All Chapters of 元夫の後悔をよそに、天才妻は御曹司と溺愛婚: Chapter 61 - Chapter 70

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第61話

海斗は資料を見ている凛を見ると、指先でデスクを軽く叩いた。「誰が誰か分からないなんて事態は願い下げだからな」「竹内社長、その日私は……」「行く行かないに関わらず、全部頭に叩き込め」海斗はそういうと、もう凛に目を向けることなく、書類を見ていた。凛が席を立ち、ドアを閉めようとすると、海斗が顔を上げた。「閉めなくていい」凛はデスクへ戻らず、窓際のソファへと向かった。そこでは日和がテーブルに突っ伏して、ノートを眺めながらぼんやりとしていた。凛が来ると、日和はすぐさま体をずらして、自分と一緒に座るように促す。腰を下ろすなり、凛は日和に尋ねた。「ペン持ってる?」日和はバッグからペンを取り出し、凛に手渡す。そして、凛が自分の名前を二重線で消すのを見つめていた。「え?」日和は顔を上げた。「なんで自分の名前を消すんですか?」日和の声は静かなオフィスに響き渡り、海斗の耳にも届く。男は顔を上げ、ブラインド越しに、凛の美しく澄んだ表情をじっと見つめた。日和が続けた。「谷口社長にこんなことされてるのに、凛さんは……どうしてずっと我慢し続けているんですか?」日和は「なんで離婚しないのか」と聞きたかった。しかし、ストレートすぎる気がしてやめたのだった。「私も、つい数日前に知ったばかりだから」凛は書類を最初の一ページ目まで戻し、夫の心に自分ではない存在がいると気づいた日のことを思い出すと、切なげに視線を落とした。「それまでは、全然気づかなかったの」「今は知ってるのに、どうして……」日和は言葉を詰まらせる。ふと、凛が孤児であることを思い出したのだった。「もしかして別れてしまったら、いく場所がないことを心配しているんですか?凛さん、気を悪くしないで聞いてほしいんですけど、私、ここの近くにマンションを持ってるんです。もしよかったらそこに住みませんか?通勤にも便利だし、辛い思い出の場所からも離れられますよ」竹内グループの本社ビルは市内中心部を離れ、川沿いに位置していた。四方にそびえ立つ4つの建物が空中庭園でつながったこの場所は、広大で環境も申し分ない。竹下グループ傘下すべての会社がここにあるので、もしトラブルが発生しても、一分後には海斗の罵声が飛んでくるような緊張感のある場所だった。ここに住めば、確かに谷口家や智也、そして柚葉のマ
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第62話

凛は人差し指を口に当てて、しーっと言った。日和が口元をチャックする真似をする。しかし、日和はふと何かに気づき、兄である海斗がいる社長室を振り返った。「お兄ちゃんに聞こえてないですよね?」凛がそちらを見ると、海斗はデスクに向かって書類に猛スピードでサインしていた。十分後、海斗が社長室から出てきた。「残りは週末に覚えておけ」凛は資料を閉じた。もう覚え終わっていたが、それでも「分かりました」と答える。日和も帰り支度をしながら言った。「凛さんは二宮教授のところに戻るんですよね?私の車で送りますよ」海斗がじろりと日和を見る。「仮免試験に5回も落ちたお前の運転で?」日和は言い返せなかった。「もうっ!それは言わないでよ!」日和は海斗に攻撃をしようとしたが、海斗の大きな手で頭を抑えられ、小さな小鳥のようにバタバタと暴れるしかなかった。凛は思わずクスクスと笑った。凛の清らかな顔に笑みが広がると、雲間から光が差し込んだような輝きがあった。海斗はその顔をじっと見つめた。凛と視線が合いそうになると、海斗はパッと顔をそらし、低い声で言った。「俺が送る」日和は驚いた。そして、何かを悟った。暴れるのをやめた日和は、くりくりとした瞳で海斗を見つめ、確信したような笑みを浮かべる。「まあ、男の人の方が安心だよね」そうして凛は日和に促され、リムジンの座席へと座った。そして、それは向かい合わせの席だった。車の持ち主を逆向きに座らせるわけにもいかず、凛は助手席に行こうとした。海斗は冷たく「座れ」と言った。日和にも引っ張られ、凛は海斗の真向かいに座るしかなかった。ゆったりとした車内だが、ずっと対面で見つめ合っているのは息苦しい。特に、海斗が足を組みかえる時はどこを見ていいのか分からず、困惑した。凛は前を見ることも目を閉じることもできず、窓の外ばかり見ていて首が凝ってきた。凛がそっと首をさすると、それまで本に目を落としていた海斗は目を上げ、ちらりと凛を一瞥した。そして突然、運転手に路肩に車を止めるよう指示を出す。海斗はそのまま助手席へと移動していった。空調の効いた車内で眠気を感じていた日和だったが、驚きのあまり目を丸くして、眠気もどこかへ行ってしまった。「うっそ。お兄ちゃんが自分から助手席なんて!私が一緒
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第63話

