All Chapters of 三百年の妻〜常夜の花嫁〜: Chapter 1 - Chapter 10

37 Chapters

第一話 満月の湖

「……ハァ……ハァ……」 夜の森を、荒い呼吸が裂いた。 「助けて……お願い……誰か……」 足をもつらせ、少女は振り返る。 月明かりの下、白い影が立っていた。 「良い子だから……さぁ、こっちへおいで」 優しい声だった。 逃げ場は、もうない。 「いやよ……来ないで……!」 悲鳴は途中で途切れた。 水面が、静かに揺れる。 そして、何もなかったかのように——夜は閉じた。 常夜湖の朝。 死体が見つかったのは、午前五時だった。 若い女が、水面に浮いていたらしい。 俺がその連絡を受けたのは、朝食の席だ。 「また……女子大生だって」 そう言うと、向かいに座る妻は味噌汁を一口飲み、小さく首を傾げた。 「二十歳前後なの?」 「らしい。……また聴取で仕事が止まる。」 「最近は、残業続きだもんね。 いつもお疲れ様。」 妻は、ふっと笑った。 俺は白瀬孝一。 常夜湖の管理業務を任され、久遠市に越してきて三年になる。 妻の名は、白瀬いろは。 どこにでもいる、仲の良い夫婦だ。 .......少なくとも、俺はそう思っている。 常夜湖での事件は今回で三人目だった。 全員、女子大生。 全員、失血死。 全員、常夜湖の近く。 「怖いわね。本当に……」 いろはは湯呑みの縁をなぞる。 その指が、やけに白く見えた。 午後。 仕事帰りに、ひとりの女子大生と会った。 桐野澪。 湖底に沈んだ旧久遠村を、卒業レポートにまとめているらしい。 旧久遠村...今や、この常夜湖に沈んでいる村。 とても昔の話だが洪水災害により壊滅状態に... 100年以上前の話だ。 そこに興味をもつ若い子も珍しい。 「過去の洪水災害で資料を調べてみたら 面白いものを見つけたんです!」 彼女は目を輝かせて言った。 「当時、常夜流しと言う言い伝えがありまして... その内容がまた奇妙で...」 胸の奥が、わずかにざわつく。 「しかも、その年の満月の日に——」 「こらこら、君はオカルトをレポートに あげるつもりかい? なら私は専門外なんだが...」 澪は言葉を飲み込んだ。 「……いえ、...すいません。」 少々強く言いすぎたかな?.
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第二話「狂気」

「三人分、いるかしら?」 その声は、笑っている。 いろはの声が不気味に感じた...。 澪をリビングに案内する。 ソファに腰を下ろしながら、何度も頭を下げる。 「帰る途中から、誰かにつけられてて……」 「気にするな。落ち着くまでいればいい。 警察にも連絡しておこう。」 そう言ったものの、俺の視線は無意識にキッチンへ向いていた。 いろはが魚を捌いている。 トン。 トン。 トン。 包丁の音が、妙に規則正しい。 まるで、秒針みたいだ。 澪もその音を気にしているのか、ちらりとキッチンを見る。 「……奥さん、料理上手そうですね」 「まあ、普通だよ」 答えながらも、俺は違和感を覚えていた。 いろはは料理が上手い。 それは間違いない。 間違いはないのだが...... 「ねえ、あなた」 キッチンから声がした。 「なに?」 「桐野さん、お魚食べられる?」 澪が慌てて答える。 「は、はい!大丈夫です!」 「よかった」 いろはが振り向く。 にっこりと微笑む。 その笑顔は、いつも通りだった。 だが澪は、目を逸らした。 俺はその反応を見逃さなかった。 「どうした?」 小声で聞くと、澪は少し迷ってから言った。 「……怒らないでくださいね」 「内容による。また例の話なら...」 「違います!...奥さんが...」 彼女は声を落とす。 「さっきから、ずっと私を見てるんです」 ぞくり、と背中が冷える。 「そんなわけないだろ」 「でも……」 澪は言葉を飲み込む。 その瞬間。 「はい、お茶どうぞ」 いろはがすぐ横に立っていた。 いつの間に。 俺は思わず身を引く。 澪も肩を跳ねさせた。 「そんなに驚かなくても」 くすっと笑う。 「私が怖い奥さんみたいじゃないの」 澪のカップを受け取る手が震えていた。 「……ありがとうございます」 「緊張してるのね」 いろはは優しい声で言う。 「最近、湖の事件も多いし」 澪の瞳が揺れた。 「そう……ですね」 「若い女の子ばかりだもの」 沈黙。 「怖いわよね」 いろはは笑った。 そして、近すぎるくらい澪を覗き込む。 「
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第3話「満ちていくもの」

