をポケットに突っ込み、冷ややかに眉を上げて、薄い唇に皮肉な笑みを浮かべる。「絵里は昔、世間知らずだったからな。お前とは五年間も、おままごとみたいな関係を続けていたが、あんなものはせいぜい黒歴史に過ぎない。それをお前は本気にして、四六時中口にしているのか。絵里は俺の法的な妻だ。お前は彼女を義姉と呼ぶべきだろう」裕也の態度は強硬で、瞳の奥には冷たい光が宿っており、言葉の端々に警告が込められている。痛いところを突かれ、和也の顔色が悪くなる。いや、屈辱に歪んでいた。「その言い方はおかしいだろ。俺と絵里は、腐って
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第678話

本来、絵里と一緒にいるはずだったのは自分だ。たった数ヶ月で、すべてが変わってしまった。和也は悔しそうに言う。「俺と絵里は五年間も付き合っていたんだ。兄さんはただの政略結婚じゃないか。いいさ。今、俺が深く誤解されているのは分かっている。これからは少しずつ証明していくよ」和也は紳士的に礼儀正しくお辞儀をし、その場を立ち去ろうとする。その瞬間、裕也が彼の手首を掴む。彫りの深い顔立ちには冷酷な色が浮かび、眉を吊り上げて冷ややかな視線を送っている。「今後、絵里には近づくな。本社に居続けたいのならな」低く覇気に満ちた声には、強い警告が込められている。和也は息を呑む。裕也の強烈な威圧感を前に、心の中でどれほど不満が渦巻いていても、喉の奥が塞がれたように言葉が出ない。彼は力任せに手を振り払い、険しい顔つきで去っていく。外で車のエンジン音が次第に遠ざかり、やがて静寂が戻る。空気が凍りついたように、どこか気まずい雰囲気が漂っている。奈央が笑ってその場を和ませる。「ほら、やっと帰ってくれたわね。絵里、見てたでしょ。裕也、あんなにあなたを庇ってくれて。本当にいい人を選んだわ」奈央は絵里の腕にそっと触れ、親しげで優しい態度を見せる。絵里は彼女を見ると、まるで自分の母親を見ているような気持ちになる。母も叔母さんと同じように、温和で淑やかな女性だった。特に共通しているのは、二人とも自分を心から愛してくれているということだ。絵里は心が温かくなり、微笑みながら裕也を見上げる。隣に立つ裕也も、ちょうど彼女を見下ろしており、薄い唇に柔らかな弧を描いている。「当然のことだ」「その通りだ。男たるもの、責任感と自信を持ち、妻に十分な信頼を与えなければな」文紀は満足そうに大笑いする。奈央が皆を食事へ誘う。「さあ、みんな座って食べましょう。話はそれからよ」皆はダイニングテーブルに座り、談笑しながら食事を楽しむ。文紀は機嫌が良く、裕也が持参した秘蔵のワインを開ける。男二人が酒を酌み交わし、女たちが会話に付き合う。酒が進み、上機嫌になった文紀はグラスを掲げて感謝の意を述べる。「誠治の転落と、俺が告発された件では、二人のおかげで助かった。特に裕也、お前が決定的な証拠を見つけてくれたからこそ、俺は無
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第679話

