血塗られた宮廷で護衛騎士は愛に揺れる のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

52 チャプター

21 後宮のこと

 私の返事を聞いて、殿下は悲しげな顔になる。 その顔は本当にやめてほしい。情がわいてしまうから。 まだ会って二日しか経っていないのに、私は年下の殿下に振り回されてばかりな気がする。 私は殿下から目をそらして湯呑を手にし、お茶を飲む。 だいぶ冷めてしまったな。お茶を飲んだ程度では私の気持ちは落ち着かないが。 妃か…… 私が結婚なんて考えたこともなかった。陛下にこの命を捧げると誓っているから。 陛下の寵愛を受けているし、結婚などあるわけがない。自分が何をしているのか自覚くらいある。 だからこのまま騎士として生涯を終えるつもりでいた。なのに人生とはうまくいかないものだ。「貴方に危険が及ばなければいいんですが」 そんな苦しげな声が聞こえてくる。 そんなことになるのだろうか。 騎士である私に刃を向ける者がいると? なくはないだろうが、それはそれで相手にも相当な覚悟が必要だろう。 そもそも私は戦場を何度も生き抜いてきたわけだから。 私は戦場での事を思い出す。 闇から奇襲をかけられることもあるから常に神経をとがらせていた。私自身が暗殺される可能性もあったし、背後から切り付けられたこともある。 戦場は敵がはっきりしているが、ここは違う。誰が敵で誰を信用していいのかわからない。そんな状況だし殿下は不安で仕方ないのだろうな。 ――私の前だけでも心安らかに過ごせたらいいが。 そんな思いがよぎり、私はハッとする。 何を考えているんだ私は。 自分の中に、殿下へ不思議な感情が芽生えようとしている気がしてなんだか気味が悪かった。 その週末。 事件から数日が過ぎた。 女官が殺された話はかん口令が敷かれているためか、誰も口にはしない。 ただ穏やかな日々が流れている。表面的には、だが。 後宮の妃選びが本格的に始まり、殿下の妃候補は誰になるのか、という噂話が女官たちの口から流れていた。 「巳の家のお嬢さん、金色の目をしていてとても綺麗なんですって」「ひつじの家のお嬢さんは金髪だって聞いたわよ? 西の国の人の血が流れてるって」「子の家のお嬢さんはとてもおっとりとしていて殿下とお似合いよ?」 などと、女官たちのおしゃべりは止まらない。 皆どこからそんな噂を仕入れてくるんだろうか。 私は自分の親族すら全部名前、出てこないぞ。 皇帝一家に後宮
last update最終更新日 : 2026-01-31
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22 チュンシー様の所へ

 翌週の初め。 私は事前に申し入れを行い、後宮に住む叔母、チュンシー様の元を訪れる約束をしていた。 親戚とはいえ相手は後宮の妃だ申し入れなく会うことはできない。 その日、私は殿下を大学に送り、そのまま後宮へと足を向けた。 彼女は信頼できる人、だろうか。 そうあってほしい、と思っている自分がいる。 それほど私はこの宮廷の中で信頼できる相手、というものに飢えていた。 二階建の大きな後宮の建物には十人の妃とそのお子たちが暮らしている。 この国には正妃、という考えがないためその妃も平等な扱いになるという。 後宮の建物に入るまで、三重の門を越えなくてはいけなかった。 それほどこの後宮は厳重で、入れる者が限られている。 女官に案内され、私はチュンシー様の私室へと向かう。 朱色に塗られた扉に女官が声をかけると、中から穏やかな声がした。「中へどうぞ」 その言葉に、女官は扉を開く。 そして頭を下げて言った。「ホ・シュエファ様をお連れいたしました」「えぇ、ありがとう」「失礼いたします」 チュンシー様の言葉のあと、私は女官の後ろから声をかける。 女官がすっと下がり、私は室内へと入った。すると背後で扉が閉まる音がした。「いらっしゃい、シュエファ」 朱色を基調とした部屋の中。 淡い赤の着物を着たチュンシー様が、テーブルの横に佇んでいる。 私は頭を下げ、チュンシー様に向かって言った。「お招きありがとうございます」「硬い挨拶はいいわよ。ふたりきりなんだから。今、女官がお茶を持って来てくれるわ。さあ、こちらに座って」 と言い、彼女は長椅子を指し示す。 私は言われた通り長椅子に近づき、そこに腰かけた。 室内に漂う、甘い匂い。この匂いは陛下の匂いに少し似ている。香の匂いなんだろうか。 寝台がないのできっと別室があるのだろうな。 チュンシー様は私の向かいに腰かけると、ニコニコと笑って言った。「来てくれて嬉しいわ。後宮の一日は変わり映えがないから」「ある程度外には自由に出られるのでは?」  後宮とはいえ外に全く出られないかごの鳥ではないはずだ。昔はそういうこともあったらしいが。 そんな私の言葉に、チュンシー様は苦笑を浮かべる。「そうね、確かにそうではあるんだけど。陛下のように奔放に外で遊んでいる妃もいるのは事実ね」 と、含みのあ
last update最終更新日 : 2026-01-31
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23 ヤオリンという女性

