All Chapters of 君に触れたい〜逃した未来は大きかった〜: Chapter 1 - Chapter 10

32 Chapters

1話

接待を終えた御子柴弥一(みこしば やいち)はいつもよりだいぶ遅くなったものの、ちゃんと帰宅しようとしていた。 今日の相手は得意先の中でもダントツで厄介な質で、酒好きな上に女好きとあって、そいつの接待には必ず美味しいお酒と華やかな女を用意しなければならなかった。 弥一自身もかなり酒を飲まされた上に、そのルックスから女たちは皆彼をロックオンすると、あからさまなボディタッチをするなどしてアピールしてきた。 残念ながら弥一がそれに釣られることはなく、むしろベタベタ触られたことで彼女たちの付ける香水の匂いが自分からもしていることにかなり苛立っていた。 車の空気を入れ替えようと後部座席の窓を開けながら、 「おばさんには連絡入れてるのか?」 と、助手席に座る秘書の三雲諭(みくも さとる)に問いかける。 三雲はその言い草に苦笑しつつ弥一のほうを振り返ると、 「してありますよ。奥さまより、お帰りの際はお気をつけてとのことでした。」 その返答に、弥一は安心したように座席に座り直すと、ふうと息を吐いた。 ニ年前、御子柴家の絶対的君主である八重子から、自身と十歳も離れた女との結婚を迫られた時は言葉にできないほど嫌で嫌で仕方なかった。 もし、相手の女の見た目が、年齢差を感じさせないような"綺麗なお姉さん"だったのならまだしも、弥一の目には彼女はどう贔屓目に見てもおばさんにしか見えなかった。 彼には長年想い合っている女性がいたが、祖母である八重子はどうしても彼の想い人を受け入れてくれなかった。 八重子の猛反対を受け、弥一と結婚できると思っていた恋人は辛いはずなのにそんな感情はお首も出さず、「おばあさまが認めてくれる女性になれるよう、A国へ行って自分を磨いてくるわ。絶対今よりもっと良い女になって帰ってくるから。」と、言った。 「弥一、あたしの心はあなただけのものだよ。あなたもずっとあたしだけでしょ?」 愛らしい顔でその目を潤ませながら上目遣いに見つめられ、弥一は熱い思いを抱きながら、 「当たり前だ、俺の心はずっと君だけのものだよ。今すぐにでも君と永遠を誓いたのに‥‥頑固なおばあさまでごめんな。」 「あたしたち、絶対一緒になろうね?」 「ああ。」 そう返して、弥一は彼女の唇にキスを落とした。 なんて健気な子なんだろう。
last updateLast Updated : 2026-04-11
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2話

見知らぬ女の唐突の挨拶に面食らった弥一はしばらくお辞儀したままの女を見つめていたが、女が顔を上げて再度自分と目が合うと、すぐさまハッとしたように我に返って女の挨拶を無視して八重子に向かって言った。 「おばあさま、誰ですかこの人?てか、何なんですかこの状況!」 そう尋ねながら、ちらりと女を見る。 その後、弥一は女のそばに寄りたくないのを隠す様子もなく、女から距離を取るようにわざと迂回して八重子に近づいていった。 その様子を見ていた八重子はこちらも不快な気持ちを一切隠すことなく、ありありとその顔に浮かべると、 「あんたみたいな女の見る目もなければ礼儀もなってないような人間を孫に持ってしまったことが、私にとって最大の汚点だわね。」 弥一はむっとする。 「見る目がないのはおばあさまのほうでしょう。彼女ほど俺に相応しい女性はいないのに。そんなことも見抜けないなんて、歳を取られておばあさまの先見の目もいよいよ陰ってきてしまったんじゃないですか?そろそろおばあさまがトップの座を降りる日も近いのかなあ。」 「言わせておけば、このクソガキ!」 八重子がガバッと立ち上がり、二人の言い争いがヒートアップしそうになったその瞬間、プッ、と言って女が吹き出した。 弥一と八重子がそちらに目を向けると、さも可笑しそうに、女が口元を隠しながらその目を三日月にして笑っている。二人から尖った目で見つめられているにも関わらず、女はまだクスクスと笑ったまま、 「申し訳ありません。どうぞ、私のことは気になさらずお続けになさって下さい。」 その晴れ晴れとしながらも穏やかな空気に充てられたのか、二人の険悪なムードはいくらか紛れたようだった。 軽く咳払いした後、八重子が口を開く。 「見る目のないあんたに代わって、あたしがあんたにピッタリな奥さんを見つけて来てあげたわよ。」 「はあ!?」 素っ頓狂な声が出る。 「みっともない声出さないでちょうだい。」 「いやいやいやいや。え、何?奥さん?はあ?」 あまりに脈絡のない話に頭が追いつくわけもなく、弥一はただただ混乱した。 そんな弥一に八重子は一切構うことなく淡々と話を進める。 「見る目のないあんたにはこの女性の良さはまだわからないでしょうけど、あんたはいずれ必ずかすみちゃんを好きになる
last updateLast Updated : 2026-04-11
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3話

