All Chapters of 元夫の目は節穴?名門令嬢が電撃再婚!: Chapter 301 - Chapter 310

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第301話

凪杜が野々花に向ける、際限のない優しさを、絃葉はすべて見ていた。彼という人間を骨の髄まで知り尽くしているからこそ、その優しさの裏には、どうしても拭いきれない不穏なものが潜んでいるように思えてならなかった。受けた仕打ちは必ずやり返す凪杜が、自分を裏切った野々花を、そう簡単に許すはずがない。ただ、彼が今どんな思惑で動いているのか、絃葉にはまだ見抜けなかった。とはいえ、二人はもう、誰よりもよく知る他人にすぎない。今さら彼が踏みとどまろうが、このまま奈落へ落ちようが、自分には関係のないことだ。二度と彼の人生に関わるつもりもなかった。絃葉と景は家に戻って荷物を置き、しばらくポコとペコをかまったあと、一緒に夕食を食べに出かけた。海城の寒さは日に日に厳しさを増していたが、街には年末らしい華やいだ空気が満ちていた。絃葉が身体の温まるお鍋を提案すると、景も異論はなく、二人は彼女が薦める、最近話題になったばかりの店へ車を走らせた。野々花のせいで感じていた不快感も、景が現れた瞬間、すっかり消え去っていた。絃葉は楽しそうに店の説明を始めた。「ここ、最近すごく人気なの。SNSでも布教してる人が多くて。この前、悠と来たんだけど、本当においしかった。特に牛もつとエビ団子が新鮮で、食感も最高だったの!」景がわずかに眉を寄せた。「布教?この店で何かの宗教活動でもしているのか?」絃葉は箸を宙に止め、呆れたように笑った。「......築山社長ともあろう人が、『布教する』の意味も知らないの?」自分が流行に乗り遅れているらしいと察した景は、さりげなくスマホを取り出し、すぐに意味を調べた。「悪かった。ネットで使われる新しい言葉には、あまり詳しくないんだ」それから真顔で付け加える。「これからはきちんと勉強して、時代に取り残されないようにする」「だね!」絃葉は笑顔でうなずき、牛もつを煮立ったスープへ入れた。「さっきはちょうどいいところに来てくれて助かった。あの三人にあれ以上嫌な思いをさせられていたら、夕食なんて喉を通らなかったと思う」景の目に笑みが浮かぶ。「何を言われた?」絃葉は頬杖をつき、先ほど野々花が口にした言葉を、身振りや声色までそっくりにまねてみせた。そのあまりに見事な物まねに景は笑い、思わず彼女の頭を
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第302話

静代はメニューをそのまま優奈に手渡し、わざとらしいほど親しげな口調で言った。「優奈ちゃん、好きなものを選んで。遠慮しなくていいのよ。今日は景がご馳走してくれるから」その瞬間、場の空気が凍りついた。鍋から立ち上る湯気が4人の間を漂っていたが、張り詰めた冷気を和らげることはできなかった。景は眉間に深いしわを刻み、全身から冷たい威圧感を漂わせた。静代の言葉には答えず、テーブルに設置された呼び出しボタンを押す。すぐに店員がやって来ると、低い声で告げた。「すみませんが、2番のテーブルに移らせてください。ここでは狭すぎるので」静代の表情がわずかに変わった。「わざわざ移るなんて面倒でしょう。何?そんなにお母さんと同じテーブルで食事をするのが嫌なの?」「そういうわけでは。ただ、このままでは落ち着いて食事ができないので」景は冷淡に答えると、優奈へ目を向けた。「楠原さんも、少し離れてもらえますか。そんなに詰めて座られたら、絃葉が落ち着きません」優奈の笑顔が固まった。「景......」静代はたちまち腹を立てた。「景、優奈ちゃんに向かって何て言い方をするの!?私が海城にいる間、この子が忙しい合間を縫って何度も付き合ってくれたのよ。仕事でもあなたにずいぶん協力してくれているのに、それを......」景は冷ややかに遮った。「仕事と私生活は別だ。仕事では、楠原家からの要望が妥当な範囲であれば、こちらも便宜を図っている。そもそも提携は、互いに利益があってこそ成り立つもの。お二人が個人的に親しくするのは二人の自由です。俺には関係ない」静代は怒りのあまり、顔を赤くしたり青くしたりした。「あなたって子は......」やがて矛先を絃葉へ向け、震える指で彼女を指さした。「全部あなたのせいよ!景をそそのかして、母親である私の言葉まで聞かなくなった!でも、よく覚えておきなさい。私がいるかぎり、あなたを築山家の嫁として認めることは絶対にありませんから!」絃葉が口を開くよりも早く、景が厳しい声を上げた。「母さん、俺の婚約者にそんな言い方をするのは許さないぞ!」「婚約者」という単語が、鋭い氷の刃となって静代の胸に突き刺さった。隣にいた優奈も瞬く間に顔を青ざめさせ、信じられないという目で景を見つめた。静代は念入り
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第303話

