All Chapters of 我が子より他人の子?産後ワンオペ妻の離婚: Chapter 301 - Chapter 310

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第301話

固く拳を握った仁哉が、入り口に立っていたのだ。その表情は深く沈み、全身からは怒気が立ち上っている。仁哉は瞬きひとつせず美紀を見据えた。その視線に美紀は思わず身をすくませ、震え出す。彼女は慌てて充の背後へ隠れると、その腰に両腕を回し、さらに強くしがみついた。反射的に彼女を引き離そうとした充だったが、美紀の震えを感じ取り、その手をそっと下ろすと、冷たい目で仁哉を睨みつけた。「よく俺の前に顔を出せたな。とっとと消えろ」仁哉は表情を変えないまま、美紀を指差す。「あの動画を見せたのか?」充の表情がさらに険しくなった。「まさか……お前たちがあんなことをしていたとはな……」仁哉は怒りを押し殺し、暗く沈んだ瞳で充を静かに見つめた。「僕たちがハメられたっていう可能性は考えないのか?」そう言うや否や、仁哉は充の背後に隠れていた美紀の腕を勢いよく掴んで、強引に引きずり出した。「美紀、本当にやってくれたな!君はただ愚かなだけなんだって思っていたけど、それは違ったみたいだな。愚かなだけじゃない……根っから腐ってる」美紀はよろめきながらも、充の服を離さないように必死に掴む。仁哉の怒りに燃える視線を見た充は、すぐに美紀の前へ立ちはだかり、声を荒げた。「悪いのはお前と奈緒だろ!なのに、なんで美紀に当たり散らすんだよ!仁哉、まさか美紀がお前を押さえつけて、奈緒の上に覆いかぶさらせたとでも言うつもりか?」仁哉は真っ直ぐ充を見返した。その目は怒りで赤く染まっている。「美紀が奈緒さんの飲み物に薬を入れたせいで、奈緒さんは意識まで失ったんだ。なあ、充……本当に君は簡単に騙されるんだな。君は僕と奈緒さんがそんな愚かな人間だって思ってるのか?」しかし、充は鼻で笑った。「そんなこと俺が信じるとでも?お前たちの酒に美紀が薬を盛るなんて、こいつがそんなことできると思うか?怒りで仁哉のこめかみに青筋が立つ。「……」この瞬間、仁哉は奈緒が感じていた疲労を、初めて心から理解した。充という男は、もう完全に思考が凝り固まっている。たとえそれが真実であろうとも、自分が信じたくないものは何一つ受け入れず、自分の思い込みの中に閉じこもり続けているのだ。内心ほくそ笑んでいた美紀は、ここぞとばかりに泣き崩れる。「仁哉…
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第302話

仁哉の眉間に皺がよった。険しい顔で充を見つめる。「僕と奈緒さんじゃなくて、そこまでして美紀を信じるのか?」拳を握り締める充の瞳には、溢れんばかりの怒りが渦巻いていた。「俺は、自分の目で見た事実しか信じない」仁哉の表情がさっと冷たいものになった。「そうか……なら、もう君に話すことはないよ」充が美紀を庇うつもりであることは明白だった。それに、ここは充の病室。これ以上居座る理由もないと判断した仁哉は、背を向けて立ち去ろうとした。ところが、仁哉が背を向けたその瞬間、突然充が襲いかかってきた。鋭い一撃が仁哉の右肩に叩き込まれる。「奈緒と堂々と関係を持って、俺の病室に勝手に入ってきただけじゃなく、美紀のことまで疑った……無事に帰れると思うなよ!今日こそ今までの借りを全部まとめて返してもらうからな!俺はお前を親友だって信じていたのに、裏では奈緒に手を出しやがって。仁哉……もう我慢の限界だ」不意を突かれた仁哉は抵抗できず、そのまま床へ押さえつけられた。充の容赦ない拳が、仁哉の身体に何度も振り下ろされる。一発、また一発……憎しみが込められた拳は鉄のように重くい。そんな拳が容赦なく顔面へ叩き込まれ、仁哉は目を開けることもできなかった。仁哉が反撃を試みようとした矢先、美紀が病室の入り口まで走り寄り、控えていたボディーガードを呼び込んだ。すると、仁哉の手足を押さえ込んだ二人のボディーガード。身動きのとれなくなった仁哉に充が一方的に暴力を振るい続ける。仁哉の口元から血が流れるのを見て、さすがに焦った美紀は、慌てて止めに入った。「充さん、やめて!仁哉が死んじゃう!そんなことになったら、栗原家に酷い目に遭わされちゃうよ」その声でようやく充は我に返り、拳を止めた。床に倒れている仁哉を見下ろし、低い声で告げる。「仁哉、奈緒にはもう近づくな。それでもお前らがまだ関係を続けるというのなら、今度は絶対に許さないからな。栗原家に力があるのは知っている。でも、青木家だってそう簡単に潰される家じゃない。もしお前が潰しに来るなら、こっちだって受けて立つさ。だが、一人の女のためにそこまでする価値が本当にあるのか?一度よく考えてみろ」ボディーガードたちが仁哉を放した。仁哉はゆっくり立ち上がると、口元の血を親指で拭う。胸の奥に溜
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第303話