 私はじっとチュンシー様の方を見つめて言った。「私は十二支族のことについて全くわかっていないので。あの、陛下に嫁いで男の子を生んだ家は格が上がる、という噂は本当なのですか?」 そんな私の質問に、チュンシー様は苦笑を浮かべて頷く。「えぇ、そうらしいわね。そんなの各家の家長たちが勝手に決めていることよ。まったく失礼しちゃうわね。人を勝手に政争の具にして」 呆れたように言い、彼女は羊かんにようじを突き刺した。 その仕草から、静かな怒りを感じてしまう。 「そ、そうなんですか」「そうなのよ。だいたいね、後宮の妃選びから子作りまでぜーんぶ政争の道具なんだから。貴方も気をつけなさい? あんな男たちの道具に成り下がる必要、無いわよ」 きっぱいといい、チュンシー様は羊かんを切り、その切れ端を口に放り込んだ。 妃とは思えない仕草に私は苦笑を浮かべてしまう。 政争の道具か。 他の国では王国の姫が政略結婚に利用されると聞く。それを考えたら普通なのだろうけれど、男女比がおかしいこの国でも女は道具とされがちなことに驚いてしまう。 私もようじを手にし、羊かんを切りながら言った。「今まさに、殿下の妃選びを行われているところですね」「そうらしいわね。どの家も誰を妃とだすか揉めているでしょうね。年頃の娘なんて限られているし。殿下の好みの女性がどんな相手なのかって、女官たちに探りいれている頃よ」 そう言って、チュンシー様はまた羊かんにようじをぶっ刺した。 そんなことしているのか。ちょっと呆れてしまうんだが。 殿下の好みの女性を送り込んでどんな意味が……? 男子が産めるかどうかなんてしょせん運でしかないしな。そうなると、どの娘を妃に出すかの基準は、当人である殿下の好みに依存してしまうのか。 殿下の女性の好み。聞いたことがないな。 そもそも私は殿下と出会ってまだ一週間も経っていないから知りようがないが。 ……どんな女性が好きなのだろう。ちょっと興味があるかもしれない。 そんなことを思いつつ、私は羊かんを口に運んだ。 甘くておいしい。「貴方は後宮には入らないの?」 この人まで何を言い出すんだ。 私は羊かんが入った口にお茶を流し込み、大きく息を吐いてチュンシー様を見つめた。 真顔だ。どうやら本気らしい。 私は首を横に振ってこたえた。「そんな事あるわけ
last update最終更新日 : 2026-01-31
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24 もうひとりの男子

