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番の心がわり のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

45 チャプター

第21話 勘違いしないで

ラーシュが目を見開いた。怯えて後ずさるサラリアを見て、深く傷ついたような表情を浮かべる。その顔を見た瞬間、サラリアの胸が痛んだ。(……どうしてそんな顔をするの)傷ついたのは自分のほうだ。信じなかったのはラーシュだ。シーラの言葉を選び、自分を罪人として塔へ閉じ込めたのもラーシュだった。なのに。(どうしてあなたが傷ついた顔をするの?)理不尽だと思った。胸の奥が締め付けられる。苦しい。それでも、その苦しさは怒りだけではなかった。まだ好きだから。まだ、この人を完全には嫌いになれていないから。それが何より苦しかった。揺れる視界の向こうで、ラーシュの金色の瞳だけが滲んで見える。腹の痛みのせいなのか。込み上げる感情のせいなのか。自分でも分からない。目の奥が熱くなる。それでも涙だけは堪えた。もうこれ以上、この人の前で泣きたくなかった。「近づかない……だから」ラーシュの掠れた声に、サラリアの肩が震えた。反射的に首を横へ振る。そして、さらに一歩後ろへ下がる。「待て!」低い声が響く。サラリアはびくりと身体を震わせた。その反応を見たラーシュが動きを止める。その瞳に浮かんだのは痛みだった。「大きな声を出してすまない」苦しそうに息を吐く。「近づかないから……もう動くな」その声音は優しかった。甘く。柔らかく。サラリアが恋をした頃と同じ声。抱き締められながら何度も囁かれた声。  『本より俺を見ろ』そう拗ねて笑った声。眠る前、髪へ口づけを落としながら。  『愛している』そう囁いてくれた声。全部同じだった。だからこそ苦しい。(どうして……)どうして今さらその声を向けるの。嫌いになったはずだった。嫌いにならなければ生きていけなかった。それなのに、その優しさへ縋りたいと思ってしまう。そんな自分が惨めだった。.「話をしよう」ラーシュが静かに言う。壊れ物へ触れるような優しい声。その一言が、サラリアの心を静かに逆撫でした。「……話?」自分でも驚くほど冷たい声が出る。ラーシュが息を呑んだ。「ああ……」「私なんかと?」ラーシュの表情が凍る。その反応を見てサラリアは少しだけ胸がすいた。分かっているのだ、この人も。あの言葉がどれほどサラリアを傷つけたのか。  『人族なんか』あの
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第22話 「ざまあみろ」

謁見の間が静まり返った。サラリアの言葉は、誰一人として予想していなかったのだろう。次の瞬間、どっと騒めきが広がる。「何を言っている!」「そんなはずが……!」「王竜様ではないなど……!」竜族たちの狼狽を、サラリアはどこか冷めた気持ちで眺めていた。――面白い。つい先ほどまで、自分を国外追放しようとしていた者たちだ。その時は誰一人、異を唱えなかった。それなのに今は、まるで世界が終わるかのように取り乱している。「なぜ驚くのです?」サラリアは不思議そうに首を傾げた。「竜王陛下は、ご自身の番をシーラ様だと仰ったではありませんか」空気が凍る。ラーシュの顔色が変わった。その様子を見た瞬間、胸の奥で燻っていた怒りがようやく形を持ちはじめた。「お忘れですか?」サラリアは静かに続ける。「私ではない、と」  『人族なんか』。あの一言が胸を抉る。「ですから、この子は王竜ではありません」サラリアは穏やかに微笑んだ。「竜王陛下の番様は、そこにいらっしゃるではありませんか」そう言って、シーラを指差す。一斉に視線が集まった。それまで完璧な令嬢として微笑んでいたシーラの顔から血の気が引いていく。震える肩。揺れる瞳。作り上げてきた『竜王の番』という仮面が音を立てて崩れていく。その姿を見て、サラリアは胸がすく思いがした。あの日、自分が味わった恐怖。そのほんの一欠片だけでも返せた気がした。そして、ラーシュを見る。「ね?」そう問いかけるように首を傾げる。ラーシュは言葉を失っていた。絶対だった竜王。誰よりも揺るがないと思っていた男が、今はただ立ち尽くしている。(可笑しい……)思わず笑いそうになった。「番でない人族など、竜王陛下には価値がありませんもの」静かな声だった。けれど、その一言が広間の空気をさらに冷やした。サラリアは転移の腕輪を握り締める。冷たい金属の感触。(これをはめれば終わる)この国とも。ラーシュとも。そう思った瞬間だった。「サラ……」掠れた声。その呼び方に、胸が小さく軋む。思い出してしまう。抱き締められた温もり。「愛している」と囁かれた夜。指を絡めながら眠った日々。(揺れるな)揺れたらまた傷つく。「近づかないで」腕輪を持ち上げる。ラーシュの足が止まった。「……分かった」苦し
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第23話 新しい生活

