轢き逃げされたら猫に転生。美人妻が心配で成仏できません! のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

45 チャプター

第二十一話 未亡人

「はい、ロールケーキ。」 湊音が持ってきたロールケーキだ。綺麗にカットされている。「ありがとうございます。でも、倫典が来るって聞いてなかったから、ごめんなさい」「いいのよー。急でも大丈夫。ただ、私たちの分が少し減っちゃうけどね」 そう言いながら、三葉は仏壇にもロールケーキを供えた。スケキヨはそれをじっと見つめ、心の中で『それ、俺にくれ……』 とつぶやくものの、どうにもできない。 その時、三葉がいつもスケキヨ用に使っている餌皿を出してきた。そこには、見たことのない鮮やかな色のゼリーが輝いている。食欲をそそる色と香りで、スケキヨの口からは思わずよだれが垂れた。「スケキヨにはこの『ねこねこゼリープレミアム』よ。湊音くんが持ってきてくれたの」「猫に何が良いのか分からなくて……猫も飼ってないし。でも、CMでよく見る『ねこねこゼリー』なら間違いないかと」 そう言いながら、湊音は眼鏡を指で押し上げた。その左手の薬指には、結婚指輪が光っている。『……お前、結婚したんだな。本当に』 スケキヨは心の中でそう呟きながら、出された『ねこねこゼリープレミアム』を無心で食べ始めた。「それにしても、倫典くんは偶然だったの?」 と三葉が聞くと、スケキヨもまだ皿に残ったゼリーを舐めながら同じことを思った。「いや、推しのアイドルのライブが中止になっちゃって暇だったんです。そしたら、湊音がガラにも合わずシャレオツなケーキ屋のショーウインドーを見てたから声かけたんですよ」「ガラにも合わずって……僕だって本当は婚約者と行きたかったんです。でも彼、忙しくてね。ちょうど倫典と会って、三葉先生のところに行くって言ったら、尻尾振って喜んで」 横でニコニコと微笑む倫典。それを見て三葉は微笑み返す。 この二人の共通点は、あの教育実習のとき。彼らは生徒。担当は美帆子だったが、三葉とも面識があった。そして何を隠そう、倫典は三葉に片思いしていた。スケキヨもそれを見ていたが、三葉はうまくかわしていた。 その後は特に交流がなく、倫典と三葉が再会したのは、皮肉にも大島と三葉の結婚式だった。「大島先生……なんだかまだこの家にいるみたいですね」「えっ?」 倫典のその言葉に、三葉だけでなく大島も驚いた。それと同時に、スケキヨの体がビクッと動くと、3人はその様子を見て笑った。「なんでスケキヨ
last update最終更新日 : 2026-03-21
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第二十二話 無謀な計画

「でも三葉さん、たしか紹介してもらったんですよね。葬儀屋の社長を、たしか倉田……っていう人」 と湊音が鼻を啜りながら言うと倫典が反応した。「……まじで?!」「知らんか、まぁ知らんだろうね」 湊音が再びメガネをグイッと押し上げる。「知らんも何も……葬儀屋の社長って、まさか……倉田だよな?」「そう、倉田さん」 倫典はどこかがっかりした様子だ。「うちの親、病院やってるだろ? そこと提携してるんだよ……彼の霊園」 それはそれですごい繋がりだが、湊音自身は医者でもなく後継でもないので、ほとんど関係がない。自分は遠い親戚がやっているドラッグストアの一社員にすぎないのだ。いくら大病院の三男坊とはいえ、医者でない限りほぼ勘当同然だ。「……倉田さんと話したことはある?」「兄貴と同じ学校で、ライバルって感じかな。まぁ倉田さんは相手にしてないけど。まぁ悪いやつじゃないって印象だ」「そうなのね。写真やメールのやりとりからも、裏表なさそうだし、真面目そう」 三葉はスマホで検索して倉田の写真を見せてくる。スケキヨはどこかで見たことがあると感じていたが、その写真を見て確信した。テレビで見かけた顔だが、今までははっきり見ていなかった。改めて見ると、そこそこ悪くない、と勝手に品定めしていた。 一方、倫典は倉田の話になると明らかに嫉妬している。「もう三葉さんは会ったんですか?」「……まだメールと電話だけよ」「んしゃっ!」 と、倫典はリアクションをする。そしてさらに三葉に質問を重ねた。「彼とのご飯とか、予定は?」「まぁ、近々予定を合わせてどこかに行こうかって話はしてるわ」「じゃあ! 僕も同席していいですか?」「え?!」「ニャア?!」 三葉と湊音が同時に驚きの声を上げた。スケキヨも同様だ。「……まだ倉田さんとはお付き合いしてないんですよね?」「う、うん……まぁ、まだしっかり会って話してないし」 まさかお前……と、スケキヨは心の中で思った。高校時代に三葉に惚れていた倫典の様子がよみがえる。「三葉さん! 僕のことは……どう思ってます?」「ばか、倫典」 湊音は即座に突っ込んだ。「バカじゃないよ……まだ、三葉さんから返事もらってなかった」 どうやら、倫典は三葉が教育実習に来た時に告白していたらしい。三葉は苦笑いし、湊音は呆れた表情を浮かべている。そ
last update最終更新日 : 2026-03-22
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第二十三話 冷や汗

