All Chapters of 私を散々泣かせたクズ男たちが、今さら本気で愛してくる: Chapter 31 - Chapter 40

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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 3

「髪をバッサリ切ったら、気持ちも少しは前を向けるかなって思いまして」口にした瞬間、自分でも苦笑いが浮かびそうになる。ちゃんとした理由なんてない。説明できるほど、自分の気持ちは整理できていなかった。ただ――何かを変えたかった。それだけだった。「……前を向けるって、何かあったの?」低くて落ち着いた声。責めるでもなく、探るでもなく、ただ聞くための声だった。「実は……最近、不幸が続きすぎて。このままだと、ずっと負のループな気がして……」言葉にした途端、喉の奥がきゅっと詰まる。視線が自然と床に落ちた。弱音を吐くつもりなんてなかったのに。「そっか……つらかったんだろうね」その一言で、胸の奥が小さく揺れた。……そのときだった。ふっと、頭に触れる感触。反射的に肩がこわばる。ルカさんの手が、私の頭の上にあった。指先が、ゆっくりと髪を撫でる。――え?声にならない。初対面。美容師と客。距離が近いのは仕事だから分かる。でも、頭を撫でるのは想定外だった。ルカさんは何事もないみたいに撫で続ける。当たり前みたいに。だから、変に意識しているのが私だけみたいで、恥ずかしくなる。顔、赤くなってないかな。いや、絶対なってる。耳まで熱い。そっと顔を上げると、ルカさんの顔がすぐそこにあった。瞬きもせず、じっと見ている。いつの間にか距離が近い。息がかかりそうで、心臓が急にうるさくなる。沈黙が、重たい。耐えきれなくなって、私は口を開いた。「……実は、最近いろいろあって……」自分でも驚くほど、言葉が止まらなかった。溜まっていたものが、一気に流れ出す。ホストに騙されたこと。お金を取られたこと。信じた分だけ、人間不信みたいになったこと。もう一度恋をしようとして、マッチングアプリでまた傷ついたこと。普段なら、絶対に言わない話だった。誰にも打ち明けられなかった話。でも今は、ただ聞いてほしかった。ルカさんは黙って聞いていた。相づちは少ない。遮らない。目を逸らさない。「……お金を、騙し取られたって?」眉が、わずかに動く。「……許せんな」低く、短い声。吐き捨てるみたいで、まるで自分のことのようだった。胸の奥が、じんわり熱くなる。誰かが、自分の代わりに怒ってくれる。それだけで、こんなにも救われるなんて。
last updateLast Updated : 2026-01-26
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 4

「よし。今日は俺が、そいつらに復讐できるくらい――紗月ちゃんを可愛くしてあげるから」 そう言って、ルカさんは鏡越しにこちらを見て、王子様みたいな甘い笑みを浮かべた。 胸の奥が、どきゅん、と音を立てる。 ……なに、その顔。 そんなふうに見つめられたら、心臓がもたない。 「まずはシャンプーからしようか」 背中にそっと手を添えられ、 シャンプー台へとエスコートされる。 横になると、ふわりとシャンプーの香りが鼻をくすぐった。 指先が、そっと髪に触れる。 「痒いところ、ないですか?」 耳元で響く、低くて優しい声。 近い。 距離が、近すぎる。 頭を包む指が、ゆっくりと円を描くように動くたび、緊張がほどけていく。 あったかいお湯の音。 指が髪をすく感触。 ルカさんの呼吸。 ……なんだか、溶けそう。 「紗月ちゃん、髪すごく綺麗だね。サラサラで、触り心地もいい」 そんなことまで、褒めるんだ。 誰にも言われたことのない言葉に、胸の奥がじんわり熱くなる。 (なんだろう……安心する) 撫でる手つきが、あまりにも丁寧で、まるで壊れ物を扱うみたいで。 そのとき――ルカさんが、少しだけ視線を向けて、照れたように笑った。 「俺だったらさ……こんなに可愛い紗月ちゃん、絶対に傷つけないし、大切にするのにな」 ……え? 一瞬、時間が止まった気がした。 (なに、それ……) 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。 それって、ただの冗談? それとも……。 シャンプーの泡の音だけが、やけに大きく聞こえる。 心臓の鼓動が、うるさい。 (……どういう意味?) 問いかけたいのに、喉がきゅっと固まって、声にならない。 ただ、ルカさんの指の温度と、さっきの言葉だけが、頭の中で、何度も何度も、繰り返されていた――。
last updateLast Updated : 2026-01-27
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 5

