All Chapters of 元カレの宿敵の腕で幸せになります!: Chapter 331 - Chapter 340

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第331話

咲夜は、あまりにも落ち着きすぎていた。詩乃は思わず咲夜の手を引いて前に出ようとしたが、逆に咲夜に引き止められる。咲夜は静かに首を横に振った。今ここで出て行けば、困るのは千暁だ。千暁は二人に背を向けていたため、咲夜と詩乃が来ていることには気づいていなかった。彼は目の前の女性を、いかにも煩わしそうな表情で見つめている。一方の高岡冬美(たかおか ふゆみ)は、視界の端で咲夜の姿を捉えていた。今日ずっと千暁のそばにいた女性だと、すぐに分かった。さらに、千暁が自分に向ける露骨な不機嫌そうな態度を見て、冬美の表情が一変する。彼女は東雲市高岡家の一人娘。学生時代から千暁の同級生で、ずっと彼に想いを寄せてきた。しかし、どれほど好意を示しても、この男性の心は少しも動かなかった。今日こうして千暁をここに呼び出すためにも、冬美はかなり骨を折っていた。咲夜の名前を口実にして人を使い、千暁をデッキに呼び出した。そして、もう一度千暁に想いを伝えようとした。冬美は信じていなかった。千暁が本当に咲夜のような女性を好きになるなんて。まして、自分がこれほど何度も想いを伝えているのに、一度も心を動かされないなんてあり得ない、と。「千暁……私はあなたが好き」冬美は咲夜から視線を戻し、目の前の男性を真っ直ぐ見つめながら真剣に告白した。決して小さくはないその声は、咲夜と詩乃の耳にもはっきり届いた。咲夜は感じ取っていた。冬美が自分に向ける、露骨な挑発の視線を。最初から自分の存在に気づいていて、わざわざ目の前で千暁に告白したのだ。挑発以外の何ものでもない。冬美の言葉を聞いた千暁は、不快そうに眉を寄せた。「前にも言ったはずだ。俺には好きな人がいる。お前の告白は、もう迷惑でしかない」以前とまったく同じ答えだった。冬美は両手を強く握り締め、千暁を見据える。「そんなの、信じない」しかし千暁は、それ以上取り合う気すらない。踵を返し、この場を立ち去ろうとした。これ以上、冬美のために時間を費やすつもりはなかった。冬美は諦めきれず、千暁に飛びつく。彼を抱き締めて引き止めようと手を伸ばした。だが、千暁は彼女に触れる隙すら与えなかった。彼女が飛びつこうとした瞬間、横に一歩身を引いた。冬美は勢い余って空
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第332話

やがて、冬美は気持ちを立て直した。そしてゆっくりと咲夜のほうに歩み寄ってくる。しかし、彼女が口を開くより早く、千暁が身を翻した。咲夜の隣に立つと、冬美の目の前で咲夜の腰に腕を回す。あまりにも強引な動きだったため、咲夜は反応する間もなく、そのまま千暁の胸元へ引き寄せられた。咲夜は冬美の険しい表情を見つめ、抵抗することなく千暁に身を預ける。二人は誰が見ても恋人同士そのものだった。千暁は低く落ち着いた声で言う。「紹介しておく。彼女は花江咲夜。俺の彼女で――将来、俺の妻になる人だ」今日、婚姻届受理証明書を持ち歩いていなかったことだけが悔やまれる。もし持っていたなら、この場で冬美の前に突きつけ、きっぱり諦めさせていただろう。冬美は唇を噛み締め、憎々しげに咲夜を睨みつける。腰に回された腕に少し力が入る。咲夜は、それが「合わせてほしい」という千暁からの合図だと理解した。口元に笑みを浮かべると、今度は自分から千暁の胸に寄り添い、冬美に微笑みかける。「初めまして、千暁の彼女です」彼が「彼女」と言うなら、それでいい。そう言い終えると、冬美にはそれ以上構わず、咲夜は甘えるように顔を上げて千暁を見つめた。「中であなたが見つからなかったから、探しに来ちゃった。『愛してるのは私だけ』って言ってたのに、どうしてそんなにモテるの?次から次へと女の人が寄ってきて、私の彼氏を狙わないでほしいんだけど。もう怒ったから。ちゃんと自分で片づけてね。解決できなかったら、今夜は部屋に入れないから。廊下で寝てもらうわ」その言葉は、自分と千暁は恋人というだけではなく、すでに同じ部屋で過ごすほどの関係で、二人の絆は揺るぎないのだと冬美に示すものだった。その様子を見ていた詩乃は、こっそり咲夜に親指を立てた。――ナイス!この牽制、完璧だ。一方、千暁も咲夜の返しには一瞬目を丸くした。だが、すぐに笑みを浮かべて話を合わせる。「それは冤罪だよ。向こうから勝手に寄ってきただけだ。それでも俺のせいか?」「じゃあ、私が悪いってこと?」咲夜もすかさず乗ってみせる。千暁は慌てて首を振った。「違う違う、悪いのは全部俺だ。俺が悪かった。約束する。これからは他の女性とは三メートル以上距離を取る。分かってるだろ?俺が愛してるのは君だけなんだか
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第333話

