All Chapters of 君に触れたい〜逃した未来は大きかった〜: Chapter 121 - Chapter 130

133 Chapters

121話

六月に入った。 今日からいよいよ、かすみの経営するカフェがオープンする。 かすみは、ランチに八重子と早苗を、ディナーに弥一を招待するため、朝早くからカフェへと出掛けようとしていた。 そんなかすみを、同じく会社へと出勤する弥一が、車で乗せていくよ、と提案する。 「いえいえ、歩いて行ける距離ですから!それに、御子柴さんの出勤時間にはまだ早過ぎます。ですので、どうぞ私のことはお気になさらず!」 そう言って断ろうとするかすみに、 「何てことだ!巴、今の見てた?また、弥一がかすみにフラれてるよ!」 玄関先まで見送りに出ていたジョンは、嘆かわしい顔で巴を見つめた。 巴はため息を吐くと、 「弥一が誘い下手なのか、かすみちゃんが鉄壁すぎるのか。まあ、そのどちらもなんでしょうけど、仕方ないわね。弥一が使いものにならないなら、私がかすみちゃんをお店まで送って行きましょう!」 「よしっ!じゃあ僕も同乗しよう!」 羽柴の訪問後、ジョンと巴はかすみが一人になるような状況は作らせないよう徹底していた。 いつでもどこでも、かすみに気付かれぬよう細心の注意の下、誰かしら護衛を付けていたのであった。 「フラれたとか大袈裟なこと言うのやめてもらえます?断られたとフラれたとでは、だいぶ意味が違うと思いますけど?というか、また、って何?また、って?いちいち俺の心抉ってこないでっ!」 だが、巴はそんな弥一の訴えを、「あーはいはい。わかったからもう、朝から叫ばないでちょうだい。」と、ぞんざいに退けると、 「私は、ちょうどかすみちゃんのお店の近くにあるベーカリーのパンが食べたいって思っていたところだったのよ!だから、かすみちゃんを乗せていくのはそのついで。ジョンを乗せていくのは荷物持ち。ね?ついでなんだからいいでしょう?」 そう、美しい顔でねだられ、かすみは返す言葉に困ってしまう。 すると、 「ああ!あのベーカリーね!はいはいはい。俺もちょうどあそこのパンを会社のみんなへの差し入れにいいなとおもってたんだ!」 巴はは弥一を訝しむように見つめると、 「便乗してこないでくれる?」 弥一は巴に近づくと小声で、 「息子に譲ってください、母上様。」 (母上様ってなによ・・・) 巴は呆れ顔で、 「じゃあ、弥一はかすみちゃん
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122話

「はい、到着!」 弥一がカフェの駐車場に車を停めると、かすみは「ありがとうございます。」と、シートベルトを外した。 弥一はカフェをまじまじと見つめると、 「白い壁に青い屋根。アリスが着ている服みたいに、可愛いらしい建物だね!」 かすみは微笑むと、 「ありがとうございます。私も、可愛いらしくてとっても気に入ってるんです!あと、送っていただいたことも。出勤前にも関わらず、ありがとうございます。」 「いやいや、こちらこそ。出勤前のささやかなドライブデートのおかげで、今日も一日がんばれそうだよ!ありがとうね。」 かすみは顔を赤くすると、 「あっと、あの。今日の夜、お待ちしてますね。」 弥一は嬉しそうに、 「うん!けど、無理言ってごめんね?」 かすみは手を振ると、 「いえいえ、とんでもない!お世話になっているんですから、これぐらいはさせてください!」 そう言ってから、かすみは何かに気づいたように、「あ。」と言ったので、 「どうしたの?」と、弥一が尋ねる。 「お世話になってるのだから、巴さんとジョンさんもお招きするべきでしたよね。私としたことが、気が利きませんでした。」 弥一は慌てて、 「いや、そこはまたの機会ってことでいいんじゃないかな?それこそ、その点に関してはあっちに気を利かせてもらいたいくらいだし。」 「え?」 弥一は咳払いすると、 「俺は、かすみさんと二人きりでお祝いがしたいってこと!です。」 かすみはこれ以上は赤くならないほどに顔を赤くすると、 「え、っと、はい。かしこまりました。」 そう言って、火照った顔を冷まそうと手でパタパタと仰いだ。 弥一は、そんなかすみに愛おしそうに微笑むと、 「それじゃあ、また夜に。」 「はい。」 「いってきます。」 「いってらっしゃい。お気をつけて。」 発進しようとする弥一に、かすみは柔らかく手を振って送り出す。 弥一も手を振り、それから車を発進させた。 カフェの駐車場から通りに出る前に、弥一はちらりとバックミラーに目をやった。 かすみはまだ、弥一に向かって手を振っている。 弥一は車の窓ガラスを下げると、そこから顔を出して、 「行ってくるね!」 そう声を掛けてから、いよいよ車を発進させると通りへ
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123話

