血塗られた宮廷で護衛騎士は愛に揺れる のすべてのチャプター: チャプター 31 - チャプター 40

52 チャプター

31 買い物へ

 十一月に入り、寒さが一層ましてきた。 事件から一カ月近くが経ったが、敵の動きは特にない。 私に何かしてくるかと思ったが、よほど慎重なのか別の意図があるのかわからないが静かなものだった。 その日、私は叔母である後宮の妃、チュンシー様と外に出かけていた。 さすがにふたりきり、というわけにはいかず女官や宮廷護衛団、華衛の兵もついてきている。 町を歩くとよくわかるが、男の姿をほぼ見ない。 小さな子供をたまに見かけるくらいだろうか。 女性たちが店の前で呼び込みをし、女性たちが店の中に吸い込まれていく。「すっかり冬の気配を感じるようになったわねぇ」 辺りを見回しながらチュンシー様が言った。 「そうですね。ずいぶんと風が冷たくなってきました」 そう答えつつ、私は羽織った外套の首元にふれる。 この外套は、少し前に殿下が下さった物だ。外の見回りに出かける際、寒いだろうからとくださった、茶色の毛皮でできたものだ。 暖かいので重宝している。「外に出るのは久しぶりだわ。いくつかお店を見て周りましょう、シュエファ」 嬉しそうに言うチュンシー様。 出かけるにもこうしてお付の者が必要だから、あまり外に出ないらしい。 その煩わしさは理解できる。 ひとりで自由に外を歩けないのは何とも面倒だ。 それを思うと私には後宮は向いていないと思う。けれどこのままだと私は本当に後宮の妃となってしまうのか? なんだか自分の事ではない感じがして妙な気分だった。 チュンシー様に言われるままに雑貨屋や仕立て屋、宝飾店をめぐる。 宝飾店へと向かう道すがら、チュンシー様が声を潜めて言った。「シュエファ、貴方が後宮に入るっていう噂を聞いたけれど、本当なの?」 チュンシー様は心配げに眉を下げている。 かなりうわさは広がっているのか。 私はその問いかけに肩をすくめる。「殿下はそのおつもりのようです」 と、あいまいに答える。 私としては後宮入りは避けたいのだけれど、心は揺れていた。 あの殿下を放っておくわけにはいかないのではという思いが、どうしても私の心を支配する。 チュンシー様は複雑な顔になる。「それは……陛下はご存じよね? もちろん」「えぇ、その事で陛下から召喚を受けましたから」 その時の、陛下の凍てつく目を思い出すと背筋がこごえてきてしまう。 あれから
last update最終更新日 : 2026-02-08
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32 心が重い

 宝石店に入ると、手厚く出迎えられた。 当たり前のように奥の小部屋に通されたかと思うと、男の店員がチュンシー様の希望であるブレスレットをトレイに置いて持って来てくれた。 私はこういうところには滅多に足を踏み入れないので落ち着かず、黙ってやり取りを見つめる。 不自然なほど笑顔の店員は、ひとつひとつブレスレットについて説明をしていった。「こちらは西の国から取り寄せました金剛石のブレスレットでございます。こちらは翠玉でしてこちらは……」 色鮮やかな宝石がついたブレスレットたち。私には眩しく映る。 どれも値札がついていないが、チュンシー様はその中からふたつ、購入を決めて女官に支払いを命じた。 店員は終始笑顔でなんだか不気味にも見える。 後宮の妃はこんな風に金を湯水のように使うのか。 私も上流階級の家の出ではあるが、値段はさすがに気にするし、気になった商品が値引きされていたら飛びついてしまうというのに。 店を後にしたあと、チュンシー様は歩きながら言った。「後宮の妃はね女性の夢なのよ、シュエファ」「夢……ですか?」 不思議に思って尋ねると、チュンシー様は頷く。「えぇ。好きな時に好きなものを買って、着飾って、いつまでも美しくある。皇帝の妃ですもの。質素さはいらないの。私たちが贅沢ができるということはそれだけ国は安定していて裕福だって事だもの。そしてその国を治めているのが皇帝陛下。陛下の治世が安定しているからこそ、こうして自由に外に出て買い物をすることを許される」 と言い、チュンシー様は胸に手を当てる。 それは確かにそうだろう。 でなければ国民は反発をするだろうし、そもそも陛下の女遊びにだって黙ってはいないはずだ。 隣国との小競り合いがあるとはいえ、政治的にはとても安定しているし他国との仲は決して悪くはない。 私は辺りを歩く人々へと目を向ける。楽しそうに店先の品物を見つめる少女。談笑する女性たち。 着飾ったチュンシー様に見とれる者もいる。「だから私はこうして外で買い物をするのよ。呼べば商人は来てくれるけど、外を歩いて町の様子を見ながら、私は陛下の事を宣伝するのよ。私がこうして着飾って歩けるのは皇帝陛下のお陰だってね」 と言い、チュンシー様は笑った。 確かに宮廷に商人を呼べばたくさんの商品を持ってやってきてくれる。殿下はそうしていた。
last update最終更新日 : 2026-02-09
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33 父のもとへ

