All Chapters of 我が子より他人の子?産後ワンオペ妻の離婚: Chapter 261 - Chapter 270

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第261話

夢香と美紀の顔から一気に血の気が引いた。地面に這いつくばっていた夢香は、信じられないといった様子で奈緒を睨みつける。夢香の知る奈緒は、従順で何を言っても言いなりになるような弱い女だったはずなのに、それがどうして、これほどまでに強くなってしまったのか?それに、MRセキュリティといえば、A国でも誰もが名を知る、超一流の警備会社。それなのに、その社長である男が、なぜ奈緒の言いなりになっているのだ?奈緒の背後には、一体どれほどの人物がいるというのだろう?夢香は奥歯を噛みしめ、ふらつきながらも立ち上がった。しかし、奈緒と真司と蛍は、既にその場から姿を消していた。地面に這いつくばったまま動けない美紀を見て、夢香は乱暴に彼女の襟首をつかんで立たせると、激しく突き飛ばした。「あの女がここまで力をつけてるなんて、どうして前もって言わなかったのよ!これで私たちまで刑務所送りじゃない!しかも、『ちゃんと世話をするように』って、リーダー格に言われちゃうのよ!あんた、ほんと役立たずにも程がある!」夢香は、怒りの全てを美紀にぶつけた。突き飛ばされてソファに倒れ込んだ美紀の瞳には、ドス黒い憎しみの炎が燃え上がる。「あの女の後ろにいるのは仁哉に決まってる。絶対にそうよ!仁哉以外に、あんな力を持っていて、あの女のためにここまでしてくれる人なんて思いつかない!まさか、あの女……いつの間にか私の夫まで奪っていたなんて!しかも、あんなに必死に守ってる……あの女が憎くてたまらない!どんなことをしてでも、仁哉を取り返してみせる!」美紀は狂ったように怒鳴り散らし、テーブルの酒瓶を次々と床へ叩きつけた。自分にはあんなに冷淡だった仁哉が、どうして奈緒にはここまでするのか、どうしても理解できない。離婚した直後は大した違いを感じていなかったが、すぐに現実の落差が身に染みるようになった。仁哉は冷淡ではあったが、自分の要求なら何でも聞き入れてくれた。家には4人の使用人がいたにも関わらず、裕弥が生まれてからさらに4人増やしたいという我儘さえ、仁哉は叶えてくれたのだ。何より栗原家の力は絶大で、仁哉の名前を出すだけで、どこへ行っても顔が利き、新作バッグもショーの席も、会員制パーティーの招待も、すべて思いのままだった。愛情が得られなかっ
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第262話

「あんたが出すに決まってるじゃない!手元に10億円もあるんだから、それくらい痛くも痒くもないでしょ?」美紀は呆れた表情を浮かべると、不満そうな顔で携帯を取り出し、渋々電話をかけた。……その頃、充は黎を抱きかかえたまま、胸を締めつけられる思いで車へ戻っていた。先ほどのカラオケ店の劣悪な空気と、目まぐるしく点滅する照明に怯えたのだろう。黎の頬には涙の跡が残り、泣きすぎて声までかすれていた。充はそっと娘を抱き寄せる。胸が張り裂けそうだった。「黎、パパだよ。大丈夫、怖くないよ。パパが守ってあげるから」優しくあやし続けると、黎も少し安心したのか、ようやく泣き止み、大きな瞳で充をじっと見つめた。見つめ合う父と娘。充の胸に、これまで味わったことのない温かな感情が静かに広がっていく。しばらく会わないうちに、娘はますます愛らしくなっていた。黒く澄んだ大きな瞳、ほんのり赤みを帯びた白い肌、少しだけ癖毛の柔らかな髪。まるで小さな西洋人形のようで、子役になれるほど可愛い。充は黎を強く抱きしめると、その額に優しくキスをした。黎の無事を奈緒に伝えようと、反射的に携帯に手が伸びる。しかし、すぐに思いとどまった。今の状況で伝えれば、奈緒はすぐに黎を連れ戻しに来てしまう。これほど長く、黎に会えずにいたのだ。腕の中のぬくもりが、凍りついていた心を溶かしていくようだ。もう、放したくない。そして、充の心の奥底に、ひどく身勝手な願いが芽生える。今日だけ。せめて今夜だけ黎と一緒にいたい。明日の朝には必ず返すから。その思いが胸に湧き上がると、充は運転手に命じ、星影荘へと向かわせた。道すがらベビー用品店に立ち寄り、ミルクにオムツ、月齢に合わせたおもちゃや服を買い込む。星影荘には、充の祖母である青木理華(あおき りか)が滞在していて、毎日のようにひ孫に会いたいと口にしていた。そして、どうして奈緒が黎を連れて会いにきてくれないのかと不思議がっていた。そう不思議がる祖母を悲しませまいと、家族は皆、今は奈緒の実家で暮らしていて、そのうち戻ってくると説明していたのだった。祖母はずっと、その日を楽しみに待っていた。今日こそ、黎の顔を見せてあげよう。黎の顔を見せれば、祖母も喜ぶはずだ。もう星影荘に到着するという時、充の携帯が鳴った。
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第263話