凛は不思議に思いながらもそれを受け取る。それは国内屈指の弁護士の名刺で、杏が紹介してくれたのもその人だった。どうやら今日の話は海斗に聞かれていたらしい。「俺から紹介されたと言え。無条件で力を貸してくれるはずだから」「ありがとうございます、竹内社長」凛は丁寧に名刺をしまった。「どうか内密にしていただけると、助かります」「君と谷口社長の夫婦関係などに、これっぽっちの興味もない」車は二宮邸からゆっくりと遠ざかっていった。日和が助手席に身を乗り出し、揶揄うように言った。「お兄ちゃん、凛さんと谷口社長の関係に関心ないんだ?じゃあ、なんで送ってあげたり、わざわざ弁護士の名刺まで渡して、しかも自分の名前を勝手に使ってもいいなんて言ったんだろうね?」海斗は、運転席と後部座席の仕切り板を上げた。バックミラー越しに見ると、凛はまだ玄関のところに立っていた。車が角を曲がるまで、あの華奢な姿が見えなくなるのを、海斗はじっと見守っていた。街灯のオレンジ色が、彼女を一層孤独に浮かび上がらせる。……9時に講座が始まるので、凛は講座のチケットを譲る相手と、8時半に会場近くのカフェで待ち合わせていた。初めて凛を見た女性は、一瞬唖然とした。まさか、これほど地味な服装をしているとは思わなかったからだ。しかし、身に纏う独特な雰囲気に驚かされた。まだ洗われていない真珠のように、少し整えて薄化粧をすれば、別人のように輝きそうだと思った。相手が自分をじっと見つめていることに気づいた凛は、静かに尋ねた。「どうかされましたか?」「あ、いえ」しかし、女性はまだ凛から目が離せないでいた。この人声までいいなんて。ゆっくりとした喋り方が、凪いだ海のような心地よさを与える。「青木菜々子(あおき ななこ)です」「初めまして。谷口凛です」「講座の間は終始マスク着用、かつ凛さんのお名前で受講するっていうお約束で合ってますか?」菜々子はそう言うと、言葉を続けた。「でも帽子か何か被らなきゃいけませんね。長さは同じぐらいですが、ヘアカラーが少し違いますから」凛は黒髪のストレートだが、菜々子は暗めのブラウンに染めていた。日差しの下では目立つが、それ以外は目立たないだろう。「大丈夫ですよ」凛も丁度ヘアスタイルを変えるつもりだった。杏が贈ってくれたドレスに合わせて、明
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第64話

