All Chapters of 元カレの宿敵の腕で幸せになります!: Chapter 731 - Chapter 740

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第731話

咲夜は笑みを収めると、両手で千暁の頬を包み込んだ。「こんなに目の保養になる素敵な人、ずっとそばに置いて大事にしたいくらいなのに、嫌がるわけないでしょ」そう言って、咲夜は顔を伏せ、千暁の唇にそっとキスをした。ほんの一瞬、軽く触れるだけのキスをしてから、「着替えはもう灰原さんに届けてもらったよ。クローゼットにしまってあるけど、先にシャワー浴びる?」と尋ねた。千暁はまだ朝から着ていた服のままだった。もともとは皺一つなかった服も、今では少し乱れている。腕には黒い喪章が巻かれ、胸元には萎れかけた白い菊が一輪挿されていた。千暁は自分の格好に目を落とすと、「そうだな。シャワーを浴びてくる」と答えた。咲夜がクローゼットの場所を教える。彼女は自分のクローゼットの半分を空け、そこに千暁の荷物をぎっしりと収めていた。千暁はすぐに部屋着を手に取り、バスルームへ入っていった。咲夜は足に気をつけながらゆっくりと体を動かし、ベッドのヘッドボードにもたれかかると、スマホを手に画面を眺め始めた。そのとき、ドアをノックする音が聞こえた。「入るわよ」ドアの向こうから真奈美の声がする。そのまま十数秒ほど待ってから、真奈美はゆっくりとドアを開け、入口に立ったまま咲夜を見た。「千暁さんは?」「シャワー浴びてるよ」咲夜がそのまま答えると、真奈美は頷いた。「じゃあ、終わったら一緒に下りてきて、何か食べさせてあげて。一日中忙しかったし、たぶんまだ何も食べてないでしょう」ここ数日、千暁は絢子の葬儀の準備に追われていたうえ、今日は弔問客も多かった。実際、朝起きてから今まで、ろくに何も口にしていない。シャワーを浴びている途中、千暁は胃が痙攣するような痛みを覚え、少し気分が悪くなっていた。シャワーを終えて出てきたときには、真奈美はすでに部屋を出て、階下で食事の用意をしていた。咲夜は濡れたままの彼の髪を見ると、自分のところへ来るよう手招きした。千暁は素直に従い、咲夜に背を向けてその場にしゃがむ。ほぼ同時に、咲夜はベッドサイドの引き出しから予備のドライヤーを取り出した。バスルームにもドライヤーは置いてあったのだが、千暁は気づかなかったのだろうと彼女は思った。コンセントを差し込み、風量を中程度に合わせると、咲夜はそのまま千暁の髪を乾かし始めた。細い指
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第732話

千暁はそのまま花江家で暮らすようになった。そして以前言っていたとおり、片時も離れず咲夜のそばに付き添っていた。咲夜が病院へ行けば千暁が付き添い、リハビリへ行くときも千暁がそばにいる。たまに気分転換に外へ出たり、買い物に出かけたりするときでさえ、やはり隣には千暁の姿があった。やがてネット上には、【荻野家を追い出された荻野千暁が、花江家に居座って妻の咲夜に養ってもらっている】という記事が一斉に出回るようになった。千暁はそんな報道を目にしても、軽く笑って受け流すだけだった。それどころか、以前にも増して咲夜のそばを離れなくなった。世間では、荻野家の御曹司ともあろう男が何不自由ない暮らしを捨て、咲夜という一人の女のために当主の座まで手放すなんて馬鹿げている、と囁く者も少なくなかった。また、千暁は咲夜に養ってもらうヒモ同然だと嘲笑する声もあった。しかも花江グループが破産してから、まだそれほど時間は経っていない。そのため、中には咲夜の手元に残った金があとどれだけ持つのか、千暁がいつまで彼女のそばに居続けるのかと、面白半分に賭ける者まで現れていた。咲夜がネット上のそんな書き込みを目にしたのは、ちょうど一通りのリハビリを終えたところだった。今の彼女は、杖を使えば短い距離なら自分の足で歩けるまでに回復している。少し離れたところにいても、千暁の全身から漂う冷たい空気が伝わってきた。「何見てるの?そんなに怖い顔して」咲夜は千暁のそばまで近づくと、彼のスマホを覗き込んだ。そしてすぐに、そこに並んでいる悪意に満ちた書き込みが目に入った。咲夜のことを「筋金入りの恋愛脳」だと罵り、実家の会社が破産したばかりなのに見栄を張って千暁を養っている、と嘲笑する者がいる。一方で千暁に対しても、いい年をした男が毎日妻の実家に居座り、彼女の両親と同じ屋根の下で暮らしているなんて恥ずかしくないのか、役立たずだ、と罵る声が並んでいた。それを読みながら、咲夜は思わず笑ってしまった。「この調子だと、そのうち『荻野家の御曹司ともあろう人が、養ってもらうだけじゃ飽き足らず、破産した花江家に婿入りした』なんて言い出す人まで出てきそう」ネット上には、感情をむき出しにした罵詈雑言が溢れていた。どれほど酷い言葉が並んでいるかなど、いちいち読まなくても咲夜には想像がつく。
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第733話

