All Chapters of 私を散々泣かせたクズ男たちが、今さら本気で愛してくる: Chapter 41 - Chapter 50

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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 13

「美味しかったね」店を出たとき、夕方の空気はほんのり甘い匂いを含んでいた。カフェの扉が閉まる音がやけに軽やかに響く。気づけば、ルカさんは私がトイレに立っている間にさりげなく会計を済ませていたらしい。「でよっか」何気ない一言なのに、余裕があって、自然で、スマートで。私は一瞬言葉を失ってから、慌てて頭を下げた。「え、え……? あの、ありがとうございます。ご馳走さまでした」「ぜーんぜん。紗月ちゃんが喜んでくれてたら、それでいいよ」さらっと言う。その声音には見返りを求める気配がまるでない。そのことが、かえって胸をきゅっと締めつけた。――どうして、こんなに優しいの。まるでお姫様みたいに扱われる。ドアを先に開けてくれて、車道側を歩いてくれて、さりげなく段差を教えてくれる。一緒にいるだけで、心の奥に溜まっていた冷たい部分が、ゆっくり溶けていくみたいだった。胸の奥が、じんわりとあたたかい。外に出ると、街は夕暮れ色に染まり始めていた。オレンジと紫が混ざった空。人の話し声。信号待ちのざわめき。並んで歩き出すと、ルカさんが少し私の顔をのぞき込む。「大丈夫? 俺、歩幅早くない?」「え? あ、大丈夫です」本当は少し早い。でも、それを気にしてくれることが嬉しくて、胸がふわっとなる。腕に入った和彫りの刺青が、シャツの袖からちらりと見える。第一印象は正直、ちょっと怖かった。でも――こんなに紳士で、優しくて、話も自然に合って。笑うタイミングも、冗談のセンスも、なんだか心地いい。怖いはずのその刺青が、今はなぜか頼もしく見えるから不思議だ。――いいなあ。そう思った瞬間だった。ふいに、左手があたたかいものに包まれる。「え……?」反射的に顔を上げると、ルカさんが何でもない顔で私の手を握っていた。大きくて、少しごつごつした手。でも、包み込む力はやわらかい。指と指の間に、じんわりと体温が伝わってくる。さっきまで温かかった胸の奥が、今度は一気に熱を帯びる。心臓の音が、やけに大きい。ドクン、ドクン、と自分の耳の奥で鳴っているみたいだ。手を振りほどく理由なんて、どこにも見つからない。でも、このまま素直に握られていていいのか、理性が小さくささやく。横を見ると、ルカさんは少しだけ目を細めて、優しく笑っていた。まるで――私が驚くのを、わか
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 14

「はああ……ルカさん、かっこよかったなあ」玄関のドアを閉めた瞬間、今日一日の余韻がふわりと胸の奥に流れ込んできた。上着を脱ぐのも忘れたまま、その場に立ち尽くす。頭の中では、さっきまで向かいに座っていた彼の姿が、何度も何度も再生されている。——「本気だよ」あのときの、少し低くなった声。冗談の色が一切混じっていない、まっすぐな目。笑っていないのに、どこか優しい表情。思い出しただけで、胸の奥がじわっと熱くなる。しかも、最後。駅前の人通りが少なくなった瞬間、何の前触れもなく、ふっと包み込まれた右手。あたたかかった。大きくて、しっかりしていて、でも強引じゃない手。——え、うそ。あのときの心臓の音が、今も耳の奥で響いている気がする。ソファに倒れ込むと、天井を見つめながら足をばたばたさせてしまう。「やばい……ほんとにやばい……」頬が勝手に緩む。にやにやが止まらない。クッションに顔をうずめて、声にならない悲鳴をあげる。こんなふうに、誰かのことで胸がいっぱいになるの、いつぶりだろう。最近はどこか冷静で、「もう、絶対に恋愛なんかしないぞ」くらいに思っていたはずなのに。会っているあいだ、ずっと心がふわふわしていた。帰ってきた今も、その余韻はまだ消えないまま。「ルカさんに会いたいなあ……」ぽつりと呟く。今日会ったばかりなのに。さっきまで隣にいたのに。もう恋しいなんて、どうかしている。でも、また会いたい。またあの声を聞きたい。あの目で、あんなふうに見つめられたい。テーブルの上に置いたスマホが、やけに存在感を放っている。——「今日はありがとうございました!カフェとっても楽しかったです♪」送信ボタンを押したときは、少しだけ余裕を装っていた。でも今は違う。まだ五分。たった五分。なのに、どうしてこんなに長く感じるんだろう。画面を開いては閉じ、開いては閉じる。既読、ついたかな。いや、まだ。通知音が鳴った気がして、慌てて確認する。違うアプリだった。「こんな自分、重いかな……」不安が、ほんの少しだけ胸をかすめる。でもすぐに、手を繋いだときの感触がそれをかき消す。あれは、勘違いじゃない。あの真剣な顔も、きっと。スマホを胸の上に置いて、目を閉じる。まぶたの裏に、彼の笑顔が浮かぶ。ドキドキと、ほんのり甘い高揚感
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 15