そんなことに気づく由もない孫を尻目に、八重子はソファから立ち上がると、「じゃあ、あたしはそろそろお暇しようと思うのだけれど、その前に。かすみちゃん、荷物はもう部屋に運んだのかしら?」 かすみはゆったり微笑むと、「はい、荷物は全て午前の内に業者さんに手伝っていただいて運び終わりました。」 その返答に八重子は安心したように微笑むと、 「それなら良かった。弥一にはこの後すぐ荷物をまとめさせるけれど、それでもなんだかんだこの別荘に来るのには二、三日かかると思うわ。その間大丈夫?いつでも早苗はいてくれるとしても、何か心配事はない?」 かすみは首を横に降ると、「早苗さんが居てくださるのでしたら、何の心配もありません。むしろ心強いです。お気遣いいただきありがとうございます。」 早苗は"もちろんです"というように頷いてみせた。それを見た八重子は安心したように頷き返すと、 「見送りはいらないわ。かすみちゃん、うちの孫のこと、どうぞよろしくね。」 と、まるでモノでも預けるかのような軽い調子でそう言い残すと、弥一には声をかけることも一瞥することもなく早々にその場を後にしたのだった。 残された三人にしばしの沈黙が訪れる。 と、ふいに早苗がそれを壊した。 「では、私は夕飯の買い出しに行って参りますね。」 瞬間、弥一の顔には"うげっ"とでも言いたげな表情が浮かんだ。当たり前だ。今さっきあったばかりの、しかも急に結婚させられる羽目になってしまった女と二人きりの状況だなんて耐えられない。 急いで弥一も立ち上がると、「早苗さん、ついでに俺のこと家まで送ってってよ。ほら俺、荷物まとめないといけないらしいからさ、ね?」 早苗は無言で弥一を見つめる。弥一は懇願するようにその目を見つめ返した。頼むから良いよと言ってくれ、と。 「いけません、坊ちゃん。」 「なんでだよっ!」 「坊ちゃんを送っていってからでは、ヤマムラのタイムサービスが終了してしまいます。」 「ヤマムラ?タイムサービス?何だ、それ。」 "これだからボンボンは…" 呆れたように首を振る早苗に替わり、かすみが説明する。 「ヤマムラはこの近くのスーパーの名前です。タイムサービスというのは、ある一定時間、商品が通常より安く買えることを意味します。」 答えたのはかすみ
last updateLast Updated : 2026-04-11
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4話