今日のリハビリは、いつもより運動量が多かった。咲夜は確かに疲れていた。千暁は咲夜の言葉を聞くと、すぐに彼女を連れて車で病院を後にした。翌日の午後、咲夜は千暁に付き添われ、経過観察のため病院を訪れた。そこでちょうど、数日前から出張に出ていた良太と顔を合わせた。良太は千暁を呼び止め、少し離れたところで話し始めた。一方、咲夜は患部がどの程度回復しているのか確認するため、画像検査を受けることになっていた。千暁と良太が何やら真剣な表情で話し込んでいるのを見て、咲夜は二人を邪魔せず、そばにいた介助スタッフに車椅子を押してもらい、そのまま検査室へ向かった。検査を終えて出てくると、外には瞳が待っていた。どうやら、わざわざ咲夜を待っていたらしい。瞳の顔色は決して良いとは言えなかったが、葬儀の日に比べれば、いくらかましになっていた。彼女を見た瞬間、咲夜はふと気づいた。瞳とは、もう十数日も顔を合わせていない。葬儀が終わった日から数えれば、もう半月ほど経っているはずだ。瞳の頬は以前よりずいぶん痩せこけていた。瞳はゆっくりと咲夜の前まで歩み寄ると、車椅子に座る咲夜を見下ろした。「検査に来たの?足の具合はどう?まさか本当に一生歩けなくなったわけじゃないでしょうね」そう言って、瞳は嘲るように鼻で笑った。「咲夜、前に自分で言ったことが現実にならないよう、せいぜい気をつけることね。役立たずの千暁兄ちゃんは結局、障害が残らなかったけど、そのツケがあなたに回ってきて、本当に歩けなくなったりして」鮮やかな赤い唇から吐き出される言葉は、どれも刃のように鋭く、胸を抉った。瞳の中には、今も怒りが残っている。その怒りは、咲夜に対する根深い恨みに変わっていた。そんな酷い言葉を聞き、咲夜は何か言い返そうと口を開いた。しかし、いざ言葉にしようとすると、何を言っても無意味なように思えてしまった。そんな咲夜の沈黙が、瞳をさらに苛立たせた。瞳は拳を強く握り締め、憎々しげに咲夜を睨みつける。「千暁兄ちゃん、今あなたの家に住んでるんですって?千暁兄ちゃんもよくそんな真似ができるわね。落ちぶれた挙げ句、破産した花江家に養ってもらわなきゃ生きていけないなんて。でも、いくら今のあなたに多少お金が残ってるからって、いつまで持つのかしら?」瞳は皮肉
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第734話