「ほら」いろはが、にこりと笑った。その笑顔は相変わらず柔らかい。優しくて、穏やかで――けれど。その奥に、底の見えないものが潜んでいる気がした。まるで深い湖の底を覗き込んだような、不気味さ。俺は思わず視線を逸らした。「きた」ぽつりと、いろはが呟いた。「……え?」聞き返そうとした、その瞬間だった。「きゃあぁぁぁ!!!!」リビングから澪の絶叫が響いた。「どうした!?……澪!!」俺は廊下を駆け抜け、リビングへ飛び込んだ。「水が!?……水が流れ込んできます!!」澪はソファの上に立ち、震えながら叫んでいた。視線を落とす。俺の足元。床の上を――水が広がっていた。「な、なんだこれ……」凄い勢いで水位が上がっていく。足首が一瞬で浸かった。冷たい。いや――冷たすぎる。真冬の湖に足を突っ込んだような冷たさだった。水位は、見る間に上がっていく。くるぶし。ふくらはぎ。「どこから水が……!」俺は慌てて部屋を見回した。天井。漏水の跡はない。窓。割れていない。玄関。閉まっている。それなのに。水だけが増えていく。ありえない。「そんな……どうして……!」澪の声は震えていた。ソファの背もたれを掴み、必死に耐えている。「落ち着け!何か原因が――」自分でも信じていない言葉だった。水位はもう膝まできている。たった数十秒で。ありえるはずがない。その時だった。ジジジ……バチッ!!部屋の電気が瞬いた。次の瞬間。暗闇が落ちた。停電。視界が一気に闇に沈む。「もういやぁぁ!!なんなのこれ!!」澪が泣き叫ぶ。俺は手探りで壁を探した。その時。チャプン……チャプン……背後で、水音がした。ゆっくり振り返る。キッチンの入り口。そこに――影が立っていた。膝まで水に浸かりながら。じっと。動かずに。まるで最初からそこにいたかのように。「……いろは?」暗闇の中、俺は目を凝らす。「いろは!?危ない!こっち来い!」叫ぶ。だが。影は動かない。「おい!聞こえてるのか!?」俺は水をかき分けて近づいた。そして。その腕を掴んだ。その瞬間。ぞわりとした。違う。いろはじゃない。肌の感触が――腐っている。「……え?」暗闇の中で顔を見る。そこにいたのは。女性の形をした、ただれ
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第四話 水の跡

