All Chapters of 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚: Chapter 341 - Chapter 350

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第341話

涼太は、信じられないものを見るような目で智也を見つめた。「まさか、あちこちで偉そうに振る舞っているあの目立ちたがりの小林さんが、あなたを助けたとでも思っていたんですか?」『二宮教授』という呼び名には、今や皮肉がたっぷり詰まっている。「偉そうに振る舞っている」「目立ちたがり」という評価は、痛いところを的確に突いている。「谷口社長は卒業後、技術職ではなく管理職の道に進まれましたし、研究にも携わっていません。ですから、この業界内の事情をご存じないのも無理はありません。祖父と松田先生は、昔から犬猿の仲なんです。若い頃はまだ互いに相手の顔を立てることもありましたが、年を取った今となっては、もうそういう遠慮もなくなりました」二人が会えば睨み合いは必至だというのだから、口利きなど絶対にありえないのだ。凛こそが自分を翼に紹介してくれた人物だったのだ。その事実を初めて知り、智也は衝撃を受けただけでなく、強烈な不安に襲われた。涼太がこの椅子を返しにきたということは、つまり提携を拒絶したということなのか?何か言い返そうとした智也だったが、涼太によって完全に遮られた。「谷口社長、あなたのために口を利いてくれたのが凛さんだと知っていようがいまいが、それがあなたと小林さんが浮気をしていたという事実に目を瞑る理由にはなりません。あなたの人としての品性を疑います。なので、我々があなたと契約を結ぶことはありませんので。谷口社長。それ、引き取ってくださいね」涼太が背を向けて立ち去ろうとしたので、智也は慌てて追いかけ、扉の前に立ちはだかった。「涼太さん、まずは話を聞いてください!ホシゾラ・テクノロジーはどこの会社よりもいい条件を約束しますし、それでも足りないというのなら、そちらから条件を出していただいても構いません!」「僕の話を聞いていましたか?提携はしないと言ったんです」翼の特許プロジェクトは智也にとって、とても重要なものだった。だからこそ、黒檀の肘掛け椅子をわざわざ5600万円もかけて購入したのだ。智也は意を決して言った。「この件に私は一切関与しません。提携を結んでいただけるのであれば、そちらが信頼できる人間を責任者に据えていただいても構いませんので」涼太が首を振る。「その必要はありません。こちらはあなたと組まないというだけではなく、ホ
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第342話

智也は深く息を吸い込むと、笑顔のまま言った。「悠真さん、あなたはまだ23歳ですが、凛はもう28歳なんですよ」悠真が目を輝かせる。「最高じゃん」「あなたより5つも年上なんですよ!」智也の声がわずかに震えた。しかし、悠真は涼しい顔で言い放った。「あんなに素敵な女性はいないと思うけど?それに、智也さんだって29歳でしょ?なのに、何をそんなに偉そうに言ってるの?」智也は歯軋りをした。だが相手は景山グループの御曹司。敬意を払わねばならない。「悠真さん、いくら好きでも、景山家が首を縦に振るはずがありませんし、俺たちだって離婚するつもりはないんですから」悠真は眉をひそめた。「なぜそこまでして彼女を縛り付けるの?智也さんは別の女に夢中なんだから、その女と一緒になればいいじゃん。それで、凛さんを自由にしてあげれば、彼女を愛してくれる男が現れて、二人とも幸せになれるんじゃないの?」「言い忘れていましたが、俺が凛を離さないんじゃなくて、凛が俺から離れられないんです」しかし、智也の言葉には少しだけ、迷いが混じっていた。悠真は呆れたような視線を智也に向ける。「俺の知る限り、凛さんはもう長いこと、智也さんに会ってくれてないはずだけど?」智也の瞳が揺れた。なぜ悠真がそれを知っているのだ?実は、智也は新しいアカウントを二つ作り、一つは悠真になりすまし、もう一つは凛になりすましていた。だから、二人の間で交わされるメッセージは、すべて彼の手の内にあり、どの言葉を相手に届け、どの言葉を伏せるかも、すべて智也が決めていたのだった。なのに、なぜ凛が最近自分に会ってくれていないと断言できるのか。二人が自分の知らないところで会っているとか?そのことを、悠真は姉の千晴から聞いていたのだ。千晴も全てを知っているわけではなかったが、悠真よりも多くのことを知っていた。「やっぱり、本当なんだね」悠真は智也の反応から確信を得て、気分が少し晴れた。「安心していいよ。智也さんが凛さんと離婚したところで、ホシゾラ・テクノロジーでのポジションにも、景山グループでの立場にも影響はないから。そもそも、智也さんたちが結婚していることを知っている人なんてほとんどいないし、父だって最初から知っていた。でも、智也さんが不倫していたことまで分かっていても、何も言わなかったでしょ
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第343話

