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第1041話

美雨は今、展望技術の株を手に入れるためだけにこんな口約束をしているが、自分の利益になるとなれば、後になって今日の言葉など平然と反故にするだろう。だから、雅也は彼女を展望技術に介入させる隙を一ミリも与えるつもりはなかった。美雨の顔が強張った。雅也がここまで即座に拒絶するとは予想していなかったのだ。しかし、あの藤堂グループの10%の株を手元に残したままにしておけば、利益を生むどころか、泰造から強引に奪い取られ、あの無能な健太の手に渡るだけだ。あんな無能な穀潰しに奪われるくらいなら、いっそ自分で売り払って現金化した方がマシだ!「桜井社長、もう少しだけ交渉の余地はありませんか?せめて0.5%だけでも……」雅也の顔には微塵の温度もなかった。「お引き取りを」雅也の揺るぎない態度を見て、美雨は展望技術の株を手に入れるのは不可能だと悟った。彼女は深く息を吸い込み、雅也を真っ直ぐに見据えた。「桜井社長。株の交換に応じていただけないなら、私が保有する10%の株を、そのまま買い取っていただくことはできませんか?」雅也は書類を置き、片眉を上げて彼女を見た。どうやら彼女は、あの株を一刻も早く手放したがっているようだ。雅也は極めて冷淡に答えた。「買い取るのは構わないが、十億円しか出せない」「……何ですって!?」美雨は信じられないというように目を見開き、冷たく言い放った。「桜井社長、冗談を仰っているのですか!?」藤堂グループの10%の株だ。市場価値で見れば最低でも百億円は下らない。それをたった十億円で買い叩く気か?雅也は無表情のまま彼女を見据えた。「聞き間違いじゃない。十億円だ。もし不服なら、今すぐ帰ってくれて構わない。株を売りたがっているのはそちらであって、俺がどうしても買いたいと頼み込んでいるわけじゃないんだからな」藤堂グループの株など、今の彼にとっては全く無価値なガラクタだ。十億円でも十分すぎるほどの色をつけてやったつもりだった。美雨は車椅子の肘掛けを強く握り締め、屈辱に顔を歪ませた。十億円。あまりにも足元を見られた額だ。だが、もしここで一刻も早く売り払わなければ、最終的にこの十億円すら手に入らなくなる可能性が高い。健太にあれを奪われるくらいなら、二束三文でも桜井雅也に売り飛ばした方がマシだ。「
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第1042話

健太の顔が強張った。もしまともに金を払って買い取るつもりなら、わざわざ美雨の元へ交渉に来たりなどしない。「美雨、調子に乗るなよ。お前が爺さんから10%の株をもらえたのは、水瀬律と離婚するという条件を呑んだからだろう。自分では何も会社に貢献していないくせに、どうしてその株をタダで抱え込む権利があるんだ!?」美雨は挑発的に笑った。「どうしてって?あなた自身が今言ったじゃない。あの10%の株は、私が水瀬律と離婚した正当な対価よ。どうして私が、それをあなたに無償でくれてやらなきゃならないの?」「てめえ!」健太は顔を陰惨に歪め、彼女を指差して冷酷に言い放った。「忘れるなよ。お前が海外へ行った後、お前の生活費を仕送りするのは藤堂家だ。もし今俺を怒らせれば、今後一円たりとも金が振り込まれることはないからな!」「そう。なら要らないわ。どのみち、あなたが私の株を『タダ取り』できる日なんて永遠に来ないけどね!」何も対価を支払わず、ただ脅して株を奪おうとするなど、恥知らずにも程がある!「いいだろう、後悔するなよ!」健太は激怒して邸宅を飛び出し、玄関のドアが壊れんばかりの轟音を立てて閉まった。彼が去るのを見届け、傍で息を潜めていた家政婦の石田がようやく歩み寄ってきた。「美雨様。あんな風にお大旦那様や健太様を怒らせてしまって……この先、どうなさるおつもりですか!?」美雨は彼女を一瞥し、無表情で答えた。「あいつらの今の無様な有様を見て、この先あいつらを頼りにできるとでも思っているの?」