過去に思いを馳せていた弥一の耳に、「社長、着きましたよ。」と、三雲の声が響く。 一気に現実に引き戻された弥一は、反射的に「ああ。」と返して、シートベルトを外した。 そして、運転手が開けてくれたドアからその長い足を外に出しながら、 「今日は厄介な接待に付き合わせて悪かったな。明日の昼にでもこの埋め合わせをしたいから、予定空けといてくれよ。お前の大好きな寿司でも一緒に食いに行こう。じゃあ、お前も早く帰って休め。」 そう三雲に言って車を降りると、今度はドアを開けてくれた運転手に向かっていつものように「ありがとう。」と言った。運転手もまた、「とんでもございません。」と言って微笑む。弥一もそれに頷き返す。 そうして部下と使用人への労いの言葉を掛け終わると、足早に家へと向かって歩いて行った。 三雲も素早く助手席から降りるとその背中に向かって、「社長、お疲れ様でした。」と言って深々と頭を下げた。その言葉に、弥一は背を向けたまま利き手である右手を軽く挙げて応える。 御子柴会長(八重子)の指導が行き届いているからか、御子柴家の人々は大金持ちでありながら、金持ちにありがちな横柄な態度を取る者は三雲の知る限り誰一人としていなかった。弥一は三雲のことを、呼び方こそ"お前"などとは言ってきても、その接する態度は先程見た通り思いやりがあって礼儀正しい。 だからこそ三雲はどこか歯痒い気持ちでいた。 というのは、弥一のかすみに対する態度である。彼は彼の妻であるかすみにだけはなぜか、素直になれないのか、少し距離があるような態度を取るのであった。とはいえ、当初の弥一からすればだいぶまともになったものの、自分らに向けるのと同じくらいの気持ちで彼女にも接することができれば、彼らの結婚生活はもっと円滑に進むのではないか、そう思わずにはいられないのであった。 三雲と弥一はあくまで仕事上仲がいいといった関係性だったが、 そんな三雲から見ても、弥一がかすみにだけわざとそういった態度で接していることは明らかだった。 彼が上司の妻であるかすみに会ったのは数えるほどしかなかったが、確かに弥一とかすみでは見た目に釣り合いが取れているとは言えなかった。 ただし誤解がないよう言っておくと、かすみは決して不細工なわけではない。ただ、弥一の見た目が飛び抜けすぎているのだ。 二次
last updateLast Updated : 2026-04-14
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5話

三雲は、信じられないといった様子で弥一を見つめていた。 ウォッカとはいえ、弥一が口にしたのはほんの小さなグラスにたったの二杯である。 そんな量で泥酔って… そもそも、そんなに酒が弱いならウォッカなんて頼むなよ! しかもこっちはまだ一口も飲んでもいなければ食べてもいないってのに。独りよがりが過ぎるだろ! と、一通り頭の中で喚き散らかしてから、はあ、とくたびれたように息を吐き出した。そして、仕方なしに弥一の介抱に取り掛かる。 彼は弥一の肩に手を掛けると、そのまま優しく揺さぶり起こそうとした。 弥一は嫌そうに「うーん。」と低く呻くだけで、目を開けようとさえしない。 三雲は苛立つ感情を何とか抑え、優しく声を掛ける。 「御子柴さん?起きてください、御子柴さん?家まで送ってあげますから。ね?」 すると、弥一は億劫そうにうっすら片目を開けた。 チャンス!と、思った三雲はそこに向かってもう一度、「御子柴さん?起きました?ほら、僕が家まで送り届けますから、ね?家の住所教えてください。」 しかし、弥一から帰ってきた言葉は、「俺は絶対に家にだけは帰らない!」だった。 面倒臭さが頂点に達していた三雲は敬語を使うことも忘れ、 「家に帰らない、って。じゃあお前はいつもどこに帰ってるんだよ!」 「…ホテル。」 「ホテル⁉︎お前、新婚だろ?何でホテルなんか…」 そう言って、ハッとした。今日の弥一はどこか元気がなかった上に、何かを忘れたいかのごとく酒を煽っていた。そしてそんな彼は、どうしても家に帰りたくないと言う。 さてはこいつ、奥さんと喧嘩したな。 その答えに行き着いた三雲は、急に弥一に親近感を覚えた。 なんだかんだ御曹司といっても、彼らだって人並みに自身の奥さんと揉めることもあれば、こうしてやけ酒を飲むことで気を紛らわせようともする。なんだ、彼らも結局は同じ人間ってことか、と。 そんな風に感じた三雲は、声色を変え、優しく諭すよう弥一に話しかける。 「御子柴。気持ちはわかるけど、帰る家があるってすごくありがたいことなんだぞ?何があったのかはわからないけど、ちゃんと相手と向き合うべきじゃないか。女の機嫌を取るのって俺たち男にとってはものすごい難題だけど、向き合った分の見返りは必ずあると思うぞ。」 三雲の言葉に弥一はしばらく黙ってい
last updateLast Updated : 2026-04-15
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6話