「今のあなたと千暁兄ちゃんは、本当に夫婦仲がよろしくて、幸せいっぱいみたいね」瞳は咲夜を睨みつけた。「母を犠牲にしておいて、よくそんなふうに仲良し夫婦を演じられるわね。母が亡くなってまだ日も浅いっていうのに、千暁兄ちゃんはもうあなたといちゃついてる。あなたたち、本当にお似合いだわ」その言葉から、瞳が咲夜と千暁にどれほど不満を抱いているかは、嫌でも伝わってきた。咲夜は無表情のまま彼女を一瞥し、淡々と答えた。「ありがとう。私も千暁とはすごくお似合いだと思ってる。いや、お似合いどころか、これ以上ないくらい最高の組み合わせでしょ。私たち、きっと幸せになるから」たったそれだけで、瞳は言葉に詰まった。何より、咲夜のまるで気にも留めていないような飄々とした態度が、瞳の神経を逆撫でした。もともと咲夜が口の達者な女であることは知っていたが、まさか自分を相手にしてもここまで容赦なく言い返してくるとは思っていなかった。「瞳」そのとき、検査結果の書類を何枚か手にした遥斗が、ゆっくりと瞳のそばへ歩いてきた。そして咲夜に目を向ける。「花江さん、奇遇だね。こんなところで会うとは」遥斗の顔にはまだわずかに血の気が足りなかったものの、少し前に比べればずいぶん回復している。咲夜は彼を一度見ただけで、軽く頷いて挨拶に代えた。「検査結果も全部受け取った。もう行こう」遥斗は瞳に声をかけた。あの交通事故について、対外的には軽傷と発表されていたものの、実際には遥斗も決して軽傷ではなかった。今日はその経過観察のために病院を訪れており、各検査の結果に問題がなければ、あとは自宅で安静に療養すればいいことになっていた。瞳は絢子の葬儀が終わってから、ずっと荻野家に残り、遥斗の世話をしていた。恭介も当初は瞳のそばに付き添っていたが、その後、五十嵐家で対応しなければならない用事ができたため、一足先に帰っていた。しかし今の瞳には、遥斗の言葉などまるで耳に入っていないようだった。瞬きすらせず咲夜を見つめ、その眼差しは凍りつくほど冷たかった。ちょうどその頃、良太との話を終えた千暁が戻ってきた。咲夜が二人と向き合っているのを目にすると、千暁は足早に彼女のもとへ歩み寄り、小声で尋ねた。「大丈夫か?」咲夜は彼に向かって、わずかに微笑んだ。そん
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第735話

遥斗は手を伸ばし、瞳の頭を軽く撫でた。「行こう。家に帰るぞ」その声で、瞳はようやく我に返った。遥斗のそばへ寄り、「遥斗兄ちゃん、お医者さんは何て?」と尋ねる。検査結果の書類を見ても瞳にはよく分からなかったため、細かく目を通すのは最初から諦めていた。遥斗は歩きながら答えた。「特に問題はないって。あとは家で何日かゆっくり休めばいいらしい」「よかった」瞳はほっと胸を撫で下ろした。先ほどまで瞳が緊張した面持ちだったことに遥斗も気づいていたらしく、心配する必要はないと改めて言い聞かせた。帰りの車も、運転するのは瞳だった。助手席に座った遥斗は、相変わらず険しい表情を浮かべている彼女を見て、ため息をついた。「まだ兄さんに腹を立ててるのか?」瞳は横目で遥斗を見て、不満そうに唇を尖らせた。「怒っちゃいけないの?女一人のために何もかも捨てたのよ。それなのに私が笑って幸せを祈ってあげなきゃいけないわけ?」この話になると、瞳の胸にはたちまち怒りが込み上げてくる。今の彼女は、咲夜の名前を耳にしただけで、たちまち感情を爆発させ、今すぐにでも咲夜のもとへ押しかけて罵声を浴びせ、胸の内に溜まりに溜まった鬱憤をすべてぶちまけたい衝動に駆られていた。今の瞳が冷静さを失っていることは、誰の目にも明らかだった。当然、遥斗もそれに気づいていた。怒りで頬を強張らせている瞳をしばらく見つめてから、静かに口を開く。「お前と花江さんは何年も付き合いがあるだろ。彼女がどんな人間か、お前が一番よく知ってるんじゃないのか?事故なんて、誰も起きてほしいと思ってなかった。瞳、何もかも花江さんのせいにするのは違う。それじゃ彼女があまりにも気の毒だ」遥斗は根気強く、あの事故にいつまでも囚われないよう瞳を諭した。瞳はハンドルを握る両手にぎゅっと力を込めた。そして遥斗が言い終えた直後、感情を抑えきれなくなったようにハンドルを強く叩き、車を道路脇へ寄せて停めた。「遥斗兄ちゃんはいったい誰の味方なの!?」瞳は怒りを露わにして遥斗に叫んだ。「遥斗兄ちゃんには私の気持ちなんて分からないでしょ!お母さんへの思いだって私とは違う。それなのに、どうしてそんなふうに私を説得できるのよ!」遥斗は困ったように彼女を見た。「瞳、母さんは俺にとっても母さんなんだ。俺だっ
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第736話