朝、目が覚めると――昨日まであんなに高鳴っていたはずの心が、まるで別人のものみたいに静まり返っていた。あんなにドキドキして、帰り道も、布団の中でも思い出してはにやけていたのに。どうして朝になると、こんなにも冷静になれるのだろう。……いや、冷静というより、警戒心かもしれない。よく考えてみれば、つい最近まで私は散々男性で痛い目を見てきた。傷ついて、疑って、やっと少し落ち着いたばかりだ。そんなタイミングで、突然急接近してきた美容師。しかも、あんなイケメン。「私のことが好き?」そんな都合のいい話、ある?裏があるとしか思えない。お金? 体目的? 営業?それともマルチ? 何かの勧誘?考えれば考えるほど、悪い想像ばかりが膨らんでいく。疑う自分が嫌になるのに、ブレーキはかからない。スマホを見ると、ルカさんからのLINEが表示されていた。《俺もめちゃ楽しかった!また行こうね♪》送信時刻は、昨夜の0時過ぎ。昨日の私だったら、間違いなく枕に顔をうずめて悶えていたはずなのに。今はただ、静かに画面を見つめている。本心なのか。それとも、誰にでも言っている言葉なのか。胸の奥が、きゅっと縮こまる。――少し距離を置こう。そう思った瞬間、ほんの少しだけ寂しさが混ざった。でも、それでもいい。これ以上、簡単に期待して傷つくのは怖いから。そうして私は、しばらくルカさんとの連絡を控えることにしたのだった。
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 16

その日は、カフェで一日ぼんやりと過ごしていた。午後三時を過ぎても、店内は静かだった。窓際の席に座り、雨粒がガラスを伝って落ちていくのを、ただ目で追っている。コーヒーはとっくに冷めている。何度か口をつけたけれど、味はほとんど覚えていない。こんなふうに、予定も入れず、誰とも会わず、ただ時間をやり過ごすのは久しぶりだった。本当はずっと、忙しくしていた。予定を詰め込んで、人に会って、原稿を書いて、スマホを見て、音楽を流して。考えなくて済むように、立ち止まらなくて済むように。傷ついた気持ちに、きちんと触れないために。でも、静かな雨の日は逃げ場がない。店内に流れる小さなジャズの音も、隣の席のカップが触れ合う音も、やけに遠く感じる。世界が少しだけ、自分から切り離されたみたいだ。気づけば、胸の奥に押し込めていたものが、ゆっくりと浮かび上がってくる。ああ、私はずっと傷ついていたんだな。みおんのときから、たぶん。あのときも、信じていた。裏切られるなんて思わなかった。それでも、また誰かを好きになって、同じように信じた。「好きだよ」と言われるたびに、胸が温かくなって。その温度を疑いたくなくて。疑う自分になりたくなくて。そして、またどこかで温度差に気づく。返信の間隔。言葉の軽さ。優しさの裏にある曖昧さ。気づいているのに、気づかないふりをして。嫌われたくなくて、重いと思われたくなくて、笑ってしまう。そうやって、少しずつ自分を削ってきた。何度も。何度も。胸の奥が、じんわりと痛む。もう、疲れたな。誰かに裏切られるのが怖い。「好き」と言われて、それを信じた自分ごと否定されるのが、いちばん怖い。雨は強くなっていた。ガラスに当たる水音が、一定のリズムで続く。灰色の空。滲んだ街灯。濡れたアスファルトに映るぼんやりとした光。まるで、今の自分の心みたいだと思った。外の世界はちゃんと動いているのに、自分だけが取り残されているみたい。そのとき、テーブルの上のスマホが小さく震えた。静まり返った空間に、その振動音だけが妙に生々しい。画面に目を落とす。――ルカ。心臓が、ひとつ大きく跳ねる。出るべき?出ないほうがいい?期待と警戒が、同時に胸の奥でぶつかり合う。温かくなりたい気持ちと、もう傷つきたくない気持ち。指先が
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 17