そう言うと、女の子はその長い足で一直線に弥一たちに向かって歩いてくると、ソファにうなだれて座っている弥一を前にし、その腕を組んで仁王立ちした。 彼女の服装は上下紺色のセットアップで、上は胸元が大胆に開いた白いTシャツにジャケットを羽織り、下はショートパンツを履いていた。 そのショートパンツから覗く、長くて真っ直ぐな美脚を前に、三雲はごくりと唾を飲み込んだ。 そして、そのまま視線を上げて女の子を覗き見る。 そこには腰近くまで伸びた綺麗な栗色の髪に、透き通った肌の整った顔立ちがあった。 その小さな枠の中に、長いまつ毛のぱっちりした目と程よい高さで形の良い鼻、ぷっくりした色艶のいい唇が配置良く納められている。 まさに完璧なまでの美女だった。 そんな三雲お墨付きの美女は、その形の良い眉毛を軽く寄せると、未だうなだれたままの弥一を見下ろしている。 「ちょっと、聞こえてるんでしょ?何とか言いなさいよ!てか、こっち見なさいよ!」 そう言って、美女はその足に履いている高いピンヒールの靴の先で、弥一の革靴の先を軽く小突いた。 小突かれた弥一は、はあ、と短くため息を漏らすと、面倒くさそうに顔上げる。そうして、 「呼んだ覚えないんだけど?」 そのあまりにかったるそう物言いに、美女はさらに怒りの炎を燃やすと、 「こっちだって帰国して早々、こんなダッサい薄情人間の顔なんて拝みたくなかったわよ!」 「じゃあ帰ればいいだろ。」 「おばあさまからの言いつけじゃなきゃ、あたしだって来なかったわよ!」 その言葉に弥一はびくりと身体を震わせた。 「おばあさま?咲希、お前…おばあさまに頼まれてここに来たのか?」 咲希(さき)と呼ばれたその美女は、片方の口の端をくっ、と上げ、意地悪そうな表情になると、 「そうですけど?どうせお兄のことだから、結婚したタイミングでおばあさまが海外に行くってなったことで油断してたんでしょうけど、あたしが知ってるぐらいだから、お兄の行動なんて全ておばあさまに筒抜けよ?」 そう告げられた弥一の顔はみるみる青ざめていった。 "くそ、何でだ?早苗さんにはおばあさまに黙ってるよう念を押しておいた。てことは、あの女が告げ口したのか?" 「言っとくけど早苗さんがおばあさまに言ったわけでもなければ、かすみ
last updateLast Updated : 2026-04-21
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7話

訝しむように自分を見つめる弥一に、咲希は、 「お兄、知らないほうが幸せなことってあると思うよ?口を滑らせちゃったことは本当に悪いと思ってるけど、真実を知ったら、お兄のガラス細工のような繊細なハートじゃきっと耐えられない。粉々に砕けちゃう。」 咲希のその鼻にかかる演技に呆気に取られていた弥一だったが、何か言おうと口を開きかけたところ咲希はそれを遮って、 「けど、お兄がそこまで言うなら私も心を鬼にするしかないわね!」 そう言って、その肩に下げていた可愛いらしいショルダーバッグをゴソゴソと漁って携帯電話を取り出した。 「何も言ってないんですけど。」 そう言う弥一を完全に無視して、咲希は何やら携帯電話を操作すると、ふいに、「送ったよ!」 そう言って弥一を見た。 すぐさま弥一の胸ポケット辺りからメッセージを受信した際の、ポコンという音がする。 弥一は咲希を一瞥した後、ジャケットの内側から携帯電話を取り出すと、画面には咲希からメッセージを受信したとの表示があった。 弥一はそのままチャットを開き、咲希からのメッセージを確認する。と、そこにはURLのみがいくつか載せられていた。 「何だこれ?」と言って尋ねる弥一に、咲希は「開けばわかるよ。」と返す。 それから、咲希はその細くくびれた腰に片手を当て、もう片方の手の人差し指を弥一に突きつけると、 「ただし、開くときは余程の覚悟を持ってから開くこと!わかった?」 と、その言い方はまるで、親が子供に怖い話を聞かせるときのような、わざと脅かすかのようなものだった。 弥一は送られてきたURLを見つめ、携帯電話を持つ方の親指でそれをタップしようとした。が、ふとその指を空中で止めると、そのまま携帯電話の画面を消して、ジャケットの内側にしまい込んだ。 "意気地なし" そう咲希が思ったことに勘づいたのか、弥一は一つ咳払いをすると、 「お前の策に乗るようで癪に障る。」そう言ってそっぽを向いた。 咲希はどうせ弥一には見る勇気はないだろうとわかっていたので、「ああ、そうですか。まあ、そんなことはもういいんだけど、そろそろどうするか決めてくれる?いい加減家に帰るのか、あるいは反抗期のクソガキよろしくみっともない抵抗を続けるのか?どっち?」 これまで二人のやり取りを大人しく見守ってい
last updateLast Updated : 2026-04-21
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8話