智也は一日中、柚葉の買い物に付き合っていた。頭の先からつま先までのコーディネートを買い揃え、彼女の荷物持ちまでしていた。柚葉の喉が乾けば、智也はすぐに水を差し出した。柚葉が疲れたと言えば、智也は足を揉んであげた。もう歩けないという柚葉のため、智也は彼女の前にしゃがみながら背中を向け、新しい住まいまで背負って歩いた。ソファに座らせると、柚葉は智也の口元にキスをした。「今日は一日お疲れ様、智也」智也は優しく彼女の頭を撫でて言った。「風呂に入って、ゆっくり休めよ」柚葉はきょとんとした。まだ夜の7時だったからだ。「智也、もう帰るの?」「今日は一日外にいたからな」智也が時計を見ると、時間は7時10分。今帰れば7時半で、凛もちょうど帰宅する頃だろう。上着を腕に掛けて帰ろうとした智也だったが、急に指を掴まれた。柚葉は潤んだ瞳で智也を見つめる。「智也、本当に帰っちゃうの?」「ここに残るのはあまり良くない」智也は少し眉をひそめた。「俺と凛はまだ夫婦なんだ」その言葉で胸を痛ませた柚葉は、目を赤くする。「もしかして、凛さんのこと好きになっちゃったの?」「そんなことはない」智也は即座に否定した。「柚葉、そんなこと言うな。4年前も、そして今も、俺が愛しているのはお前だけだから」「じゃあ、凛さんは何なの?」「凛は……」その名を口にした智也は、なぜだか喉が締め付けられた。「結婚した以上、彼女に対しては責任があるんだよ」柚葉にとってそれは冗談のように聞こえた。今さら彼女に責任?なら自分は一体何なのだろうか?「智也、ごめんね。私が悪かったの。あの日、力無理やりにでもあなたを引き止めるべきだった。そうすれば、私たち……こんなことにはならなかったのに……」柚葉はこぼれ落ちる涙を指先で拭い、儚げに微笑んだ。智也の心は痛んだ。駆け寄って柚葉を慰める。「お前のせいじゃない。ただ……少しだけ時間が欲しいんだ」柚葉は潤んだ目で問いかけた。「まだ私のこと、愛してる?」「俺が愛しているのはお前だけだ」智也は柚葉の顔を両手で包み、口づけをした。柚葉は智也の胸に抱きつく。「智也、怖いの……」「何が怖いんだ?」「うちの家族、特にお爺様がすごく厳しいの。だから、もし既婚者とこんな風に関わっているなんて知られたら、怒られちゃう。でも我慢
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第65話

【怒らないで】そのメッセージを送った後、柚葉が甘えるように智也の腕に寄り添ってきた。しかし、智也は目を伏せ、一人家で待つ凛を想像し、眉間にしわを寄せる。夫としての責任と長年想い続けてきた女性の間で、智也は板挟みになり困惑していた。もし柚葉が自分に想いを告げず、二人の間に過ちも起きていなかったなら、自分は静かに柚葉を守り支え続けていただろう。しかし柚葉とは一線を越えてしまった。こうなった今でも、柚葉には何一つ名のある関係を与えてやれないのか?だとしたら、凛はどうなる?彼女は聞き分けが良く、思慮深く、優しく、そして自分なしでは生きていけない。二人の間で身動きが取れなくなった智也は、一睡もできなかった。翌朝、智也からのメッセージを目にした凛は、食べていた朝食を吐き出しそうになった。接待が長引いて帰れなくなった?柚葉のベッドから抜け出せなくなっただけのくせに。柚葉が帰国するまで、智也は出張以外、どんなに帰りが遅くなっても必ず家には戻ってきていた。酒の臭いを心配させたくない時は、自らゲストルームで休んでいたくらいなのに。凛が朝食を運べば、その香りで智也は目を覚ました。この4年間、肌の重ね合いがないだけで、その他は本物の夫婦と何ら変わりない生活を送ってきた。大した役者だ、と凛は冷ややかに思った。【分かった】とだけ返信する。午後、智也のスマホに凛が口座を受講中だという知らせが届くと、智也は完全に安心した。実はその頃、凛は庭園に立ち、少し身をかがめたまま、杏が大事にしまっていたアクセサリーを次々と試させられていた。杏にそのまま「一度くるっと回ってみなさい」と言われ、言われるままに軽く一回転して、似合うかどうかを確認する。杏は慎まやかな人で、滅多にジュエリーを身につけなかったが、持っていないわけではなかった。「これらのジュエリーは、史哉が歳をとってから私のために買い集めてくれたものなんだよ。若い頃は金の粒から始まって、金のネックレスとかを買ってきてくれたんだけど、ある日突然、ダイヤモンドのジュエリーセットを持って帰ってきて『今は皆、金じゃなくて宝石を身につけるらしい』ってね」杏は大人しく立っている凛を見て、満足そうに頷く。「あなたには真珠が似合うと思うよ。それに、あのドレスとだって最高に合うはず。当日
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第66話