胡桃は納得がいかなかった。柚葉が妊娠したのは兄の子であって、自分には何の関係もないというのに、なぜこんなにもみすみす20億を諦めなければいけないのか?子育てに20億円?胡桃はこれまで見たこともない大金を思い浮かべ、どうしても諦めきれなかった。何度も凛に接触して協力を持ちかけようとしたが、そのたびに母の梨花に見つかり、止められていたのだった。「あなたが何をやろうとしているかくらい、お見通しなんだから」梨花が胡桃の額を小突いて言う。「柚葉のお腹の中には、あなたの可愛い甥っ子がいるんだから、よけいな真似はしないで」「どうしてあれがお兄ちゃんの子だって言い切れるの?」胡桃は反論した。「あの女には他にも男の影がたくさんあるんだよ?最近クルーズ船で一緒に写っていたイケメンもそうだし、以前私と薬を取りに行った男だって……『もしあの人に言われなかったら、こんなことはしない』なんて言ってたんだから」男が柚葉に向かって放った言葉だったが、その視線はどこか奇妙で、ただならぬ雰囲気が漂っていた。「柚葉さんとコネがある連中なんて他にもいっぱいいると思う。だって、お兄ちゃんに奥さんがいるのを知りながら深い仲になった女なんだよ?年齢なんて関係なく、誰とだって平気で寝るに決まってる」その胡桃の言葉を聞いた梨花は、妙な説得力を感じた。しかし、すぐに首を振る。「あなたのお兄ちゃんは馬鹿じゃないわ。報告書には妊娠の記述があるし、お兄ちゃんが否定しないってことは、お兄ちゃんの子なのよ」「でも、もし違ったら?そうしたら、すごい大損じゃない?」胡桃の手には、この間持ち帰ってきた飛行機のチケットが握りしめられていた。梨花はしばし迷ってから答える。「もしそうなら、その時取り返せばいい」「凛さんが待ってくれると思う?証拠を持って行ってこそ、7対3で分けてくれるんでしょ?証拠を渡さなければ、何ももらえないじゃん!」胡桃は焦っていた。「お母さん、もう邪魔しないで。この金は絶対手に入れてやるんだから」今度ばかりは、梨花も彼女を止めなかった。しかし、凛に会うことはできずに、研究所付近で待ち伏せをしていたところ、警察官に怪しまれ、尋問を受けてしまったくらいだった。胡桃は必死にただ会いたいだけだと弁解し、極秘情報を盗むような知恵などないと警察官に見なされて、よ
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第344話

