All Chapters of 血がマズすぎて追放された私が吸血姫の眷属になれた訳: Chapter 11 - Chapter 20

60 Chapters

第十一話 伝承の血脈

 その頃、下の階の応接間では、クリスカさんと父『七見 士郎』が正対して紅茶を前に、当事者抜きで談笑をしていました。 暖色の落ち着いた照明に彩られる静かな高級感を放つ一室。革張りのアンティーク調のソファーにクリスカさんは座り、秘書も兼ねる壮年の使用人がすかさず紅茶を注いでテーブルに出します。 「こちらへいらっしゃるとお電話で頂いた時は驚きましたが、光莉と一緒だったとは」 「あの子とは偶々よ。高速列車のホームで声も漏らさずに泣いているのだもの。気になるじゃない?」 「娘がお見苦しい場面を。その寛大な慈悲に感謝を申し上げます」 座ったまま一礼し、士郎はティーカップを取りました。澄んだ茜色のフレーバーティーは柑橘系の爽やかな香りを部屋に漂わせていて、クリスカさんも釣られて紅茶に口をつけました。 「先ほどの様子を見るに、道中数々のご無礼があったと見受けられるのですが、どうかお許し願いたい」 カタンとティーカップが受け皿に置かれて、クリスカさんはキョトンと士郎を見つめました。身震いして小さく笑ったのはその直後の事です。まるで思い違いを面白がっているように顔を背けて、堪えるように丸めた身体を真正面に直します。 「無礼なんてとんでもない。突然連れ出したのは私ですし、名乗らなかったのは事実。顔が本家の使用人に空似していたから、躊躇ったというのもあるのだけど」 「左様でございますか」 力強い視線がクリスカさんから返り、士郎もホッとした様子で肩の力を少しだけ抜きました。 「無礼と言えば、あなた達の方がよっぽど目に余るわ」 それを悟ってか、クリスカさんの放った一言が二人の空気を凍らせます。 「……僭越ながら、理由をお伺いしても?」 「光莉の瞳、死んでいたわ。あそこまで娘を放置するなんて、常軌を逸している、としか言えないもの」 「事情を伺われたのですね」 「数多の星が輝く空の下で洗いざらい、ね」 「追い出され続ければ、傷だらけにもなりましょう。身の程を知り、大人になればいずれ自ずと道を開いてくれると、信じて好きなようにさせてはいましたが」 刹那、クリスカさんの表情が強張りました。 「大人になる——ね。フフッ」 「何かございますか?」 「そしたら私は、まだ子供と言うことになるわよ?」 「クリスカ様が子供?」
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第十二話 大人になる条件

「かつてこの家から出た者に若い頃の血は恐ろしく不味かったと書かれていた人間がいたと記述されていたの。けれどその続きにはなぜか、天寿を全うするその日まで仕えたと追記してあったわ。なぜだかわかるかしら?」 「恋慕やそれに似た感情がお互いを引き寄せたとかでは、ないのでしょうか?」 「数百年前のお話だけど、当時から我が家は縁談に関してだけは厳しいわよ? ましてや、当主の権限が一家一族の全てを掌握していたから、現代の吸血鬼一族ほど、本人の意思を尊重するなんて弛みはないし、駆け落ちシンデレラストーリーなんてしようものなら追放よ?」 ロマンチックなのは結構。さすがに命までは取らないが、戒律を乱そうものなら容赦はしない。アルタリィ家の家訓とも言うべき文化だが、現在は時代の流れで本人の意思も汲んでくれるようにはなったそうです。 真っ向から切り捨てると、紅茶で一呼吸を置いてクリスカさんはその答えを示します。「吸血を重ねるたびに血が変化し、主だけが感じられる魔性の味になったそうなの。特異体質なんて一時は家族でも話題になったけれど、数百年間の時が経つにつれて、偶然だったと誰もが思っていた」「特異体質……?」 「後に原因不明の突然変異と結論づけられた。その再来とも呼ぶべきかしら」 目尻を鋭く伸ばして睨むように士郎を見つめたクリスカさん。曇り始める表情にすかさず反応します。「何か心配事でも?」 「いえ……こう申し上げるのは大変失礼に当たると存じますが……確証はあるのでしょうか?」 「確証? あぁ、そうね」 考える素振りを見せ、口角を上げました。そんなの端から分かり切っていることのように。「あるわけないじゃない」 士郎が咽ます。唐突な不意打ちに慌てて呼吸を整えます。「何かおかしいことでも?」 「いえ、てっきり光莉が伝記に当てはまるような体質なのだと、確信を得ているものと推測していたもので」 「可能性の話よ。境遇もその使用人と似ているし」 でなければ、二年間も吸血鬼に棄てられ続ける理由が見当たりません。そもそも吸血鬼と契りを交わした使用人の血は配偶しようともその遺伝を消滅させます。吸血鬼の唾液には血液の変容を促す作用があるのも吸血鬼の間では周知の事実で、その法則に倣えば彼女の血も不味いはずがないと、クリスカさんは長年身内が培った研究成果を根拠に考えを固めました
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第十三話 追放され続けた痛み