杏も凛の涙を拭いながら、自身も思わず目を赤く潤ませる。「あの堅物な史哉ことだからね。誰に対しても厳しい顔をするけれど、実はすごく優しい人なんだよ。それに、この話をしたのは、あなたを泣かせるためじゃなくて、たとえ結婚生活に失敗したとしても、心を閉ざさないで欲しいって伝えたかったんだ。心を閉ざして、感情がなくなってしまったら、人間は死んだも同然だからね。それに、たとえ実験に千回失敗したとしてもやり直すだろう?それと同じように、何度でも立ち上がる勇気を持ってほしいんだよ」凛は赤い目でうなずいた。「もう、好きなだけ泣いたらいいさ。でも、夜は泣くんじゃないよ。明日の朝、目が腫れちゃうからね」杏は凛の頬をつねった。「こんなに痩せて、骨ばって。もっと食べるんだよ」凛は涙を拭い、笑顔を浮かべる。「今夜はゆっくりお休み。明日はスタイリストが家に来てくれるから。交流会にもちゃんと参加するんだよ」そして、杏は優しく凛を呼んだ。「谷口博士」凛もそれに応じた。「二宮教授」「プロジェクトが成功すれば、住まいと仕事が保証されるんだから、これからは立派な教授としての道が待ってるはずだよ」杏は念を押した。「だから、今日からはもっと身なりを気にしなさい。せっかく若いんだから、綺麗なドレスを着てヒールを履くんだよ。まさか、まだセール品のカゴから引っ張り出してきたような、野暮ったい靴を履くつもりじゃないだろうね?」凛は小さくうなずく。「わかりました」「スマホも替えたし、髪色も綺麗になった」杏は凛を励ます。「その調子だよ」翌日。凛はいつも通り六時に起きた。今朝は食事を作らず、自身の身支度を始める。服はいつもと変わらなかったが、薄化粧をすると顔が驚くほど明るくなった。竹内グループへ向かうと、海斗らはまだ来ておらず、凛はその広いオフィスで一人資料整理を終えると、リモートで拓海の業務サポートを行った。すると、仁から「スタイリストが到着した」との連絡が入ったので、凛は仕事を切り上げて家に戻る。杏から贈られたドレスを身に纏い、ドレッサーの前に座って、プロの技術に身をゆだねる。メイクの途中で智也から電話が入った。「仕事中か?」「どうしたの?」凛はその質問には答えなかった。「今日の交流会には連れて行けなくなったから、また次の機会でいいか?
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第67話

「ヒールは履き慣れてますか?」「ほとんど履かないです」それでも凛は、とりあえず試してみることにした。歩き始めは平気だと思っていたが、会場に着く頃にはもう足の裏が痛くなってきていた。「凛さん、着きましたよ」仁がわざわざ車から降りてドアを開け、刺繍の入った小さなハンドバッグを渡してくれた。普段は大きなカバンを使っている凛は言った。「これ、スマホくらいしか入りませんね」仁は笑って答えた。「あくまで飾りですから。パーティーが終わるまで車で待機しておりますね」「ありがとうございます」「どういたしまして」仁が車を出した後、次々と豪華な車が横付けされる中、凛はスマホを取り出し、克哉と梓にどこにいるか尋ねる。梓から電話が入った。「先輩、今どこですか?私と佐野先生、もう入り口の前にいます」「私も入り口よ」「正門の前ですか?」「ええ、正門」「おかしいな……見当たりませんよ?」梓は周囲をキョロキョロ見渡す。こんなに狭い場所で、見つけられないはずがないのに。凛は、目の前を二度も通り過ぎて行った梓をじっと見ていた。この子は何をしているのだろう。「梓」凛は電話を切って直接声をかけた。しかし、梓は凛のすぐそばでスマホを耳に当てたまま言った。「今、正門の前にいます!でも、先輩が見つけられません。あ、でも今すっごい綺麗な人を見かけましたよ!目のやり場に困るくらいでした。それに、すぐそばにいるんですけど、なんかすっごく良い香りがします」凛は静かに行った。「……梓、それが私」梓はパッと顔を横に向け、さっき話題にしていた綺麗な人が凛だと気づいて、目を見開いた。「せせせ……」言葉がうまく回らない。「先輩!」梓の過剰な反応に少し戸惑いながらも、凛は淡々と言った。「うん、私」「えーーーっ!」興奮した梓はすぐに走り去って行って、克哉を引っ張って戻ってきた。「佐野先生!見てください。誰だと思いますか!」克哉は近づき、それが凛だと確認した。ドレス姿に化粧をした凛さん?しかし、克哉は自分の目を疑ったのか、メガネを外して拭くと、またかけ直した。「やっぱり、凛さんか!」克哉も驚いた。凛は少し気まずそうにした。「変ですか?」梓は目を輝かせて言った。「最高に綺麗ですよ!先輩!」梓は見とれすぎてよだれまで垂らしそうだっ
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第68話