充が黎を抱いて星影荘に到着すると、事前に報せを受けていた理華と麟太郎、それに大勢の使用人たちが、リビングで今か今かと待ち構えていた。充たちの姿を見つけると、一斉に駆け寄ってくる。理華がいち早く駆け寄って黎を抱き上げると、その可愛らしさにうっとりと見入った。「なんて可愛いのかしら……将来、間違いなく美人になるね。こんな美人さんだもの。きっといい人と巡り会えるわ」理華は顔をほころばせ、黎を褒めちぎった。その隣で麟太郎も黎をじっと見つめる。いつも厳しく険しい表情が、ほんの少しだけ和らいでいた。麟太郎は視線を充へ向けると、淡々と問いかけた。「奈緒とはどうなっている?あの女が、よく子どもを連れて帰るのを許したな」充は言葉を濁す。「まあな」突然の大人数と慣れない場所に圧倒されたのか、黎は口をへの字に曲げると、突然火がついたように泣き出した。充は美紀と産後ケア施設にいた頃、少し手伝った経験はあるものの、たいていはベビーシッターが側にいた。激しく泣き始めた黎は、誰があやしても泣き止まない。抱いて歩き回り、皆の額には汗がにじむ。それでも泣き声は治まらなかった。経験豊富な女性使用人たちまで代わる代わるあやしたが、まったく効果はない。どうしたものかと充が途方に暮れていると、物音を聞きつけた翠が2階から降りてきた。眉をひそめ、不機嫌そうな顔をしている。それでも充の腕から黎を受け取ると、呆れたように言った。「そんなふうに抱いて揺らしてるだけじゃ泣き止まないわよ。赤ちゃんが泣く理由なんて、お腹が空いたか、おむつが濡れたか、そのどっちかなんだから。ミルクを作ってちょうだい。私はおむつを替えるわ」口では文句を言いながらも、その手つきは驚くほど慣れていた。黎をソファの上に降ろして、テキパキと衣服を整えると、汚れたおむつをあっという間に外してしまう。そして、手早く新しいおむつをはかせてあげた。気持ちよくなったのか、黎はピタリと泣き止み、丸い瞳を大きく見開いて、目の前の翠を不思議そうにじっと見つめる。その瞬間だった。黎と目が合った途端、翠の胸に渦巻いていた嫌悪感が、不思議なほどすっと消えていく。ふっくらした小さな頬、くりくりと輝く大きな瞳。あまりにも愛らしいその姿に、翠の手つきは自然と優しくなった。指先で、や
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第264話