彼は焦ってもいたし、怒ってもいた。凛の胸に一抹の違和感が走ったが、それは瞬く間に消えた。凛は首を振る。「胡桃が協力を持ちかけてきたんです」「あんなやつと何の協力ができるって……」しかし、海斗は即座に状況を理解し、凛が本当に無事だと分かると、表情を和らげた。彼は胡桃が竹内グループを訪ねたことを知るや否や、すぐさま恵と理央の二人を連れて様子を見にきたのだった。海斗が二人に目を向けると、二人はすぐに歩み寄ってくる。「派遣している監視役から何か報告はあったか?」「空港へ迎えに行ったそうです」と、理央が答える。そして、恵も続けた。「美雪さんがA市に来ました」恵は海斗に意味深な目線を向けてから、凛の方をそっと盗み見た。海斗に好意を寄せる令嬢の中でも、美雪と千晴は特に有名な存在だった。しかし、海斗にこっぴどく拒否された千晴はすでに愛想を尽かしていたため、残るは美雪だけだった。定期的にメッセージが送られてくるのだが、そのたびに海斗は携帯を理央に渡していた。そこで、恵が甘ったるい声で、海斗は仕事で忙しいと伝えても、美雪はちっとも気に留めないのだ。そして、海斗と少しだけ話せた時には、きちんと引き際をわきまえる。何とも絶妙な距離感。だから海斗としても、削除するわけにもいかず、どうにも扱いづらい存在だった。くわえて、瑶子からたとえ興味がなくても体裁だけは保つようにと、厳しく釘を刺されている。だから海斗は別にもう一台携帯を用意し、新しく作った連絡先には身内や友人しか登録していない。もちろん、秘書三人組のアドレスもそこにある。名誉というよりは、結局のところ、ただ海斗が使う雇われの身への連絡手段に過ぎないのだが。美雪が来たと聞いても、海斗は顔色ひとつ変えず、まるで見ず知らずの他人のようで、関心さえも抱いていなかった。それでも彼女は、到着するたびに律儀に連絡をしてくるのだ。【海斗さん、A市に着いたよ】恵は社長支給の専用端末を取り出し、黙々と開き、甘ったるい声でボイスメッセージを送る。「美雪さん、社長は現在会議中なんです」返し終えてから理央に確認する。「今の、ぶりっ子ボイスどう?」理央が親指を立てた。凛は呆気に取られて見ていたが、後で二人からすべてを教えられた。すると、恵が意味深な笑みを浮かべる。
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第345話

海斗は素早くその場を立ち去った。凛は少し反応が遅れたが、そのまま研究開発センターへ戻ると【暴走する社長を支える会】のチャットにメッセージが送られてきていることに気づいた。理央から会話が始まっている。【竹内社長急に昼間からシャワー浴びるなんて、どうしたんだろうね】理央は、バスタオルを片手に、眉間に深いしわを寄せたまま早足でシャワールームへと向かう海斗の姿を見かけていたのだ。恵も会話に参加する。【確かに突然だね。きっと外が暑かったから、頭を冷やしたいんじゃない?】凛は空を見上げた。曇り空だ。それに、もうすぐ冬だというのに。頭を冷やすのはいいとしても、外が暑いことと頭を冷やすことに、何の関係があるのだろうか?恵の言葉には少し困惑したが、凛はこう打ち込んだ。【清潔にすることは、良い習慣だと思うよ】【そうね。竹内社長はずっとスキャンダルもなく、私生活も真面目だってことは、私と理央さん、そして森田さんが保証するわ】拓海も同意する。【その通り】【森田さん、相変わらず神出鬼没ね。それにしても、いつ戻ってくるの?】【必要なものが揃い次第すぐに帰るよ】凛は彼に出張が無事に終わるようにとメッセージを返し、携帯をしまって作業に戻った。……利明は空港で妹の美雪を出迎えたあと、自身の部屋の隣のホテルへと案内した。柚葉から体調が悪くて遠出はできないため、できるなら近くの地元の店で食事をしたいとメッセージが入った。利明が柚葉を心配していることは明らかだったため、美雪もそんな兄の様子を見て反対はしなかった。兄妹は柚葉が住むアパートの下まで来た。食事時ということもあり、建物からは料理の良い香りが漂い、美雪は明らかに空腹を感じていた。利明はコートのポケットから小さな袋入りのマフィンを取り出し、包みを開いて妹に手渡す。美雪が笑った。「お兄ちゃん、どうしてこんなの持ってるの?」「出てくる時にテーブルからとっておいたんだ。お前がお腹を空かせたら困るからな」そして、柚葉のフォローをすることも忘れない。「柚葉もお前と同じで身なりを気にするタイプだから、少し準備に時間がかかってるんだろう。すぐに降りてくるさ」美雪はマフィンを頬張りながら、うなずく。「うん」利明は美雪を見つめた。「ゆっくり食べろ」そう言い終わるか終わら
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第346話