怒りに任せて立ち去った静代と優奈の姿が見えなくなると、絃葉は気まずそうに景を見た。「ごめんなさい......私のせいで、あなたと静代さんが......」「謝る必要はない」景は彼女の言葉を遮り、静かな口調で続けた。「母さんとは、昔からあんな関係なんだ」絃葉は驚いた。「どうして静代さんと――」「その話はまだ今度。さあ、冷めないうちに食べよう。あの二人のせいで食欲までなくすことはない」絃葉の胸がわずかに沈んだ。景と両親との間に、底知れないほど深い溝があることを、彼女は敏感に察していた。両家は昔から親しかったものの、絃葉は幼くして父を亡くし、祖父に育てられた。そのため景が築山家でどのような生活を送ってきたのか、築山家の祖父が時折口にするわずかな話を除けば、ほとんど何も知らなかった。景と静代のわだかまりを解かないかぎり、結婚後、築山家の一員としてうまくやっていくのは難しいだろう。とはいえ、焦ってどうにかできる問題ではない。時間をかけて少しずつ解決していくしかなかった。絃葉は静代を恨んではいない。そもそも、かつてわがままを通して景のもとを離れたのは自分だ。今の静代が優奈を気に入っているのも、無理からぬことだった。それ以上考えるのをやめた絃葉は、すぐに気持ちを切り替え、景とともにお鍋を存分に楽しんだ。普段はそれほど辛いものを食べない彼女だが、お鍋だけは別で、刺激の強い辛さを好んでいた。辛さで唇を真っ赤にしている絃葉を見て、景は心配しながらも、どこかおかしく感じたらしい。つられるように鍋へ箸を伸ばし、牛もつを一切れ口にした。もともと薄味を好む彼だったが、辛いスープで煮込まれた牛もつは、意外にも癖になる味だった。一口で気に入った景は、そのあとも続けて箸を伸ばした。だが、その報いはすぐにやって来た。たちまち顔全体が真っ赤になり、唇まで真っ赤になる。その姿を見た絃葉は、思わず吹き出した。「築山社長にも、こんな日が来るのね。健康第一の人が、とうとう禁を破ったの?」景も笑った。「君に悪い影響を受けたらしい。でも、確かに癖になる味だな」言いながら、景は氷水を一気に飲んだ。「そんなに気に入ったなら、これからも一緒に食べに来よう?」絃葉は目を細め、嬉しそうに笑った。景も優しい声で応じ
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第304話