一方、咲夜は千暁と一緒に病院を出てからというもの、ずっと彼の視線が自分に向けられていることに気づいていた。それどころか、助手席に座っている良太まで、何度も振り返って咲夜の様子を窺っている。二人の視線に気づき、咲夜は顔を上げた。「どうして二人とも私ばっかり見てるの?瞳とは別に喧嘩したわけじゃないよ」それを聞いた良太は、すぐに言った。「あの子はもともとああいう性格だし、母親を亡くしたばかりだから、どうしても考え方が極端になってるんだよ。あまり気にしないでやってくれ」咲夜は瞳とは何もなかったと言っていたものの、あの場にいた者なら誰でも、二人の間に流れる空気がただならないことくらい分かる。何かあったのは間違いない。何より、今の瞳は咲夜を恨んでいる。そのせいで、口にする言葉もどうしてもきつくなってしまうのだろう。かつてあれほど固い絆で結ばれていた二人が、まさかこんな関係になってしまうとは、誰が想像しただろう。良太でさえ、見ていて複雑な気持ちにならずにはいられなかった。咲夜は彼の言葉に、ただ小さく頷いた。「分かってる。別に気にしてないよ」実際、瞳に言われたことを咲夜はそれほど気にしていなかった。母親を亡くした瞳の痛みを、咲夜が本当の意味で理解することはできない。だからこそ、瞳には悲しみから立ち直るための時間が必要なのだということも分かっていた。咲夜の返事を聞き、良太はようやく内心でほっと胸を撫で下ろした。彼が心配していたのは、瞳がいつか冷静さを取り戻したときには、すでに咲夜との友情が取り返しのつかないほど壊れてしまっていることだった。今の咲夜がそう考えてくれているのなら、それに越したことはない。咲夜は「大丈夫」と伝えるように、良太へ穏やかな眼差しを向けた。そのとき、千暁が手を伸ばし、咲夜の手をそっと握った。何も言わず、ただその手の温もりで彼女を慰める。咲夜は小さな声で言った。「私、本当に大丈夫だよ」千暁は彼女を見つめながら口を開いた。「足がもう少し良くなったら、どこか旅行に行こう。遠くじゃなくていい。近場をのんびり回って気分転換しよう。俺が運転するから」母親が亡くなってからというもの、千暁は咲夜を十分に気遣う余裕がなかった。今では瞳との関係までこんな状態になっている。咲夜は口では平気だと言っ
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第737話

大切に思うあまり、かえって冷静さを失ってしまうこともある。雅紀はあまりにも焦っていた。そのせいで、まんまと罠にはまってしまったのだ。雅紀が自責の言葉を口にするにつれ、真奈美の泣き声もさらに大きくなった。「私、あのとき言ったでしょう。あの藤井の言うことを全部信じちゃ駄目だって。少しは手元にお金を残しておきなさいって。それなのに、あなたは全然聞かなかった。これで全部なくなっちゃったじゃない。これからどうするのよ……」真奈美は激しく泣き続けた。とはいえ、雅紀を責めたいわけではなかった。むしろ、自分がどうしてあのとき、投資にのめり込んでいく雅紀を止めきれなかったのかと、自分自身を責めていた。あの時点で、どう考えても怪しいとは感じていたのに。真奈美の言葉を聞くたび、雅紀はますますいたたまれない気持ちになった。青ざめた顔のまま、真奈美に腕をつかまれ、何度か叩かれても抵抗しようとはしない。こんなことになってしまい、雅紀自身も苦しくないはずがなかった。それでも今は、ただ黙って受け止めるしかなかった。咲夜は驚きを露わにして雅紀を見つめた。資産運用?父親が誰かに勧められて投資をしていたなんて、咲夜はまったく知らなかった。こんなにも分かりやすい罠に、どうして――そこまで考えたところで、咲夜は込み上げる言葉を胸の奥へ押し込めた。今は雅紀本人も十分に苦しんでいる。ここで自分まで責め立てれば、さらに追い詰めるだけだ。千暁が低い声で口を開いた。「藤井の氏名、住所、電話番号。それから、その運用会社の名前も全部教えてください。灰原に調べさせます」雅紀は少しもためらわず、千暁が求めた情報を一つ残らず伝えた。話し終えると、また恥ずかしそうに俯いた。千暁はすでに真澄に電話をかけていた。「今の話、聞こえてたな?あとで名前を送る。調べてくれ」そう言って電話を切ると、すぐに藤井の氏名と写真を真澄へ送った。雅紀は横目で千暁を見て、悔しそうに呟いた。「藤井のことも会社のことも、もう調べてもらったんだ。でも、本当に跡形もなく消えたみたいで、どうしても見つからない」藤井と連絡がつかなくなり、慌てて資産運用会社へ駆けつけたところ、すでにもぬけの殻になっていた。その瞬間、雅紀は目の前が真っ暗になった。怒りとショックが
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第738話