翠は口を尖らせながらも、つい充の腕の中にいる黎へ視線を向けてしまう。「お義母さん、今はそんなこと言うんですね。でも、私が3人続けて娘を産んだ時は、そんなこと一度も言ってくれなかったじゃないですか」理華はじろりと翠を睨み、鼻を鳴らした。「私だって文句くらいは言ったわ。でも、あなたみたいに露骨じゃなかったと思うけど?この子のお披露目パーティーはしたの?百日祝いの準備は済んでる?昔、あなたの4人の子どもの時は、どれも私がちゃんと面倒を見たわよね?奈緒ちゃんが子供を連れて実家に帰ったままなのも、全部あなたが原因なんじゃないのかい?」理華は軽い認知症を患っており、しっかりしている時もあれば、記憶が曖昧になる時もある。それでも人生経験は豊富なため、物事の本質だけは、誰よりもよく見えていた。その言葉を聞き、充の胸がわずかに揺れる。この5年間、家族の誰とも打ち解けられなかった奈緒だが、ただ一人、祖母だけとは本当の家族のように仲が良かった。祖母が味方になってくれれば状況が変わるかもしれない……そんな希望を抱いた瞬間、外から激しくドアを叩く音が響いた。……奈緒は充に何度も電話をかけたが、一度も出てもらえなかった。普段から携帯を肌身離さず持っている充が、着信に気づかないはずがない。なら、答えは一つ。わざと無視している。奈緒の胸の中にはどす黒い怒りと、充に対する失望が渦巻いた。本当にどうしようもない男。口では何度も「やり直したい」「悪かった」「必ず変わる」と繰り返してきた。けれど、それはいつも言葉だけ。いざ何か起これば、自分のことしか考えない。きっと、黎を連れていることを自分が知らないとたかを括っているのだろう。だからこの機会を利用して、少しでも黎と過ごそうとしている。星影荘に連れて来たのだって、理華と麟太郎たちに黎を会わせようとしてのことに違いない。……5年間も夫婦だった。充が何を考え、どう行動する人間なのか、誰よりも知っている。だからこそ、奈緒は失望した。充は結局、自分さえよければそれでいいのだ。子供がいなくなった自分がどれほど苦しみ、悲しんでいるかなんて、これっぽっちも考えていない。もし自分に強大な力を持つ兄がいなかったら……もし真司がこれほど早く黎の居場所を突き止められなかったら……
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第265話

額に冷や汗を滲ませた執事が、慌ててリビングに駆け込んできた。充を見る目には隠しきれない動揺が浮かんでいる。「充様、た、大変です!奈緒様が大勢の人を連れて、門を壊そうとしています!」充の表情が一変した。反射的に腕の中の黎を翠へ預け、勢いよく立ち上がる。「見てくる」足早に玄関へ向かいながら、充の胸の内では激しい動揺が渦巻いていた。ここへ黎を連れてきたことは、限られた人しか知らないはずなのに、なぜ奈緒はそれを知っているんだ?まさか、美紀と夢香を見つけ出したどころか……全ての真相を知ってしまったのだろうか?玄関へ着く前に、ポケットの携帯が激しく震えた。着信表示は渉。「社長、大変です!胡桃さんが警察に連行されました!それにMRセキュリティの警備チームが……今、一斉に現場を離脱しました!すべて奥様からの指示だと!」充の足音は荒く、形相は見るからに険しくなった。「何だと?奈緒が青木グループに行ったのか?」その衝撃を飲み込む間もなく、もう一台の携帯が鳴り響く。受話器の向こうから聞こえてきたのは、事務的で冷たい声だった。「青木さんでいらっしゃいますか?こちらは警察署です。ご親族である青木夢香さんと栗原美紀さんは、児童誘拐の容疑で十分な証拠が確認されたため、本日付で正式に逮捕いたしました」カタンッ。携帯が充の手から滑り落ち、床へ鈍い音を立てて転がる。たった30分で、奈緒は、胡桃、夢香と美紀を刑務所に送り込んだ。充の背筋が冷えたのは、この結果だけではない。これだけのことが起きながら、自分には一切情報が入らなかった。奈緒はいつの間に、ここまでの力を手に入れたんだ?まさか……裏で仁哉が動いているのか?充は関節が白く浮き出るほど、両手を強く握りしめた。このところ、奈緒とやり直すためなら、どれほどプライドを捨てても構わないと思ってきた。それでも返ってきたのは許しではなく、自分への拒絶と、家族への容赦ない追及。黎には青木家の血が流れているんだ。なのに、自分に会わせないという権利が奈緒にあるのか?そのうえ、自分の家族まで次々と刑事事件に巻き込んだ。青木家を、好き勝手できる相手だと思っているのか?こうなったら、もう情けをかける必要もないだろう。我慢の限界だ。外からは激しく扉を叩く音がし、奈緒
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第266話