咲夜の言葉に乗るように、千暁は立て続けに三度否定した。その言葉を聞いた瞬間、もともと青ざめていた冬美の表情は、見るも無残なものとなった。しかし千暁はまったく気にしていなかった。以前から何度も、「そんなふうに呼ぶな」と冬美には伝えてきた。それでも彼女は改めようとしなかった。今、咲夜のどこか拗ねたような言葉を聞いた千暁は、冷たい視線を冬美に向ける。「俺とお前には何の関係もない。馴れ馴れしくするな」自分の潔白を証明するかのように、千暁は咲夜の腰を抱いたまま二歩ほど後ろに下がった。まるで冬美に近づくだけで汚れてしまうとでも言いたげな距離の取り方だった。その露骨な反応に、詩乃は思わず口元を引きつらせる。――あらあら、完全に演技に入り込んでるじゃない。でも、不思議と見ていて気持ちがいい。咲夜もまた、千暁の反応に思わず笑いそうになる。演技だとは分かっている。それでも、ここまで本気でやるとは思わなかった。二人の息の合ったやり取りを見せつけられ、冬美の顔は怒りでみるみる歪んでいく。「行こう」千暁は咲夜に向き直ると、先ほどとは打って変わって優しい声で言った。「戻ろう」その眼差しは水のように柔らかく、さっきまで冬美に向けていた冷たい眼差しとはまるで別物だった。咲夜も静かにうなずく。そのまま千暁に寄り添い、力を抜いて彼の腕にもたれかかった。仲睦まじい恋人そのものの姿で、二人は宴会場に戻っていく。残された冬美は、青ざめたり赤くなったりと顔色を変えながら、二人の背中を憎しみに満ちた目で見送っていた。詩乃はすぐには中に戻らず、その場に残った。冬美を静かに見つめると、穏やかな口調で言う。「高岡さん。これだけ長い間想い続けても実らなかったのなら、もう諦めてもいいんじゃないですか?自分のものにならない人に執着し続けても、苦しいだけですよ」以前、智之から聞いたことがあった。千暁を熱心に追いかけている令嬢がいる、と。大学時代の同級生でもあったらしい。しかし、その頃から千暁には想い人がいて、彼女には終始氷のような態度を取り続け、近づく隙すら与えなかったという。高岡家は荻野グループとの取引を取り付けるため、多額の資金を投じたこともあった。だが、そのたびに千暁は門前払いにした。さらに千暁は家族まで
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第334話