海老原市へ向かう道中の車内は、咲希が流す日本の女性アイドルグループの曲と、それに関する咲希と三雲のおしゃべりで満たされていた。 咲希と三雲には同じ女性アイドルグループのファンだったらしく話が弾むようで、いつの間にか二人とも敬語を止め、さらにはお互いを"咲希ちゃん"’諭くん"と呼ぶまでになっていた。 「え、じゃあ諭くんってラブチェリのファンミーティング行ったことあるの?」 ラブチェリとは、日本発の世界に通用するアイドルをモットーに発足された女性アイドルグループ・LOVE チェリーのことである。 メンバーは平均二十歳前後の、いくつかのオーディション審査を勝ち上がった子たちで構成されていた。そして、そのオーディションの様子がネット配信されていたことで、彼女たちの存在はデビュー前からかなり注目されていたのである。 そのため、例えファンクラブに入ったいたとしても、コンサートのチケットやファンミーティングへの切符を手に入れることは至難の業であった。 そんなラブチェリのファンミーティングに三雲が参加できたというので、咲希は羨ましそうに、 「いいなあ、私も行きたかったー。生でRINOちゃん見たかった!一緒に写真撮って家宝にしたかったー!!」と、思いの丈を叫ぶ。 「え?咲希ちゃんもRINO推し?俺もRINOちゃん推しだよ!オーディション番組見てた時からずっと推してるんだ!はじめの時はダンスが苦手だったみたいだけど、一人残って一生懸命練習して、どんどん上手くなっていってる姿には本当、胸を打たれたよ。」 「わかるー!あんなの好きになっちゃうよね?見ててすごく応援したくなったもん!」 そんな会話の最中、三雲は御子柴家ほどの人脈と権力があれば、ラブチェリに会うことなど容易いのではないかと思った。 しかし、咲希の人柄をみるに、それがフェアでないことを分かっていてしないのだということと、純粋に彼女らを推しているのだというのが伝わり、三雲は益々、咲希という女性に惹かれていった。 三雲にとって人生初の一目惚れだった。 弥一はそんな同僚の淡い恋心に気づく気配もなければ、二人の弾む会話に加わる気配もなく、ただただ流れていく外の景色に目を向けていた。 今日最愛の人と別れたというのに、なぜか不思議と涙は出なかった。 心が死んでしまったのか、あるい
last updateLast Updated : 2026-04-21
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9話