「本当にその通り!」蛍が飛び出してきて、充を突き飛ばすと、奈緒の前に立ち塞がった。「いい加減にして!先に手を出したのは青木家の方でしょ?それを奈緒が冷酷だって責めるの?あんたの言う『やり直したい』って、結局は奈緒に全部我慢させて、自分の最低な家族を守りたいだけじゃない!」充は蛍をちらりと見ただけだった。その視線は刃のように鋭い。「俺と奈緒の問題だ。部外者が口出しするな。山田、以前は口が悪いだけかと思っていたけど、お前が騒ぎを大きくしたみたいだな。お前みたいな『親友』がいるから、奈緒がここまで聞き分けが悪くなったんだ」「何言ってんの!」蛍は怒りで顔を真っ赤にした。充はもう彼女を見ることもなく、奈緒へ向き直る。その口調は有無を言わせないものだった。「黎なら中にいるから安全だ。今夜はあの子をここに泊まらせる。それは父親として当然の権利だからな。納得できないなら、お前の弁護士を連れてくればいい。法的に決定が下るまで、一方的に面会権を拒否することは認められない」そう言い終えると、充が大きく手を叩いた。左右の扉が一斉に開き、20人以上の警備員が警棒を手に飛び出し、整然と充の前へ並ぶ。まるで一歩たりとも通さないと言わんばかりの壁だった。奈緒は黒々とした人垣を見つめ、怒りのあまり笑ってしまったが、その目には涙が滲む。「そんな強気でいいのね?信じるかどうか知らないけど、その気になれば、この屋敷ごと壊すことだってできるのよ!」充が一歩踏み出すと、長身の影が奈緒を完全に覆った。「やってみろ。中の黎に怪我をさせてもいいならな。奈緒、この数ヶ月ずっと俺は耐えてきたんだ。耐えて、受け入れて、そのために家族とさえ対立した。それでも、お前はそれを俺の弱さだと言って、青木グループの誇りまで踏み躙った。だから、こっちだってもう情けをかけるつもりはない」充は奈緒を見下ろすようにして、最後通告を突きつける。「二つの選択肢をやる。ひとつ目は、お前の連れてきた連中を帰らせて、お前だけ残れ。そして、今夜は何事もなかったかのように、祖母の前では夫婦として振る舞うんだ。祖母はもうすぐ90歳、本当のことを言って心臓に負担をかけたくない。祖母のためにそれだけしてくれるなら、これまでのことは水に流してやるよ」奈緒は奥歯を噛み締めながら
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第267話

家の中から聞こえる黎の泣き声が、まるで刃のように奈緒の胸を抉った。今にも理性を失い、なりふり構わず中へ飛び込みそうになる。しかし、充が壁のように立ちはだかり、行く手を冷徹に遮っていた。「決まったか?」感情を感じさせない声が響く。「俺と一緒に芝居を打つか、それとも……ここで引き返すか?」奈緒は拳を固く握りしめた。爪が手のひらに食い込み、鋭い痛みが走る。目を閉じ、深呼吸をした。自分は自分だ。砕け散ることはあっても、決して屈しない。自分を傷つけ、娘を奪った人たちの前で、何事もなかったように仲睦まじい家族を演じろと?そんな真似は絶対にできない。確かに理華は優しくしてくれた。けれど、その優しさを理由に縛られるつもりはなかった。今夜の充は本性むき出しで、真っ向勝負を仕掛けてきているし、黎もまだ彼らの手元にいる。もしここで突入すれば事態はさらに悪化するし、充たちが逆上して黎を傷つけないとも限らない。黎に危害が及ぶことだけは、何があっても阻止しなければ……「私があなたの家に入ることは、絶対にないから」奈緒は目を開き、氷のような声で言った。その言葉に、充の胸にはかすかな寂しさがよぎったが、同時に、「やはりそうか」という諦めにも似た思いもあった。口元をわずかに緩め、余裕を漂わせながら言う。「そうか、じゃあ帰ればいい。今夜は俺が黎を預かるから。安心しろ。今の俺は子どもの世話にも慣れているから、前みたいに無茶をして、娘を危険な目には遭わせない」少し間を置き、強張った奈緒の表情を見つめた。「そんな目で俺を見るのはやめてくれないか?黎は俺の娘だ。何が黎のためになるかは誰よりも分かっているつもりだから。少しの休みだと思って、今夜はお前のお母さんとでもゆっくり過ごせ。それに、仮に離婚したとしても、俺には面会権があるし、黎を預かる権利だってある。一生会わせないなんて、それこそ法律違反だ」その口ぶりはあまりにももっともらしく、彼こそが理性的で、誰よりも娘を思う父親であるかのようだった。そんな充に、奈緒は吐き気すら覚えた。どうして昔の自分は、こんな男を心から愛してしまったのだろう。「言ったことは必ず守って」奈緒は睨みつけ、釘を刺すように言った。「黎にほんの少しでも傷を付けたら……私は絶対に
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第268話