ベットに一頻り八つ当たりして落ち着いた私は天井をただひたすら静止画のようにぼーっと見つめながら、下の階で対談する父とクリスカさんの事を想像していました。 その内容は恐らく、私の処遇。お互い数時間とはいえ、あんな立ち振る舞いをされては業腹でしょう。それも明確な上下関係が存在する吸血鬼と使用人だった少女の間柄です。言い訳は愚か、弁明の余地もなくこの家にすら居られなくなってしまう。 大袈裟のように聞こえますが、最後の最後で家の名にも泥を塗ってしまったのです。事の重大さに眼をやると、眼が潤んできました。 気が付いたのか、部屋で私の世話をこなす使用人がベットの縁へ静かにハンカチを置いてくれました。恥ずかしさで思わず袖で拭ってしまいましたが、頭を上げてその背中に軽い会釈をして感謝します。 すると、扉を控え目にノックする濁音が微かに聞こえました。「お嬢様、お客様がお見えです」 そう声を掛けられても、再び体重を預けた私はもう微動だにしませんでした。思考の迷宮に迷い込んだままで、扉が開いて中に入ってくる影にも、その人物の言葉で部屋から出ていく使用人の雑音にも、気が付きません。 そして、白色の光をその相貌で経たれた時、驚いてまた悲鳴を上げてしまいます。「のわぁぁぁぁぁ!」 あまりに唐突すぎるクリスカさんの登場に私は片手で布団を握りしめて壁際に後退りします。「ちょっと、驚きすぎよ」 「ど、どどどど、どうされたのですか?!」 「どうって、もうすぐ朝でしょう? だから眠たくて」 「ベットとか棺なら他の部屋に空いている箇所がありますので! 今、私めが案内致しますから」 飛び起きて部屋着のまま、連れ出そうとします。 しかし、それを断ち切ってしまうように、クリスカさんはさっきまで私が寝ていたベットへ倒れこんでしまったのです。「んにゃは。眠たくて立ってでも眠れてしまいそう。アザラシみたいに」 「あの、起きててください」 このまま爆睡されてしまっては、私一人で運べるかどうか。家の使用人に手伝ってもらうのも、今なら自分で出来ることをわざわざ頼むのは気が引けて、部屋から離れるのを止め、踵を返して傍へ寄ります。 そして彼女の冷たい身体に触れようとした瞬間、腕を掴まれるとベットへと引き戻されました。「びっくりしたでしょう?」 言葉が出ません。視界が派手に横回転した
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第十四話 不味くない血