充が血を吐いたのは、仁哉への怒りで極度に興奮してしまったせいだった。そして倒れたのは、このところほとんど食事も取らず、もともと体力が落ちていたうえに、先ほど我を失ったように仁哉を何発も殴ったことによる、一時的な酸欠状態から来たものだったらしい。医師は改めて点滴と輸液を行い、必要な検査を一通り終えた。しばらくしてようやく目を覚ました充は、ぼんやりと天井を見つめていた。胸の奥に居座る鈍い痛みは少しも消えていない。記憶が走馬灯のように駆け巡り、これまで歩んできた人生が、鮮明に思い出される。充は環境に恵まれ、生まれながらにして成功の道へのレールが引かれていた。誰もが羨み、人々の注目を集める完璧な存在。あらゆる場面で頂点に立ち続けてきた充は、自分が負けることなど絶対に受け入れられなかった。だが、充本人だけが知っていた。自分の前には、どう頑張っても越えられない壁がある……仁哉だ。仁哉はかつて最も信頼していた親友であり、同時に、どうしても乗り越えられない存在でもあった。充の優秀さは、日々の努力の積み重ねで手に入れたものだったが、仁哉の才能は、まるで生まれた時から神に与えられたもののようだった。充が全力を尽くしてようやく届く場所に、仁哉はほんの少し背伸びをするだけで、あっさりと手が届いてしまう。二人は幼い頃から共に育ち、それぞれの家や業界の中で常に比較されながらも、肩を並べて進んできた。今まで、充は仁哉に何一つ負けてはいなかった。だが、その「負けていない」という結果を得るために、充はいつだって持てる力の全てを使い果たしてきた。だが、仁哉は?いつだって余裕があった。まるで当たり前のように、何事も思い通りにこなしていく。世界そのものが仁哉の味方をしているかのように、全てを手に入れていた。そして今、自分の結婚生活は崩壊寸前。「離婚」という刃が、いつ振り下ろされてもおかしくない状況だ。そんな時、まだ自分と奈緒の関係が完全に終わってもいないのに、仁哉は真正面から宣戦布告をしてきた。人生のあらゆる場面で競い続けてきた相手と、愛する人まで奪い合うことになるなんて。先ほど仁哉が口にした言葉が、何度も頭の中で繰り返される。必ず奈緒を守ると言い切った、あの揺るぎない眼差しと、絶対に譲るつもりはないという覚悟。それが充の心を追い
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第304話

