ログイン出てきたのは初老の女性。サラリと靡く白髪に柴犬のような細くもくっきりとした眉。厚手のコートと変哲もないジーパンを召した見た目はごく普通の叔母様が見かけに外れて走ってやってきます。 言葉でこそ過酷さを訴えていますが裏腹に顔は満更でもない開き切ったひまわりのような満開の笑顔が咲いていました。「久しぶりねぇ。今度はどこの帰り? 大阪? 京都? あら九州かしら」 「残念だったわね美喜恵。全部外れよ。北海道」 「まぁ随分と遠くから来たのねぇ。っと、この方々は?」 「旅のお供。最近知り合った人たち」 「あらまぁこれは失礼を。私ったら年甲斐にもなくついはしゃいじゃって、自己紹介が遅れちゃったわ」 「いやまぁ、大丈夫だ……あっです」 「堅苦しいのは無しでいいの。茂木 美喜恵よ」 「薫、佐伯 薫」 「七見 光莉です! えっと、クリスカさんと旅をさせていただいてます!」 頭を垂れて一礼。「元気がある子大好き! ささ、外じゃ寒いし中でゆっくりお話しいたしましょう」 背中を押されて車内へ。その勢いに気圧され、私と薫さんはもはや為すがままです。 中には冷蔵庫やテレビ等々、誰の手向けなのかと首を傾げるほどの至れり尽くせりぶり。「でもバスってなんか物々しくないでしょうか?」 「クリスカはド派手な演出が好きなの。もうとびっきりのね」 「もう卒業したわよとっくの昔に」 「あらーそうだったかしら? その割に巷では豪華と謳われる寝台列車を乗り回してるって聞くけど?」 ぐぅの音も出ないと言った渋い表情。けれど嫌な気はしていないようで、バスに乗り込むと真っ先に美喜恵を隣に呼んで座らせると——「意地悪は止してよもう」 語尾が薄れていきます。顔を覗こうとするとそっぽを向かれてしまい、そんな様子を見る薫さんはあっけらかんとしていました。「照れちゃってねぇ。若いって良いわねぇ」 「美喜恵は、その大分変ったわね。皺が深くなったって言うか」 「これでもお若いって言われるのよ人間の間では」 「人間? あの差し支えなければで良いんですけど」 「私、茂木美喜恵は人間じゃないんですか? って質問でしょう?」 「は、はい。読まれてた」 暫し黙って含み笑い。「そうねぇ。謎の女、というのはありきたりかしら。んー即興で何か考えるのはやっぱり苦手ね」 苦悶しつつ、考え出され
寝台列車の終着は目覚めて間もない北陸の中心駅『金沢』。新幹線の建設でブルシートが目立つ高架駅に停車した列車の扉を降りたクリスカさんに続いて、私と薫さんもプラットホームの黒に色を付けます。 まだ目的地というわけではなく、けれど次の電車までは時間があるというので小休止を挟むことになりました。 駅前に出ると、一際巨大な鳥居のような門が現れます。「よくテレビで見るアレですね!」 名前が出てきません。 二本の大木に絡んだ幾本の柱に均一な升目が掘られた天井。まずその荘厳な門構えに圧倒されて、どこまで行けば私のファインダーに収まるか、想像もできませんでした。 しかしこの門、その姿形には既視感があるのですが、多分ほとんどの日本人はよくテレビに出てくる門としか認識していないのではないかと心で秘かに抱いています。「鼓門ね。能楽で使われる鼓をイメージして建設された現代アートで、恐らく駅前であるモニュメントとしては東京駅の次くらいに大きい建造物よ」 「やはり、日本の駅というのはとてもユニークな物が多いな」 「薫にしては意外な反応ね。てっきりこういう建築物とかは創作の種にするから見慣れているかと思ってたけど」 私は走って天井に目を凝らしてはしゃいでました。「どちらかと言えば西洋風の館とかを参考にするんだ。こういう、あまりにスケールが大きすぎる建物は内部が複雑で迷うわ、外観のイメージとは掛け離れた近未来的な内装であまり参考にならないんだ。人にもよるが私はね」 「作家も複雑ね」 難義な境遇に腕を組んで同情の言葉を掛けるクリスカさん。「まぁ、クリスカほどじゃないさ」 私から少し離れたところで内容は聞き取れませんが二人は談笑に盛り上がっているようでした。 すると遠雷のように低く野太い鐘が鳴りました。その音源を探すように眼を走査すると、大通りの手前に聳える大時計を見つけます。「あっそうです。クリスカさん、太陽が出るまであと一時間程しかありません! ホテルに急がないと」 午前五時を指す針に私は慌てふためきました。けれど当の本人はとても冷静で、むしろ太陽なんてクソ喰らえと言うような余裕の表情です。「心配ないわよ。多分、そろそろだから」 「そろそろ?」 含み笑いでロータリーに目をやると、一台の大型バスが交差点を曲がってきます。夜行の長距離バスにしては派手な銀のエ