私は声に出して言いました。素直な感想を、回りくどい言葉などで誤魔化さず、クリスカさんに言いました。 とても、とても痛かった。目の前で血を吐き捨てられたりもした。屋敷を去るときの軽蔑するような目にも刺された。苦しくて、悔しくて、どうしようもないと諦め続けた。家の名を傷つけて家族にも迷惑を沢山掛けてしまった。 ついには家の使用人になることを受け入れてしまった。今更、謝られたってとも思った。 込み上げてくるのはそんな痛みの数々。灰黒の流星を見た時からクリスカさんはその様に思われていたと、背負うことを決めたのだと知ります。 吸血鬼からしたら、ほんの一瞬の出来事だったはず。たった一人の、落ちぶれ廃れていくだけの使用人だった私の凄絶な痛みをこのお方は一人で引き受けようとしてくれていたのです。 凍り付いてしまいそうな肌がとても暖かく感じられました。呼吸も乱れて泣きじゃくる私を離して、目配せをします。「辛い思いをずっとさせ続けたこと、吸血鬼の長だった者達の一員としてあなたにお詫びしたい」 「ちょっと変ですよ」 「変?」 「確かにいっぱい酷いことをされました。でもクリスカ様は、クリスカ様です。私に謝る道理なんてどこにもない」 けれど、彼女が背負う必要なんてどこにもありません。恨んでもいません。だから、私を連れ出したときの笑顔を、吸血鬼には似つかわしくない燦然と輝く笑みを濁さないでください。 懇願を言葉に出力しようと口を動かした時、声が被ります。「クリスカ様」 「光莉」 重なった地点で押し黙ると譲り合いが始まって、結局はクリスカさんが喋ることになり、黙々と耳を傾けました。「もし、もしさ。私の旅のお供になってほしいって頼んだら、あなたは引き受けてくれるかしら?」 言葉の真意はそのままで理解するのにそれほど時間は掛かりませんでした。けれど、私は即答できず、目線を彷徨わせます。「こっちを向いて」 「えっと、あの、ひゃっ」 ベッドが私の身体を優しく受け止めす。「どうなの? 私の隣に来るか、それとも、この屋敷の壁を見るだけの人生を送るか」 「考えさせ」 「ダメ。私にはあまり残ってる時間がないの。ここで決めなさい」 迫られてしまい、さらにおどおどと目まぐるしく視線が迷い、沈黙を作り出してしまいました。 何もできない私を連れて、あなたになんのメリッ
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第十五話 葛藤は救い

明くる空は眠って逃して、眼が覚めたのは夕方でした。 目線の霞を払うように瞬きしていると、差し込む蛍光灯の光が目に飛び込みます。身体は以前よりも軽くて、腕に力を入れると少しだけ痛みました。 そして、目の前にいたあのお方の素顔もなく、慌てていつの間にか掛けられていた布団を剥ぎました。「あら、おはよう」 まず耳にした透き通る肉声。もう決して聞き間違えることのない声に私は眼を向けます。 私の机を拝借して、端麗な紅い眼光を据える体躯は見るからに少女のそのお方は、見紛いませんクリスカさんです。蒼白の指でキーボードをさぞ忙しなく打ち込む彼女にまるで付け入る隙がなく、たじろいでいます。 ですが、何をしているのでしょうか。ちゃっかり私のパソコンを使っているようにも見えるのですが。「五月蠅かった?」 「い、いえ。むしろ心地良いです」 ぼんやりする思考回路と腑抜けた私の声音にクリスカさんがタイプに励む手を止めました。「あっ寝るなぁ!」 「ごめんにゃひゃい」 「まったく」 背中に腕を回してくれて、倒れかけた私は仕方ないので起きることにしました。 するとクリスカさんは眼を眇めて私の首筋を見つめます。「……なんでしょう?」 「ちょっと痛そうだったから、どうなのかなって」 その痛そうな傷を作ったのは昨晩のクリスカさんですよと、頭の中で一言。「痛みはないんですが、熱を帯びていてちょっと落ち着かないです。腫れてしまっているような感覚です」 と素直に告げました。 クリスカさんの介護を糧に自力で立ち上がって、窓際の椅子に腰かけます。彼女も仕事の続きを始めながら、まるで医者のように体調を伺ってきました。「吸血の量は?」 「身体に異常はありませんし、大丈夫です。それと」 「それと?」 「クリスカ様の吸血を拒んだことを謝りたくて……申し訳ないです」 「些細な事よ。気負うことはないわ」 些細と一蹴。トラウマも克服する努力をしなければいけませんね。「この仕事が片付いたら、話の続きをしましょう」 「話の続き?」 「あなたの進退よ。私に付き従うか否かのね」 「あ……はい」 気まずく眼を細めて反らす私。考えは未だ纏まっていません。 きっと、父が差し伸ばした庇護で暮らしていければ、不自由のないことは自明です。二度と病むことのない世界は、理想です。 仮に
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第十六話 旅へのきっぷ