 チュンシー様と別れて、私は父が働く議会を訪れた。 私の父は議員であり、大臣を務めている。 議会は宮廷内にある為、帰りに立ち寄れるので仕方なく父の元に行こうかと思い、私は議会を歩いた。 時間は昼を過ぎている。 受付で父に会いたい旨を伝えたら議員の部屋に通されたので、たぶん会議などは今ないのだろう。 父とは、戦場から帰ってきて殿下の護衛につくことを知らせたときに会ったきりだ。 一カ月ぶりくらいだろうか。 女官に案内された茶色の扉の前に立ち、私はその扉を強く叩いた。 扉が開き出てきた女性に用件を伝えると、中に入れてくれた。 まず目に入ったのは応接用のテーブルとソファー。奥には机と仕事をする女性の姿。左手に扉があって、その奥が父の執務室になっている。 女性が扉を叩き、中へと声をかけた。「ホ議員、シュエファ様がお見えです」「あぁ、中に入れてくれ」 その声を聞いて、女性は扉を開き私に中へ入るよう促した。「失礼いたします」 声をかけて中に入ると、机に向かって仕事をする父の姿が目に入った。 私と同じ藍色の髪には白髪が混じり始めている。 父、文傑(ウェンジエ)。彼は手を止めて顔を上げると、大きな目を見開いて言った。「シュエファ」「お仕事中失礼いたします、父上」 頭を下げて私は父の机に近づく。 父は立ち上がり、にっと笑って言った。「聞いたぞ、シュエファ。殿下に相当気に入られたようじゃないか」「ご存知でしたか」 当たり前かと思いつつ言うと、父は大きく頷く。「宮廷から打診があったからな。我が一族として候補を出す予定だったが、その手間が省けた」 てっきりその候補を嫁がせなくなって怒っているのではと思っていたが、そうでもないらしい。 そのことに内心ほっとするが、止めてほしかった気持ちも少しあり複雑だった。「私としても驚いておりますが……まだ受けるとは決めておりません」 確かに殿下は私を後宮に入れたがっている。だけどこの間謝罪を受けたし……私の後宮入りについてはうやむやなままだ。 私の言葉に父は机に両手を突き身を乗り出してくる。「まさか……断るつもりなのか?」 驚きの声を上げる父に、私は何とも言えない気持ちになる。 断るか断らないかも決めていないが、父としては断る、などという選択肢はそもそも存在していないのだろうな。 私は肩
last update最終更新日 : 2026-02-10
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34 絡め取られていく