柚葉の笑みが一瞬引き攣った。彼女は利明をちらりと見て、すぐに苦笑いを浮かべる。「順調よ」利明は眉をひそめ、再び話題を変えた。「料理も運ばれてきたことだし、まずは食べよう。お腹空いたんだろ?」美雪は、最近何かが起きていることを察した。食事の間、柚葉は何度も心ここにあらずといった様子で、その横顔に時折憂鬱な影を落としていた。美雪に声をかけられるとすぐに繕った笑みを作るあたりから、無理をしているのは明らかだった。美雪は尋ねようと何度も考えたが、場にそぐわないため結局は黙ることにした。食事が終わると、利明が柚葉に聞いた。「具合が悪そうだけど、病院に連れて行こうか?美雪と一緒に付き添うよ」「病院」という単語を聞いた途端、柚葉は首を強く横に振った。何かを極度に恐れているようだった。「病院に行く必要なんてないわ。ただ少し、眠れていないだけだから」その言葉を信じていない利明は、美雪に車で待つように伝え、一人で柚葉を家まで送り届けることにした。マンションの下に着いた別れ際、利明は柚葉に切り出した。「もしかして……妊娠しているのか?」なんで利明が知っているのだ?本来、利明には隠しておくつもりだった。しかしすでに知られてしまった以上、別の対策を考える必要がある。少なくとも、彼に自分が図々しく智也にまとわりついていると思われることだけは避けたい。そこで、柚葉は被害者を演じ続けることに決めた。顔を上げ、涙を瞳に溜めて言う。「どこで聞いたの?」利明は柚葉の腹部に視線を落とした。どうやら本当らしい。「誰にも言わないでくれる?」柚葉が懇願する。「智也は……この子なんていらないの」柚葉はうなだれ、大きな涙を次々とこぼした。利明は胸が締め付けられ、慌てて言った。「わかった、誰にも言わない。だから、もう泣かないで」「ありがとう、利明」柚葉は彼を軽く抱きしめ、すぐに離れて涙を拭いた。「両親がかなり怒ってるから、しばらく連絡するのは難しいと思うの。だから、あなたたちはA市を楽しんで」利明は柚葉が階上へ上がるのを見届けてから車に戻った。車に乗り込むと、助手席の美雪がすぐに利明へと質問を投げかける。「柚葉さん、恋人と揉めてるみたいね。ついにお兄ちゃんの出番ってわけ?」「なぜ彼女が揉めているなんて分かったんだ?」利明は不思議そ
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第347話

美雪はまず日和だと思い、兄の方をちらりと見たがどうやら違うようだ。次に恵と理央かと推測したが、それも外れていた。「もう誰か分かんないよ。お兄ちゃん、教えて」利明は運転中だったが、彼女があまりに気になっている様子を見て、それにこれで海斗への未練を断ち切らせることができると思い、口を開いた。「その人は凛っていうんだ。海斗は彼女にすごく甘いし、海斗の周囲も皆、彼女には特別愛想がいい」ここまで言えば、美雪にも意味は分かるはずだろう。海斗のような冷徹で薄情な男にすら、特別扱いされる女が存在する。こうなっては、他の女が入る隙など微塵もない。美雪は一瞬、言葉を失った。「海斗さんが特別扱い?その人のことが好きなの?じゃあ柚葉さんの彼はどうなるのよ?二人の男が一人の女を奪い合うなんて、その凛っていう女、もしかして……」柚葉よりずっと強者なのかもしれない。兄の前で柚葉を悪く言うのは気が引けたため、美雪はそれ以上口を開かなかった。この凛という女への興味が、みるみる膨らんでいく。海斗は生まれたときから、すでにピラミッドの頂点に立つような存在だった。家柄も容姿も完璧で、家を継いでからは地位も権力も手にしている。多くの名門の令嬢たちでさえ彼の視線を引きつけることはできなかった。それなのに、なぜか凛という一人の女性だけは特別なのか……実際に会ってみるしかない。どうしてそこまで海斗の心を引きつけるのか、この目で確かめてやる。……凛は一番町特別宿舎の部屋の内装レイアウトを済ませると、必要事項をまとめてインテリアデザインの事務所に連絡し、設計図を作成してもらうことにした。大幅な改築は不要で、ほとんどが内装だけだったので、先方からはすぐにプランの返信があった。打ち合わせのため、都心にあるカフェへと向かう。出かけるとき、美穂子が親切にも茶色のマフラーを巻いてくれた。「美穂子さん、まだそこまで寒くはありませんよ」「A市は秋から冬にかけてずっと風が強いから、首元を冷やしてはいけませんよ。いってらっしゃい。お気をつけて」「いってきます」凛は玄関で腰を落とし、ジャーマン・シェパード二頭の頭をなでた。「ダイト、コマキ、行ってくるね」茶色のトートバッグを持ってカフェに入ると、すでに待っていた担当者がすぐに立ち上がった。手短な挨拶を
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第348話