「西尾さん、進展はいかがですか?祐一郎さんには会えました?」健二はただでさえ、腹の中に激しい怒りを溜め込んでいた。療養施設では景に大勢の前で侮辱され、面目を潰されたうえ、家に帰れば妻から小言を浴びせられた。このところ、ずっと鬱々とした日々を送っていた。そんなところへ優奈が電話をかけてきたため、健二はたちまち怒りを爆発させた。「楠原さん、これは西尾家の問題だ。部外者の君に余計な口を挟まれる筋合いはない!会えたかどうかは私の問題だ。君に指図される覚えもない!失礼する!」吐き捨てるように言うと、乱暴に電話を切った。無機質な通話終了音を聞きながら、優奈は危うくスマホを投げつけそうになった。自分が周到に練り上げた一石三鳥の策が、これほどあっけなく崩れるとは夢にも思わなかった。静代も、凪杜も、健二も、誰一人として役に立たない。もはや当てにはできなかった。このままでは、景と絃葉の仲がますます深まってしまう。今日、あれほど人目もはばからず絃葉をかばった様子は、一時の気まぐれとは到底思えなかった。むしろ、あれは明らかに――優奈はそれ以上考えることを恐れ、慌てて否定した。――あり得ない!景が絃葉を愛するなど、絶対にあり得ない。ただ遊んでいるだけだ。今は夢中になっているようだが、きっと絃葉が何らかの手を使って、彼を惑わせたに違いない。誰も当てにできないのなら、自分で動くしかない。大勢の前で絃葉の化けの皮を剥がし、恥をかかせ、自信を失わせる。そして海城に居場所をなくし、自ら景のもとを離れるよう仕向けるのだ。だが、絃葉の弱みなど、どこで探せばいいのだろう。そう考えていると、突然、見覚えのない番号から電話がかかってきた。優奈は苛立ちながら電話に出た。「もしもし?」受話口から甲高い女の声が聞こえてきた。「楠原さんですか?澤木家の妻、野々花です。少しお会いできませんか?」優奈は眉をひそめた。「澤木家の妻?誰です、それ」野々花はすぐに説明した。「澤木凪杜の奥さんよ。西尾絃葉は今、築山景に取り入っているんでしょう?楠原さんも気に入らないはずよ。奇遇ね。彼女は私にとっても目障りな相手なの。彼女の弱みをいくつも知ってるわ。どうかしら?」優奈はたちまち目を輝かせた。まさに渡りに船だ。「分かった
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第305話

さすがに人目のある場所だったため、景は夢中になりながらも節度を失わず、息が追いつかなくなる頃にようやく彼女の唇を解放した。絃葉は小さく息を弾ませながら、力が抜けたように彼の腕の中へもたれかかり、両腕を引き締まった腰に回した。景はカクテルを一口含むと、口移しで絃葉に飲ませた。ちょうど喉が渇いていた彼女は素直に唇を開き、少しずつ吸い取っていく。その姿は、まるで大切に世話をされている赤ん坊のようだった。二人は周囲の目などまるで気にせず、親密な時間に浸っていた。2階の手すり際から、3組の目が一瞬もそらさず自分たちを見つめていることには、まったく気づいていない。そのうちの一人は、スマホを構えて動画まで撮影していた。湊は動揺を抑えるように、ウイスキーを一気にあおった。「嘘だろ!下で女を抱き締めて熱烈なキスをしてるあいつ、本当に俺たちの知ってる、あのクールな築山景か?!」悠は満足そうにスマホをしまった。「私のほうが信じられないわ。彼に抱かれているのが、あの大人しい絃葉だなんて。見る目が変わっちゃいそう」正真はグラスを揺らしながら、うんざりした顔をした。「お前らさ、次から次へと俺の前でいちゃつきやがって。これは独り身への当てつけか?」悠は大笑いした。「前は疑ってたんだけど、今日ようやくこの目で確かめたよ。待って、この動画を絃葉に送って、どんな反応をするか見てみようっと!」送信ボタンを押そうとしたとき、階下の景が、絃葉と指を絡めた手をそっと持ち上げた。カウンターの暖かな黄色い照明にかざし、ダイヤモンドの指輪と二本のブレスレットが輝き合う写真を撮る。そして、その写真をそのまま仲間内のグループチャットへ送りつけた。二人の手が固く重ね合わされた写真だった。湊はたちまち耐えきれなくなった。湊【おい、いい加減にしろ!今どき、こんな写真を送りつけて人を煽る奴がいるか?】正真も追い打ちをかけた。正真【撮り方が壊滅的にダサい!見てられないから、もう送るな!】湊がさらにとどめを刺す。湊【これ以上見せつけたらグループから追放するぞ!それでも自慢できるものならしてみろ!】景は平然と返信した。景【結婚は幸せだということを、独身のお前たちにも教えてやろうと思ってな】景【俺の妻は、指が白くて細くて長い。俺
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第306話