 何とも重苦しい空気が流れる中、私はさらに言った。「では、その女性が陛下と密会したことも、男子の子がいるのも事実だと?」「えぇ。それは確かよ。子の家の妃が憤慨していたのよ。面目丸つぶれだって」 なるほど、納得がいく話だ。 正式に後宮に妃として迎えられた自分ではなく、外の愛人に男の子が産まれたとあっては、自尊心を傷つけられるだろう。 自分の存在をないがしろにされたのだから。「他に何か言っていましたか?」「陛下には何度か生まれた子供を認めるように掛け合ったらしいけれど、相手にされなかったそうよ」 と言い、チュンシー様は羊かんを口に運んだ。ずいぶんと大きい塊だが、お構いなしにそれにくらいつく。 そうなると子の家のヤオリンが容疑者の筆頭になる。 自分の子供が陛下の子供と認められないのなら、認めさせる状況を作りだせばいい。 殿下を追い詰め精神的に弱らせて皇帝になりたくない状況に追い込めばいいのだから。 でもそれをどうやって裏付ける? 子の家に近い女官は複数いたはずだ。その中に犯人がいるのか? 帰ったら女官の名簿を洗い直さなければ。 そう考える私に、チュンシー様は言った。「他にも男子がいるっていう噂があるのだけど、そちらは詳しいこと、わからないのよね」 その言葉にハッとして、私はチュンシー様を見つめる。 他にも男子がいる可能性はもちろん考えているが、本当にいるのか? そうなると容疑者が増えてしまう。正直勘弁してほしいのだが。 内心げんなりしていると、チュンシー様は私の方を見て言った。「犯人を捜しているのね」 その問いに、私は頷く。 嘘を言っても仕方ないと思ったからだ。 すると彼女は首を傾げて言った。「なぜ? そんなことをしたら貴方にも危険が及ぶでしょう」「……宮廷で人が殺されたのは事実です。なのにその事実は隠されています。それはなぜか。貴方もわかっておいででしょう」 私の言葉にチュンシー様は頷く。「女官、だからよね」「そうです。被害者が男性であったなら。殿下自身であったなら大々的な捜査が行われ犯人を捕まえているでしょう。なのにそうはならない。おかしいと思いませんか?」「そうね」「そんな扱いの差は許されませんし、殺人は犯罪です。犯罪が行われた以上、犯人を捜すのは当然のことですよ」 殿下がやる気だから、なんてことは言えず
last update最終更新日 : 2026-01-31
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25 報告

 私は思考を洗い流すようにお茶を飲み込み、息をつく。 そして私は言った。「とりあえず私は捜査を続けます。もうすぐ殿下の誕生日もありますし。そこでまた動きがあるかもしれない」「そうね。私に協力できることはすくないけど……」 と、チュンシー様は眉さげる。 それは仕方ないだろう。なにせ彼女は後宮の妃だ。 起きていないとされる事件の捜査だし、堂々と支援を頼むわけにもいかない。 私は笑顔を作ってチュンシー様に声をかける。「大丈夫です。今の情報はとてもありがたいです。私は政治的なことは全然しらないので」「すべては陛下の放蕩が原因よね。いつか問題が起こると思っていたけど……まさか人が死ぬようなことになるなんて」 そしてチュンシー様は俯いてしまう。 たしかに陛下の女遊びが原因ではありそうだ。 それだけではない陰謀があるかもしれないが。「そもそも隣国と小競り合いだって起きているのだし、敵に隙を見せる様なことして」 そう呆れたようにチュンシー様が言う。 そんなことも利用されないのか。 考えてみたらその隠し子を抱き込み、敵国の傀儡にもできてしまうじゃないか。 これは想像以上に闇が深い話かもしれない。 その渦中にいる殿下は優しすぎる。 故に何が起きても傷ついてしまうだろう。 何とか御守りしなければ。 そう私は新たに決意をし、羊かんを口にした。 そしてチュンシー様を見る。 この人は信じていいのかもしれない。 親戚と言う側面はあるが、その事実を抜きにしても先ほどの怒りは真実であると思いたい。 私は頭を下げて彼女に礼を言う。「貴重なお時間をありがとうございました」「あ、えぇ。とんでもないわ。本当に私、退屈しているのよ。よかったら今度一緒に買い物に行かない? そうでもしないと私、外に出る気になれないから」 そう微笑むチュンシー様に、私も笑って頷いた。 その日の夜。 殿下とふたりきりになった時、私は殿下に得た情報について伝えた。 子の家の女性、ヤオリンのこと。彼女には男の子供がいると言う事実。他にも男子がいるかもしれない、という噂。 それらの事を伝えると、殿下の表情がどんどん曇っていった。それを見ると私も苦しさを覚えてしまう。 話しを聞き終えた殿下は俯き、小さく言った。「そうですか……じゃあ本当に……」 そんな殿下の様子を見て、
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26 殿下の暴走