「はやく食べよ?」いろはが微笑む。まるで何事もなかったかのように。ついさっきまでこの部屋は――水で満ちていたはずだった。床を覆う冷たい水。そして。無数の女の手。青白い腕が水の中から伸びてきて――俺の体を掴んでいた。確かに。確かに、あった。なのに。床は乾いている。畳も。家具も。濡れた形跡は、どこにもない。澪が震えた声で言った。「いまの……」喉が張り付く。俺は、ゆっくり頷いた。「……見た。」夢じゃない。絶対に。あの水の冷たさはまだ足に残っている。骨の奥に染み込んだような冷たさだ。いろはは味噌汁をよそいながら首を小さく傾げた。「どうしたの?」その声は本当に不思議そうだった。まるで。俺たちが怯えている理由がまったく分からないみたいに。澪が恐る恐る聞く。「いろはさん……」「さっき……水……」「水?」いろはは、くすっと笑った。「何言ってるの?」あまりにも自然な笑顔だった。演技には見えない。むしろ――本気で知らないような顔。俺と澪は顔を見合わせた。もしかして。本当に。夢だったのか。だが。その時だった。俺の視線がテーブルの上で止まる。箸。茶碗。皿。そして――水滴。ぽたり。床に落ちた。俺の手からだった。「……」指先が濡れている。湖の水みたいに。冷たい。その瞬間。頭の奥に何かが走った。満月。夜の湖。松明の火。白い着物。ゆらゆらと揺れる花嫁行列。水面に映る女たちの顔。そして。――沈められる花嫁。「……っ」俺は頭を押さえた。痛い。脳が軋む。澪が立ち上がる。「大丈夫ですか!?」視界が揺れる。耳鳴りがする。湖の音。ちゃぷん。ちゃぷん。ちゃぷん。水の音が頭の中で響く。そして。女の声。「.......助けて....」「……!」俺は息を飲む。だが。目の前の光景は変わらない。食卓。味噌汁の湯気。いろは。澪。いつもの部屋。いろはは箸を持ったまま。ただ――じっと俺を見ていた。笑っている。でも。その笑顔の奥がどこか深い。「あぁ……大丈夫だ」俺は無理に笑った。「ちょっと疲れてるのかもな……」額に汗が滲む。「急に眩暈がしただけだ」気を紛らわせたい。この空気から一度離れたい。「
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第5話「常夜流しの花嫁。」

第五話 いろはに声をかけられ... リビングに戻ると いろはは、何事もなかったかのように席に座っていた。 「遅いわよ」 味噌汁の湯気が、静かに揺れている。 さっきまで、あの女がいた場所。 テーブルの下を 思わず見てしまう。 何もない。 乾いた畳。 水の跡も もう残っていない。 澪は俺の後ろに立ったまま まだ震えていた。 「……座らないの?」 いろはが首を傾げる。 その仕草は いつも通りの妻だった。 だが。 俺の中で、何かが変わっていた。 この家は―― 普通じゃない。 俺は席に座る。 箸を持つ。 だが 手が震えている。 味噌汁の表面が わずかに揺れた。 ちゃぷん。 一瞬。 湖の水面を思い出した。 「どうしたの?」 いろはが覗き込む。 距離が近い。 近すぎる。 「……いや」 俺は視線を逸らした。 「澪の件だ」 澪がびくっと肩を揺らす。 「警察に連絡する」 「それまで家でうちらで保護しよう。」 いろはは一瞬だけ黙った... ほんの一秒。 それから ゆっくり笑う。 「そうね」 「女の子を一人で外に出すのは危ないわ」 その言葉は 優しい。 だが―― どこか冷たい。 「ねぇ澪ちゃん」 いろはが言う。 「常夜湖について調べてるんだっけ?」 澪の体が 硬直する。 「湖の話よ...」 いろはは くすっと笑った。 「この辺りにはね」 「昔、ある伝説があったのよ」 俺の箸が止まる。 「伝説?」 「ええ」 いろはは 味噌汁を一口飲んだ。 そして言う。 「村で1番可愛い女の子...五人を常夜に 嫁がせるって言う...ね。」 空気が凍った。 澪が小さく息を飲む。 「……え?」 いろはは平然としている。 「昔の話よ。 常夜に繋ぐ満月が湖を照らす夜... 常夜からあちらの住人が、現世に嫁探しに来る。 と言われててね。 その嫁を献上して、常夜に見送るの。」 俺の頭の奥で さっきの映像が蘇る。 松明。 白い着物。 花嫁行列。 そして―― 水の中へ沈む女。 「ば、馬
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第6話「常夜流し」

