All Chapters of 我が子より他人の子?産後ワンオペ妻の離婚: Chapter 511 - Chapter 520

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第511話

仁哉と奈緒。二人は人混みの中に立ち、冷ややかな目で一部始終を見ていた。充の視線に気づいたのか、奈緒もまっすぐ充を見た。人混み越しでもはっきり分かる。その目にあるのは凍りつくような憎しみと嘲りだけ。その瞬間、充はまるでまな板の上にさらされた肉のような気分になった。プライドも尊厳も、何も残っていない。ふと自分の身体を見る。鍛え上げた腹筋も厚い胸板も、今は邪魔でしかなかった。こんな身体でなければ、大勢の中でここまで目立たずに済んだかもしれないのに。結局、充もそのままパトカーへ乗せられた。携帯をはじめ、通信機器はすべて没収される。それどころか着替えさえ許されずに、その場にいた全員が、警察署へと連行された。そこからは、淡々と手続きが進んだ。充も衣服をすべて脱いで全身を確認され、その後、血液検査と尿検査を受けた。一通りの検査が終わると、パーティーに参加していたほかの男たちと一緒に、暗い部屋へ入れられた。一晩中あれこれ調べられ、すべてが終わる頃には、すっかり夜が明けていた。薬物には手を出さず、酒に酔っていただけの者たちがようやく目を覚ます。互いに顔を見合わせながら、誰もが「どうしてこうなった?」と言わんばかりの顔をしていた。充は一人ずつ顔を確認した。拓也、俊丞、哲伸――昨夜パーティーで見かけた面々はほとんど揃っているのに、弘樹の姿だけが見当たらない。しかも、自分が連行されたとき、奈緒と仁哉は現場の外にいた。そこまで考えた瞬間、充の中で何かが引っかかった。充は勢いよく拓也の腕を掴む。「拓也、弘樹は?昨日、あいつもかなり飲んでたのに、どうして捕まってないんだ?」拓也はまだ、酒に酔って眠ったはずなのに、目を覚ましたら警察署にいたという状況すら理解できていなかった。そこへ突然腕を掴まれ、驚いて身体を震わせる。拓也は目をこすりながら答えた。「弘樹なら昨日、飲みすぎてもう無理だって言って、先に帰ったぞ。それより充、これどういうことだよ?なんで俺たち警察にいるんだ?まさか昨日、誰か薬物やってたとか?」充は直感的に違和感を覚えた。「弘樹は本当に飲みすぎただけか?警察が来る前に逃げた可能性は?」拓也が答えるより先に、床にぐったり座り込んでいた哲伸が口を挟んだ。「遠藤はそんな奴じゃないって。昨日は
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第512話

これまで築いてきた評判は、一夜にして台無し。しかも、事態は笑い話では済まないところまで来ていた。あの場にいた全員が尿検査を受け、そのうち半数近くが薬物に手を出していたのだ。つまり、半分以上が陽性になる。それを考えただけで、哲伸は怒りが爆発しそうだった。最近ようやく父親から認められ始め、家業を少しずつ任せてもらえるところまで来ていたというのに、たった一晩のパーティーですべてが水の泡だ。下手をすれば、今後の人生まで台無しになる。そんな状況で充から弘樹への疑いを聞かされても、哲伸には責任逃れにしか聞こえず、弘樹が怪しいなどとは露ほども思わない。充が妹たちから矛先を逸らそうとしている、そうとしか見えなかった。哲伸が声を上げると、すでに酔いの醒めたほかの御曹司たちも一斉に騒ぎ始めた。次々と詰め寄られ、充のほうこそ頭を抱えたくなった。状況を説明しろと言われても、充自身何がどうなっているのか分かっていない。それでも反射的に美紀を庇った。「昨日のことを美紀だけのせいにするのは違うだろ?あいつだって被害者なんだから。それに、何があったのかは俺が調べて、必ず納得のいく説明をする」「今さら説明されて何になるんだよ!今日から俺たち全員、世間の笑いものだぞ!」「あの女が、自分は盛岡グループの娘だし、青木グループもバックにいるから大丈夫だって言うから参加したのに」「俺たちだって今まで散々遊んできたけど、こんな目に遭ったのは初めてだ。美紀ちゃんも夢香ちゃんも、とんでもないことを起こしてくれたな」「これで青木家の化けの皮も剥がれたな!何が名家だよ。いざってとき何ひとつ揉み消せねえじゃねえか!」「本当にそうだよ。どうせもう警察沙汰になってんだ。今さら問題が一つくらい増えたって知るか。青木、お前のこと前から偉そうでむかついてたんだよ。今日こそ一発ぶん殴ってやるぜ!」「ああ、まずはこいつからだ!」誰かが煽った途端、その場の空気が一変した。拓也を除く男たちが、一斉に充を取り囲む。充が反応するより早く、拳と蹴りが四方八方から飛んできた。殴られ、蹴られ、また殴られる。昨夜は散々な醜態をさらし、今度は集団で袋叩きにされている。助けを呼ぼうにも、どうにもならない。幸い騒ぎを聞きつけた警察官がすぐに駆けつけ、鍵を開けて男たちを引き離した。
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第513話

