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第7話

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「篠、ご飯ちゃんと食べてる?増田さんと一緒に、またこっちに帰ってこない?結婚式のこともあるし、そろそろみんなで話し合わないと……」

「お母さん」篠は理恵の言葉をさえぎった。「私、あの人とは結婚しないから」

電話の向こうで、数秒間の沈黙があった。やがて、いつものようにおどおどした理恵の声が聞こえてくる。「増田さんは条件もいいし、あなたにも優しくしてくれる。あんな人、めったにいないんだから、そんなこと言わないの。優しい人なんだから、あとは我慢すれば全てがうまくいくわ」

また「我慢」だ。

理恵はずっと我慢ばかりの人生だった。プライドを捨て、自分を押し殺すことが彼女の運命だと信じ込んでしまうほどに。

篠の胸はぎゅっと締め付けられるように痛んだ。

深く息を吸い込んで、尋ねる。「お母さん、私と一緒にここを出て行く気はある?」

「出ていく?」理恵は戸惑った。「お父さんは最近やっと私に優しくしてくれるようになったし、私が出て行くったって、どこに行けるっていうの?篠、早まっちゃだめ。増田さんと結婚すれば、お父さんも喜ぶし、そうすれば、うちは……」

その先の言葉を、篠はもう聞いていなかった。

ぎゅっと目をつぶり、喉の奥にこみ上げてくるものをこらえる。「またかけるね」とだけ言って、電話を切った。

近くの大型モニターでは経済ニュースが流れていて、女性キャスターが、はきはきとした声で原稿を読み上げている。

「江川市出身の久保菖蒲氏が、この度、宗盛キャピタルの新CEOに就任しました。関係者によりますと、彼女の背後には巨大な資本関係が存在するとのことです。

また、宗盛キャピタルの利益操作を報じて問題となっていた松尾記者ですが、本日付けで辞職したことが独自取材で判明しました。宗盛キャピタルが同記者への訴訟を続けるかは、まだ分かっていません。

また、この松尾記者の評判は以前から悪かったようで、記者という立場を利用して圧力をかけたり、気に入らない相手は記事にしてマイナスなイメージを植え付けると公言していたとの情報も入っており……」

モニターには、あの夜のラーメン屋でのインタビュー映像が映し出された。金髪の男が、憤慨した様子で篠を非難している。

立ち止まって見ていた通行人たちも、ひそひそと話し始めた。

「最近の記者って、注目を集めるためなら何でも書くんだな」

「本当。無責任にもほどがあるよね。訴えられればいいのに」

「しかも女なんだって。偉そうじゃない?」

篠はその場に立ち尽くした。モニターに流れるニュースと、周りの人々の声を聞きながら、もう自分が今どんな気持ちなのか、分からなくなった。

記者になってからずっと、一つ一つの記事で言葉を吟味し、データも何度も確認してきた。自分の仕事に、そして自分自身に、恥じるようなことは一度もしていない。

それなのに今、真実が簡単にねじ曲げられ、自分の信念は、「やりたい放題」だと非難されている。

すると突然、何の前触れもなく、大粒の雨がばらばらと降ってきた。

通行人たちは悲鳴をあげて雨宿りの場所を探し、散り散りになっていく。篠だけが、その場に立ち尽くしていた。

雨で、あっという間に視界がぼやけていく。

かすむ視界の向こうの通りの角で、一つの傘に入った親子三人の姿が見えた。父親は娘を肩車していて、楽しそうな笑い声までも聞こえる。

若いカップルは相合傘をして、彼氏が彼女を優しく自分の方へ抱き寄せるのも見えた。

彼らには帰る場所があるのに、自分だけが冷たい雨の中に置き去りにされたようだった。

その後どうやって自分のマンションに帰ってきたのかは、覚えていない。濡れた服も着替えず、ふらつきながらソファまで歩くと、全身の力が抜けたように倒れ込んだ。

意識が遠のく中、体中が凍えるように寒い、とだけ感じた。

熱があるのは分かっているのに、体はぴくりとも動かない。指一本持ち上げる力も残っていなかった。

夢うつつの状態で意識が浮かんでは沈む。すると、ふと魂が体から抜け出て、空からすべてを見下ろしているような感覚になった。

篠は見た。陸に優しい言葉をいくつかかけられただけで、今までの屈辱的な扱いを忘れて満足そうに笑う理恵の姿を。

菖蒲の隣に立ち、会議での注意点を一つ一つ丁寧に教えている宗介の姿を。

煌々と明かりがついた会社では、同僚たちが忙しそうに働いている。自分が辞めたことなんて、まるでなかったことのように……

そしてようやく、浮遊していた意識が自分の体へと戻ってきた。

再び目を開けると、窓の外はすっかり明るくなっていた。

喉がカラカラに乾き痛い。篠はなんとか体を起こすと、手探りでスマホを掴み、日付を確認した。

3日が過ぎていた。

篠は力の入らない体をどうにか支えながらバスルームへ向かう。鏡には、青白くやつれた、見るに堪えないほどみすぼらしい顔が映っていた。

彼女は鏡の中の自分をじっと見つめ、それからシャワーをひねった。

身支度を終えると、篠はリビングに行き、すでに荷造りを終えていたスーツケースを手に取ると、振り返ることもなく家を出たのだった。

空港のロビーに、アナウンスが響く。

篠はセキュリティーチェックを抜け、国際線の搭乗ゲートへと向かった。

大きなガラス窓の向こうで、何機もの飛行機が離着陸を繰り返し、それぞれの空へと飛び立っていく。

搭乗案内のアナウンスが流れ、彼女は立ち上がった。

飛行機が轟音と共に大空へ舞い上がった。窓の外では、太陽の光が雲海を突き抜け、あたり一面を金色に輝かせている。
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