スマホの画面に映る「ルカ」の名前を、しばらく見つめていた。 着信音が、やけに大きく部屋に響く。静まり返ったワンルームの空気が、その音でわずかに震える。 窓の外では、夜の街がしんと息を潜めていた。遠くを走る車の音だけが、時折かすかに聞こえる。さっきまで抱えていた不安が、胸の奥で重たい石のように沈んでいる。 出るべきか、出ないべきか。 親指が通話ボタンの上で止まったまま、動かない。 ——逃げたい。 でも、逃げたらきっとまた後悔する。 小さく息を吸い込んで、私は通話ボタンを押した。 「……もしもし」 自分でも驚くほど、声がかすれていた。 「おつかれさま!」 受話口の向こうから、明るい声が弾む。 その優しい声に、胸の奥がきゅっと縮む。 未読無視をしていた罪悪感が、じわりと滲む。けれど、彼の声に責める色はなく、ただあたたかい。 「す、すみません。ライン返してなくて……」 声が少し上ずる。 指先が冷たくなっているのに気づく。スマホを持つ手が、わずかに震えていた。 「うん? なんかあった?」 やわらかい問いかけ。 責めるでも、詮索するでもない。 ただ、隣に腰を下ろすような声。 その優しさが、逆に怖い。 「……」 言葉が、喉の奥でつかえる。 何から話せばいいのかわからない。 うまく説明できない。 自分でも整理できていない感情を、どうやって渡せばいいのだろう。 沈黙が数秒流れる。 耳元で、彼の呼吸音がかすかに聞こえる。 急かさない。 黙って、待ってくれている。 その静けさに、胸の奥の蓋が、少しずつ緩んでいく。 「……やっぱり怖いんです。人を信じるのが」 気づけば、ぽつりとこぼれていた。 自分でも驚くほど、まっすぐな本音だった。 窓ガラスに映る自分の顔が、どこか頼りない。 ぎゅっと唇を噛む。 「だって、信じては裏切られて、また信じようとして裏切られて……」 過去の記憶が、胸の奥でざわつく。 優しい言葉。甘い約束。 「好きだよ」と囁いた声。 それらが、最後には全部、刃物みたいに変わった瞬間。 心が削られていく感覚を、何度も味わった。 「また私のこと好きって言ってくれるルカさんにまで裏切られたら、私どうしたらいいのか……
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 18