どん底にいた充に、ようやく一筋の光が差した。警察官について部屋を出る。周囲から奇異の目を向けられながら、痛む身体を引きずるように歩いていった。迎えに来ていたのは胡桃だった。目が合った瞬間、充は気まずそうに俯いた。穴があったら入りたいとはまさにこのことだろう。胡桃はすでに今回の件のすべてを把握していて、もちろん全員が水着姿のまま連行されたことも知っているため、充の着替えとして私服を持ってきていた。充は服を受け取るなり、すぐさまトイレへ駆け込んだ。急いで服を着て戻ってくると、ようやく少しだけ心が落ち着いた。あんな格好で警察に連行されたなど人生最大の屈辱でしかない。充は拳を握りしめ、黙って胡桃のあとを歩いた。胡桃も充が相当堪えているのを察したのか、責めることはせず、ただ呆れたようにため息をついた。「今までああいうパーティーには行かなかったのに、どうして今回に限って……」充は黙り込んだ。それを充自身、昨夜から何千回と自分に問いかけている。胡桃は少し間を置き、充が何も答えないのを見て話を続けた。「昨夜、連行されたのは全部で32人。尿検査で問題がなかった人はもう釈放されてるけど、まだ7、8人が拘束されていて、夢香と美紀も中にいる。夢香は陽性だったから、少なくとも15日くらいは出てこられないと思う。美紀の尿検査は陰性。でも、あの子のほうが厄介ね。自分の家でほかの人たちに薬物を使わせた責任を問われてるから、場合によっては刑事処分を受けるかもしれない」胡桃は深いため息をついた。ここ最近、警察へ足を運んだ回数は、自宅へ帰った回数と大して変わらない気さえする。家族の誰かが捕まったと思えば、今度は別の誰かが刑事責任を問われる。次から次へと問題ばかり起きて、もううんざりだった。一体いつになったら終わるのだろう。二人がそんな話をしながら外へ向かっていると、正面から奈緒と仁哉が歩いてきた。奈緒と仁哉は昨晩から一睡もせずに、クラブ・ノクターンが無実であることを示す証言や証拠を集め回り、朝一番で警察に提出してきたばかりだった。その証拠があれば、クラブ・ノクターンが薬物取引とは無関係だったことを証明でき、楓も蘭も何もしていないことが分かるはず。そして少し前、二人を釈放するとの連絡が警察から入ったため、奈緒はすぐに迎
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第514話