「湊音くんの結婚……本当によかったわね……きっと和樹さんもホッとするし喜ぶと思う。」「一番気にかけてくれましたし、こうして三葉さんにも報告できて良かったです」 湊音は結婚までの道のりを穏やかに語った。同性婚というと、まだ社会的な理解が十分とは言えず、二人の道のりも平坦ではなかったのだろう。「式は二人きりで挙げる予定です。彼の方は家族と縁を切ってるし、僕の両親も、一応認めてはくれたんですけど……前の結婚や同性婚のことをあまり良く思ってないんですよね。それに、僕らももういい年ですから、あまり気にしてません」 スケキヨは『それで本当にいいのか?』 と一瞬疑問に思ったが、湊音の落ち着いた表情を見て、彼らの決断を尊重することにした。そして、2本目のねこねこゼリーをペロリと平らげ、静かに話を聞いていた。「でも、式があったら見に行きたかったなぁ。ねぇ、倫典くんもそう思わない?」 と三葉が倫典に話を振った。 しかし、倫典はどこか上の空でぼーっとしている。「倫典、どうしたの?」「あっ、え?……ううん、なんでもないよ。ちゃんと聞いてたさ。僕だって親友の結婚式に行きたいさ。だって、前の結婚の時だって結局式は挙げてないんだろ?」「……まあ、そうだね」 湊音は少し苦笑いを浮かべた。前の時とはもちろん美帆子との結婚だったがその時はまだ湊音は大学一年、これから……という時に美帆子と駆け落ち婚をしたせいでいろいろと修羅場だったと思われる。 それはさておき倫典はさっきとは打って変わって覇気がなくなっていた。あれほど三葉に熱心に迫っていたのに、今はまるで別人のようだ。彼の瞳にはどこか虚ろさが漂い、落ち込んでいるように見えた。 三葉もその変化に気づいたが、言葉を選ぶように少し間を置いた。「倫典くん、もしかして……なんかあったの?」「いや、とくに……はい」 と苦笑いしているのも無理はない。三葉がさっき倉田に3人でご飯を食べることをメールで送ってその返事がまだないのである。と言っても送って30分である。 そのせいで気がそぞろなのである。どうやらそれに気づいた三葉。「緊張しなくていいんだから……私自身倉田さんのことも全然知らないし、倫典くんのここ最近も知らないわけだし。なんなら今倫典くんのこと聞いてもいいのよ」 やはり心遣いがよい三葉。倫典は頭を下げて「僕は家や家
last update最終更新日 : 2026-03-22
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第二十四話 病院