手を止めて諦めた物言いをクリスカさんはしました。しかしそれが、私の紡いだ口をこじ開けます。「——私は、行ってみたいです。クリスカさんの隣で色んな景色を見たい。いずれは貴方様にお仕えする使用人になりたいです。吸血鬼の主様に仕えることが私の夢です……一度は折れましたけど、私はクリスカ様のお傍でずっと」 思わず漏れた本望。クリスカさんは立ち上がり傍へ寄って、「なら、決まりね」 そう言って、ノートパソコンを消して私の手を取りました。「決まりなのですか」 「行ってみたいんでしょう。旅に」 その通りなのですが、私には返せるものは何もない。だから正直に言います。「私が返せるものなんてありませんよ」「あるじゃない。その身体に」 「身体……?」 「なぜ顔を赤くするのよ」 「だって、私の身体って申しましたので」 そりゃ、身体を求めるなんて言われたら赤くなります。「あぁそういう事。勘違いしないでよ。私はあなたの血で贖ってと言っているの。年下の幼気な少女を抱く趣味なんてないわよ?」 「はいごめんなさい」 「よろしい」 嘆息されながらも、お許しをいただけました。私は視線が外れているのを良い事に微笑みます。「これがひと段落したら、出発するわよ」 「もう、ですか!?」 「思い立ったが吉日。もうチケットも取っちゃってるから」 薄青の切符を背のまま誇らしげに掲げていました。いつ取られたんでしょうか。未来でも見据えているような行動力です。 私は立ち上がりました。門出は唐突ですが、それもまた旅の楽しみ方というものなのか、今の私にはわかりません。 私物の入ったトランクを開けて、私は荷物を入れ替えました。いらない私物は乱雑に放り投げて、数日分の着替えと、カメラと、正装でもある給仕服、棚の中にいつしか主となる方にと用意した紅茶の茶葉のボトルを詰め込んで、私は吸血鬼と旅に出ることにしました。
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第十七話 海底トンネル

海底に貫かれた長大トンネルをブライトブルーの客車と先頭で率いるワインレッドの機関車が電動機を唸らせ、北海道の広大な大地へ馳せていました。 屋敷から連れ出された私は真紅の瞳を持つ吸血鬼のお嬢様と、オレンジ色の光と静謐な空間に包まれた食堂車で朝食のパンを頬張っていました。「初めて夜行列車で越した夜は、どうだったかしら?」 光沢が煌く金色に茜色のシートが据え付いた席に座り、凛々しく眼を覗かせた旅の吸血鬼、クリスカ・アルタリィさんが私に夜行列車バージンの感想を伺います。「ベットがちょっと硬かったです」 旅へ連れ出した主に忌憚のない意見を言いました。クリスカさんは首肯して苦笑いを浮かべます。「ざっと三十年近く前の設計だもの。時代が違いすぎるわよ」 「あははは……」 パンを口に運んでいた手が止まります。夜行列車への憧れと個室の快適な一時を想像していた私でしたが、ベットが思いのほか硬かったので、背もたれに当たる背中が少しだけ痛みます。 しかし、私が是非とも語りたいアクシデントは、そんな些細な睡眠のことではなかったのです。それこそ列車ならでと言っていい問題でもあり、人生史上初めての危機でした。「まさか、お風呂に湯船がない上、シャワーを出すのに時間制限があるなんて」 虚ろな目を窓の外へやって、苦い思い出を振り返ります。クリスカさんは頬を膨らませて今にも噴き出しそうな面持ちを必死で保っています。 この列車は首都と北海道を結ぶ寝台列車で、帰宅ラッシュの只中、世間一般で言うディナータイムより少し前の夜七時に始発駅を発ち、終着駅には翌十一時の到着、片道の所要時間は十六時間にも及びます。乗客は夕食と朝食を列車内で取らざるを得ません。 そうなれば、清潔感を保つ入浴も然りです。しかも全員にその権利があるわけではなく、A寝台という上位クラスの部屋に宿泊する乗客と、ロビーカーで販売されるシャワーカードを手にした乗客だけです。 私達は前者だったので、その特権も手に入れることが容易だったのですが、問題はそのシャワー。一人が使用できる水の量でした。 列車とはいえ、積載できる水の量は限定されます。生活用水の他に使用済みの水を溜めるタンクも必要になるからです。故にシャワーには時間制限が設けられていて、それを過ぎるとどんなに泡塗れだろうが、問答無用で止められてしまいます。 知ら
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第十八話 三つ目の選択