充の声は低く、有無を言わせないものだった。その一言で一気に怒りが湧いてきた美紀は、弾かれたように立ち上がる。「充さん!あの女と仁哉がこんなことになってるのに、まだそんなこと言うわけ?従兄妹なんて……そんな関係は嫌!充さんが離婚したら、私はあなたと一緒になりたいの!充さん、私たちには血の繋がりなんてないんだよ。なのに、一体何をためらってるの?それに……私のほうが奈緒さんより充さんに相応しいと思わない?」そう言い終えると、美紀はそのまま充の胸へ飛び込んだ。今夜、仁哉の言葉が彼女を大きく揺さぶっていた。仁哉があんなにも堂々と奈緒への想いを口にした今、自分が遠慮する必要などないだろう。血は繋がっていないが、従兄妹という関係に縛られ、自分の気持ちを押し殺してきた美紀。本当はずっと充を想い続けていた。けれど、自分はもう離婚したし、充だってもうすぐ奈緒との関係が終わる。もう隠したくはない。昔から共に過ごし、時間を積み重ねてきた。あと一歩、どちらも踏み込まなかったその一線を越えればいいだけ。今こそ気持ちを伝え、充に自分の気持ちを分からせたい。しかし、充は容赦なく美紀を突き放し、冷ややかに告げた。「美紀、現実を見ろ!俺たちが一緒になることは、絶対にありえない!それに、何があろうと俺には奈緒と別れるつもりはないんだ。それに、奈緒を仁哉に譲るなんてもってのほか。仁哉が奈緒を手に入れたいと言っているが、そうなればあいつは旦那がいる女に手を出したと世間から蔑まれるだけ。そうなった時に、あいつがそれだけ今のままでいられるか見ものだな」今の充を突き動かしているのは、奈緒を失いたくないという執着だけではない。仁哉には負けたくなかった。幼い頃から続いてきた、その強烈な仁哉への対抗心もまた、彼の胸で激しく燃え上がっていたのだった。突き飛ばされた美紀はよろめき、あわや転倒しかけた。充の言葉は、彼女の胸に再び大きな衝撃を与える。何だって?!こんなことになっても、まだあの女との結婚を守るつもりなのか?奈緒に金が埋め込まれているわけでもあるまいのに、どうして誰も彼もがあの女を追いかけるのか……一体なぜ?!美紀は胸を押さえながら、うつろな足取りで充の病室を後にした。考えれば考えるほど腹が立つし、悲しくなる。そして、奈
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第305話

「んっ……んんっ……」美紀が声を出すより早く、男の強烈な手が美紀の首の後ろを素早く叩き、彼女はその場に崩れ落ちた。気がつくと、薄暗い部屋に閉じ込められていて、目の前には鋭い眼光で美紀を見下ろしている体格の良い男が一人立っていた。美紀は息を呑む。「だ……誰?」すると男はポケットから一台の携帯を取り出し、低く感情の感じられない声で美紀に一言問いかけた。「暗証番号は?」薄暗い明かりの中でも、それが自分のスマホだと美紀にはすぐ分かった。そして、この男の声はどこか聞き覚えがある。美紀がじっと男を見つめ、数秒後にはっとした。いつも奈緒のそばにいて、あの女のために動いていた男、確か……真司とかいう男だ。あの動画を外に送る前に、自分は気絶させられてしまったらしい。ここで暗証番号を教えたら、携帯を開かれて証拠を消され、今夜ここまでやってきたことが全部水の泡だ。美紀は唇を噛み締めた。「知らない」次の瞬間、鋭い平手打ちが美紀の頬を打ち抜いた。真司が冷たく言い放つ。「思い出しました?」美紀は目の前が真っ白になり、頬を押さえながら叫んだ。「最低……女に手をあげるなんて、そんなの卑怯よ!」しかし、真司は無表情のまま、美紀の髪を掴み上げた。「私にとって性別は関係ありません。あるのは任務だけです。暗証番号を言わなければ、この部屋から生きて出られると思わないでくださいね」乱暴に髪を引っ張られ、頭皮が裂けそうなほどの痛みが走り、美紀は悲鳴を上げた。「痛いっ……やめて……わかった!教えるから!」その言葉を聞いて、真司の手がようやく緩む。美紀は真司を凝視しながら部屋を見渡し、必死に考えを巡らせた。そして、暗証番号を言うことなく、美紀は真司の肩へ腕を回し、艶めかしく唇を舐めながら微笑んだ。「ねえ、任務をこなしてるだけって、さっき言ってたわよね?つまり奈緒さんとは雇用関係でしかない……だったら、条件を言って?私があなたを雇うから」しかし、真司の表情は何ひとつ変わらず、立ったまま。美紀はさらに妖しく目を細め、指先で彼の胸をゆっくりなぞる。「お金だけじゃない。あなたが望むことなら、何でもしてあげる……今だっていいわ。だから、見逃してくれる?」そう言うと、美紀は突然ワンピースを脱ぎ捨てた。中から現
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第306話