 翌日、私は殿下の行動力のすさまじさを思い知ることになる。 殿下が私を後宮の妃に推薦した、という噂は静かに、だが確実に宮廷内を駆け巡ったらしい。 殿下を大学に送り届けたとき、護衛たちの視線が何だか痛かった。 そして帰ってくれば殿下に仕える四人の女官たちが、ノリノリで私に尋ねてきた。「シュエファちゃん、後宮に入るんですってね」「私もきいたわぁ。しかも殿下のご推薦でしょう?」 シュエファちゃん、と呼ばれるとむず痒い。 私は居心地の悪さを感じながら、苦笑を浮かべてその問いに頷いた。「そうらしいですね」  すると女官たちは、まるで乙女のように頬を紅く染めて謎に悲鳴を上げている。 これはあれだ。中学生くらいの頃、数少ない男子への恋心をかたるあれだ。 懐かしさよりも恥ずかしさの方が勝る。 できれば逃げ出したいが、無理だろうな。いつも殿下を送り届けて帰ってくると、彼女らは私とお茶会を開くのだから。 私が帰る頃、ちょうど彼女らの仕事が終わるらしい。そして昼の仕事の始まりまでお茶の時間を過ごしつつ、雑談するのが毎日の日課になっていた。 女官のひとりがうっとりとした顔で言った。「もしかして殿下、シュエファちゃんの事……?」 すると謎の悲鳴が上がる。「やだぁ、殿下ってば積極的ね!」「そうよねえ、殿下も十八歳ですものね」 と盛り上がり始めてしまう。その会話を聞いて、私は内心あきれつつ、首を横に振って言った。「そういうわけではないですよ。ほら、宮廷でいろいろ起きているでしょう。それがらみです」 女官殺人事件についてはおおやけではないので口に出していいのか戸惑い、私は曖昧な表現をしてしまう。だけどそれで伝わったらしく、四人の女官は顔を見合わせて、あー、という呻り声を上げる。 そして残念そうな顔で言った。「そうなの? てっきり私たち殿下がシュエファちゃんの事気に入ったのかと思ったのに」「そうよねぇ。殿下の恋かしらって思ったのにぃ」 そんな残念がられても。 私は呆れつつ答える。「そもそも私と殿下は出会って一週間少々ですよ。そんな短い間に恋が芽生えるわけないでしょう」 すると、女官たちは目を見開いて一斉に首を横に振った。「そんなことないわよ!」「恋に時間は関係ないわ!」「そうそう。歳の差も関係ないのよ」「ひとめぼれってあるじゃない!
last update最終更新日 : 2026-02-02
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27 庭で

 今、季節は秋から冬に変わろうとしている。 吹く風は少し肌寒く色を変えた木の葉が舞い散っている。 池にも紅葉が浮かび、鳥たちがその隙間を泳いでいた。 宮廷内はとても広い。 議会が開かれる議事堂の他、皇帝陛下の住まわれる宮殿、後宮、殿下の私邸に女官たちの寮など様々な建物があり、その合間に色んな庭がある。 この庭は殿下の私邸から離れているため、以前宮廷内を歩き回った時は通りすがっただけでさほど気にも留めなかった。 池と、紅や黄色に染まった葉っぱたち。その光景はまるで絵画のように美しく見えた。 こんな風に木々を、池を眺めたのは久しぶりだ。 春には花見をするものだが今年の初めから隣国との小競り合いがあり、戦争へと突入していたからこんな風に風景を楽しむのはことはできなかった。 私は思わず息を吐く。 私が戦争で守りたかったもののひとつ。それはいつもと変わらないいつもの風景だ。 国民が普通をただ生きる。その為に私たちは戦い、血を流し命を使ってきた。 平和でなくてはこんな風に季節の移ろいに心を寄せることなどできないから。 「綺麗ですね」 隣に立つ殿下がそう呟く声が聞こえて、私は黙って頷く。「庭師たちが手入れしてくれるので、庭はいつも綺麗です。掃除の後なら池に葉も浮いていないんですけど、この時期ならではかなと思って」「そうですね。葉が浮かぶ池も綺麗だと思いますよ」 そう私が答えると殿下はそうですよね、と呟く。 池を泳ぐカモは何をするでもなく、優雅に水に揺れている。彼らは何を考えているんだろうか。  かと思えば、お尻を出して水の中にひっくりかえっているカモもいる。あれは餌を食べているんだろうか。 その様子を眺めていると、殿下が言った。「秋の風景って一日一日で変わってしまいますよね。だから一緒に見たかったんです」 そんな言葉が聞こえてきて、私はゆっくりと殿下の方を向く。 彼はにっこり微笑みこちらを見ていた。 さっき殿下は確かに、一緒に風景を見たかったと言った。「それは……私と、ですか?」 と、自分でも間抜けだと思える言葉が出てしまう。 当たり前だろう。ここにいるのは私と殿下だけなのだから。 見回りの兵の姿も今はない。 殿下は笑顔のまま頷き言った。「はい、そうです。シュエファさん、就任早々あんなことが起きてしまって……ずっと張
last update最終更新日 : 2026-02-04
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28 誕生日の事