長い沈黙が、ふたりのあいだに横たわっていた。受話器の向こうからは、かすかな呼吸の音だけが聞こえる。指先が冷たくなっていることに気づき、私はぎゅっとスマホを握り直す。そのとき、ルカさんが息を吸う気配がした。「……当たり前だよな、不安になるのは。ごめんな。気持ち伝えるの、早かったよね」低くてやわらかい声。責めるでもなく、諭すでもなく、ただ静かに寄り添う温度がそこにあった。胸の奥が、じわりと熱を帯びる。優しい。いつだって、私の気持ちを先に考えてくれる。喉の奥がきゅっと締めつけられて、うまく息ができない。「いや……私が悪いんです。ルカさんはこんなに向き合ってくれて、優しいのに、私が……」言葉がほどけていく。自分でも、何をどう謝りたいのかわからない。ただ、信じきれない自分が情けなくて、申し訳なくて。「んーん」やわらかく遮る声。「俺が焦りすぎたのが悪い。……こんなに可愛い紗月ちゃんを、誰にもとられたくないから」その一言が、鼓動を一気に早めた。耳の奥で心臓の音が鳴り響く。頬がじんわり熱い。夜の部屋は静かなのに、私の中だけが嵐みたいに騒がしい。こんなふうに、まっすぐ好きだと言われるのは久しぶりだった。いや、もしかしたら、初めてかもしれない。「でもさ、本気で信じてほしい。俺、紗月ちゃんのこと好きだよ」今度は、はっきりと。迷いのない声だった。胸の奥に、あたたかい灯がともる。冷たい不安で凍っていた場所が、ゆっくり溶けていくみたいに。それでも同時に、怖さもある。信じて、裏切られた記憶が、まだ消えずに残っているから。信じたい。でも、怖い。その相反する気持ちが、胸の中で絡まり合う。「……ルカさん、ありがとう」やっとの思いで絞り出した声は、少し震えていた。「これから、本気だって信じてもらえるように、俺、行動で示すから」その言葉は、静かな決意のように響いた。甘い言葉よりも、ずっと重くて、ずっと温かい。窓の外では、夜風がカーテンをわずかに揺らしている。街の灯りが滲んで、ぼんやりと揺れていた。まるで私の心みたいに、不安定で、それでもどこかやさしい。こんなに真剣に向き合ってくれる人は、はじめてかもしれない。それでも、信じるということは、無防備になることだ。傷つく可能性を、受け入れることだ。でも――もし、この人の言葉が本物な
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 19

ルカさん……ほんとに優しかったなあ。思い出すだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。まるで、冷えきった手をマグカップに当てたときのように、ゆっくりと熱が広がっていく。会いたい。その衝動は、理屈よりも早く体を動かしていた。前髪を整えるだけ。ほんの数分。それでもいい。声を聞きたい。あの笑顔を見たい。ガラス張りの美容室の扉の向こうに、見慣れた姿を探す。胸がどくん、と跳ねた。私が手を伸ばすより早く、扉が内側から開いた。「ルカさん…!」まるで待っていたみたいに、そこに立っていた。「会いたかったよ、紗月ちゃん」その声はやわらかく、低く、耳の奥に心地よく残る。ルカさんは、愛おしいものを見るような目で私を見つめていた。その視線を受けた瞬間、胸がきゅっと締めつけられる。ああ、やっぱり好き。昨日「行くね」と電話で話したとき、彼は子どものように喜んでいた。「こんにちは」他のスタッフもにこやかに挨拶をしてくれる。店内には、やわらかな音楽が流れている。シャンプーやワックスの混ざった、甘い香り。穏やかな午後だった。ルカさんは私の髪をやさしく濡らし、指先で丁寧に洗い流していく。指が頭皮をなぞるたび、くすぐったいような安心感が広がる。「これいい香りでしょ。最近入ったシトラス系なんだ。髪もサラサラになるよ」ふわっと柑橘の香りが立ちのぼる。爽やかで、少しだけ甘い。うん、と小さくうなずく。こんな時間がずっと続けばいいのに、と思う。「あ、紗月ちゃんちょっと待ってて」そう言うと、彼は私を席へ戻し、裏へ消えていった。私はまだ、さっきの余韻の中にいた。胸がぽかぽかして、現実が少しだけ優しく見える。――そのとき。店の奥から、低く荒い声が響いた。「お前さあ、何回いえばわかるんだよ?ああ?」空気が、一瞬で変わった。びくり、と肩が跳ねる。え……?その声は、さっきまで私に向けられていた声と、同じ喉から出ているとは思えなかった。店内の音楽が、急に遠くなる。ドライヤーの音も止まっている。スタッフがちらりと奥を見て、視線をそらす。胸の奥が、さっきとは違う意味でざわつく。今の声……ルカさん?さっきまで、あんなに優しい目をしていたのに。頭の中で、甘い記憶と荒い怒声が、うまく結びつかない。胸のぽかぽかが、じわりと冷えていく。私は椅子の
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 20