美紀は艶かしく囁くような声で、真司を見つめながら何度も目配せをした。自分が誘惑して落ちない男など、この世にいるはずがないと信じていた美紀。それでも真司は微動だにせず、表情ひとつ変えない。業を煮やした美紀は、自ら真司の胸へ身を預けると、そのまま彼の服へと手を伸ばし、彼の服に指をかけた……その瞬間、真司は彼女の手首を掴む。頭上から降ってきた声は、氷のように冷たかった。「茶番は終わりでしょうか?」美紀は上目遣いで唇を尖らせた。「じゃ……気に入った?」真司は無表情のまま彼女を突き放すと、まるで汚れでも付いたかのように服を軽く払った。「いいえ」美紀は固まった。「顔は老けてるし、肌も張りがなく、全身見ても、褒めるところが一つもありません」「っ……!」美紀の顔が引きつった。真司の言葉は容赦なかった。「その程度の体でよく人前に出せましたね。見ているだけで目が腐ります」美紀は怒りと屈辱で真っ赤になった。「あ……あなた……何を……」怒りで言葉を失う美紀をよそに、真司は彼女の携帯を軽く持ち上げる。「ロックを解除してください。私は気が長くありませんので、早くしてください」美紀は唇を噛み締め、悔しさで顔色を変えたが、真司の有無を言わせぬ眼差しに耐え切れず、しぶしぶ暗証番号を口にした。真司は手際よく操作し、例の動画を消去する。続いて、美紀の目の前で携帯を床に叩きつけ、容赦なく踏み砕き、基板まで徹底的に破壊して、証拠が二度と復元できないようにした。最新モデルの携帯が踏み潰されていく光景に、美紀の胸は締めつけられた。だが、真司の圧倒的な威圧感を前に、一歩も近づけない。恐る恐る口を開く。「動画も消したし、携帯もあなたに壊されたんだから……もう帰ってもいい?」真司は無言で彼女を見据えた。「まだです」美紀は震えながら尋ねる。「なんで?」真司はポケットから小さな粉末入りの袋を取り出すと、それをコップの水へ流し込み、静かにかき混ぜた。美紀の瞳が見開かれる。「それ、まさか……」次の瞬間、真司は彼女の喉元を掴み、顔を無理やり上へ向けさせた。そして、薬の入った水を一気に口へ流し込む。逃げることも抵抗することもできない美紀は、そのまま飲み込むしかなかった。「悪事を働いた報いです。次、また奈
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第307話

男はしばらく黙っていた。そして、振り返ることなく、小さく首を横に振る。「いや。まだ奈緒たちと向き合う覚悟ができていない」真司は何か言いかけたが、男はすでにドアを開け、静かに夜の闇へと歩き出していた。その長身で孤高な背中は、あっという間に暗闇へ溶け込み、まるで最初からそこに存在しなかったかのように消えていく。部屋にはひんやりとした空気だけが残り、灰皿の中では煙草の火が赤く小さく燻っていた。……翌日。奈緒が目を覚ますと、そこは病院だった。隣のベッドには蛍が寝ており、その二人の間には、椅子に座った弘樹が頬杖をついて居眠りしている。奈緒は重い頭を押さえながら身を起こした。なぜ、蛍と自分は病院のベッドに寝ているんだ?昨日の夜は肉を食べてテントへ戻り、蛍と一緒に乾杯して、それから椅子で眠ってしまった――そこまでは覚えている。しかし、そのあとに何があったのかは、どうしても思い出せない。そもそも昨夜は黎のことが気になっていたから、酒も控えめにしていた。それなのに、なぜ病院に運ばれるほど酔ってしまったのだろう?奈緒が首をかしげていると、隣の蛍も目を覚ました。蛍が驚きの声をあげる。「えっ、ちょっと奈緒!私たちどうして病院にいるの?昨日そんなに飲んだっけ?私は確かに結構飲んだけど……なんかすごい変な夢を見た気がする。イケメンと車の中でキスしまくる夢。あの人すごくかっこよくて、筋肉もすごくて……」夢の余韻に浸りながら、嬉々として語り始める蛍。その大声で弘樹が飛び起き、椅子から転げ落ちそうになった。体勢を立て直すと、蛍を見て淡々と言う。「夢じゃないぞ。本当にあったことだ」蛍は一瞬ぽかんとし、次の瞬間には驚きで叫び出した。「えっ?弘樹くん、何言ってるの?本当にあったこと?一体どういうこと?私、誰とそんなことしたの?」弘樹はにやりと悪戯な笑みを浮かべる。「昨日のお前はすごかったぞ。奏介の首筋から顔まで、何か所もキスマークをつけていたんだから。おまけに、シャツも脱がせて、胸筋にまでかじりついてたし。さっき奏介から連絡が来てさ。今日、取引先に会った時に、死ぬほど恥ずかしい思いをしたんだって。だから、お前が目を覚ましたら何とかして消し方を考えろって伝言まで預かってる弘樹の言葉が全く信じられず、蛍は顎が外
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第308話