 やはり殿下といるとなんだか居心地がよくない。 嫌ではないが、なにかこう……落ち着かなくなってしまう。 この私の中に生まれた感情の説明が自分ではできなくて、私はじっと池を見た。 ちゃぷん、と水の音がする。 よく見れば葉の隙間から色鮮やかな鯉の姿が見える。ずいぶんとふとましい姿をしているからよい餌を貰っているのだろう。「あの、シュエファさん」 遠慮がちな殿下の声が聞こえてきて、嫌な予感がしてしまう。 私はゆっくりと殿下の方を向いて言った。「なんでしょうか」「あの、僕の誕生日があるじゃないですか。十二月、なんですが」 その話はもちろん聞いているし、私も同席せざるをえない。当たり前だ、殿下の護衛なのだから。 「そうですね」「それであの、シュエファさん、僕考えたんですけど」 やはり嫌な予感は的中しそうだ。 内心諦めつつ私は殿下の言葉を聞いた。「せっかくですし、シュエファさん着物作りませんか?」 必死な様子で言われ、私はきょとん、と殿下の顔を見た。 着物を作る? 何を言われているのか意味が分からず、私は言葉が出てこない。 殿下の誕生日でなぜ私が着物を作る話になるんだ? だめだ、殿下の発想はいつも私の斜め上をいく。そのせいでいつも二の句がつげなくなってしまう。 呆然とする私に殿下は畳み掛けてきた。「あの、後宮の件もあるしそれに、就任早々色々あってその、大変な思いをさせてしまっているのでせめて何かできないかと考えたんです! 僕の誕生日の祝宴がありますからそれに合わせてシュエファさん、着物、作らせてください。今からならまだ仕立て、間に合いますし」 そう言いながら彼は頭を下げてくる。 そんな殿下に私は慌てて言った。「あ、頭をお上げください、殿下」 そして私は辺りを見回す。幸い見回りの兵の姿も女中の姿も見えない。 私が殿下に頭を下げられている姿を誰かに見られたらあらぬ噂が立つに決まっている。ここは宮廷の中だ。 暇を持て余した人々は、噂話に餓えているだろうから。 殿下はばっと顔を上げ、私をじっと見る。 そして言った。「了承していただけますか?」 殿下にそう言われて断れる存在がいるわけないだろうに。 この方は天然で言っているのかわざとなのかよくわからない。 いや、きっと天然なのだろうな。 殿下はこの魑魅魍魎の多い宮廷
last update最終更新日 : 2026-02-05
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29 視線