「リアちゃーん、いるー?」店の奥まで届いた明るい声に、サラリアは本棚へ戻そうとしていた数冊の本を慌てて脚立の上へ置いた。木造りの店内へ柔らかな午後の日差しが差し込んでいる。床板へ染みついた木の香り。紙の匂い。厨房から漂う焼きたてのパンとスープの香り。窓際の席には、誰かが読みかけた本が伏せられたまま置かれていて、店には今日ものんびりとした時間が流れていた。「はーい!」急いでカウンターへ向かうと、背中へおぶわれていたトールが「きゃはっ」と楽しそうに笑った。揺れるのが面白いらしく、小さな手でサラリアの肩をぺちぺち叩いてくる。「ご機嫌ね、トール」サラリアは思わず頬を緩めた。三歳になったトールは普段なら店中を走り回る元気な子だ。本棚の間を探検したり、常連客の膝へ勝手に座ったり、「これ読んで」と絵本を抱えて回ったり。けれどここ数日は熱っぽく、身体が怠いのか機嫌が悪かった。夜中も何度も目を覚まして泣き、食欲もあまりない。久しぶりに聞く無邪気な笑い声に、サラリアは胸を撫で下ろした。.「こんにちは、ハンナさん」笑顔で迎えると、ハンナは大きな籠をカウンターへ置いた。「沢山焼けたから、お裾分けよ」ふわりと甘い香りが広がる。籠の中には、焼き色の綺麗なカップケーキが並んでいた。一つひとつ形が揃っていて、丁寧に作られたことが分かる。「わぁ……美味しそう」「この前、お友達と長居しちゃったでしょう? そのお詫びも兼ねてね」「そんなこと気にしないでください」サラリアは首を横へ振った。「ここは、そのためにあるカフェなんですから」その言葉にハンナは嬉しそうに目を細める。「やっぱりリアちゃんのお店は落ち着くわぁ」.ここ『トゥロール』は、本と料理を楽しめる小さなブックカフェだった。朝になれば老人たちが集まり、昔話に花を咲かせる。昼には子どもたちが絵本を読みに来て、夕方になれば仕事帰りの人々が温かなスープを飲みながら一日の疲れを癒やしていく。誰かが少しだけ寂しさを忘れられる場所。本も、カフェも、生きるために絶対必要なものではない。けれど、心が疲れたときに帰ってこられる場所はきっと必要だ。そんな願いを込めて名付けた店だった。「この本屋さんの店主だったおじいさん。私、まだ覚えているの」ハンナが懐かしそうに店内を見回した。「私、小さい
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第24話 逃げるよりも挑む