「ルカさんすみません!! すみません!」奥から、掠れた謝罪の声が響いた。それはただの謝罪ではなく、喉を締めつけられたような、必死の声だった。「ああ? 全く反省してねえじゃねーかよ」低く、押し殺した怒声。空気が一瞬で重くなる。「ひいっ」次の瞬間――ボキッ、と鈍く乾いた音がした。骨と何かがぶつかる、嫌な音。私は反射的に顔を覆った。耳の奥がじん、と熱を持つ。心臓が嫌な速さで跳ねる。部屋の空気が凍りついたように静まり返る。時計の針の音さえ聞こえそうな沈黙。その沈黙を裂くように、ギイ、と古いドアがゆっくりと開いた。ルカさんが戻ってくる。さっきまで怒鳴っていた人間と同一人物とは思えないほど、その顔は冷えていた。怒りを押し込めたままの、硬い表情。その目が、私を捉える。一瞬。ほんの一瞬、何かを測るような視線。そして、すっと口角が上がった。「ごめんね、お待たせ」何事もなかったかのような、柔らかい笑顔。さっきの音も、怒声も、全部私の空耳だったかのように。背中に冷たい汗が流れる。私は喉の奥が乾くのを感じながら、恐る恐る口を開いた。「あの…ルカさん? なんか…奥から怒鳴り声が聞こえたんだけど、大丈夫…?」声がわずかに震えているのが、自分でもわかった。「ああ、ちょっと後輩を教育してた」さらり、とした口調。「教育って…? なんか殴る音聞こえたけど…」言った瞬間、後悔する。聞かなければよかったかもしれない。ルカさんは一瞬だけ目を細めた。「ああ、俺さ。情があると手が出てしまうんだよね」笑いながら言う。冗談のように。「それだけ感情があるってことかな? どうでもいいやつは何とも思わないんだけど、愛があるからこそね」“愛があるからこそ”。その言葉が、耳の奥で嫌な反響をする。……え?思考が止まる。愛と暴力が、同じ文脈で並んだ。脳が理解を拒む。「でもさ、酒とか飲んだら見境なく手が出ちゃうから控えてはいるんだけど」軽い世間話みたいなトーンで続ける。「俺、それで3回くらい留置所入れられてんのだよなー」空気が、ひやりと冷えた。「……え」今度は声にもならない。心臓の鼓動が、どくん、どくんと耳の内側を叩く。笑っている。目の前の男は、笑っている。でもその目は、笑っていない。私ははっきりと感じた。頭のど
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 21