奈緒の隣にいた仁哉が、低い声で言った。「奈緒さんが迎えに来たのは確かだけど、君を迎えに来たわけじゃない」その言葉が終わるのとほぼ同時に、反対側の出口から蘭と楓たちが姿を現した。蘭の姿を見た瞬間、奈緒の目が涙で潤んだ。奈緒はバッグを握りしめたまま歩み寄り、声を震わせる。「お母さん……大変だったね」だが蘭は意外なほど落ち着いていた。穏やかに笑いながら答える。「大丈夫よ。私は自分が何もしていないって分かってたし、クラブ・ノクターンのみんなが違法なことをするはずもないって信じてたから。ほら、やっぱり誰かにはめられてたんでしょう?」近くに警察官がいることを意識したのか、蘭はわざと少し声を張った。「だからこそ、警察も司法も信じるべきなのよ。やましいことがなければ、最後にはちゃんと真実が明らかになる。人を陥れようなんて考える人間は、結局、自分のしたことの報いを受けるんだから」蘭は奈緒に向かって語りかけていたが、その視線は鋭く、充と胡桃に向けられていた。この警察署の留置スペースはそれほど広くなく、部屋も数えるほどしかない。昨夜、美紀や夢香たちが連行されてきた際、ちょうど蘭たちの隣の部屋に入れられていたため、わざわざ聞くまでもなく、蘭はこの件に奈緒が関わっていると思った。そう確信していたからこそ、今回拘束されても蘭は少しも取り乱さなかった。奈緒なら必ず外で動いてくれる、どんな手を使ってでも自分たちの潔白を証明してくれる、そう信じていたのだ。そして実際、その通りになった。蘭は嬉しそうに奈緒を見つめた。いつの間にか、少し前までどこか危なっかしく見えていた娘が、今では自分が安心して背中を預けられるほど頼もしい存在になっている。蘭の言葉に含まれた棘に気づいた胡桃が、反射的に一歩前に出て冷たく言い放った。「それってどういう意味なの?もしかして、クラブ・ノクターンの件は青木家が絡んでるって言いたいわけ?」胡桃の声には明らかな苛立ちが滲んでいる。「青木家がそんな汚い真似をするわけないでしょ?証拠もないのに疑わないでくれる?」確かに奈緒は、青木家側が裏で指示したと断定できる直接的な証拠までは掴めていなかった。だが、美紀や夢香、そして充に対して、社会的ダメージを与えた事実に変わりはない。これは法的な処分よりも、もっと残酷で
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第515話

充はついさっき中で御曹司たちから袋叩きにされたばかりだというのに、今度は外で怒り狂った親たちに囲まれた。殴られ、押され、怒鳴られ、あっという間に顔は腫れ上がっていく。胡桃は慌てて自分のコートを脱ぐと、それで充の頭を覆い隠し、叫ぶように言った。「皆さんのお気持ちは分かります!でも昨夜のパーティーは弟が主催したものじゃありません!弟も巻き込まれたんです。そのことは、間違えないで欲しいです!」胡桃が必死に叫ぶと、さすがに親たちも少しだけ勢いを緩めた。最初に充を殴ったのは、俊丞の父親・百瀬克尚(ももせ かつひさ)だった。俊丞は一人息子だったため、幼い頃から大切に育てられ、欲しがるものはほとんど何でも与えられてきた。俊丞が多少遊び人なのは克尚も知っていたが、法律に触れることだけは絶対にするなと、何度も厳しく言い聞かせてきた。俊丞もこれまでは一応その一線だけは越えずにいて、警察に連行されたのは今回が初めてのこと。それなのに今回はただ薬物を使用しただけではなく、薬物を所持し、他人に勧めた疑いまでかけられている。その知らせを聞いたとき、克尚は目の前が真っ暗になった。そして最初に思ったのは――息子ははめられた。俊丞がそんなことをするはずがない。そう信じた克尚は、すぐにほかの関係者の家族にも連絡を取り、先に釈放された参加者たちから昨夜の事情を聞き出した。そこで分かったのが、美紀と夢香が中心になって開いたパーティーだったということ。二人はずっと、ここなら絶対に安全だから外に漏れる心配はない、と豪語していたらしい。その安心感もあり、酒が回るにつれて参加者たちの羽目も外れていったということだった。克尚はそれを聞いて真っ先に思った。二人がそこまで強気だったのは充という後ろ盾があるからではないか?しかも充自身も会場にいて、同じように連行されたと知り、怒りはさらに膨れ上がった。これまでの充は若いながらも落ち着きがあり、同世代の中でも一目置かれる存在で、こういう御曹司たちを諫める側の人間だとさえ思われていた。それなのに今はどうだ?自分からその輪に入り、同じように馬鹿騒ぎをしている。さらに最近は、青木家の醜聞が立て続けに表へ出ていて、青木家の誰かが問題を起こすたび、これまで築いてきた「名門一家」というイメージが崩れていった。
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第516話

