All Chapters of 繁花散りて、君への愛も消え果てた: Chapter 1 - Chapter 10

21 Chapters

第1話

病弱な兄を救うため、広瀬時乃(ひろせ ときの)はわずか七歳にして、梶本家が運営する暗殺者訓練キャンプの門を叩いた。九歳であらゆる武器を自在に操り、十六歳になる頃には、百人の少女たちが殺し合う訓練キャンプを、たった一人生き抜いてみせた。その修羅場を潜り抜けた実力を買われ、時乃は梶本克樹(かじもと かつき)の前に立つ。彼の身を護る盾――「専属護衛」として。あの日から時乃は、克樹にとって最も使い勝手の良い「懐刀」だった。底が見えないほど複雑な梶本家の勢力争い。彼に実権を握らせるためならと、時乃はこの両手を幾度となく血に染めてきた。十八歳の時。裏切り者の奇襲に遭い、絶体絶命の窮地に陥った時乃を、克樹が身を挺して庇った。自らの体で銃弾を受け止めてまで救ってくれたその瞬間、時乃の心は彼に囚われた。それからの三年間。昼は背中を預け合う相棒として、夜は熱を分かち合う愛人として。数え切れないほどの夜を共にし、抱き合って眠りにつく度、克樹は耳元で甘く囁いた。「時乃、お前なしでは生きていけない」その言葉を、時乃は本気で信じていた。この幸福が、永遠に続くのだと疑いもしなかった。だが、克樹が敵に狙われたあの一件で、全てが変わってしまう。数時間にわたる死闘の末、ようやく脱出の糸口を見つけたその時だった。時乃が必死に彼を庇って退路を切り開き、克樹が落ちた銃を拾い上げようとしたその瞬間。バンッ!乾いた銃声が響く。時乃は反射的に彼の前に飛び出し、その腹部に三発の鉛玉を受けた。薄れゆく意識の中、目に映ったのは、目を真っ赤にして「時乃!」と絶叫する克樹の姿。最後の力を振り絞り、彼の目尻に浮かんだ涙を拭う。「大丈夫……です。痛く、ありませんから」そう言い残し、時乃は深い闇へと堕ちていった。どれほどの時間が経ったのだろう。重い瞼を持ち上げると、そこには病院の無機質な白い天井があった。体に力が入らない。誰かを呼ぼうと口を開きかけたその時、カーテンの向こうから、克樹の冷ややかな声が鼓膜を打った。「どうだ来幸、この賭けは俺の勝ちだ。言っただろう?多少の隙を見せたところで俺は死なない。時乃は必ず、我が身を挺して俺を救いに来るとな」続いて、岡山来幸(おかやま こゆき)の甘ったるい声が響く。「はいはい、わかったわよ。私の要求
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第2話

電話を切った後も、心臓を鷲掴みにされたような痛みが引かない。時乃にとって、この世界で唯一無二の大切な存在、それが兄の絢斗だ。幼い頃、兄妹二人は路頭に迷い、野良犬と饅頭を奪い合い、物乞いたちと喧嘩をして生き延びた日々。どんな時でも、絢斗はその痩せこけた体で時乃を庇い、守ってくれた。兄を失うわけにはいかない……絶対に。絢斗に電話をかけた。たとえ一言でもいい、彼がまだ生きているという証が欲しかった。一度目、切断。二度目、またしても……こめかみが激しく脈打ち、どす黒い不安が視界を覆っていく。時乃は祈るようにメッセージを打ち込んだ。【兄さん、必ず助けるから。絶対に生きていて】送信ボタンを押した。三十分後、唐突に絢斗からビデオ通話が入る。時乃は縋るように通話ボタンを押した。だが、画面に映し出された光景を見た瞬間、全身の血が凍りつくような衝撃が彼女を貫いた。上半身裸で麻縄に縛られた絢斗の体は、血の滲む傷跡で埋め尽くされていた。顔色は紙のように白く、妹に惨めな姿を見られまいとしているのか、力なく顔を背けている。画面の外から、輝良の下卑た笑い声が響いた。「なんだ、恥ずかしがってるのか?妹にお前の今の姿をじっくり見せてやろうぜ。なあ時乃ちゃん、初日はこいつに九十九回鞭を入れてやったよ。陸に上げられた魚みてぇに、無様に命乞いしてやがったぜ。二日目は、氷水の中に放り込んでやった。凍えて気絶しちまったがな。さて今日は、どうやって遊んでやろうか?」言い終わるや否や、彼は火のついた蝋燭を手に取り、絢斗の肌に蝋を垂らし始めた。時乃はカッと目を見開き、怒りで視界が赤く染まる。だが、どうすることもできない。ただ震える声で懇願するしかなかった。「……輝良様。お願いです、兄さんを放してください!」「チッ、まだ遊び足りねぇんだよ」輝良は人を馬鹿にした口調で嘲笑う。「だが、お前が俺の相手をしに来るっていうなら、こいつを早めに解放してやってもいいぜ?どうだ?」その言葉を聞いた瞬間、絢斗が弾かれたように顔を上げ、枯れた声で叫んだ。「時乃、やめろ!そいつの言うことを信じるな!」ドカッ、と鈍い音が響く。輝良が絢斗の腹を思い切り蹴り上げた。「誰が喋っていいと言った?」ドスの利いた怒号が飛ぶ。「
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第3話