「ねえ、やっぱり紗月ちゃんって、可愛いよね」 鏡越しに、ルカさんの視線がまっすぐこちらを射抜いた。 からかうような軽さはなく、むしろ少し照れたような、それでいて逃げ場のない真剣さがある。 胸の奥が、きゅっと縮む。 ……可愛い。 そんな言葉、最近はあまり向けられていなかった。 お世辞だと受け流す癖がついていたはずなのに、なぜか今日は、そう思えなかった。 鏡に映る自分は、肩まであった髪をばっさり切って、少しだけ別人みたいだ。 首筋がすうっと露出して、頼りなさが際立つ気もする。 でも同時に、重たい何かを落としたみたいに、気持ちが軽い。 「本当に、短い髪も可愛いよ。 ……自分にもっと自信、持っていいと思う」 その言葉が、思ったより深く刺さる。 「……あ、ありがとうございます」 声が少し上ずるのが、自分でもわかった。 頬が熱い。たぶん、赤くなっている。 空気が一瞬、静かになる。 ドライヤーの音も、遠くで誰かが話す声も、やけにぼやけて聞こえる。 「あのさ」 ルカさんが、少し言いづらそうに視線を逸らしてから、またこちらを見る。 「ライン、交換しない? 辛くなったら、いつでも連絡して。電話でもいいし」 ……え? 言葉の意味を理解するまでに、ほんの一拍、時間がかかった。 え、今……? それって……? 心臓が、急に早く打ち始める。 いやいや。 違う。 ルカさんは、誰にでも優しい人なんだ。 仕事柄、こういう気遣いも自然なだけ。 私が特別なわけじゃない。 そう思おうとするのに、胸の奥で、小さな火が灯るのを止められない。 「……」 何も言えずにいると、ルカさんが少し困ったように笑って、付け足した。 「あ、ちなみに、もちろん誰にでもじゃないよ?」 その言葉に、思わず息をのむ。 「俺さ、紗月ちゃんのこと……気に入っちゃったから」 そう言って、ウィンク。 冗談めかした仕草なのに、言葉だけはやけに真っ直ぐで、逃げ道がない。 胸の奥で、何かが弾ける。 期待しちゃダメ。 勘違いしちゃダメ。 そう言い聞かせてきたはずなのに、 ――でも。 「気に入った」 その一言が、切ったばかりの首元よりも、ずっと無防備な場所に触れてきた。
last updateLast Updated : 2026-01-28
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 6

「はあ……ルカさん、かっこよかったなあ」 玄関で靴を脱いだ瞬間から、頭の中はずっとルカさんが頭から離れない。 部屋の電気もつけないまま、ベッドに倒れ込む。シーツがふわりと身体を受け止めると同時に、胸の奥に溜まっていた熱が、ようやく外に出た気がした。 天井を見つめながら、さっきのやりとりを何度も思い返す。 低い声。真っ直ぐな視線。 私の話を途中で遮らず、ちゃんと最後まで聞いてくれた。 「……ドキドキしたな」 独り言が、静かな部屋に溶けていく。 心臓の音だけが、妙にうるさい。 初対面の私のぶっちゃけた恋愛トークにも、親身になって向き合ってくれた。 私にも非があったところはあるのに、責めるわけでも、甘やかすわけでもなく。 ただ、私の気持ちを“あるもの”として扱ってくれた。 それが、ひどく嬉しかった。 最近は、理由もなく沈むことが多かった。 朝起きても体が重くて、何をしても楽しくなくて、 自分の感情さえ信用できなくなっていたのに。 今日は違う。 胸の奥が、じんわり温かい。 誰かにちゃんと見てもらえた、という感覚が、 こんなにも心を軽くするなんて知らなかった。 「……ルカさんのおかげだ」 小さくそう呟いて、枕に顔を埋める。 頬が熱いのは、疲れのせいじゃない。 久しぶりに、満たされた。 世界が少しだけ、やさしく見える。 交換したLINEには、「ルカ」と表示された、モデルみたいに綺麗なルカさんの自撮りがアイコン。 LINEしていいかな……と、また胸がドキドキした。
last updateLast Updated : 2026-01-29
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 7