いいことばかりではなかった。小さな町に突然現れた若い女。しかも身重の妊婦。人々が興味を持たないはずがない。親切な人もいた。困っていれば助けてくれる人もいた。けれど、その一方で下心を向けてくる男たちも少なくなかった。「夫はいないのか?」「一人じゃ寂しいだろ?」笑いながら距離を詰めてくる男たちに、サラリアは辟易していた。妊婦であることは、彼らにとって障害ではなかった。むしろ夫の姿が見えないことで「遊ばれて捨てられた女」「軽い女」と勝手に決めつけられ、一時の関係を求められることさえあった。最初は曖昧に笑ってかわしていた。けれど、それが毎日のように続けば心も削られる。ある日、半ば投げやりになって口にした。「この子の父親は竜族です」今思えば、完全に気の迷いだった。だが、その効果は絶大だった。男たちは一斉に引いた。竜族。その名が持つ重みは、サラリアの想像を遥かに超えていた。強靭な肉体。圧倒的な魔力。空を支配する最強種族。人間にとって竜族は畏怖の象徴だった。「竜族の女に手を出すなんて」「命が惜しくないのか」それまでしつこく言い寄ってきた男たちは、潮が引くように離れていった。サラリアはその様子がおかしくて、小さく笑った。けれど、その笑顔は長くは続かなかった。噂は、ゆっくりと遠くまで広がった。『竜族の子を身籠もった女がいる』その話は人々の好奇心を刺激し、当然のように竜族の耳にも届いた。間もなく町へ数人の竜人が現れた。遠目にも分かる巨躯。人混みの中でも圧倒的な存在感。「竜族が来た」その噂を耳にした瞬間、サラリアの背筋は凍りついた。急いで荷物をまとめる。もともと持ち物は少ない。逃げる生活では、荷物は少ないほどいい。それも本から学んだ知恵だった。雇い主へ礼だけを告げ、詳しい事情は話さず町を出る。引き止められた。それでも振り返らなかった。森へ入ったところで転移の腕輪を使う。次に辿り着いたのは、小さな農村だった。土の匂いが濃く、風の穏やかな土地。ちょうど子どもたちのための小さな学び舎ができたばかりで、読み書きを教えられる人材を探していた。本だけは誰にも負けないほど読んできた。その知識が初めて誰かの役に立った。子どもたちは素直だった。過去も素性も気にしない。「先生」そう呼んで笑いかけてくれ
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第25話 青いアネモネ

サラリアはラーシュへ手紙を書いた。あの頃は「トールのため」と自分に言い聞かせていた。けれど今になって思えば、自分自身も限界だったのだと分かる。町を転々とし、住む場所を探し、仕事を探し、トールを隠し、竜族の影に怯える。そんな生活を繰り返すうちに、心は少しずつ擦り減っていった。もちろん、トールのためという気持ちも本当だった。環境が変わるたび、トールは怯えた。まだ幼いながらも何かを感じ取っていたのだろう。知らない町へ来るたび、サラリアの服をぎゅっと掴み、少しでも姿が見えなくなると泣いた。「大丈夫よ」何度も抱き締めてきた。けれど、本当は。「大丈夫」と言い続けていたサラリア自身が、一番大丈夫ではなくなっていた。だから手紙を書いた。逃げるたびに家を探し、仕事を探すのはもう限界だと。居場所は教える。監視するなら好きにして構わない。ただし、トールをドラコニアへ連れて行こうとしたり、ラーシュ自身が会いに来たりしたら逃げる。次に逃げた先では、身体を売ってでもトールを育てる。書き終えたあと、サラリアは酷い手紙だと思った。卑怯だとも思った。自分から番であることを否定したくせに、番だからこそ効く脅し方をした。他の男を匂わせ、ラーシュを傷つけようとした。その脅しがラーシュに効くことを、サラリアは知っていた。番を独占したがる竜族。ラーシュもサラリアが誰かを目に入れることすら嫌がった。それを知っていて利用した。最低だと思った。でも、それほど追い詰められていた。自分の甘さも、何も知らずに生きてきたことも。全部、思い知った。ラーシュを許したわけではない。忘れたわけでもない。ただ、もう疲れてしまった。◇◇◇返事はすぐには来なかった。だからサラリアは、それならそれでいいと思うことにした。拒絶されたなら諦めもつく。そう思って数週間が過ぎた頃、一通の大きな封筒が届いた。差出人を見た瞬間、心臓が嫌な音を立てる。震える指で封を切る。中に入っていたのは。『サラリア』とだけ宛名が書かれた短い手紙。そして、一冊の権利書だった。それは、いまサラリアとトールが暮らしている建物の所有権だった。添えられた書面には理由が書かれていた。竜族の子どもは力が強い。賃貸では建物を壊してしまうかもしれない。だから安心して暮らせるようにサラリア名
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第26話 変化の足音