チャリティー晩餐会の会場。そこでは、克樹は来幸に優しく寄り添う振りをしていた。彼女が寒そうに肩をすくめれば、自らのジャケットを脱いで優しく掛け、酒が飲めないと言えば、代わりにグラスを空ける。彼女が気に入った宝石があれば、金に糸目をつけずに競り落とし、その場で贈ってみせた。時乃は二人の背後に控え、その光景をただじっと見つめていた。あの傲慢不遜な男が、来幸を掌中の珠のように慈しみ、大切に扱っている。これが……克樹が誰かを愛する時の姿なのだ。では、自分は?いつでも捨てられるただのナイフ。使い潰されて死んだとしても、克樹は眉一つ動かさないだろう。招待客たちの羨望の声が、さざ波のように耳に届く。「梶本社長があんなに女性に尽くすなんて、初めて見たわ。こりゃ岡山さんが奥様におさまるのも時間の問題ね」「ああ。以前は隣にいるあの護衛がお気に入りなのかと噂されていたが、勘違いだったようだ」「あんな女が梶本社長に釣り合うわけないだろう?やっぱり岡山さんのような、守ってあげたくなる女性がお似合いだよな」時乃は無表情でその言葉を聞き流していた。何の感情も湧いてこない。克樹の心に自分の居場所がないことなど、もう痛いほど理解していたからだ。だが、この場で輝良に遭遇することは予想外だった。時乃は隙を見て彼に近づき、低い声で詰め寄った。「兄はどこですか?」輝良はグラスの赤ワインを飲み干すと、獲物をなぶるような視線を向け、鼻で笑った。「こんな華やかな場所に、あいつが来られるわけないだろう?犬小屋の中で大人しく待ってるさ」心臓が早鐘を打つ時乃は、目元が熱くなるのを堪え、震える声を必死に抑え込む。「どうすれば……兄を解放してくれますか?」輝良は時乃を頭からつま先までねっとりと品定めし、耳元に顔を寄せた。「上の客室で、俺と一回やろう……どうだ?」時乃は一瞬の迷いもなく答えた。「分かりました」兄を救えるなら、死ぬことだって厭わない。……ホテルの客室。輝良の顔には、歪んだ興奮が張り付いていた。彼は時乃の服をめくり上げると、鞭を振り上げ、彼女の生傷めがけて容赦なく打ち据えた。時乃の体は痙攣したが、苦痛の呻き声を喉の奥で押し殺した。輝良は苦痛に歪む彼女の顔を鑑賞し、カメラを構えてシャッターを切
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第4話