「今日はありがとうございました」なんて、軽い一言を送ればいいだけなのに。それだけのことが、どうしてこんなに難しいんだろう。ベッドに横になったまま、スマホを胸の上に置いて、何度も画面を見つめる。文字を打っては消し、消してはまた打つ。送信ボタンの上で、指だけが迷子になる。そのときだった。しん、と静まり返った部屋に、突然「ポーン」と通知音が響いた。反射的に体を起こす。心臓が、どくんと大きく跳ねた。ロック画面に浮かんだ名前。――ルカさん。画面を開く前から、もう胸がうるさい。《今日はありがとうね》そのすぐ下に、続けて表示されたメッセージ。《まだ起きてたら、電話しない?》「……え」小さく声が漏れる。指先が少し震えた。《はい、起きてます!》送った瞬間、すぐに「既読」がつく。間もなく、画面いっぱいに着信表示が広がった。深呼吸してから、通話ボタンを押す。耳元に、夜の静けさを破る声。「もしもし」低くて、柔らかい。昼間、シャンプー台で聞いた声よりも、少し近い。胸の奥が、じわっと熱くなる。「も、もしもし……」自分の声が、思った以上に頼りない。変に高くて、よそよそしい。部屋の灯りは落としていて、カーテンの隙間から街灯の光だけが差し込んでいる。時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。今日、ほんの数時間前まで“お店で知り合った人”だった相手と、こうして布団の中で電話をしている。それが、現実なのに現実じゃないみたいだった。綺麗な人。仕事中の姿は落ち着いていて、大人で、少し近寄りがたいくらいだったのに。今は、耳元で自分の名前を呼ぶ。それだけで、胸がくすぐったくなる。なんだか、変な感じだ。今日出会ったばかりの人と、こんなふうにプライベートで話していることも。声ひとつで、こんなに心が揺れる自分も。布団の中で、膝を抱える。スマホを持つ手に、じんわり汗がにじんだ。
last updateLast Updated : 2026-01-30
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 8

「……起きてたんだ。よかった」 電話越しに、少しだけ笑う気配がした。 その声に、胸の奥がきゅっと縮む。 「迷惑じゃなかった?」 「い、いえ……」 間があく。 電話の向こうで、何かを考えている気配が伝わってくる。 息を吸う音。 少し低くなる声。 「紗月ちゃん」 名前を呼ばれて、無意識に背中が伸びる。 「明日って、時間ある?」 布団の中で、指先がぴくっと動いた。 「え……?」 「昼くらい。もしよかったらなんだけど」 一瞬、窓の外の街灯がにじんで見える。 誘われている。 それも、さっき出会ったばかりの人に。 「……どこか、行こうかなって」 言い方が控えめで、 それが逆にずるい。 仕事中の堂々とした姿を思い出す。 ハサミを持つ手。 鏡越しの視線。 その人が、今は少し遠慮がちに誘っている。 「お店の近くに、小さいカフェがあるんだ。甘いの、好きそうだなって思って」 どうして、そんなことを思ったんだろう。 今日の会話のどこかだろうか。 シャンプー台で、ぼんやり言った一言? 雑誌を見ながら漏らした言葉? ちゃんと覚えてくれている、と、ドクンと胸が鳴る。 「……嫌だったら、全然」 そう言われる前に、口が動いた。 「……嫌じゃ、ないです」 声が、少しだけ震える。 電話の向こうで、小さく息を吐く音がした。 「よかった」 その一言が、やけに優しい。 「じゃあ、明日。無理しなくていいからね」 「……はい」 布団の中で、ぎゅっと膝を抱える。 心臓が、さっきより速い。 まだ会ったばかりの人。 知らないことばかりの人。 なのに、 “明日”ができた。 それだけで、夜の部屋が少し明るくなった気がした。 通話が切れたあとも、 耳の奥に声が残る。 低くて、近くて、名前を呼ぶ声。 スマホを胸に抱えたまま、 天井を見つめる。 「……どうしよう、好きかも」 私はまた、人を好きになってしまったようだ。
last updateLast Updated : 2026-01-31
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 9

