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第2話

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その後も結局、宗介の秘書である鈴木が薬と栄養ドリンクを届けにきただけだった。

あの時はまだ、宗介は仕事第一の人だから、自分が我慢をしなくては……と自分に言い聞かせていた。

飛行機を降りると、篠はそのまま会社へ向かった。「中村さん、宗盛キャピタルが利益操作をした疑いについての原稿、もうまとめてありますので」

「松尾?」中村英樹(なかむら ひでき)はパソコンの画面から顔を上げた。「1週間の有給をとったんじゃなかったのか?まだ2日目だろ……」

「仕事が一番ですから」そう言いながら篠はもう一枚、申請書を英樹の前に差し出す。「E国への研修申請です。本社に交換研修の枠がありますよね?それに応募したいんです」

英樹の視線は申請書から、デスクの縁に置かれた篠の左手へと移った。

薬指には何もなくなっていた。そこにはプラチナの結婚指輪が輝いているはずなのに。

英樹はすべてを察し、責任者欄にサインをした。

「会社としても、君にはぜひ行ってもらいたいと思っていたんだよ。君ほどの才能があれば、外の世界を見て視野を広げることで、もっとジャーナリズムの世界で活躍できるだろうからね」

篠は静かに微笑んで、「ありがとうございます」とだけ言った。

一日中、彼女は山のような資料に没頭した。座りっぱなしで腰や背中が痛くなってきた頃、ようやく顔を上げる。

スマホの画面には、たくさんの通知が溜まっていた。

陸からの不在着信と、怒りに満ちたメッセージの数々。友人たちからの心配の連絡。そして……宗介からのメッセージ。

篠は電源を落とすと、新聞社のビルを出て、隣のよく知る路地へと入っていった。

「鴉鳴ラーメン」の看板が、温かいオレンジ色の光を放っている。

「あら、松尾さん。いらっしゃいませ」女将はテーブルを拭きながら、入ってきた篠に気づいて笑顔で話しかけた。「今日はお一人ですか?増田さんはご一緒じゃないんですね」

「彼はちょっと忙しくて」そう答えながら、篠はいつもの席に座り、いつものを注文する。

店は空いていて、すぐに大きな丼に入ったラーメンが運ばれてきた。立ちのぼる湯気で視界がかすみ、ぼんやりとした意識の中で、向かいに座る宗介の姿が見えた気がした。初めて宗介をこの店に連れてきた日のことを思い出す。

あの時は、篠のアプローチが実を結び、宗介が初めて食事の誘いに応じてくれたのだった。

何か月も前から夜景の綺麗なレストランを予約していた。それなのに、急なニュースの取材で深夜まで張り込んでいて、約束の時間をとっくに過ぎてしまっていた。

もう閉まってしまったレストランを前に、篠は後悔と自己嫌悪でいっぱいになった。スマホを取り出すと、宗介からのメッセージに気づく。【仕事、終わった?場所教えて】

まさか、まだ待っていてくれていたなんて。

だが、すでに夜中で、開いていたのはこのラーメン屋だけだったのだ。そのようなことがあり、二人の初デートは完璧とは言えない形で終わった。

それから、ここが二人の行きつけの場所になった。

その時は、宗介のようなエリートが、安っぽい椅子に座って自分とラーメンを食べてくれるなんて、少しは自分のことを気に入ってくれているのだろうなんて思い、舞い上がっていた。

しかし、今ならわかる。その答えは、この店のスープの味が、江川市の鴉鳴横丁にあるラーメン屋にそっくりだったから。つまり――宗介があの女と食べてきた思い出の味だったのだ。

胃がむかむかしていたが、篠は無理やり2、3口だけ食べた。

その時、店のドアが乱暴に蹴り開けられた。冷たい風と一緒に、見るからに柄の悪い男たちが数人なだれ込んでくる。先頭に立っていた金髪の男が怒鳴り散らした。

「おいババア。ここら一帯で、ショバ代を払ってねえのはこの店だけだぞ!」

何人かいた客たちはその剣幕に驚いて逃げていき、あっという間に店の中には、席を立たない篠だけが残された。

客が全員いなくなったのを見ると、金髪の男は顎でしゃくって、「やっちまえ!」と指示を出す。

テーブルや椅子はひっくり返され、食器が割れる音が響く。店主たちは厨房から無理やり引きずり出され、男たちに取り囲まれてしまった。

「やめなさい」篠は立ち上がると、名刺を取り出す。「私は記者です。これ以上続けるなら、明日の新聞の一面にあなたたちの顔写真が載ることになりますよ」

「へえ、とんだ命知らずがいたもんだな」金髪の男は目を細め、ねっとりとした視線を向けながら、一歩ずつ篠に近づいていく。「なかなかの美人じゃねえか。だがな、おせっかいを焼く前に、自分の身を守る方法でも考えとくんだな」

「近寄らないでください」篠は冷たく言い放った。

「なかなか強気だねえ」金髪の男はニヤニヤしながら、彼女に触ろうと手を伸ばす。

しかし、篠がその手を激しく振り払うとともに、パシッという乾いた音が店内に響き渡ると、一瞬で空気が静まり返った。

顔を背けている金髪の男の頬には、くっきりと赤い手の跡が浮かんでいた。篠が叩いたのだった。

「てめえ、調子に乗りやがって!」男は怒鳴ると、大きく手を振り上げ、篠を殴り返そうとした。

「そこまでだ」

低い男の声がドアの方から聞こえてきた。それと同時に、金髪の男の手が掴まれる。視線を向けると、スーツ姿の男が二人ドアに立っていて、そのうちの一人が男の手首を押さえつけていたのだった。

二人の間を割って入ってきたのは、コートを羽織った一人の男性。宗介だった。

彼は散らかり放題の店内を一瞥し、最後、篠に視線を止めると、一瞬、動きを止めた。

しかし、宗介が来たことによって状況は一瞬で変わり、金髪の男たちは警察に連行されていった。女将は店主に寄り添いながら、宗介と篠に何度も頭を下げた。

宗介は表情を変えずに、「二人を病院へ連れて行ってやれ。念のため検査したほうがいいからな」と部下に指示を出す。

ラーメン屋は再び静けさを取り戻した。深夜の冷たい風が吹き付け、篠は思わず肩をすくめた。

すると、体温がまだ残るコートが、そっと肩にかけられた。宗介が篠の隣に立ち、さっきよりも少しだけ穏やかな声で言う。「送っていくよ」

しかし篠は動かずに、うつむいたまま、床に散らばった食器の破片を見つめていた。

「怒ってるのか?」宗介が静かに尋ねる。「結婚式のことは……本当に、すまなかった」

「怒ってないよ」篠は彼の言葉を遮った。ずっと言えずにいた言葉を、今こそ伝えようとしたその時、氷のように冷たい女の声が割り込んできた。

「宗介、あんなに急いで帰っていったのは、この女に会うためだったの?」
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