「スケキヨ! スケキヨ!」 その声に応じて、スケキヨはゆっくりと目を開けた。まるで深い眠りから覚めたような顔をしている。 目の前には泣きじゃくってメイクが崩れた三葉が、スケキヨを心配そうに見つめていた。「よかった……無事で本当によかった……」 スケキヨは、彼女の顔を見上げながら、ここがどこなのかを確かめようとキョロキョロと辺りを見渡した。「これだけ元気に動けるなら大丈夫でしょう。念のため、キャットフードに混ぜる薬を出しておきますね。必ずキャットフードに混ぜて、ねこねこゼリーには入れないでください」 白衣を着た獣医師が説明する隣で、ナース服の女性が注意事項の資料をまとめている。その様子を見たスケキヨはすぐに、ここがいつも通っている動物病院だと理解した。『俺は、寝てたのか?! また死んだかと思ったわー』 病院の診察室は清潔で、明るい蛍光灯の光が白い壁に反射していた。 診察台の上でスケキヨはまだ少しだるさを感じながらも、少しずつ元気を取り戻していた。かすかに漂う消毒液の匂いは剣道でよくケガをしていたから慣れ親しんではいるがやはり好きではない。「痙攣も起こしていたから心配したけど、すぐに連れてきてよかったな」 みんな安堵の表情でスケキヨを見つめている。待合室には、湊音と倫典も心配そうに様子を伺っていた。「スケキヨ、大丈夫か?」 と倫典が声をかけた。「どうやら消化不良だったみたい。それと、急に人が集まってストレスがかかったんじゃないかって」 三葉が獣医師の話を伝える。『人が集まってストレス? そんなはずないけどな……』 スケキヨは首をかしげる。 実際、皆が集まっていた時間は楽しかったはずだ。 それでも、思い出すのはあの場での突然の暴露。あの話が、自分に思った以上に影響を与えていたのかもしれない……と振り返るスケキヨ。 それはさておき、とスケキヨは三葉に抱かれながら彼女の体温と、早くなった心音を感じ取る。彼女の胸に顔を擦り付けると、三葉はさらに強く抱きしめてくれた。『申し訳ない……』 と、心の中でそっとつぶやく。「倫典くん、湊音くん、こんな時間に付き添ってくれて本当にありがとう」「いえ、三葉さんの大事な家族ですから」 倫典のその言葉に三葉が微笑む。「家族……」「家族」という言葉に、スケキヨの心が揺さぶられた。倫典にしては珍
last update最終更新日 : 2026-03-23
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第二十五話 ひとりごと

 家に戻った三葉とスケキヨ。車から降りた倫典が「部屋までついていくよ」 と申し出るが、三葉は「1人で大丈夫よ」 と断った。 ようやく2人きり……実際には三葉1人とスケキヨ一匹だが、静かな空間が戻ってきた。 晩御飯の時間だが、スケキヨはそれほどお腹が空いているわけではない。しばらくはねこねこゼリーもお預けらしい。 医者によると、普通のタイプよりもプレミアムの方が高カロリーらしい。確かに色からして添加物が多そうだと思いつつも、味が美味しいのは間違いないと大島は内心で認めていた。「疲れたね……結構混んでたし。でも、優先的に診てもらえたのは倫典くんの親戚の病院だったから。スケキヨ、命拾いしたわね」「にゃお」 スケキヨが小さく鳴く。たまたま通っていた動物病院が倫典の親戚の病院だったとは。確かに、病院の看板には大森家の象徴である木のアイコンが描かれていたのを思い出した。「さて、ご飯はどうしようかな……レンチンでいいか。スケキヨはどうしよう。キャットフードは嫌がるし、でもお医者さんの言うとおりにしないとね。ねこまんま……川本さんに教えてもらったやつ……作ろうかな」 三葉が困った顔をしていた。彼女はスケキヨの健康を第一に考えてくれているのは大島が生きていた頃と同じである。 そして彼女がねこまんまを作らなかった理由はわかっているスケキヨ。 なんと同じ理由で、幼少期の頃にご飯と味噌汁を一緒に混ぜて食べるというねこまんまシステムなのだが三葉は中華料理の店主である父から、大島(スケキヨ)に関しては普段怒らない祖母がその食べ方に大激怒してそれ以来食べる気がしなかったというのだ。その互いの共通点につい笑ってしまったのも少し前、生前の普段の会話で知ったこと。それを思い出すだけでスケキヨはほろっとくる。そういうこともあって三葉はねこまんまを作るのに抵抗を感じて出してなかったのだ。『ねこまんま……一応三葉の作った手料理食べれるのか……悪くはないけど……うん』 部屋の中に静けさが漂う中、三葉が川本さんから教えてもらったねこまんまをササッと作りスケキヨの前に差し出す。匂いは悪くないが、やはり食べる気が起きない。食べるだけで激怒して豹変した祖母の顔を思い出す。でも匂いが独特なキャットフードよりマシだが。「食べないか……やっぱりゼリーじゃないとダメか」 三葉は少し困
last update最終更新日 : 2026-03-23
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第二十六話 大森家