奈央も目元を赤くし、痛ましくてたまらないといった様子で絵里に手を振る。「早く帰りなさい。もう遅いから、道中気をつけてね」絵里は素直に頷く。ふと思う。もし両親が生きていて、裕也と一緒に実家へ帰って食事をしたら、こんな光景だったのだろうか。母は自分にあれこれと世話を焼き、優しく気遣ってくれる。父は裕也と酒を酌み交わしながら、仕事や将来の展望、計画について語り合う……だが、人生に「もしも」はない。もう、父も母もいないのだ。帰りの車内で、裕也はシートに背を預けている。顔はひどく青白く、重たいまぶたをどうにか持ち上げている。飲みすぎたうえに、先ほど玄関先で夜風に当たったせいで、一気に酔いが回ったようだ。それでも彼は、隣に座る絵里の手をきつく握りしめ、その目で彼女を見つめる。「もう泣かないの、いい子だから。ね?」酒の入った声はいつもより低く、まるでチェロの低い弦を弾くように心地よく響く。その声色も眼差しも、甘やかしに満ちている。絵里は深い悲しみに包まれたまま、呆然と彼を見つめる。胸の奥がじんわりと温かくなる。ゆっくりと彼に寄り添い、その肩に頭を乗せる。従順で大人しい子猫のように。「泣かないよ」この瞬間、彼女はまるで子供に戻ったかのようだった。「いい子だ」裕也は彼女の方へ頭を傾け、絵里の頭に自分の頭を乗せる。大きな手を広げ、彼女の指に自分の長い指を絡ませて、しっかりと恋人繋ぎにする。手のひらと手のひらが、ぴたりと重なり合う。車窓を流れる街灯の光が、二人の姿を暗闇の中で明滅させている。絵里は裕也の規則正しい寝息を聞きながら、かつてないほどの穏やかな安らぎを感じていた。彼は、眠りに落ちている。その夜、二人はきつく抱き合ったまま眠りにつく。今夜ほど、絵里が心から温もりと安心感を覚えた夜はなかった。……それから二日後、丈裕が調査結果を絵里に報告しに来る。「絵里様、藤原社長が宮野警視長に証拠を提出したのは事実です。その証拠により、中川の死に文紀様が無関係であることが十分に証明されました」絵里は静かに「そう」とだけ応える。全く驚く様子を見せない。丈裕は彼女があまりにも落ち着いていることに驚き、目を丸くする。「もしかして、すでにご存知だったのですか?」「二日前にね
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第680話

だが、半月も経つと、治夫はすっかり飽きてしまい、どうしても家に帰ると言い張る。絵里は折れざるを得ず、彼を迎えに行くことに同意する。「ほら、やっぱり自分の家が一番落ち着く。あんな所にいたら、おかしくなりそうだったよ」治夫は自宅のリビングに立ち、周囲を見渡しながら、懐かしさと満足感に満ちた表情を浮かべている。ずいぶんと長い間、帰っていなかったような気がする。吉田が笑って相槌を打つ。「もちろん、ご自宅が一番でございます。治夫様のお身体もすっかり良くなられましたし、絵里様もご安心でしょう。治夫様がお好きなグラジオラスも、私がしっかり手入れをしておりました。お帰りを待ちわびておりましたよ」「お前が一番わしの気持ちを分かっておる」治夫は嬉しそうに言う。絵里は二人の絆の深さを感じ取り、つられて笑みをこぼす。「吉田さんの言う通りね。じいちゃん、とにかく体が一番大事なんだから。お医者様は体の機能は回復したって言ってたけど、食事にはもっと気をつけないと。薄味にしないとダメよ」治夫は首を横に振る。「お前はどんどん口うるさくなるな。そういうところは、ばあさんにそっくりだ」「ばあちゃんの孫だもの、似てて当然でしょ。ばあちゃんの分まで、私がしっかりじいちゃんの世話をするんだから」絵里は治夫をソファに座らせ、自らお茶を淹れる。吉田は気を利かせ、使用人に食事の準備をさせるためキッチンへ向かう。今日、絵里がボディガードだけを連れて治夫の退院に付き添ったのは、裕也を避け、聞きたいことがあったからだ。「じいちゃん、ちょっと聞きたいことがあるの」絵里はお茶を淹れ、二つの湯呑みに注ぐと、両手で治夫に差し出す。その素直で従順な様子に、治夫は目を細める。湯呑みを受け取り、意味深な視線を彼女に向ける。「言ってみなさい。株のことだろう」やはり、亀の甲より年の功だ。じいちゃんの鋭い眼差しからは何も隠せない。「あの時、どうしてじいちゃんは教えてくれなかったの?裕也が私に20パーセントの株を譲渡したこと」治夫はお茶を一口すすり、湯呑みを持ったまま、愛おしそうな目で彼女を見る。「あのタイミングでは、お前は和也と別れたばかりだった。そう簡単に吹っ切れるわけがないだろう?」治夫の太い声が響く。「それに、裕也の誠意
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