「お待たせ!」人混みの向こうから、その声がまっすぐ私に届いた瞬間、心臓が跳ねた。待ち合わせ場所の駅前は、休日のざわめきに包まれている。人の流れ、車の音、遠くの信号機の電子音。さっきまでそれらに紛れていたはずなのに、彼の姿を見つけた途端、世界の音が一段階静かになった気がした。爽やかな笑みを浮かべながら、ルカさんがこちらに歩いてくる。背筋の伸びた姿勢。無駄のない歩き方。モデルみたいなウォーキング。ジャケットの裾がふわりと揺れて、くくった長い髪が首元で揺れる。……絵になる。昨日まで、店内の鏡越しに見ていた人が、今はまっすぐ私に向かって歩いてくる。その事実が、妙に現実味を帯びなくて、胸の奥がじわじわと熱くなる。「ごめんね、待った?……え、てかめちゃ服装かわいい!」距離が縮まった瞬間、ふわっと香水が香った。甘すぎない、少しウッディな匂い。目が合う。柔らかい笑み。まっすぐな視線。まただ。初対面のときと同じように、迷いなく褒めてくれる。そんなに自然に言える?そんなに躊躇なく、私を見てくれる?女心をくすぐる天才だ、この人。喉が少し乾く。手のひらがじんわり汗ばむ。や、やっぱりこの人かっこいい……。昨日お店で知り合ったばかりの人と、こうして私服で、プライベートな空気の中で向き合っている。たった一日なのに、世界が少しだけ変わった気がする。お店では、シャツ姿で清潔感のあるすっきりとした格好だった。プロの美容師、という顔。でも今日は違う。ジャケットに、程よく抜け感のあるインナー。長い髪をひとつにくくって、首筋がすっきり見えている。中性的な雰囲気なのに、立ち姿はちゃんと男らしい。さりげなく私の歩幅に合わせて隣を歩いてくれるその仕草に、胸がぎゅっとなる。無理。かっこいい。「昨日ぶりだね。突然誘っちゃってごめんねえ?」少しはにかむように笑う。その声音は柔らかくて、押しつけがましさがない。礼儀正しくて、親しみやすい。それなのに――ジャケットの袖から、和彫りのいかつい刺青がちらりと覗く。白い肌に、黒く深く刻まれた模様。一瞬、目がそこに吸い寄せられる。優しそうな笑顔と、鋭さを秘めた刺青。甘い声と、どこか危うい雰囲気。……ギャップがすごい。怖い、はずなのに。むしろ、胸の奥がざわつく。この人のこと、まだ何も知らない。ど
last updateLast Updated : 2026-02-22
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 10

「ここなんだけどさ、紗月ちゃんが好きそうだなあと思って…!」立ち止まった先に、やわらかい緑の看板。くすんだ色味の木枠のドアに、レトロな文字。店前には数人の列ができている。……かわいい。「いつも行列できてるんだよね。時間ずらしてもこの人気」さらっと言う横顔を見る。本当に、私が好きそうな場所だ。どうしてわかったんだろう。中に入ると、紅茶の香りがふわっと広がる。アンティーク調の家具に、やわらかな照明。ゆったりしたソファに腰を下ろすと、少しだけ緊張がほどけた。メニューを開くと、紅茶の名前がびっしり並んでいる。アールグレイ、ダージリン、アッサム。説明まで丁寧に書かれていて、胸がふわっとする。「私、紅茶好きだから嬉しい…。アールグレイが一番好きなんだ」そう言うと、彼が少しだけ目を細めた。昨日、何気なく話した一言を覚えてくれていたみたいに。迷わずアールグレイを選ぶ。ケーキセットがお得と書いてあって、オレンジのケーキに目が止まる。紅茶と絶対合う。「俺はアメリカンにしよっかな。ストレートで」やっぱり。ブラックコーヒーが似合う人だ。紅茶専門店は、きっと私のため。じわっと胸があたたかくなる。「紗月ちゃん、甘いの好きそうだなって思ってさ」その一言が、やけに優しい。まだ出会って二日目なのに。私の“好き”をちゃんと拾ってくれている。その事実だけで、心が少し軽くなる。ケーキケースの中で、オレンジ色がきらりと光る。向かいに座る彼の腕から、刺青が少しだけのぞく。優しい顔と、いかつい模様。そのギャップにまた胸がざわつく。でも今はただ、嬉しい。私のために選ばれた場所で、向かい合って座っている。それだけで、恋がほんの少し前に進んだ気がした。
last updateLast Updated : 2026-02-22
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 11