あまりにも突飛な理屈に、奈緒は思わず吹き出してしまった。普通なら、お酒の勢いで男性とあれこれしたと聞けば、真っ先に慌てるものなのに、蛍は相手が自分に手を出さなかったことに本気で落ち込んでいる。奈緒は呆れて言った。「もう蛍ってば、もうちょっと落ち着いた方がいいんじゃない?そんなこと言ってたら、先輩に軽い女だって思われちゃうよ。本当は恋愛経験だって無いのに」「しーっ!」蛍は慌てて人差し指を口元へ当てた。「奈緒!それだけは絶対、奏介さんの前で言わないでよね!あの人が好きなのって、きっと色っぽくて、大人で、恋愛経験豊富で、遊び慣れた女性なんだもん!だから私もそういう女ってことにしといて!それに、今まで何人もの男と付き合ってきたから、恋愛だって夜だってどっちも経験豊富だって言っておいてね。可愛い系でも大人系でも大丈夫だし、ベッドの上だって何でも受け入れられる。ひと晩で10回だって、いや、20回だって平気って!」蛍は興奮してベッドから飛び起き、身振り手振りを交えて力説する。その様子に、奈緒と弘樹も腹を抱えて笑っていた。そこへ、病室のドアが開き、女の子が好きそうなスイーツを提げた奏介が入ってきた。ちょうど最後の話だけ耳に入ったらしい奏介が、眉をぴくりと上げる。「へぇ、小さいのにずいぶん豪快なんだな?」実のところ、蛍は口が達者なだけで、実際は恋愛経験ゼロ、もちろんベッド経験も無い。まさかそんな適当なほら話を奏介本人に聞かれてしまうとは夢にも思わず、顔から火が出るほどの羞恥心に襲われ、蛍はクッションの中に顔を埋めて沈黙した。その光景を見て、奏介は面白そうに笑いながら、スイーツを棚へ置くと、蛍の後頭部をぽんと撫でる。「そんなに積極的なら、昨夜そのまま最後までしておけばよかったな。お預けをくらうのって、結構辛いんだぞ?経験豊富なお前なら、その気持ち分かるだろ?今度、機会があったら勝負してみるか?」蛍はもう恥ずかしさで穴があったら入りたかった。見かねた奈緒が笑いながら助け舟を出す。「さっきのは全部冗談ですから。実際、蛍はすごく奥手で……」「奥手?」奏介は意味深に笑い、自分の首にまだ残る赤い痕を指差した。「昨日の君たちに……危うく俺たちが食われるところだったんだけどな」その「俺たち」という言葉に、奈緒の顔
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第309話