充はその場に立ち尽くした。殴られた頬は熱を持ち、顔色は青くなったり赤くなったりと、目まぐるしく変わっている。普段なら人前で堂々と意見を述べ、多くの人間を従える立場にいた彼なのに、それが今では全裸で人前にさらされているような気分だった。火の上で炙られ、熱い油で揚げられているかのような居たたまれなさに逃げ出したくなる。胡桃も怒りに全身を震わせていた。「い、一体何なの……」悔しい、腹立たしい、弟のために反論して無実だと訴えたい。けれど、何も言い返せなかった。かつて青木家といえば、深津市でも指折りの名家だった。青木グループの本社ビルが完成した頃など、まさに一族の絶頂期。深津市の資産家や経営者たちは、誰もが青木家との縁を求め、取り入ろうとしていた。周りにいるのはいつも味方ばかりで、面と向かって厳しいことを言う者など一人もいなかったし、ましてやこんなふうに指を差され、人前で罵倒されることなど考えられなかった。一連の騒動を傍から見てきた胡桃は、この瞬間はっきり悟った――青木家の時代は、もう終わりかけている。弟はもう誰もが口を揃えて褒め、経済誌の表紙を飾るような若きエリートではない。今や青木家そのものが、世間の笑いものになっていた。胡桃は悔しさに拳を握りしめると、すっかり気力を失った充の腕を掴み、周囲の罵声を浴びながら逃げるようにその場を離れた。二人は車に乗り込むと、そのまま急いで走り去る。奈緒と蘭、そして仁哉は、カリナンから充と胡桃が羞恥に耐えながら消えていく様を見届けていた。仁哉が静かに口を開く。「奈緒さん。この騒ぎもそろそろ終わりかな?」奈緒は人気のなくなった道路を見つめたまま答えた。「終わるかどうかは私たちが決めることじゃなくて、向こうがどうするか次第」蘭が奈緒の手をぎゅっと握った。「なるべく早くあの人との離婚を成立させた方がいいかもね。青木家ももう長くはもたないだろうし、巻き添えになる前に、きちんと縁を切っておいたほうがいいから」奈緒は静かに頷く。「うん。もう一度、充と話してみる。できるだけ早く離婚できるようにするよ」そこで蘭が突然何かを思い出した。「あなたたち二人とも私を迎えに来てるけど、黎ちゃんは?誰が見てるの?」仁哉が落ち着いた声で答える。「安心してください。
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第517話

受話器の向こうで数秒の沈黙が続き、男の低い声が聞こえた。「本当に俺が帰国しなくても大丈夫?」蘭は思わず口元を押さえた。涙が頬を伝っているが、それでも声だけは何でもないように装う。「ええ、本当に大丈夫よ。見ての通り何も問題ないから。そっちはそっちで、今やるべきことを片づけなさい。私は今、奈緒と仁哉くんと一緒にいるから大丈夫。何もないなら、無理して帰ってこなくていいわ」奈緒は蘭の顔を見た。胸に小さな疑問が浮かぶ。蘭がこれまでどれほど息子の帰国を願っていたか、奈緒は誰よりも知っている。それなのに、なぜ今はこんなにもきっぱり帰国を拒むのだろう?大きくなった兄と顔を合わせるのが、そんなに嫌なのだろうか?それとも、帰国させることで危険な目に遭うことを恐れているとか?疑問は残ったが、奈緒は何も尋ねなかった。蘭も二、三言話すと、そのまま電話を切った。仁哉は二人を木蓮邸まで送り届けた。もう夕方で、これから潮咲市へ向かえば着く頃には夜になってしまう。蘭は一刻も早く黎に会いたがっていたが、奈緒はせめて今夜は家でゆっくり休み、明日出発するよう説得した。奈緒の頼みを押し切ることができず、しぶしぶ頷いた蘭。帰宅後、入浴を済ませると、奈緒は手早く何品か料理を作り二人で向かい合って食卓を囲んだ。久しぶりに母娘二人、向かい合って夕食を取る。テレビでは、深津市のローカルニュースが流れていた。案の定、美紀が開いたプライベートパーティーで大勢の御曹司や令嬢が摘発された件は、すでに大騒ぎになっていた。青木家の評判は、今や経済界でも地に落ちている。克尚や、哲伸の父親である柳川容治(やながわ ようじ)は激怒し、ほかの企業経営者たちにも呼びかけ、充に深津市商工会会長の辞任を求めていた。世論の圧力に耐えきれなくなった充は、その日のうちに声明を発表。正式に会長職を辞任すると表明し、同時に夢香と美紀に代わって世間へ謝罪した。だが、それで収まるほど世論は甘くはなかった。テレビでもネットでも、青木家を批判する話題が次から次へと流れてくる。あまりにも情報量が多く、奈緒が食事の合間に何本か動画を見ただけで、その後おすすめに表示される動画がほとんどこの騒動一色になったほどだった。コメント欄を開いてみるとそこには、青木家は家族揃って
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第518話