「いつまでも遊び相手ばかり探して、まともな恋愛をする気がないなら、グループから追放するぞ」正真は固まった。「......お前は風紀委員か?人のことに首を突っ込みすぎだろ」景は身を寄せ、真剣な面持ちで言った。「恋愛はいいものだ。心から一人の人を愛する喜びは、百人の女と寝るよりも深い。俺を信じて、一度試してみろ」湊も正真の肩に腕を回し、賛同した。「こればかりは景に同意だな。俺も昔は遊んでたけど、正直、悠ちゃんと一緒にいる今のほうがずっと満たされてる。そういえば正真、お前も昔、好きだった女の子がいたよな?」心の奥に沈めていた記憶を呼び起こされ、正真の目に寂しげな色が浮かんだ。自分が何度も傷つけた末に、去っていったあの女性を思い出す。「もう分からない......彼女は2年前に海城を離れて、それからどこにいるのかも知らないんだ」景は彼の肩を強く叩いた。「今すぐ電話するんだ!」湊もけしかける。「そうだ!もしかしたら、向こうもお前を捜してるかもしれないぞ!」正真は半信半疑ながらも深く息を吸うと、少し離れた場所へ行き、2年間一度もかけられずにいた番号へ電話をかけた。それから20分ほどが過ぎた。2組のカップルが「真実か挑戦か」のゲームで盛り上がっていると、正真が突然、険しい顔で飛び込んできた。上着をつかみ、そのまま外へ駆け出そうとする。湊は慌てて彼を引き止めた。「え、どこへ行くんだ?」正真が振り返る。その顔は、今にも雨が降り出しそうなほど暗く沈んでいた。「彼女はどこにも行ってなかった。ずっと海城にいたんだ......それに......俺の息子を産んでた。つい最近、1歳になったばかりだ」「え?!」個室にいた全員が、驚きのあまり一斉に目を見開いた。正真は興奮しながら湊の手を振り払った。「止めるな!今すぐ会いに行かなきゃ......DNA鑑定をして、もし本当に俺の子だったら......」景と湊を見回すと、それまでの落ち込んだ様子はきれいに消え去り、顔には得意げな笑みが満ちていた。「お前らなんて、まだまだ雑魚だな。弱すぎる。いくら仲がよくても、子どもまではいないだろ?悔しかったら、お前らも作ってみろよ!」二人に向かって得意満面にウインクする。「じゃあな!息子だと確認できたら
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第307話

その夜の景は、いつにも増して性急だった。絃葉が目を閉じてシャワーを浴びていると、ふいに足音が聞こえた。振り返ると、景がドアを開けて入ってくるところだった。身につけているのは下着一枚だけで、引き締まった逞しい上半身があらわになっている。絃葉の涼やかな目元に、かすかな羞恥がにじんだ。「何をするつもり?」「一緒に風呂入ろう」絃葉は一瞬、言葉に詰まった。「......『遅れを取り戻す』って、こういう意味だったの?」景は、その言葉で思いついたように答えた。「それも悪くないな」......シャワーの雫が、くっきりと割れた彼の腹筋へ降り注ぐ。水滴は筋肉の輪郭に沿って滑り落ち、たちまち彼の全身を透き通った水の膜で覆った。絃葉は無意識のうちに彼の肩へ手を伸ばし、流れ落ちる雫を追うように、指先をゆっくりと下へ滑らせた。胸の奥に眠っていた欲望が、静かに火を灯される。「キス、してもいい......?」彼女が囁いた瞬間、大きな影が覆いかぶさり、その姿をすっかり包み込んだ。景は白くほっそりとした彼女の両脚を軽々と持ち上げ、自分の引き締まった腰へ絡ませた。絃葉は彼の熱い胸板に指先を当て、からかうような声で呼びかけた。「景......」言いながら、いたずらっぽく彼の耳たぶを軽く噛んだ。「これ以上煽ると、ただでは済まないぞ」景の声は低く、熱を帯びていた。絃葉は意味を知りながら、わざと問い返した。「どうなるの?」言い終わるよりも早く、彼女の背中が冷たいガラスへ強く押しつけられた。「俺に食べられる」次の瞬間、男の激しい愛撫が押し寄せた。浴室にはシャワーの音が激しく響き、すべての声を覆い隠していた。......やがて絃葉がバスタオルに包まれ、景に抱かれてベッドへ戻ったときも、その身体にはまだ水気が残っていた。目尻は赤く染まり、頬は熱を帯び、身体も先ほどの震えから抜け出せずにいる。景は彼女の上に両腕をつき、熱い眼差しを注いだ。「もし正真の子どもだと分かったら、あいつはきっと大騒ぎして自慢するだろうな......」絃葉は唇を噛んだ。「......景も、子どもが欲しいの?」景の瞳には、隠しようのない切望が宿っていた。「正直に言えば、欲しい」そう答えると、すぐ
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第308話