「いいんだけどさ、いいんだけど・・・いや、やっぱり良くないな。え、なに?その顔なんとかならないの?」 社長室には、デスクに座り書類に目を通す弥一と、その傍らに立つ三雲がいた。 弥一は、朝からただただ愚直に仕事をこなしているだけだった。 それなのに、そんな自分に怪訝な表情を浮かべ、そう尋ねてきた三雲に、 「その顔って、どの顔だよ?」 そう、弥一は聞き返した。 三雲は腕を組むと、 「もしも今、お前がその顔で下着のサンプルでも触ってようものなら、社員はドン引くだろうし、なんなら警備員飛んできそう。」 弥一はすぐさま真顔になると、 「え、そんなにやばい顔してた?」 三雲は片方の眉を上げると、 「かなりな。」 気まずい雰囲気を払拭するように、 弥一は一つ咳払いをすると、 「一応、もらった書類には全て目を通したし、必要なものにはサインもした。あと他に、何かやるべきことはあるか?」 今さら威厳を保とうとしている弥一に、三雲は苦笑すると、 「いいえ、今日社長がやるべきことは以上となります。」 「本当か?」 そわそわした様子の弥一に、三雲は思わず笑うと、 「まるで修学旅行前日の小学生みたいだな。どんだけ楽しみなんだよ!」 弥一は帰る支度をしながら、 「なんとでも言ってくれ。俺はもう、自分の心に素直になるって決めたんだ。」 「あー、はいはい。素晴らしい考えだと思いますよ?」 三雲にからかわれても、弥一は一向に気にならなかった。 弥一の頭の中は、今日のディナーを最高なものにするんだという思考でいっぱいだったからだ。 ある意味で心ここに在らずな弥一に、三雲は、 「そういえば、かすみさんへのお祝いにはケーキと花束をプレゼントするんだっけ?」 「そう。お前からのアドバイスをやっと活かせる日が来たよ。」 「かすみさんの好みがわかったのか?」 「ああ、大体だけどな。かすみさんは生クリームに目がないから、とっておきの生クリームケーキをホールで注文してる!花は、かすみさん、すみれの花が好きなんだって!だから、すみれの花を基調とした花束がいいなと思って、それももう注文しておいたんだ。」 「あとは取りに行くだけ、か。」 「そういうこと。」 淡々と返す弥一に、三雲は少し言い出し辛そう
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124話