そのあと、ラーシュから手紙と一冊の本が届いた。手紙には短い時候の挨拶と、いつものように金貨が一枚。けれど、サラリアが驚いたのは一緒に届いた本だった。それはドラコニアの図書室で途中まで読んでいた恋愛小説だった。王女と騎士。身分違いの恋を描いた、どこにでもある少女向けの物語。いまなら分かる。恋は、あんなに綺麗なだけのものではない。身分も種族も違えば、人は簡単に傷つき、疑い、失う。それでも本を手にした瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。あの日、自分が途中まで読んでいたことを、ラーシュは覚えていたのだ。◇◇◇それ以来、ラーシュから時折手紙が届くようになった。頻繁ではない。忘れた頃に届く程度。周期も決まっていない。だからこそ、不思議だった。届かない期間が長くなると、サラリアはどこか落ち着かなくなる。別に待っているわけではない。そう自分へ何度も言い聞かせながら、それでも郵便配達の足音が聞こえるたびに耳を澄ませてしまう。もう来ないかもしれない。そう思った頃に、ふいに届く。そんな手紙だった。サラリアも毎回ではなく、気が向いたときだけ返事を書いた。季節の挨拶を少しだけ。それだけ。けれど、あるとき返事に困った。前回と同じ季節だった。同じ季節の時候はセンスがない。返事をしなければいい。でも、少し迷った末に一行だけ書き添えた。【トールが歩きました】たった、それだけ。ところが。次に届いた手紙は驚くほど長かった。トールが歩いたことへの喜び。転ばなかったか。よく食べるのか。笑うのか。その一つひとつが、ぎこちない文章で綴られていた。サラリアは思わず笑ってしまった。ラーシュにも、こんな長い手紙が書けるのだと。もっとも、それは最初で最後だった。その後はまた短い手紙へ戻る。先日届いた便箋にも、たった一言だけ。【伸び伸びと育ってほしい】その文字を見つめながら、サラリアは静かに額へ入れた。そしてトールの眠るベッドの脇へ飾る。これは竜王の後継者へ向けた言葉ではない。一人の父親が、一人の子どもへ願った言葉。そう思いたかった。◇◇◇ラーシュとの関係を、これからどうしたいのか。サラリアには答えが出なかった。採算の取れないブックカフェで母子が暮らしていけるのは、ラーシュの援助があるからだ。【不足はないか】手
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第27話 忘れられない瞳

【ラーシュ視点】「トール様は一週間ほど前に発現しかけました。魔力が足りずその場は治まりましたが、街に潜伏している者によれば額の鱗が断続的に発光しているとの報告を受けています」オーレリウスは報告書から顔を上げた。「三歳での発現は前例がありません。しかし、王竜様であるなら十分考えられます」低く抑えられた声が、静まり返った執務室へ重く落ちる。ラーシュは肘掛けに置いていた拳をゆっくり握り締めた。「……早すぎる」掠れた声だった。竜人は生まれた瞬間から魔力を宿す。だが発現を迎えるまでは竜化も魔法も使えない。一般的な竜人の発現は二十歳前後。確かに王族はそれより早い。だが、王族でも早いと言われたラーシュですら十歳だった。(王竜は違うのか……)覚悟はしていた。それでも三歳という早さは予想を超えていた。そんな記録は歴史上どこにも存在しない。「陛下。だからこそ急がねばなりません。発現が地上で起これば、大災害になります」「……分かっている」王竜の力は国を守る力。同時に国を滅ぼす力でもある。幼子に制御できるものではない。もし暴走すれば、一つの町どころか周囲一帯が焼け落ちる可能性すらある。「サラリア様は聡明なお方です。事情をご説明すれば、必ずご理解くださるでしょう」(そんなこと……)言われるまでもない。そう叫びたかった。他の男が当然のようにサラリアを理解した口ぶりで話すことに、喉元まで怒りが込み上げる。ラーシュは拳を振り下ろした。大きな音がして、分厚いマホガニーの執務机へ亀裂が走る。それでもオーレリウスは眉一つ動かさなかった。「……彼女が理解すると分かっているからこそ、こちらの都合を押しつけたくない」「しかし」「俺たちが彼女にしたことを思えば、彼女が二度とこの国へ来たくないと思うのは当然だ」「それは、その通りですが」迷いなく肯定され、ラーシュの胸が痛んだ。反論できない。事実だからだ。ラーシュは静かに目を閉じる。サラリアは聡い。事情を説明すれば必ず理解する。そして優しい。どれほど傷ついていても、誰かを見捨てられる女ではない。まして今回はトールの命がかかっている。自分が耐えれば済む。そう思えば、彼女は平然と自分を犠牲にする。それくらいラーシュは知っていた。知っているから。―――頼む。その一言だけは、ど
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第28話 重なる後悔