病院に連れて行かれた時、克樹の視線は傷ついた来幸だけに注がれていた。時乃は自嘲の笑みを噛み殺す。ふと、克樹が振り返った。その瞳は、氷のように冷酷だった。「謝れ」「私はしておりません。本当に……真実が見えていらっしゃらないのですか、克樹様」時乃は頑として頭を下げることを拒んだ。「克樹、もういいの」来幸は彼の胸にもたれかかり、あからさまに被害者を演じて見せた。「ただ、今は体が弱っていて……聞いた話だと、城北区の谷川家の大奥様が、衰弱した体を劇的に回復させる家伝の秘薬を持っているそうなの。譲ってくれるといいのだけど……」城北区の谷川家と梶本家は、長年血で血を洗う抗争を続けてきた犬猿の仲だ。克樹が眉をひそめる。「俺が直接行く」彼が立ち上がろうとすると、来幸がその袖を引いた。「克樹、行かないで。私、怖いの……」克樹はすぐに時乃へ視線を移した。「お前が行け」時乃は動かず、来幸を抱きしめる彼をじっと見つめた。克樹の眼差しに温度はない。「俺の命令に背けば、どうなるかわかっているな?」時乃はようやく視線を外し、声を絞り出した。「……承知いたしました」谷川家から戻った時、時乃の全身は血まみれで、立っているのが不思議なほどだった。唇を噛みしめ、意識を繋ぎ止める。例の秘薬を入れた箱を克樹に差し出した。彼女の惨状を見て克樹は思わず眉を寄せ、喉仏を動かして何か言いかけた。「ご所望の……品でございます。これで……兄を見逃して……いただけますでしょうか?」時乃は、彼の中に僅かでも憐れみが残っていることを願って、弱々しく懇願した。克樹は手で彼女の血に濡れた頬を撫でたが、その口から出たのはあまりにも残酷な言葉だった。「だがな時乃。お前があいつを気に掛ければ掛けるほど、俺はこの世からあいつを消し去りたくなるんだ……」時乃は全身の血が凍りつくような絶望に襲われ、プツリと糸が切れたように意識を失った。……重い瞼を開けると、ベッドの脇に克樹が座っていた。彼が何を考えているのか読めない。だが、迂闊に兄の話題を出す勇気はなかった。克樹が何をするか分からないからだ。時乃が目覚めたのを見て、克樹は安堵の息をついた。「谷川のババアめ、お前が俺の所有物だと知っていながら、これほど手酷い真
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第5話

消毒液の鼻をつく臭いで目を覚ますと、腕から伝わる激痛で、時乃は瞬時に意識を覚醒させた。次の瞬間、来幸の声が聞こえた。「ごめんなさい……私が変な場所に行きたいなんて言わなければ、時乃もこんな大怪我しなかったのに……」克樹が優しく彼女を宥める気配がした。「気にするな。こいつは怪我には慣れている。大したことはない……目が覚めたか?」克樹の視線が時乃に落ちる。彼女の意識が戻ったのを確認すると、穏やかな声で言った。「お前の腕なら、たかがドーベルマン一匹殺すのにこれほどの深手を負うはずがない。俺がお前を守らなかったことへの当て付けか?わざと噛まれたな?」時乃は彼の言葉を冷笑で遮った。その拍子に、以前彼を庇って撃たれた腹部の古傷が引きつり、顔色が紙のように白くなる。「私はただの護衛です。主人が私を守ってくれるのを待つなど、あり得ません。私のような使い捨ての駒など、壊れれば新しいのと取り替えればいいんです。その方が便利でしょう?」克樹は静かに彼女を見つめ、低い声で問うた。「俺を恨んでいるのか?あの時は緊急事態だったんだ。来幸は体が弱い。修羅場をくぐり抜けてきたお前とは違う。お前なら大丈夫だと……」時乃の声は、零度まで冷え切っていた。「滅相もございません」彼女は顔を背け、もう克樹を見ようとはしなかった。……三日後。克樹は時乃の機嫌をとるためか、自ら音楽会へ連れて行くと提案した。その言葉を聞き、時乃は瞳の奥の複雑な感情を長い睫毛で隠す。幼い頃から訓練キャンプで叩き込まれたのは、殺人術と格闘術のみ。音楽など解さないし、興味すらなかった。逆に、来幸が興奮した様子で声を弾ませた。「克樹、私のために数千万も払って藤崎(ふじさき)マエストロを呼んでくれたのね!本当に優しい……」結局、そういうことか。全ては来幸のためだった。音楽会が終演を迎える頃、一発の銃声が会場に炸裂した。時乃は反射的に克樹の前に立ちはだかり、懐の銃を抜く。パニックに陥った群衆が逃げ惑い、怒号と悲鳴の波が時乃と克樹を引き離した。克樹を見つけた時、彼は胸を撃たれ、純白のシャツが赤に染まっていた。来幸は傍らでオロオロと立ち尽くし、ただ「克樹!克樹!」と泣き叫んでいるだけ。時乃は迷わず克樹を背負い、病院へと疾
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第6話