翌朝、絃葉が目を覚ましたときも、まだ頭がぼんやりしており、全身がひどくだるかった。昨夜......景は、この一週間分をすべて取り戻すと言って聞かなかった。骨を一度ばらばらにされ、組み立て直されたような感覚で、ベッドから起き上がったときには、自分の身体ではないようにさえ感じられた。身支度を済ませ、バスローブを羽織って階下へ下りると、景が朝食をテーブルに並べていた。すでに身なりを整え、仕立てのよいスーツに身を包んでいる。広い肩と引き締まった腰、すらりと伸びた長い脚が際立ち、禁欲的で気品に満ちた佇まいには、大人の男ならではの魅力があふれていた。だが、その完璧な外見の下に、どれほど激しい一面が隠されているのかを知っているのは絃葉だけだった。「おはよう。体は大丈夫?」景に尋ねられ、絃葉は眉を上げて聞き返した。「かなりだるい気が......景は大丈夫なの?」景は首を縦に振った。「ああ。今朝は3キロ走ってきた」絃葉は彼に歩み寄り、その引き締まった腰へ腕を回した。「本当に大した体力ね」景が尋ねた。「会議で京城へ飛ばなければならないんだが。一緒に来るか?」絃葉は、以前一緒に行くと約束したことを思い出した。ちょうどこの2日間は週末だった。「行く」景の顔に満足そうな笑みが広がり、彼女の唇へ軽く口づけた。「朝食を食べたら出発しよう。佳樹に君の航空券も取らせる」絃葉の席には、野菜サラダと焼きたてのワッフル、ゆで卵と温かいミルクが用意されていた。彼女は目を上げた。「ずいぶん豪華ね」景は何食わぬ顔で答えた。「昨夜は大変だったからな。しっかり栄養を取ってもらわないと」絃葉の頬が熱くなった。「......京城には行くけど、今夜はお休みにするからね」景の目に一瞬だけ残念そうな色が浮かんだが、すぐに優しく彼女の鼻先をつまんだ。「分かった」二人は向かい合って座り、静かに朝食を取った。やがて景が口を開いた。「京城に着いたら、母方の祖父母に君を紹介したい。祖父は画家で、祖母は翻訳家だった。二人とも今は引退している」絃葉の胸に、かすかな緊張が走った。「二人は......私を気に入ってくれるのかな」景は落ち着いた声で答えた。「大丈夫だ。祖父母は俺の両親とは違う。俺が好きになった人
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第309話