ケーキと紅茶が運ばれてくるまでのわずかな時間。カップの縁から立ちのぼる湯気よりも、彼の視線のほうがずっと熱かった。ルカさんは、まばたきも忘れたみたいに、じっとこちらを見ている。そのまなざしが真正面からぶつかってくるたび、胸の奥がくすぐったくなる。嬉しい。たしかに嬉しい。でも、同じくらい落ち着かない。「て…照れる」思わず視線を逸らすと、向かい側で小さく笑う気配がした。「え〜だって可愛いから、つい見つめたくなっちゃうんだもん」冗談めかした口調でもなく、茶化すでもなく。まっすぐ、当たり前みたいに言うから困る。う…!!な、なんてたらしなんだ。胸がぎゅっと締めつけられる。心臓がひとつじゃ足りない。もう一個ほしい。いや、三つくらい必要かもしれない。でも、その高鳴りのすぐ裏側で、冷たい声が囁く。——覚えがあるよね?そうだ。私はちゃんと学習している。ホストのみおんも、最初からこうだった。甘い言葉を、迷いなく、ためらいなく。あのときも、胸はこんなふうに跳ねた。そして、あとから知った。甘さの裏にある計算を。一般の男性は、こんな言葉をさらっと言えない。こんなに自然に、こんなに早く。だからこそ——怪しい。「またまた〜」薄く笑って、冗談にする。本気で受け取らないように。自分を守るための、反射的なブレーキ。本当は、嬉しい。でも、嬉しいと認めた瞬間、足元が崩れそうで怖い。そのとき、テーブルの上で彼の手が動いた。そっと、私の手を包み込む。びく、と指先が震える。温かい。思ったより大きい手。「本気だよ?」低く、静かな声。さっきまでの柔らかさとは違う、芯のある響き。え…。逃げ道を塞ぐみたいに、真剣な目がこちらを捕まえる。「まだ出会ったばかりだけど、俺は紗月のこと本当にいいなと思ってる」カフェのざわめきが、遠くなる。隣のテーブルの笑い声も、食器の触れ合う音も、全部ぼやけていく。こんな会ったばかりなのに。“本気”なんて、早すぎる。嬉しい。でも、怖い。信じたい気持ちが、胸の奥からそっと顔を出す。この目は、嘘じゃないかもしれない。このぬくもりは、本物かもしれない。だけど同時に、「また同じことになったらどうするの?」と過去の私が袖を引く。あのときも、最初は特別だった。あのときも、“本気”だった。——
last updateLast Updated : 2026-02-22
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 12

なんと答えていいのかわからず、言葉が喉の奥で止まった。視線を上げることもできないまま、沈黙だけがテーブルの上に落ちる。そのとき——まるで空気を読んだかのように、タイミングよくドリンクとスイーツが運ばれてきた。「失礼いたします」柔らかな声とともに、白いカップ、アールグレイのポット、繊細に飾られたケーキが、カチャ、と小さな音を立ててテーブルに置かれていく。張りつめていた空気に、わずかな隙間ができた気がした。……助かった。気まずい沈黙の中、カトラリーの触れ合う音だけがやけに大きく響く。私は視線を落としたまま、ポットを両手で持ち上げた。震えないように、と意識するほど指先に力が入る。琥珀色の紅茶が、細い糸のようにカップへと注がれていく。ふわりと立ちのぼるベルガモットの香り。それに少しだけ、呼吸が戻る。カップを持ち上げ、一口。温かさが喉を通って、胸の奥へゆっくり落ちていく。……大丈夫。落ち着け。次にケーキへフォークを伸ばす。けれど、緊張のせいか指先がわずかに震えているのが自分でもわかった。ばれませんように。「美味しい?」ふいに、柔らかな声。顔を上げると、ルカさんは余裕のある笑みを浮かべながら、コーヒーを一口飲んでいた。その仕草すら落ち着いていて、ずるいと思う。「は、はい……」声が少し上ずる。でも、紅茶の温かさのおかげか、さっきまでの強張りが少しずつほどけていく。テーブルの上には甘い香り。外のざわめきは遠く、ここだけが切り取られたみたいだった。「急にごめんね。びっくりしたよね」彼の声は、さっきより少しだけやわらかい。「いや、びっくりはしたんですが……嬉しいです。でも、正直、色々あって……素直に喜べないというか」自分でも情けないと思いながら、本音がこぼれた。ルカさんは一瞬、目を細める。冗談でも軽さでもない、まっすぐな視線。「うん、そうだよね。でも俺は本気だから。ゆっくりでいい。返事はちゃんと聞かせて」その目は、逃げ場をくれないのに、追い詰める色でもなかった。胸の奥が、また小さく波打つ。紅茶の湯気が、ふたりの間でゆらりと揺れていた。
last updateLast Updated : 2026-02-23
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