【ラーシュ視点】あのとき。サラリアは必死に説明しようとしていた。シーラは傷つけていない。何をされたのか。怖かったと、助けてほしかったと哀しみを込めて。それなのにラーシュは信じなかった。怯える彼女へ向けたのは、信頼ではなく疑いだった。(番の匂いがした。ただ、それだけで……)番の匂いは番からしかしない。竜族なら誰もが知る常識。ラーシュも、その常識を疑ったことなど一度もなかった。だからこそ、シーラを疑わなかった。番を偽る者など存在しない。まして竜王の番。王竜を産める唯一の存在。国の未来そのものを偽るような愚行を犯す者などいるはずがない。そう決めつけた。「結局は……シーラがそんなことをするはずがないと信じた」ラーシュは自嘲するように笑った。「そして人族であるサラには番の重要性が分かっていないと……俺も他の竜族と何一つ変わらなかった」生まれだけで判断した。サラリアを人族だからという理由で使用人が軽んじていることは分かっていた。竜族だから仕方がない、そう思ってしまっていた。番なのだから結局はサラリアに何もできないだろう、と。愚かなほど傲慢だった自分。思い出すたび吐き気がする。なぜサラリアの言葉を聞かなかった。なぜシーラの言葉を疑わなかった。竜族ならば当たり前、はない。オーレリウスはシーラを疑った。おかしい、と声を上げた。◇◇◇サラリアが消えたその日。ラーシュは直ちにシーラとサリンドラ公爵家の調査を命じた。調査を任せたのはオーレリウスだった。当時の宰相はシーラの父、サリンドラ公爵。娘が竜王の番を偽った疑いがある以上、調査の妨げになる。ラーシュは即座に宰相を罷免し、その席へオーレリウスを据えた。騎士団に所属していたオーレリウスを文官へ転じさせたのは、ラーシュがオーレリウスを信じたのもあるが、ウィンドスケイルの血でもってサリンドラ家へ遠慮なく踏み込ませるためだった。調査が終われば騎士へ戻す。そう考えていた。だが、オーレリウスは文官としても驚くほど優秀だった。調査は徹底していた。泥臭いほど、一つひとつ調べ続けた。証言。記録。出入りした者。物資の流れ。薬品の購入履歴。小さな違和感を積み重ね、決して思い込みだけでは結論を出さない。ラーシュは調査書を読むたび、自分の胸が締めつけられるのを感じ
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第29話 禁忌