彼女はすでに悟っていた。この世で頼れるのは自分自身だけだと。石田がさらに何かを言いかけようとしたが、美雨は面倒そうに手を振って制した。「もういいわ、何も言わないで。聞きたくないわ。時間があるなら、水瀬律のところへ行って、慎を引き取ってきてちょうだい」以前、律が展望技術のコアデータを違法に窃取したという噂は彼女の耳にも入っていた。今回逮捕されたとなれば、彼が再び娑婆に出られる可能性は極めて低い。慎は自分の手元に引き取るしかなかった。「……はい、すぐに参ります」「ええ。私は書斎にいるから、無駄な用事で邪魔しないで」言い捨てるなり、彼女は車椅子を操作して書斎へと向かった。彼女の背中を見送り、石田は小さくため息をつき、それ以上説得するのを
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第1043話

律は静かに目を伏せたが、その瞳の奥には冷酷な憎悪が過った。美雨が慎を連れて本国を発ってくれれば、自分にはもう何の未練も、後顧の憂いもない。自分をこんな絶望の淵へ叩き落とした桜井雅也を、絶対に許しはしない!警察署を出た後、美雨は即座にアシスタントに命じて慎の出国手続きを済ませ、明朝のフライトを手配させた。彼女が家に戻ると、石田がすでに慎を連れ帰っていた。美雨の姿を見るなり、慎は彼女の胸に飛び込んできた。「お母さん!」美雨は彼の頭を優しく撫でた。「ええ、慎。この後、一緒にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんのところへご飯を食べに行きましょう。いいわね?」慎はおずおずと顔を上げ、不安げに尋ねた。「お母さん。僕、またお父さんのところに連れて行かれちゃうの?僕、お父さんのところにはもう行きたくないよ……」「安心して。二度と行かせないわ。これからはずっとお母さんと一緒よ」慎は一瞬パッと顔を輝かせたが、すぐに曇らせた。「じゃあ、お父さんは?お父さんは僕たちと一緒に来ないの?」美雨の顔からスッと笑みが消えた。「ええ、私とお父さんはもうお別れしたの。これからは、私かお父さん、どちらか一人しか選べないのよ。あなたは私と一緒に行く?それとも、お父さんのところに残る?」もし彼が律を選ぶというなら、美雨は彼を置いて一人で出国するつもりだった。美雨が機嫌を損ねたのを察知し、慎は小さな顔を青ざめさせた。両親の離婚騒動を通じて、彼はすでに「大人の顔色を窺う」という術を身につけていた。今この状況で「お父さんのところへ行きたい」や「家族三人で暮らしたい」などと言えば、母親が激怒することは本能で理解していた。彼は無意識に小さな拳を固く握り締め、怯えたような目で美雨を見上げた。「お母さん、僕は……お母さんと一緒にいたい。いい?」その言葉を聞き、美雨の口角が再び上がった。彼女は慎の頭を撫でた。「もちろんよ!さあ、石田さんと一緒に二階でお風呂に入ってきなさい。それが終わったら、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのところへ行くわよ」「うん」石田に手を引かれて慎が二階へ上がると、美雨はスマホを取り出し、綾に電話をかけた。「お母さん、後で慎を連れて実家にご飯を食べに行くわ。ついでに、伝えておきたいことがあるの」昼前、美雨は慎を連れて両
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第1044話