弥一と三雲の社長室でのやり取りから、遡ること数時間前。 かすみが経営するカフェ、refuge(ルフュージュ)にて、かすみから招待を受けた八重子と早苗は、かすみが二人のために用意した特別な料理に舌鼓を打っていた。 八重子は、子羊のソテーに赤ワインで作ったソースがかかったお肉を頬張ると、その美味しさに思わず目を瞑る。 早苗はグリーンピースのポタージュのスープが気に入ったようで、上品にスプーンで掬うと、あっという間にスープのお皿を空にした。 デザートは二人の好きなフルーツをふんだんに使ったフルーツタルトで、しっとり濃厚なタルト生地に、コクがありながらもあっさりとした口当たりのカスタードと生クリーム、そしてフルーツの酸味とがとてもよく合っていた。 食後のコーヒーを優雅に堪能しながら、八重子と早苗は満足そうに微笑えんでいた。 「帰国して早々、こんなに美味しいお料理が食べられるなんてとっても幸せなことだわ。」 そう、かすみの料理の腕を褒める八重子に、早苗も同意するよう頷いたので、かすみは照れたように笑った。 「お二人のお口に合ったのなら光栄です。おかげで、自信をもって料理を出すことができます!」 「もし仮に、かすみちゃんの料理を否定する輩が現れたら教えてちょうだい!御子柴家の全権力を行使して黙らせてやるんだから!」 そう言って八重子はわざと怒ったような表情を作り、早苗はまたも同意するように、うんうん、と頷いた。 かすみはくすくすと笑ってから、急に真面目な顔つきになると、 「はい、そんなことになった時はぜひよろしくお願いしますね?」 それから三人は、まるで旧友のように笑い合ったのだった。 一頻り笑った後、八重子はコーヒーカップを置きながら、 「そういえば、早苗さんから聞いたんだけど。かすみちゃん、今はウチに住んでるんですってね?」 かすみは眉を下げると、 「はい、そうなんです。借りていたアパートに欠陥があったらしく、困っていた所に偶然巴さんとジョンさんが通りかかって・・・そんなお二人の提案に甘えて同居させていただいております。」 八重子は椅子から立ち上がり、かすみの手を握ると、 「ウチのへっぽこ弥一が散々迷惑を掛けたっていうのに。それでもまた御子柴家と繋がってくれてありがとうね、かすみちゃん。」 か
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125話

会社を出た弥一は真っ直ぐにエートル・カプティヴェに向かった。 店は相変わらず繁盛していて、弥一は行列の最後尾に並ぶと時計を確認する。 時刻は間もなく午後5時を迎えようというところだった。 かすみとのディナーは午後6時からにしてもらった。ディナーには早いが、久々に八重子も帰宅したし、かすみ大好き人間な巴たちを差し置いてということもあって、早めにかすみを解放するためにもディナーの時間を早い時間帯にしてもらったのであった。かすみの開店祝いは、御子柴家で贅沢に執り行おうという算段だったのである。そんな弥一は、ここでケーキを受け取り、花屋で花束を受け取っても十分時間には間に合うだろう、そう考えていたのであった。 数十分後。 前の人が終われば次に弥一の番なので、彼は予約表を財布から取り出した。 前の人が買い終わり列から捌けると、弥一は笑顔を浮かべながら前に出る。 「こんにちは、円城寺さん!予約していてたケーキをお願いします!」 そう言って、弥一は予約表を愛蘭へと渡す。 弥一の晴れ晴れしい笑顔とは打って変わって、愛羅は口元だけで笑ってみせると、 「お待ちしておりました御子柴さま。ただいまご予約いただいたケーキをお持ちいたしますので、少々お待ちください。」 そう言うと、予約表を手に店の奥へと消えて行った。 愛蘭はすぐさまケーキが入った箱を手に戻ってくると、 「では、ご予約された商品と相違ないか確認していただきます。」 愛蘭はケーキの箱を滑らかな手つきで開けると、ケーキが乗っている板毎スライドさせて、弥一にケーキがよく見えるようにする。 8号サイズの大きな生クリームケーキは、所々に赤く輝くイチゴが添えられ、生クリームでデコレーションされたケーキはシンプルであるからこその美しさが際立っていた。 ケーキの真ん中にはハート型のチョコが置かれ、弥一からかすみへのメッセージが書かれている。 弥一はそのケーキを目に小さく拍手すると、 「すごい、美しい・・・このケーキは僕の想像の遥か上をいってます!やっぱり円城寺さんに頼んで正解でした。お忙しい中ありがとうございます!」 そう顔を綻ばせる弥一に、愛蘭は内心照れながらも、ふん、とそっぽを向くと、 「天下の御子柴さまにお褒めいただき光栄です。では、商品はこちらでお間
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126話