「すみません」「すみません」二人は同時に顔を上げた。その女性は洗練された服装で、5センチほどのヒールを履いているのに、スニーカーを履いた凛と同じくらいの背丈だった。眉の上で切り揃えられた前髪に、耳にかけられたショートボブ。耳元ではパールのイヤリングが揺れている。美雪だった。美雪は目の前の女性に、どこか見覚えがあると思った。二人ともわざとではなかったため、凛は小さく頭を下げて、その場を離れようとした。「待って!」言葉より先に、美雪の手が動いた。凛の手首が掴まれる。「どうしましたか?」凛が見る限り、その女性が絡んでくるような様子はない。美雪は瞬きをした。頭の中に混乱が広がる。この女性の目元……どこか父に似ている。「さっき、不注意でぶつかってしまったので……お詫びにコーヒーでもご馳走させてくれませんか?」美雪はどうしてもこの女性を引き止めたかった。理由は分からないが、胸の鼓動が緊張で激しく高鳴っていたのだ。凛は彼女の申し訳なさそうな目を見て、首を振った。「いえ、もうコーヒーは飲んだばかりなので。お気遣いありがとうございます」凛は手を振りほどき、その場を去った。美雪はその後ろ姿を見つめ、どんどん不安に駆られた。とくに、凛が車を待つため道路脇に立ち、鞄からふちのないメガネを取り出してかけたとき……スッと通った鼻筋にメガネが乗る。冷たい風が吹く中、その整った横顔が露わになった。似てる。余計にそう思えた。その横顔は、たまたま見つけた父の若い頃の写真によく似ていたのだ。美雪は、子どもの頃に一度だけ聞いた大人たちの会話を思い出す。「あの子、両親のどちらにも似てないわね」子どもだから分からないと思われていただろうが、実はしっかり聞いていた。両親はすぐに「でたらめを言うな」と相手をたしなめ、自分には「お前は、早くに亡くなったおばあちゃんに似てるんだ」と言い聞かせた。それ以降は誰の口からもそんな声は聞こえなかったが、その一言は幼い美雪の胸に深い傷として残っていたのだった。それは幸福な人生の中の、小さな刺のような記憶。美雪は無意識に自分の顔に触れ、道路脇で車を待つ凛から目を離せなかった。名前を聞き忘れた。美雪はとっさに道路へと足を向けた。タクシーに乗り込もうとした凛に、
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第349話