「奈緒、お互いもう分かっていることだ。遠回しな話はやめよう。充との離婚ができるだけ早く成立するよう協力するから、その代わりもう青木家には手を出さないでほしい。昔は家族だったよしみで、これ以上うちの人間を追い詰めるのはやめてくれ。条件があるなら、何でも言ってくれて構わない」そこでようやく、麟太郎が電話をかけてきた本当の目的が見えた。奈緒は思わず鼻で笑ってから言い返す。「まず言っておきますけど、私は青木家に何かを仕掛けた覚えはありません。むしろ、ずっと私の邪魔をしてきたのはそちらですので、そこを都合よくすり替えないでください。それに、青木家が今こうなっているのは全部自分たちで招いた結果じゃないんですか?あなたと秘書のスキャンダル、今回の夢香さんと美紀のパーティー、そしてチャリティーをめぐる問題も。私が脅してやらせました?自分たちで問題を起こしておいて反省もせず、私に『手を引け』なんて言われても困ります。そもそも私は手を出していないんですから、引きようがないんですけどね。最後にあなたに口を挟んでいただかなくても、私と充は離婚します。離婚の条件については、ずっと前から彼と話をつけてありますし、サインを渋っているのは充本人ですので。それと、ひとつ教えておいてあげますね。あなたが今まで築いてきたものを壊したのは、誰かではなくあなた自身です。それくらいは分かっておいたほうがいいと思いますよ」奈緒は一気に話し終えると、それ以上は話す気にもなれずそのまま電話を切った。電話の向こうでは、これまでずっと人の上に立ち、他人から生き方を説かれることなどなかった麟太郎の顔が、みるみる険しくなっていた。通話が切れた音を聞いた瞬間、麟太郎は怒りに任せて携帯を床へ叩きつける。その場には充もいた。突然の激しい音に、充の身体がびくりと揺れる。「これがお前が青木家に連れてきた女だ!」麟太郎は怒りに震えながら、充を指差した。「たった一人の女すらどうにもできないとは……お前は本当に情けない!」充はゆっくりしゃがみ込み、画面の割れた携帯を拾った。そして立ち上がると疲れ切った声で言う。「父さん……ここまで来たら、もう何を言っても仕方ないよ」その瞬間、麟太郎は怒りを爆発させた。「だったら、俺の言う通りにしろ!今すぐ贈り物を用意して、今回巻き
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第519話