「私が引き取らなかったら、あの子が野垂れ死ぬのを黙って見ていろと言うの?」綾は深くため息をついた。慎が自分の孫である以上、彼が不幸になるのを望んではいない。だが、それはあくまで娘のこれからの人生の幸福を犠牲にしない範囲での話だ。「そんなことは言っていないわ。でも、あの子を一緒に海外へ連れて行くのは絶対に反対よ。どうしてもと言うなら、あの子はここに置いていきなさい。私とお父さんで面倒を見るわ」その提案を、美雨は一蹴した。「ダメよ。もう慎の出国手続きも済ませてあるの。明日の朝一番のフライトで一緒に出国するわ。絶対にここには残さない」自分が持っていた藤堂グループの株を桜井雅也に売り飛ばしたと知れば、泰造と健太は必ず激怒して報復に出る。その時自分が海外にいれば、本国に残された慎が彼らの格好のサンドバッグにされるのは目に見えている。両親は泰造の実の息子とその妻だ。泰造が二人にひどい仕打ちをすることはないし、健太ならなおさらそんなことはできない。綾は怒りで顔を青ざめさせた。「どうしてそんなに強情なの!私はあなたのことを思って言ってるのよ!」「お母さん。自分のことは自分で決めるわ。それに、水瀬律が慎のためにまとまったお金を残してくれたの。あの子が私のお荷物になることはないわ」律の名前が出た途端、綾はさらに腹を立てた。あいつのせいで、娘はこんな惨めな境遇に転落したのだ。だが、今更何を言っても手遅れだ。「あの子をどうしても連れて行くと言うなら、もうこれ以上は止めないわ。でも、後で泣きを見ることになるのはあなた自身よ。その覚悟はできているのね?」美雨は面倒そうに返した。「お母さん、安心して。これから先、どんなに苦労しようが、絶望しようが、絶対にあなたに泣きついたりしないから」「私が泣きつかれるのを嫌がっていると思っているの!?あなたが後悔する日が来るのが怖いのよ!」「先のことなんて後になってみないと分からないわ。今はそんなこと考える気にもならない」二人が言い争っていると、父親の藤堂泰臣(とうどう やすおみ)が書斎から出てきた。険悪な空気を察し、彼は顔をしかめた。「どうした?娘がせっかく帰ってきたというのに、また何か小言でも言ったのか?どうして二人ともそんな顔をしている」綾はフイッと顔を背け、無言を貫いた。
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第1045話

両親は言葉を失い、ただただ愕然として美雨を見つめた。二人の顔には、隠しきれないショックと絶望が張り付いていた。泰臣が最初に口火を切った。「お前は狂っているのか!?どうして自社の株を、わざわざ展望技術なんかに売り飛ばしたんだ!?」綾は目を真っ赤に充血させ、顔を背けて美雨から視線を外した。普段は泰造の理不尽な振る舞いに不満を抱いていた彼女も、会社の株式という根幹に関わる問題においては、当然夫の側に立つ。泰造は冷酷な目で美雨を見下ろした。「三日間の猶予を与えよう。何としてでも藤堂の株を買い戻してこい。もしできなければ、お前は二度と藤堂を名乗るな。一族から除籍する!」その言葉に泰臣は血の気を失い、慌ててすがりついた。「お父さん、どうかそれだけは……!」「黙れ!」泰造は冷酷に怒鳴りつけた。「自分の会社の管理もできず、娘のしつけすらまともにできない無能が!お前がこれ以上この愚か者を庇うというなら、お前もろとも一族から追放する!二言はないぞ!」泰臣は表情を曇らせ、それ以上口を開くことができなかった。美雨は顔を上げ、泰造に向かって冷ややかに笑い返した。「株はもう売却した。しかも、たった十億円という破格の安値で桜井雅也に売り渡したの。今更二十億積んだところで、彼が手放すわけがないでしょう?」「……何だと!?お前、あの10%の株を、たった十億円で売り飛ばしたと言うのか!?この……この大馬鹿者が!!」激高した泰造は手を振り上げ、美雨の顔面を渾身の力で張り飛ばした。その衝撃と怒りで自らもよろめき、健太が慌てて支えなければそのまま床に崩れ落ちていただろう。美雨は顔を激しく弾かれ、車椅子から転げ落ちそうになった。しかし彼女はすぐに体勢を立て直し、顔を真っ直ぐに上げ、完全な無表情で泰造を見据えた。「私が桜井雅也に売らなければ、この十億円すら手に入らなかったでしょうね。何しろ、お爺様と健太は、一円の対価も払わずに私から株を没収するつもりだったのだから!」「貴様……!」泰造は怒りで顔を紫に染め、呼吸困難に陥りそうになった。10%の株だ!それをたった十億円で、ライバル企業に売り渡しただと!?彼は美雨を震える指で差し、怒号を響かせた。「今日を限りに、お前は私の孫娘ではない!藤堂家にお前のような人間の居場所はな