詩乃が個室に戻ると、まっすぐ咲夜のところに向かった。そのまま咲夜の隣に腰を下ろし、智之のほうは見る気さえない。一方の智之はというと、詩乃が入ってきた瞬間からずっと詩乃を見つめていた。その眼差しには、どこか抑え込んだ感情と、どうしようもない甘い愛しさが滲んでいる。詩乃はふと咲夜の頬がほんのり赤く染まっていることに気づき、興味津々で耳元に顔を寄せ、小声で尋ねた。「まさか……千暁の芝居に付き合っただけなのに、照れちゃったの?」帰ってくる途中で、自分の知らない何かがあったのではないかと疑ってしまう。咲夜は自分の頬に手を当てながら聞き返した。「そんなに赤い?さっきカクテルを少し飲んだから。私、お酒を飲むとすぐ顔に出るの」ほんの少し口にしただけでも、頬はすぐ赤くなってしまう体質だった。それを聞いた詩乃は納得したようにうなずく。「なんだ、そういうことか」咲夜は微笑んだ。頬が赤い理由は半分がお酒のせい。そして、もう半分は――咲夜は横目で隣にいる男性を軽く睨む。――全部この人のせいだ。せっかく親切心から千暁の芝居に付き合い、彼の厄介な恋の相手を追い払ってあげたというのに。宴会場に戻る途中、千暁はどうしても自分を離そうとせず、ずっと腰を抱いたままだった。人目もあるからと咲夜がそっと距離を取ろうとしても、彼の腕はますます強く腰を引き寄せる。そのせいで、咲夜はほとんど彼に身を預けているような格好になってしまった。周囲から向けられる意味深な視線。そして体越しに伝わる千暁の体温。そのどちらにも耐えきれず、咲夜はすっかり顔を真っ赤にしてしまったのだった。宴会の間中、咲夜と詩乃はほとんど離れることなく一緒に過ごし、男たちは男たちで集まり、軽く酒を酌み交わしていた。宴も終わりに近づいた頃、不注意で咲夜はドレスに酒をこぼしてしまった。時間を確認すると、詩乃に一声かけて先に部屋に戻ることにした。千暁が戻ってくる前に、先にドレスだけでも着替えてしまおうと思ったのだ。着替えを終えたちょうどその時、ドアがノックされる。開けてみると、制服姿のスタッフが立っていた。「花江様。荻野様から、お水をお届けするよう頼まれました」トレーの上には、まだ封の開いていないボトルの水が一本置かれている。「ありがとうござい
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第335話

千暁は目を開け、咲夜を見上げた。「大丈夫だ。俺は……」ソファで寝ればいい、と言おうとした。だが、最後まで言い終える前に、咲夜はすでに彼のそばに歩み寄っていた。身をかがめると、千暁の腕を自分の肩に回し、そのまま体を支えて立ち上がらせる。「前にも同じベッドで寝たことあるじゃない」咲夜は冗談めかして笑った。「私だって、千暁に何かされるなんて思ってないし。私が平気なんだから、千暁こそ私に何かされる心配でもしてるの?」軽口を叩きながら、千暁をベッドまで連れていく。彼が遠慮しているのは、自分を尊重してくれているからだと咲夜には分かっていた。でも、よく考えれば二人はもう籍を入れている。同じベッドで眠るくらい、何の問題もない。千暁は抵抗することなく、咲夜に支えられてベッドに横になった。少なくとも、このベッドならソファよりずっと広い。二人で寝ても十分な広さがある。咲夜は彼の上着を脱がせようとして、左腕の傷に目を留めた。眉をひそめる。「どれだけ飲んだの?その手、治す気あるの?」そう言いながら慎重に傷口を確認する。幸い傷が開いてはいなかった。それを確かめて、ようやく小さく息をついた。それでも、傷があるのに酒を飲んだことには納得できない。咲夜は軽く彼を睨む。宴会を出る前に、良太に「千暁に飲ませすぎないで」と頼むのを忘れていた。千暁は黙って咲夜を見つめ、少し笑う。「悪かった。もうしない」怒っていても、相手は酒の入った千暁だ。咲夜もそれ以上は責められなかった。「お水、飲む?」小さな声で尋ねる。千暁は静かにうなずいた。咲夜はベッドサイドに置いてあったペットボトルの水を手に取り、キャップを開ける。そして彼の体を少し起こし、二、三口ほど飲ませてあげた。水を飲ませ終えると、自分はベッドの反対側に回り、そのまま横になる。隣に男性が寝ているという状況に、体は少し強張っていた。やはりまだ慣れない。咲夜はゆっくり目を閉じる。――眠ってしまえば大丈夫。心の中で羊を数え始める。一匹、二匹、三匹――数えているうちに、眠気は静かに押し寄せてきた。ほどなくして、咲夜は穏やかな寝息を立て始める。本人は気づいていなかった。最初こそ千暁が隣にいることに緊張していたものの、彼のそばにい
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第336話