ちゃぷん。ちゃぷん。ちゃぷん。畳の下から響く水音はまるで湖そのものがこの家の下に広がっているかのようだった。澪が震える声を出す。「……なに……これ……」畳はゆっくりと波打っていた。水面のように。ありえない。ここは家の中だ。だが俺の足の裏は確かに“水の感触”を感じていた。冷たい。深い。底のない水。「三百年よ」いろはが言った。その声は静かだった。だがどこか遠くから響くようにも聞こえる。「わたし……ずっと待ってたの。」澪が叫ぶ。「待つって……何をですか!」いろははゆっくり澪を見た。そして少しだけ微笑んだ。「夫婦の時間を邪魔するなんて野暮よ。」その視線はまっすぐ俺に向けられていた。背筋が凍る。「孝一さん。....いや、孝之助さん。そろそろ起きて...」名前を呼ばれる。その声には三百年分の時間が込められているようだった。「あなたよ」心臓が強く打つ。「……俺?」いろはは静かに頷いた。「ええ」そしてゆっくりと近づいてくる。一歩。また一歩。畳の水はいろはの足元だけ避けるように揺れていた。まるで湖が彼女を主人として扱っているみたいに。澪が震えながら言う。「ちょっと待ってください……」「孝一さんは……関係ないじゃないですか!」いろはは首を傾げた。「関係ない?」小さく笑う。「そんなはずないわ」そして静かに言った。「だってこの人は」「“あの人の魂を受け入れる器...」その言葉に俺の頭の奥がズキンと痛んだ。「……っ」まただ。あの映像。満月。松明。白い花嫁。湖。「……う……」視界が揺れる。澪が俺の腕を掴む。「孝一さん!」だがいろはは優しく言った。「大丈夫」「少し思い出しているだけだから...」「ね....孝之助さん。」いろはが名前を呼ぶと同時に、記憶の扉が開かれたように...当時の記憶が意識に上書きされる。「やめろぉ!」..............................................暗い部屋。蝋燭が一本灯る部屋に寝支度をするいろは...「ねぇ、孝之助さん..私怖いわ」「いろは...俺を信じろ...」「常夜流しは名誉な事なんだ。村長もあぁ、言ってるんだ。次の常
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第7話「五人目」

今も...はっきりと耳の奥に...こびりついている。「.........孝之助」気がつくと、いろはが笑顔でこちらを見ている。「おかえりなさい。あなた...」澪は不安そうに俺の腕を掴み...こちらを見ている。「孝一さん!孝一さん!大丈夫ですか!?」「いろは...俺は...俺は...」思考が追いつかない...孝之助と言うもう一人に意識を持っていかれそうになる。保とうとすると激しい頭痛が...「ぐっ...う...」「もう、一体何なんですか!!?...いろはさん..あなたは何者なんですか!!?」いろはは怒るでもなく、ただ静かに微笑んでいる。「何者……?」くすり、と小さく笑った。その声は、どこか水の底から聞こえてくるようだった。「澪ちゃん...それを知りたい?ならこの子たちに聞いたら良いわ。」いろはの返事と共に...澪の足元から...無数の手が伸びる。「いやぁ!!!」澪の悲鳴が部屋を裂いた。床板の隙間から――ずるり青白い手が這い出してくる。水にふやけた指。皮膚はめくれ、爪の間には黒い泥。一本。二本。三本。やがて――無数の手。ぐちゃ。ぐちゃ。ぐちゃ。まるで床の下に湖そのものが広がっているかのように、澪の身体を這いずるようにその手が姿を現す...「いや…やめて…!」澪が必死に足を振り払う。だが――その手は離れない。ぬるりと絡みつく。その姿は腐乱した肉体の女の化け物が澪にしがみつく...「いやぁーーー離してぇ!離してょ!」「だ...ず...げ...」濁った声だった。喉の奥に泥でも詰まっているような、ぐずぐずに崩れた声。澪にしがみつくその女は――花嫁衣装を着ている。だが、水に浸かり続けた布は黒く変色し、ところどころ裂け、腐った肉と一体化している。皮膚は膨れ上がり、指先は骨が覗き、顔は半分ほど崩れ落ちていた。「だ…ず…げ……」澪の身体にしがみつきながら...「いやぁぁぁ!!」澪は必死に抵抗をするがだが...女は離れない。むしろ、さらに強く抱きつく。腐った腕が、澪の腰に絡みつく。「いやぁ!!やめてぇ!!」その時だった。腐乱した女の首が、ぎぎ……と音を立てて回る。そして――ゆっくりと、いろはを見た。「ぁ……あ……」崩れ
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第8話「三百年の契約」

