琴葉が目を覚ますと、視界のすべてが真っ白だった。 天井も壁もシーツも。埃一つ落ちていない、完璧に漂白された空間だ。 琴葉はベッドから身を起こし、大きく息を吸い込んだ。 無臭。 温度も湿度も、人間が最も快適に過ごせる数値に固定されている。空気清浄機がかすかな駆動音を立てて、微細な不純物すら濾過し続けている。 ――息苦しい。 土井精機の工場に染み付いた、あの独特の切削油の匂い。鼻腔を突く鉄の錆びた臭い。職人たちの上げる声と、プレスの振動が腹の底に響く雑多で熱を帯びた空気がひどく恋しかった。(これじゃあまるで、あいつの……峻嗣のコレクションケースの中ね) 琴葉はベッドから降り、クローゼットを開けた。 中には、峻嗣が用意した衣服が等間隔で並んでいる。どれも高級ブランドのタグがついた、仕立ての良いブラウスやスラックスだ。 伊吹が用意していた紫の服とはまるで趣きが違う。 彼らはどちらも身勝手だったが、それでも伊吹は琴葉を思っていた。伊吹は琴葉が好む色を揃えて、喜んでほしいと考えていた。 峻嗣は違う。無関心と、そのくせ所有欲だけが見て取れる。 彼女は淡いブルーのブラウスを取り出して、腕を通す。シルクの滑らかな感触が肌を滑るが、冷え切った爬虫類の鱗に触れているようで不快だった。 鏡の前に立つ。 そこに映っているのは、作業着や自前のスーツを誇り高く着こなす技術者ではない。厳重に管理され、パッケージングされた優秀な部品の姿だ。「やれやれだわ」 琴葉は短く息を吐き出し、乱れた髪を手ぐしで適当にまとめた。 部屋のドアに近づく。 分厚い鋼鉄製のドアの横には、電子ロックのパネルが青い光を放っていた。 琴葉に与えられたIDカードをかざす。ピッと短い電子音が鳴り、重い音を立ててロックが解除された。 一歩外に出る。 そこは、ラボへと一直線に繋がる廊下だった。 地下であるために窓はない。白く塗られた壁と天井、床は方向感覚がおかしくなりそうだ。
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