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第1046話

泰臣は信じられないというように顔をしかめた。「お前、頭でもおかしくなったのか?」「ええ、おかしくなったわ!もう離婚よ!」泰臣は無意識に拳を握り締め、冷酷に言い放った。「娘が目の前にいるというのに、恥知らずなことを大声で喚くな!相手にするのも馬鹿馬鹿しい!」綾がこれ以上ヒステリーを起こすのを恐れるように、彼は言い捨てるなり足早に書斎へと逃げ込んだ。綾は彼を追いかけることはせず、ソファに崩れ落ちて顔を覆い、声を殺して泣き始めた。その姿を見て、美雨の胸に鋭い罪悪感が込み上げた。「お母さん……ごめんなさい。私が株を売ったりしなければ、お父さんがお母さんに手を上げることもなかったのに」美雨の記憶の中では、両親の仲は決して悪くなかった。彼女の目の前で激しくいがみ合うことなど滅多になかったはずだ。今回、泰臣があれほど取り乱して手を上げたのは、それだけ泰造の逆鱗に触れたことへの恐怖と絶望が大きかったからだ。綾は涙を拭い、美雨を見つめて言った。「美雨。最初に健太から、あなたが株を桜井雅也に売ったと聞いた時は、正直私も腹が立ったわ。どうして自分の家の株をよそ者に売り渡したのかって。でもね、今はあなたの方が正しかったって分かったの。もしあなたが売らずに手元に残していれば、結局はお義父様と健太に理不尽に強奪されるだけだった。それならいっそ売り払って、手元に現金を残した方がよっぽど賢いわ」仮に美雨が健太にすべての株を譲渡したとしても、あの健太の性格だ。美雨に感謝するどころか、「これは元々俺のものだ」と当然の権利のように振る舞うに決まっている。美雨は少し驚き、目を丸くした。まさか母親が自分の決断を理解してくれるとは思っていなかったのだ。この瞬間、彼女はようやく「親の心、子知らず」という言葉の真意を痛感した。彼女は目を潤ませ、母親を見つめた。「お母さん……ありがとう!」綾は涙を拭い、美雨の車椅子の前にしゃがみ込み、声を詰まらせながら言った。「明日の朝、予定通り慎を連れて出国しなさい。あなたは株を売り、お父さんはあんな頼りない有様だもの。もし慎を本国に残していけば、あの子は健太たちの怒りの捌け口にされて、絶対に酷い目に遭うわ。あなたが連れて行くのが一番安全よ」元々、彼女は慎を本国に残し、美雨だけを出国させようと考え
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第1047話

一方、弁護士の奔走により、律は一時的に保釈された。帰りの車中、彼は助手席の秘書に向かって尋ねた。「俺が不在の間、会社の状況はどうだった?」秘書の顔色は最悪だった。「社長……社長が警察に連行されたというニュースが流れてから、この数日間、会社の株価は暴落し続けています。多くの株主がすでに手持ちの株を投げ売りし、現金化して逃げ出そうとしています」律の表情は一気に険しくなり、冷酷な声で吐き捨てた。「あの老いぼれどもめ。普段は偉そうにふんぞり返っているくせに、少し風向きが悪くなっただけで我先にと逃げ出しやがって!救いようのないクズどもだ!」「社長、すでに数名の株主が、かなりの安値で株を手放しておりまして……」「先に会社へ戻るぞ!」これ以上奴らに株を売り叩かせれば、一ヶ月も経たずに創和は完全に崩壊する。「かしこまりました……」隣に座っていた弁護士が困惑したように口を挟んだ。「水瀬社長。現在最優先すべきは、展望技術から提起されている訴訟の解決です。もしこの件を妥当な形で着地させられなければ、社長は再び……」その先の言葉は飲み込んだが、律には痛いほど分かっていた。彼は冷え切った声で遮った。「俺が莫大な報酬を払ってお前を雇ったのは、そんな当たり前の説教を聞くためじゃない!俺が求めているのは、あの裁判での勝訴だ!」弁護士は困惑した。展望技術が提出した証拠は、法的に見て完璧に近いほど揃っている。