凛はその場に立ったまま、「元のご主人」という呼び方がやけにしっくりくると感じていた。ようやく離婚する、その実感を噛みしめられるような響きがそこにはあった。凛は軽く首を傾けながら答える。「はい、佐野先生のご想像の通りです」ちょうどその時、胡桃が智也の腕に絡みつきながら、凛の隣を通り過ぎた。パーティーへの期待で目を輝かせる胡桃と、上品な立ち居振る舞いで貴公子のような智也。その表情には、笑みすら浮かんでいる。智也がこちらを見ようとした気配を感じ、凛は即座に顔をそらした。克哉も彼女の身元が割れることを危惧し、一段高いところに立って、凛の姿をしっかり隠す。智也がちらりと横目で見たのは、見知らぬ中年男性と、背の高い華奢な女性の影だけだった。そのまま気にすることもなく、智也は胡桃を連れて会場へ入っていった。入り口のスタッフは招待状を確認すると、微笑んで言った。「谷口社長、どうぞお入りください」智也の背中を見送ると、凛はドレスの裾を少し持ち上げ、ようやく会場へと歩を進めた。先ほどから不審に思っていた梓が駆け寄ってきた。「佐野教授、先輩。谷口社長のこと知ってるんですか?」凛は小さく頷く。「うん」梓はさらに追及した。「ひょっとして、谷口社長って小林先生の彼氏なんですか?」克哉が梓を制止しようとしたが、凛は再び頷いた。「そうよ」「谷口社長、すごくかっこよかったですね。小林先生ともお似合いです」と梓は素直に感想を口にする。克哉は険しい顔つきで言った。「余計な詮索はするな」3人が会場へ入ると、豪華絢爛なパーティーが目に飛び込んできた。歩く男たちは皆エリートか経営者といった面持ちで、女性たちも皆きらびやかなドレスを纏い、高いヒールの靴を響かせている。凛も以前、史哉と杏に連れられ一度だけこのようなパーティーに参加したことがあった。だが、やはり自分には馴染めない世界だと思い、どこか座れる場所を探し、夜が更けるまでじっとしていた。幸い誰にも声をかけられなかったので、立ち回りには悩まされずに済んだ。今夜もそうするつもりで辺りを見渡し、人気のない静かな一角を見つけた。克哉たちに一声かけ、そこに腰を下ろす。椅子に腰かけた途端、耳元に見覚えのある声が響いた。「凛さん?」日和が凛の前にやってきて、嬉しそうに言う。「やっぱり凛さんだ
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第69話