あの水族館の日以来、加島には連絡をしていないし、あちらからも音沙汰なかった。 言わないほうが良かった。言わなければずっと友達としていられたのに。 などと、らしくないことで悩む自分に腹が立つ。 自分がうまくいかなかったからって、あの子にあんなことを言ってハッパをかけるなんて。 「だっさ。」 「何が?」 驚いた愛羅が会計のおつりを落としそうになると、加島が愛羅の背後から彼女を抱くよう手を伸ばし、見事にキャッチする。 加島は、二人のやり取りを目に黄色い声を上げているお客に向き直ると、「ビックリさせてしまい申し訳ありません。こちらおつりの630円になります。ありがとうございました。」と言って、おつりを手渡した。 「な、何しに来たのよ。」 久しぶりの彼に、声が上ずる。 お客に聞こえないよう、また加島を目を合うことがないよう、愛蘭は加島に背を向けた状態でそう小声で問い詰める。 加島は愛蘭の背中を見つめながら、 「スタッフの子から、誰かさんが最近上の空でアホ面晒してるもんだから困る、って聞いたもんだからさ。オーナーとして喝入れに来てやったの!」 「はあ?誰がアホ面晒してるですって!」 巻き舌で怒りを露わに振り返る愛蘭に、 「やっとこっち見た。」 してやったりといった加島の顔に、愛蘭は唇を噛んでそっぽを向いた。 「何しに来たって聞いたんだけど。」 加島は愛蘭の隣にそっと立つ。 瞬間、愛蘭は身体をビクリとさせた。 加島は、フッと笑うと、 「お前さあ、今日この後空いてる?ちょっと付き合ってほしいんだけど。」 「つ、付き合うってどこに?」 「かすみがお店をオープンさせたろ?その開店祝いにさ。お前、プレゼントのセンスがいいじゃない?だから、一緒に選ぶの手伝ってほしいんだよ。」 ああ、そういうこと。 散々ありえないことだとわかっているはずなのに、何かを期待した自分が恥ずかしくて、愛蘭は眉間にしわを寄せると、 「わかった、買い物には付き合うわ。だから、とりあえずそこ退いて。」 だが、加島は動こうとしなかったため、愛蘭は苛立ったように加島を見上げると、 「ねえ、退いてって言ってー」 「買い物行った後はさ、ディナーを予約してるんだ。隣町にあるお好み焼きの店。前に食べに行きたいって言
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127話

お店のドアが開いた音に振り返ったかすみの目に、弥一が映った。 彼女は微笑むと、 「お待ちしておりました。」 そう言って入り口に立つ弥一を出迎える。 弥一ははにかんだ笑顔を浮かべながら彼女に歩み寄り、ケーキが入った箱をテーブルの上に置くと、 「かすみさん、カフェのオープンおめでとう!」 そう言って、花束を手渡した。 かすみは美しい花束を目に顔を綻ばせると、 「わあ、きれい。」 手の中の花束に感嘆の声を洩らした。 「表にあるスタンド花といい、すごく嬉しいです。ありがとうございます。こちらは店内に飾らせていただきますね!」 弥一はかすみの言葉に少し引っ掛かりを覚えたものの、「もちろん!」と言って笑い返した。 それから、 「それともう一つプレゼントがあってー」 そう言いながらケーキの箱までかすみを誘導すると、 「開けてみて?」 かすみが、いいのですか、というように弥一の顔を見たので、弥一は「どうぞ」と言って促した。 かすみはケーキの箱に手を伸ばすと、大事なものを扱うときのような優しい手つきでそっと箱を開ける。 「わあ。」 またしても、かすみの口から感嘆の声が洩れた。 生クリームといちごのシンプルなケーキだが、生クリームで見事にデコレーションされたケーキは言葉にできないほどの美しさであった。 「これって愛蘭たちのお店の、ですか?」 目の前のケーキに目を奪われながらもそう尋ねるかすみの姿に、弥一は堪らずクスッと笑って、 「そう。急な注文だったにも関わらず作っていただいたんだ。最初は顔を顰めてたけど、かすみさんのオープン祝いにプレゼントしたくてって言ったら、二つ返事で引き受けてくださったよ。」 かすみは感極まったような表情でケーキを見つめると、その視線を弥一に移して、 「こんなにも心のこもったプレゼントをいただけて、本当に胸がいっぱいです。御子柴さん、ありがとうございます。」 胸に手を当ててお礼の言葉を述べるかすみに、弥一自身も何だか胸が熱くなった。 「こちらこそだよ。喜んでもらえてすごく嬉しい。」 かすみは今一度花束とケーキに目をやってから、 「では、次は私がおもてなしをする番ですね!御子柴さん、少しの間椅子に掛けてお待ちください。すぐに準備をいたしますの
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128話