千暁は咲夜の手を握った。そして雅紀を見ながら、落ち着いた声で言った。「お義父さん、大丈夫ですよ。俺と咲夜にはまだ手元に金がありますし、お義父さんの財産がなくなっても、生活に困るわけじゃありません」雅紀があれほど簡単に怪しい資産運用の話を信じてしまったのも、もとはといえば咲夜と千暁のことを心配していたからだ。だからこそ千暁は、雅紀の気持ちを汲んで慰めた。金だけの問題なら、そこまで大したことではない。咲夜も隣から頷いた。「千暁の言うとおりだよ。私たち、まだ十分お金はあるから」だが二人がそう言えば言うほど、雅紀の胸には申し訳なさが募っていった。とはいえ、このまま何も言わなければ、咲夜も千暁も安心できないだろうということは分かっている。二人に見つめられ、雅紀は覚悟を決めたように口を開いた。「全部だ……今住んでるこの家以外は、全部つぎ込んでしまった」つまり、残っているのは今暮らしているこの家だけで、それ以外の財産はすべて失ってしまったということだった。真奈美は涙声で言った。「せっかく咲夜のために貯めてた結婚資金まで、全部なくなっちゃったのよ。あなたって人は……」そう言いながら、腹立ち紛れに雅紀の腕をぎゅっとつねる。雅紀も抵抗することなく、妻が自分の腕をつねって怒りをぶつけるに任せていた。咲夜も、その被害額にはさすがに驚いた。だが表情には出さず、静かに二人を宥める。「お金はまたどうにでもなるよ。少なくとも、住む家は残ってるんだから」それだけでも、不幸中の幸いと言えた。すると千暁はポケットから一枚のキャッシュカードを取り出し、雅紀へ差し出した。「このカード、お義父さんに渡します。まだそれなりの額が入っているので、今はまずこれを使ってください」そのカードは、もともと咲夜が千暁に渡したものだった。つい先ほども、残高を全て使ったから、もう少し入金してくれと咲夜に頼んでいた、あのカードである。それを今、雅紀を安心させるためとはいえ、千暁は少し名残惜しそうにしながらも差し出したのだ。雅紀は体を固くしたまま、一瞬、手を伸ばすことすら忘れていた。自分の記憶が正しければ、このカードは咲夜のものではなかったか。千暁が荻野家を追い出され、何も持たずに家を出たという話も、世間が大げさに騒いでいるだけだと雅紀は思って
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第739話