絃葉はホテルに戻ると、心地よいベッドでたっぷりと眠った。景の会議は午後1時ごろまで続いた。ホテルへ戻り、絃葉が気持ちよさそうに眠っているのを見ると、彼もベッドに入り、彼女を抱き寄せてしばらく昼寝をした。午後3時ごろ、景は祖母からの電話で目を覚ました。空腹でたまらなかった二人は、「餃子はもうすぐ出来上がり」と聞くと、すぐに支度をして祖父母の家へ向かった。景の母方の祖父母は、京城の中心部にある、静かな屋敷で暮らしていた。伝統的な中庭のある邸宅で、中央には大きなザクロの木が植えられている。花の咲く季節ではなかったものの、長い年月を重ねた太い枝が冬の青空へ向かって伸び、その先には乾燥した赤いザクロがいくつか残っていた。小さな提灯のような実が、静かな中庭に温かな彩りと生命力を添えている。絃葉は門をくぐった途端、焼き餃子の香ばしい匂いに気づいた。景は彼女の手を引き、足早に居間へ向かうと、大きな声で呼びかけた。「ばあちゃん!じいちゃん!ただいま!」「まあ、来たのね!ずっと待ってたのよ!」祖母の声が台所から聞こえた。「おじいちゃんったら、あなたたちと一緒に餃子を食べるんだと言って、お昼も食べずに今まで待っていたのよ!」祖母は、焼きたての餃子を山盛りにした大皿を二枚運んできた。絃葉の姿を目にした途端、その顔に慈愛に満ちた笑みが広がる。皿をテーブルに置くと、すぐに絃葉のもとへ歩み寄り、にこにこしながら彼女の手を握った。「あなたが絃葉ね?景から何度も話を聞いていたのよ。今日やっと会えたわ。まあ、本当にきれいなお嬢さんね。みずみずしくて、ひと目で育ちがいいのだと分かるわ」褒められた絃葉は、少し照れながら挨拶した。「は、初めまして......」祖父も祖母の後ろから姿を現した。両手を背中に回し、穏やかな笑みを浮かべながら絃葉を見つめる。「景から、君も私と同じように絵を描くのが好きだと聞いている。作品も見せてもらったよ。なかなかよかった。とても才能がある」「ありがとうございます」「いつまでも立っていないで!さあ、餃子が冷めないうちに食べましょう!」祖母は親しげに二人を席へ促した。「こちらの味が口に合わないといけないと思って、多磨城でよく食べられている、海老と大葉の餃子も作っておいたの。
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第310話

祖母はさらに小言を続けた。「もう30にもなる、いい大人でしょう。おじいちゃんが景くらいの年のころには、もう2人の子どもの父親だったのよ。それなのに景ときたら、毎日仕事、仕事ばかりなんだから」そう言って絃葉の手を取ると、にこにこと笑った。「絃葉はこんなにきれいで、頭もよくて、性格までいいんだもの。景にはもったいないくらいよ。でも安心して。おばあちゃんもおじいちゃんも、絶対に絃葉の味方だから。これから景に意地悪をされたら、すぐおばあちゃんに電話するのよ!」景の口元がわずかに引きつった。「ばあちゃん、俺ってそんなにひどい男?」祖母は呆れたように彼を睨んだ。「自分がどんな人間か、自覚がないの?私たちにはよく分かっているわよ」絃葉は思わず笑った。「おばあさま、景はとても優しい人です。私のことも大切にしてくれていますから、意地悪なんて」祖母は安心したようにうなずいた。「あなたが景を好きでいてくれるなら、私たちも安心だわ。景、これからも絃葉を大切にするのよ。分かった?」景は当然のように答えた。「言われなくても分かってる」絃葉は、自分が今日初めてこの家を訪れたのではなく、以前から何度も来たことがあるような錯覚を覚えた。彼女はこれまで、母方の祖父母にかわいがられた記憶がなかった。母が亡くなって以来、両家の交流が途絶えてしまったからだ。今この場所に満ちている温かな家庭の雰囲気は、彼女にとって初めて味わうものだった。食事を終えると、絃葉は自分から食器を片づけ、洗おうとした。ところが祖母は、その食器をすべて景の前に置くと、絃葉の手を引き、奥の部屋へ入っておしゃべりを始めた。この古い日本家屋は築年数こそ経っていたが、室内は温かみのある落ち着いた調度品でまとめられていた。祖父母は景のために部屋を一つ残しており、そこには彼が幼いころから成長するまでの写真が、所狭しと飾られていた。写真に写る、頬がふっくらとした丸顔の男の子を見つめた瞬間、絃葉の脳裏に懐かしい記憶が次々とよみがえった。祖母が静かに語り始めた。「子どものころは、母親は舞台の仕事で忙しく、父親は商売にかかりきりだったの。7歳になるまでは、重久さんのそばにいるか、京城で私たちと暮らしているかのどちらかで、両親とはほとんど会えなかったわ」祖母はた
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