ダイニングテーブルの席に着いた咲希と三雲の前に、かすみは「お待たせしました。」と言って料理を運んできた。 その際、かすみはちらりとドアの方へ目をやったが、弥一が現れる様子はなかった。なので、彼女は「さあ、どうぞ。」と言うと、二人の前にそれぞれ料理を並べ始める。 軽いものをと注文していた咲希には、控え目に盛られたご飯の上に、海苔やネギなどの薬味と共に鯛のお刺身が見栄え良く添えられた小ぶりのどんぶりと急須とが置かれた。 「やったー、ご飯だ!」そう言って喜ぶ咲希に、「咲希さんは日本へ帰ってくるのは一年ぶりぐらいですもんね。なら、ご飯がいいかなと思いまして。」と、微笑を浮かべてかすみが答える。 「嬉し〜。ありがとう、かすみさん!」 かすみの心遣いに感動した模様の咲希は、泣きそうな顔を作ってみせた。 そんな様を隣で見ていた三雲は、咲希のその表情のあまりの可愛さに目が釘付けになる。 と、そんな三雲の前に、多めに盛られたご飯の上にサクッと揚げられた黄金色に輝くカツが添えられたカレーが置かれる。スパイス香るカレーの香りと、添えられたカツの揚げ物特有の罪深い香りに、三雲の食欲は大いに刺激された。 咲希は置かれた急須の蓋を開けながら、「これは出汁?」と、かすみに尋ねる。 かすみは二人の対面の椅子に腰掛けながら、「昆布から取った出汁です。鰹節から取るより味がまろやかなので、夜食べるのに良いかなと思いまして。」 咲希はその香りをスンスンと嗅ぐと、「ん〜、すごいいい香り。ダメだ、もう我慢できない!」と言ってから、行儀良く両手を合わせると、「いただきます!」と言って、急須からどんぶりのご飯めがけて出汁を注いでいく。 三雲も咲希に続くように、両手を合わせ「いただきます。」と言うと、スプーンでご飯とカレーを掬った。 口に入れる前に、その香りをじっくりと味わってみる。スパイシーな香辛料の香りが鼻を満たし、堪らずパクリと口にいれる。 うまいっ! 程よい辛さに調節されたカレーは、コクがあるのにサラサラと食べやすく、三雲は二口、三口とカレーを口に運んでいく。 隣で見ていた咲希は、三雲の食べっぷりに笑いながら「いいなあ、カレーもすごく美味しそう。」 三雲は口の中のカレーをゴクンと飲み込んでから、「咲希ちゃん、すごいよこのカレー!美味しさが過ぎて
last updateLast Updated : 2026-04-22
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10話

そんなかすみの視線に気づかなかった三雲は、咲希が言った言葉の中で単純に気になったことを質問する。 「かすみさんって、近々お店を出す予定なんですか?」 その三雲の質問に、なぜか咲希がしまったというような顔をして、さらに口元を手で抑えた。 一瞬の沈黙が訪れる。 そんな咲希の様子と、この場に流れている変な空気とに三雲は、「あれ、すみません、俺何か変なことを言ってしまいましたか?」と、動揺しながら謝った。 その三雲の様子から、彼が何か悟ったわけでもないことを確認したかすみは、にこりと微笑むと、 「いいえ、近々ではないです。いつか出せたらなあ、とは考えていますけど。」と、答えた。 かすみの笑顔に三雲はわかりやすくホッとすると、 「お店、絶対出すべきです!その時はこのカツカレーもぜひメニューに入れて欲しいです!あと、店がオープンした時は教えてくださいね?俺、必ず食べに行きますから!」 三雲に続いて、咲希もホッとしたように一息吐くと、 「うんうん!その時は私と諭くんで食べに行くから!ね?」 そう言って上目遣いに見つめられた三雲は、瞬時に顔を赤くすると、 「え、あ、お、うん。はい、ぜひ…」 そんな咲希と三雲の微笑ましい様子に、 「ありがとうございます。その時が来たら、お二人のアドバイスを活かしたいと思います。」 と、笑顔でかすみは言った。 一通り料理を食べ終えると、咲希と三雲は再び行儀良く手を合わせ、二人同時に「ごちそうさまでした。」と言った。 咲希は満足そうに目を閉じると、「あ〜、美味しかった。正直このまま泊まっていきたい所だけど、実家に荷物取りに行かなきゃだし、明日朝一の飛行機で帰らないとだし、だもんなあ。あーあ、仕方ない。大人しく帰りますか!」 そう言って、気合いを入れるように自身の膝をポンと叩いた。それから咲希は、ダイニングテーブルに両肘をつき、握った拳の上に顔を乗せ三雲を見つめると、 「諭くんのことは責任持ってあたしが送っていくね。」 そう言ってウインクする。 三雲はもう耐えきれず、赤くなたった顔を両手で覆うと、指の隙間から消えいるような声で、「お手柔らかにお願いします。」と言ったので、かすみと咲希は笑ってしまった。 ひとしきり笑った後、咲希はかすみを見つめると、 「そういえば早
last updateLast Updated : 2026-04-23
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