家柄の呪縛に囚われ続けるのが、吸血鬼として生きる私の一生かと、自問自答したことがあった。きっと流浪の旅烏になったのはそれがきっかけと振り返る。 四十余年も前の話。家族に黙って家を抜け出した私は、初めて一人で目にした外の世界に眼を輝かせた。何十台も往来する車と人、渋滞に並走する華奢な路面電車、飛び込む物全てが新鮮で、普段は眼も暮れないような大衆食堂の味に舌鼓を打った。 アルタリィの名を継ぐ定めを捨て、名誉と家業に縛られない生き方を選ぼうとした。その私を冷めた目で見る者が大半なのは必然だった。 全てを得た者達は奇異な眼で、何も持たざる者達は嫉妬の眼で、加速度的に心を喰い尽くそうと蝕んでいった。 先代の当主、父も私の生き方には猛反発した。幸せだの、将来だのを口々に拘束しようと強い言葉で迫る。自己満足に付き合わされる道理はないと一蹴してやったけれど、それから互いに気まずさを抱いたまま、顔を合わせては無言で終わってしまう関係が続いている。 そんな自由を探求した人生の岐路から四十年余り。すれ違い続けたまま、私は中途半端に家の名を借りて生きている。奔放に、ないがしろにされているように。 しかしそれもいずれ終焉が訪れる。遠からずして。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 全長40キロ超の海底トンネルを抜けたら、そこは一面の雪景色でした。個室寝台の部屋に戻った私達は、各々が食後の自由時間を過ごしていた最中、列車はトンネルを抜けきって北海道に入ります。 春先の気配などカレンダーからは微塵も感じられない真冬の北海道。当然の事ながら外は雪がしんしん——なんて可愛らしい擬音ではなく、濁音まみれのドカドカに近いような、そんな降り方です。その豪雪を難なく弾き飛ばして列車は足並みを進めていました。 クリスカさんは私達に宛がわれた部屋へ戻るなり、ベットの一段目に転がって本を開くとやがて誘われるように眠ります。 出発前に買った彼女お気に入りのシリーズのライトノベル。タイトルは『凛としてイブキ』、田舎の学園を舞台にした恋愛物だそう。 曰く、著者の『黛 キエル』先生のキャラクターの心情が繊細で、脆く打たれ弱い主人公がヒロインやクラスメイト達と波乱万丈な日常を過ごしながら恋をするというストーリーに撃たれたと、出発前に熱く語っていました。しかし完結してから新作を出していないから気
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第十九話 薫