 その日の夜。 夕食のあと、私は事件の資料を読み返していた。 私は宮廷の護衛団、華衛の団長であるヨウラン殿から、首を裂かれた女官の事件についての資料も預かっていた。 死因は首を裂かれたことによる失血死。 壁の血も被害者のものだろうとのことだった。 被害者の女官はどちらも殿下に近しい人物だった。私はふたりの女性の資料を見比べる。「こちらは卯の家が後見人で、こちらは酉の家か……」 どちらの女官も十二支族が後見人となっている。 それはそうか、殿下のおそばに仕えるのだからちゃんとした身分の人物でないとだろう。 「殿下の母上は酉の家の出身だった様な……?」 そう思うものの自信はなかった。私はとにかく政治の事には疎い。私以外の者がこの資料を見たら別の視点を示してくれるかもしれないが、誰かを巻き込める状況ではないしな。 そう思い、私は深く息をついた。 その時、部屋の外に足音が聞こえ、それが部屋の前で止まったことに気が付く。 私は資料を机に置いて、立ち上がると扉を叩く音が響いた。「シュエファさん、起きていらっしゃいますか?」 遠慮がちな、殿下の声。 起きているに決まっている。まだ湯も浴びていないのだから。「はい。少々お待ちください」 扉に向かってそう声をかけて、私はそちらに近づき扉を開けた。 すると湯を浴びたばかりであろう殿下がそこに立っていた。 まだ髪が濡れているようで、妙な色香を感じてしまう。そのことに私はハッとしたが、なんとか耐えて殿下をじっと見つめて言った。「どうかされましたか」 なるべく淡々と言うと、殿下は心配げな顔になる。「あの、シュエファさんがお父様にお会いになられたと聞いてそれで……」 そして殿下は口を閉じてしまう。 宮廷内は本当に噂が広まるのが早い。 私が父に会うのは普通のことだろうに。 内心呆れつつ、私は頷き答えた。「えぇ、私の父ですからね。後宮のことについて話さなくてはならなかったので」 すると、殿下は眉を下げうな垂れてしまう。「も、申し訳ないです。あの、怒られたりしませんでしたか? 僕はその……各家の関係とかには疎くて」「私も家の関係については詳しくありませんから。怒られたりとかはないですよ。むしろ……喜んでいました」 私からしたら、父にとって自分がしょせん道具に過ぎない、ということがよくわ
last update最終更新日 : 2026-02-11
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35 ひと月がすぎて

 その週末。 私は約束通り殿下と宮廷内を散策することとなった。 冬が近づき太陽は弱々しく地上を照らす。 私は殿下にいただいた外套に身を包み、殿下の少し前を歩く。 警備の兵や女官の姿を時おり見かけるだけで、庭は静かなものだった。 殿下は嬉しそうに言った。 「天気が良くてよかったです」「そうですね。風もあまり吹いていないし穏やかな気候でよかったです」 去年の今頃は戦争になるかもしれないとピリピリしていたっけ。 そのころと比べたら今はだいぶ穏やかだと思う。 この静かな時間はどれほど続くのだろうか。 そう感慨にふける私の背後から殿下の声がかかった。「シュエファさんがいらした戦場は、冬は雪が降る地域ですよね」「えぇ、そのとおりです。カルトゥールとの国境沿いでの戦の時、まだ雪が残っていましたから」「そうなんですね。こちらではあまり雪が降らないから、雪ってちょっと憧れます」 確かにこの辺りで雪が降るのは珍しい。 子供の頃は雪が降ると嬉しくて、はしゃいだ思い出がある。 一度だけ大量に降ったことがあって大人は大変そうだったが、子供の私たちは雪合戦したり雪だるまを作って遊んだことがあった。 「小さい時に一度、たくさん降ったことがありましたけどご存知ですか?」 殿下も同じことを考えていたらしい。私は振り返り、殿下の方を見て頷き言った。「えぇ、覚えています。私は十二歳くらいだったかと思いますが、朝目が覚めたら一面真っ白で驚きました」 私の答えに殿下は嬉しそうに大きく頷く。「ありましたよね! 僕も覚えています。姉たちと一緒に庭で雪遊びしたけど、次の日は僕も姉たちも熱出してしまって、母たちに呆れられました」 そして殿下は懐かしそうに目を細めた。 私は熱を出さなかったが、姉や妹たちの中には熱を出して寝込んでいた者がいたのを思い出す。「あぁ、うちもそんな感じでした。学校に行ったらずいぶんと休みの子がいたように思います」「あぁ、うちもそうでした。今は雪降ると大変だなって思いますけど子供の頃は嬉しかったですね」 と、楽しげに語った。 その時だった。 びゅうっと強い風が吹いて、私は思わず足を止めて顔を手で遮って目を閉じてしまう。 砂が舞い上がり、冷たさに顔が痛く感じる。「シュエファさん」 殿下の声と漂う森の中のような匂い。 それに…
last update最終更新日 : 2026-02-13
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36 殺気