千暁は体の異変を必死に抑え込みながら、智之の部屋のドアをノックした。智之がドアを開けるや否や、千暁はそのまま中に入る。手にしていたボトルの水を智之に放り投げると、部屋のバスルームに向かいながら言った。「この水を検査に回してくれ。それから、この水が誰の手を経て咲夜に渡ったのかも調べろ。詩乃を咲夜のところに向かわせて付き添わせろ。医者も呼んでくれ」そう言い終えると、千暁はシャワーを勢いよく出し、冷水を全身に浴び続けた。自分が薬を盛られたことは間違いない。原因は、先ほど咲夜が気遣って飲ませてくれたあの水だ。だが、咲夜が自分にそんなことをするとは思っていなかった。そんな必要はない。もし彼女が本当に自分とそういう関係になりたいのなら、彼女から望まれるまでもなく、自分はとっくに裸になってベッドで待つだろう。千暁が思いつく可能性は一つだけだった。本来は咲夜に飲ませるつもりだったその水を、偶然にも自分が口にしてしまったのだ。怒りが胸の奥で激しく燃え上がる。薬を仕込んだ相手を、この手で八つ裂きにしてやりたいほどだった。智之は最初、咲夜と部屋でゆっくり過ごさずに自分のところに来た千暁をからかおうと思っていた。だが、その言葉を聞いた瞬間、表情は一変する。「すぐ行く」千暁の様子と言葉だけで、事態の深刻さは十分伝わってきた。智之は一刻も無駄にせず、詩乃の部屋に向かってドアを叩いた。詩乃が出てくると、千暁の部屋で起きたことを手短に説明する。詩乃は上着を羽織る暇さえなく、智之の横をすり抜け、そのまま咲夜のもとに急いだ。一方の咲夜は、何が起きたのかまったく分からなかった。ただ、千暁が慌ただしく部屋を飛び出していく後ろ姿を見て、気になって自分もベッドを降り、外に出ようとした。部屋を出ると、こちらへ足早に向かってくる詩乃と目が合った。その顔は不安に満ちていた。「咲夜さん」詩乃は緊張した面持ちで咲夜を頭からつま先まで見回す。咲夜に異変がないことを確認すると、ようやく安堵の息をついた。「本当にびっくりした……」突然の様子に、咲夜は戸惑うばかりだった。先ほど慌てて飛び出していった千暁の姿を思い出し、咲夜は不安そうに尋ねる。「どうしたの?あきに何かあったの?」この時の咲夜は、自分がいつの間にか千暁を「あ
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第337話

千暁自身も、咲夜にはそんな少し情けない姿を見られたくないのだろう。詩乃の言葉の意味を理解した咲夜は、結局この場で千暁のもとに行くことを諦めた。それでも、不安は拭えない。「彼、本当に大丈夫なの?」「智之がついてるから、大丈夫よ」詩乃は冷え切った咲夜の小さな手を握り、何度も優しく落ち着かせた。咲夜の心は乱れに乱れていた。部屋に戻ってからの出来事を、必死に思い返す。廊下から慌ただしい足音と、ドアを叩く音が聞こえた。その瞬間、脳裏にあのノックの音が蘇った。咲夜は詩乃に言う。「相手の狙いは、たぶん私だったの。スタッフが水を届けてきてから、三十分くらい経った頃だったかな。誰かが部屋をノックしたの。ドアを開けてみたけど、廊下には誰もいなかったの。隣の部屋の人が出入りしただけだと思って気にしなかった。でも、なんとなく中から鍵だけはかけたの」そこでようやく、あの時なぜ無意識にドアに鍵をかけたのか理解した。きっとあの時すでに、本能的に危険を感じ取っていたのだ。詩乃は話を聞き終えると、少し考えてから言った。「先に智之のところに行きましょう」このことは、智之にも知らせる必要がある。咲夜は詩乃とともに、智之の部屋に向かった。部屋の中では、千暁の頬が不自然に紅潮し、まだシャワーの冷水を浴び続けていた。智之は大量の氷を運ばせ、バスタブに次々と放り込みながら水を張っている。同行していた医師もシャワーの下で濡れながら、千暁に点滴の針を刺して処置を続けていた。咲夜と詩乃が部屋の前に着くと、ちょうど良太と智之が左右から千暁を支え、氷水を張ったバスタブに入れようとしているところだった。咲夜の心臓は一気に喉元まで跳ね上がる。「若林さん、良太さん、彼の左腕が――」言い終える前に、千暁の左腕がすでに冷水に浸かっているのが目に入った。千暁は咲夜の声を聞くと、充血した目を彼女に向ける。しゃがれた声で短く言った。「……出て行け」これ以上彼女が目の前にいれば、大勢の前で理性を失い、取り返しのつかないことをしてしまうかもしれない。その視線を受けた咲夜は、すぐに彼の意図を悟った。何も言わず、おとなしく部屋を出る。詩乃もそのあとに続いた。部屋を出た咲夜は、詩乃を見つめ、冷え切った表情で言う。「詩乃さん。高岡冬美がど
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第338話