走り出せばいずれ終着は訪れる。列車がそうであるように人生も例外じゃない。三段ベットの一番下で徐に呟きました。 クリスカさんは人の生きる道をよく列車に喩えられます。漠然として哲学的ながらも、万物が持つ死という概念を謳うそれは、私もはっきりと感じられました。「藪から棒にどうしたんだ?」 「ぼんやりと浮かんできたのよ。他意はないわよ?」 「その一言で人生の深みを味わえる素敵な詩です!」 「光莉ってクリスカに結構毒されているんだな」 毒されているというのは心外です。大判焼きにかぶりついていた私は手を止めてムッと頬に膨らませますが、最上階なので誰も気づくことはなく、スルーされます。「家族ぐるみの付き合い、というよりは実家の屋敷に代々従えてる使用人の長女なの。敬語が常だったり、気遣いに長けてたりするのも、もはや遺伝子レベルで刷り込まれてるからなのかもね」 「気遣い……なのか」 「えぇ。そうよね?」 「何を——本心ですよ」 三段寝台で繰り広げられるやり取り。勿論、クリスカさんのポエムに感無量なのは疑いようのない本心です。「でも、そろそろ敬語は卒業してほしいかもね」 とクリスカさん。「敬語を卒業?」 「耳にタコができるほど聞かされているとは思うけど、私達は対等よ。歳の差とか家系とか、そういうシガラミはこの際全部なし」 「シガラミ……ですか」 これがシガラミだなんて思いもせず、いざ払ってしまえと言われると言葉に詰まりました。 私からすれば、クリスカさんは仕えるべき吸血鬼なわけで、今もその関係性、概念に変わりはありません。 口を紡いで熟考します。果たして彼女が望む平等とは一体なんなのでしょうか。その答を掴めないことに焦燥感で一杯になりそうでした。「まぁ、難しいのならいいの。私のわがままだから」 「左様ですか……」 「貴方らしく生きればいい。そうだ、ねぇどうして使用人を目指そうと思ったか教えてよ」 やる瀬ない気持ちが霧散し一点、私の声に活力が漲りました。「母の姿を視て、後を追いかけようって思ったんです。淑やかで凛々しくて、それでいて主様であるクリスカさんのお父様に尽くす姿が、私の脳裏から未だに離れない。あとは、給仕で着る給仕の服がとても可愛らしくてっていうのもありますね」 脳裏に過る幼少期の記憶、お仕えする吸血鬼の方のお屋敷へ遊びに行
閑話休題。連絡船を降りて数週間、青森で滞在した後の事。列車が光拒む宵闇に発つ直前のお話です。「あっ今川焼」 駅構内のメインストリート。地元のお土産屋台がずらりと軒を連ねる中に、クリスカさんが一際異彩を放つお店を見つけて袖を引っ張り呼びました。 何枚もの円盤状の鉄板が並んだガス台で焼かれるきつね色のお菓子。あんこやカスタードを中へ入れて食べる今川焼です。 けれど私がすかさず、「いえ、アレは今川焼ではなく大判焼きです」 「そうとも言うな」 「買っていかれます? 大判焼き」 「今川焼じゃないの?」 「大判焼きです」 訂正して頑なに譲りません。紅い暖簾には黒い文字でしかと大判焼きと書かれています。 世の中には名称や好みの争いが付きません。犬か猫か、ケチャップかマヨネーズか、あんこかカスタードか、半熟か固焼きか、きのこかタケノコかなどなど。数えていてはキリがないほど。 かくいうこの目の前で次々と焼かれるコレも例外ではなく、しかも二者択一ではないのでした。 足を止めて私と眇めた瞳で微笑するクリスカさんの視線が交錯しました。「光莉は、そう呼んでいるんだ」 「大判焼きでしかないです。