深夜。海風は刻一刻と強さを増し、時乃を宙吊りにするロープは今にも千切れそうに軋んでいた……長い夜が明け、ようやく引き上げられた時乃は、克樹の足元に放り出された。逆光の中に立つ男の表情は、陰鬱そのものだった。「梶本家を裏切った者に与えるのは死だけだ。俺がお前を殺せないとでも、高を括っていたか?お前が死ぬなら、あの兄を生かしておく必要もないな」時乃は脱水でひび割れた唇をようやく開き、乾いた声で訴えた。「本当に……私じゃ、ありません……殺すなら……私を、殺して!」必死に体を起こそうとするが、その声は掠れ、震えている。克樹は冷ややかに鼻を鳴らすと、部下たちに彼女を屋敷へ連行するよう命じた。モニター画面の前。時乃の髪を掴まれ、無理やり顔を上げさせられる。画面には、絢斗がベッドに力なく横たわり、目を閉じている姿が映し出されていた。輝良がカメラのアングルを調整し、下卑た笑い声を上げた。「よう時乃ちゃん。梶本さんを裏切ったんだって?じゃあ、お兄ちゃんにはたっぷり痛い目を見てもらわねぇとなあ!」言うが早いか、彼は棘のついた鞭を振り上げ、絢斗の背中を無慈悲に打ち据えた。ビシッ!時乃の瞳孔が収縮し、耳元で激しい轟音が鳴り響く。彼女は克樹の足元に跪き、なりふり構わず懇願した。「本当に裏切ってなんていません!信じて……きっと誰かが私を陥れたんです……そうだ、監視カメラを確認してください!病院で血を分けたのは私です……!お願い、兄を助けてください!」顔色は蒼白になり、耳には兄の苦悶の呻き声が響き続ける。克樹は冷え切った眼差しで彼女を見下ろした。「俺が病院で目を覚ました時、そばにいたのは来幸だけだった。医師も護衛も、俺を救ったのは来幸だと言っていたぞ。絢斗のために谷川家に媚びを売る。それが裏切りでなくて何だ?」彼は一枚の写真を放り投げた。そこには、時乃が谷川家の門前に跪いている姿が写っていた。「違う!私はやってません!採血の後に気絶して……何が起きたのか知らないんです……」克樹は怒りのあまり乾いた笑い声を漏らした。「そんな言い訳を信じるとでも思っているのか?」部下に時乃を押さえつけさせ、絢斗が拷問される一部始終を強制的に見せつけた。ピシッ!鞭が振り下ろされるたび、時
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第7話

克樹はすぐに時乃に鎮静剤を打たせ、厳しく監視するよう命じた。眩暈から覚めた来幸は、驚きと恐怖がない交ぜになった悲鳴を上げた。「克樹!あいつ、私を殺そうとしたのよ!」克樹は優しく彼女の背を撫で、宥める。「大丈夫だ。俺がしっかり管理する」死の淵を覗いた恐怖が消えない来幸は、パニック状態で訴え続けた。「だめよ!時乃はもう克樹の言うことなんて聞かないわ。兄を殺されたのよ?必ず報復に来る!ねえ克樹、今すぐ彼女を殺して!」克樹の手がふと止まった。その表情から優しさが消え失せ、瞬時に氷のような冷徹さへと一変した。「……あいつに触れていいのは、俺だけだ。来幸。お前の長所は『物分かりの良さ』だったはずだが?忘れたのか?」来幸はハッと我に返り、すぐに甘えた声色を作って縋り付いた。「ごめんなさい克樹……ただ、怖かったの。怒らないで……」克樹の顔色が少し和らぎ、秘書に命じた。「絢斗の遺体を回収しろ。腐っても時乃の実兄だ、きちんと弔ってやらねばな」……闇の中で、時乃は目を開けた。その瞳は光を失い、ただ虚ろに天井を見つめている。脳裏には、絢斗が自ら命を絶つ光景が焼き付いて離れない。「兄さん……必ず仇は討つから」克樹が自分の裏切りを信じているなら、本当にそうしてやろうじゃないか。岡山兄妹が兄を殺した。ならば、血の代償を払わせてやる。時乃の瞳の奥には、狂気じみた憎悪だけが渦巻き、指先が殺意に震えていた。三日後、克樹が病室を訪れ、何事もなかったかのように優しい顔をした。「時乃、明日はお前の兄の葬儀だ。見送ってやれ」時乃は従順に頷き、一言も発さなかった。彼女が大人しくなったのを見て、克樹は心の底で安堵したようだ。ベッドサイドに歩み寄り、手を挙げて彼女の頭を優しく撫でる。「最初からそうやって聞き分け良くしていれば、こんなことにはならなかったんだ」時乃は穏やかな声で言った。「克樹様。明日の葬儀に輝良様を呼んでいただけませんか?彼から直接、兄に謝罪させてほしいのです……」やつれた顔と、胸が締め付けられるほどか細い声。それに絆されたのか、克樹は無意識に頷いていた。……翌日。時乃はシートに身を沈め、顔を横に向けて車窓の外を見やった。墓地の入り口に車が止まると、克樹と来幸が先
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第8話

