【ラーシュ視点】サリンドラ公爵の牢へ背を向けたラーシュは、そのままさらに奥へ続く通路へ足を向けた。王城地下最深部。石壁には苔が張り付き、湿った空気が肌へまとわりつく。陽光など決して届かない場所。長い通路の突き当たり、黒鉄で造られた重厚な扉の前でラーシュは立ち止まった。オーレリウスが一歩前へ出る。腰から取り出した禍々しい黒鍵を錠へ差し込み、静かに回した。鈍い金属音が響く。ゆっくりと扉が開いた瞬間――ラーシュは眉をひそめた。腐臭にも似た湿った空気。その中へ混じる、微かに甘い香り。忘れようとしても忘れられない。己の番――サラリアの匂いだった。「……におう」低く呟くと、オーレリウスが静かに頷く。彼が片手を上げると、水魔法が発動した。壁。床。天井。勢いよく水が叩きつけられ、何度も洗い流される。それでも。匂いは薄くなるだけで消えなかった。「もういい」ラーシュが制止すると、水音が止む。一歩踏み出す。靴底が水を踏む音だけが静かに響いた。石室の床には足首ほどまで水が溜められている。完全な闇にならないよう、壁際には小さなランプが灯されていた。その薄暗い光の中。石室中央の石柱へ鎖で繋がれた女がいた。シーラだった。髪は乱れ、水を浴び続けた衣服は身体へ張り付き、頬は痩せている。かつて誰より美しいと称えられた令嬢の面影は、もうほとんど残っていなかった。だがラーシュの視線は彼女自身ではなく、その身体から漂う匂いへ向いていた。顔が歪む。番を誤認した。その事実は、ラーシュだけではない。先々代竜王フォーデンもまた、生涯「鳥族なんかに騙された愚かな竜王」と嘲笑され続けた。(……なんか、か)その言葉はラーシュにも向けられていた。フォーデンと同じ過ちは繰り返すな。そう言い続けたのはシーリアだった。竜族は最上位種族。その頂点に立つ竜王が下位種族などに惑わされてはならない。フォーデンは鳥族なんかに騙された。そんな愚かなことをお前はするな。愚かな竜王になるな。愚かな竜王。ラーシュは幼い頃から、その言葉を何度も聞かされて育った。少しでも期待を裏切れば責められた。失敗すれば怒鳴られた。泣けば弱いと罵られた。それでも最後には抱き締められ、「愛している」と囁かれる。愛情と支配。暴力と慈愛。その繰り返しだ
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