 殿下が一瞬びくっと震えたかと思うとこちらを向く。 そして握った手と私の顔を交互に見たあと恥ずかしげに俯いてしまった。 なんだこれは。自分から手を握ってきたのに何を恥ずかしがる必要がある? その割には私の手を握る力は弱くなっていない。 私は殿下をじっと見つめて言った。「殿下、どうかされましたか?」 私の声にまた彼はびくっと震え、下を俯いたまま答えた。「い、いえ何でもないです」 と、とても大丈夫ではない声で答える。 心なしか顔が赤いような気がするが、気のせいか? 私は殿下の様子を伺うが、いまいち何が何だかわからない。 そもそもこの年頃の男子なんて身近にいたことはなく、何を考えているのかまったくわからない。 殿下は顔を上げこちらを見たあと、ぎこちなく笑い言った。 「す、すみませんあの……さ、桜、綺麗ですね! 寒さに耐えて咲く姿がとても力強く見えます」 妙に上ずった声で言った後、彼は桜の方へと顔を向ける。 確かに、この寒さに耐えて咲く姿は強く見える。 冬はあらゆる草木が枯れ、春を待つものだ。 私も桜と椿の花を見て答えた。「そうですね。この寒さの中でも咲く姿はとても美しく見えます」「そうですね。なんだかシュエファさんみたいです」 いったい何を言い出すのかと思い私は驚き、殿下を見つめる。 私が花? 騎士である私が? どういう意味かと思っていると、彼は桜を見つめたまま言った。「シュエファさんは騎士団の団長をされていたわけですよね。半年にわたる戦争を勝ち抜き帰ってきて。今は僕の護衛に着いてくれて。それってすごく強いって事じゃないですか。強くてきれいですごくかっこいいなって思います」 そして殿下は満面の笑顔で私を見つめる。 確かにその通りだが、面と向かって言われると恥ずかしすぎる。 今度は私が挙動不審になってしまい、下を俯いてしまう。 そんな私に、殿下は畳み掛けてくる。「シュエファさんがいてよかったです。僕ひとりだったら父に宮廷を出たいと進言していたかもしれないから。父に護衛をつけると言われた時は断ったんですよ。だって危ないじゃないですか。今度はその人が殺されてしまうかもしれないのにって」 衣擦れに音がして、殿下がこちらを向いたのがわかる。 はっとして顔を上げると、殿下は私の頬にそっと手を触れた。 私の頬はとても冷え
last update最終更新日 : 2026-02-14
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37 着物が出来上がる

 殿下の誕生日が近づいてきた十二月の初め。 敵の動きはなく、静かな時間が流れていた。 女官たちに事件当時の話を聞こうとしてはみたものの、皆口を固く閉ざしてなにも聞きだすことはできなかった。 護衛団の団長であるヨウラン殿も、検死をしている医師も同様、何も語ってはくれない。 ヨウラン殿に話しかけたところ呆れた顔をされた上、「殿下の戯れに付き合うのはおやめください。貴方には貴方の職務があるでしょう」 と冷たくあしらわれてしまった。 どうやら彼は、私が後宮に推薦されたのが気に入らないらしい。 こんな状況では犯人探しどころではないな。 殺気は気のせいではないと思うが、誰が私たちを狙っているのか。 誰が味方で誰が敵なのかわからない状況では、殿下が私に依存するのも仕方ないとさえ思ってしまう。 そんな折、頼んでいた着物が仕上がったと言われ、私は殿下と共に応接室で商人たちを出迎えた。 紺地に黄色で川や星、それに白い鳥が描かれた着物で、私が動きやすいようにと袖は絞られている。 商人は着物を開いて説明してくれる。「背中にこの星の川が来るようになっておりまして、白い鳥は胸もとに配置されております。そして――」 仕上がった着物を見て、すこし心が跳ねる。 新しい服、というものはこんなにも気分があがるのか。 見とれていると、殿下の声がかかった。「シュエファさん、せっかくですから着て見てはいかがですか? 僕、席を外すので」「え? あ……」「ぜひお召しになってみてください!」 驚く私をよそに、商人までのってくる。 私は迷いながらも頷き、「そうですね」 と答えた。 殿下が応接室を出たあと、商人が着つけてくれる。 人前に肌を晒すのはあまり好きではないのだが。 案の定、私の身体についている傷を見た商人は、痛ましそうに顔を歪めた。「あぁ、シュエファ様は騎士、でありましたね」「えぇ、この秋まで戦場におりました」「そうでございましたか。貴方様のお陰で私たちは平和を享受できるのですね、ありがとうございます」 なんていうやりとりをしつつ、商人は私に着物を着つけてくれた。 淡い青のズボンを穿き、首飾りや腕輪を身に着ける。 いつもはもっと楽な格好をしているため、なんだか不思議な気持ちで私は着物を見た。 動きやすさを尊重しつつ、礼服らしい派手さがある。
last update最終更新日 : 2026-02-15
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38 父への挨拶