ルカさんの目を、まともに見られなくなってしまった。ついさっきまで近くに感じていたのに、今はどこか遠い人のように思える。得体の知れない、危ない人。会話はしている。天気のこと、店のこと、どうでもいい日常の話。けれど、言葉は耳をすり抜けていくだけで、頭の中にはほとんど残らない。返事をしながら、私はぼんやりと鏡の中の自分を見つめていた。髪を切られている自分の姿。ふと視線を動かすと、隣で集中してハサミを動かすルカさんが目に入る。——この人、やっぱり普通じゃない。さっきの出来事が、頭から離れない。今は何事もなかったかのように穏やかだけれど、さっき奥から聞こえた鈍い音と怒鳴り声が、胸の奥にずっと引っかかっている。今のところ、私に危害を加えようとしている様子はない。それでも、どうしても拭えない感覚があった。この人……危ない思想を持っている。どんな理由があろうと、人に暴力を振るうなんて許されることじゃない。そう思えば思うほど、胸の奥がざらざらとした不快感で満たされていく。——というか、この感じ……。もしかして日常的に後輩に手をあげているんじゃないだろうか。ふと、そんな考えが浮かぶ。……DV気質とか、あったりして。自分の想像が怖くなり、私は無意識に視線を落とした。そのとき、ルカさんがハサミを動かす腕が目に入る。シャツの袖から覗いた腕に、黒々とした模様が広がっていた。和彫りの刺青。以前から気になっていたのに、怖くて触れられなかった。けれど、胸の奥で小さな不安が膨らみ、私は思いきって口を開いた。「あの、ルカさん……その腕の刺青、すごいですよね……」カットする手元を見ながら、できるだけ何気ない声を装って言う。ルカさんはちらりと腕を見下ろし、軽く笑った。「ああ。かっこいいでしょ?」その言い方はどこか無邪気で、まるでお気に入りのアクセサリーでも見せるみたいだった。「それって……いつ入れたんですか?」「うーん、これ? 一か月前かなあ」思ったより最近だ。「刺青って……昔からしてたんですか?」「うん。高校卒業してすぐ入れたよ。ずっと入れたくてさ」さらっとした口調だった。まるで普通のファッションの話でもするみたいに。「……そうなんだね」言葉を探しながら、私は小さくうなずく。「抵抗とか……なかったんですか?」自分でも、少し
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【第三章】タトゥー女顔美容師・ルカ 22

「……え、ヤクザってことですか? ルカさんはヤクザの息子……?」思わず声がかすれる。自分でも驚くほど小さな声だった。ルカさんはハサミを動かす手を止めず、鏡越しにこちらを見て、軽く肩をすくめた。「そう。俺、実家では“若”って呼ばれてる」まるで昔のあだ名でも話すみたいな、気楽な調子だった。冗談でも言っているように、口元にはうっすら笑みまで浮かんでいる。「若……」その言葉を、私は小さく繰り返した。喉の奥が、ひどく乾いている。笑えない。——本物じゃん。胸の奥で、ひやりと冷たいものが広がる。さっき奥から聞こえてきた怒鳴り声と、あの鈍い音が、頭の中で嫌にリアルに蘇った。この人、やっぱり普通じゃない。見た目はやんちゃだけど優しくて、どこか近いものを感じる。安心できる存在だと思っていた。ちょっと危なっかしいけど、どこか魅力のある人だと。でも今は——急に、遠い世界の人みたいに感じる。「え、もしかして紗月ちゃん、ヤクザに偏見とかある?」ルカさんが顔を覗きこんできた。じっと、こちらを見つめてくる。「……はい」嘘はつけなかった。むしろ、思っていた以上に即答してしまった。ルカさんは少しだけ眉を上げ、苦笑した。「誤解されること多いんだけどさ。ヤクザって本当はいい人たちなんだよ?俺の親戚もみんなだけど、めっちゃ根はいい人たち」その言葉を聞きながら、私は鏡の中の自分の顔をぼんやりと見つめていた。——いい人。その基準って、なんだろう。怒鳴り声をあげて。人を殴って。それでも“根はいい人”になるんだろうか。価値観が、まるで違う。それはもう、ちょっとしたズレじゃなくて、まるで別の世界の住人みたいな違いだった。笑えない。胸の奥に、じわじわと冷たい不安が広がっていく。私はそっと視線を横にずらした。受付のほうに目がいく。そこには、さっき奥でルカさんに殴られただろう従業員の男の子が立っていた。頬を片手で押さえながら、俯いている。白い蛍光灯の光が、その頬の赤みをはっきり浮かび上がらせていた。指の隙間から、じんわりと腫れているのがわかる。「ああ……またか」小さくつぶやいた。またか。何回目なんだろう。胸の奥が、すうっと冷たくなった。その瞬間、ひとつの感情が、ゆっくりと私の中に広がっていく。また私は、クズを選んでしま
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