麟太郎の口から飛び出した「離婚」という言葉を聞いた瞬間、翠の身体が震えた。自分の耳を疑うように麟太郎を見つめる。「麟太郎、今、何て言ったの?私と離婚するって言った?私が何年あなたについてきたと思ってるのよ!苦労して子どもたちを育てて、今じゃ年まで取って……少し間違えたくらいで、それだけで離婚!?そんなのあんまりよ!」長年溜め込んできた不満と悔しさが、「離婚」という一言をきっかけに、翠の中から一気に噴き出した。翠は声を上げて泣きながら、麟太郎を責め立てた。だが麟太郎の目に情は少しも残っておらず、あるのは心の底からの苛立ちだけだった。「よくそんなことが言えるな。お前が育てた子どもたちを見てみろ。今、どんな有様だ?親がお前のようでは、子もこうなる。全部、お前の育て方が悪かったんだ。早々に隠居し、充に会社を任せた俺が馬鹿だった。青木グループのこの惨状を見てみろ!あんなに大きかった青木グループが、今じゃ潰れかけてるんだぞ?深津市商工会の会長を辞めたなら、社長の座だって降りればいいんだ!今の充には、青木グループを率いる力などない。このまま任せていたら、いずれ本当に終わってしまう」麟太郎は充本人を目の前にして、徹底的にけなした。父親からまるで価値のない人間のように言い切られた充は、信じられない思いで顔を上げる。かつては誰よりも自分を認め、期待し、可愛がってくれていた父親。その口から、これほどまでに自分を否定する言葉が出てくるとは思わなかった。一体、何がどうなってしまったのだ?自分はそこまで取り返しのつかないことをしてしまったのか?ほんの数か月前まで誰もが自分を認め、仕事では評価され、青木家の後継者として一目置かれていた。それなのに今は、かつて自分を輝かせていたものが一つずつ剥ぎ取られ、責められそして殴られる。あの尊厳や誇りはどこへ消えた?これまで積み上げてきた実績は?受けてきた評価も信頼も、すべてどこへ消えてしまったんだ?充はふと思った……奈緒がそばにいた頃だけ、自分はすべてを手にしていたような気がする。そして奈緒が離れた途端、自分の世界そのものが一気に崩れ始めた。今、充から離れていっているのは取引先や友人だけではない。家族も、これまで充を信頼し、認めていた社員たちまで……誰もが少しずつ、
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第520話

もうかなり遅い時間だったうえに、拓也も午後にようやく釈放されたばかりでまだ昨夜の出来事を引きずっていたため、正直、外へ出る気分にはなれなかった。昨夜の一件は、それほどまでに強烈だった。あの場で最後まで一線を越えず、薬物に手を出さなかったからこそ、今こうして家にいられる。もし少しでも流されていたら、自分もまだ拘束されたままだっただろう。もともと争い事とは無縁に生きてきた拓也には、あまりにも刺激が強すぎた。しばらくの間、青木家の人間とは一切関わりたくない。本気でそう思っていた。だから充から電話がかかってきても、拓也は迷うことなく切った。3回続けて拒否されれば、さすがの充にも分かる。だから、もう電話はかけなかった。最後に残っていた友人まで自分から離れていった今、本当の意味で一人になってしまった。充は感覚さえ麻痺したような顔で、亡霊のように街を歩く。気づけば、以前よく仲間たちと集まっていた会員制のワインバーまで来ていた。ところが、扉を開けようとした時、鍵がかけられていることに気がついた。扉には、【テナント募集中】という貼り紙。その文字をしばらく呆然と見つめた充だったが、やがて、自嘲するように口元を歪める。友人だけじゃない。自分にとっての最後の逃げ場所までもうなくなってしまった。充は魂が抜けたように水鏡ヶ丘へと帰った。玄関を開けてくれた恵は、言いつけられていた通り、酒のつまみを何品か用意して待っていた。今の充にはもう話せる相手すらいない。仕方なく一人で酒を飲みながら、恵にぽつぽつと話しかける。「俺と奈緒は……どうしてこんなことになったんだと思う?俺、奈緒にそんなにひどいことしてたか?」最近の青木家をめぐる騒動は、恵も当然知っていた。以前なら、どれだけ勇気があっても充に本音をぶつけることなどできなかっただろうが、今は違う。恵はすでに、青木家にこれ以上残るつもりはなかった。地元にいる息子が結婚することになったから――そう理由をつけて、近いうちに辞めようと決めているため、もう遠慮する必要もない。「そんなこと聞かなきゃわからないんですか?奥様に今までどう接してきたか、ご自身に心当たりがあると思いますけど」常に控えめだった恵が突然刺のある言い方をしてきて、充はひどく困惑した。驚いて顔を上げる
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