 十二月の半ば。殿下の誕生日がやってきた。 宮廷にある大広間は多くの女官たちが駆り出され、夕方から行われる祝宴のため、テーブルや椅子の用意がすすめられていた。 昼は皇帝陛下の御前で誕生日の儀式と挨拶だ。 私は護衛として、殿下と共に宮廷の謁見の間を訪れていた。 紅い玉座に座る皇帝陛下の足もとに、真っ白な虎が堂々とのぞべりこちらを見つめている。 あの虎は皇帝一家の守護獣だ。もう一匹龍がいるが、身体が大きく室内では邪魔になるからか滅多に姿を現さない。 虎も特別な場でないと出てこないので、この場が重要な場であることを表している。 殿下を見つめる皇帝陛下の目には何の感情もない。あの方に情、というものがあるのだろうか。 私が知る限り、女官が殺されてから一度、殿下の私邸を訪れたがそれきりだ。  黒い上衣をまとった皇帝陛下に、白い上衣を着た殿下。 その衣装はふたりの違いを表しているようにも思えた。 殿下は頭をさげて陛下に挨拶の言葉を述べた。「皇帝陛下、わたくしツァロンは本日、無事に十九歳の誕生日を迎えることができました」 そこで言葉を切ったあと、殿下は陛下に目を向ける。「これも皇帝陛下の気高き統治、揺るぎない治世があればこそでございます。この安寧なる御代に生を授かり、今日という日を迎えられました幸せを深く胸に刻んでおります」  その言葉を聞いた皇帝陛下の眉がぴくり、と動いたような気がしたが気のせいだろうか。 殿下の言葉を聞いた後、皇帝陛下が静かに告げた。「おめでとう、ツァロン。もう十九歳か。早いものだな」 そう言ってはいるものの、声に感情を感じない。 皇帝陛下は真っ黒な、夜の闇のような瞳を殿下に向けている。「今宵はお前のために宴の準備をしている。ツァロン、自分の立場を忘れず我が息子としてふさわしい立ち居振る舞いを忘れるな」「……承知しております、父上」 なんだか肌のひりつくようなやり取りに、私は思わず眉をひそめてしまう。 一瞬、皇帝陛下がこちらを見たような気がして、私の中で緊張が走る。 だがそれは本当に一瞬の出来事で、皇帝陛下はゆっくりと立ち上がり白い虎へと視線を落とす。「いくぞ」 と声をかけられた虎はぐるぐると喉を鳴らした後、立ち上がりぶるぶるっと震えた。 真っ赤な瞳がじっと、殿下を見据えている。 そして虎は、殿下に向か
last update最終更新日 : 2026-02-16
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39 祝宴が始まる