ようやく、奈緒を従わせる手段を見つけた。黎こそが奈緒の唯一の弱点。黎をしっかり自分の手元に置いている限り、奈緒は必ず折れる。黎と離れている時間は、奈緒にとって耐えがたい苦痛に違いない。奈緒の強がりなど、そう長くは続かないだろう。もしかしたら明日の朝には、手土産を持って青木家を訪れ、祖母に頭を下げるかもしれない……そう思うと、充の口元に自然と満足げな笑みが浮かんだ。「もっと早くこうしていればよかったんだ」すべてを知り尽くしたかのような麟太郎の落ち着いた声が、背後から聞こえてきた。両手を背中で組んだ麟太郎が、ゆっくりと姿を現す。顔は相変わらず厳しいものの、その瞳には息子を認めるような色が浮かんでいた。「女を相手にする方法なんて二つしかない。優しくするか、力で押さえるか。優しさで駄目なら、男らしく思い知らせてやればいい。あの生意気さも自然と収まる。充は振り返り、麟太郎の言葉に頷く。「ああ、父さんの言う通りだ。奈緒みたいに何を言っても折れない相手には、力を見せるしかない。自由気ままに振る舞えると思ったら大間違いだ。その気になれば、俺がいつでも奈緒を追い詰められるってことを、分からせてやるんだ」麟太郎は満足げに充の肩を叩き、老獪で容赦ない笑みを向けた。「ああ、それでこそだ。青木家の男が、女一人に振り回されてどうする?他の親族への根回しは俺が済ませておくから、お前は奈緒をしっかり繋ぎ止めておけ。現実は甘くないと思い知らせてやればいい。あいつが頭を下げる気になったなら、これまでのことは水に流せばいいしな」麟太郎は少し間を置き、意味ありげに続ける。「最近、青木グループの株価は不安定だ。世間もいろいろ勘ぐり始めている。このタイミングで奈緒との関係を修復できれば、黎の百日祝いを利用して世間を安心させることもできる……グループにとっても損はないだろう」父の話を聞きながら、充の胸には言いようのない重苦しさが広がっていた。冷酷で打算だけで物事を測る父のその生き方を、昔の自分は心の底から軽蔑していた。あんな人間にはなりたくないとさえ思っていたのに。だが、今夜自分が奈緒に対してとった手段が、かつて心底卑劣だと思っていた父のやり方そのものだということも、自覚していた。黎を見つけ出した時、すぐ奈緒に伝えてやる
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第269話