第8話。.........................「なぁ、聞いたか...村長の娘さん。」「あぁ...山賊に襲われて、暴行を受けたって」「しかもその時に子を身ごもって...」「そりゃあ死にたくなるのもわかるわ...」村人たちが噂をしている。村中の騒ぎになっていた...昨夜、我が久遠村の村長の娘が湖に飛び込んで遺体となったのだ...。久遠村には、村の真ん中に大きな湖がある。そこは昔、黄泉の国に繋がる道の入り口...満月のその時だけがその道が開かれると言われていた。村長の屋敷......「……どうしてだ」村長は、床に膝をついていた。目の前には、娘の着物。湖の岸で見つかったものだった。水を吸い、重くなった布からはまだかすかに湖の匂いがする。「どうして……」震える声だった。「どうして、お前が死ななければならなかった…」村長の娘は、美しい娘だった。優しく、穏やかで。村の誰からも好かれていた。だが。あの日。山から下りてきた山賊が、すべてを壊した。娘は襲われた。体を汚され。そして――子を身ごもった。村人たちは言った。「穢れだ」「村の恥だ」「産むなど許されない」娘は何も言わなかった。ただ。静かに笑っていた。そして...満月の夜。誰にも告げずに、湖へ身を投げた。...............村長は起きた現実を飲み込む事ができず...悲しみに打たれていた...が...悲しみが徐々に怒りに侵蝕されていく...。村長の涙が枯れ果て、怒りに燃えていくその目は...黒く淀んでいた。「……常夜湖には...」低い声で呟く。「門がある...」湖のほとりに、小さな社があることを。そしてそこに神主と巫女が住んでいる。あの二人は、代々。湖の門の開閉を見守る者。満月の夜に、黄泉へ続く門を開き、そして閉じる者。村長は立ち上がった拳が震えている...「……あいつらは」声が怒りに任せ、掠れている。「門を開けることができる...。」そして。ゆっくりと呟いた。「ならば――」目が狂気に染まる。「娘を連れて帰る!!」⸻その夜。かけた月が輝いている...湖の水面は、まるで鏡のように光って夜空と月を写している。湖のすぐそばに、小さな社が建っている。古い木の社。
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第9話「代償」