 それから数日後、倫典は勤めているドラッグストアの店舗を回りながら仕事をしていた。 各店舗を巡るのは慣れた作業だが、やはり他の家族が医者として仕事をしている現実を見て何だかなぁとへこたれる毎日。だが三葉との食事会が楽しみでしょうがない。 久しぶりに会った彼女は出会った頃とは変わらず倫典にとっての絶世の女神であり、他の女性たちと交わした逢瀬の記憶を吹き飛ばすほどの人間だと。 考えるだけでもにやけてしまう。「何ニヤついてるんだ、仕事中に」 そこへ、偶然にも次兄の誠二が現れた。彼とは年子であり少し歳の離れた長兄の一成よりも誠二と倫典は子供の頃から常に比べられたものである。 倫典は瞬時に顔をしかめ、すぐに目を逸らした。「大森家に関わる会社の一員としてその名札を下げてる自覚を持て」 倫典と誠二との関係は良好とは言えない。子供の頃から、いつも比較されてきた。優秀で何でもそつなくこなす誠二に対し、倫典は何かにつけて「劣っている」と感じさせられてきた。(長兄の一成に関しては2人よりも少し年が離れており、海外で医師として仕事をしている分、比較対象ではない) 無視して仕事を片付けるふりして通り過ぎようとする倫典だったが、誠二は肩を軽く叩いた。 倫典はその手を振り払おうかと一瞬考えたが、店内での場違いな行動が問題になることを恐れ、深く息をついて振り返った。「何の用?」 倫典の口調は冷たい。「何の用って……お前が仕事してる姿を見るのもダメか? たまたま通りがかったんだよ」 誠二の口調は柔らかく、どこか挑発的だった。一成よりも誠二のほうがモラハラ味がある倫典が忌み嫌う父親に似ているとは思っている。「わざわざ立ち寄るなんて、お前らしくないじゃん。忙しいんだろ?」 倫典は目を合わせないまま、素っ気なく返す。 きっと何か裏がある、しか思えないようだ。 誠二は少し笑いながら首をかしげた。「まぁな、だけどお前がどうしてるか気になったんだよ。家族だろ? それに、親父もお前のことを心配してる」 その言葉に、倫典の胸の中にイライラが湧き上がった。「家族」――その言葉は、彼にとってただの形式に過ぎないように感じていた。「俺のことなんか気にしなくていい。お前のほうが親父にとって自慢の息子なんだから」 皮肉を込めた倫典の言葉に、誠二は少しだけ表情を曇らせたが、すぐに笑
last update最終更新日 : 2026-03-24
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第二十七話 遺品整理

 三葉はリビングのテーブルで手料理のメモを書きながら、ふと考え込んでいた。「天津飯に餃子、レバニラ炒め……これが定番ね」 と呟きながら、実家の中華料理屋の味を思い返していた。「でも、あの二人って……うちの街中華じゃなくて、都会の高級中華とか食べてるわよね。舌が合わなきゃ一緒にいられないかもね、ねぇスケキヨ?」 突然名前を呼ばれて、スケキヨは驚きのあまり体をビクッと震わせたが、何も言わずに一応頷いた。 その瞬間、スケキヨの記憶が蘇った。彼女の実家、中華料理屋には一度訪れたことがある。三葉の両親の店を引き継いだ弟子たちは、しっかりと彼の味を守っていた。 三葉がその味に感動して泣きながらラーメンを啜っていた姿を思い出し、大島は結婚という言葉が頭をよぎった。『こういう姿に弱いんだよな、俺は……』 スケキヨはあの時を思い出す。あの店の味、中華料理の匂い――そして三葉が作る家庭料理も、その街中華には決して劣らない美味しさだった。 その思い出が胸を温める中、スケキヨは目を閉じて夢見心地になっていたが、突然三葉の声で現実に引き戻された。「またスケキヨったら、よだれが……病院に行った時、言おうかしら。よだれが多すぎるって」 スケキヨは首を思い切り振った。『違う、これは自然現象だ! 病院に行く必要なんかない!』 ――そんな心の叫びを、彼は体全体で表現した。「ふふふ、病院って言葉わかるのかしら。不思議ねー。まぁ私も子供の頃、病院嫌いだったし」 三葉は笑いながら、ティッシュでスケキヨの口元を拭った。「よーし、片付けるかぁ」 三葉が急に立ち上がった。 スケキヨは、彼女がゴミ袋に名前を書いているのを見て何か思い立ったらしいと感じた。『今日は掃除の日か?』 三葉がやたらと気合が入っている。『そういえば、明日はごみ収集の日だったな』 スケキヨは心の中で納得した。彼にだって、毎日過ごしていれば曜日感覚くらいは身につくものだ。だが、自分の遺品整理をされるとは思ってもいなかった。 三葉は大島の遺品整理に手をつけていた。湊音が運んできた段ボールは、彼が亡くなってからずっと開けずに置かれていた。しかし、今日は何かが違う。三葉はその段ボールをあっさりと開け、次々と中身を取り出していった。「スケキヨ、大人しくしててね。私の大事な人のものだから」 と言いながら、
last update最終更新日 : 2026-03-24
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第二十八話 当日