【ラーシュ視点】王城地下深くに設けられた貴賓牢。王侯貴族の収監を想定して造られたそこは、一般牢とは比べものにならないほど広く、豪奢な家具まで備えられていた。もっとも。床一面へ描かれた魔法陣は竜化と魔法を封じ、幾重にも張られた結界は逃亡を許さない。どれほど豪華でも、牢獄であることに変わりはなかった。ラーシュは無言で石造りの廊下を歩く。数歩後ろにはオーレリウスと護衛たちが続いていた。やがて最奥の牢の前で足を止める。「これはこれは、陛下」サリンドラ公爵はゆっくり立ち上がった。収監されているというのに、手には上質なティーカップ。まるで客人を迎える主人のようだった。焦りはない。恐怖もない。その余裕がラーシュには滑稽に見えた。「お気は済まれましたか?」鼻で笑うような声音。「建国以来、王家を支えてきたサリンドラ公爵家。その島へ騎士を踏み込ませるとは前代未聞」公爵は優雅に紅茶を口へ運ぶ。「このような暴挙、シーリア様がお許しになりますまい」その名が出た瞬間。ラーシュの胸を冷たいものが走った。シーリア。ラーシュの祖母。そしてラーシュにとって、最も恐ろしかった女。優しく抱き締めた次の瞬間には鞭を振るう。褒めたかと思えば罵倒し、泣けば弱いと笑う。暴力のあとに愛情を与え、愛情のあとに暴力を与える。幼いラーシュはその繰り返しの中で育った。竜王となってからもシーリアに感じる恐怖心は変わらなかった。その声を聞くだけで身体は強張った。シーリアは死ぬまでラーシュを支配し続けた。だから。以前のラーシュなら。その名前だけで怯んでいただろう。だが。「面白いな」静かな声に、公爵の眉がわずかに動く。「何がです?」「まだ、お前がシーリアを盾にできると思っていることだ」ラーシュは格子越しに公爵を見据えた。シーリアとラーシュがその名を口にしたことに公爵は違和感を感じたようだった。そして。「研究所からシーリアの実験記録が見つかった」その瞬間、公爵の余裕が初めて崩れた。「な……」「お前たちの秘密の研究所を見つけたぞ」ラーシュは冷たく笑う。「本物の番から採取した検体を使って何が行われたか」公爵の顔色が変わる。「なぜ……」「隠すのが得意な者がいれば、見つけるのが得意な者もいるということだ」ラーシュは静かに
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第30話 禁忌の継承

【ラーシュ視点】開祖サリンドラの遺した薬。その言葉を聞いた瞬間、公爵の顔が強張った。その反応だけで十分だった。ラーシュは静かに目を細める。開祖サリンドラ。建国三傑の一人であり、初代竜王ドラコニスを支えた偉人。竜族なら誰もが敬愛する名だった。だからこそ、研究資料を読んだとき、ラーシュは何度も目を疑った。サリンドラ。彼女は初代竜王ドラコニスを愛していた。だがドラコニスには番がいた。竜人にとって番は絶対。番を見つければ、他の誰かを愛することはない。だから竜人は、番のいる相手を愛そうとはしない。愛が返らないと分かっている相手へ執着することは、誇り高い竜族の気質に反するからだ。もちろん例外はある。愛する相手の番を殺す者も、歴史上には存在した。だが、その結末は決まっている。番を失った竜人は、決して別の相手を愛さない。残るのは、生涯を懸けた復讐だけ。それほどまでに番という存在は絶対だった。だからサリンドラは考えた。――番そのものを書き換えてしまえばいい、と。番だと誤認させる薬。狂気としか呼べない研究だった。相手は初代竜王ドラコニス。浮島を創り、大地を支え、歴代最強と謳われた王竜。その彼もまた番を見つけた。生まれてくる王竜は、竜族の希望。国の未来そのもの。その希望を奪ってでも、愛する男を手に入れようとした。研究資料には確かに書かれていた。【薬は完成した】、と。だが、王家の記録には二代目竜王も王竜だったと残されている。つまり。サリンドラは薬を完成させた―――が、使わなかった。使えば愛する男を手に入れられた。番を奪い、自分だけを愛させることもできた。それでも彼女は、その薬を使わなかった。己の欲望よりも竜の国の未来を選んだ。王竜の誕生を選んだ。「……だからこそ、彼女は三傑と呼ばれるほどの偉人だったのだろう」ラーシュは静かに呟いた。この資料を読んだとき、心から感服した。愛する男を諦める。その苦しみは想像もつかない。それでも国を選んだ。だからこそ、その名は建国三傑として歴史へ刻まれた。だが同時に。薬を使われたラーシュにとっては、研究資料など焼き捨てておいてほしかった。研究者としての誇りだったのだろう。薬の製法は詳細に残されていた。そして後世の愚か者が。彼女の子孫が。その禁忌を
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