時乃の体が海に呑まれる。克樹は弾かれたように欄干へ駆け寄り、そのまま海へ飛び込もうとした。だが、来幸がその体にすがりつく。「克樹!波が高いのよ、死ぬ気!?あいつは兄さんを殺したのよ!死んで当然だわ!」来幸の声は甲高く、その瞳には隠しきれない憎悪が宿っていた。克樹は彼女を振り返る。その瞳は、光など微塵もない漆黒の闇だった。「誰かいないか!時乃を見つけ出した者には、賞金二千万を出す!」その言葉が終わるや否や、部下たちが次々と海へと飛び込んでいった。克樹の頭の中は真っ白になり、耳鳴りが轟音となって脳内を支配していた。さっき、来幸を守るため、時乃の肩を狙って引き金を引いたはずだった。だが、彼女の動きがあまりに速すぎた。銃弾はあろうことか、時乃の腹部を貫いてしまった!克樹の目元は赤く染まり、胸の内で荒れ狂う感情を、今にも抑えきれなくなりそうだった。今の彼にあるのは、ただ一つの想いだけ。時乃を絶対に失うわけにはいかない!記憶が十歳のあの日へと遡った。初めて時乃に出会った日。当時の彼女は痩せっぽちで、髪もボサボサに汚れていた。けれど、その瞳だけはハッとするほど強く輝いていた。一本の骨付き肉を巡って、野良犬と殺し合いをする少女。梶本家に生まれ、あまりにも多くの血と死を見てきた克樹にとって、同情心など贅沢品に過ぎなかった。だがその瞬間、彼は唐突に思った。この少女は実に面白い、と。「あの子が欲しい」克樹が短く指示を出す。部下が車のドアを開けると、彼は降りて彼女の前へと歩み寄った。少女は警戒心を剥き出しにし、隅の方で小さく身を縮めながら、こちらを観察していた。運転手が買ってきたフライドチキンを彼女の目の前に差し出し、尋ねた。「うちに来るか?」少女は喉を鳴らして生唾を飲み込んだが、すぐには飛びつかなかった。「そっちに行ったら、何をすればいいの?兄ちゃんも一緒に連れて行っていい?」兄ちゃん?あばら屋を覗くと、死人のように顔色の悪い絢斗が転がっていた。こんな役立たず、連れ帰ってどうする?そう思った時、時乃がフライドチキンを絢斗の枕元に置き、克樹の袖を引いた。「兄ちゃんは病気で、もう長くないの。連れて行ってくれるなら、私、何でもするから」その瞬間、克樹の心が動いた。
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第9話