凛が日和と会ってすぐのこと、海斗からメッセージが届いた。借りを返すチャンスだという。日和がそれを見て、思わず表情を歪めた。「お兄ちゃん、まさか凛さんと今夜一緒に実……」日和が「実家」と言う前に、再び海斗からのメッセージが表示される。【今夜、ある場所に同行してくれ。少し厄介なことがあるんだ】日和は言葉を失った。この疎ましいほどの、兄妹の直感。凛は不思議に思い詳細を尋ねようとしたが、直接会って話すと言われてしまった。日和が呆れたような表情を浮かべた。「何か知ってる?」と凛は日和に尋ねる。日和は頷いた。「今夜、利明さんの妹の美雪が母を訪ねてうちに来るんです。彼女とお兄ちゃんの関係、話したことありますよね?」「うん、恵さんたちからも少し聞いてる」「じゃあ、色々知ってるみたいですね。お兄ちゃんは凛さんを盾にするつもりなんですよ!なんて酷いんですかね!」しかし、恩は返さなければならない。海斗には何度も助けられたのだから。【竹内社長はどこにいますか?今から向かいます】【動かなくていい。迎えに行く】凛はその画面を見つめて一瞬だけ戸惑ったが、すぐに場所を送った。30分後、海斗はカフェで凛を見つけた。隣には日和も座っている。「どこに行ってもお前がいるな」日和はストローを噛み、悪びれる様子もなく勝ち誇った様子で言った。「お兄ちゃんこそ、どこにでも現れるよね」二人の話が落ち着いたところで、凛は仕事のように事務的に聞いた。「竹内社長、私は具体的に何をすればいいんですか?」そこで、日和が口を挟む。「美雪が今夜、うちに挨拶に来るってことは伝えたよ」海斗は妹を一瞥し、それから凛に向き直った。「一緒に実家に帰ってほしい。そこで美雪を適当にあしらってほしい」凛はすぐに承諾し、さらに尋ねた。「どんな立ち位置でですか?」海斗は唇を引き結び、こう言った。「俺の彼女としてだ」日和は目を丸くした。まじか!何でこんな急に大胆になったんだ?海斗の深く澄んだ瞳を見つめ、他に意図がないと判断した凛は再び尋ねる。「いつまでですか?」「ずっとずっと!あれ、心の声が出ちゃった?」海斗は日和に鋭い視線を投げかけ、ゆっくりと言う。「どのくらいだと思う?」日和は慌てて口を塞いだ。海斗が改めて凛を見る。「一
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第350話

思わず笑ってしまった凛は言った。「名前で呼ぶよ。「海斗」とても澄んで、落ち着いた声だった。どうして凛の口から自分の名前が呼ばれると、こんなにも心地よく聞こえるのだろうと、海斗は思った。海斗は「うん」と短く返し、誰にも気づかれないくらいに、ほんの少しだけ唇の端を上げた。そして、海斗は腕時計の時間を確認する。午後5時52分。「実家へ行こう」そう言って立ち上がった海斗は、視線を凛に向けた。海斗に続いて立ち上がった凛が俯き、白く柔らかな首筋がのぞいた。しかし、すぐにマフラーで隠れてしまい、海斗も視線を戻す。三人が車に乗り込み、竹内家本邸に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。車の中で何度もショートメッセージの通知で震えていた、凛の携帯。【凛、茅野さんに口を利いてくれたのはお前だったのか?なあ、もう一度だけ……】その先を読むこともなく、凛はそのままその電話番号を着信拒否設定にした。その様子を見ていた日和が訊ねる。「またあのしつこい男からですか?」凛は頷いた。「うん」日和は言った。「また何を企んでるんですかね?毎日毎日謝るばかりで、挙げ句の果てには凛さんに戻ってこいって言うんですか?なのに、柚葉さんとは関係を続けていい思いをしようなんて……そんな魂胆丸見えです!」「茅野先生が特許のプロジェクトをホシゾラ・テクノロジーじゃなくて、他の会社に回したから焦ってるの」「そういうことだったんですか!」日和が顔を輝かせる。「久しぶりにこんないいニュースを聞きました!お祝いしましょう!今晩はうちのシェフが作る美味しい料理を堪能しましょうね!」凛も喜びを感じていたので、日和に微笑んだ。海斗も静かに「そうだな」と賛同する。「茅野先生の特許プロジェクトを取れず、他の大型案件も抱えていなければ、谷口はもう終わりだろう」日和が尋ねた。「もし他にあったら?」「悪いようにはならないだろうな」「絶対にないわ。あの男が落ちぶれないなんて、そんな世の中間違ってる」海斗は凛に言った。「あの男は君を血眼になって探し回るはずだ。外に出る時は気をつけたほうがいい。南山ヒルズと竹内グループの敷地内には絶対に入れないようにする」そうすれば、あの男が入り込む隙間は無くなるだろう。なぜなら、凛の日常は依然として家と職
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