海斗は再び歩を止め、そちらへ顔を向けた。レース刺繍のドレスをまとった凛。髪はアップにされ、整った顔立ちを際立たせている。小さな耳たぶとすらりと伸びた首元に飾られた真珠が、油絵のような美しさを放っていた。「谷口さん?」そばにいた拓海は目を疑う。しかし、海斗は間違いないと言うふうに頷いた。海斗は足先を凛の方へ向けた。明らかに凛のもとへ行こうとしている。すかさず、拓海は耳打ちした。「社長、ある大物の方が社長にお会いしたいとおっしゃっております。イノベーション・テクノロジーの新プロジェクトに関わる大事な機会です。今を逃すと、次はありません」海斗は無念そうに踵を返し、本来の目的先へ歩みを戻した。……深紅のベアトップドレスを纏った柚葉が、車から降りてきた。フィッシュテールのデザインが、彼女の歩みを華やかにする。真っ赤な唇とウェーブのかかった髪が彼女の艶っぽさを引き立て、首元と手元には赤い宝石が煌めく。その姿は、ひときわ人目を引いた。誰だろうと噂するものもいた。しかし、ほとんどの人は柚葉が誰かは知らないようだった。入り口付近で智也の姿を見つけられなかった柚葉は、すぐにメッセージを送った。返信はこうだった。【偉い人を紹介してもらえることになったから、先に入って待ってて。あとで探しに行くから】柚葉は小さく口を尖らせ、ドレスの裾を持ち上げると会場へと上がった。彼女が黒と金が基調の招待状を取り出すと、人々の視線が一気に注がれた。これはセレブというより、技術業界の権威や成功者に配られる特別な招待状だったから。入り口のスタッフが、彼女と英樹との関係を尋ねる。柚葉は笑みを浮かべ答えた。「松田英樹は私の祖父です。私は小林柚葉と申します」「小林様、どうぞ中へお入りください」松田英樹の孫という肩書きがあるおかげで、パーティー会場に入るとすぐ、多くの人が柚葉へ挨拶をしに集まってきた。「小林様、おじい様は最近いかがですか?」皆が単に距離を縮めて情報を探りたがっているのは分かっていたが、柚葉は辛抱強く答える。「おかげさまで。元気にしております」「小林様も科学研究のお仕事をされているんですか?」「ええ、祖父の願いもありますが、私自身も研究が大好きなので。ここ数年は海外で研究していたんですけど、あるプロジェクト
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第70話

「来て……」「まだ来てないんだよ」克哉が梓をさえぎった。梓は意味が理解できなかったが、凛の味方だったので、すぐにこう言った。「来るわけないじゃないですか。先輩は、すごく人見知りで、こういう場所は嫌いなんですよ」柚葉が小さく言った。「そうなんですか」目元に一瞬、軽蔑がよぎる。研究のことしか頭にないガリ勉女が、こんな高級な交流会にすら来ないなんて、招待状が無駄じゃないの。まあ、来ないなら来ないでいい。来られたら来られたで、外では言いにくいことが増えるだけだ。祖父が谷口博士の顔も詳細な情報も教えてくれないから、帰国して二十日、ずっとやりづらい思いをしているのだ。柚葉がその場を離れようとすると、克哉がふと尋ねた。「小林さん、ひょっとして付き合ってる人がいるのかな?」柚葉は少し驚いた。いるかいないかは答えず、こう質問し返す。「佐野先生、どうして急にそんなことを?」「さっき、ホシゾラ・テクノロジーの谷口社長が君の話をしていたからね」梓もうなずく。柚葉は少しはにかんで言った。「はい。でもまだ家族には秘密なので、佐野先生と梓さんも秘密にしていていただけますか?」克哉の心は沈んだ。興味を持った梓は、聞いた。「小林さん。谷口社長と付き合って長いんですか?あのホシゾラ・テクノロジーの谷口社長ですよ?」克哉は静かに聞いていた。「智也とは大学時代から知り合いなので、もう七、八年の仲ですね。もし四年前、私が留学していなければもう結婚していたはずなんですが。でも、心配しないでください、もうすぐ結婚する予定ですので」柚葉は期待のこもった笑顔で言った。「その時は、先生方もぜひいらしてくださいね」梓は笑顔で答える。「楽しみにしてます」克哉は少し遅れてうなずき、また問いかけた。「じゃあ、よりを戻したのはいつごろなんだい?帰国してから?」柚葉は、五十前後の中年男がなぜここまで自分の私生活に首を突っ込んでくるのかと不審に思った。しかし、答えることにした。「帰国してからってわけではないんです。私が向こうにいる間もよく連絡をくれていましたし、たまに会いに来てくれましたから」と、柚葉は笑顔を浮かべる。梓は少しうらやましげに柚葉を見つめた。しかし、克哉はショックでよろめく。梓が慌てて支え、克哉を座らせた。柚葉は心配し
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