咲夜は案内表示に従い、308号室の前にたどり着いた。勢いよくドアを叩きながら叫ぶ。「高岡、出てきて!」その声には隠しようのない怒りが滲んでいた。後ろにいた詩乃は思わず目を見開く。こんなにも激怒した咲夜を見るのは初めてだった。いつも穏やかで上品な彼女と、本当に同じ人物なのだろうか。「高岡!出てきなさい!」咲夜は今にもドアを蹴破りそうな勢いだった。千暁の今の姿を思い浮かべるたび、怒りが込み上げてくる。一方の冬美は、何が起きたのかまったく分かっていなかった。それでもドア越しに、咲夜の怒気だけははっきりと伝わってくる。激しく打ちつけられるノックの音が、一打ごとに冬美の胸を強く叩いた。耐え切れなくなった冬美は、とうとうドアを開けた。咲夜を睨みつけると、苛立ちを隠さず怒鳴る。「いい加減にしてくれる?ドンドンドンドンって、何度も何度も!迷惑行為、やめて欲しいわ!うるさくてたまんないんだけど!」開口一番、冬美は咲夜に罵声を浴びせた。咲夜が何の用で来たのかは分からない。だが、冬美は最初から相手に遠慮するつもりなどなかった。冬美の姿を見た咲夜は、冷たく問いただす。「薬を盛ったの、あなた?」その一言で、冬美の顔色がさっと変わった。目には一瞬、動揺と後ろめたさがよぎる。冬美は慌てて視線を逸らし、言い返した。「何言ってるのか、全然分からないわ」冬美のあまりにも分かりやすい反応を見て、咲夜の表情はいっそう冷え切る。「分からない?高岡、本当に違うって言える?スタッフに水を届けさせたのも、その水に薬を入れたのも、あなたじゃないって。そのあと私の部屋をノックさせたのも、あなたの指示でしょう」咲夜は一瞬たりとも目を逸らさず、冬美を見据えた。もちろん冬美も、自分でそんなことをするほど愚かではない。だが、彼女は一つ忘れていた。このクルーズ船には防犯カメラがある。映像を確認して、水を届けたスタッフと部屋をノックした人物を突き止めれば、冬美が関わっていたかどうかはすぐ分かる。この船は若林グループの所有だ。冬美が身内を使うはずはなく、金でその場限りの人間を雇った可能性が高い。その実行役さえ捕まえれば、黒幕にもたどり着ける。冬美は背筋を伸ばし、咲夜を睨み返した。「あんた、頭おかしいんじゃ
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第339話