「ごちそうさまでした。」 手を合わせた弥一の前にはきれいに平らげらた後の食器だけが並んでいた。 結構な量を用意したはずだったのに、全ての料理を完食した弥一にかすみは目を丸くする。 「御子柴さんて、もしかして痩せの大食いですか?」 弥一はキョトンとした顔でかすみを見つめ返すと、 「いや、普通に人並みだと思うけど・・・どうして?」 その問いに答える代わりに、かすみは目の前の空になった食器へと視線をやると再び弥一に視線を戻した。 その視線の意味に気づいた弥一は、ははっ、と笑うと、 「美味しいものだったり、好きなものってなったら別!俺にとってかすみさんの料理はどちらにも当てはまるから、そりゃあ、箸が止まらないよね!」 かすみも、あはっ、と笑うと、 「最高の褒め言葉です。ありがとうございます。」 弥一はかすみの笑顔を愛おしそうに眺めていたが、ふいに、 「そうだ、ケーキなんだけどさ。」 ん?といったように、かすみは弥一を見つめる。 「先に二人で少しだけ食べちゃわない?せめてチョコプレートの所だけでもかすみさんに先に食べてほしいな。」 「チョコプレート、ですか?」 「うん、メッセージ書いたからさ。それを家族に見られたくないんだ。見られたら最後、イジり倒してくるに決まってるから。」 かすみは思わず吹き出すと、 「では、先に少しだけ二人で食べちゃいましょうか!」 弥一は「賛成!」と手を挙げると、 「よし!じゃあ、作業を分担しよう。かすみさんはケーキを取り分ける係、俺は皿を運んで洗う係をやります!」 かすみはすかさず両手を振ると、 「いけません。御子柴さんに皿洗いなどさせられません。」 だが、弥一はかすみの言葉を聞きながらもスーツの上着を脱いで椅子に掛けると、腕時計を外し、ワイシャツの袖をまくりはじめる。 「かすみさん。海老原市での俺たちの関係はもう終わったんだ。だから、俺が皿洗いをしたっていいでしょう?」 「いや、でも・・・それではおもてなしにならないです!」 「十二分にもてなしてもらったよ?俺の大好物ばかり作ってもらえたんだもん!だから、ね?」 ふいに、弥一のそんな甘え顔を正面からくらったかすみはたまらず目を泳がせると、 「ですが、私ばっかりもらいっぱなしっていうのはち
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129話