本当にやる気ですか? 辺りを見渡して、誰か一緒に止められる人を探していると、「冗談さ。次の駅で降りるかな。一人旅だし、気まぐれで動くのもありだろう」 「た、旅の醍醐味ですよね」 「そういえば、君もかい? 一人旅」 「私は二人旅です。夜逃げと言いますか、そのー」 「夜逃げ?」 「なんと言いましょうか……シチュエーションとしてはそんな感じ……連れ出して頂いたというのが正しいかもですけど」 事の成り行きはどうあれ、今の私は付き人でしかありません。使用人と名乗りたい心を抑えて、正直に言いました。「なるほど良くわからん」 「口下手ですいません」 謝る必要はないような気がしましたが、口先からはすでに出てしまっています。「でも旅してるのは事実です。気まぐれに目的地を変えてっていう、流浪の旅」 「ふーん。タフなことしてるねぇ。今日で何回目?」 「初めてです」 思わずこけてしまった彼女に茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべました。でも気まぐれで北の方角に目を向けたのは本当です。「いいじゃん。そういう、目的のない旅って」 「そうでしょうか?」 「あたしも何か目標とか目的とかで雁字搦めにならず、生きてみたかったよ」 懐古に溺れながら遠くを仰いで彼女は言います。何故かその瞳は鬱蒼としていましたが、立ち上がって通路を去ろうとしていました。「あの! パソコン!」 あろうことかノートパソコンを置きっ放しで。大事な商売道具でしょうに。 私が折りたたんで渡そうとしますが、液晶へ刻まれた文字に視線が吸い込まれました。「悪いね。近頃は物忘れが多くて、歳かな」 薫さんは頭一つ分高かった目線を見下ろすように合わせると空返事を呟きました。「まだお若く見えますけど」 気さくに応じますが、奪うような手つきと顔の動揺は隠せてませんでした。何か見られてはマズい物だったらしいです。それも赤の他人に。「礼を言うよ。ありがとう」 「でも、ありがとうじゃ足りませんね。んー」 「借りを作ったって言いたいのかい?」 「まぁ、そんなところですね。お名前を教えてください。それで手を打ちましょう」 目を眇め、嘆息されてしまいましたが間を開けて、「佐伯だよ。佐伯 薫」 「さえきかおるさん——ですね? 覚えました。七見 光莉です」 「まぁ、もう会うこともないだろうけどさ」
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第二十話 初めての目的地

薄黒く厚い雲が空を閉ざす空の袂、列車は北海道では最初の停車駅でもある第二の都市『函館』に到着します。 函館で降りる予定の私とクリスカさんは早々に荷物を纏めて扉を潜りました。 色違いのフレアスカートですがこの酷寒には一枚の布にも勘定できず、防寒用のウィンドブレーカーに着替えてしまいました。せっかく気に入っていたのですが、命に関わりますから仕方ありません。 すると外では分厚い作業着に黄色や緑のベストを羽織った係員の方々が忙しなくホームを行き来している姿が目に映り込みました。「何やら騒がしいのですね」 「機関車の付け替えをやってるのよ」 「付け替え?」 「そう。青森で交代した青函トンネル用の電気機関車からディーゼル機関車にバトンタッチするの」 「ディーゼル機関車?」 「ガソリンとか化石燃料を燃やして動く機関車のことだよ。函館から札幌までは電線ない区間が多いからほとんどの列車がディーゼルエンジンを積んでいるのだ」 「へぇ。そんな特色が」 関東では既に絶滅しつつある気動車が北海道では沢山走ってるのだそう。博学なクリスカさんが誇らしげに、そして楽しそうな面持ちで語る姿に私も寒さが吹っ飛んで聞き入っていました。「まだ発車まで時間あるし、行きたい場所があるんだけど」 「えっと。今日は函館のホテルでってお話でしたよね? キャンセル致しますか?」 「いやいやここで済むよ。実はな、ディーゼル機関車にはデッキがあって、そこに乗らせて貰えるんだ。今日の機関士さん知り合いだし、一緒に写真でもと思ったんだけど」 「行きます! いえぜひ一緒にお願いします!」 「すんごい勢いで即答したね吃驚した」 きっとクリスカさんは自分が手を引いて強引に連れていくのを想定していのでしょうが、逆でした。私が手を引き、走り出します。 函館駅は終端式ホームと言われる、片方に車止めがある行き止まりの駅でした。乗ってきた列車は先頭と最後尾を反転させて終着の札幌を目指します。 大海原のミッドナイトブルーに銀の流れ星を引いた二両の大型ディーゼル機関車がエンジンの重低音を唸らせて、発車の刻を見計らっていました。 横では客室アテンダントの方と思しき女性が寄せては返す人の波を誘うように声を掛けています。 許可を取って、そんな旅のトリを飾る機関車のデッキに失礼して、シャッターを一回、切って
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