つまり、この一件は最初から最後まで、すべて仕組まれた詐欺だった。荻野家側が最初から用意していた罠なのだ。咲夜は心配そうに千暁を見つめた。「あなたはもう何も持たずに荻野家を出たのに、それでもまだ許すつもりがないの?徹底的に追い詰めるつもりってこと?」天志は、何だかんだ言っても千暁の父親だ。それなのに、父親が自分の子供にここまで非情になれるなど、咲夜には到底想像できなかった。しかも、どこまでやれば気が済むのか、まるで底が知れない。父子の情さえ顧みず、千暁を徹底的に追い詰めようとしていると知り、咲夜は彼のことが心配になった。千暁は咲夜の前でゆっくりとしゃがみ込み、彼女と同じ目線の高さになった。「いつものやり方だ。徹底的に叩き潰して、現実を思い知らせる。それから、自分の前に屈服させるんだ」天志は昔から、追い詰めてはわずかに逃げ道を与える手口で千暁を支配しようとしてきた。千暁にとっては、もはや慣れきった手口だった。咲夜は呆れたように笑った。「こんな父親、本当に初めて見た」天志については、もう何と言えばいいのかさえ分からなかった。咲夜には、ただただ恐ろしいとしか思えなかった。千暁が幼い頃から荻野家でどれほど息の詰まるような生活を送ってきたのか、想像することさえできなかった。千暁はそんな咲夜に言った。「心配するな。俺が折れることはない。ただ、あの人もこれくらいで簡単に引き下がるような人間じゃない。間違いなく、まだ何か仕掛けてくる」天志という人間を、千暁は誰よりもよく知っていた。その言葉を聞き、咲夜の胸には言い知れない不安が広がった。そして実際、事態は千暁の予想どおりに進んでいった。天志が手を出したのは、雅紀だけではなかった。咲夜が進めていた複数の投資案件にも介入し、次々と横取りしていったのだ。天志は以前から、花江グループが破産したあと、咲夜がひそかに小さな会社を立ち上げていたことを知っていた。そして、その情報を天志へ伝えたのは、ほかでもない。咲夜がずっと信頼してきた瞳だった。ただでさえ会社は設立したばかりで、まだ軌道にも乗っていない。そこに天志に目をつけられ、立ち上げたばかりの会社はたちまち存続の危機に追い込まれた。咲夜も、執拗に追い詰めてくる天志のやり方には、心底うんざりしていた
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第740話

咲夜は調査への対応を終えたあと、瞳と鉢合わせた。そのとき、咲夜のそばにいたのは千雪だけだった。瞳の姿を目にした瞬間、千雪はすぐさま警戒した表情を浮かべた。瞳は自分から咲夜の前まで歩いてきて、足を止めた。千雪は彼女を追い払おうとしたが、咲夜がそれを制した。「小林さん、悪いけど水を一本買ってきてくれる?ちょっと喉が渇いたの」咲夜はそう言って、わざと千雪をその場から離れさせた。千雪としては、咲夜を一人で瞳の前に残すのが心配だった。しかし咲夜が大丈夫だという眼差しを向けたため、仕方なくその場を離れた。「これで満足?」千雪が立ち去ると、咲夜は瞳から目を逸らすことなく尋ねた。今回の一連の騒動に瞳が関わっていることは、咲夜にもよく分かっていた。瞳はその問いかけにも表情一つ変えない。「どう思う?」口元に浮かんでいるのは、嘲るような笑みだった。咲夜はじっと彼女を見つめた。「これで少しでもあなたの気が晴れるなら、もういいよ。私の負けでいい。何も言うことはないから」本当に、これ以上言うことなどなかった。これほど長い付き合いがあったというのに、瞳は一度咲夜を憎むようになると、ここまで極端なやり方で咲夜を追い詰めてきた。長年の友情さえ顧みず、咲夜の弱みを的確に突き、逃げ道を塞ぐように容赦なく攻撃してきたのだ。今さら咲夜に、何が言えるというのだろう。瞳はおかしそうに笑った。「私の前で無実のふりなんかしなくていい。これは咲夜の自業自得よ。遥斗兄ちゃんまで、今回のことはあなたとは何の関係もないって言ってた。でも、そんなわけないでしょう?あなたが株を私に売ってくれていたら、母だってあんな極端な行動には出なかった」瞳は今にも爆発しそうな感情を必死に抑えながら続けた。「母が病気だったことは、あなたもよく知ってたでしょう。強い刺激に耐えられないことだって分かってたはず。あなたにどんな計画があったとしても、母を巻き込むようなやり方を選ぶべきじゃなかった」瞳だって、咲夜があのような行動を取ったのには、それなりの考えがあったのだろうと分かっていた。それでも、死んだのは生まれた時からずっと自分を必死に守ってくれた母親なのだ。目を閉じるたび、瞳の脳裏には血まみれになった絢子の無惨な姿が浮かんでくる。耳元では、母親の悲
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