 さてさて、とうとうこの日がやってきた。 スケキヨは三葉が、この会食のために献立や盛りつけ方を考えていたのを知っている。 彼女は倫典と倉田に振る舞う料理の見栄えをさらに良くし、味にも磨きをかけようとしていた。『俺の時もそうだったのかなぁ』 スケキヨは交際時から彼女の熱心さを思い出し、今回もどれほど真剣に準備していたかをこの目で見ていた。彼女は少し完璧主義。 そして部屋も綺麗に片付けられ出迎える準備はバッチリである。 料理をする三葉の姿を、いつも横で見守っていた。生前、自分はほとんど料理をしなかった分、彼女に甘えていたこともあるが、彼女の手つきは驚くほど見事だった。大島ができなかったことを彼女が自然にやってのける姿に、感心しつつもほのかに感じる申し訳なさがあった。 でも三葉はそれでいいのよと。彼女自身も夕方すぎまで仕事があるのだがそれよりも遅くなる大島のために家事をしていた。 今はスケキヨとしてそのキッチンに立つ三葉を見守っている。彼女が包丁を握り、軽やかに食材を切り分ける音が響く。大島だったころと同じように、時折、三葉は「ちょっと味見してみる?」 と、まるで大島がそこにいるかのようにスケキヨに問いかけた。「なんてね。スケキヨ、貴方も食べられたらいいのにね。でも無理ー」 と、彼女は笑って言う。「美味しい匂いがするから、ずっとそばにいるんじゃないの? でも、食べられるものはないんだからね」 とからかうように言いながら、彼女は手際よく料理を進めていく。 スケキヨはその匂いに惹かれるように、つい彼女のそばにいたくなる。まるで大島としての自分を認めてもらっているような安心感と、彼女に寄り添っている感覚が胸に広がる。 以前もこうして、彼女の作る料理を何度も味見させてもらったことを思い出しながら、スケキヨとしてその日常を眺めることに、少し切なさを覚える。 チャイムが鳴った。 スケキヨは三葉に続いて玄関へと向かった。インターフォンの画面は見えなかったが、いつものひょうきんな倫典の声と聞き慣れない声。どうやら倫典と倉田が一緒に来たようだ。 三葉は急いで着古した赤いエプロンを外し、スゥエットを脱いでたたみ、上下黒のセットアップに着替えた。その服は、彼女の体のラインが強調されている。 スケキヨは『今日くらいはもう少しゆったりした服でいいのに』
last update最終更新日 : 2026-03-25
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第二十九話 見守ることしかできない猫