こちらには、あの証拠が捏造であると反証できる材料が一つもないのだ。こんな状態でどうやって勝てというのか。今回、彼の手腕でどうにか一時保釈に漕ぎ着けただけでも、奇跡に近い成果なのだ。もし彼が再び逮捕されれば、もう二度と娑婆に引き戻す自信はない。「水瀬社長。もし展望技術の提出した証拠がすべて事実であるなら、これ以上の法廷闘争は無意味です。最悪の事態を見据え、早期に次の手を打たれることをお勧めします」律の顔が陰惨に歪み、無表情のまま弁護士を見つめた。何も言わなかった。車内に息の詰まるような重苦しい沈黙が降りた。空気の密度すら変わったかのような圧迫感だった。弁護士も秘書も、律の逆鱗に触れることを恐れて呼吸すら満足にできなかった。創和の本社ビル前に車が到着し、律はようやく冷ややかな声で口を開いた。「お前は裁判所に
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第1048話

かつては絶えず人の出入りがあり、活気に満ちていた創和の最上階は、今や冷え切った静寂に包まれていた。数名の秘書が、自分のデスクでひっそりと作業をしているだけだ。律は表情を怒りに歪ませ、その中の一人を捕まえて怒鳴りつけた。「他の奴らはどこへ行った!?どうしてこれしかいない!」背後から突然響いた律の怒声に、秘書はビクッと肩を震わせた。振り返り、それが社長本人であると確認すると、慌てて立ち上がった。「しゃ、社長!お疲れ様です」「他の連中はどうしたと聞いている!どこへ消えた!」秘書の顔色が青ざめ、おずおずと答えた。「他の方々は……全員、退職されました……」彼は恐ろしくて言えなかった。今ここに残っている自分たちもすでに退職届を提出しており、数日後に業務の引き継ぎが終わり次第、全員この会社を去る予定だということを。律の顔は怒りで真っ赤になった。「株主全員に連絡しろ!三十分後に会議室に集合だ!」「は、はい……直ちに!」秘書は逃げるようにその場を離れた。社長室に戻った律は、デスクの上に山積みにされた未決裁の書類の山を見て、さらに苛立ちを募らせた。あの無能どもめ!自分がたった数日不在にしただけで、これだけの書類が放置されている。他の取締役に処理を回すという知恵すらないのか。三十分後。かつては株主たちで隙間なく埋まっていた会議室は、今や半分以上の席が空席となっていた。上座に座る律は、顔を背け、彼と目を合わせまいとうつむく残りの株主たちを冷酷に睨み下ろした。「他の連中はどこへ行った?全員死んだのか?」一人の株主が、勇気を振り絞って口を開いた。「水瀬社長……一部の株主はまだ出社しておらず、また一部の株主は……すでに手持ちの株を売却し、創和を去りました……今日出社している株主は、ここにいる者がすべてです」律は鼻で笑い、手元のファイルをテーブルに叩きつけた。「俺がたった数日留置所に入っただけで、蜘蛛の子を散らすように逃げ出しやがって。自分に火の粉が降りかかるのがそんなに怖いか?」発言した株主は慌てて首をすくめ、再び押し黙った。「いいだろう。これ以上待っても誰も来ないなら、今すぐ会議を始める。俺が不在だった間の会社の状況を報告しろ」残された株主たちは顔を見合わせ、誰も口火を切ろうとしなかった。
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第1049話

律は険しい表情を崩さぬまま、一切反論しなかった。会議室に重苦しい沈黙が降り、互いの荒い呼吸音だけが微かに響いていた。「……分かった。お前たちは、まず俺のデスクに山積みになっている未処理の案件を片付けろ。スキャンダルの火消しについては、俺が必ず何とかする。創和は絶対に潰させない!」彼の言葉は力強く響いたが、株主たちの不安を拭い去るには程遠かった。律のその焦燥しきった表情からして、展望技術のコアデータを窃取したというスキャンダルは、十中八九事実なのだろうと全員が確信していた。だからこそ、あの銀河チップをあんな異常なスピードで市場に投入できたのだ。