むしろ他の呼び方は初耳です」 「でも今川焼がしっくりこないかしら?」 「そうでしょうか?」 「ちなみに地域で呼び方が違いみたいだ。関東圏は今川焼で通用している」 「我が家では大判焼きと呼んでいるんです。関東ですけど」 「珍しいな。するとご両親のルーツは関東圏外か」 割って薫がその差違を説き解くと、「なるほど」と私は納得していました。「まぁ、どっちでもいいわ」 そう言って、クリスカさんが屋台に寄って行き、私達も背中を追うように遅れてやってきます。「カスタードを三枚」 「はいよ、回転焼きカスタード三枚!」 私とクリスカさんは思いっきりずっこけました。それはもう、建物も揺らす勢いで、足を滑らせて。
「ちょっと声が大きいわよ」 顔を真っ赤にしながら、思わず大声で聞き返してしまいました。意外も意外、まさしく晴天の霹靂が如く言い放ったクリスカさんですが、そこには微塵も恥じらいもなく、むしろ哀愁すら漂っていて、表情も懐古に想い耽る微笑みが現れています。「失恋したんだけどね。次の旅は件のその人に会いに一路日本海を伝って南へってところかしら」「クリスカさんを射止めた方……ぜひお会いしてみたいです」 「……物凄くハードル上がるなぁ」 上げたのは私ではありませんよ多分。「まぁ話を戻すんだけども」 「無理やりですね」 「意外と恥ずかしいのよもう。光莉の心配は杞憂よ。あらかじめ言っておくわ」 「杞憂?」 「まだ薫との糸は切れていないという事よ。まぁ離れていても秒速で伝えたい言葉や想いが伝播する現代だと、離れ離れってことの実感が薄いけれど」 それでもやはり、と食い下がりそうになりました。もはや戻る術などなく、いくらクリスカさんに弁じていても何も伝わらない。 理解しつつも煮え切らず、言葉だけが込み上げてきます。けれどそれを伝えるためだけに私が泳いで戻るとかは不可能で、船を差し戻すということも考えましたが一個人の願いの為だけに周りを巻き沿いにするのは尚更無茶な発想でした。 下唇を噛みながら、私は遠ざかる北の大地に目を向けます。あの雄大な大地に大切な何かを置き忘れた気分で。「言いたいことがあるなら、叫んでみるといい」 「叫ぶ?」 「心を持つということは時に不思議でね。離れていても言葉が通じ合うことだってあるの。以心伝心という奴かな?」 まさか、とも思いましたが気晴らしには丁度良いかもしれないと、私は腹に息を溜め込みます。「薫さぁぁぁん! 酷い事言ってしまってごめんなさぁぁぁい!」 「そう叫ばなくとも聞こえているぞ、光莉」 不思議です。手に取る様に薫さんの声が耳に残り、「って、え?」 「さっきから見ていたぞ。クリスカも少し悪戯が過ぎるんじゃないか?」 「人の驚いた表情とか、愕然と立ち尽くす様を見るのが私の好物の一つよ。覚えておくといいわ」 「いつ……から?」 「階段のところでずっと出番を待っていた」 「じゃ、じゃあ、さっきまでクリスカさんに打ち明けてたことも全部」 「聞こえていた。それに関しては、何か悪いことをしたかな?」 顔全体が
そんな事件が過ぎ去って、クリスカさんとの処女旅は四日の月日が経過しようとしていました。 部屋に置き土産、とどのつまり忘れ物がないかをすべからく確かめて、私達は四日間お世話になったホテルの一室を後にします。 あの夜以来、薫さんと顔を見合わせることはなく、クリスカさんの言葉に頼りっきりになっていました。何度か様子を見に行って曰く、生きていることと作家として再出発するべく原稿と戦っているそうです。 前に進みだした彼女の健闘を祈りながら煌びやかに輝くホテルのエントランスに辿り着くと、私達を見送るホテルマンたちの花道が伸びていました。「盛大なお見送り……ですね」 ちょっと引きました。これが現代にも蔓延る吸血鬼の影響力。それを前にして、素直に出た感想がコレです。 特別扱いというのも、なんだか心苦しいような気がしていたのかも知れません。口には出せませんが、その花道をすかさず潜ってタクシーへと乗り込みました。「あの見送りって毎回なんですか?」 「えぇそうよ。私も出来れば避けたいんだけどね。