 スケキヨは部屋の隅で静かに座り、倉田と倫典のやり取りを観察していた。二人の間には微妙な緊張感が漂っていたが、その原因は主に倫典にあるようだった。スケキヨはその空気を敏感に察知していた。 三葉がキッチンで料理の仕上げをしている間、リビングには倉田と倫典だけが残っていた。沈黙が続き、気まずさを感じた倫典が話を切り出した。「倉田さんって、若いのに倉田グループの社長なんてすごいですね」 スケキヨは、倫典の言葉がいかにも当たり障りのない話題だと気づいた。おそらく二人きりの状況が落ち着かないのだろう、と彼は思った。 倉田は穏やかな笑顔で答えた。「若いって……40過ぎてますけどね。それに家業を継いだだけです。父が突然亡くなって、兄弟たちが引き継ぐのを嫌がったんですよ。結局、長男の僕がやるしかなくて」 スケキヨは毛づくろいをしながら考えた。自分ならここで『確かに長男が家業を継ぐのは大変だよな』と軽く同調するが、倫典は三男坊で家族との距離もある。長男の苦労には共感しにくいかもしれない、と推測した。 倫典はさらに問いかけた。「大変だったんじゃないですか? 雑誌で見ましたけど、地方紙の営業マンだったのに、神社や霊園の経営とか、特殊な業界で難しそうだなって思って」 倉田は肩をすくめて答えた。「もちろん最初は大変でした。でも慣れればなんとかなります。学生時代に宗教や仏教を学んでいたことが役に立ちましたし、修行でお坊さんたちと寝食を共に過ごした経験もあります。あと、父が生前に作ったマニュアルや、信頼できるスタッフのおかげで経営は順調です。あ、余談ですが社会科の教職免許もあって……大島さんと同じように先生もできるんですよ」 スケキヨの耳がピクッと動いた。『教職も持ってるって? しかも社会科、俺と一緒じゃん!』 倫典がどんな反応を示すか、スケキヨは興味津々だった。「プレッシャーとかは? 先代の社長と比べられたりするんじゃないですか?」倫典がさらに踏み込んだ質問をする。スケキヨは心の中で『そこに突っ込むのか?』と思った。 倉田は笑みを崩さず答えた。「経営者として大事なのは、感情に流されず冷静でいることです。それを心掛けていれば、プレッシャーも乗り越えられますよ」 倉田はあくまで冷静だったが、倫典の表情は硬かった。スケキヨは彼の内心に嫉妬のような感情がある
last update最終更新日 : 2026-03-25
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第三十話 軍配

 スケキヨは、倫典の緊張を敏感に察知し、彼の足元でじっとしていたが、突然倉田の目の前に移動して座り込んだ。「スケキヨっ」 三葉が呼びかけるが、スケキヨは無視して倉田を見つめ続けている。 倉田は少し驚いたが、動じずにスケキヨの頭を軽く撫でた。「三葉さんは強い女性だよ。彼女が自分の道をしっかり歩んでいる姿に魅力を感じている。でも、それ以上のことを考えるのは、まだ早いかもしれない」「まだ早い……?」 と、倫典はその言葉に引っかかりながら、スケキヨもじっと倉田を見つめ続けた。彼の言葉にはまだどこかしっくりこないものがある。 倫典は少し話題を逸らそうと思い、質問を変えた。「倉田さん、猫を飼っているって言ってましたよね。どんなふうに接してるんですか?」 倉田はためらいもなく答える。「うちの猫たちは、霊園の広い敷地で自由に生きてるよ。特別なことはしないけど、ちゃんと世話はしているつもりだ」「ねえ、スケキヨ」 と、三葉が笑顔で猫の方を見ながら言った。「倉田さんに可愛がってもらえてよかったね」 ふにゃあ、ととりあえず鳴いてみたスケキヨ。「それにしても三葉さん、本当に料理がお上手ですね。こんな美味しい料理を毎日食べられるなんて、ご主人も幸せだったでしょう」 倉田が微笑みながら言った。 三葉は少し照れながらも微笑み返した。「だと思います……」 倫典は、そのやり取りを見て焦り始めた。自分は倉田に比べて何も持っていないと感じていた。「大島先生や倉田さんよりも劣っているかもしれません、でも僕は……僕は……」 と何かを言いかけるが、肝心な言葉が出てこない。 その様子を見て、倉田は首を軽く振り、落ち着いた声で言った。「自分をそんなに卑下しちゃだめだよ、倫典くん。お兄さんたちから色々と聞いてはいたが今日ほぼ初めて君と少し話したけど、そんなふうには思わなかった」「えっ……」 その言葉に、スケキヨも心の中で同意する。『そうだ、倫典は確かに勉強は苦手かもしれないが、ムードメーカーでみんなを楽しませるやつだ。他の兄弟も受けもったがこいつが1番人間味があるぞ! ってもう人間じゃない俺がいうのもあれだがな!!!』 と冗談も言うが伝わることはなく。倫典は複雑な顔だった。「……すいません、こんな食事の場で。取り乱しました」 と、倫典は鼻を啜りながら言った。
last update最終更新日 : 2026-03-26
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