もし展望技術が決定的な証拠を握っているなら、コアデータの窃取というたった一つの罪状だけで、創和を丸ごと売り払っても賠償金を払いきれないだろう。「……はい」株主たちの顔色が土気色に染まっているのを見て、律は忌々しげに手を振った。「いい、全員出て行け」あいつらの絶望しきった顔を見ているだけで、苛立ちが倍増する。株主たちが次々と退出していき、間もなく会議室には律ただ一人が残された。彼は誰もいない会議室に長時間座り込み、やがてゆっくりと立ち上がって社長室へと戻った。今回の保釈期間は極めて短い。彼は残された時間を無駄にすることはできなかった。社長室に戻るなり、彼は秘書を呼びつけた。「今すぐ、会社の口座に残っている流動資金の総額を調べろ」十分も経たないうちに、秘書が戻ってきた。「社長。現在、創和の口座に残っている流動資金は、総額155億6000円です」律は深く息を吸い込み、冷徹に命じた。「その全額を引き出し、この口座へ送金しろ」そう言いながら、彼は一枚のメモ用紙を秘書に差し出した。そこには見慣れない銀行口座の番号が記されていた。秘書はメモを受け取ったが、その指先は血の気を失って真っ白になっていた。「しゃ、社長……もし口座からすべての流動資金を抜いてしまえば、会社は一週間も保たずに完全に機能停止してしまいます。本当に……よろしいのですか?」「俺の指示通りに動け。会社のことなら俺が何とかする」秘書はしばしの沈黙の後、頷いた。「……はい、承知いたしました。ただちに手配します」秘書が退室すると、律は即座に海外の友人に連絡を入れ、プライベートヘリコ
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第1050話

電話の向こうが少し沈黙し、楓の少し残念そうな声が聞こえてきた。「分かったわ。でも、絶対に夕飯は抜かないでね。後で恭平さんに、あなたがちゃんとご飯を食べたか確認の電話を入れるから。また胃を悪くしたら大変でしょ」「分かった。食事の時に写真を撮って送るよ」「ダメ、ビデオ通話にして。写真じゃ、あなたが昔の画像を使い回して誤魔化してるかもしれないじゃない」雅也は苦笑し、その口角には隠しきれない優しさがこぼれた。「お見通しだな。分かった。まだ目を通さなきゃならない書類がいくつかある。後で食事の時にビデオ通話をかけるよ」「ええ。邪魔しちゃ悪いわね、仕事頑張って」電話を切ると、楓は立ち上がってキッチンへ向かい、真綾に「今夜は雅也が家で夕飯を食べないから、おかずを二品減らしてください」と伝えた。真綾は頷いた。「かしこまりました」「ええ、お願いします」楓がリビングに戻ると、湊が床に広げていたブロックのおもちゃを自分の収納ボックスに一生懸命片付けているところだった。彼女は湊の傍にしゃがみ込み、片付けを手伝いながら尋ねた。「湊、もう遊ばないの?」「お母さん、僕眠たくなっちゃった。お昼寝したい」湊の少しトロンとした目を見て、楓は微笑んだ。「分かったわ。じゃあおもちゃを全部片付けたら、手を洗って二階で寝ましょうね」「うん」おもちゃを綺麗に片付け、洗面所で手を洗わせた後、楓は湊を抱き上げて二階の寝室へ連れて行き、ベッドに寝かしつけた。一階に下りてくると、一人の見慣れない使用人がオレンジジュースを乗せたトレイを持って近づいてきた。「望月さん、金元さんから望月さんへお持ちするようにと言い付かりました」見慣れない顔立ちに、楓は少し眉をひそめた。「あなた、見ない顔ね。いつもキッチンにいる子じゃないわよね?」使用人は恭しく頭を下げた。「はい。私は普段、庭園の植栽管理を担当しております。ですが今日、金元さんが少し腰を痛められたということで、一日だけキッチンのお手伝いに呼ばれました」「そう。テーブルに置いておいて。後で飲むわ」「かしこまりました」使用人はうつむいたまま、ジュースの入ったグラスをテーブルに置き、足早にキッチンの方へ戻っていった。彼女の少し不自然な後ろ姿を見つめ、楓は何か引っかかるものを
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