充は、ただ呆然とするしかなかった。全身がミルクで汚れ、黎が苦しそうに泣いているのを見て、ようやく自分の子育てへの認識の甘さを思い知る。まだ話すことも、体で意思表示もできない赤ん坊。充にはなすすべもなく、何をすればいいのかも全く分からなかった。黎の鋭い泣き声を聞きつけて、翠が寝間着姿のまま2階から駆け下りてきた。充がミルクまみれになり、黎が真っ赤な顔をして泣いているのを見て、翠は慌ててタオルを持ってきて、充の汚れを先に拭き取り始めた。翠は嫌悪感を隠そうともせず、黎を抱き上げるとこう言った。「なんてこと!ミルクだらけじゃないの?これ……どうすればいいのよ?和子さん、文子さん!突っ立ってないで早くこっちへ来て、この子を連れて行って!」そう言いながら、黎の体が自分の服に触れないよう、翠は腕をできるだけ前へ突き出して黎を抱えている。ようやくそばにいた使用人の渡辺和子(わたなべ かずこ)と佐藤文子(さとう ふみこ)が駆け寄ってきて、文子が黎を代わりに抱いた。「とりあえずお風呂に入れてから、着替えさせましょう。ミルクが首の方まで入ってしまっていますし、このままじゃ臭くなってしまいますから」和子が近づいて確認し、眉をひそめた。「早く洗ってあげたほうがいいみたいですね。私、お湯を用意してきます。体がすっきりすれば、きっと泣き止むはずですから」充はその横に座り、携帯で黎の吐き戻しの原因を検索していた。ネット上の情報は様々で、冷えのせいだという説もあれば、まだ発育途中だからという意見もある。充の眉間のシワはどんどん深くなっていく。もし冷えが原因なら、今入浴させればかえって悪化しかねない、だから黎を入浴させていいのか判断がつきかねていた。充は咄嗟に黎の世話係である香織に電話をかけようとしたが、ふと考え直した。今夜は黎をしっかり世話すると、自分は奈緒の前で宣言してしまった。今相談してしまえば、香織がこの状況を奈緒に伝え、奈緒がひどく心配するに違いない。和子も文子も長年星影荘に仕え、子供を育てた経験がある。二人になら任せられるはずだ。そう思い至り、充は手を振って、黎を洗って着替えさせるように指示を出した。和子と文子は黎を抱いてバスルームへ向かう。翠も後ろからついて行った。和子は湯船にたっぷりぬるま湯をため、
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第270話

「そうですね」和子と文子は相槌を打ちながら、手際よく黎に新しい服を着せる。翠は待ちきれない様子で黎を抱き上げ、その顔を覗き込んだ。その瞳には、初めて祖母らしい優しさが宿っていた。「この子がずっとこんなふうに大人しかったらいいのに。いい子ねぇ。さあ、おばあちゃんって呼んでごらん?」優しくあやしながら、指先で黎の頬をつつく。だが、長く伸ばしたネイルが何度も幼い頬をかすめていた。その様子を見ていた充は少し気になった。それでも、母がこれほど黎を可愛がる姿は初めてだったため、水を差すことはせず、静かに見守ることにした。風呂から上がって間もなく、黎は再び眠りについた。その寝顔を見て、充はようやく安堵の息をつき、そっと抱き上げると、自分の部屋へ連れて行った。ベッドに横向きになり、頬杖をつきながら、小さな寝顔をじっと見つめる。赤くふっくらした頬。見れば見るほど愛おしく、まったく目が離せない。もし奈緒さえ意地を張らなければ、今頃3人で幸せな家庭を築けていたはずなのに。そんな思いが胸を満たし、どうしようもない寂しさが込み上げる。充は深いため息をついた。そして、いつしか眠りに落ちていった。黎がそばにいたおかげだろうか、充はその夜、久しぶりに熟睡できた。あまりにも深く眠っていたせいで、夜中に黎が苦しそうに小さくうめいていたことにも気づかない。ましてや、眠っている間にその小さな体が熱を帯び、高熱を出していたことにも全く気がつかなかった。翌朝、朝早くから孫の顔を見るために、翠が上機嫌で充の部屋を訪れた。しかし、黎の頬に触れた途端、翠は異変を悟った。黎の額は火傷しそうなほど熱く、その顔は真っ赤になっていた。「充!起きて!大変よ、この子、熱を出してる!早く!早く体温計を持ってきて!」充はそれを聞くやいなや、飛び起きた。黎の額に手を当てると、充はその熱さに驚き、部屋中を探し回って体温計を取り出した。39.3度。充と翠は顔を見合わせた。二人の顔から一気に血の気が引いていく。翠はすぐに電話を手に取り、かかりつけの医者に連絡した。「芳賀先生!すぐ来て!うちの孫が39.3度の熱を出したの。早く!」充は冷や汗を流し、全身を震わせていた。胸中には焦りと、言葉にできないほど強い罪悪感が渦巻く。二度も強引に黎との時間
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