冬美は、この件はこのまま誰にも知られず終わるものだと思っていた。それなのに今、咲夜が怒りに満ちた様子で押しかけ、自分を問い詰めている。――どうして知られたの?胸の奥に、不吉な予感がじわりと広がった。咲夜は冷ややかに目の前の女を見つめ、皮肉げに唇を吊り上げる。「証拠があるかどうかは、あなたや私が決めることじゃない。防犯カメラが教えてくれるわ。詩乃さん。部屋の前の監視映像は確認できるでしょう?」その言葉を聞いた瞬間、冬美はもはや表情を取り繕えなかった。目を見開き、顔色がみるみる青ざめていく。あの時は酒が回り、怒りに任せて行動してしまった。防犯カメラの存在など、まったく頭になかったのだ。詩乃は口元にわずかな笑みを浮かべる。「もう確認させてるわ」その一言で、冬美の顔から血の気が引いた。唇は震え、体も今にも崩れ落ちそうになる。――終わった。衝動に任せた自分を、今さらながら激しく後悔した。もっとも、その狼狽した態度だけで、咲夜と詩乃には十分な答えとなっていた。薬を盛ったのは、冬美に間違いない。ほどなくして、水を届けたスタッフも見つかり、咲夜たちの前に連れて来られた。その姿を見た瞬間、冬美は膝から力が抜けそうになった。それでも必死に平静を装う。スタッフは冬美を指差し、慌てたように言った。「この人です。この人に金の腕時計を渡されて、『荻野様の指示だから、この水を部屋まで届けてほしい』って頼まれました」事情を聞かれるまで、スタッフも水に問題があるとは知らなかった。最初は「楽に稼げる仕事だ」と思っただけだった。多少怪しいとは感じていたものの、そのあと部屋をノックした時、咲夜には何事もなさそうだったので、深く考えなかった。しかし今となっては話が違う。見ず知らずの冬美をかばう理由などどこにもない。彼は迷わず自分の身を守ることを選んだ。スタッフに名指しされた冬美は、すぐさま言い返す。「嘘よ!私、この人なんて知らないわ!勝手なこと言わないで!」何を言われようと、認めるつもりはなかった。「間違いありません!」スタッフはポケットから、小ぶりで上品なレディース用の金色の腕時計を取り出した。「これが証拠です」流行のデザインを取り入れた、繊細な腕時計だった。詩乃はそれを一目見て
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第340話

冬美は、咲夜が一歩、また一歩と距離を詰めてくるのを感じた。思わず身を引こうとする。しかし、その時にはすでに咲夜は冬美の目の前まで来ていた。冬美が顔を上げた瞬間――パシンッ!咲夜は迷いなく手を振り上げ、その頬を思い切り打ち据えた。冬美の顔は勢いよく横に弾かれ、頬には真っ赤な指の跡がくっきりと浮かび上がる。その一撃にどれほど力が込められていたかは、一目で分かった。叩いた咲夜の手のひらまで痺れるほどだった。咲夜は呆然とする冬美を冷たく見つめ、淡々と言う。「ただの冗談よ」そう言い終わるや否や、冬美が言い返す間も与えず、反対側の頬にも容赦なく平手打ちを叩き込んだ。そして薄く笑う。「冗談なんだから、高岡さんならきっと受け入れられるでしょう?」冬美は何も言えなかった。突然二発も平手打ちを食らい、完全に不意を突かれていた。しかも咲夜は、さっき自分が口にした言葉をそのまま返してきたのだ。自分の言葉で口を塞がれた以上、反論のしようもなかった。咲夜が手を振り上げた瞬間、詩乃はすぐに警戒を強め、咲夜のそばへ寄る。冬美がもし手を出すようなら、すぐ咲夜を守るつもりだった。だが予想に反し、冬美は完全に圧倒され、その場で呆然と立ち尽くしているだけだった。咲夜は嘲るように口を開く。「どう?この冗談、面白かった?」その言葉に、冬美の顔はさらに険しくなる。怒りに顔を歪めていた冬美は、咲夜が手首を動かした瞬間、また平手打ちされると勘違いし、反射的に数歩後ろに下がった。だが、咲夜はただ手を下ろしただけだった。その様子を見た咲夜の目には、あからさまな嘲りが浮かぶ。冬美も、自分の早とちりだったと気づく。怯えて後ずさったその姿は、自ら恥をさらしたも同然だった。その様子に、詩乃まで思わず吹き出してしまう。咲夜は冷ややかに冬美を見据えた。「まず第一に、私たちはそんな最低な冗談を言い合えるほど親しくもない。故意だったのかどうかも含めて、あとは警察に判断してもらうわ。詩乃さん、誰かに高岡を見張っていてもらえる?私はもう警察に通報した。船が港に着けば警察が来て対応するそうよ。その時は高岡さんも、きちんと捜査に協力してね」あの二発の平手打ちだけでは、とても咲夜の怒りは収まらなかった。今夜、自分の手で千暁
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