 紅い壁に紅い柱。真っ白な提灯がつりさげられて大広間を照らしている。 日はとうに暮れて、大広間には着飾った女性たちが談笑を楽しんでいた。 殿下が現れたとき、会場内を拍手が包んだ。 陛下の挨拶のあと宴会が始まると、すぐに殿下にお目通りをしようと人々が次々に近づいてきた。 そのひとりひとりを覚えるのはさすがに無理だが、最初に挨拶をしてきたのは十二支族の家長たちだった。 子、牛、卯、巳、午、未、申、酉、戌、亥。十の家長たちが順番に殿下の前に立つ。 それぞれが守護獣を従えて。おかげでどの人物がその家の者か見た目で区別ができた。 守護獣は家長が呼べばどこからともなく現れ、用が済めばどこかへと消えていく。 牛や午はさすがに大きい。真っ黒な牛や真っ白な午が現れたときは人々が歓声を上げた。 「殿下、お誕生日おめでとうございます」  白いねずみを肩にのせた男が、殿下に挨拶をする。 たぶん五十歳くらいだろうか。白髪交じりの穏やかそうに見える男だった。 疑わしいのは子の家と、巳の家。 私はその、子の家の家長の様子を観察した。 にこにこと笑い、殿下と会話を交わしていてとても殿下を脅すような人物には見えない。「では失礼いたします、殿下」「ありがとうございます、孔(コウ)殿」 挨拶をして孔、と呼ばれたその男は殿下の前を去って行く。 そして最後に現れたのは、腕に真っ黒な蛇を巻きつけた男だった。巳の家の家長だ。 蛇と同じように目つきの鋭いその男も、満面の笑みを浮かべて殿下に祝いの言葉を伝えた。「無事、十九歳の誕生日を迎えられ、喜ばしい事です」「えぇ、そうですね。何事もなく……一年を過ごせました」 何事もなく、と言った後言い淀んでしまった殿下。きっと心の中に殺人事件のことがあるのだろう。その心痛を思うとこちらも胸が痛くなる。 ふたりは軽い会話を交わした後、巳の家長は去って行った。 私は子の家長と巳の家長の姿を探す。ふたりとも他の家長と談笑しているようだった。 さすがにふたりを見張るなど無理か。百人を超える招待客のひとりひとりを警戒するのは現実的ではないな。 私は殿下に張り付いているしかないか。 そう心に決めて、私は殿下に挨拶してくる女性たちの様子を淡々と見つめた。「うちの娘が殿下と同じ大学ですのよ」 と語る婦人。「後宮に迎え入れられる
last update最終更新日 : 2026-02-17
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40 ふたりきりの部屋で

 私は湯呑をじっと見つめる。 先ほど睨み付けられたのが気になるが、この状況で飲み物に何か仕込まれたとしたらあの女が疑われるだけだ。 大丈夫だろうか。 心臓が、バクバクと大きな音を立てているのがわかる。 これは私が飲み物を取りに行った方がいいか? それとも考え過ぎか。 「シュエファさん、どうかされましたか?」 不安げな声で言われ私はドキリ、として殿下の方を見た。 殿下は湯呑に手を伸ばそうともせず、私を見上げていた。 これはちゃんと伝えた方がいいだろうか。 一瞬悩み、私は殿下に感じている違和感について話すことにした。「先ほどの女官、あまり見かけない年代だったので」 そう私が言うと、殿下はあぁ、と呟き女官が出ていった扉の方を見た。「彼女は確か、林さんだったかと思います。巳の方の紹介で入ったかと。もう何年か経ちますよ」 と言い、私の方へと視線を向ける。 林という名前の巳の家が後見人の女性か。帰ったら資料を確認しなければ。 私が神妙な顔をしているせいか、殿下はずと不安な顔を見せている。「あの、彼女が怪しいのでしょうか。巳の家が僕を……?」 そして殿下はぶるり、と震えて俯いてしまう。 私は考えるよりも早く身体が動き、彼の隣に座りその震える身体にそっと手を触れた。「大丈夫ですよ。ただちょっと気になっただけです。そうですね、私の方でお茶を淹れ変えてきましょう」 そう伝えて私が立ちあがろうとしたときだった。 がしり、と腕が掴まれてしまう。 殿下は必死な様子で私を見つめ、首を横に振った。「すみません、そばに、いてください」 泣きそうな顔で言われてしまい、私は浮かせた腰をゆっくりと椅子に戻した。 なんだろう、胸がわずかに痛む。 誰が敵で誰が味方なのかわからない。いつか自分が殺されるかもしれない。そんな緊張感の中で過ごす重圧はどれほどのものだろうか。 私を睨み付けていたように思うから、この状況だと私の方が危ない、とも思うが。何せ殿下は男子。男を殺すことがどれだけの重罪かはわかるだろうから。「大丈夫ですよ、殿下を狙うほど、愚かではないでしょうから」 すると殿下は私の方を見つめて首を振った。「違います。僕が心配なのは……」 そこで言葉を切り、目を大きく見開いて黙り込んでしまう。 殿下は迷うように視線を動かした。「…
last update最終更新日 : 2026-02-18
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