悪目立ちするし。避けようとしても彼らの心遣いというか、直感には勝てないのよね。どんな手使ってもこっちのチェックアウトの時間読んでくるから」 避けようがないとクリスカさん。言われてみれば出る直前から視線を向けられていた感覚もありました。 贔屓というのも良い事ばかりではない。思い知らされた気分です。 雪国の只中を行きと同じように何食わぬ顔で進む地元のタクシーは、ものの三十分程度で函館市内に入り、そのまま高速フェリーが発着する七重浜の函館港へと滑り込みます。「次の目的地は何処に?」 「北陸かしらね。また夜行列車だけれど、飽きてない?」 「愚問です! もう慣れましたから!」 「頼もしい。でも、またシャワールームで叫ばないでよ?」 「あ、あれはクリスカさんがぁ!」 情けない声が港のロータリーについた車内で響きました。 押し固められた雪の大地に再びその足がついた矢先、遠巻きに聞こえるフェリーの汽笛が私達に挨拶をしてくれています。北の雄大な大地に接岸するその船は、まるで舞踏会へ連れて行ってくれる魔法の馬車のように、燦々と金色の輝きを放っていました。「トンネルが通っても絶えずこの船はここと本州を結び続けている。不死鳥のように」 「詩的ですね」 「風情あるでしょう?」
海底に貫かれた長大トンネルをブライトブルーの客車と先頭で率いるワインレッドの機関車が電動機を唸らせ、北海道の広大な大地へ馳せていました。 屋敷から連れ出された私は真紅の瞳を持つ吸血鬼のお嬢様と、オレンジ色の光と静謐な空間に包まれた食堂車で朝食のパンを頬張っていました。「初めて夜行列車で越した夜は、どうだったかしら?」 光沢が煌く金色に茜色のシートが据え付いた席に座り、凛々しく眼を覗かせた旅の吸血鬼、クリスカ・アルタリィさんが私に夜行列車バージンの感想を伺います。「ベットがちょっと硬かったです」 旅へ連れ出した主に忌憚のない意見を言いました。クリスカさんは首肯して苦笑いを浮かべます
明くる空は眠って逃して、眼が覚めたのは夕方でした。 目線の霞を払うように瞬きしていると、差し込む蛍光灯の光が目に飛び込みます。身体は以前よりも軽くて、腕に力を入れると少しだけ痛みました。 そして、目の前にいたあのお方の素顔もなく、慌てていつの間にか掛けられていた布団を剥ぎました。「あら、おはよう」 まず耳にした透き通る肉声。もう決して聞き間違えることのない声に私は眼を向けます。 私の机を拝借して、端麗な紅い眼光を据える体躯は見るからに少女のそのお方は、見紛いませんクリスカさんです。蒼白の指でキーボードをさぞ忙しなく打ち込む彼女にまるで付け入る隙がなく、たじろいでいます。 ですが
私は声に出して言いました。素直な感想を、回りくどい言葉などで誤魔化さず、クリスカさんに言いました。 とても、とても痛かった。目の前で血を吐き捨てられたりもした。屋敷を去るときの軽蔑するような目にも刺された。苦しくて、悔しくて、どうしようもないと諦め続けた。家の名を傷つけて家族にも迷惑を沢山掛けてしまった。 ついには家の使用人になることを受け入れてしまった。今更、謝られたってとも思った。 込み上げてくるのはそんな痛みの数々。灰黒の流星を見た時からクリスカさんはその様に思われていたと、背負うことを決めたのだと知ります。 吸血鬼からしたら、ほんの一瞬の出来事だったはず。たった一人の、落ち
「かつてこの家から出た者に若い頃の血は恐ろしく不味かったと書かれていた人間がいたと記述されていたの。けれどその続きにはなぜか、天寿を全うするその日まで仕えたと追記してあったわ。なぜだかわかるかしら?」 「恋慕やそれに似た感情がお互いを引き寄せたとかでは、ないのでしょうか?」 「数百年前のお話だけど、当時から我が家は縁談に関してだけは厳しいわよ? ましてや、当主の権限が一家一族の全てを掌握していたから、現代の吸血鬼一族ほど、本人の意思を尊重するなんて弛みはないし、駆け落ちシンデレラストーリーなんてしようものなら追放よ?」 ロマンチックなのは結構。さすがに命までは取らないが、戒律を乱そうも