奈緒の視線が、傷や青あざだらけになった仁哉の顔に向けられ、彼女の瞳は驚きに揺れた。真っ先に頭をよぎったのは――昨夜、薬のせいで理性を失った自分が、仁哉をこんな姿にしてしまったのではないかということだった。とはいえ、いくら自分が護身術に長けているとはいえ、ここまで相手を酷い目に遭わせることはないだろう……それにしても、昨夜、一体誰が自分たちの酒に細工をしたのか?奈緒の胸に疑念が渦巻き、仁哉を見る目には申し訳なさと後ろめたさが滲む。「仁哉さん、それって……」奈緒は思わず聞いてしまった。仁哉が微笑みながら彼女のそばへ歩み寄ってくる。「心配ないよ。ただのかすり傷だから。昨夜の動画は、全部坂本さんに処理してもらったから、外に漏れることはないよ」動画?何の動画?奈緒は首を傾げた。ますます訳が分からない。そこで奏介が昨夜の出来事を簡単に説明し、足りない部分を仁哉が補った。ただし、充の病室で殴られたことだけは最後まで口にしなかった仁哉。そんなことは言う必要も無かったし、奈緒に自分の情けない姿を見せたくもなかった。奈緒は、離婚のことと、まだ幼い黎のことで手一杯だ。これ以上、自分のせいで余計な負担はかけたくない。胸にしまってある様々な想いは、今もそのままでいい。すべてを聞き終えた奈緒は、怒りで震えた。自分たちの隙を狙って酒に薬を混ぜるなどという卑劣な行為を、まさか美紀がするとは思ってもみなかった。もし仁哉と奏介の自制心が弱かったら、自分と蛍はどうなっていただろう?想像するだけで、背筋に冷たいものが走る。ふと奏介の首元にも跡があることに気がついた。自分も仁哉と車内で同じようなことを……蛍が薬のせいであれほど積極的だったのなら、自分も相当だったのでは?自分も蛍みたいに大胆に迫っていたのか?自分も、仁哉と……キスをしてしまったのだろうか?奈緒の頭の中で勝手に想像が膨らんでいく。そんな彼女の表情を見つめながら、仁哉は静かに口元を緩めた。奈緒は平静を装ってはいるものの、その白い頬はみるみる赤く染まり、その赤みが首筋まで広がっていっている。仁哉は奈緒が何を考えているのかすぐに察した。「そんなに心配しなくていいよ。僕たちの間には……何も起きてないから」それを聞いて奈緒が胸をなでおろした瞬間
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第310話

近くで見る奈緒の肌は白くなめらかで、顔は手のひらほどしかない。長いまつ毛、少し切れ長の瞳、すっと通った鼻筋、薄く整った唇。全てが絶妙なバランスで、見れば見るほどに魅力を感じる。子供の頃の面影は今も残るが、あの瞳には当時のあどけなさはない。歳月を重ねた静けさと深みだけがそこに宿っていた。奈緒の兄と父親がいなくなり、彼女の人生がどん底に落ちたあの数年間。仁哉は誰にも気づかれない影のように、ずっと奈緒を見守っていた。彼女をいじめた人間の顔は、一人残らず覚えているし、その連中は皆、一度は彼の拳で警告を受けていた。奈緒が満足に食事もできなかった頃には、近所の人に頼み、食べ物をこっそり届けてもらったこともある。奈緒が初潮を迎え、何も分からず泣きながら帰宅していた日もまだ覚えている。奈緒のズボンについた血を見つけた仁哉は、慌てて調べ、スーパーへ走って生理用品を買い、使い方を書いた紙を添えて彼女の家の前へそっと置いた。蘭と奈緒が最もつらい時期、彼は長い間、誰にも知られず彼女たちを支え続けてきた。しかし、仁哉は決して彼女の前に姿を現さなかったから、奈緒本人はそれを知らない。その後、仁哉は海外へ留学し、建築デザイナーとして極秘プロジェクトに参加するようになったため、多忙な日々の中、奈緒を気にかける余裕は徐々に減っていった。やがて蘭が借金を返済し、再起したと聞き、もう安心だろうと思って見守るのをやめた。それなのに、運命とは何とも皮肉なものだった。再会したとき、彼女は親友の妻となり、自分もまた美紀と結婚していた。奈緒に対するこの感情が何なのか、仁哉には分からない。子供の頃のときめきや、兄のように見守りたいという気持ち、彼女の境遇への哀れみと心配……しかし、それが男女の恋なのかと聞かれると、答えられなかった。仁哉は、人生で誰かを愛した経験がなく、恋とは何かが理解できなかったのだ。30年という人生のほとんどを、勉強と設計と経営に費やしてきた仁哉に、他のことを考える余裕などなかった。仕事では、一ミリの誤差さえ見逃さぬほど正確に物事を測れる。それなのに、感情という迷路では進むべき道さえ見つけられない。ただ一つだけ確かなことがある。どんな女性を見ても顔を覚えられない自分だが、奈緒だけは特別だった。彼女は、心のどこかにずっとい続けてい
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