かすみは入り口に立つ人物を凝視すると、 「櫂斗、さん?」 だが、そんなかすみの囁き声は、やかましい女性の声にかき消されてしまう。 「うそっ、弥一?どうしてここに?」 櫂斗と腕を組みながら、雪菜は驚いたように声を上げるた。 (ああ、なるほど。これが櫂斗さんが言ってたとっておきのプレゼントってわけね) 彼女は弥一の元へ向かおうと、櫂斗と組んだ腕を離そうとしたが、そこで、待てよ、といったように動きを止めた。 そして、ちらりと自身の横に立つ櫂斗に目をやる。 弥一と遜色ないスタイルと顔の良さに加え、彼にはさらに大人の色気があった。 櫂斗と仲睦まじい様子を見せつけてやれば、未だヘソを曲げてい弥一も、悔しがって自分との復縁を考え直すかもしれない。 そう考えた雪菜は、勝ち誇ったような笑みを浮かべると、より一層、櫂斗に密着するようにして、その姿をこれみよがしに弥一へと見せつけた。 しかし、お目当ての弥一はというと、彼の隣で息を呑んで立ち尽くしているかすみしか見えていなかった。 弥一は心配と戸惑いが滲んだ声で、 「かすみさん?」 そう声を掛けたが、かすみは微動だにしない。 弥一は焦ったように、 「かすみさんっ!」 かすみは、ハッとしたように二度三度とまばたきをすると、やっと自分がどこにいるのかを思い出したようで、 「あ、ご、めんなさい。私ったら、ぼーっとしてました。」 弥一はかすみの肩にそっと触れると、 「大丈夫?」 かすみは額を押さえながら、 「ああ、はい。はい、大丈夫です。ごめんなさい。」 誰がどう見ても大丈夫であるようには見えなかったし、実際、かすみはちっとも大丈夫ではなかった。 心の中では絶えず、この場をどう切り抜けようかと、そのことばかりが頭を駆け巡っていた。 かすみの身体に弥一が触れた瞬間、櫂斗はピクリと身体を動かした。 雪菜も、弥一に心配されているかすみの姿を目に(誰よ、あのおばさん)と、目を鋭くする。 弥一がかすみに顔を近づける姿に、櫂斗は目を細めた。 彼は、チッ、と小さく舌打ちをすると、雪菜が腕を取っていることも忘れて、大股で早足にかすみたちへと距離を詰める。 雪菜は、そんな櫂斗に引っ張られるようになりながらも、腕を離すことなく何とかついて行った。
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130話

(死んだことにしてとんずら?とんずらって何だ?というか、一体さっきから何の話をしているだ?) 会話の内容に加え、兄弟とは到底思えない二人の空気感に、弥一の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。 しかし、櫂斗を目の前にして身体をこわばらせているかすみに、弥一はそのことを追求するより先にかすみの盾となるべく二人の間に入った。 すぐさまかすみが、「ダメです!」と自身が弥一の盾になろうとするが、弥一はそれを手で優しく制した。 弥一は櫂斗の目を真っ直ぐに見据える。 弥一が前に出てきたことに雪菜はすぐさま反応すると、 「弥一!」 呼ばれた弥一はちらりと雪菜を見た。 久々に弥一が自分を見てくれたことに、雪菜は胸が高鳴る。 何か期待を込めたような目の雪菜に対し、弥一は温度のない目で雪菜を見下ろしながら、 「この人とはどういう関係?」 (やだ!弥一ったら案の定彼に嫉妬しちゃってる!) 雪菜は顔がニヤけそうになるのを必死になって堪えると、澄ました顔で、 「見ての通りだけど?」 そう言って、雪菜はより一層、櫂斗の腕に密着するように絡みつけると、笑ってみせる。 瞬間、そうされた櫂斗の顔に浮かんだうんざり顔を、弥一は見逃さなかった。 こっちもこっちで詳細はよくわからないが、目の前の男が雪菜にその気がないことだけは明らかであった。 弥一が嫉妬していると勘違いしている雪菜は、さらに弥一の嫉妬心を煽ろうと、 「そんなにあたしと彼との関係が気になるの?まあ、そうね。敢えて言葉にするとしたらー」 「黙って。」 これ以上雪菜に喋らせたところで有益な情報は得られないだろう。 そう考えた弥一は早々に雪菜の話を遮った。 かすみに声を掛けた時とは打って変わって、冷えた口調でばっさりと切ってきた弥一に、雪菜はツヤツヤと輝く唇を噛むと、忌々しいといった目つきになった。 そしてその目を、弥一の背中で守られているかすみへと向ける。 目の前の男たちの光景に気が気でないかすみは、その雪菜の毒々しい視線に気づかなかった。 弥一は視線を櫂斗から外すことなく、 「いろいろ聞きたいことはありますが、昨今はプライバシーに関しては非常にデリケートな世の中ですからね。大体の疑問は飲み込みます。ですので、あなたにお聞きしたいのはた
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