村長が常夜に沈んだ後――村はどこか息を潜めたように静まり返っていた。風が止んでいる。鳥も鳴かない。湖だけが黒く重たい光を湛えていた。誰もが薄々感じていた。何かが始まろうとしている。最初に異変に気づいたのは井戸番の老人だった。夜明け前。空はまだ暗く村は眠りの底にあった。老人はいつものように井戸の見回りに来た。そこで足を止める。「……水が増えている?」井戸は満ちていた。昨日までは底が見えていたはずなのに。水は黒く淀み月の光を吸い込んでいる。その奥で何かが揺れていた。魚ではない。人の形に似ている。老人は恐る恐る身を乗り出す。次の瞬間。井戸の中から白い手が伸びてきた。喉が凍りつく。声が出ない。腕を掴まれる。体が宙に浮く。そのまま闇の水の中へ引きずり込まれた。ばしゃん!!水しぶきが上がりすぐに静まる。何事もなかったように井戸は満ちたままだった。誰もそれを見ていない。老人が引きずり込まれた後...村のあちこちで水音が聞こえ始めた。ちゃぷん...ちゃぷん...ちゃぷん...床下から。押し入れの奥から。壁の中から。屋根の上から。逃げ場はどこにもなかった。気づいた子供が泣き叫んでいる...「水がいる!!水が襲ってくる!!」母親が慌てて灯をつける...畳が濡れている。いや濡れているのではない。揺れている。呼吸するように。家の中が湖になっていた。「何だよ……これ……」誰かが呟く誰も答えられない。やがて湖が溢れ始めた。静かに怒号もなくただ意志を持つかのように。水は道を選び家を選び人を選んで飲み込んでいく。「山へ逃げろ!!早く!!」村人たちは走り出す子供を抱く母足の悪い老人を支える若者荷を捨てて泣く女混乱は...一瞬で広がった。その時...男の足首を何かが掴んだ。「何だ……!?」水の中に女がいた。白装束濡れた長い髪喉が裂けている血は流れていないただ黒い傷口が口のように開いている。社にいたあの巫女だった。男は震える。「た、助けてくれ……た、頼む....」巫女は静かに言う。「門を閉じる者を殺したのは――あなたたちです」水が弾ける...男の体は湖へ消えた。悍ましい現実に...
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第10話「黄泉越しの約束。」

村長が黄泉に向かった後に起きた悲劇。一人の娘を取り戻す条件は、村人全てを巻き込んで起きた壮絶な犠牲を伴った。湖の闇を進み、村長は黄泉の入り口に立っていた。満月の光は届かず、周囲は完全な暗黒に包まれている。一歩足を踏み出すと、足元の闇が吸い込むように広がった。——ここから先は、現世ではない。歩みを進めると、かすかな声が聞こえた。「お父様……お父様なのですか……!?どうしてお父様が.....!?」胸を打つ、娘の悲しみの声。村長の瞳に光が戻る。「迎えにきたぞ!さぁ、姿を見せろ。一緒に村へ帰ろう!」闇に沈む空間の中、微かに光る影が形を取り始める。娘の声が返る。「ここは黄泉の国……私はもう出られません。私のことは良いのです。だから...お父様はお帰りください。」村長は拳を握る。「大丈夫だ!父に任せろ!さぁ、早く帰るぞ!」——その声に応えるように、闇からゆっくりと影が浮かび上がる。黒い闇が水のように揺れ、人の形を成した瞬間、目の前に巫女が立っていた。だが以前とは違い、傷はなく...見てるだけで引きずり込まれるような艶美な雰囲気を強く押し出している。村長の胸が凍る。「貴様は……殺したはずだろう」巫女は微笑む。「ふふっ……あなたのおかげですわ。村の方々の魂を、全て代償としていただきましたの」村長は後ずさる...「何!?全てだと!?」巫女は冷たく、美しく、そして怪物じみた微笑を浮かべたまま、ゆっくりと歩み寄る。「あなたが主様と契約なされた以上、主様からあなたの代償の継続を監視するように、こうしてお身体をいただいたのですよ。」村長の瞳が怒りと恐怖で揺れる。「何を、言っている!?」巫女は身を翻し、月の光のように白く輝く姿を見せる。「お約束通り、あなたの娘はお連れしますわ。ですが……もはや娘は黄泉の者。現世に返すとするなら、存在を維持できませんの。」村長の声が低く震える。「……なら、どうすれば……!」巫女は冷たく、しかし残酷な微笑を浮かべた。「なので、村長。あなたは、これから私が言うことを、即座に実行し、継続して行わねばなりません。そうでなきゃ...主様との約束も...もちろん娘様もここから出しません。あなたも.....ね。」あまりに理不尽な要求に、村長は巫女に拳を振り上げる
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