来幸は息を呑み、眉をひそめた。「克樹、何言ってるの……?私はあなたの婚約者よ?どうしてそんな酷いことができるの?」来幸はずっと、時乃のことを「梶本家が飼っている犬」程度にしか思っていなかった。主人が可愛がれば遊び相手になり、飽きれば足蹴にされるだけの存在。一方、自分は岡山家のお嬢様。今は家運が傾いているとはいえ、時乃のような下賤な女とは住む世界が違う。かつて克樹が家督を継いだことを知ると、彼女はなりふり構わず離婚して帰国した。彼とよりを戻すために。幼馴染である自分に対し、克樹にはまだ情があるはずだと信じていた。だが戻ってみれば、彼の隣には別の女がいた。関係を公にはしていなかったが、視線は嘘をつかない。時乃がそばにいる限り、克樹の目は彼女に吸い寄せられていた。来幸は密かに人を使い、二人の身辺を洗わせた。そうして、その恋仲を突き止めた。時乃のような卑しい生まれの女が、彼に相応しいはずがない。来幸は即座に決断した。時乃を排除すると。「お前は、親父が決めた婚約者だろうが!」克樹は大股で詰め寄ると、来幸の顎を指が食い込むほど強く掴み上げた。その声は戦慄するほどに苛烈だった。「お前が物分かりの良い女を演じていたから、少し遊んでやっただけだ。体もそこそこ魅力的だったしな。だが、つけ上がるなよ。今、時乃が行方不明なんだ。お前と遊んでいる気分じゃない。誰か!こいつと……そこの輝良をつまみ出せ!」護衛たちが即座に二人を連行した。克樹は甲板に立ち尽くし、海で捜索を続ける人々を見つめていた。もし、時乃が見つからなかったら……想像するだけで、心臓を鋭利な刃物で抉られるような激痛が走った。来幸が帰国した当初、彼女からの誘いを適当にあしらっていた。確かに来幸は美しいが、彼の目には時乃しか映っていなかったからだ。だが、幸造が介入してきた。時乃の命を盾にして。「お前が時乃を気に入り、そばに置きたいなら干渉はせん。だが、妻には格の合う女を娶れ。相手は誰でもいい。梶本家の当主に、愛だの恋だのという感情は不要だ。岡山家と縁組するか、それとも時乃を殺すか。選べ」克樹は沈黙を守り、父を睨みつけた。幸造は煙草を一本吸い終えると、再び口を開いた。「俺がその気になれば、あの女を守り切れるか?お前の
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第10話

思考がプツリと断ち切られ、克樹は石のように硬直した。どれほどの時間が過ぎただろうか。部下が恐る恐る、沈黙を破った。「これほど波が高いのです、広瀬さんは恐らく……もう、生きては……!」ドガッ!克樹は部下を蹴り飛ばした。怒声がほとばしる。「黙れ!時乃は絶対に死なん!あいつは強い。誰よりも優秀だ。百人の殺し合いでただ一人生き残った女だぞ!こんなあっけなく死ぬわけがねえだろうがッ!」部下は傍らで震え上がり、言葉も出ない。克樹の声が掠れた。「失せろ!全員消えろ!」人が去り、彼はふらりと海辺に歩み寄った。その瞳は血走っていた。「時乃!時乃ッ!死ぬわけがない……俺を置いていくはずがない……言っただろう、お前は俺を守るために生きていると……」時乃の言葉が、耳元で呪いのように木霊する。だが、彼女の姿はもうどこにもない。口の中に鉄錆のような血の味が広がり、ついに克樹は砂浜に崩れ落ちた。言葉にならない嗚咽が漏れる。ふと、海に落ちる寸前の時乃の瞳が脳裏をよぎった。そこにあったのは、あまりにも深い失望と、そして微かな「解放」の色……この間、絢斗のために狂ったように彼女を苦しめた。彼女の目の前で、見せつけるように来幸を可愛がり、時乃が嫉妬に歪む顔を見たかった。だが時乃は、自分が何をしようとも眉一つ動かさず、人形のように感情を見せなかった。彼女がいなくなったと知った時、克樹は発狂しそうになった。転んだ来幸も無視して探し回った。輝良が時乃を連れ去ったと聞き、克樹はドアを蹴破った。彼女が絢斗のために、辱めを受けることさえ厭わず耐えている姿を見て、理性が消し飛んだ。怒りの矛先を見失い、彼女を熱湯に沈めた。スープを作らせ、谷川家へ行かせ、闘犬場に置き去りにし……裏切りの証拠を見せられ、崖に吊るした。だが、どうあっても、殺すつもりなど微塵もなかった。それなのに、結局はこの手で引き金を引いてしまった……ポタリ。温かい雫が克樹の手の甲に落ちた。息を呑み、自分の頬に触れる。……泣いている。克樹は後悔している。こんなことになるなら、たとえ時乃の心にいるのが自分じゃなくても、ただそばにいてくれるだけでよかったのに。初めて、絢斗の死を悔いた。あの時、怒りに任せて輝良に
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