 その時だった。 なんだか背中がぞくり、として私はハッとして辺りを見回した。 ここは宮廷内の庭であるし、内部の者なら誰でも入ることができる。実際、少し離れた所を通り過ぎていく女官の姿が見えるし、いつの間に現れたのか警備兵の姿もある。 けれど今の視線は彼女らのものとは思えない。 あの視線、あの感じは戦場で何度も感じたことがあるものだ。 ――殺気。 けれど誰が? やはり女官の中に事件の犯人がいるのだろうか。まさか警備兵? そう思って警備兵を見るが、彼女らから殺気は感じない。 その向こうにいた女官はすでに姿がないし、あの女官とも限らない。この庭は木が多いし、どこかに隠れているとか? そう思うとなんだか落ち着かないが、殿下をおいていくわけにもいかないし、どうしたものか。「……シュエファさん、どうかされましたか?」 心配げな声がして、私はばっと振り返り殿下を見やる。 彼は不安そうな目を私に向けていた。 殺気を感じた事を伝えるか一瞬悩んだが、確証もないため私は首を横に振り、笑顔を作る。「いえ、視線を感じたので誰かと思って……警備の兵がこちらの様子を伺っていました」 そう伝えると殿下も警備兵たちの方へと視線を向ける。「あぁ、見回りですね。彼女たちのお陰で僕はここで安全に暮らすことができるんですよね」 と言い、笑みを浮かべる。 本当にお優しい方だ。下々の者にまで気を回すなんて。 だから、その優しさに付け入られてしまい、女官をふたりも殺されてしまったのだろうが。 殿下は気がついているのだろうか。 殿下が女官にまで心を寄せるから、彼女らは命を奪われ殿下を追い詰めるために利用されてしまったと。 私は殿下から目をそらし、庭へと目を向ける。 さっきの視線。あれは私に向けられたものなのか、殿下に向けられたものなのかわからないが。 私が殿下の護衛であり、しかも後宮に入る、となれば敵は動くだろうか。 自分をエサにするのは好かないが、今この状況を利用しない手はないだろう。 敵は動くのか。動くとしたらいつだ? 人の出入りが多い、殿下の誕生日の祝宴か? 私はぐるぐる考えを巡らせ、今私にできることを考えた。 人の噂、というのはあっという間に広がるらしい。 翌日。 私は皇帝陛下より召喚をうけ、殿下を大学へとお送りした後、陛下の執務室へと向かった
last update最終更新日 : 2026-02-06
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30 皇帝陛下とツァロン殿下

 私は一瞬悩み、陛下の問いかけに答えた。「私の後宮入りと、事件の捜査は関係ございません」 と、とっさの嘘が出てしまう。 実際は大いに関係あるというのに。 殿下は私を守る為に後宮入りを、と言っていたが現実そうなるとは思えない。たぶん次の標的に選ばれる恐れがある。 もし私が襲われるようなことになれば、陛下は本格的な捜査を始めるだろうか。 きっと殿下は進言するだろう。自分の妃候補が襲われたのだから、捜査をしてほしいと。けれどそれを陛下は受け入れるだろうか? 私は皇帝陛下の様子をうかがうが、私の返答に顔色ひとつ変わった様子はなかった。いったい何を考えているのか。「そうか。シュエファ、お前は誰のものだ?」 凍てつくような声に、私は震えそうになるのをぐっとこらえる。 誰のものもなにもないだろうに。そもそも騎士は全員、誰に忠誠を誓うのか。 私は心臓の上に手を当てて、声を張り答えた。「騎士になるとき、私は陛下に宣誓いたしました。この命、皇帝陛下に捧げると」 私の答えが満足するものだったのだろうか、一瞬陛下がにやっとしたような気がした。 「そうだな、ホ・シュエファ。お前は、お前たちは俺の駒に過ぎない。わかっているな」 駒、という言葉が心に引っかかるが、私は感情を抑えて答えた。「承知しております」「下がれ。ツァロンの成人の儀まで騒ぎを起こすなよ」 その言葉を受け、私は陛下の執務室を後にした。 廊下に出て、射るような役人たちの視線を浴びて外に出たとき、私はどっと疲労を感じて大きく息を吐いた。 「騒ぎを起こすな……か」 そう呟き、私は地面を見つめる。 きれいに掃除されていて、枯れた葉ひとつ落ちていない。 陛下は私の忠誠心を試したかったのだろうか。 自分と、殿下、私がどちらにつくのかを。 なぜそんなことをするのか理解できない。そもそも私を殿下の護衛につけたのは皇帝陛下自身だろうに。 私は振り返って宮殿を見上げる。 この朱色の壁の宮殿を染めているのは、我らの流した血だろうか。 しょせん自分は駒である、ということはわかっていたはずなのに、陛下からはっきりと言われると胸が痛くなってしまう。 ――殿下はそんな事言わないのに。 そんなことを思い私はそんな自分にハッとして首を振り、宮殿に背を向けた。 その週末。 ほんとうに殿下は私のた
last update最終更新日 : 2026-02-07
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